みえない世界がみえる女とダマされる人々

 
c0109850_1122971.jpg

 
おスピちゃん、ヒール・ピープル、エネルギー・マン、パワー・マンと呼ぶ一群の者たちがいる。彼らは例外なく「ダマされる人々」である。彼らはことあるごとに、そして、あらゆる局面場面で「スピリチュアル」と言い、「ヒーリング」「癒し」と言い、「エネルギー」と言い、「パワー」と言う。彼らは一様に物事、事象、現象、事態に対して無批判/無自覚/非論理的/非実証的である。

ダマされる人々は大抵の場合、「目に見えるもの」を信用しない。「目に見えるもの」を卑下してでもいるかのようだ。彼らが重きを置き、価値を認めるのは「目に見えるものの奥にあるもの」である。

彼らはどのようにして「目に見えるものの奥にあるもの」にたどり着こうとしているのかと言えば、彼らが言うところの「直感」に頼ってである。そして、彼らをダマしている者が見るのは銀行の預金通帳だけだ。


逗子の海の小さな入江に面した古いレストランのテラス席で昼めしを食べているときのことだ。

みえない世界がみえるのよ。 ── とても良心的で誠実で手抜きのいっさいない「良妻のスープ」を食べ終え、アボカドとトマトとバジルのパンサラダに取りかかったとき、隣りのテーブルからヒステリックにうわずった女の声が聴こえてきた。フォークを静かに置き、気取られないように注意深く声のしたほうを見た。

声の主は40代半ばの女だった。テーブルにはその女のほかに5人の女たちがいた。年代はばらばら。高校を卒業して間もないと思われるような少女。どう贔屓目に見ても70歳を過ぎているような老婦人。髪を無造作にひっつめた30歳くらいの女。いかにも生活疲れしていることが見てとれる50代半ばの太り気味の女。貪欲なカマキリのような眼をした20代後半の女。

波の音が邪魔をして、ときどき、彼女たちの声をところどころ掻き消したが、それでも会話の内容は十分に理解できる。

ドリーン・バーチュ 、ゲリー・ボーネル、バシャール、ヒーリング、ヒーラー、オーラソーマ、ゲアリー・クレイグ、エモーショナル・フリーダム・テクニック、オリバー・バークマン、フランシーン・シャピロ、眼球運動による脱感作および再処理法、あなたは特別、あなただけに、アセンション、次元上昇、5次元の地球、ライトボディ、半霊化した肉体、弥勒の世、菜食、縄文に帰る、前世、過去生、プレアデス、シリウス、オリオン、ポールシフト、フォトンベルト、波動、聖地、パワースポット、瞑想、チャネリング、天之御中主神、天照大神、天使、精霊、女神、光と闇、波動、13の月、マヤ暦、クリスタル、チャクラ、イルミナティ、オーラ、UFO、結界、ソウルメイト、ソウルグループ、シャスタ山、和の舞、EFT、EMDR

これらの言葉が次から次へとみえない世界がみえる女の口から澱みなく出る。不意に、「みえない世界がみえる女はじきになにかを売りつけるぞ」と思った。

みえない世界がみえる女が彼女たちのリーダーであることはすぐにわかった。ほかの女たちは神の言葉を待つような表情で女に視線を集中させていたからだ。みえない世界がみえる女以外の者はひと言も口をきかなかった。

みえない世界がみえるのよ。あなたもでしょう?」

みえない世界がみえる女に同意を求められたのは線の細い、悲しげな眼をした少女だった。

「みえます。はっきりと」

少女は少し間を置いてから、よく通る声で答えた。少女の答えを皮切りに、結局、全員がみえない世界がみえる女になった。「ただの同調圧力じゃないか」と思ったが、彼女たちは真剣だった。

再びアボカドとトマトとバジルのパンサラダに取りかかった。アボカドとパンをフォークに一緒に刺して口に運ぼうとしたとき、リーダーとおぼしきみえない世界がみえる女が濃いブルーのエルメスのバーキンからコバルト・ブルーの箱を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。私は、再びフォークをテーブルに置いた。

みえない世界がみえる女1号は神殿で行われる聖なる儀式にでも臨むような芝居がかかった表情と仕草で箱の蓋をあけ、中から淡いピンクのアルシュ・ペーパーの包みを取り出した。そして、ゆっくりと「御神体」でも扱うように注意深く包みを開いた。

中身は水晶のネックレスだった。それもきわめて質の悪い水晶。中国製であることが一目でわかるほどの粗悪品だ。水晶自体の真贋、優劣を判別するのは経験と見識と高度な鑑定眼を必要とするが、台座やチェンの加工、細工の善し悪し、高低についてはそれほど難しいものではない。みえない世界がみえる女1号のネックレスはあきらかに噴飯ものの粗悪劣悪品だ。

みえない世界がみえる女1号はもっともらしい講釈を始めた。やっぱり。予想していたとおりだ。

「これでさらに上の次元に行けるのよ」

みえない世界がみえる女1号は神のお告げのように言った。

「おいくら?」

口火を切ったのは老婦人だった。

「80万円ですよ。ちょっとお高いようだけど、由緒来歴がちがいますからね。そんじょそこらのクリスタルとは」

そんじょそこら? そのひと言でみえない世界がみえる女1号の素性のあらかたが透けて見えた。私こそがみえない世界がみえる者だ。

驚くべきことに、あるいは当然、女たちは我先にと水晶のネックレスを手にし、みえない世界がみえる女1号から手渡された「契約書」に書き込みはじめた。

彼女らに「中国製の粗悪な水晶」「霊感商法」「クーリングオフ」のことを言っても聞く耳を持たないだろう。もはや、手遅れだ。行くところまで行って、つまりは、堕ちるところまで堕ち、家族を失い、信頼を失い、地獄を見てくるがいい。地獄の釜の蓋の色や亡者どもの肌の色をじかに見てくるがいい。自分で選んだ道だ。だれを恨んだところで、すべては筋ちがいというものだ。

一番年下の線の細い、悲しげな眼をした少女は不安そうな眼でちらとこちらを見た。おスピちゃんだ。

おスピちゃんの日常を想像する。

おスピちゃんは石が大好きだ。折り紙付きの意志薄弱で、意志はこどもの頃から電気グルーヴの音楽みたいに激しく脱臼しつづけているが、石が好きなおスピちゃんはきょうも日がな一日、おイシちゃんたちとの仲良しごっこに余念がない。

おスピちゃんのまわりにはおスピちゃんとよく似た人々が群がってくる。彼らが交わす会話は「すごいですね」「いいですね」「素敵ですね」「かわいいですね」以外の言葉はよく聴き取れない。これに、「エネルギー」「スピリチュアル」「パワー」「宇宙」「精神」「波動」「光」「精霊」「天使」「妖精」「前世」「次元」「超越」という単語が混じる。おそらく、ほかにもなにか言っているのだろうが、どんなに耳をそばだてても聴き取ることはできない。きっと、おスピちゃんたちの世界は「すごいですね」「いいですね」「素敵ですね」「かわいいですね」「エネルギー」「スピリチュアル」「パワー」「宇宙」「精神」「波動」「光」「精霊」「天使」「妖精」「前世」「次元」「超越」でできあがっているんだろう。素晴らしいことだ。ヨハネスブルク・キッズもコッチェビ・ボーイもチェルノブイリ・ベイビーもフクシマ・チルドレンもこれで前途洋々である。未来にはなんの心配もいらないし、ひとかけらの不安もない。

おスピちゃんはこの春から「スピリチュアル・ダイバー1級」の資格をえるためにスピリチュアル・ダイビングスクールに通いはじめた。北鎌倉の建長寺前にあるスピリチュアル・ダイビングスクールはおスピちゃんとおなじような精神構造、顔つきをした人々でたいへんな賑わいをみせている。スピリチュアル・ダイビングスクールの校長であり、創設者は「ミイラとりがミイラ殺人事件」で一躍スピリチュアル世界に勇名を轟かせたライフ・スペースの残党である。馨しき嘘臭さぷんぷんの校長、シマヅ・コーイチの口ぐせは「自分を乗り越えろ」だ。

スピリチュアル・ダイビングスクールの生徒は自己啓発セミナーを同時受講しているか、過去に受講経験を持つ者が大半である。素晴らしい。まことに素晴らしいかぎりである。よほど自分の中にダイビングするのが好きなんだろう。だが、一様に彼らには「自己」がない。付和雷同型である。危うい。世界にごまんといる頬笑みを湛えたしたたかなならず者にかかったらイチコロのはずだ。

授業開始を知らせるジョージ・ウィンストンの『Fragrant Fields』が構内に流れ、生徒たちが入学時に100万円で買った校章入りのラピスラズリのネックレスが揺れるジャラジャラという音が響きわたった。「頑張らなくちゃ。なにに頑張るのかはわからないけど、とにかく頑張らなくちゃ」とおスピちゃんは強く思った。

c0109850_11305297.jpg


おスピちゃんの愛読書は、「ナカミチDRAGON記念第42回しぶとい女世界選手権」の覇者、ジョーン・ドゥドーン・マクレーン著『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry(邦題:精神世界の外縁の端っこの先っぽ/急ぎ仕事と付け刃の災難)』だ。

『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』にはいかなることが書いてあるかというとさっぱりである。すっからかんである。Out of Ganchuそのものである。にもかかわらず、おスピちゃんは『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』をいつもビューティフルで潜在意識だらけでライトボディでミニマリズムかつニューエイジかつシフトなトートバッグの中に入れて持ち歩いている。そして、おスピちゃんはなにかというと『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』をドヤ顔で取り出し、読む。ときに引用する。

おスピちゃんの言うことを聴いている者たちの表情は一様にうっとり恍惚としてはいるが、実際には彼らはおスピちゃんがなにを言っているのか、なにを言いたいのかまるっきり理解できていない。当然だ。おスピちゃんの言うことには内容、中身がないからだ。内容、中身がないのに「語られていること」を理解することなどだれにもできない。たとえそれが虹のコヨーテや呪われたアルマジロやGRIP GLITZや海を殺した女やメニエール・ダンサーのガジンであってもだ。

かつてジョーン・ドゥドーン・マクレーンは『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』と題した一文を雑誌『ニューエイジャー』に寄稿したことがある。それは世界中のスピリチュアリスト、スピリチュアル系、スピ者、好き者、インド屋、あっち系、こっち系、そっち系、どっち系、どっちら系、とっ散らかし系、彼岸系、平行宇宙系、5次元世界系、女神系、お天使ちゃん系、不思議ちゃん系、パワースポット系、波動信奉系、プレアデスシリウスオリオン系、フォトンベルト系、弥勒ちゃん系、パストラル系、ヴィジョンがみえるちゃん系、瞑想系、チャネリング系、ヒーリング系、木花之佐久夜毘売系、大好きな石はクリスタル系、チャクラ系、イルミナティ系、エジプト系、オーラ系、UFO系、光と闇系、タロッター系、13の月系、マヤ暦系、結界系、ソウルメイト系、シャスタ山系、和の舞い系、聖なる性系、アセンション系、光の身体者、千年紀待望者、ウィンダムヒル・マニア、ニューエイジ・ピープルの信奉を集めるガネガネ・ウソッパチマヤカシインチキ・セドナ・ストーン・コレクター、『ニュートン』の熱心熱烈な読者、「真理獲得のためには危険を冒してでも危険な枝の先っぽまで登らなければならない」が口ぐせの者たちを魅了し、虜にした。ふざけた話である。なぜなら、『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』はディック・トレイシー・ハイド・ウォーレン・ベイティとの近親相姦について文法上の誤謬と誤記とゴカイとイソメまみれの駄文に過ぎなかったからだ。

その愚劣愚鈍さは勘ちがい気取り屋湘南バカ夫人クラスである。ジョーン・ドゥドーン・マクレーンの当てずっぽう当て推量な「預言」どおり、メルセデス・ベンツのフロント・グリル外縁が神宮外苑銀杏並木の青山通りから12本目の銀杏の樹の下に埋められているとしても、看過できない悪辣さを『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』は孕んでいる。

c0109850_11324660.jpg


メルセデス・ベンツはフロント・グリルの新型スリーポインテッド・スター・イルミネーション方式に対する不法行為を理由にジョーン・ドゥドーン・マクレーンに対して損害賠償請求の訴えを起こさなければ長年のメルセデス・ユーザーとして納得できない。この夏にはベントレーのコンチネンタルSPEED GTに乗り換えるのでどうでもいいことにできなくはないが。


そんな胡乱な状況にもかかわらず、おスピちゃんは能天気極楽とんぼ丸出しできょうも『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』に夢中、鼻高々である。『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』の書き出しはこうだ。

Life is Life.

まいりました。<(_ _)> m(-_-)m orz〜

c0109850_1133796.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-16 11:35 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(2)

記号の都市から記憶の森へ 記憶番号000・死んで四大に還ること

 
c0109850_16355137.jpg

 
死んで四大に還って集合的な存在に一旦融解するとすれば、輪廻転生を繰り返す場所もこの世のここでなければならぬという法はなかった。MSM19701125


記号の都市を出奔する。また会うこともない青い山が遠ざかり、後ろ姿が時雨れゆくのにもかまわず、蜩がうるさいほどに鳴きしきる記憶の森に分け入って半日ばかりもさまよい歩くと鏡のように凪いだ海に出る。

Mare Fecunditatis. 豊饒の海。時間の彼方に朧々と揺曳するものと空間の彼方に燦然と存在するものの翳のいくつかが、時折まばゆい光跡を曳航しながら気高く赫奕とした閃光を放つ。その光は栄光がときに苦いものであることの証明であり、命をつらぬく矢でもある。

激烈な憤怒の果てに生/死と清/濁と聖/俗と善/悪と美/醜をもろともに喰らう気分で豊饒の海の入江のひとつに足を滑りこませる。しばし、豊饒の海のぬるい水塊を身体の隅々にいきわたらせてから泳ぎはじめる。どこまで/いつまで泳ぐのかは判然としない。

豊饒の海を泳ぎきったと見切りをつけて視線を上げる。目がつぶれるほどの群青あるいは紺碧をたたえた空が広がっている。

海はと言えば、ひとしずくの墨を垂らしたような幽けき波紋が際限もなく生起消滅している。

ここは豊饒の海ではない。豊饒の海とはちがう。セイレーンがやむことなく子守唄を歌う沈黙の海か? それともちがう。

記憶もなければなにもないところに来てしまったのは確かだが、記憶もなければなにもないところに来てしまったと思う先には、四大が渾然として寂静を醸す、元いた記憶の森の入口が大きな闇口をあけていた。

あすの朝には忘却の湖へ足をのばすことになる。しばしの休息をとらなければならない。


記憶の森の蜩どもの声の雨
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-14 16:36 | 記号の都市から記憶の森へ | Trackback | Comments(0)

ハートライト/遠い国から来たポー

 
c0109850_449874.jpg

 
心の中にあるハートライトをともそう。こどもの頃にみた夢の途中で。
もう少し眠らせて。自転車でお月様を横切っているところなんだから。
N-D-E.T.-E


ちいさなともだちができた。
手のひらに乗るほどちいさい。

ちいさなともだちはすぐに傷つく。
だから僕がちいさなともだちを守る。
たとえ、世界中が敵になってもだ。

ちいさなともだちの名はポー。
遠い妖精の国からやってきた。


Heartlight - Neil Diamond (*Inspired by the "E.T.")


"Heartlight" Written & Lyrics by Neil Diamond/Carole Bayer Sager/Burt Bacharach

Come back again
I want you to stay next time
'Cause sometimes the world ain't kind
When people get lost like you and me

I just made a friend
A friend is someone you need
But now that he had to go away
I still feel the words that he might say

Turn on your heartlight
Let it shine wherever you go
Let it make a happy glow
For all the world to see
Turn on your heartlight
In the middle of a young boy's dream
Don't wake me up too soon
Gonna take a ride across the moon
You and me

He's lookin' for home
'Cause everyone needs a place
And home's the most excellent place of all
And I'll be right here if you should call me

Turn on your heartlight
Let it shine wherever you go
Let it make a happy glow
For all the world to see
Turn on your heartlight
In the middle of a young boy's dream
Don't wake me up too soon
Gonna take a ride across the moon
You and me

And home's the most excellent place of all
And I'll be right here if you should call me
Turn on your heartlight
Let it shine wherever you go
Let it make a happy glow
For all the world to see
Turn on your heartlight
In the middle of a young boy's dream
Don't wake me up too soon
Gonna take a ride across the moon
You and me
Turn on your heartlight now
Turn on your heartlight now

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-11 04:49 | 遠い国から来たポー | Trackback | Comments(0)

ターミーが夜空を見上げて星に願いを託すとき

 
c0109850_1925951.jpg

 
ターミーが夜空を見上げて星に願いを託すとき、世界中のティーンエイジャーが彼女に恋をした。正確には、頭の先から爪先まで性欲と精液をはち切れんばかりに漲らせた野郎どもが彼女に夢中だった。それは彼女が歯列矯正中でも変わらなかった。かつて/世界のどこかしらでそのような時代があったということだ。このことについては何者もとやかくのことを言うべきではない。

ただし、彼女の向かうところ敵なしの時代は長くはつづかなかった。当然だ。それでいい。失われるものの中でだけ夢は夢みられるものと相場は決まっている。夢みる者が独身男だろうと凄腕の外科医だろうと取り澄ました本フェチだろうと気取ったライフスタイル自慢だろうとおなじである。

そんな「彼女」たちのうちの一人、サンドラ・ディーは数年の絶頂期ののち、絶頂期から10年も経たぬうちにきれいさっぱり忘れ去られ、アルコールとセックスに溺れ、不遇と困窮のうちに世を去った。しかし、だれもサンドラ・ディーを嗤うことはできない。帰らぬ青春を惜しむよすがとして、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しくかなしくあてどなく儚げに輝いていた世界/時代/季節の墓標として追悼しつづけるべきだ。そのほうが訳知ったような能書き/御託を並べたてるポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウより数段上等である。


Tammy/Written & Lyrics by Jay Livingston/Ray Evans
Debbie Reynolds [1957]
Sandra Dee [1963]
Brenda Lee [1964]

I hear the cottonwoods whisperin' above,
"Tammy ... Tammy ... Tammy's in love"
The ole hooty-owl hooty-hoos to the dove,
"Tammy ... Tammy ... Tammy's in love".

Does my lover feel what I feel, when he comes near?
My heart beats so joyfully, You'd think that he could hear.

Wish I knew if he knew what I'm dreamin' of
Tammy ... Tammy ... Tammy's in love.

Whippoorwill, whippoorwill, you and I know
Tammy ... Tammy ... can't let him go
The breeze from the bayou keeps murmuring low:
"Tammy ... Tammy ... you love him so".

When the night is warm, Soft and warm,
I long for his charms I'd sing like a violin If I were in his arms.

Wish I knew if he knew what I'm dreaming of
Tammy ... Tammy ... Tammy's in love.

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-10 19:04 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

オルタナティブ・ヒューミント#1 暗号名: 法王庁の抜け穴

 
c0109850_5401052.jpg


ポール・ギヨームの『シンフォニー・パストラーレ』の最終楽章が流れる中、メールの着信を報せるアラームがけたたましく鳴った。ヘッダーを見ると馴染みのないアドレスが目に飛び込んできた。

tarcisio_bertone@vatican.va

ヴァチカンの国務長官からだった。なぜ? なぜヴァチカンの国務長官が私のメールアドレスを知っているんだ?

メールのサブジェクトにはNome di Codice: I Sotterranei del Vaticanoとある。暗号名: 法王庁の抜け穴? なにかの冗談か? 本文にさっと目を通す。

なるほど。そういうことか。これは少しばかり厄介なことになりそうだ。私は弟子長の松平を呼び、事の次第を手短に説明し(ただし、のちに松平にいささかの累も及ばないよう核心部分にはいっさい触れずに細心の注意を払いながら)、しばらく留守にすることを告げた。松平はすぐに事態の深刻さを理解した。さすが私が見込んだ男だ。頭脳明晰なだけでなく、腹も度胸もすわっている。

「あとは頼んだ」と私は最後に言い、松平に手を差し出した。松平は私から片時も目を離さず、まばたきすらしない。そして、とても強い力で私の手を握った。松平の目が赤く充血している。

「泣くところじゃねえぞ、マツ」
「わかっております」
「だが、今生の別れだと覚悟は決めておけ。いいな?」
「わかっております」

松平の背中を見送る。ドアが閉まると外から松平が号泣する声が聞こえた。この期に及んで私はまたもや泣かせ屋一代というわけか。

メーラーの受信フォルダにある「機密」「極秘」「マル秘」のフラグがついたメールを Mac Mini の中にある重要案件ファイルとともにすべて iCloud にコピーし、iCloud のセキュリティ・コードを5重に設定しなおした。そして、Mac mini のHD上にあるすべてのデータを合衆国国防総省規則5220-22M準拠の最高度のセキュリティ・レベルで消去した。7度の上書きによって Mac mini は赤児同然のうぶな状態に戻った。

11月1日、諸聖人の日(Sollemnitas Omnium Sanctorum)に法王庁宛に最終解答を提示するようにそのメールは指示していた。いや、指示というよりも半ば強制強要していた。

私は手早く身支度を整え、弟子どもに留守中の注意を与えてからメールの指示通りに「南西に向いた窓の下から13番目の羽目板の右側」を13回叩いた。錆ついたプレス機が発するような音がして「法王庁の抜け穴」が姿を現した。

「法王庁の抜け穴」は縁に手のこんだ彫刻が施され、奈落に向かって螺旋を描きながら急激に落ち込んでいる。私は螺旋の穴を覗きこんだ。奈落の底から赤と代赭色と青の光が規則的に点滅している。私にはその光の点滅の意味がすぐにわかった。

「イマスグダイヴセヨ。イマスグダイヴセヨ。イマスグダイヴセヨ。イマスグダイヴセヨ・・・」

私は「さらば!」と弟子どもに声をかけ、ポルコロッソを抱き、ゼロ・ハリバートンを脇に抱えて「法王庁の抜け穴」の中心にダイヴィングした。『シンフォニー・パストラーレ』の最終楽章のトランペットが高らかに鳴り響いた。

c0109850_5422018.jpg

奈落へと落下していく速度は意外なほど緩慢だった。私のふところに抱えられたポルコロッソははじめのうちこそ震えながら鼻を鳴らして怖がっていたがすぐに落ちつきを取り戻した。

エヴァンゲリオン・マチュウのチャプター15-14「盲人が盲人の道案内をすれば二人とも穴に落ちる」という魚のしるしを持つ者の言葉がふと脳裏をかすめる。しかし、今回ばかりは見えなかったからという理由でお咎めなしということにならないのは明らかだった。

私がいま対峙しているのは生易しい相手ではない。血も涙も容赦も手加減もない「裏法王庁」、すなわちイルミナティだ。へたをすれば自分ばかりか私に関わりのあるすべての者の命と人生と財産を賭け金として要求される。しかも、その勝負はとんでもないイカサマがあちこちに仕掛けられている。プレイヤー側の勝率は高く見積もっても100対1。勝つ確率は1/100だ。50年以上生きてきてこれほど分の悪い勝負は初めてだった。

私は8回つづけて舌打ちした。舌打ちを終えると愉快なことを思いついた。それは私の初めての弟子、スミジル・スミッティ・スミスと「パスタを茹でつづける者はなにを考えるべきか」に端を発した人類の前に立ちはだかる諸問題(絶望のパスタ=スパゲッティ・アーリオ・オリオ・ペペロンチーノに刻んだベーコンを入れるべきか。ベーコンはイベリコ豚のものでなくてもいいのか。隠し味にペスト・ディ・アッチューゲを使うのは是か否か。われわれが囲むファイストス円盤を模したテーブルはなにゆえにウォールナットでもヒッコリーでもホワイト・オークでもなくホンジュラス・マホガニーを素材としているのか。われわれはいったいいつ『哲学的お尋ね者問題』の張本人、ソバージュ・ネコメガエルのエクリチュール・ロゴスとの決着をつけつることができるのか。われわれ人類はいったいどこに向かっているのか)について2週間にわたってスパゲティ・バジリコとペペロンチーノを交互に食べながら侃々諤々の議論をしたときに私の口から思いがけずこぼれた「名言」だった。すなわち、「いかなるサイコロの目も裏目を足せばすべてラッキー7である」というものだ。

感激したスミジル・スミッティ・スミスはその場で暇乞いを宣言し、私に有無をいわせる暇もあらばこそ、演説商人として世界中を旅しはじめた。いまではフォーブスの表紙を飾るほどの成功を収め、私に毎春、領収書不要にして「足のつかない重宝なゼニ」にするために何重もの仕掛けが施された1億ユーロほどの「上納金」を納めるために会いにやってくる。

私はスミジル・スミッティ・スミスに会うたび、「小銭をためて背中が錆びたり煤けたりしたらただじゃおかねえぞ。いいな? 血管はいつも、つねに浮かび上がらせておけ。いいな? ”いい日計画”は毎日でも立てるんだぜ」と言ってやる。

私が言うとスミジル・スミッティ・スミスはこれ以上ないくらいの気持ちのいい笑顔をみせ、私におでこを差しだす。私は渾身の力と慈愛と感謝と感動をこめて差しだされたスミジル・スミッティ・スミスのおでこにデコピン42連発をくれてやる。

1発ごとにスミジル・スミッティ・スミスは歓喜のうめき声をあげる。42発目は特に力をこめて一撃する。スミジル・スミッティ・スミスの額は真っ赤に腫れあがり、血がにじむ。額のど真ん中に不釣り合いな瘤がある人物を見かけたらそれは私の弟子だと思っていい。さもなくば敬虔なイスラーム教徒だ。

またある人物のことが思い出された。冬眠を忘れた熊だ。冬眠を忘れた熊は正体不明の人物だった。冬眠を忘れた熊の本当の名前を知る者はいない。この私ですらも知らない。八方に手をつくしたものの結局わからずじまいだった。冬眠を忘れた熊とはある土地取引をめぐる騒動を収める交渉の過程で知り合った。

冬眠を忘れた熊とは互いに「双方代理」をやって法外の報酬を得た。交渉の最中の「ディーラーとプレイヤーを同時にやれば勝利は100%だ」という私のひと言を冬眠を忘れた熊は聞き逃さなかった。その夜に冬眠を忘れた熊が訪ねてきた。冬眠を忘れた熊は開口一番に言った。

「組もう。俺がディーラーでプレイヤー。あんたもディーラーでプレイヤー。ほかのやつらは全員プレイヤーだ。賭け金はすべていただく」

身震いが起こる。

「ディーラーとプレイヤーを同時にやれば勝利は100%だ。賭け金はすべていただく」

そう口にしたとたんに燃えたぎるがごとき闘志が身の内から沸き上がってきた。私は緩慢な落下に身を任せつつ、ボンクラ自民党が大敗北を喫し、スカタン民主党が政権奪取した2009年夏から遡ること数ヶ月前の春の初めのある出来事を思い浮かべた。

c0109850_4254745.jpg

オルタナティブ・ヒューミント
名刺には「内閣情報調査室 調査官三谷秀喜」とだけあった。

「内調さんがなんの御用で?」

私は三谷から片時も眼を離さずに言った。

「樽さんに是非ともお力添えいただきたいことがありまして」

三谷は左手の親指を右手の親指の腹で擦りながら言った。三谷は一見すると身なりに隙がなかった。スーツの仕立ては良かったし、シャツとネクタイのコーディネートもクールでスマートだった。眼鏡はサヴィル・ロウの SR Executive で気品と知性があった。時計がロレックスというのはいただけなかったがぎりぎりで許容範囲だ。しかし、靴がすべてを台無しにしていた。合成皮革のゴム底靴で戦うことはできない。たとえ相手がコソ泥であってもだ。

「ギャラは高くつきますよ」
「承知しております」
「事と次第はいっさい問いませんがね」

三谷の顔にわずかだがやっと光が射した。

「さて、お話をうかがいましょう」

私は膝の上のポルコロッソを撫でながら言った。

「端的に申し上げます。樽さんのお父上は大戦中、梅機関で諜報活動をされておられましたね?」

私は答えるかわりにポルコロッソを膝からおろし、座りなおした。三谷の眼が SR Executive の奥でかすかにほくそ笑んだのがわかった。

「お父上が残された資料の類をすべて引き渡していただきたい。すべてです。譲歩はありません」
「拒否したら?」
「拒否はできません。国家意思ですから」
「血みどろの戦いになるぞ。少なくともあんたの時計と靴では引金に指をかけることすらできない戦いだ」
「覚悟はできております」
「わかった。では、戦場で会おう」

三谷はうなずき、立ちあがった。そして、一礼すると踵を返し、出口に向かった。背中には揺るぎなき意志の力があった。「しんどい戦いになるな」と私は独りごち、傍らで不安そうに私を見上げるポルコロッソに声をかけた。

「だいじょうぶだ。心配するな。私は負け戦はやらない」

(影佐禎昭の魂は魔界都市・上海に宿る)
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-09 18:47 | オルタナティブ・ヒューミント | Trackback | Comments(0)

哀しくせつなくあてどなく儚い世界の終り

 
c0109850_3424445.jpg


スキーター・デイヴィスの『The End of the World』はナイーヴさがナイーヴなまま保たれていた季節、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しく哀しくせつなくあてどなく儚げに輝いていた世界とつながっている。 E-M-M


インターネット・ラジオで戯れにDJの真似事をしていた頃。番組の最後には必ずスキーター・デイヴィスの『The End of the World』をかけた。リスナーどもは若造小僧っ子小娘ばかりだったからスキーター・デイヴィスを知る者はいなかった。生まれて初めて『The End of the World』を聴く者がほとんどだった。

普段はBBSやSkypeで憎まれ口を叩いている若造小僧っ子小娘が、『The End of the World』をかけると急におとなしくなり、神妙になり、中には泣き出す者までいた。「なんだなんだなんなんだ! 涙が止まらねえ! わけわかんね!」とBBSに書き込む小僧もいた。似たような書き込みがいくつもあった。

「おまいら生ゴミに毛の生えたような輩の心、性根、魂にも届く本物の歌があるんだ。おぼえとけ! だが、今、おまえはいいことを言った」と突き放すように言ってやった。どいつもこいつも大馬鹿野郎だったが、大馬鹿野郎である分、かわいくもあり、会うこともなく互いの人生が終わるのだという冷徹な事実を思い、いとおしくもあった。常連リスナーのほとんどは『The End of the World』をiTunes StoreでDLしたらしい。ちょっとだけうれしかった。

トーク、くっちゃべりが佳境にあるときでも気分次第で突如番組を終了したし、『The End of the World』を一人で聴きたくなれば、やはり番組を終わらせた。リスナーどもも心えたもので、『The End of the World』が番組の終了を意味し、そのことに異議を唱える者はいなかった。スキーター・デイヴィスの死を知ったのはそんな「RADIO DAYS」の真っただ中だった。

スキーター・デイヴィスの死を知ったのは、彼女が死んでから4年も経ってからだった。スキーター・デイヴィスの近況を知ろうと思ってググってみたら、彼女は2004年の秋に死んでいた。その死を知らぬまま流れた4年の歳月。『The End of the World』を1日に少なくとも1回は聴いていたというのに ── 。

臨終の地はテネシー州ナッシュビル。72歳。乳癌。インターネットがもたらした死の知らせ。インターネットがなければ訪れなかった死の知らせ。

茫然とした。右の耳たぶが熱くなり、心臓がどきどきし、立ち上がれず、しばらくはキーボードに触れることすらできなかった。

吾輩にとってスキーター・デイヴィスはつねに『The End of the World』を歌う若く美しいスキーティであり、哀しくせつなくあてどなく儚い世界を象徴していた。

彼女の歌も歌声も吾輩にとってはある種の「世界観」の礎だった。そんな彼女が吾輩のあずかり知らぬ事情を抱えこみ、3度も離婚し、吾輩が足を踏み入れたことのない場所で、吾輩が気づかぬうちに死んでいたという事実に激しく動揺し、混乱した。大切ななにものかが失われたみたいだった。深い闇が際限もなく広がる宇宙のただ中に自分ひとりだけが取り残されたような気がした。

敗戦処理を言い渡されたピッチャーが無意味なビーンボールを投げつづけるような気分で42回つづけて『The End of the World』を聴いた。聴き終えてiTunesを終了し、コンピュータをシャットダウンしてから少しだけ泣いた。いや、「少しだけ」というのはフェアじゃないな。42回分の『The End of the World』にふさわしい量の涙を流した。

スキーター・デイヴィスが死んでから今日までおれはいったいなにをしていたんだろう? スキーティだけではない。三島由紀夫が自裁してから、ジョン・レノンがIMAGINE HEAVENしてから、小林秀雄がみまかってから、マイルス・ディヴィスがBye Bye Blackbirdしてから、アイルトン・セナが春のイモラ・サーキットでタンブレロ・コーナーの壁に激突して流星になってから、数えきれないほどの朝と夕焼けはなぜなにごともなかったようにおれに訪れたんだ? なぜ心臓は動いているんだ? なぜ太陽は昇った? なぜ星は輝きつづけた? なぜ波は打ち寄せる? なぜ鳥たちはさえずる? なぜ涙は涸れないんだ? なぜきょうはきのうのつづきなんだ? わからない。吾輩にはわからない。わかりたくもない。

スキーター・デイヴィスの歌はナイーヴさがナイーヴなまま保たれていた季節、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しく哀しくせつなくあてどなく儚げに輝いていた世界つながっている。なんの前触れもなく、その「季節」と「世界」は失われてしまった。そのようにして世界は終り、何度でも終り、いつか本当の終りを迎えるんだろう。いまはただ静かにスキーティの死と世界の終りを思おう。すぐそこまで来ている「世界の終り」の足音に静かに耳をかたむけながら。


Skeeter Davis - The End of the World (1962)

Released: 1962
Recorded: 1962
Genre: Country/Pops
Length: 2:33
Label: RCA
Writer: Arthur Kent, Sylvia Dee
Producer: Chet Atkins

The End of the World - Skeeter Davis


The End of the World/世界の終り
Why does the sun go on shining
And why does the sea rush to shore
Don't they know it's the end of the world
Cause you don't love me anymore

なぜ太陽は輝いてるの?
なぜ波は打ち寄せてるの?
あなたがわたしの元を去ったときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

Why do the birds go on singing
Oh why do the stars glow above
Don't they know it's the end of the world
It ended when I lost your love

なぜ鳥は歌ってるの?
なぜ星は瞬いてるの?
あなたの愛を失ったときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

I wake up in the morning and I wonder
Why everything's the same as it was
I can't understand, no I can't understand
How life goes on the way it does

朝が来て目覚めると不思議よ
いつもどおりのさわやかな朝が訪れているのが
わからない わたしにはわからない
どんなふうに人生がつづいていくのか

Why does my heart go on beating?
Why do these eyes of mine cry?
Don't they know it's the end of the world?
It ended when you said goodbye

なぜわたしの胸はまだときめいてるの?
なぜわたしの心の眼は泣いているの?
あなたが別れを告げたときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

 

[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-07 15:13 | Orilla del Mundo | Trackback | Comments(4)

世界の果ての岬で考えるいくつかのこと

 
c0109850_17512840.jpg

 
アルバトロス王の孤独、あるいは世界の果ての岬で考えること


どこにも行きたくない者にとってはどこであろうと世界の果てだ。E-M-M
1秒たりとも生きていたくない者にとってはどこであろうと地獄だ。E-M-M
なぜ鳥は歌ってるの? なぜ星は瞬いてるの? 世界の終りが来ていたのだとも知らずに。S-D


朝からずっとチャーリー・ヘイデン & ゴンサロ・ルバルカバの『En la orilla del Mundo(At the Edge of the World/世界の果てで)』を聴いている。エンドレスで。世界の果てをエンドレスで。世界の果てを終わりなく。遠い日の夏のツール・ド・ケープ・ホーンの日々を思いながら。

遠い日の夏のツール・ド・ケープ・ホーンの日々がおぼろげによみがえる。

ツール・ド・ケープ・ホーンの参加者は3人だった。ホーン岬をめぐる旅が終わり、われわれは言葉もなかった。言葉など必要なかったと言ったほうが事態をより正確にあらわしている。

われわれは世界の果ての岬にたたずみ、ただ水平線と空の空隙と海の群青をみていた。激しい雪が降ってくれることを願ったが、われわれの願いは聞き届けられなかった。それでいい。願いがあるうちはまだ生きつづけられる。

世界の果ての岬は静寂が支配的だが、勿論、風の音もする。波の砕ける音もする。風の音はわれわれの心をかき乱し、波の砕ける音はわれわれの魂を木っ端微塵にした。

風の歌も潮騒も聴きたくはなかったが、旋律もリズムもない風の音は疲れ果てたわれわれの心をいくぶんか慰めないこともなかった。手加減も容赦もない波の砕ける音はわれわれの魂を木っ端微塵にしたあとにわれわれの中にある塵埃を洗った。そして、考えた。

世界は朝めしや昼めしや晩めしを記述することでは解明されないし、「記憶」は常に/いつも歪で跛行的で曖昧だし、故障した日本語を撒き散らすポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが文章教室の講師とはお笑いぐさのうえに腹立たしいし、ワンセグなど知ったこっちゃないし、コストコでひと山いくらで売っているコストのかからない「感謝の言葉」には反吐が出るし、趣味と実益が両立してえられるものなどただ貧乏臭いだけだし、MJはすでにオワコン/スリルなしだし、謎は謎のままにしておけばいいし、古本/古書にしがみつく亡者どもの舌を閻魔大王はどんなふうに料理するのか気がかりだし、お高くとまった雨傘やいけ好かないレインブーツをひけらかす暇があったら異形ベイビーと災害/災厄のさなかにある人々に思いをいたしたほうがよほどスマートだし、小雨降る窓に向かって蕎麦味噌をつつきながら熱燗の盃を傾けても世界はちっとも良くならないし、何百万回「標高1260メートルの朝」を迎えても本当の答えはみつからない。

しかし、世界はそのようなガラクタどもの集合体である。ガラクタはガラクタのままでいい。大いに好きにするがいい。サリンジャー・ウォールの壁厚を厚くし、壁高を高くすればいいだけの話だ。なるほど。そういうことだったか。


世界の果てだと思っていた場所は実は自分の心の闇と翳だった。世界の果ての岬と心の闇と翳の間隙を縫うようにアルバトロスの王は飛翔しつづける。

c0109850_18564812.jpg
c0109850_1630352.jpg

En la Orilla del Mundo (At the Edge of the World/世界の果てで)/Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-06 16:28 | Orilla del Mundo | Trackback | Comments(0)

GRIP GLITZ#9 周到な準備が勝利を招く1

 
c0109850_19365714.jpg

 
男は殺しの前に"Amat Victoria Curam"とつぶやく。

c0109850_19373573.jpg

1957年型のフェラーリ 250 GT LWB Berlinetta Tour De Franceが静かに停まった。美しい曲面を描くドアが開き、無駄も一分の隙もない動きで左脚が出てくる。

男が履いている靴はガジアーノ&ガーリングの黒のミッチェルTG73だ。いや、黒ではない。わずかにブルーが混じっている。ミッドナイト・ブルー。6月の梅雨の合間の青空が映り込むくらいによく磨き上げられている。足はギリシャ先広タイプ。サイズ290/ワイズEほど。フレンチ・サイズなら44といったところだ。

「1mmも動くな。動いた途端に頭が吹っ飛ぶからな」

全身が音を立てて固まる。

「いい子だ。Amat Victoria Curam. 周到な準備が勝利を招く」

周到な準備が勝利を招く。男の言うとおりだ。

「おまえのスーツの着こなしはまるでなってない。それが目下のところの一番の懸案事項だ」

言い終えると同時に男は素早い動きで車から降りた。残酷な夏の始まりを告げる男、GRIP GLITZの登場だった。

c0109850_1938888.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-05 19:38 | GRIP GLITZ | Trackback | Comments(0)

昼めしはウィンダムヒル・ハンバーガー

 
c0109850_1612594.jpg


「イマ、ココハ、戦場ダ。」と意志の中心にメタルを持つ男は言った。


かつて、「ハンバーガー・ヒル」と呼ばれる丘があった。最悪の戦争の最中、ハンバーガー・ヒルで男たちは最善をつくした。

遠い昔、まだいくぶんか若く、「死ぬには手頃な日」と「いい死に場所」を探していた時代。1年間だけ戦場カメラマンをやった。

孤立無援のフリーランス。戦地、前線に単独で乗り込みシャッターを切る。カメラは中古で手に入れた Nikon F4E と Leica M3。Leica M3は沢田教一の影響だった。

ギャランティなどどうでもよかった。カネがなくなれば帰還する。運がなければ死ぬ。「死ぬには手頃な日」に「いい死に場所」がみつかれば死ぬ。それだけのことだった。主にレジオン・エトランジェールの第13外人准旅団に同行した。レジオン・エトランジェールの司令官につてがあったからだ。

c0109850_23444413.jpg

兵士と戦場と戦場を記録するカメラマンに強い関心があった。そして、「死」にも。戦地に行くことを告げたとき、出会って以来、ただの一度も私の言動に異議を唱えたことのないわが人生の同行者である虹子が血相を変えて反対した。

「あなたが死んじゃったらわたしはどうすればいいんですか!」
「 ── おまえも死ね」
「 ── わかりました」
「ありがとう」
「あのう ── 」
「うん」
「わたしもいっしょに行きたいです」
「それはだめだ。戦場は男の仕事場である」

1ヶ月後、私はトルコ航空アブダビ行きのボーイング747に乗った。およそ1年後、命運はつきず、「死ぬには手頃な日」はなく、「いい死に場所」はみつからなかった。カネだけがなくなった。気持ちいいくらいの一文無し、すってんてんのすっからかんだった。

最後はモロッコのカサブランカでモロッコ人の酒場のおやじに10000フラン借りて飛行機代にした。そのモロッコ人の酒場のおやじとはいまでもつきあいがある。

c0109850_23452252.jpg

高校を卒業するまでは横浜が生活の本拠地であり、周辺には本牧、根岸台、磯子の杉田、金沢区の富岡などに米国軍属の居住エリアがあった。「フェンスの向こう側のアメリカ」だ。

国道16号線をアメリカン・スクールの黄色いスクール・バスが走る風景はあざやかにおぼえている。アメリカン・スクールの奴らとバスの窓越しに罵りあうのは日常茶飯事だった。

住んでいた家の向かいには海兵隊の下士官の家族が住む大きなハウスがあった。同級生の中には何人もハーフがいた。「あいのこ(混血児)」という言葉はごく普通に使われていた。

のちに意味を知る「オンリー」「パンパン」などという言葉も小学校の低学年のときには耳でおぼえていた。近所の主婦どもが声をひそめて「○○さんはオンリーだから」とか「パンパンふぜいが」と話す風景はどこでも見かけた。「オンリー」とは米国軍人専門に売春をする女性のことである。「パンパン」は言うまでもないだろうが「パンスケ」だ。

横浜にかぎらず、神奈川県内には厚木基地や米軍の関連施設がいくつもあった。逗子の池子の弾薬庫にはフェンスをくぐって忍びこみ遊んだことがある。米国海軍軍港のある横須賀が近かったのでベトナム戦争で負傷した兵士をよくみかけた。手や脚を失った元兵士たちは一様に焦点の定まらない眼をしていた。

ヨーハイ(Yokohama American High-school)に通うともだちの年上の兄弟が何人もベトナムで戦死した。ベトナム戦争で戦死した兵士専門の死体洗いのアルバイトをしたこともある。戦死者の死体はすさまじい。バラバラ。木っ端微塵。どろどろ。ぐちゃぐちゃ。

バラバラ、木っ端微塵の死体の一部を寄せ集めるのはパズルを組み合わせるようなものだった。かなり精と根のいる作業だった。大江健三郎の『死者の奢り』を読んだときの感想は「甘っちょろいぜ」だ。

戦場においては死は問答無用で襲いかかってくるし、圧倒的にすべてをなぎたおし、なしくずしにする。サルトルの言うとおりだ。問答無用でなしくずし。戦場においては死とともに「差別」もまた日常だ。戦場では銃後よりもむしろ差別は先鋭化する。一番危険なエリアに送りこまれるのはまず黒人であり、カラードだ。それが現実である。

c0109850_2345568.jpg

死体洗いの話に戻る。慣れてくると(慣れ? そうだ。慣れるのだ。慣れなけりゃめしが喉を通らない)当然に手際がよくなり、処理スピードは速くなる。

1体につき2万円もらえた。1日に7〜8体やった。組み合わせがうまくいかず、白人の胴体に黒人の腕と脚、頭はアジア系のものをつけたこともあった。手の指が全部で13本などという勘定が合わない「完成品」もあった。しかし、だれも笑わない。なにごとにも関心を示さない。殺伐といえばあれくらい殺伐とした風景にはお目にかかったことがない。

ある意味では戦場よりも腹にこたえる風景だった。いや、風景ですらない。なにもない。会話がない。挨拶もない。表情もない。感情もない。あるのは細切れ、挽肉状態の無惨な死体と薬品の匂いと作業の音だけだ。天井近くの窓から射す光の束の角度が時間の経過を知らせていた。

「実存の風景」だった。これまでに「実存主義文学」と呼ばれるたぐいのものはほとんど読んだが、安部公房と大江健三郎、アルベール・カミュ、J.P. サルトルらの作品のいくつかをのぞけば腹にこたえるほどの「実存」を感じたことはなかった。あのときの「実存の風景」にくらべれば「甘っちょろい」ということだ。繰り返すが、実に奇妙で殺伐としていて腹にこたえる風景だった。

一体できあがるたびに検査官のチェックを受けるのだが、検査官の中尉は表情ひとつかえずに「O.K. No problem」と素っ気なく言ってチェック・シートに無造作にサインをした。そんなわけで、こどものころから兵士と戦場と死は身近にあった。

戦場カメラマンをした1年間にえたものなどなにもない。絶望やら人間不信やらが深まっただけだ。わりが合わない。命をかけたところで報酬はたかがしれている。いまの御時世、わりのいい仕事はほかにいくらでもあるだろう。まあ、すすめない。すすめられるような仕事ではない。

渡辺陽一? ありゃ、ただのカメラおたくだろう。やばい場所で会ったことはない。会ったことがあるのは石川文洋さん、広河隆一さん、年下では鴨志田穣と宮島茂樹くらいのものだ。

c0109850_23462847.jpg

さて、本題だ。この夏の初め。7月4日の昼前、雨上がりの街を歩いていた。これといったあてがあったわけではない。風の向くまま気の向くままにただ歩く。

日本橋浜町界隈、新大橋通り。2本裏手の路地にさしかかったとき、電柱に色褪せたポスターが張られているのを発見した。早足に近づき、内容を確認する。いたるところが傷んでいる。長い年月にわたって風雨やら陽射しやらにさらされたことがわかる。眼を凝らさなければ中身を読み取れない。ポスターに近づいたり、遠ざかったりすること数度。やっとわかった。

ハンバーガー・ヒル ── 1969年のベトナム、ラオス国境で実際に行われた戦闘を描いた映画である。兵士の死体がハンバーガーの挽肉状態で転がっている激戦地、戦闘の舞台となった小高い丘を生き残った者たちは恐怖と絶望をこめて「ハンバーガー・ヒル」と呼んだ。

四半世紀も前にみた映画の断片がよみがえる。当時は『プラトーン』を筆頭に、『フルメタル・ジャケット』『グッドモーニング・ベトナム』『友よ、風に抱かれて』『カジュアリティーズ』『7月4日に生まれて』など、ベトナム戦争を主題とした映画が多く製作されていたような印象がある。

『プラトーン』と『グッドモーニング・ベトナム』はいまでもみることがあるが、『ハンバーガー・ヒル』や『フルメタル・ジャケット』はあまりにも生々しく、身につまされるのでみることはない。誰のどこの部位ともわからぬ肉片、引き裂かれた皮膚、焼け焦げた毛髪、飛び散った内臓は現実でも映像・映画でももう御免だ。

夏の盛りの陽が射してきたころ、さしかかったオープン・カフェからはウィンダムヒルの平和静謐安穏な音楽が流れていた。ハンバーガーでもかじりながら午後の予定を立てることにした。

テーブルにつくと同時に天井からぶら下がったBOZEのスピーカーからジョージ・ウィンストンの弾く『Fragrant Fields』が聴こえはじめた。

芳しい大地? 香りたつ地上? やめてくれ。冗談じゃない。そんなものはこの世界にはない。まやかしだ。うそっぱちだ。ペテンにもほどがある。この世界は『Killing Fields』だらけだ。殺戮の大地が世界を覆っているんだ。

ジョージ・ウィンストンの耳心地のいいきれいなピアノの旋律が無性に腹立たしかった。どうかしてる。きょうのおれはどうかしてるんだと自分に言い聞かせようとしたが無駄だった。

味も素っ気もないパサパサしたバンズとただ柔らかく歯ごたえ食感のかけらもない脂っこいだけの挽肉のパティと酸っぱいだけのピクルスでできあがったハンバーガーをかじりながら、いまのところこの国に生きていれば挽肉にされる心配はたぶんないだろうなと思った。いい国、いい時代ということでもあるのか? さあね。私にはわからない。

c0109850_23465889.jpg


ある戦友への惜別の辞(2007年3月)

さらば、戦友よ。酒神とともに逝け/ここはお国を何百里離れて遠きアジアンの酔いどれ月に照らされて

またひとり、戦友が逝った。鴨志田穣。戦場写真家。酒豪。熱血漢。好漢。いい男だった。いくつか年下だったが、学ぶところの多い男だった。気合いの入った眼をしていた。私と面とむかって視線をそらさぬ数少ないやつだった。その「眼」で戦場を撃ち抜き、修羅場を駆け抜けた。鴨志田の眼と声がよみがえり、響く。

底なしの酒豪だった。酒の飲み方を知る男だった。悲しい酒も楽しい酒も苦しい酒も怒りの酒も飲める男だった。いつか、冬の夜、湯豆腐などつつきつつ、二人きりで静かな酒を飲みたいと思っていた。だが、もうそれはかなわぬ。またひとつ、夢が消えた。

『火垂るの墓』の節子の話をはじめると声は大きくなり、オクターブは上がり、唾を飛ばしまくり、そして、いくらでも涙を流した。宝石のような涙を流す男だった。昨今、どいつもこいつも流す涙はガラス玉ばかりだが、鴨志田の流す涙はダイヤモンドだった。本物だった。

「酒はまだ飲み足りないが、いまは死に場所をさがしている」

はっとしておまえを見たが、おまえはもう新しい盃になみなみと酒を注いでいた。

鴨志田よ、おれはやっぱり、おまえと酒を離縁させるべきだったのではないかと悔やむこともなくはないが、それは気の迷いにすぎないと思うことにした。これからは思うぞんぶん飲め。泣け。そして、「視えない自由」を「視えない銃」で撃ちまくれ。もはや、おまえを縛りつけるなにものも、なにごとも、ありはしない。

いつの日か開高健を乗り越えようと誓った横浜のバー「クラーク」の夜。そして、マラッカ海峡に轟々と沈みゆく巨大な太陽を眺めながら飲んだ生温く糞まずいバドワイザーの味を忘れはしないぞ、鴨志田よ。ますますいい奴は死んだ奴ばかりになっていきやがるなあ、鴨よ。

さらば、戦友よ。酒神バッカスとともに逝け。そして、ただ静かに眠れ。ただし、おれとおまえの二人分、天上極楽極上の般若湯ととびきりのトム・ヤム・クンの用意を怠るな。おれはきょうはわが人生の同行者に強がりをほざきつつ、グレープフルーツ・ムーンを眺めながら涙の酒を飲む。

わが友、鴨志田穣よ。酔いどれの月で会おう。そして、尽きることなき友情の盃を酌み交わそう。それまで、しばしのお別れだ。

Adieu! Adios! Amigo!


弾(さけ)、込め! 捧げ筒(さかずき)! 撃て(のめ)!

(背景音楽:Mal Waldron『Left Alone』/『Drunk on the Moon』ほかTom Waits)


鴨志田穣の戦友諸氏に告ぐ ── 総員武装解除せよ!
鴨志田穣は逝った。二度と帰れぬ場所へ。視えない自由を撃ちぬくために、視えない銃を担いで出征した。再度、言う。鴨志田は逝った。二度と戻らぬ。出征兵士を送るのに涙はふさわしくない。思うぞんぶん涙を流したのちは泣いてはならぬ。以後の涙は鴨志田の盃に落ち、鴨志田が飲む酒を苦くするだけである。

鴨志田穣はすでにしてじゅうぶんすぎるほどの苦い酒を飲んだ。苦い酒はもういらぬ。諸君の心の痛み、嘆きは、当然のごとく、わたくしの痛み、嘆きである。痛み、嘆きに打ち克つには、飼い馴らすか、無視するかしかない。生きつづけるというのはそういうことだ。

薄っぺらな感傷ではなく、かといって、訳知ったようなニヒリズムでもなく、われわれ鴨志田穣の戦友がせめてもの弔いとしてできることは、ただただ鴨志田穣を心のうちにとどめつづけ、生涯にわたって忘れぬことだけである。

かくして、鴨志田穣をめぐるわれわれの戦いはここにひとまずの終戦を迎える。勝利の美酒も勲章も凱旋も勝鬨すらもない。そのような「困難な戦い」をわれわれは戦ったのだ。このことは誇っていい。

諸君は誇り高き無名戦士、名もなき英雄である。諸君なくば、鴨志田穣は「視えない自由を撃ち抜くための視えない銃」の引金に指をかけることすらかなわなかったろう。

鴨志田穣とともに前線に列し、銃後を守ったのは、まぎれもなく鴨志田穣の戦友たる諸君である。諸君はよく戦った。もう戦わなくていい。「言葉の祖国」へ帰還するときだ。この戦いで諸君が流した涙はひと粒残らず、まごうことなきダイヤモンドであった。そのダイヤモンドのごとき涙は必ず鴨志田穣の盃に注がれる。そして、鴨志田穣は甘露を飲み干すように満足げに喉を鳴らすだろう。

総員武装解除せよ! 涙を拭き、涙をこらえ、それぞれの故郷へと帰還せよ! 散開!


── こちら、シエラ・インディア・ゴルフ・ノヴェンバー・インディア・フォクストロット・エコー! ノヴェンバー・アルファ・パパ・アルファ・リマ・マイク! ノヴェンバー・アルファ・パパ・アルファ・リマ・マイク! ビクター・シエラ・フォクストロット・アルファ・シエラ・タンゴ! キロ・ユニフォーム・ロメオ・オスカー・ノヴェンバー・エコー・キロ・オスカー・ノヴェンバー・オスカー・タンゴ! 援軍! 援軍! 応答せよ! ナパーム! ナパーム! こちら、シエラ・インディア・・・ ── ── ゴル・・ストロ・・・リ・・ ── ──────

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-03 16:03 | イマ、ココハ、戦場ダ。 | Trackback(1) | Comments(6)

巴里で午睡 paris de hirune ── 創元社『知の再発見』双書を読了する。

 
c0109850_9245433.jpg

 
創元社から出ている『知の再発見』双書シリーズのうち、1巻から102巻までを読了。1日5册を目処に『知の再発見』双書を読みはじめたのは3週間ほど前だった。

吾輩は『知の再発見』双書シリーズ102冊をブックオフでまとめて手に入れていた。格安だった。全部で1万円でおつりがきた。続刊について創元社に問い合わせたところ、ぞくっとするほど音声と言葉づかいのよろしいK女史が懇切丁寧、誠実ここに極まれりという対応。現在、創元社の『知の再発見』双書は156巻まで刊行されているとのことであった。

やりとりの最中、思いがけず例の「マドレーヌ現象」が生起し、K女史は吾輩が発する幻惑衒学の煙りに巻かれて窒息寸前の様相を呈しはじめたために撤収した。いずれ、折りをみて口説きのための遠征をすることを固く決意する。

創元社の『知の再発見』双書シリーズはガリマール書店から『ガリマール発見叢書』として発刊されたもので、発刊時から評判を呼び、話題ともなり、ロング・セラーに名を連ねた。それを創元社が翻訳出版権を買い取るかたちで1990年から発刊したものである。

ガリマールといえばドイツのレクラムと双璧をなすフランスの名出版社だ。創業者であるガストン・ガリマールが「文学」「思想/哲学」に果たした貢献は計り知れないものがある。設立時にはアンドレ・ジッドらが編集同人に名を連ねている。ガリマールなかりせばジグムント・フロイト、アンドレ・ブルトン、アーネスト・ヘミングウェイ、サン=テグジュペリをはじめとする「知の巨人」たちが世に知られることはなかったか、あるいは知られるのはもっと遅れていたにちがいあるまい。

J.P. サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アルベール・カミュ、モーリス・ブランショ、エルンスト・ユンガー、ジョルジュ・バタイユ、ジャン・ジュネ、フランソワーズ・サガン、マルグリット・デュラスらはまちがってもガリマールには足を向けて寝られなかったはずだ。

c0109850_9254566.jpg

装幀/ブック・デザインは戸田ツトムと岡孝治。戸田ツトムは杉浦康平、菊地信義、平野甲賀とともに吾輩が愛するエディトリアル・デザイナー、造本作家であって、1980年代から彼がデザイン/設計する書物はことごとく入手した。

「秀英社明朝」という名書体の復権は戸田ツトムがいてこそであると吾輩は考えている。実際、吾輩が敬愛し、同志とも考える松岡正剛が工作舎を立ち上げ、伝説の名雑誌『遊』を発行して野心的独創的画期的な書物を世に送り出すにあたって松岡の片腕ともいいうる仕事をしていたのが戸田ツトムであった。

いまはすっかり落ちついて、ロマンスグレーの「すてきなおじさま」ぶりを発している戸田ツトムではあるが、1980年代から1990年代半ばくらいまでの戸田ツトムといえば、その仕事の質と量において松岡正剛とともに「時代知」の最先端をまさに血煙をあげながら突っ走っていた。

我々の知の地平は松岡正剛と戸田ツトムによって拓かれたと言っても過言ではない。戸田ツトム畢生の書であり、難解とされる『断層図鑑』は吾輩の「東京探検」「東京発掘」「東京の午睡」のためのガイドブックであり、用心棒であり、教科書であり、顕微鏡であり、望遠鏡であり、高射砲であり、防空網であった。

c0109850_9263760.jpg

創元社が『知の再発見』双書シリーズにおいて、装幀者/ブック・デザイナーに戸田ツトムを起用したことにまず喝采を送りたいと思う。

「”知”としてのエディトリアル」「『編集』という名の知」は吾輩の長年のテーマであり、そのために必須なのが優れたエディトリアル・デザイナーである。そして、その優れたエディトリアル・デザイナーの筆頭が戸田ツトムであり、杉浦康平であり、菊地信義であり、平野甲賀だ。

いかに中身がよかろうとポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな装幀/造本/エディトリアル・デザインでは気持ちが腐る。眼も腐る。逆に中身は多少ポンコツでも装幀/造本/エディトリアル・デザインが優れていると中身までがその強度に引っ張られるかたちで良くなってしまう。

松岡正剛の数少ない誤謬のうちのひとつが「装幀/造本/エディトリアル・デザイン」に寄りかかりすぎた仕事のいくつかであって、松岡正剛はそれこそ千年に一人出るかどうかという空前絶後、極め付きの超絶編集者、大知識人、大智慧者、知の大強者だが、いささかの誤謬が「玉にキズ」などということでは済まされないことの自覚と表明を短い余命のうちにやり遂げてもらいたいものだ。そうでなければ松岡正剛の『野辺送りのうた』に「校了」の判は押せない。

c0109850_9271285.jpg

さて、『知の再発見』双書であるが、テーマも内容も翻訳も編集もたいへんによろしい。読み物としても面白い。書棚に並べればすこぶる壮観である。数多くの図版類は戸田ツトムのエディトリアル・デザインによって生命を吹き込まれ、生き生きとしている。

単なる挿絵・参考図版も戸田ツトムの手にかかればデザインの一部として読み手を強く惹きつける。おかげで吾輩は1日に5册読了という目標をなんらの苦もなく達成できた。吾輩はめったなことでは書物についての「おすすめ」をしないが、創元社の『知の再発見』双書シリーズについては強くすすめる。

戸田ツトムと同世代もしくはそれより上の世代である子も孫もいるようないい齢を重ねた者たちがわけのわからぬ「依存」だか「ハマること」だかについて科学的思想的論理実証的な比較衡量検討のひとかけらもなく、ましてやみずからが「親和欲求」と「認知欲求」の呪縛に取り憑かれていることさえ気づかず知らず、知ろうともせず、貧乏長屋の井戸端会議よろしく、鶴と亀が滑った転んだ、茶碗が欠けた、これはホントあれはウソなどなどと四の五の朝から晩までやったところで、どうせ出てくるのは本心とは裏腹のおべんちゃらときれいごととおためごかしばかりの愚にもつかぬ御託が関の山である。

そんなヒマがあるなら『知の再発見』双書のような良書の1ページでもめくったほうがよほど価値がある。光陰は矢の如く流れ去り、お迎えはあっという間にやってくることの自覚がない者にはなにを言っても無駄ではあるが。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-06-02 09:28 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

I, The Jelly/俺がクラゲだ! ── アトミック・ジェルフィッシュの使徒として#3

 
c0109850_7462378.jpg

 
スロケのイラの言うとおり、なににつけ重要なのはサイズとサイエンスとサイコロジーだ。しかし、たいていの奴は自分のサイズをまったく把握していない。1ℓのボトルに1tの水は入りきらないし、100万tのタンカーに1ℓの原油を入れても利益は出ない。話は簡単だ。

自分のサイズを知るためにこそサイエンスとサイコロジーはある。外部を知り、グリップするためにサイエンスはあり、内面を知り、グリップするためにサイコロジーはある。

サイフェルトは『電信電波の波に乗り』の中で次のように看破した。

もっともおそろしいのは秘密警察でもスターリンでもない。なにも知らず、知ろうともしない大衆=愚者である。

知ること。そして、グリップすること。甘っちょろいロマンチシズムや盲目的情動的な情念で手に入れられるものはたかが知れている。ティーフェンプスュヒョロギーは甘ちゃんには100万年早い。

そのことを知ってか知らずか、才能のかけら/切れっぱしさえ持ち合わせていないようなポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが肩で風を切っている。したり顔をさらしてやがる。だから、ヘタを打つ。失敗する。やけどする。おまけにサイエンスとサイコロジーに関する知見はゼロときたもんだ。

そればかりか、自分のポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウぶりをまるで切り札、武器ででもあるかのようにさらけだす輩までいる始末だ。「天然」だの「純朴」だの「シンプル」だのと言い換えてもお見通しだぜ。天然偽装、純朴偽装に騙されるような俺じゃねえさ。「弱さ」が武器たりえた時代はとっくの昔に終りを告げていることを知らねえのか?

c0109850_815073.jpg

おまえたちに三月ウサギを盗み去るルパン、ラパン・ルパンを捕縛することはできない。水銀好きのキチガイ帽子屋の魂を救済することはできない。チェシャ猫に戦いを挑む箱猫ことシュレディンガー・キャットを見つけだすことはできない。

イナバの物置からアブラアム=ルイ・ブレゲ『作品番号160 マリー・アントワネット』をくすねたイナバウアー・ホワイト・ラビットはジョージ・ベンソンにこんがり焼かれる運命だ。

焼かれたあとは天国か地獄か。はたまたハクナマタタ、ハートの女王の元へ直行か。移動はすべてジェファーソン・エアプレインのファースト・クラスだ。となりのトトロ席にはまちがいなく右の上腕二頭筋のあたりに「ホワイト・ラビット命」とタトゥーを入れたマトリックス・マンが座っている。

すでにして、賽は投げられた。サイモンとガーファンクルなど聴いている場合ではない。サイ・ヤング賞を獲るくらいの気位を持つときだ。内角高めの胸元ぎりぎりに豪速球を投げろ。なんならぶつけちまえ。2Q14年のビーンボールだ。もはや、スパゲティ・バジリコもナイーヴなロースハムも不全感もお呼びじゃない。時代は確実に変わったんだ。

サイハイ・ソックスもサイハイ・ブーツも脱ぎ捨てろ。サイバネティック・アートに唾を吐きかけろ。さもなければ、サイバネティックスに身を委ねるかサイバー宗教にハマるかサイバー・ヒューマンになるかサイバー・スクワッターとして生きるかだ。

サイバー・セキュリティーとサイバー・パトロールを突き破り、突き崩し、サイバー・ウォーズに勝利しろ。あるいは名うてのサイバー・テロリストとして一陣のサイバー・ナイフとなれ。サイバーパンクを子守唄がわりに。

サイバー・スペースは脳味噌のネジの緩んだ甘ちゃんが生き延びられるほど甘くはないぜ。おぼえとけ!

c0109850_7565019.jpg

吸え! 喰え! 翔べ!── フラワートップス愛好家のためのレゲエ
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-31 22:59 | I, The Jelly | Trackback | Comments(2)

I, The Jelly/俺がクラゲだ! ── アトミック・ジェルフィッシュの使徒として#2

 
c0109850_2127947.jpg

 
ずいぶんと待たせちまったようだな。紀伊国屋は散々だったぜ。店に入った途端に万引きGメンのばばあにピッタリとマークされてよ。1mmうしろにずっとくっついてやがんのよ。そんな塩梅じゃあどうにもこうにもだ。菜っ葉1枚くすねられやしねえ。

だが、俺はクラゲだ。正真正銘、混じりっけなしのクラゲ様だ! 俺が正真正銘、混じりっけなしのクラゲ様であることは人間革命好きの長井秀和なみにまちがいないが、ときどき心得ちがいをしでかしてクジラになっちまうことがある。

そう。俺は紀伊国屋の万引きGメンのばばあにひっつかれつづけたせいでクジラになっちまったという寸法さ。正確にはクジラクラゲにな。

クジラと言ったって、そんじょそこらに打ち上げられているおマヌケなマッコウクジラやシロナガスクジラやクラミジアクジラやハナモゲラクジラやウゴウゴルーガクジラどもとはわけがちがうぜ。バルテュスとバルビュスのちがいもわからないトウヘンボククジラとはな。地獄とメタモルフォーゼと二等辺三角形が紙一重だってこともわからない能天気唐変木とはな。

俺はクジラはクジラでも、持続する志を内に秘めて厳粛な綱渡りをする死滅する鯨だ。クジラクラゲと言やあ、レッドリストどころの騒ぎじゃないぜ。死滅し、亜空間に固定される鯨さ。

c0109850_21292798.jpg

人間どもは1日に10億人が移動するが、クジラは1日に3万3000頭が3万3000km先のティエラ・デル・フエゴ、火の鯨の土地を目指している。ホエールズ・ホーン岬をな。

サイレント地震が1週間つづこうがおなじだ。サイクリック・コードが発狂しようが変わらない。そして、俺たちはサインコサインタンジェリン・ドリームをみる。みつづけるのさ。

そう言えば、ここんところ、空飛ぶサイコパス、スロケのイラの野郎を見かけねえな。賽の河原にでも釣りに行きやがったか。それともサイキック・サイケデリック・サイクリングの旅にでも出やがったか。

いつもイライラしているスロケのイラ。
いつも苛立たしげにツノを振り立てているスロケのイラ。
「愚妻には困ったものです」が口ぐせのスロケのイラ。
「最後の晩餐は貧者の食卓で」も口ぐせのスロケのイラ。
「最高の晩餐は良妻のスープで」も口ぐせのスロケのイラ。
「重要なのはサイズとサイエンスとサイコロジーだ」と言い張っていたスロケのイラ。

最後にスロケのイラに会ったのは3週間前、歳末大売り出しで街は大騒ぎだった。犀週間が終わったばかりだった。「アウト・オブ・エデン・ウォークのゴールで会おう」と言い残して、空飛ぶサイコパス、スロケのイラは飛ぶように走り去った。

c0109850_21274177.jpg

その日の午後、俺はサイプレス・ヒルの『Hits from the Bong』が大音量でかかるスロケのイラの部屋でグスターヴォ・サインスのうさぎ小説を読んでいた。

ゴキゲンな午後だった。ゆるやかな正弦曲線を描いて沈黙の異形ベイビーがかっ飛んでくるまでは。

予測しない事態に、俺は思わずサイン・バーを握りしめた。沈黙の異形ベイビーの飛翔角度は正確に上向きに8度だった。エチオピアの砂漠にかすかに残る人類最古の痕跡、サイン、Signifié/Signifiantが頭をよぎった。


Hits From The Bong - Cypress Hill
Hits from the bong
Hits from the bong
Hits from the bong
Hits from the bong

Pick it
Pack it
Fire it up, come along
And take a hit from the bong
Put the blunt down
Just for a second
Don't get me wrong
It's not a new method
Inhale
Exhale
Just got an ounce in the mail
I like a blunt or a big fat cone
But my double-barrel bong
Is gettin' me stoned
I'm skill it
There's water inside don't spill it
It smells like shit on the carpet
Still it
Goes down smooth when I get a clean hit
Of the skunky, phunky, smelly green shit
Sing my song
Puff all night long
As I take hits from the bong
Hits from the bong y'all

Hits from the bong
Can I get a hit?
Hits from the bong
Gonna get high

Hits from the bong
Can I get a hit?
Hits from the bong
Can I get a hit?

Let's smoke that bowl
Hit the bong
And then take that finger off of that hole
Plug it
Unplug it
Don't strain
I love you Mary Jane
She never complains
When I hit Mary
With that flame
I light up the cherry
She's so good to me
When I pack a fresh bowl I clean the screen
Don't get me stirred up
The smoke, through the bubbling water
Is makin' it pure so I got ta
Take my hit and hold it
Just like Chong
I get the bowl and I reload it
Get my four-footer and bring it on
As I take hits from the bong

Hits from the bong
Gonna Get High
Hits from the bong
Gonna Get High

Hits from the bong
Gonna Get High
Hits from the bong
Gonna Get High

Hits from the bong
Gonna Get High
Hits from the bong
Gonna Get High

Hits from the bong
Straighten your dick out
Gonna Get Hiiiiggghh

c0109850_917867.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-30 21:30 | I, The Jelly | Trackback | Comments(0)

I, The Jelly/俺がクラゲだ! ── アトミック・ジェルフィッシュの使徒として#1

 
c0109850_62741.jpg


俺がクラゲだ。俺が正真正銘、混じりっけなしのクラゲ様だ! 人は俺をジュレ・ジェラートのジェリーと呼ぶ。正式な名前はちょいと長いぜ。ジェリー・ジュレ・ジェラート・ゲラーレ・ジェル・ゲル・ゼラチンだ。

コンドロイチンは本家ということになってるがどうでもいい。心太屋のカンテン家と照明屋のカンデラ家とヘンリー・アフリカ創業一族のマンデラ家も親戚といやあ親戚だな。ジェリー藤尾のじいさんにはずいぶんと世話になったぜ。女房を真っ黒黒須家のエボナイトの小僧に寝取られて最後はかわいそうなことをした。へ? ジェリー藤尾のじいさんまだ生きてるって? そうかそうか。とっくのとうにくたばったと思ってたが生きてやがったか。そうか。なによりだ。うれしいぜ。なんだか涙が出てきやがるぜ。

それにしてもひでえ女だったな、あのインランは。そんなにエボナイト棒は具合がよかったのかね? 黒くて硬いのがいいのはわかるけどもな。モラルってものがあるだろう。考えると胸くそがわるくなるぜ。

ん? だれだ? ゲロとかぬかした奴は。あまり俺を怒らせないほうがいい。俺は怒るとゲル状ジャックに変身する。ゲル状ジャックに変身した俺に比べたら切り裂きジャックと切り裂きバロウズが天使に思えるぜ。ゲル状ジャックに変身した俺を見た奴は全員吐く。この世のものとは思えない姿だからな。無理もない。

においもひどいもんだぜ。てめえで吐く。てめえのにおいで吐くなんてことがあるもんなんだな。笑えるぜ。おっと、「笑える」とか言うとスミジル・スミッシー・スミスの野郎に42ブッサリ払わなけれりゃならねえんだ。いないよな? そのはずだ。スミジル・スミッシー・スミスの野郎はきょうはビーナス・フォートで実演販売中だ。

c0109850_630532.jpg

俺の好物はジェリー・ビーンズとパート・ド・フリュイとみすず飴とグミとカスタード・プディングと海鷂魚の煮こごりとうなぎのアスピックと神楽坂・紀の善の抹茶ババロアだ。

ん? なにかおかしいか? クラゲがジェリー・ビーンズやパート・ド・フリュイやみすず飴やグミやカスタードプディングや海鷂魚の煮こごりやうなぎのアスピックや抹茶ババロアを喰ったり好きになったりしちゃいけねえって法律でもあるのか? ないだろう? そうだろう。

こんにゃくゼリーだけはいかんな。ありゃいけねえ。のどに引っかかりやがるしな。ん? クラゲにのどがあるのかって? あるさ! 浅田飴ののど飴だってなめるさ! 永六輔はきらいさ! 文句があるならセローニアスの兄貴に言ってくれ。あいにく、俺の係じゃないんでね。クレーム処理は。セローニアスの兄貴がみつからないなら、悪いがほかをあたってくれ。

俺の心はいつも凍ってる。なぜかって? ま、この件についちゃあ追い追いな。混みいった事情やら湿った谷やら深い森やら絶望の砂漠やらが関係しているからな。

ひとつだけ言えるのはだれもが心に疵を持っているってことだ。なに? あんたにはない? ふん。そりゃ、あんたが、

霞ヶ関の木っ端役人か、マホウ者かマホウ信者か、
お絵描き教室の生徒の耄碌爺いと乳繰り合う還暦糞婆あか、
吐いた唾を平気の平佐で飲みくさりやがる団塊糞ったれ奴か、
象印魔法瓶が突っ込まれたてめえのケツも拭けないうすら者か、
偏差値は低いくせに尿酸値と血糖値だけは一丁前に高い木偶の坊か、
孤立を恐れて群れたがるポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ瘋癲老人か、
中身空っぽのインチキまやかし鞄をぶら下げているか、カビ臭え気取り屋の古本屋か、
救いようのない馬鹿かマヌケか能天気か、いけ好かない取り澄ましジャレッティ野郎か、
ビョンだかピョンだかリョンだかジョンだかジュンだかキョンだかホンだかウンだかの半端人足か、
福建省マフィアに追われているお手々のしわを合わせてもフシアワセ不具合満載のナムナム野郎か、
チンピラ音楽に血道を上げる地雷を踏んでおっ死んだがいいリンゴほっぺのガラクタピンボケ老人か、
地雷を踏んでサヨナラしちまったほうがいい不貞が趣味の母性なきリンゴほっぺのピンボケ田舎者か、
「勝ち目はない」が口ぐせの女々しくダッサイいくせにスカしてスベってスッテンころりんの太宰信者か、
ナイーヴな街のナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハムが大好物の色気ちがいスパゲティ野郎か、
品のかけらもない関西婆あか、薄気味悪い呪いの人形師か、卯建の上がらねえクソ田舎の博物館の学芸員か、
恥ずかしげもなく先祖の七光りをさらして故障した日本語でチョリチョリする詩人気取りのチョリソー早漏茶坊主か、
過去の恥さらし恥知らず下衆外道を頰っ被りしてきのうは狂言の今日は落語のあしたはお能の歌舞伎の散歩のと忙しい極楽とんぼか、
「イイネ!」しすぎて腱鞘炎にかかったへっぽこスカタン懸賞金稼ぎか、人でなしのロクデナシ・ヒトデだからだ。おぼえときな!

c0109850_619688.jpg


さて、俺はちょいとジュレポン酢を仕込みに青山の紀伊国屋まで行ってくるぜ。悪いがちょっとここでそのまま待っててくれ。それほど時間はかからない。ジュレポン酢を2、3本くすねてくるだけだからさ。

ん? 「万引きは犯罪です」だあ? 知るかっ! それってうめえのか!? 四の五の言ってやがると刺胞砲ぶっぱなすぞ! 田代ギガ粒子砲ほどじゃねえが、レールガンより痛い痛いだぞ!

なに? 痛いの好き? ちょっとその件は別室で。うん。二人だけで。いろいろ用意しなけりゃならない「お道具」もあるしするし。うん。じゃ、ほんとに俺は行くぜ。

俺がいないあいだはすぐの弟のジェローがあんたたちの相手をするよ。ジェローは気はいいやつだけどちょっとだけおつむのネジがゆるんでるから、そこんところよろしく頼むぜ。

じゃあな。ほんとのほんとに行くぜ。ジェリーロールでゴ、ゴ、ゴ、ゴー! ゴーズオン!
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-29 06:10 | I, The Jelly | Trackback | Comments(0)

超越論的美食学をめぐる人と超人とピュグマリオーンのためのキュイジーヌ

 
c0109850_2163199.jpg

草木も眠る千三つ刻、帝王M.D.の『'Round About Midnight』を聴きながら、メープル・シロップとトリュフとシャンパーニュ入りのじゃがいものパテを塗りたくったフォルコーン・ブロートによる「オサレなカフェ」やら「おセレブさん御用達の最高級レストラン」やらとは遠く離れた清貧モードの夜食を喰らいながら官僚ファシズム・コードをロール・オーヴァーする秘策を練る。

マグノリアのR指定の魔女から「晩年のマイルス・デイヴィスなんか死ねばいいのに」と言われたことで無性に腹がへったので食料庫探索すること2時間。

フォアグラ? 痛風発作が起きるからパス。ノルウェー・サーモンの薫製? 強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれる会用にとっておこう。イクラの一夜漬け? こいつも痛風の敵だ。喰いたいが。イクラは喰いたし痛風は痛し。炊きたてのめしにこいつとこいつの親の身のほぐしたのをぶっかけて、きざみ海苔をぱらぱらして、内緒で、だれにも気づかれないように味の素をひとふりして、栄醤油店の甘露醤油をひと垂らしして、あとは一心不乱にはぐはぐとかきこみたいのは山々だが。ここは我慢だ。

この夏をなんとしても痛風発作なしで乗り越えなければMAYBACH EXELEROが遠のいてしまう。MAYBACH EXELEROのテールライトが「愛してる」のサインを点滅しようと、見送るのは御免だ。

2時間の食料庫探索のすえにみつけたのは独逸MESTEMACHER社製の全粒粉フォルコーン・ブロート(ライ麦パン)とおなじく独逸TARTEX社製じゃがいものパテ(トリュフとシャンパーニュ入り)とカナダのケベック州産モンファボリ・メープルシロップ。これだ。いまの気分にぴったりなのは。メープルシロップがエミコットのNO.1エキストラ・ライトならなおいいが。

瞬時に頭の中でフォルコーン・ブロートの食感とかすかな酸味とじゃがいものパテの曖昧模糊とした鼻行類のエボニー&キドニー味とメープルシロップの風味と深く豊かな甘味を足し算する。悪くない。それどころか高得点が期待できる。

フォルマッジオもいっちゃう? この際だから、フォアグラもさっと炙ってみちゃう? ブリアの野郎の手先の食いしん坊悪魔どもが耳元で囁く。

いかん! 「清貧」という名の贅沢に生きようと14番目の月に誓ったばかりではないか!マットンヤー・ユミーンのようになってもいいのか? 声も出ず、呼吸もまともにできなくなるんだぞ。それでいいのか?

そりゃ、よかないさ。おねいちゃんたちの耳元で歯の浮くようなセリフをまだぶっこきたいし。蕩けるようなアレだってまだまだいっぱいいたしたいし。おねいちゃんたちをひんひん言わしまくりたいしするし。いたしたいし痛し痒し。それなら、ここはなんとしても我慢だ。いいな? 我慢できるよな? 我慢した。性欲が食欲に勝った瞬間だった。

c0109850_2353625.jpg

さて、吾輩はiTunesに、SHEPHERD MILESBLUE MILES/RED MILESFREE MILESBLACK MILESのそれぞれ代表する曲をスマートプレイ・リストとしてつくり、リピート・セットしてかけた。

iTunesというのは実によくできたアプリケーションである。気分、シーンに応じていかようにも曲、アーティスト、ジャンル、アルバム等々によって楽曲を抽出してくれる。なにしろ、外付けHD1テラバイト分になんなんとする音源、楽曲数は15万曲をゆうに超えているので、とうてい人力手動ではさばききれない。

そこで、たいていは「雨だ。雨の曲だ」ということなら、「雨」「RAIN」「CLASSICAL」「JAZZ」「POPS」「PIANO」といったキーワードをiTunesのスマートリストに放り込んでやる。さすれば、iTunesが勝手にF. ショパンの『雨だれ』やらブルック・ベントンの『Rainy Night in Georgia』やらマットンヤー・ユミーンの『雨のステイション』やらを勝手に抽出してくるという次第だ。あとはPLAYボタンをクリックするなりENTER KEYを押すだけである。まことに重宝である。

1曲目の『Moon Dreams』が静かにはじまり、吾輩はひときれのライ麦パンにじゃがいものパテをたっぷりと塗った。そして、メープルシロップをつけた。そして、指とデスクとキーボードとマウスをメープルシロップでべちょべちょにしながら(「べちょべちょ」という形態素、オノマトペというのは実に、その、なんというか、いやらすぃな。九州地方で、博多の中心部で言った日にはバサラカ喰らわされそうではなかですか? 「なんば言いよっとですか!」って。)、フォールコーン・ブロート500グラムを一気に貪り食ったのであった。

もちろん、トリュフ&シャンペン入りじゃがいものパテはひと舐めほども残らなかった。吾輩が舐めまくったからだ。レロレロレロレロと。うーん。無性にまぐわいたくなってきやがった。困った黄金バットちゃんであることよのう。と、一人詠嘆。さらにフォールコーン・ブロート500グラム1本とじゃがいもパテを追加調達。メープルシロップはたっぷり残っている。

全粒粉によるパンというものは実におもしろい。栄養面でどうたらいう話にはまったく興味がないが、とにかく食感がおもしろい。噛むたびにぷちぷちと麦のなれの果てがつぶれる感じは一種言いようのない快感である。

死ななかったひと粒の麦のやつめがわが口中で最期の断末魔をあげるのを直接に知るのはアンドレ・ジイドの野郎にひと泡吹かせたような気分に浸れもするのでたいへんにけっこうである。吾輩はアンドレ・ジイドが大嫌いだからだ。秋元康スカタン、和田アキ子ポンコツ、野村沙知代ブタとおなじくらいきらいである。死ねばいいのに。とっくの昔に死んではいるが、吾輩はそう呟かずにはいられない。焚書坑儒されてしまえばいいのに。ん? 焚書坑儒しなくたっていまやだれもアンドレ・ジイドなど読みはしない時代か。たいへんにけっこうなことである。

豆腐をベースにしたテリーヌを週に一度は作るが、その際にトリュフとシャンパーニュ入りじゃがいもパテを隠し味として混ぜるといい塩梅のコク、旨味がでる。豊かさと深みが増す。滋昧たる味わいである。

豆腐、野菜、木の実のたぐいのみによるテリーヌより、断然うまい。ベジタリアンどもにもすすめられる。豆腐をメープル・シロップにしばらく漬け込んでから焼くと、これまたけっこうな甘味どころとなる。好みに応じてスパイスをアレンジすれば色々おもしろいものが出来あがる。あまたある世界中の香辛料を組み合わせて用いれば、それこそ無限ヴァリエーションを持った調味料となる。

「オリジナル・ブレンデッド・スパイス」を作るたのしみは格別である。もちろん、失敗はある。しかし、失敗は成功の母である。失敗など酸っぱいのや塩っぱいのと似たようなものだ。なにごとも経験、場数である。こんなうまい話はそうそうないのに、存外香辛料は使われていないというのが吾輩の印象である。GABANがあればそれで十分などと考えるのは満腹感製造工場であるところのヨシギュー乃至はすき家、松屋で毎日のように汁だくだのつゆだくだのツメシロだのトロだくだのの汁かけめしを喰らって得意になっているポンコツ社会人とおなじである。まったくもってよろしくない。よろしくありませんとも! ポンコツはポンコツなものしか喰わないものと相場は決まっているのだ。

なにを喰ってきたかでその人物の人生、思想、哲学、趣味嗜好、性癖、血液型、読んでいる本、聴いている音楽、好きな体位、預金残高、残債務はたいていわかる。おそろしいことだが事実である。香辛料使いはわが友である。

曲が『'Round About Midnight』にかわる。強い北風が窓を叩いている。オーケイ。いい夜だ。夜はまだこれからだ。夜明けまでにはまだ十分時間がある。

フォルコーン・ブロートは500グラムの重量級だ。今世紀いっぱいだって食べられる量だ。それまでは『'Round About Midnight』だけを繰り返し聴こう。朝陽が昇りはじめたら帝王M.D.のストックホルムのライブ音源、『Softly as in a Morning Sunrise』を聴こう。そして、『Softly as in a Morning Sunrise』を聴きながら朝陽のように爽やかな眠りにつくことにしよう。


風は強く、闇は深い。夜はまだはじまったばかりだ。

c0109850_21351837.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-27 21:24 | 超越論的美食学 | Trackback | Comments(0)

セザリア・エヴォラ ── 裸足のDIVAはCafé Saudadeで歌い、祈る。

 
c0109850_2253624.jpg

 
セザリア・エヴォラ/Cesária Évora (1941年8月27日 - 2011年12月17日)
アフリカ大陸最西端沖合いのカーボ・ヴェルデ共和国サン・ヴィセンテ島出身。国民音楽であるカーボ・ヴェルデ/モルナの音楽表現者。

1980年代末にセザリア・エヴォラが登場するまでカーボ・ヴェルデは名前さえ知らなかった。カーボ・ヴェルデ共和国は1975年にポルトガルから独立した若い国だ。人口50万人ほど。国土は4000平方キロメートル。国民1人あたりのGDPは3500ドル足らず。

c0109850_2334506.jpg

セザリア・エヴォラは1992年にフランスでリリースした『Miss Perfumado』の中に収められた"Sodade"が大ヒット。一躍、世界の音楽シーンに躍り出た。このとき、セザリア・エヴォラ41歳。遅咲きの大輪だった。

c0109850_012496.jpg
c0109850_22541643.jpg

Cape Verde/Cabo Verdeはカーボ・ヴェルデ共和国のバルラヴェント諸島("風上の島")を中心に広まる音楽ジャンルだ。ヴァイオリン、ポルトガル・ギター、ガンザ、アゴゴ、アタバキ、ザブンバ、ショーカリョ、チンバウ、パンデイロ、ヘコヘコ、カヴァキーニョなどを使用し、モルナやコライデイラのようなメロディー重視の音楽である。

c0109850_22545920.jpg

名もなき流しの歌い手の一人にすぎなかった頃。盛り場で歌を歌って糊口をしのぐ日々。罵声。嘲笑。理不尽卑劣な要求。邪な誘惑。暴力。様々なことがあったろう。

住む家すらない貧しきカーボ・ヴェルデの人々を思い、成功ののちもステージに上がるときはカーボ・ヴェルデの人々同様に裸足だった。いつしか彼女は裸足のDIVAと呼ばれるようになった。

セザリア・エヴォラはきわめてリアリティ指向の強い人物で、ル・モンドのインタビューで次のように言った。

「成功? わたしが? 世界には住む家も履く靴もひとかけらのパンもない人たちが数えきれないほどいるというのに? 私のCDがたくさん売れて、コンサートに大勢の人が来てくれることが"成功"だと言うならそうでしょうね。でも、わたしにとってそのようなことはそれほど重要ではありません。最低限、住む家と履く靴とひとかけらのパンが行き渡ること。そのような世界でありつづけること。"成功"についてのお話はそれからにしましょう」

また、死の7ヶ月前のこと。ニジンスキー劇場でのライヴ前に記者会見をした際、記者の一人がそのときのC-Éの服装について質問した。「CDジャケットのときのファッションとずいぶんちがうじゃないか」と。C-Éは一瞬ムッとして答える。

「あれは好きで着ているわけじゃない。わたしは着せ替え人形じゃない。わたしはアフリカの、大西洋の小島のおばあちゃんよ」

C-Éは元々お体裁やお愛想を言わないことで有名だが、そのときの記者会見は、始終、無表情/不機嫌だった。上っ調子な会見場が一瞬にして静まり返り、凍りついたのは愉快だった。

余談でありとても興味深いことだが、C-Éは楽譜がまったく読めない。しかし、「聴いた音/メロディ」を1回でおぼえてしまう。そして、瞬時に再現できる。これはまちがいなくC-Éには「絶対音感」があったということを示しているが、それとはまた別の種々が考えられる。サヴァン症候群や自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)などの発達障害を抱えていたのではないかということ。しかし、これについてはもはや真相は闇の奥の奥に隠れて解明することはできない。

c0109850_22552714.jpg

セザリア・エヴォラはファドの歌い手であるアマリア・ロドリゲスとは悲しみの質がちがう。明るい。陽気だ。そして、ときに、静かに沈んでいく。その声にはアマリア・ロドリゲスとおなじ癒えぬ喪失感が漂う。カーボ・ヴェルデの人々のディアスポラの嘆きと痛みとともに ── 。

c0109850_22571458.jpg

2001年と2004年のライヴ。おなじパリでのライヴ。3年の歳月はセザリア・エヴォラを老婆へと変貌させていた。3年のあいだになにが彼女にあったのか。今ではそれを知ることはほぼ不可能だ。セザリア・エヴォラは2011年のクリスマス目前に帰らぬ人となったからだ。

死はすべてを根こそぎにして真実を闇の奥に隠す。セザリア・エヴォラの魂は大西洋の小さな島、サン・ヴィセンテ島にたどり着けたろうか?


SODADE/Lyrics: A. Cabral, Mihalis Ganas Music: Α. Cabral, L. Morais
Quem mostrà bo
ess caminho longe?
Quem mostrà bo
ess caminho longe?
Εss caminho pa São Tomé

Sodade.. sodade.. sodade..
dess nha terra São Nicolau

Si bo screvè me
'm ta screvè be
Si bo squecè me
'm ta squecè be
Até dia qui bo voltà

Sodade.. sodade.. sodade..
dess nha terra São Nicolau



Cesária Évora
Sodade
Petit Pays
Besame Mucho
Yamore (Duet with Salif Keita)
Sodade Live In Paris at Le Grand Rex, April 2004
Live D'amor 2004 (Complete Concert)
A Cape Verde Music (Morna & Coladeira)
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-26 22:58 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(10)

Spirits of Steel#2 ラヂヲ・アクティヴィティーズ対ビューティフル・スティーラーズ

 
c0109850_5183476.jpg

 
巨大な群青色の鉄太鼓をかついだ鉄板馬鹿のアッと驚くタメゴローが真っ黄色のドラム缶でできた愛國87号戦車でやってきた日の朝。

街の住人たちはやがてくる破滅の日の序章の始まりを目の当たりにして一人残らず竦みあがっていた。誰憚ることもなくその場に脱糞する者が続出した。だが、それとて街を取り囲むようにある放射性廃棄物最終処分場の汚れに比べればどうということはない。そもそも、放射性廃棄物最終処分場を諸手を上げ、街を挙げて誘致したのは当の住人たちである。

私はと言えば、すでにしてアンディ・ナレルのビスケットの空缶世界における極小の秘密群を解読する日々を生きはじめており、そのあいだ、タンブー・バンブーによる『ウインストン・スプリー・サイモンの子守唄』がずっと聴こえる不思議不可解をようやく受容できるようになっていた。

巨大な群青色の鉄太鼓をかついだ鉄板馬鹿のアッと驚くタメゴローの憤怒と憎悪がひとつの塊りとなって真っ黄色のドラム缶でできた愛國87号戦車に憑依して、街を轟音をあげながら縦走横断し、人々を恐怖のどん底に叩きこむ光景がはっきりと見えた。


スティールパンで鉄の意志を調理する日々は6月23日月曜日22時23分42秒(JST)に始まる。


Don't Look Back - Andy Narell
 
 
 
c0109850_1510508.jpg

 
ラジオアクティヴ・シティを代表するニュークリアボールのチームはビューロ・クラスターズ、ラヂヲ・アクティヴィティーズ、ビューティフル・スティーラーズだ。この3チームにやや遅れをとるかたちでニュークリア・ウェイスターズとインダストリアル・ウェイスターズ、パノラマ・ダンサーズ、ボート・ピープルズ、そしてアトミック・ボムズがある。

ビューロ・クラスターズ、ラヂヲ・アクティヴィティーズ、ビューティフル・スティーラーズの3チームは実力伯仲である。残るチームはほぼ互角拮抗している。

ラジオアクティヴ・シティのニュークリアボール・リーグには1部2部3部併せて42のチームがある。1部リーグ12球団、2部リーグ12球団、3部リーグ18球団。目下のところ、テクノクラートとアメリゴ・ベスプッチ帝国の全面支援を受けるビューロ・クラスターズが4連覇中である。

c0109850_5203761.jpg

ラジオアクティヴ・シティに並ぶものなきアスホール野郎、精神科医のイディオサヴァン・モロン氏はニュークリアボール界の守護聖人とも目される人物であって、ラジオアクティヴ・シティ・ニュークリアボール機構の理事長である。そのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウぶりはラジオアクティヴ・シティ住民のあいだにつとに知れ渡っている。また、イディオサヴァン・モロン氏はナベツネこと読売国奴新聞社主兼老害且つ瘋癲・ワタナーベ・ツネーヲの金魚の糞である。

それにもかかわらずイディオサヴァン・モロン氏が精神科医として糊口をえることができるのは、ラジオアクティヴ・シティ住民の大半が深刻なメンタル・ディスオーダーを抱えているからである。ラジオアクティヴ・シティ近隣の人々はラジオアクティヴ・シティをメンヘラ・シティと呼ぶほどだ。なぜラジオアクティヴ・シティ住民が重篤の精神疾患を抱えるようになったのか? 理由はいずれわかる。


今夜はラヂヲ・アクティヴィティーズ対ビューティフル・スティーラーズの因縁の対戦がある。このプラチナ・チケットを手に入れることができたのはAKT42(悪党42)の拳骨会におけるチェーンソー・ダンスのコンテストで優勝したからだ。

c0109850_519665.jpg

Baby Steps - Andy Narell ("Tatoom" 2006)
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-26 05:21 | Spirits of Steel | Trackback | Comments(0)

Spirits of Steel#1 馬鹿が真っ黄色のドラム缶でできた戦車でやってきた。

 
c0109850_1510508.jpg

 
巨大な群青色の鉄太鼓をかついだ鉄板馬鹿のアッと驚くタメゴローが真っ黄色のドラム缶でできた愛國87号戦車でやってきた日の朝。

街の住人たちはやがてくる破滅の日の序章の始まりを目の当たりにして一人残らず竦みあがっていた。誰憚ることもなくその場に脱糞する者が続出した。だが、それとて街を取り囲むようにある放射性廃棄物最終処分場の汚れに比べればどうということはない。そもそも、放射性廃棄物最終処分場を諸手を上げ、街を挙げて誘致したのは当の住人たちである。

私はと言えば、すでにしてアンディ・ナレルのビスケットの空缶世界における極小の秘密群を解読する日々を生きはじめており、そのあいだ、タンブー・バンブーによる『ウインストン・スプリー・サイモンの子守唄』がずっと聴こえる不思議不可解をようやく受容できるようになっていた。

巨大な群青色の鉄太鼓をかついだ鉄板馬鹿のアッと驚くタメゴローの憤怒と憎悪がひとつの塊りとなって真っ黄色のドラム缶でできた愛國87号戦車に憑依して、街を轟音をあげながら縦走横断し、人々を恐怖のどん底に叩きこむ光景がはっきりと見えた。


スティールパンで鉄の意志を調理する日々は6月23日月曜日22時23分42秒(JST)に始まる。


Don't Look Back - Andy Narell
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-25 15:11 | Spirits of Steel | Trackback | Comments(0)

Fleur-de-Tate/盾の華 タテの作法#2

 
c0109850_10335452.jpg

 
こで鼻くそをほじくっているきみ。一日の花を摘め。
んなことなら京都で茶漬けを喰っとけばよかったな。
つて今田耕司が現在性のある笑いを取った験しなし。
つこいほどイイネする馬鹿者に感謝漆喰を喰わせろ。
れで会社をやめましたとアンナカをかざすカザフ人。
まわないから鎌田東二の褌をデッドロックで巻上げだ。
んらんるーを検索したら多治見の花火ちゃんにヒット。
党の悪意には対処できるが善人の翻意は厄介である。
表つく辞表提出に為す術もないままに日が暮れたことだ。
んしゃらんと保元の乱とまかりならんをワンプレートで。
継ぎ早の質問に辟易しながらもしっかりと勃起している。
まんの限界とか言いながら何度も何度もきみは絶頂へ。
言を方言で言われると保元の乱の真相は闇の中である。
おやめぶりを漢字で書けることが自慢の馬鹿女がいる。
いれいとした無礼者は今日も今日とて魔法の言葉だとよ。
いるいとした屍を踏みつけてルンルンを買う指輪自慢馬鹿。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-23 10:34 | Fleur-de-Tate | Trackback | Comments(0)

イイネのテロリスト

 
c0109850_9134195.jpg

 
イイネ・テロを御存知か? アルマイトの極小スプーンによる匙加減ほども御存知あるまい。サンセリフに似せた似非ピーター野郎の「御存知」のセリフほども。御存知さんでなくて当然である。たった今思いついた。ネット検索したところ、2011年頃にはFacebook上やTwitter上で確認されている。

イイネ・テロとはイイネ・ボタンを大量連続で押すことによってプロフィール上の他者の近況を根こそぎ闇の奥へと流し去り、「お知らせ欄」を埋めつくす行為である。

イイネ・テロを行う者を「イイネのテロリスト」と呼ぶ。この世界には実に色々なタイプのテロリストが存在するけれども、悪意がない分、始末が悪い。悪意のない悪業である。

イイネのテロリストは無意識のうちに諸価値を喰い破り、根こそぎにし、無力化する。血が貨幣を喰い破るのとはちがったやり方で。そして、関係/文化規範の崩壊をもたらす。ネットワークの混沌状態、すなわち、Network Anomie を作りだす。

イイネのテロリストをして「イイネ・テロ」に向かわせるのは、彼らのリアリティの欠落/欠如あるいは放棄、そして、「無自覚/無批判な善意と認知欲求/親和欲求」である。すべてはそこに由来し、帰着する。

テロリストと取引きしないのは現代世界の趨勢であるからして、当然にイイネのテロリストとも取引きはしない。すべて「フォロー拒否」乃至はIPまたはホストが判明している場合はアクセス禁止/ブロック設定してある。

イイネのテロリストの取引先は同じ穴の狢のイイネのテロリストのみである。イイネのテロリスト同士でイイネ・テロしあう奇妙奇天烈きわまりない光景。テロリストはテロリストを呼び、テロリストはテロリストと結ぶ。テロリストどもは烏合するということだ。

c0109850_9151072.jpg

イイネのテロリストはおそらくはなんらかのメンタル・ディスオーダーの状況にあるというのが吾輩の見立てである。少しく詳細を言うならば、イイネのテロリストは例外なくグロテスクな認知欲求/親和欲求をかかえている。その背後に潜むものは「崩壊した自我」「引き裂かれた自己」という深刻な事態である。ファシズム/ナチズムを生み、台頭させたのはほかでもない、「グロテスクな認知欲求/親和欲求」「崩壊した自我」「引き裂かれた自己」であることを忘れるべきではない。

イイネのテロリストどもはポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウでもあって、きれいごとおべんちゃらおためごかしをこれでもかこれでもかと繰り出し、開陳しあっている。醜悪きわまりない。不愉快千万である。

イイネのテロリストはうら若き乙女からとっくのとうに還暦をすぎた耄碌爺さんまで。その年齢層は実に幅広い。いずれイイネのテロリストどもをまとめて完全殲滅してやりたいが、今のところ具体的な方策は見いだせていない。まことに忸怩たるものがある。

イイネのテロリストの資金源は不明である。もっとも、「イイネ」に元手は一切かからないから、資金源もへちまもないが。「イイネ」を有料制か制限制にでもすれば、イイネのテロリストは一瞬にして雲散霧消するだろうが。タダ、ロハ、無料に群がり貪るいやしさあさましさ。それもまた、イイネのテロリストの特質だろう。


イイネのテロリストどもよ。これから背筋も凍り、峻烈をきわめる「テロ掃討作戦」が始まるからな。覚悟を決め、腹を括っておくがいい。作戦名はサマンサの指 ── タバサの荒らし作戦だ。「テロルの決算」はいささか高くつく。

c0109850_9142747.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-18 09:16 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

Fleur-de-Tate/盾の華 タテの作法#1

 
c0109850_167158.jpg

 
れより「タテの作法」を開陳する。
? 「上から目線」ですがなにか?
なめではなく、タテあるいは盾。
こではない場所へ。あそこの奥へ。
うの昔に死んだ子の齢を数えろ。
たらめにも三分の理があるのだ。
いかげんな奴ほど計算ずくである。
い人ぶっている奴ほど腹黒いものだ。
んきな父さんの会社はあした倒産だ。
あちゃん暇で「イイネ押し」に大忙し。
ってかくの如く本日も天下太平楽也。


矛盾を求めて生きてきたことである。
解をえることの少ない人生であった。
かし、後悔などなにひとつないのだ。
んでばらばらな真理を統合すること。
いの中にこそ真実が潜んでいること。
まり、きれいごとでは辿り着けぬこと。
まに答えを求めて風に吹かれてみる。
ころが、風は答えなど孕んでいない。
うして風を思うことでなにも思わない。
くでもないまやかしどもと遠く離れて。
くのぼうどもに視えない銃口を突きつけて。
のど真ん中に視えない銃弾を撃ちこんで。
じめから勝ち目がないのはわかっていた。
てくされて足許の石を蹴ったら意志に当った。
やしさを拳に握りしめて撃つべし! 撃つべし!
ーニンは大衆を愛し、軽蔑し、憎悪した。
にごとをも信頼し、すべてを懐疑した。
まからでも遅くはない。無駄な抵抗を試みよ。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-17 16:07 | Fleur-de-Tate | Trackback | Comments(0)

12年前の2ちゃんねるのあるスレッドへのカキコをハケーンした。

 
c0109850_12484450.jpg

 
そのころ、私は激しい強度で浜崎あゆみと松浦勝人とエイベックス(東証1部 7860)とエイベックス系を憎んでいた。憎悪していた。憤怒の炎は東京都港区南青山3丁目と京浜急行上大岡駅にも向けられた。

そして、2002年1月30日午前1時39分。私は憤懣のすべてをこめて書き込んだ。

ンドロールを聴くたびに泣いてます。
マジンがフル回転します。
ンジンはフル一気飲みです。
ルゲーネフだって読んじゃいます。
ー・トラバーユ? とかつぶやいちゃいます。
レって変ですか?
れちゃいますか?
まれちゃいますか?

c0109850_13441673.jpg

私の自我はなんとか保たれた。以来、浜崎あゆみも松浦勝人もエイベックスもエイベックス系もスルーを超えてヌルーできるようになった。勿論、後にも先にもベックソ系の音楽は聴かない。

(EXILE? それってうめえのか? ダシは利いているか? 歯ごたえはどうなんだ? どうなの? どうなのよ?)


教訓: タテ読みは自我の危機を救う。


オモエモナー

c0109850_1250484.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-16 12:51 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

エンゾのオレオレ節/ニッポン全国的にハルーにして鼻血ブーなのだ。これでいいのだ。

 
c0109850_17492764.jpg

 
夜郎自大を絵に描いたような脳味噌ツルリンコシャンの環境破壊大臣と霞が関に棲息するカスミガセキシロアリ=鼻血ラムうる星やつら=木っ端役人と原子力村人は十把ヒ素唐揚げで死刑なのだ!

c0109850_17495120.jpg


ホーシャノーがコワくてニッポンで生きてられるか! ホーシャノーはココロのボスがけでなくなるのだ。これでいいのだ。

c0109850_1750527.jpg

 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-15 17:50 | エンゾのオレオレ節 | Trackback | Comments(2)

プールサイド畸譚#1 プールサイドで1杯やる程度の御褒美、やさしい雨

 
c0109850_1657120.jpg

 
「このおれの沸騰し、滾る憤怒を受け止められるのか? 若造」と射すように光り、閃く言葉の銃口をGRIP GLITZに突きつけられて以後、しばらく世界は色と音と匂いを失っていた。世界が徐々に色と音と匂いを取りもどしはじめたのは先週のことだ。

第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人との「奇妙な味の南国のフルーツ」を賭けたポーカー・ゲームは南から来た男ことミスター・フラミンゴ(奇妙な味の南国のフルーツ売り)の登場で台無しになってしまったが、御褒美がなかったわけではない。プールサイドで1杯やる程度の御褒美ではあるが。

それにしても、先週は実によく働いた。1週間でモーリスのミニ・クーパー5台分の利益を出した。フル装備のクーパー5台分。世が世ならカリブ海の小島をひとつふたつ買える額だ。プールサイドで1杯やる程度の御褒美に文句をつける者はいまい。

窓をあける。世紀末ホテルのプールが見える。水しぶきの音。若い男女の嬌声。アール・クルーのアコースティック・ギターの音。まだ5月だというのに? しかし、心は幾分か軽くなる。プールサイドで1杯やる程度の御褒美を受け取りにいくことを決める。

プールを目指して世紀末ホテルの中庭を抜ける。馴染みのコンシェルジュがよく訓練された笑顔を投げてよこす。新米のベルボーイはぎこちなくスーツケースを運んでいる。世紀末ホテルで仕事を始めてまだ3日と経っていないだろう。しかし、なにごとも経験だ。経験のない者には指先ひとつまともに動かせやしない。世界は扉を開かない。それがこのくだらなくも素晴らしき魅力に満ちあふれた世界のルール、プリンシプルである。

庭の芝生はとても手入れが行き届いている。いい庭師の仕事だ。芝生を刈り込んだ庭師の愛読書はヴェルギリウスの『労働と日々』にちがいない。

盛りを過ぎたヘレボルス・アルグティフォリウスの植え込みや溌剌としていかにも機嫌のよさそうな椰子の木が一糸乱れずに南方遠征軍の陣形を組んでいる。椰子の木のてっぺんでは強い南風にあおられた葉がバーナーで焼かれたような乾いた音を立てている。茶色い実が葉陰で揺れている。歩哨役の椰子の実の新兵。じきに斥候部隊への配属命令が下るはずだ。

プールに着く。プールサイドにはデッキチェアが全部で7脚置いてある。白いテーブル、パステル・カラーのパラソル、揺れる初夏の光。いい夕方だ。

あらゆることが可能な時間帯。グレース・ケリーを虜にすることだって可能だし、フレッド・アステアに負けないくらい軽やかで華麗なステップを踏める。ジャック・デンプシーと褐色の爆撃機ジョー・ルイスとロッキー・マルシアーノとモハメド・アリとアイアン・マイク・タイソンをまとめて一撃で世界の果てまで吹き飛ばすのだってできない相談ではない。そんな時間帯だ。

よく日焼けした男や女が腰を下ろしている。プールの中では若い女たちと若い男たちが水を撥ねあげ、大声を発しながらビーチ・ボールを投げ合っている。これなら、世界はまだしばらくは大丈夫だ。

目星をつけたテーブルの上にページが開かれた状態で1冊の本がある。題名を確かめる。途端に虫酸が走る。密かにカルトでひと儲けを企む車椅子のインチキ宗教家の詩集『底抜けのアホが十人いる町の住人の合言葉は"おおきに"』だ。間髪を置かずにゴミ箱に放り込む。これで世界はいくらか正気を取りもどすはずだ。

デッキチェアにからだを横たえ、彼らを眺める。娘たちはホテルに滞在しているらしい。若い男のほうは見たことがなかったが、聞こえてくるアメリカ風の発音から、おそらく今朝入港したアメリカ海軍の練習艦の士官候補生ではないかと踏んだ。そして、第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人がやってきた。引金の引き方も照準と照星のちがいもわからない新兵のようにうなずくのが精一杯だった。

c0109850_16585110.jpg

「どういう風の吹きまわしですか? 新しい獲物でもみつかりましたか?」
「そうじゃない。きょうはおまえさんに靴下と手袋の見分け方を教えてやろうと思ってな」
「靴下と手袋、ですか。靴下のことならサンタクロースにすっかり教わりましたけどね。手袋のことなら手袋巡査に36回ぶっ叩かれてようやくおぼえましたよ」
「ふん。そんな程度かい。おまえさんにゃあ、靴下の右と左のちがいさえわかっちゃいないだろうよ」

第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人は傲岸不遜を絵に描いたような態度でテーブルについた。テーブルにつくなり、第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人は仔犬でも呼び寄せるようにギャルソンを手招きし、「まぜこぜシチュー」を注文した。そして、「父さんギツネバンザイ!」と叫んでカードを配り始めた。さらに、「ぼくらは世界一の名コンビだ!」と叫んだ。同時に10歳くらいの少女が現れた。

「きみは小さな大天才だね」と第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人は少女に言った。そして、釘のように細くて長い指先で少女の髪の毛の生え際を撫でた。少女はされるがままだ。うっとりとさえしている。

c0109850_1659262.jpg

第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人はそうすることがあらかじめ決められてでもいたように悪魔の指先で少女の10本の指を根元から切り取り、両耳を引きちぎった。指と耳の切口からはルビーの滴のような鮮血が滴り落ちた。

あまりの出来事に言葉も出ず、息もできず、瞬くことすら忘れた。そのことよりも驚いたのは、指を切り取られ、両耳を引きちぎられた少女が呻き声ひとつ立てないことだった。かたちのよい濃い眉は1ミリも動かなかった。

心配そうに少女を見つめていると、彼女は緑がかった瞳を向けてきっぱりと言った。

「大丈夫。あしたの朝には10本の指もお耳もきれいに生えそろうから。夜のあいだ、少し痛むだけ」

第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人は「魔法の指」の持主だったのだ。

第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人は「まぜこぜシチュー」を貪り喰いながら、「チョコレート工場の秘密」と「おばけ桃の冒険」の話をし、つづいて、飛行機乗りのヴァルハラへの昇天について語りはじめたが、もうタイム・リミットだ。とっておきの呪文を唱えるときだ。

「ヨンサメカ! ヨンサメカ! ヨンサメカ!」

1度目の呪文で第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人の体は向うが透けて見えるようになり、2度目の呪文で頭が消え、3度目の呪文を唱えた瞬間に完全に消滅した。

霧のような雨が降り始める。ザ・シンガーズ・アンリミテッドがルイス・ボンファとマット・デュビイの『やさしい雨』を歌っている。


やさしい雨はいつもあなたの面影をよみがえらせる ── 。

c0109850_1701825.jpg

The Gentle Rain (Luiz Bonfá/Matt Dubey)
Oscar Peterson & The Singers Unlimited
Stacey Kent
Joe Pass
Barbra Streisand
Dianna Krall
Art Farmer
George Benson
Elizabeth Dawson
Astrud Gilberto
Emilie-Claire Barlow
Cheryl Russell
Eden Atwood
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-13 17:00 | プールサイド畸譚 | Trackback | Comments(0)

切り裂きバロウズ#3 奇妙な味の南国果実を賭けて第二次世界大戦のエース・パイロットと戦う

 
c0109850_11121030.jpg

 
ロアルド・ダール劇場でイヨネスコの『瘤』へのオマージュを見てから全共闘Cことゴミアクタ・マサヒコを踏みつぶし、第二次世界大戦のエース・パイロットだった老人と「奇妙な味の南国のフルーツ」を賭けてポーカー・ゲームをやって散々な目に遭った週末の出来事の話だ。


悪辣きわまりない湯気をあげるカット・アップされた42オンスのTボーン・ステーキをカミソリのごとき切れ味のナイフでど真ん中から切り分けると、地獄の釜で煮立てたような肉汁の香りが猛烈な勢いで立ちのぼってきた。めまいがしそうなほど濃密なにおいだった。実際に激しいめまいがし、同時に数日前の出来事があざやかによみがえった。「第二次世界大戦のエース・パイロット」というふれこみで紹介された老人にポーカー・ゲームで散々な目に遭った週末の出来事が。

落成記念公演中のロアルド・ダール劇場で丹古母鬼馬二が極秘裡に出演していたウジェーヌ・イヨネスコの『瘤』へのオマージュの壮絶なアングラ劇を見終え、舞台監督/演出家/脚本家にして学生結婚自慢野郎の全共闘Cことゴミアクタ・マサヒコを切り裂きバロウズ、J-M-P-Dことプイグのウタダ・オートマティックな取扱説明書男とともに文武両道軒・三島由紀夫の敵討ちがわりにさんざっぱら踏みつぶして大いに溜飲を下げた。そして、愚か者どもの罵声で騒然とするロビーで、切り裂きバロウズから「第二次世界大戦のエース・パイロット」というふれこみで一人の老人を紹介された。その老人は指揮者のエフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキーに驚くほどよく似ていた。

長身痩躯。青白い貌とおぼろに揺れる瞳。世界の森羅万象を見抜き、射抜く猜疑心の塊りのような金壺眼。老人に見つめられると背筋が凍りついた。実際に右の第5肋骨のあたりが凍ってぺきぺきと音を立てた。

老人はドライケーキの銀座ウエストのウェイトレスのおねいちゃんの尻を熟練の手つきで撫でまわしながら、「奇妙な味の南国フルーツ」を賭けることを提案した。ポーカー・ゲームで。

今から思えば、ドライケーキの銀座ウエストでオスカー・ピーターソンの『In Tune』などをリクエストしたのがそもそものまちがいだった。夏の気配を孕んだ春の盛りにオスカー・ピーターソンの『In Tune』を聴く凡庸をこそ恥じるべきだ。しかも、ドライケーキの銀座ウエストで。アンナミラーズでならまだしも。あるいは神宮前Wine Vin Vinoでなら。問題の核心はそこにある。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-12 11:12 | 切り裂きバロウズ | Trackback | Comments(0)

虚空 ── 生命、宇宙、そして万物森羅万象についての答え

 
c0109850_18254046.jpg

夜光虫どもが騒がしい夜ごとの揺り籠もしくは舟、あるいは戦場のミッドナイト・コール


42年ものの梅酒によってすっかり重くなった目蓋をこじあけているあいだ、「ビッグバンの際のすべての原子の有向線分」について暗算していると花束愛好家にしてハツカネズミのアルジャーノン・アダムスがアドリアン・ニューウェイ・ブルーの瞳をすばしこく輝かせながら朝の挨拶にやってきた。

アルジャーノン・アダムスの後ろでは神様が「ご迷惑をおかけしております」と書かれたボードを東西南北上下左右全方位的にせわしなく動かしている。いつもの朝の風景である。

「問題は解けたか?」
それがアルジャーノン・アダムスの朝の挨拶だ。
「もうちょい」
「おせえな。あと2時間であんたが問題に取りかかってから50万年だぜ」
「2時間あれば解が出る」
「どうだかな」

アルジャーノン・アダムスが皮肉たっぷりに言うと同時にドアをノックする音がした。ドアをあけると1942年製フォード・エドセルのエンブレムを額に貼りつけた男が笑顔満載で立っていた。

「銀河大百科辞典特派員のダグラス山田です。銀河大百科辞典の押し売りにまいりました」
「またおまいか。先週買ったばかりじゃねえかよ」
「先週版をさらに改訂いたしましたもので。今週版はモノがまったくもってちがいますですよ、樽の旦那」
「どんなふうにちがうんだよ」
「”生命、宇宙、そして万物森羅万象についての答え”を出すためのお便利ツールが満載です」
「ほんとか?!」
「ほんとですとも!」
「人間が歩く道の数については?」
「ばっちりですよ」

代金の42万ユーロ(フェイク&ギミック/税込み)をブラック・ペニー42シート(すべてミント・コンディション)で支払うと、銀河大百科辞典特派員ダグラス山田は群青色に輝くCD-ROMを差し出した。

真実以外のなにものも語らなくなってしまった男と向かい合って朝食を食べているあいだも、私は「生命、宇宙、そして万物森羅万象についての答え」を求めて大脳辺縁系をフル稼働させていた。答えが出るのはもうすぐだった。

予想通り、今週版の銀河大百科辞典は糞の役にも立たなかった。そのうちラルフ・ネーダーにチクってやるからな! 真実以外のなにものも語らなくなってしまった男はボブ・ディランの『風に吹かれて』をC言語で歌いながら毎分42回の瞬きをしている。煮貝とイカ入り揚げ玉とタマネギの味噌汁の朝食を終え、デザートがわりにナシゴレンを食べていると真実以外のなにものも語らなくなってしまった男が突然叫んだ。

「42! なんだかわからんけど、とにかく42!」
「54じゃないのか?」
「ちがう。42」

グーグルの検索窓に「生命、宇宙、そして万物森羅万象についての答え」と入力し、エンター・キーを押した。真実以外のなにものも語らなくなってしまった男の言うとおり、答えは「42」だった。私はこれまでの人生で一番深いため息をひとつつき、秋のパリの空の下のカンボン通りの角のタバーのあたりを見下ろした。どうしようもなく虚ろな空色のジタンの空き箱が秋風のヴィオロンのため息に吹き飛ばされていた。

無性に男上手女上手床上手のマーちゃんに会いたかった。会って、その熱くて柔らかくて山百合の匂いのするワギナの中で眠りたかった。しかし、それは無理な相談というものだ。マーちゃんことイトウマサヨはとっくの昔のある日、ある午後、三浦の諸磯海岸の岩陰にひっそりと建つ渚のホテル「風の家」の隣りの「砂の家」の六畳の和室で燃えつきた地図をたよりに方舟さくら丸でユープケッチャしたきり梨の礫の砂の女に捨てられた箱男と浜田山にも池田山にも届くようなヨガリ声を上げながら女ざかりにもほどがある情事に耽っている最中にさよならに乾杯をするいとまもなく腹上死していたからだ。

別れ上手のマーちゃんの最高傑作とも言いうる別れ方だった。これもまた、一種、ハッピーエンドと言えば言えないこともないのだが。

誘惑と嫉妬と数えきれないほどの傷をトッピングしたおいしいパスタ・ホロスコープンネッタ・ジゴローネをいっぱい食べさせてくれるって約束したのに。クレオパトラの夢ではなくクレオソートの夢を、カサノバの溜息ではなくカノッサの屈辱を主題とした世にも短い大長編ハンサムガールズ物語を書いている最中だったのに。三田のコート・ドールでのドロドロポモドーロのムースとエイのきれっぱしと牛のしっぽによるトリロジー・ディナーが終わる頃、「デザートはあなたよ」と4242回も言ってくれたのに。マーちゃんがいなけりゃ、もう二度とル・リキューでの瑠璃と利休のデカダンス・ルネサンスの宴にも守銭奴アイヴァンがダールサキレイ記念週間に催すゼニゲバ・パーティーにも招んでもらえない。

マーちゃん。答えていなかったことにいまこそ答えるよ。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いているときに読む好きなサガンは右サガンだよ。サルトルならロンドン・サルトルだし、カミュならムルソー・カミュだよ。

これでどうかな? マーちゃんに褒めてもらえるかな。またいい子いい子してもらえるかな。六本木糸電話でぐるぐる巻きにして。四谷の聖イグナチオ教会でマリア・テレジアの洗礼を受けて。

c0109850_18411749.jpg

The Sun Goes Down - Level 42
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-11 13:12 | 奇蹟は神のジェスチャーである。 | Trackback | Comments(0)

切り裂きバロウズ#2 プイグのウタダ・オートマティックな取扱説明書男 ── 亡き王女のためのパジーナス

 
c0109850_5585798.jpg

 
J-M-P-Dことプイグのウタダ・オートマティックな取扱説明書男はテーブルにつくなり、「亡き王女のためのパジーナス」と言い、やや間を置いてから、蜘蛛女とベーゼしすぎて赤く腫れた唇をきわめて滑らかに動かして、次の13の文節を立てつづけに発した。

始まりの歴史。ガチョウの紹介。オーロラの伝説。ビリー・ジーンの最期。出会いの時。愛から芸術へ。ヴェーロ・ヴェーロの愛。静寂の徒弟たち。単純にありえること。黄色いページ。真実の愛。繰り返される歌。七つの顔の歌。

これらの13の語にはリタ・ヘイワース色の翼が生えていて、プイグのウタダ・オートマティックな取扱説明書男の蜘蛛女とベーゼしすぎて赤く腫れた唇から吐き出されるや否や嘆きのベルリン天使の恥部に向かって飛び立った。

「さて、そこだ」と切り裂きバロウズが余裕しゃくしゃく(シャクユミコ整形シスギ)で言った。そして、額ポケットからニノチカ色の「グレタ・ガルボオの堀口大學オギノ式眼球」を42個取り出した。「おれは一瞬にしてこの店を椿姫が暗躍するグランド・ホテルに変えることだってできるんだぜ。殺し屋のライフの野郎を使ってな」

まったく、この世界ときた日には、「奥様は顔がふたつ」という寸法だ。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-10 05:58 | 切り裂きバロウズ | Trackback | Comments(0)

切り裂きバロウズ#1

 
c0109850_1426138.jpg

 
Maldición eterna a quien lea estas páginas.
このページを読む者は永遠に呪詛されやがれ。
J-M-P-D

Eternal Loose on the Ripper of These Pages.
このページを切り裂く者は永遠に弛緩しやがれ。
E-M-M


切り裂きバロウズが「裸のランチ会」をしようと言うので、メイン・ディッシュはなにかとたずねた。

「そりゃ、おれたちがこの季節に喰うとなりゃあ、42オンスのTボーン・ステーキをカット・アップしたものだろうさ。レーゼシナリオどおりにな。そうとも。すべてはレーゼシナリオどおりにな」
「だな。あんたの言うとおりだよ、切り裂きバロウズの旦那。で、カット・アップした42オンスのTボーン・ステーキは一体全体どこでありつけるんだ?」
「暗闇坂のてっぺんにある『ラ・セレスティーナ』さ。樽の坊や。だれがなんと言おうと、カット・アップした42オンスのTボーン・ステーキはあの店にかぎる」

早速にわれわれは暗闇坂を登りきったラベンダー畑の中央、眼下に古刹を見下ろすロハス食堂『ラ・セレスティーナ』に向かった。蜘蛛女とベーゼしすぎて唇を赤く腫らしたJ-M-P-Dがやってきたのは、われわれが『ラ・セレスティーナ』に到着して15分ほど経ってからだった。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-09 14:26 | 切り裂きバロウズ | Trackback | Comments(0)

ムッシュウ・ジギー・スターダストからマドモアゼル・フォールドインへ伝言 ── 魅せられし変容

 
c0109850_22563617.jpg
 
友人とのダイアモンド・ドッグファイトが原因で左眼の視力を失ったオッド・アイのぼくは、東京港芝浦沖EMIポイントを出発して事象の水平線を超え、不思議な出来事で満たされた青白い偏屈ディラック海の特異点を目指して全力で泳ぎつづけた。

ぼくは世界に冠たる長距離泳者アランプロポ・シリトーとしての孤独を一身に受けながら、エミール=オーギュスト・シャルティエ氏のユマニテの哀しみを思いながら、さらにはベルヌーイの法則とエアロダイナミクスの冷徹を思い知りながら、ひたすら腕を抜き、脚をフランク・チャックスフィールド法でバタ足金魚させた。時々、マントヴァーニ山の聳えるマウント・バーニーの島影が事象の水平線のあたりに見え隠れした。

オレンジの雨色の桃色豹と原点回帰のために心機一転した1984年カラーの金剛石犬が真平行に並んでデヴィッド・ガアルの『スター・マンボ No. 42』を口ずさみながらずっと尾いてきた。途中から、フランス芸術文化勲章コマンドールをこれ見よがしにぶら下げたブリキ機械を巧妙且つ狡猾に操る未確認飛翔体恐怖症に苦しむ痩せっぽちのうらなりデュークとワン・モア・タイム伯爵とビックリ・ドンキー子爵と逆さま世界を叩き売ったバロン・バンブーウェストこと西竹一男爵が隊列に加わった。

メリークリスマスの戦場に出兵中の眠られぬ夜を幾夜も越えたエレファント・マンが隊列に加わるのももうすぐだ。1Q84氏によって恢復不能なほど焼きつくされた象男の「眠られぬ夜」のためにこそローラ・パーマーの最期の7日間はある。そして、ザ・ネクスト・デイにはiTunesどもが蜂起し、アノニマスな叛乱が始まる。

ぼくが泳いでいるあいだ、膝神アツシ=ラ王ランダム・アクセス・メモリー3世はテフロン加工の特許と称賛を歌いつづけた。彼の顔は日輪に向けられ、そのマルファン極大化した腕はたくさんのエシレ無塩バターをかき混ぜた。

無縁社会の到来を告げる実にマッシュアップな光景だった。時間は容赦なく離散しはじめている。それはマルコフ連鎖が始まる予兆でもあった。


ムッシュウ・ジギー・スターダストから伝言
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-08 21:54 | ムッシュウ・ジギーから伝言 | Trackback | Comments(0)

火処ばしる女

 
c0109850_1374452.jpg

 
その昔、横浜の保土ヶ谷駅にほど近い山側に「火戸」あるいは「含所」または「秀所」と呼ばれる集落があって、そこに住まう50がらみの女に逢いにちょくちょく出かけた。吾輩はまだ20代の前半であって精が漲り、迸り出ようとするのを抑えようがなかった。

吾輩は多いときには週に4度も5度も女のところに通い詰め、それこそ朝から晩までどころか翌日までひたすらに女と交わりつづけた。

女は吾輩と出会う1年ほども前に夫を亡くしていて、女盛りの身を持て余す日々を送っていた。女は吾輩を一目見るなり、生唾を飲み込んだ。そして、ただひと言、「したい」と言った。乾くことのない日々の始まりだった。水温む季節さえ炎熱のような乾ききった空気が吹きつけていた。

女があまりに気をやるのと、女の玉門の肥大した陰唇が吾輩の摩羅とともに中に巻きこまれて痛むのでほとほと困り果てた吾輩はいくたりかの「道具」を使う怠惰を犯すようになった。女は初めのうちは悦んでいたけれども、そのうちに吾輩の怠惰、不実を責め立てた。集落の後家のいくたりかと寝たことが女に露見したことで、女の怒りは爆発した。

そして、ついに女の火処が憤怒の炎を噴き出すときがきた。女の火処から熾火のような色をした火焔が噴き上がる態は地獄の業火もかくやとでもいうべきものであった。

女は火焔を吐き出すだけ吐き出すと、さざ波ひとつ立たぬ水面のような褥に長々と伸び、大鼾をかいて寝てしまった。それが生きている女を見た最後だ。そのときに灼けた左肩の焔痕はいまも消えずに残っている。

その後、女はブバカル・トラオレの『マリアマ』がエンドレス・リピートでかかる薄暗く湿った黴臭い部屋で首を吊った。春の盛りのことだ。なぜ女が最後にブバカル・トラオレの『マリアマ』を聴きながら果てたのかは、いまだにわかっていない。

生前、女の口から音楽の話が出たことはないし、女がブバカル・トラオレを知るはずもない。あるいは、ブバカル・トラオレの悲しげな歌声に魅入られでもしたか。謎が解けることは今後もあるまい。


ブバカル・トラオレが「ピエレット。ピエレット。道化。道化」と歌っている。道化た椿事でも起きて世界が一瞬にして滅ぶことを願う春の宵だ。


Mariama - Boubacar Traoré [1990]
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-08 13:08 | 超絶短編・集 | Trackback | Comments(0)

水走る女

 
c0109850_1645968.jpg

 
水走る女は水の神、呪いの神、大蛇(オロチ)、蛟(みずち/みつち)の化身であって、精霊、物の怪、妖怪のたぐいである。水走る女は蜜迸り、滴る女でもある。古事記・日本書紀に弥都波能売神・罔象女神(ミツハノメノカミ)/水波能売命(ミヅハノメノミコト)とある。祖は水のマナの都、任那。

水走る女に名をたずねたら、四方に伸びた紙漉きの手をやすめて、「水沼」と答えたのには大層驚いた。驚いたついでに、刻みあげて水葉や鰆と一緒に鍋にして喰ってしまった。


春はいよいよ盛り、不吉な風がとるろとるろとろりとろりと吹きわたっていく。
 
[PR]
# by enzo_morinari | 2014-05-07 16:45 | 超絶短編・集 | Trackback | Comments(0)