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TOKYO SEEDS/ふたりのSt Patrick's Day 突如、Irish Stepdanceを踊りだす虹子とフィネガンズ・ウェイクを食べた犬

 
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and yes I said yes I will Yes. Molly Bloom

トーキョーが滅んでも『TOKYO SEEDS』があればトーキョーは何度でも再建できる。Enzo Molinari


全身をシャムロック柄のコスチュームで包んだ虹子が突如、Irish Stepdanceを踊りだした。

「どうしたんだよ、急に」
「きょうがふたりのSt Patrick's Dayだからよ」
「3月17日まではまだずいぶん間があるし、第一、おれも虹子ちゃんもキリスト教徒じゃない。虹子ちゃんはともかく、おれは神さまをまったく信じていないしね」
「きょうから神さまを信じるようになるわ。ほら、これでどう?」

虹子はそう言って宙空に浮かび上がり、超高速でIrish Stepdanceを踊りはじめた。世界が緑色一色になった。Quark Birdが3回どころか333X666恒河沙阿僧祇那由多不可思議無量大数回啼いた。

1973年(万延元年)、サミュエル・ベケット級哨戒艦の二番艦ジェイムズ・ジョイス号の甲板で行われたピンボール・フットボールのFPFA World Cup決勝の最中にJJとHCEとALPの三重唱で「クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス!」のTEN-GOKU KARA KAMINARIが聴こえてきて以来、JJのダブリンの巨人と端っこと端っこがくっついたような声が囁いている。「跳べ! 見ても見なくても、見る前でも見た後でも、跳べ! 跳んで跳んで跳びまくれ! 最低でも14回!」と。


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KOFFの月に一度のスペシャル・セールで手に入れた『フィネガンズ・ウェイク』を読むにはうってつけの午後だった。

リラの花影が揺れる窓辺では水曜日の午後の野毛山動物園から飛来した42羽のクォーク鳥たちが「クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス!」と3度鳴き、台所では年老いた大工の棟梁が鉋がけに精を出していて、夜にはセシウムの除染作業中に屋根から転げ落ちて死んだ42年間音信不通の友人の通夜が控えていた。

ラジオからはジョン・ケージの『42歳の春の素敵な未亡人』が聴こえ、死と再生と転落と地獄と天国と覚醒が、これまでに出会い、通りすぎ、背を向け、いつか出会うすべての人々とともに部屋中を舞い踊っていて、おまけに人生はまだ見ぬ世界に向かって静かに進行中だった。それらのすべてが雷鳴とイズラエル・カマカヴィヴォオレが天国で歌う KAMINARI の轟く中で呼応しあい、息吹き、慈しみあっていた。私は人類の意識の流れの終わりなき円環に眼も眩みそうだった。

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Finish Funky&Funny Fink Fish " i "(Illusional Imaginary Number Fish)!
I am a Latex Man, I am Ian Moone, I am no one!
No Pain, No Gain!
Nothing Things!
Empty Humpty Dumpty!
Goddamn City Tokyo!
Aranjuez!
Niggaz4Life!
'S Wonderful Slime Smile Smith!
Wild, Wild West. Will be, Will be!
AK-69 Loves Mike Popcorn & One way, One Mic, One Life!
Kalashnikov AK-47 Killed Trillion People!
End of The World War III!

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「ぼくにも食べさせてよ」と世界にただ一匹のミニチュア・セントバーナード犬、ポルコロッソが言った。尻尾をヘリコプターみたいにぐるぐるまわしている。尻尾の回転速度と表情と息づかいからして、猛烈に『フィネガンズ・ウェイク』に興味があるようだ。

「これは食べ物じゃないよ」と私。
「だって、あんたはすごくしあわせそうじゃないか」
「しあわせそうでも、これは食べ物じゃない。それに、おまえにはまだはやすぎる」
「そんなのずるいや! 自分だけおいしい思いするなんて! ねえねえ、お願いだからぼくにもおくれってば!」

私は商店主のハンフリー・チップデン・エアウィッカーが法廷で相手方の木偶の坊弁護士から雨の休日の過ごし方について実に間の抜けた尋問を受ける場面のページをポルコロッソの鼻っつらに押しつけた。ポルコロッソは鼻をくんくん鳴らし、上目づかいで私を見てからぺろりと『フィネガンズ・ウェイク』の420ページをなめた。

「まずっ! ひどいや!」
「だから言ったじゃないか」
「でも、なにか裏がありそうだな」
「裏なんかないって」
「いや、あんたはいままでにぼくを4242回だましてきたからな。けさは春巻きの皮しかくれなかったし」
「きのうはピーナッツを42粒もあげたぜ」
「おかげでゲリゲリピーピーピーナッツだ」
「わかったよ。これはおまえにあげるよ。そのかわり、だいじにしてくれよな。気がすんだら返してもらいたいし」
私は『フィネガンズ・ウェイク』をポルコロッソの寝床であるホットマンのターコイズ・ブルーのタオルケットの上にそっと置いた。

ポルコロッソは『フィネガンズ・ウェイク』にぴったりと寄り添い、満足そうに眠りについた。そして、目を覚ますたびに1ページずつ『フィネガンズ・ウェイク』を食べた。

ポルコロッソが『フィネガンズ・ウェイク』を平らげたら、次は『ユリシーズ』、その次は『失われた時を求めて』をあげることにしよう。

イーリアス』と『オデュッセイア』と『プルターク英雄伝』と『パイドン』と『聖書』と『神曲』と『無限・宇宙・諸世界について』と『地獄の季節』とー(θ)ー『虹のコヨーテ』と『アノニマス・ガーデン』とー(Ω)ー『精神現象学』と『純粋理性批判』と『悦ばしき知識』と『善悪の彼岸』と『ツァラトゥストラかく語りき』と『カラマーゾフの兄弟』と『罪と罰』と『悪霊』と『ディヴィッド・コパフィールド』と『森の生活』と『老人と海』とー(Φ)ー『堕落論』と『山羊の歌』と『在りし日の歌』と『異邦人』と『シジフォスの神話』と『存在と時間』と『存在と無』と『グレート・ギャツビー』と『長いさよなら』と『路上』と『悲しき熱帯』と『言葉と物』と『グラマトロジーについて』と『重力の虹』と『ライ麦畑のキャッチャー』とー(Ψ)ー『共同幻想論』と『死霊』と『豊饒の海』と『断層図鑑殺人事件』と『骰子一擲』と『半獣神の午後』と『変身』と『文学空間』と『期待/忘却』と『スローターハウス5』と『ニューロマンサー』と『セヴンティーン』と『政治少年死す』と『同時代ゲーム』と『万延元年のフットボール』と『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』と『ガルガンチュアとパンタグリュエル』もあげよう。

すべてを食べ終えたとき、ポルコロッソは世界で一番あごが丈夫で、イデアでプラトニックでロゴスでミュトスでエロスでタナトスでモダンでコスモポリタンでルネサンスで海とつがった太陽で砂漠の商人でオー・マイ・ゴッドでエトランジェーでフィロソフィーでベグリッフェンでニヒルでスーパーマンでルサンチマンでアナーキーでエッケ・ホモでラスコーリニコフでエコロジーでファンキーでタフでクールでハードボイルドでイノセントでヒップでフラップでプライベート・アイズでプル・ソワでアンガージュマンでエピステーメーでパラダイム・シフトでイグジスタンスでデコンストリュクシオンでディセミナシオンでモヒートで無頼で汚れっちまった悲しみで茶色い戦争でチューヤでビートニクでポップでデオキシリボヌクレイック・アシッドで逆立で黙狂で虚體で憂国であっはでぷふいでポスト・モダンでニューエイジでサイバーパンクでスラップ・スティックでサンボリスムでアノニマスでスコールで想像力と数百円でジャギュアでスパゲティ・バジリコでちょっとマドレーヌな犬になっているにちがいない。

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ポルコロッソに負けてはいられない。本を読もう。もっともっと本を読もう。もっと勉強しよう。もっと映画をみて、もっと音楽を聴いて、もっと自転車に乗って、もっと散歩をして、もっとおいしいものを食べて、もっと世界とコミットメントしよう。

Life is a work in progress. 人生は進行中なんだ。ポルコロッソも同じ意見らしい。ブーブーブーと鼻を鳴らしている。

ブーブーブー。ブーブーブー。BOO-BOO-BOO. BOO-BOO-BOO.


BOO
 



Irish Jig Music: Best of Irish Jig Music Fast for Dance (Traditional with Fiddle)
 
by enzo_morinari | 2019-11-30 20:17 | TOKYO SEEDS | Trackback | Comments(0)

死は敗北ではない。And So, No Music, No Life./死んで8年4ヶ月が過ぎて中村とうように言いたいこと。

 
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No Music, No Life. E-M-M

人は死ぬ。だが、死は敗北ではない。E-M-H


1980年代の一時期、中村とうように私淑していた。議論した。激論した。談論風発した。肉体言語闘争した。酒池肉林した。たのしかった。ムカついた。貸し借りでいうならば、借り方のほうが多い。

中村とうようは東日本大震災、福島の原発大災害が起こった年の夏にダイブし、みずから命を絶った。疾走する精神/高速リズム・マシーンは動きを止めた。

中村とうようが死んで悲しかったかと問われれば、眉ひとつ動かさずに悲しくないと答え、だれもいない世界の果てで塩味ダイヤモンドをひと粒こぼした。酒も浴びた。

中村とうようが死んで8年4ヶ月が過ぎ、世の中は中村とうようのことを露ほど毛ほどもおぼえておらず、思い出しもしないことが確認できた。だから、言う。中村とうように言いたいことはただひとつだ。死は敗北ではない。

中村とうようが生きていようが生きていまいが、No Music, No Life.であることは変わらない。

湯川れい子のCUSO BBAはA( )Cのスッカンカン素寒貧の勘ちがい木偶の坊である。大昔から変わらない。中村とうようもHAGE-DOWのはずだ。
 
by enzo_morinari | 2019-11-29 22:20 | 死は敗北ではない。 | Trackback | Comments(0)

海辺の墓地/海を眺め、母と死を思う場所。プーラールおっかあのスフレリーヌのために。

 
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La Mer, La Mère, La Mort.
Pour la soufflérine de la mère Poulard.


Ce toit tranquille, où marchent des colombes,
Entre les pins palpite, entre les tombes;
Midi le juste y compose de feux
La mer, la mer, toujours recommencée !
Ô récompense après une pensée
Qu'un long regard sur le calme des dieux !
A-P-T-J Valéry


死せる詩人たちの集まりであるシセル・セシル会の吟遊行でポール・ヴァレリーの墓があるフランス共和国オクシタニー地域圏エロー県モンペリエ郡の海辺の町セットの海辺の墓地を訪ねたときに精神の島は出現した。精神の島は石灰岩と珊瑚でできていて、かたちはバハマのアンドロス島によく似ていた。アンドロス島の縮尺1/50といったところ。

アンドロス島似の島の精神性は特筆すべきものであって、サイズは1/50だが、その理力は50倍どころか100倍あるように感じられた。

われわれはアンドロス島似の島に聖なる精神の島/La Isla Del Espiritu Santoの名を与えた。アンドロジナス島、サントリーニ島とも。彼=彼女はたいそう喜び、翼をバタバタさせた。海を眺め、母と死を思う場所にふさわしい出来事だった。

昼めしはプーラールおっかあのスフレリーヌをバケツ1杯ずつ食べた。モン・サン=ミシェルの島影でプーラールおっかあが大きなフライパンをふりまわしながら笑っていた。竹鶴の空き瓶からうなだれたブルームーン・シクラメンが顔をのぞかせていた。鳥井三兄弟には困ったものだと思った。サントリーニ島から二羽のアンドロジナス鳥が飛来するのはもうすぐだ。


Le cimetière marin - Paul Valéry (1920)
海辺の休暇 (物語をきかせて) - Stacey Kent
 
by enzo_morinari | 2019-11-28 19:30 | 海辺の墓地、海を眺める場所。 | Trackback | Comments(0)

海辺のバルト、海辺の休暇/1980年3月26日水曜日の零度のエクリチュールの作者の死あるいは1975年のドーナツ世界の歩き方と若干の準備運動

 
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零度のエクリチュールの快楽の海で耽溺死しろ。Enzo Molinari

Le Degré Zéro de l'Écriture * La mort de l’Auteur * Qu'est-ce qu'un Auteur? R-B * P-M-F

物語の作者は彼あるいは彼女の物語の解釈を決める最高権威=神ではない。R-B

村上春樹の作品は村上春樹ことウガンダ系日本人であるハルキンボ・ムラカーミの挫折のことであり、バンクシーの作品とはネズミ頭のバンクシーの狂気である。R-S

テクスト/作品とは様々なる意匠の縦糸横糸によって編まれた多元的文化的な織物であり、引用物である。それをときほぐし、解読するのは読者である。読者にはテクストの快楽を追求しつづける責務がある。R-B

トーキョーはつねに肥大しつづけ、発狂しつづけ、すべてを飲みこみつづけるメガ・ドーナツ・シティである。その中心は不変にして普遍の空虚で満たされている。R-B

ドーナツ屋は駅のそば屋の裏手にある。その事態を成り立たせているものこそが消費社会の神話と構造/La Société de Consommationである。J-B

ドーナツの中心の空虚はわが存在の多義性を象徴する。ある1975年世界的オールド・ファッションドのドーナツ


1980年3月26日水曜日に零度のエクリチュールの作者が頓死して以来、1975年のドーナツ世界を歩くための若干の準備運動はコレージュ・ド・フランス1971年のOpus Oneとエコール・ノルマル・シューペリウール1958年を惜しみなく痛飲してから幕をあける。シルトの岸辺/スミダの岸辺/夜の果ての旅を経て時間が失われても、海辺のバルトの愛と休暇は奪われない。ミシェル・ポルナレフは西アフリカの海で獲れたメルルーサの揚げ物のようにメルドーだ。

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われら、死の半ばにありて。
Media vita in morte sumus.


母なる海と死と。
La mer, une mère et la mort.


風がでてきたぞ! 疾風のように生きるぞ! P-V

死につづけるのは死んでからでいい。長く退屈な時間だ。E-M-M

死を考えるのは死んでからでいい。時間はたっぷりある。E-M-M

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こどもの頃から親しみを感じていた海辺の町の海辺の墓地が改葬されることを知り、失われる前に別れを告げることにした。深い闇に閉ざされた自分の部屋から出るのは4242日ぶりだった。

11年と227日。憤怒と憎悪と煉獄の日々。失われた時間を探し求める日々。耳元でクオーク鳥が絶えず鳴きつづけ、青山墓地B地区9696のユリシーズ部屋で行われた無限級数梯子から転落して死んだ運命大工のフィネガンの通夜の席で突如として姿を消したきり消息不明のFinnegans Wakeのアポストロフィ問題に苛立つ日々。

海辺の墓地は風が強かった。ふと「海辺の休暇」と思った。ひとしきり風に吹かれていた。風は泣いていた。ウォーンウォーンと。ゴーゴーゴーと。ゆあーん ゆよーん ゆやゆよんと。砂漠を吹きぬける風のようにエリ・エリ・レマ・サバクタニと。風は泣きながら叫びながら踊っていた。ならず者の南から来た男を乗せて。Ride like the wind. Le vent se lève, il faut tenter de vivre.


世界を計測するのに必要なのは方法である。P-V


100年前から細部に宿った神をどやしつけつづけた男は海辺の町の海辺の墓地の一番見晴らしのいい場所に立ちつくしている。

「風がでてきたぞ! 疾風のように生きるんだぞ!」

男は傲然と轟然たる咆哮を発した。男のかたわらには方法の学校の初代校長テスト氏が知性の偶像以外のすべてを拒否しながら立っている。

海辺の墓地の一番見晴らしのいい場所から海を臨むと、精神の島が仄あかるく揺れていた。精神の島はときどき有機的な点=尖光/ホワイトヘッド・フラッシュを放って私を威嚇した。

深い闇に閉ざされた自分の部屋/知の胎内に籠城するまで、私は動機の文法を確立するために前人未踏の思索に耽っていた。

私は主に社会や人間の可塑性、知のクーデタについて考えていた。そして、その方法のひとつとして無名会社/匿名会社/Société Anonymeという名の株式会社組織を設立し、世界の分裂生成を企図した。

その頃の私にとっては視えない自由を視えない銃で撃ちぬくことが大きな課題だった。そのような日々がもたらしたのは精神の均衡の崩壊だった。精神と精神のあいだに立ちはだかる永劫の壁が音もなく崩れていった。私の精神には精神の島が不吉で不道徳で不安定で不定形で不均衡な島影をみせていた。精神の島は銀河団を飲みこむほどの強度と明晰を持っているように思われた。

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風が泣いている - ザ・スパイダース (1967)
Ride Like The Wind - Christopher Cross
Les Vacances au Bord de La Mer (Raconte-moi) - Stacey Kent
 
by enzo_morinari | 2019-11-27 23:21 | 海辺のバルト、海辺の休暇 | Trackback | Comments(0)

思い出は琥珀色に染まりゆく。/ずっと昔に忘れていた甘く切なくなつかしい痛みの記憶

 
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思い出は琥珀色に染まりゆく。森鳴燕蔵

なつかしい痛みだわ。ずっと前に忘れていた。Tacassy Mazzy

長い時間をかけて、おたがいが決して他人ではないのだという確認作業をつづける結婚生活はSweetなだけではうまくいかない。ときにはBitterが必要なときもある。つまり、Bitter&Sweet. Enzo Molinari

Jake H.Concepcionのシェイクするフローズン・ダイキリとシンガポール・スリングは彼のサキソフォーンの音色同様に絶品で、人生の日々のSweet Memoriesをよみがえらせる。もちろん、かすかな苦味も。つまり、Bitter&Sweet. ディズニーランドとスカイツリーとÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食だけではいい人生は手に入れられないのだということも。JHCの古い友人


もう36年も経っていたか。Sweet Memories. SUNTORY Penguin's Bar CM. 1983年。

古い友人の結婚披露パーティーで「人生は、そして、長い時間をかけておたがいが決して他人ではないのだという確認作業をつづける結婚生活はSweetなだけではうまくいかない。ときにはBitterが必要なときもある。つまり、Bitter&Sweet. 人生の墓場に入定せんとする古い友人であるきみに捧げる。」と前置きしてAlto SaxphoneでSweet Memoriesを吹いた。ざわついていた会場は2小節が終わる頃には水を打ったように静まりかえり、ついにはあちらこちらからすすり泣きが聴こえた。

パーティー後、若いおねいちゃんたちに電話番号をきかれたが、「電話料金滞納中で電話は使えない」と言って教えなかった。教えなかったけれどもテイクアウトはした。据え膳食わぬは男のバツサンである。KALDIのHASSANは使いまわしがいいが、4度目の人生のセメタリー・ライフは細々とつづいている。おたがいが他人ではないのだという確認作業は最近完了した。いい人生だったと言えないこともない。後悔はないかと問われれば、あると思い、ないと答える。それが流儀あるいは遊戯乃至は矜恃である。

若かった。だれもが若かった。若く、恋をし、傷つき、なつかしい痛みをかかえていた。

失われた愛と時間と記憶。過ぎた日々、遠く去った季節をとりもどすことはできない。しかし、いくぶんかの痛みをともないはしても、胸の片隅に残っているSweet Memoriesは色あせることなく何度でもよみがえる。そのようにして、ひとは成熟していく。喪失と成熟はコインの裏表だ。

ただし、いくつの季節がめぐり、時間が経過してもしなくても、甘い記憶や苦い記憶や遠い記憶や痛みをともなう記憶がよみがえっても、SUNTORYのビールはいただけない。まちがっても、”泣かせる味”ではない。泣かせる味じゃん? 所ジョージはウソをついている。

村さ来で注文を取りにきたアルバイトの女の子に「ビール、ジャンジャン1本」と言ったら、その女の子は即座にゲラ子に変身し、短期間だが、私といくつかのSweet Memoriesをつくった。痛みをともなわない苦味もない他愛ないたいして甘くもない記憶だ。

女の子の名はヨネ子。そこかよっ! 松尾嘉代は好きだ。イロエロとお世話になった。お世話もした。彼女が2011年の春の悲劇以降、心身ともに困憊して現在に至っているいまこそは、物心ともに心をこめてお世話したい。それが一時期とはいえSweet Memoriesをともにつむいだ者の最低限の仁義である。


*asのソロはJake H.Concepcion. 2017年にマニラのSmoky Mountainの煙りとともに天に召された。心にしみるいい音色を出すサックス・プレイヤーだった。Jake H.Concepcionのシェイクするフローズン・ダイキリとシンガポール・スリングはサキソフォーンの音色同様に絶品で、人生の日々のSweet Memoriesをよみがえらせる。思い出は遠い日の花火ではない。


Sweet Memories - Lady X (Seiko Matsuda) (SUNTORY Penguin's Bar CM/1983)
 
by enzo_morinari | 2019-11-26 20:19 | 思い出は琥珀色になってゆく。 | Trackback | Comments(0)

冷たい小糠雨の中の仔犬 ── 宇宙万物森羅万象に多情多恨たれ

 
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思い出は琥珀色に染まりゆく。森鳴燕蔵
人間らしくやりたいな。人間なんだからな。KAITA-KAKEN
いろんな命が生きているんだな。元気で。とりあえず元気で。みんな元気で。ずっと元気で。仲畑貴志
世界を貪り読め。読みつくせ。耳を攲てろ。眼を見開いたまま眠れ。森羅万象に多情多恨たれ。KAITA-KAKEN


1981年晩秋。青葉繁れる日々はとうに終りを告げていて、永遠などないと思い知りながら、ワイオミング・スイカを貪り喰いながら、街を、世界を、ビロード地下帝国のワイルド・サイドをほっつき歩いていた。

スパゲティ・バジリコでも25メートルプール1杯分のビールでも床一面に5cmの厚さで敷きつめられた南京豆の殻でも心と魂は満たされず、水晶とは似ても似つかぬ鉛色の世界が広がっていた。「ジョシダイセー」なる珍妙奇妙奇天烈なイキモノが肩で風を切ってのさばり歩いていた。

冷たい小糠雨が降りしきる週末の夕暮れの青山通り。1本の路地から茶色と白のブチの仔犬が顔をのぞかせた。ボクサー犬かジャックラッセル・テリアか。生後半年ほどでもあったか。

仔犬は車と人と雨とでざわめき立つ夕闇迫る混乱の大通りを前にあたりを落ちつきなく見まわし、小刻みに震えていた。その表情は不安と恐怖で凍りつく寸前であるように思われた。

どこからともなく晩鐘が聴こえてきた。善光寺の晩鐘だったか。仔犬は傘をさして猛スピードで買い物かご付き自転車を走らせるクソばばあに轢かれそうになる。クソばばあを引きずり倒してぶん殴ってやりたかった。しかし、夕暮れの雑踏と家路を急ぐ大衆どもは仔犬には目もくれず、無関心そのものだ。それどころか、仔犬を食い殺そうとでも言いたげなほどに残酷だった。私もそのうちの一人だった。

小さな命が抱える冥さに目もくらみそうになる。そして、その小さな命に待ち受ける孤独と困難と困憊にも。

仔犬に微笑みかけることしかできなかった。それだけが、そのときの私にできることだった。ほかにはなにもない。彼を抱きしめ、あたため、連れて帰りたかったが、すべての事情を勘案した結果、それはゆるされなかった。だが、それは言い訳だ。愚にもつかぬ言い訳にすぎないと今にして思う。仔犬はどんなにか寒く、ひもじく、凍え、心細かったろうかと思う。しかし、重要なのは言葉の数ではない。言葉の巧みさでも美しさでもない。言葉ではない。

当然に、仔犬のその後の日々がどうなったかはわからない。そして、40年近い歳月の流れ。40年近くの時間を経ても凍えるような喪失のかなしみ、痛みをともなった喪失感がある。

あのとき、あの仔犬をふところに抱きしめていれば。あのとき、あの仔犬を一瞬でもいいからあたためていれば。あのとき、あの仔犬にひと晩の宿りとわずかの糧とを与えていれば ── 。そのことによって失うものなどなにもなかったのに、そして、そのことによってもっとたいせつであたたかくて深いものを手に入れられたはずなのにできなかった。いや、できなかったのではない。しなかったのだ。

そのあいだに、街からも人間からも「貌」が失われた。のっぺりとした記号だけが無目的/無感動に徘徊している。「すごい」をいつ果てるとも知れずに連発しながら(「すごい」は形容詞だ! 形容詞で形容詞と副詞を修飾するな!)。

子守唄がわりに『Metal Machine Music』を聴かされつづけた赤ん坊どもはいまやアヒルに毛の生えたようなニヒリストとして無限大の幻影を夢みる日々を生きている。彼奴らをみていれば、そう遠くない将来、近々、「世界の終り」がやってくるのはまちがいないとわかる。救いはソニーロリンズ・ベイビー島の人々が青と黒のクセノフォンの巨人の夢を見つづけていることだけだ。

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雨と子犬(SUNTORY トリスCM/仲畑貴志企画)
琥珀色の日々(雨と子犬) - 菅原進
夜が来る - 小林亜星
 
by enzo_morinari | 2019-11-25 17:06 | 冷たい小糠雨の中の仔犬 | Trackback | Comments(0)

Skid Roadのうた/山谷ブルースが消えていく…。

 
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Do Da Damn Thang! Enzo Molinari

ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ。S-F

立ちん坊人生味なもの。通天閣さえ立ちん坊さ。三音英次

人は山谷を悪く言う。だけど俺たちいなくなりゃビルも道路もできゃしねえ。岡林信康

竹田の子守唄、チューリップのアップリケ、山谷ブルース、釜ヶ崎人情。そして、すべては終わりぬ。魂に楔を打ちこみたいときに繰り返し聴く。森鳴燕蔵

その昔、『竹田の子守唄』を歌っていた赤いチューリップのアップリケがついたスカートを穿いた女の子はいまでは泪橋を渡って橋のない川のほとりで『山谷ブルース』を歌って泣きながら酔いどれる。


20代の半ば頃。山谷、釜ヶ崎、寿町に3ヶ月くらいずつ暮らした。

日本の西部/Skid Row/ドヤ街。日雇い労働も経験した。ツルハシとスコップをふるい、疲れ果て、飲んだくれ、バカっぱなしをし、取っ組み合い殴り合いのケンカをし、なにも残らなかった。左の顎の下にナイフで抉られた疵痕が残ったくらいだ。立ちん坊人生が味なものだと気づくには若すぎた。

小学校5年生の秋に岡林信康の『山谷ブルース』を聴いてからだがふるえるほどの衝撃を受けて以来、いつかは山谷で暮らしたいと思っていた。

中学生となり、高校生となり、大学生となって、地元横浜の寿町、大阪西成の釜ヶ崎の成り立ちや意味や歴史を知ってそれらの街で暮らしたいという気持ちはいよいよ強くなった。そして、実現した。

山谷/釜ヶ崎/寿町暮らしを通じてわかったのは「どうにもならないこと」「抜けだせないこと」「脱出不能」があるという厳然とした事実だった。きれいごとはもちろんのこと、善意では回収できない生々しいリアルがあるのだと。

竹田の子守唄、チューリップのアップリケ、山谷ブルース。そして、釜ヶ崎人情。さらには、スティーブン・フォスターのすべては終わりぬ/Hard Times Come Again No More. 心と魂に楔を打ちこみ、鞭をくれてやりたいときに繰り返し繰り返し聴く。聴きつづける。そのたびに、ÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝めしやスカイツリーやディズニーランドやクリスマスやヴァレンタイン・デイやハロウィーンやハッピー・ニューイヤーのお祭り騒ぎバカ騒ぎ空騒ぎや仲良しごっこでは決して回収することのできない強固巨大な岩盤岩塊があることを思い知る。

だれだって、ひもじい思いも凍える思いもうだるような思いもみすぼらしい思いもみじめな思いもしたくない。したくないに決まってる。したいはずがない。だが ──。

ひもじい思い、凍える思い、うだるような思い、みすぼらしい思い、みじめな思いをしているから不幸か? 飢えて、凍え、スミロドン(サーベルタイガー)やホラアナハイエナやショートフェイスベアやダイアウルフに追われ、マンモスや鹿やイノシシを追いかけ、木の実をひろって食べ、着の身着のままその日暮らしをしていたわれわれの先祖は不幸か? そうではあるまい。その先の答えをみつけたいがみつかるまい。どうにもならないこともある。

そもそも、答えなんかありゃしねえ。いいさ。いいさ。山谷の立ちん坊。世間恨んでなんになる。あとは焼酎をあおるだけ。どうせ。どうせ。山谷のドヤ住まい。ほかにやることありゃしねえ。だれもわかっちゃくれねえか…。


すべては終わりぬ/Hard Times Come Again No More written by Stephen Foster

1.
Let us pause in life's pleasures/人生の歓びのさなかにあってもひととき立ち止まり
and count its many tears,/流されたたくさんの涙の数をかぞえよう
While we all sup sorrow with the poor;/晩ごはんのあいだ、貧しき人々と悲しみをともにしよう
There's a song that will linger forever in our ears;/永遠にわたしたちの耳に鳴り響く歌がある
Oh, Hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

2.
While we seek mirth and beauty/わたしたちが享楽や美女を追いかけまわしているあいだも
and music light and gay,/陽気な音楽を求めているあいだにも
There are frail forms fainting at the door;/小屋の扉のまわりでは疲れ果てた人々が倒れかけている
Though their voices are silent, /かれらの声は沈黙に支配されているけれども
their pleading looks will say/かれらの訴えかけるような眼差しは言っている
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

3.
There's a pale drooping maiden/蒼い翳を宿した顔をうなだれている娘がいる
who toils her life away,/つらい仕事をずっとつづけ
With a worn heart whose better days are o'er:/たのしかった日々は過ぎ去り、疲れた心を抱えている
Though her voice would be merry, /彼女の声が明るくあればいいと思うけれども
'tis sighing all the day,/彼女は人生の日々にため息をついている
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

4.
Tis a sigh that is wafted across the troubled wave,/荒波の彼方から漂ってくるのは深々としたため息
Tis a wail that is heard upon the shore/岸辺に聴こえるのは嘆き悲しむ人の声
Tis a dirge that is murmured/つぶやくように死者を悼む哀歌が
around the lowly grave/墓場のあたりから聴こえてくる
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

Skid Roadのうた/山谷ブルースが消えていく…。_c0109850_08343947.jpg

チューリップのアップリケ 岡林信康 (1968)
山谷ブルース 岡林信康 (私を断罪せよ/1969)
吉幾三 山谷ブルース (昭和43年)
竹田の子守唄 赤い鳥 (1969)
釜ヶ崎人情 三音英次 (1967)
Hard Times Come Again No More - Mavis Staples
 
by enzo_morinari | 2019-11-25 04:36 | Do Da Damn Thang! | Trackback | Comments(0)

Code Scavenger/ドブさらいはだれかがやらなければならない。

 
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Sous le Pont des Poissonniers, Paris 18, mars 2017


人は山谷を悪く言う。だけど俺たちいなくなりゃビルも道路もできゃしねえ。Nobu-Yassy Okaba-Yassy

松濤のめし屋がどうたらこうたら、京都の老舗のバカ菓子が滑った転んだとぶっこいているSka Anal BBAはScavenger Cityで1回死んどけ!


ScavengerをWaste Pickerと言い換えたところで、廃棄物も貧困も差別/被差別の構造もなくなりはしない。隠蔽という新しいゴミが増えるだけである。

Slum. スラム。貧民窟。退廃地区。山谷、寿町、釜ヶ崎が天国極楽に思えてくる場所が世界にはゴマンとある。

Slumで画像検索すると22,000,000件がヒットする。そこにはリアルな貧困と困憊と窮乏のかたちの一端がみてとれる。

世界中でスラム化は加速度的に進行している。2030年には世界のスラム住民は20億人を突破する。もう、だれにも、なにごとをもってしても、その事態、流れは止められない。

このリアルを前にして、20110311と20110314の震災と原発事故後、故郷/Home Townを追われたままの者について見て見ぬふり、聞いて聞こえぬふりを決めこんで喰らうバカめし、罰当たりめしはうまいか? ÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンはおセレブ感たっぷりにうまいのか? 暖炉は暖かいか? 暖炉の薪がパチパチ爆ぜる音を聴きながら飲むCafé au laitはうまいか? 馬子にも衣装で着飾るのはたのしいか? 暮らし、ライフ・スタイル自慢はゴキゲンか? 反吐が出る。カーッ(゚Д゚≡゚д゚)、ペッ ( ゚д゚)、ペッ


山谷ブルース 岡林信康
釜ヶ崎人情 三音英次
Ska Music
Scavengers of the Savannah (Wildlife Documentary)
 
by enzo_morinari | 2019-11-24 20:00 | Code Scavenger | Trackback | Comments(0)

もうじき、お陀仏だ。/あれは幻の風船ガムだったのか?

 
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バナナではない。セックスではない。コケットリーにコケるとコックに響くこともある。Enzo Molinari

踊るアフォに見るアフォ。おなじアフォなら踊らにゃ損々。Bro. A-HORN

Oly Oly Oly Oh! Yely Yely Yely Yeah!
The Up. Town TOKIO, Slummin' Night!
Bro. KORN

足りない頭なら知恵を盗みゃいい。帳尻合わすならウソも必要さ。Bro. KORN

Code Scavenger. 密輸取り締まりのための税関長も腐肉をあさるハイエナやハゲタカも片っ端から資料をあさる学生と下っ端研究者もWaste Pickerも必要だ。ドブさらいはだれかがやらなければならない。Enzo Molinari

リオデジャネイロのファヴェーラ。マニラのスモーキー・マウンテン。ジャカルタの高速道路下のシャンティ・タウン。部外者の生存時間15秒の南ア・ヨハネスブルグのポンテ・シティ・アパートメント。みんなサイコーの遊び場で死に場所だ。Enzo Molinari


かつて、泡劇場の最終幕の最中に風船ガム兄弟という上っ面で上っ調子であさはかでギョーカイ人づら好きの二人組の起こす泡風が瞬間風速100mで吹き荒れた。いくぶんかのFunky&Funnyさには好感が持てた。

Da Bubblegum BrothersのWon't Be Long. その季節のテーマ曲にした。泡の時代、泡劇場で抱えこんだ負の遺産をやりすごし、しのぎ、かいくぐるための風を吹きこんでくれた。

朝から晩まで、Won't Be Longを繰り返し聴きながら、命まではとられまいと腹をくくり、もうじき、お陀仏だ。お迎えはもうすぐだと覚悟を決めた。

あの日々からもう30年が経つ。O-Kay, Won't Be Long. もう、長かねえ。もう、いくらもねえ。もうじき、お陀仏だ。お迎えはもうすぐだ。そう思い、つぶやき、生きている。死ぬまで、いや、死んでもFunky&Funnyであるために。

Oly Oly Oly Oh! Yely Yely Yely Yeah!


Won't Be Long - Da Bubblegum Brothers (1990)
 
by enzo_morinari | 2019-11-23 19:10 | もうじき、お陀仏だ。 | Trackback | Comments(0)

ひこうき雲は高すぎて、ジャコビニ彗星は遥かに遠く、海を見ていた午後はおぼろげにかすんで、後悔だらけの航海日誌のための空と海の輝きに向けた航海は始まっていなかった。

 
ひこうき雲は高すぎて、ジャコビニ彗星は遥かに遠く、海を見ていた午後はおぼろげにかすんで、後悔だらけの航海日誌のための空と海の輝きに向けた航海は始まっていなかった。_c0109850_21154490.jpg
ひこうき雲は高すぎて、ジャコビニ彗星は遥かに遠く、海を見ていた午後はおぼろげにかすんで、後悔だらけの航海日誌のための空と海の輝きに向けた航海は始まっていなかった。_c0109850_21160084.jpg

かつて、青い三角定規では計測できない季節があった。


1973年の夏。日曜夜8時の作り物の青春時間では回収できない日々。『夏の光の中で』という名の不思議な風に吹かれた。風の元は風コーラス団。

あれは幻の風だったのか?


太陽がくれた季節 青い三角定規 (1972)
夏の光の中で 風コーラス団 (1973)
 
by enzo_morinari | 2019-11-23 01:15 | 青い三角定規では計測できない季節 | Trackback | Comments(0)