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<   2019年 08月 ( 66 )   > この月の画像一覧

トーキョー・ゲリラ戦のためのノート/『都市の論理』に基づくトーキョー・ゲリラ戦のための軍事訓練は滞りなく終わった。

 
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『都市の論理』に基づくトーキョー・ゲリラ戦のための軍事訓練は滞りなく終わった。考える樹木の代理人を標榜する自由記号団団長のクジラ・イザナイはありとあらゆるハチドリの声を聴きわけ、サボテンミソサザイの囀りを寸分たがわずに再現する。戦いの最後には「一切滞りなし!」とドレッドノート号砲のような叫びをあげる。

クジラ・イザナイはセンダイムシクイをひと飲みにしてから、ニダキムティイスミダ世界からコーシューゼンを呼び寄せた。天下囃屋泰平煉獄の乱の火蓋が切って落とされるのは週明けのことだ。『都市の論理』に基づいて引き剥がされた麴町大通りのアスファルトは麹町警察署の前に堆く積み上げられている。夜明けは遠いが、夏戦争に勝利してモロトフ・カクテルで祝杯を上げ、モロトフのパン籠に盛られたパン・ド・フラムを平らげる日は近い。

洪水はわが魂に及ぶのか? 洪、邪魔か? ホンジャマか? ホンじゃま、ソーユーことで。アホダラキョウ。アホンダラ。ホンダラケ。
 
by enzo_morinari | 2019-08-09 21:14 | トーキョー・ゲリラ戦のためのノート | Trackback | Comments(0)

帰化人間キカニダー/日本と日本人が大嫌いなバカ丸出しガキ丸出しの幼児性愛者性犯罪者腐れ下衆外道火病耄碌ジジイは日本に帰化して帰化人間キカニダーとなり、有楽町の交通会館で旅券申請する。

 
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Aujourd’hui, maman est morte.
C'était à cause du soleil. Meursault


日本と日本人が大嫌いな、しかし、通ぶり、趣味人を装うために歌舞伎と能と落語にせしめた年金を費やすバカ丸出しガキ丸出しの盗撮魔幼児性愛者性犯罪者腐れ下衆外道火病耄碌ジジイは日本に帰化して帰化人間キカニダーとなり、有楽町の交通会館で旅券申請する。ただし、特殊要注意要監視対象者指定付きである。


異邦人 久保田早紀 (1979)
 
by enzo_morinari | 2019-08-09 16:18 | 帰化人間キカニダー | Trackback | Comments(0)

Vagabond Tours/青い放浪靴を履いて。TeamstersとNYからLAまでアメリカ横断4242kmの旅をして。

 
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ヴァガボンド・シューズが知らない世界に迷いこみたがってるんだ。放浪しろ、彷徨えと誘うんだ。眠らない街、ニューヨークよ、ニューヨークよ。F-E


1979年の夏だった。20歳だった。前の年に、人生に追い越し車線はないことを学んだ。人生からチェックアウトする方法を探していた。街のいたるところでThe Eaglesの”Hotel California”が聴こえていた。うんざりして街を出た。たどり着いたのはNew Yorkだった。泥だらけであちこちほつれ破れた青いVagabond Shoesを履いていた。そして、ウィリアムズバーグ橋のたもとのTeamstersの溜まり場でOnce Upon a Time in America世界から抜けだしてきた全身ガソリンまみれのJames Riddle "Jimmy" Hoffaと出会った。NYからLAまでのVagabond Toursのはじまりだった。


NYのつぶれかけていた小さな会社の最後のメッセージ
あなたの人生です。好きなことを好きなだけやりなさい。
なにか気に入らないことがあるなら変えなさい。
今の仕事が気に入らないならやめてしまいなさい。
時間が足りないというならテレビを見るのをやめなさい。
愛する者を探しているのならやめなさい。
愛する者はあなたが自分の本当に好きなことを始めたときに現れます。
考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。感動はすべて美しい。
食事をひと口ひと口よく噛みしめなさい。
新しいことや人々との出会いに心を腕を、そしてハートを開きなさい。
私たちは多様性で結びついているのです。
自分のまわりの人々になにに情熱を傾けているかをたずねなさい。
そして、彼らにあなたの夢を語りなさい。
たくさん旅をしなさい。道に迷うことで新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とはあなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作りだすものです。
だから、待っていないでなにかを創造しはじめなさい。

人生は短い。情熱的に自分の夢のために生きなさい。


*NYのつぶれかけていた小さな会社: のちの Push Pin Studios


Frank Sinatra - New York, New York
 
by enzo_morinari | 2019-08-09 10:25 | Vagabond Tours | Trackback | Comments(0)

秋霜烈日/仇討ち やられたらやりかえせ

 
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埼玉少女連続誘拐殺人犯・宮崎勤の死刑が執行されたのは判決確定から2年4ヶ月後のことであった。刑事訴訟法に照らすならば遅きに失すると言わなければならない。

やられたらやりかえせ ── やくざの世界にはそのような不文律がある。昨今の性根の腐った輩どもによる悪行非道を見聞きするにつけ、「やられたらやりかえせ」という単純明快さがやけに説得力をもってくる。

「仇討ち」は国家が殺人を容認したシステムである。武士が「仇討ち」を果たせなかった場合、厳罰をもってのぞむ藩さえあった。原則としては武士階級にのみ「仇討ち」は認められていたが、例外的に一般市民にもゆるされることがあった。古典落語にも『宿屋の仇討ち』『芝居風呂』『花見の仇討ち』『役者息子』など市井の民による仇討ちを題材にした噺がいくつかあるほどだ。

「仇討ち」というと「忠臣蔵」が典型のように思われているが、これは事実誤認である。いわゆる「忠臣蔵」として扱われている美談は被害妄想の愚か者による「いわれなき衝動殺人未遂事件」に端を発しているのであって、巷間伝わるような吉良によるいじめ、仕打ちは客観的事実としてなかったことがあきらかになっている。真に仇討ちを果たすべきは吉良一門なのだ。

吉良上野介は名君の誉れ高く、その行政手腕は抜きんでていた。吉良上野介は浅野内匠頭長矩という「バカ殿」の被害妄想の犠牲者であると言ってよい。天下太平楽気分の時代への警鐘として「忠臣蔵」を読みとるときにはじめて大石内蔵助と幕府の裏の丁々発止がみえてくる。だが、それはまた別の話である。

さて、言うまでもなく、「仇討ち」は現在ではゆるされていない。法治国家という制度に飼いならされているわれわれは自明のこととして「仇討ち」の禁忌を受け入れているが、ことはそれほど単純ではない。「仇討ち」がタブーとされたのはたかだか近代以降100年あまりのことにすぎないのだ。

制度としては禁じられても、文化、あるいは、われわれの感情、心性はこれをすみやかに受け入れてはいない。実際、仇討ち的な殺人はおなじ殺人でも刑事裁判ではおおむね情状酌量による減刑がなされる傾向がある。法定減刑と併せれば執行猶予付き判決がくだされるケースもある。

親子兄弟、夫婦の情愛からほとばしりでた無念の思いを晴らさんがためのやむにやまれぬ行為をだれも裁くことはできない。鬼畜のごときたわけ者に被害者の遺族が一矢を報いたとしてだれもそれを糾弾することはできない。これがわたしの第一の立場である。「復讐の連鎖の不毛」などという青臭いことを持ち出してもわたくしには通用しない。実現の道筋なき絵空事はおとといだかあさってだかの方角にある極楽とんぼ長屋で花見の相談かバカBBQでもしながら議論でも討論でもディベートでも好きなだけやるがよかろう。

すべてのことどもに大切なのは、暮らし、生活実感、生きざまに根ざしたリアリティである。聖人君子づらして「実現の道筋なき空虚な言辞」を弄したければピースボートにでも乗りこんで暢気な船旅をたのしみながら、「アフリカの飢えた子どものために文学はなにをなしうるか?」といったたぐいの極楽とんぼ議論を夜っぴてやるがいい。そのうち、福島瑞穂やら辻元清美やら田嶋陽子やらあたりが歯をむき出しにし、けたたましく首を突っこんでくるにちがいあるまい。壮観である。

さて、わたくしの第二の立場は、第一の立場であってもなお「国家」「秩序」といった否応のない理念を食い破れない以上、その余は実現の道筋なき空虚な言辞にすぎなくなってしまうというものだ。

本来的には国家などないほうがいいに決まっている。しかし、否応なく国家はある。否応なくある国家があからさまになってくるのは秩序を乱したときだ。国家は犯罪を「秩序を乱すもの」としてこれを取り締まる。「暴力装置としての国家」が顔をあらわすときだ。

乱された秩序を回復するために法の名のもとに裁き、刑罰が執行される。弁証法的に言えば刑罰は「止揚」としてこれをとらえることができる。国家となし崩しに契約を結ばされたわれわれは国家による「止揚」に「怨」やら「憤」やらをすべて委ねなくてはならない。しかし、妻、夫、子供、親といった対幻想の領域を国家という共同幻想がなりかわることはできない。

被害者遺族の対幻想を国家が簒奪し、おまけに「被害者の人権侵害」をする構図。それに荷担する夜郎自大なメディア。「加害者の人権」という言葉をこのごろよく耳にするが、お笑いぐさである。

わたくしは罪刑法定主義者ではあるが、それは国家が網をかけている範囲でのことにすぎない。網を逃れる方法はいくらでもあり、いくらでも編みだされる。それもまたひとつのリアリティだ。

「被害者の(もしくは被害者の遺族の)人権」についても言われることが多くなってきた。いずれも、お先棒担ぎの脳天気な夜郎自大メディアがあるいはジャッキをまき、あるいは蹂躙しているのだが、かれらの錦の御旗は唯一、「人権」というメルクマールである。「人権」といえばなんでもまかりとおるという短絡的かつ低次の志がかれらをして大手を振って「人権」を蹂躙させている。もちろん、脳天気メディアに巣くう輩どもはその「皮肉」に気づくはずもないし、気づこうともしない。「品格」とは無縁なかれらに露ほども期待してはならない。

さて、「仇討ち」はどのようにして果たすのか? 仇討ちの場はいくらでもあり、方法もいくらでもある。だが、それを具体的に記すことは法に抵触するのでここではしない。万感の思いをこめて知恵をしぼれば、かならずみつかるとだけ言っておくことにしよう。
 
by enzo_morinari | 2019-08-08 22:46 | 秋霜烈日 | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/無駄に齢を重ね、尻の青味もとれず、経験のけの字も知らない能天気な甘ちゃん極楽とんぼどもの「戦争反対!」「過ちは繰り返さない」にはリアリティがない。

 
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言多きは退くなり/語りつくせぬことについては沈黙せよを百万遍唱えろ。

実現の道筋なき空虚な言説を撒き散らすバカ丸出しガキ丸出し恥知らずの愚か者をデマゴーグという。Demagog Busters

1970年代末、黒い戦争が世界を覆いつくしていた最中、多くのBack Stabbers/裏切り者がどろどろぬるぬるの物質を隠し持っていた。そのどろどろぬるぬるは粘土や泥などの無機物、生物の分泌する粘液などの有機物、またそれらのコンプレックス/コンフュージョンしたものなど実に多様である。

日系佃煮系飴公のマテル佃はこのどろどろぬるぬるマテリアルをスライム/Slimeと名づけ、1977年だけで全世界に約1000万個を売った。大量のスライムは1990年台後半には新種の生物化学兵器の原料に転用された。初期の被害者は安倍晋三と野田佳彦である。二人に共通するケミカル・スライム・ウェポンによるとみられる疫学的症状は顔面土左衛門シンドロームとぬるくビミョーなスライム・スマイルである。


おまえら、戦争行ったことあるのか? 従軍経験は? 前線に身を置いたことは? 核兵器が炸裂するのをじかに目にしたことは? 耳元を銃弾が通りすぎるときの風切り音を聴いたことすらなかろう。泥水を飲んだことも飢餓えたこともひもじい思いをしたことすらも。

ないだろう。あるわけがない。そんなおまえらが大声で「戦争反対!」「過ちは繰り返さない」と叫んでも、わけ知り顔したり顔で能書き御託をならべても、夢の虫/バカなバタフライが甘藍畑をお気楽極楽に翔びまわるように能天気に喋々しても、1mmのリアリティもないし、ひとかけらの説得力もない。絵に描いた餅、ペーパームーン、絵空事だ。バカのひとつおぼえ、金科玉条のように「原爆忌」を持ち出した舌の根も乾かぬうちに大めしバカ酒くらうたわけ者どもが!

世界中に戦争、紛争は山ほどある。行ってこい。行ってじかに見て、聴いて、匂いを嗅いでこい。人体が木っ端微塵になり、肉と髪の毛が焼け焦げる様を音を匂いを。いまも放射線という視えない弾丸が飛びかう福島に住んでみろ。福島はまぎれもない戦場だ。

エアコンの効いた部屋でドビュッシーやらラヴェルやらビゼーやらを聴いて、E. カッシーラーやら三文小説/駄本/愚本/醜本/カビ本/ゴミ本/糞本を読んで、歌舞伎だお能だ落語だと歌舞音曲に血道をあげ、BBQでチーチーパッパラリパッパして御満悦鼻高々酔生夢死極楽とんぼしてるヒマとゼニがあるならよ。「戦争反対!」やら「過ちは繰り返さない」やらの話はそれからだ。

絶対の安全圏に身を置いていながら、きれいごとを100万言費やしたところでどこにも辿り着けないし、答えはなにひとつ出ないということだ。


黒い戦争/War (What Is It Good For?) - Edwin Starr (1970)
 
by enzo_morinari | 2019-08-08 09:00 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

ヘレンの亜麻色の髪を梳いて。/キクラデスの空飛ぶパンと斧といんげん豆

 
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街の中心を南北に縦断するシニフィエ通りと東西に横断するシニフィアン通りの交差点の東向きの角に記号パン屋のSigneはある。


サントリーニ島の断崖の安食堂でスズキの正統ヴィットーレ・カルパッチョを食べ、ウゾを飲みながらデロス島を眺めていた。

アニスの芳香が鼻先で踊った。一瞬、鋭い鉤爪をかざす人喰いの老婆のカリアッハ・ヴェーラが現れ、エーゲ海の真珠をまとった夏の美女に姿を変えた。

無性にアクロポリス・ラリーの情け手加減容赦のないコースをカンパニョーロ・カンピオコルサを装着したMASIの鉄フレームのチクリでアタックしたかった。53-15のギア比で。ケイデンス135 Over/minで。

ふた切れ目のスズキを口にしたとき、突如、ポールモーリアの『エーゲ海の真珠(Penelope "L'eternel Retour”)』が聴こえてきた。そして、あろうことか、キクラデスの空飛ぶパン屋がやってきた。

ギリシア人のキクラデスはとても変わったパンを焼く。「キクラデスの空飛ぶパン」だ。1個420円。ちょっと高い。ぼそぼそしていて味も素っ気もない。だが、よく売れている。1日に200個は売れる。

「キクラデスの空飛ぶパン」が売れる理由は「キクラデスの空飛ぶパン」が本当に空を飛ぶからだ。「キクラデスの空飛ぶパン」は女の子を乗せて麹町警察署まで飛んだこともある。去年のクリスマス・イブのことだ。

街は大騒ぎになった。若葉三丁目の谷底から真っ赤なポルシェ911Sに乗った無愛想きわまりもない白洲次郎が「てめえには手がねえのか!」と怒鳴りながら復活したのちに四谷小学校の校長の座につき、麹町大通りのアスファルトが四谷三丁目から半蔵門までめくれ上がり、日本テレビ西館入口の尊大横柄横着で名高い警備員がBIG-RON似のビリケンさんとBIG JOHNのM1002を履いたえべっさんの2人組に指名打者交代し、ワコールの本社ビルの窓ガラスは1枚残らずドミノ・ピザのクワトロ・フォルマッジFUCXXXXXXLサイズに変わり果て、トーキョー・エフエムはすっかり心を入れ替えて、忌野清志郎の『FM東京おまんこラジオ』をフル・ヴァージョン、無限ループでオン・エアし、元町ユニオンの支援を受けたam/pmが「エーじゃん、ピーじゃん」をキャッチ・フレーズにして無駄な復活を遂げ、丸正四谷総本店店頭では傷ついたエストリルのクリスマローズでできた晴れ着の叩き売りがはじまり、イギリス大使館の正門前では赤いキノコ手芸団団長の愛犬KIPPERがスフィンクス・ダックを頭のてっぺんにかぶってモフモフ・ダンスをはじめるといった具合だ。慌てたサンタ・カロリーナ・クラウスが赤っ鼻のトナカイくんから転げ落ちるほどの騒ぎだった。私はと言えばホイップとホップをまちがえたあげくにステップを空振りし、ガールフレンドに生クリームを全身に塗りたくられ、手形の決済をジャンプされるはめになった。

私は食べ物や乗り物としてよりもインテリアとして「キクラデスの空飛ぶパン」を買う。「キクラデスの空飛ぶパン」は実に造形がいい。「キクラデスの空飛ぶパン」はミニマル・アートみたいだと言ったのは眼球学者のモノリス・メルロー=ポンティ教授である。たしかに「キクラデスの空飛ぶパン」はコンスタンティン・ブランクーシの彫刻にすごく似ているし、キクラデスのパン工房は得体の知れないミニマル・アートだらけだ。まるでアトリエ。とうていパン屋とは思えない。

街の愚にもつかない会合の席で「ペロポンネーソスなんか折れちまえばいい」とキクラデスが吐き捨てるように言ったのがきっかけで私とキクラデスはちょっとだけ仲が良くてちょっとだけ気の合う友人になった。この話は風変わりなギリシャ人と気難しい私と奇妙な空飛ぶパンにまつわるおとぎ話みたいなものになるはずである。エクストラ・ヴァージン・オイルといっしょにキクラデスの空飛ぶパンで作ったブルスケッタを食せば喜びもひとしおというものだ。ただし、翌朝のブルシット事態についての責任は負えない。

自宅前のレッセフェール通りを挟んだ向かい側に『いんげん豆船/Bateaux Haricot』という変わった名前のアパートがある。フランス人の未亡人が経営している古いアパルトマンだ。未亡人の名はレザリコ・レ・アリコさん。いんげん豆の栽培が趣味だ。住んでいるのは全員フランス人である。

フランス人が経営するフランス人だけしか住まない風変わりなアパート。実際、『いんげん豆船/Bateaux Haricot』はフランス人しか借りることができない。不動産屋の浮動小数点さんもそう言っていたし、住宅情報誌にもそう書いてあった。貼り紙もしてある。

フランス人にしか貸さない! カフカ不可! 虫はごめんだ! むざむざザムザに貸すもんか!

貼り紙の文面は過激だがレザリコ・レ・アリコさんはとてもやさしくて上品な御婦人である。旦那さんは去年の春、1924年型ベントレー・ヴァンデン・プラで土砂降りの横浜横須賀道路を走行中に側壁に激突して亡くなった。レザリコ・レ・アリコさんの旦那さんがどこを目指していたのかはいまだにわかっていない。

レザリコ・レ・アリコさんは亡くなった旦那さんのことを「Ma Meilleure Moitié.マ・メイユール・モワティエ。My Better Half」と言う。

「マ・メイユール・モワティエはいつも……」
「マ・メイユール・モワティエはお寝坊さんで……」
「マ・メイユール・モワティエは食べず嫌いで……」
「マ・メイユール・モワティエはお話し好きで……」
「マ・メイユール・モワティエはワインが好きで……」
「マ・メイユール・モワティエは散歩が好きで……」
「マ・メイユール・モワティエは音楽好きで……」
「マ・メイユール・モワティエはお洒落で……」
「マ・メイユール・モワティエは……」

こんな具合だ。レザリコ・レ・アリコさんの「マ・メイユール・モワティエ」にはときどきうんざりさせられるが、すごいオーディオ・システムで好きなだけジャズやクラシックや入手困難なレコードをたくさん聴かせてくれるし、脱法ハーブをふんだんに使ったレザリコ・レ・アリコさん自慢のエクサンプロヴァンス料理は東京中のフレンチ・レストランを探してもみつけることができないくらいおいしいので我慢できる。

レザリコ・レ・アリコさんの料理はおいしいだけではなくて元気になる。幸せも感じる。その幸せの賞味期限はとても短いが幸せは幸せだし、消費者センターに通報するほどではない。

レザリコ・レ・アリコさんの部屋にはレンガを組み上げた手作りの古い暖炉があって、暖炉の両脇にはソナス・ファベールの STRADIVARI Homage がモノリスみたいに聳え立っている。ため息が出るほど美しいローズウッド・キャビネットのスピーカーだ。レコード・プレイヤーはトーレンスのPrestige。マッキントッシュの真空管パワーアンプMC275はウェスターン・エレクトリック社のKT88がチュービングされている。KT88だけで軽く大卒の初任給半年分が吹っ飛ぶ。

さりげなくカミングアウトしておくが、アリコさんの姪のアブリコさんはメットライフ・アリコ生命で働いていて、私と恋愛関係にある。きわめてクリシェな話だが。アブリコさんには夫も三つ子の女の子もいて、コキュどころか、できの悪いコント・ド・コルネットであり、面目もない。コロニアルなスミダの岸辺でコルネットを吹きたい気分だ。

『いんげん豆船/Bateaux Haricot』にはオープン・テラスのようなスペースがある。『いんげん豆船/Bateaux Haricot』の住人でなくても利用できる。四季折々の草花がいつも人々をたのしませている。

『いんげん豆船/Bateaux Haricot』のテラスはいつもやさしく私を迎えてくれる。『いんげん豆船/Bateaux Haricot』の庭には「Eau de vie/生命の水」と名づけられた小さな泉があって、絶えることなく静かに水が湧き出ている。

闇が街を浸食しはじめる頃、Eau de vie/生命の水のあたりから泉ちゃんが現れる。そして、われわれにいろいろな話を聴かせてくれる。ときどき、いたずらもする。泉ちゃんのいたずらは実に他愛のないもので、誰もいやがったりはしない。鼻に指を突っこまれたり、耳にコンパスの針を突き刺されたり、目玉をちろちろと舐められたり、舌の味蕾の数を数えられたりといったていどのことで怒るような者はそもそもこの街に住みつづける資格がないのだ。

泉ちゃんは5歳くらいの女の子だ。泉ちゃんは年をとらない。ずっと5歳のままだ。なぜ泉ちゃんが歳をとらないのかと言えば、泉ちゃんはとっくの昔に死んでいるからだ。言わば、亡霊。幽霊。ゴースト。まあ、この広いル・モンドにはそんなことがあるということだ。。

街の中心を南北に縦断するシニフィエ通りと東西に横断するシニフィアン通りの交差点の東向きの角に記号パン屋のSigneがある。名うてのグラン・パ・ド・ドゥ・パンシェルジュ、キーオ・エスタス・ティーオが腕をふるっている。キクラデスのパン屋のライバルだ。北部エリアの住人はSigneの記号論的言語パンを買い、南部エリアの住人はキクラデスの空飛ぶパンを買うことが暗黙のルールだ。


エーゲ海の真珠/Penelope "L'eternel Retour" - ポールモーリア/Paul Mauriat (1970)
 

 
by enzo_morinari | 2019-08-08 07:41 | ヘレンの亜麻色の髪を梳いて。 | Trackback | Comments(0)

悪魔のトルテ/J.S. バッハはホテル・ザッハーでザッハトルテを食べるためによみがえり、無伴奏ヴァイオリンのためのトルテとクーヴェルチュール『悪魔のトルテ』を作曲する。

 
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J.S. バッハはウィーンのフィルハーモニカー通りにあるホテル・ザッハーでザッハトルテを食べるためによみがえり、無伴奏ヴァイオリンのためのトルテとクーヴェルチュール『Il torte del diavolo/Devil's Torte Sonata/悪魔のトルテ』を作曲する。


きっかけはドン・フィリッポ・フランシスコこと支倉常長とは縁もゆかりもない虹子のオー・ショコラ計画の端緒であるクーヴェルチュール・チョコレート入り瀬戸内レモンケーキ6個入り(熱量666kcal)だった。


Il trillo del diavolo/Devil's Trill Sonata/悪魔のトリル - Anne-Sophie Mutter, Wiener Philharmoniker, James Levine
 
by enzo_morinari | 2019-08-07 14:31 | 悪魔のトルテ | Trackback | Comments(0)

Fairy Tale of Tokyo 最終の銀座線で会ったスリムなスライム・サンタクロースのプライマリー・バランスの悪いヘイト・クライムな話

 
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当時、泡劇場はすでにして大団円を迎え、カーテンコール目前だった。私は30歳をいくつか過ぎて、人生の締めくくり方ばかりを考える日々を生きていた。

主たる生活の眼目はスライムで世界を驚かせたり、クスリとさせたり、突然死させることだった。まさにスライム・ライフ、スライム・クライム・デイズ、スライム中心の日々だった。

南新宿の高層泡マンションのニュー・ステートメナー2458号室の仮眠スペースにはプラント・プラネタリアンからもらった総量42kgのオッペケペー・エケベリア色のスライムが出撃するのを待っていた。

クリスマスの浮かれ騒ぎバカ騒ぎを控え、街も浮かれポンチどもも幸せそうだった。ひとの困難困窮困憊も知らぬげに浮かれ騒ぎ、幸せそうな街や浮かれポンチどもに腹は立ったが、彼らはどこか憎めなかった。そうやっていられるのもいまのうちだ。すぐに天命反転、顔面蒼白、スライム色の日々がやってくる。そう思った。

最終の営団地下鉄銀座線渋谷行き。出発駅の浅草の時点で朝のラッシュアワーなみにごった返していた。どいつもこいつも酒くさいうえに七面鳥のにおいがした。いつものように地下鉄銀座線の大猿の呪いは現象化し、車内は瞬間的に闇に包まれた。

末広町からクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男が乗ってきた。ドクターシューズを履いていた。医者だ。まちがいない。ドクターシューズを履いていて、クレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいがするのは医者と相場が決まっていると刑事訴訟法の講義のときに團藤重光先生が言っていた。鳴神上人のような貌で。

ドクターシューズを履いたクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男は私の真ん前に立ち、吊り革につかまって揺れていた。

いまだ。いまこそがスライム・タイムだ。スライムの神さまの声がした。

私は前かがみになり、だれにも気づかれないように上着の両ポケットからオッペケペー・エケベリア色のスライムを取りだした。そして、目と鼻と耳と口にオッペケペー・エケベリア色のスライムを詰めこんだ。準備が整い、私はうめき声をあげながら顔をあげてのけぞった。クリスマスを目前に控えた渋谷行きの最終の銀座線は大騒ぎ、阿鼻叫喚ともいいうる事態になった。

「医師です。三井記念病院の内科医です」とドクターシューズを履いたクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男が叫んだ。以下の顛末は細部に神が宿ったらここに記す。

これだけは言っておきたい。ドクターシューズを履いたクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男、野本椎男はいまもいい友人である。つい先日、こともなげに余命宣告をしたギミアブレイク野郎だ。

「こうなる心当たりはありますか?」とドクターシューズを履いたクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男がたずねた。

「きのう、象牙海岸から帰国しました」
「えっ! コートジボワールですね?」
「はい」

ドクターシューズを履いたクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男は「このままつづけましょう。スライム遊び」と耳打ちした。

「えっ?」
「私はスライム・サンタクロース。目的はあなたといっしょです」

ドクターシューズを履いたクレゾールとコンドームとコールドクリームとアズカパンのにおいのする男はそう言ってオーバーコートをはだけた。全身がスライムに覆われていた。


Fairytale of New York - The Pogues (Christmas in the Drunk Tank/1987)
 
by enzo_morinari | 2019-08-07 13:05 | Fairy Tale of Tokyo | Trackback | Comments(0)

ケンカン腰でドカン流/在日市民トッケーンは「バカのドツボ」と言って死んだ。

 
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バラのつぼみ。市民ケーン

もう、ダメだ。Louis Pasteur

早くデザートを持ってきてちょうだい!M-P

つまるところ、これが死というものである。ところで… Thomas Carlyle

私はどんなふうに生きていいのかわからずに生きてきた。そして、なぜ死ぬのかどんなふうに死ねばいいのかもわからずに死んでいく。Pierre Gassendi


在日市民トッケーンは巨額のK-Connection Moneyを元手に手広く事業を展開し、莫大な資産を築いた。ただ善良なだけの市民は在日市民トッケーンを夜の市長/闇の市長と呼んだ。

在日市民トッケーンはパチンコ/パチスロ屋、サラ金/金貸し、焼肉屋、ディスカウント・ショップ、風俗店、サウナ等々を集金マシーン/奪金マシーン/銭ゲバマシーンとして驀進した。能天気で幼稚でおめでたい一般市民/パンピーはゼニカネを巻きあげられ、毟りとられ、健康を損ない、人生を台無しにされた。能天気で幼稚でおめでたい一般市民/パンピーが住宅ローンの残債の返済と家賃の支払いと税金の強制徴収にヒーコラし、食費を削り、エンゲル係数を右肩上がりさせているあいだに、在日市民トッケーンは1兆円超の稼ぎがありながらやり放題で脱税し、「ビンボー人からゼニをとるニダ!」と豪語した。おなじ在日市民のSB-Yahoo!のンソ・マサヨツも顔色なしだった。

その在日市民トッケーンが死んだ。「バカのドツボ」という謎の言葉を残して。この話は在日市民トッケーンの謎の最後の言葉、「バカのドツボ」の真相を究明する。当然、在日市民トッケーンの悪事を糾明し、糾弾する。この際、HACHETTEも筑摩書房も河盛好蔵もClaude Avelineもお呼びではない。在日市民の元駕籠かきのヤソ・ンギールの『血液と反骨』とマーサオヤー・ナガーワの『月はどこにも出ていない』とカイタカ・カケーンの『在日オマソチョ族』はいくぶんか謎解きの参考になる。
 
by enzo_morinari | 2019-08-07 04:25 | ケンカン腰でドカン流 | Trackback | Comments(0)

世界が終わっていたとも知らずに。/Roaring Network. 今日もネットワークはロールする。

 
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死を記憶せよ。1日の花を摘め。メメント毛利氏

Are You Roaring? or Are You Rolling? Mr. Memento Mori

Roaring Network. 今日もネットワークはロールする。脇役であるとも知らずに。もう二度と鳥たちは歌わないとも知らずに。世界が終わっているとも知らずに。メメント毛利氏

Memento Mori! 死を記憶せよ!Carpe Diem! 1日の花を摘め!というのがメメント毛利氏の口ぐせだ。Memento Mori! 死を記憶せよ!Carpe Diem! 1日の花を摘め!と言ったあと、メメント毛利氏は自分の死の記憶について話しだす。そのとき、メメント毛利氏はモグラの死についても語る。


狂騒。狂乱。狂奔。脇役であるとも知らずに。すべては幻想であるとも知らずに。もう二度と鳥たちは歌わないとも知らずに。世界が終わっているとも知らずに。

1日中イイネ・ボタンをクリックしているブロガーがいる。ある日の彼/彼女の1日のイイネ・ボタン押下回数は1236回。1分に1回イイネ・ボタンをクリックするとして、彼/彼女はその日20時間以上もクリックしつづけていたことになる。「腱鞘炎にならないのか?」とこちらが心配になるほどだ。実際、クリックのしすぎによる腱鞘炎の症例が報告されている。しかし、腱鞘炎で済むなら、ことはそれほど厄介ではない。彼/彼女はすでにしてメンタル・ディスオーダーの領域にあるというのが私の見立てだ。しかも、事態はかなり深刻である。早急に専門医の診断と適切な治療が必要である。

彼/彼女は数百にも及ぶフォロワー/フレンズを抱え、アップされたフォロワー/フレンズたちのすべてのブログにイイネする。彼/彼女がブログの中身を読んでいないことは明らかである。「風邪っぴき。きょうはブログ更新お休み」「朝から雨。鬱。」「お昼ごはんはチキンラーメンですぅ」というたった1行のブログにまでイイネしている。

彼/彼女はページを開き、一目散にイイネ・ボタンに向かう。イイネ・ボタンまっしぐら。猫に鰹節/マタタビどころではない勢いだ。肝心のブログは読まない。彼/彼女にとって、ブログの内容など二の次三の次だ。彼/彼女が他者のブログを開くのはブログを読み、画像を見るためではないから当然である。彼/彼女が他者のブログを開くのはイイネ・ボタンを押すためなのだ。彼/彼女はひたすらイイネ・ボタンをクリックしまくる。クリックしつづける。彼/彼女はフォロワー/フレンズのアカウント名さえおぼえてはいないだろう。彼/彼女はフォロワー/フレンズが「誰であるか?」など興味がないからである。フォロワー/フレンズがなにを感じ、なにを書きしるし、撮影し、聴き、味わったかにはいささかの興味もない。フォロワー/フレンズは「イイネ/拍手/NICEボタンをクリックする対象」でしかないからだ。そして、彼/彼女は「感謝」「ありがとう」を飽きることなく連呼する。カビの生えたようなきれいごとをならべたてつづける。ひとかけらのリアリティもない死んだ文字の羅列で。それはもはや言葉ではない。

彼/彼女はなんのためにイイネ・ボタンをクリックしつづけるのか? いったい、彼/彼女はなにをしているのか? なにをしたいのか? なにを求めているのか? 答えは「なにもなし」だ。彼/彼女はなにもしておらず、なにかをしたいのでもなく、なにも求めていない。そこには実体の消え失せた亡霊の影が仄見えるだけである。

彼/彼女は虚しくならないのか? ならない。すでにして、彼/彼女は魂、心を失っているからだ。そんな彼/彼女が行き着く先は火を見るよりも明らかである。「引き裂かれた自己」の段階はとうに過ぎて、いま彼/彼女がいるのは「酷寒のミル・プラトー」を目前にした荒涼とした廃墟前広場である。

他者を騙し、欺くことはできても、唯一、自己だけは欺けない。自分にうそはつけない。しかし、自分にさえうそをついている者もいる。自分にさえうそをついている者を待ち構えているのは破壊された自己という最終地点である。そうなってはもはや修復不能だ。手のほどこしようがない。凍りつくような悲劇が彼/彼女を襲う。

いっぽう、彼/彼女のアップしたブログには数百単位でイイネ/拍手/NICEがつく。イイネ/拍手/NICEしているのはいずれも彼/彼女がイイネ/拍手/NICEしたフォロワー/フレンズたちである。

肝心の彼/彼女のブログの内容はといえば、端的に言って「空っぽ」である。「空っぽ」のブログで彼/彼女はいったいなにを発信しようとしているのか? 彼/彼女に発信したいことなどなにひとつないというのが私の見立てである。彼/彼女はただなにものか、なにごとかと繋がっている自分を確認したいだけである。彼/彼女が焦がれるように求めつづける「繋がり」に、彼/彼女は「繋がり」の強度、「繋がり」の質の高低を期待しない。「ただ繋がっていればいい」というのが彼/彼女の心性である。

空っぽのブログにつくコメントが空っぽなのは当然である。空っぽな上にきれいごとおべんちゃらおためごかしおべっかの際限なき連続。歯の浮くようなコメントのオンパレード。しかし、当の本人たちはいかにも満足げである。なぜというに、彼らの唯一のメルクマールである「親和欲求」が満たされるからだ。

彼/彼女の「親和欲求」はきわめて刹那的であり、グロテスクでさえある。継続的に「親和的なもの」を望みながら、彼らは実際に「関係」「関わり」を継続させようとはしない。なぜなら、彼/彼女らが他者と結んでいる関係性もまた空っぽだからである。何者にも真空を維持継続させることはできない。

彼/彼女が持ち出すのは「普通」「常識」「一般」「当たり前」に属するものばかりである。彼/彼女自身のオリジナル、独自、独創を提示することはまずない。それらを提示することはある種のタブー、禁忌に属するものででもあるかのようだ。

彼/彼女はなにごとかを表明するが、自己あるいは自己の内面を表明することは決してしない。上っ面ばかりである。どこででも通用する当たり障りのないこと。

インドラの矢が放たれるときでも、モーゼが十戒を授けられたシナイ山山頂でも、そののち1枚目の石板を叩き割ったときでも、ノアの方舟が漂着したアララト山でも、鳩がオリーブの小枝をくわえて戻ったその瞬間でも、カノッサの屈辱が行われている寒風吹きすさぶ城門前でも、ポツダム宣言受諾の踊り場でも、ICBM大陸間弾道ミサイルのボタンが押される瞬間でも、最後の審判が下されるときであってさえ通用するような言説。すなわち、空っぽの言説だ。

実体を失った空虚なるクオリアの精神だけがさまよっている。彼/彼女をして向かわせているネットワーク/インターネットとは彼らにとっていかなる意味合いを持つのか? 彼/彼女の本当のメルクマールはどこにあるのか? いずれの「答え」も0と1でできあがったデジタルの海に漂っている。

Roaring Network, Rolling Network. Roaring Internet. Roaring SNS. ネットワークはロールする。脇役であるとも知らずに。もう二度と鳥たちは歌わないとも知らずに。すべては幻想であるとも知らずに。世界が終わっているとも知らずに。


The End of the World - Skeeter Davis (1962)


The End of the World/世界の終り
Why does the sun go on shining
And why does the sea rush to shore
Don't they know it's the end of the world
Cause you don't love me anymore

なぜ太陽は輝いてるの?
なぜ波は打ち寄せてるの?
あなたがわたしの元を去ったときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

Why do the birds go on singing
Oh why do the stars glow above
Don't they know it's the end of the world
It ended when I lost your love

なぜ鳥は歌ってるの?
なぜ星は瞬いてるの?
あなたの愛を失ったときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

I wake up in the morning and I wonder
Why everything's the same as it was
I can't understand, no I can't understand
How life goes on the way it does

朝が来て目覚めると不思議よ
いつもどおりのさわやかな朝が訪れているのが
わからない わたしにはわからない
どんなふうに人生がつづいていくのか

Why does my heart go on beating?
Why do these eyes of mine cry?
Don't they know it's the end of the world?
It ended when you said goodbye

なぜわたしの胸はまだときめいてるの?
なぜわたしの心の眼は泣いているの?
あなたが別れを告げたときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

 
by enzo_morinari | 2019-08-07 01:19 | 世界が終わっていたとも知らずに。 | Trackback | Comments(0)