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Dream Willow Pillow/夢の柳枕を腰枕にして

 
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悲しい夢をみたときだけは柳はいっしょに泣いてくれる。Lady “Strange Fruit” Day

地球はアフォだった。私はカモメが喰いたい。ユーレイ・ガガーリン

柳橋に凄みのきいた柳腰の芸者幽霊がでるというので浅草橋の駅を封鎖して元禄御畳奉行してきたら、ユーレイ・ガガーリンにおんぶオバケした柳ユーレイだった。フザケやがって。石川五右衛門直伝の熱湯御詠歌斬鉄製風呂で煮てやる。


T.S. エリオットとウィリアム・フォークナーとバートランド・ラッセルが夢枕に立って声をそろえて言うには、「10房10億円の有機交流電燈に照らされて育った銀河第三象限の荒地でとれた怒りの葡萄(青い証明付き)、3億房でいくら?」

黙っていると、「夢の柳枕、腰枕にする?」とバートランド・ラッセルが言った。


Willow Weep for Me - Billie “Lady Day” Holiday
 
by enzo_morinari | 2019-04-30 15:37 | Dream Willow Pillow | Trackback | Comments(0)

サーフ天国、スキー天国、AOR天国

 
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遠い昔に聴いた音楽は楽園の記憶をよみがえらせる。


20代前半、マットンヤー・ユミーンの『サーフ天国、スキー天国』で、先頃帰らぬ人となった須藤薫が歌う「SURF&SNOW」というバック・コーラス部分を聴くたび、オフショアに吹かれて波乗りをしたくなり、エッジに息を吹きかけて磨いてスキーをしたくなったものだ。実際に『サーフ天国、スキー天国』を聴いて思い立ち、稲村ケ崎や七里ガ浜や千葉や伊豆へ波乗りをしに行き、苗場や白馬や蓼科や志賀高原や天元台へスキーをしに行った。

波がないときは息の根を止める寸前、猛烈極悪の唸りをあげるクーラーをMAXにきかせたポンコツのカルマンギヤの中で音楽を聴いた。ジャズと古典楽曲が中心だったが、当時流行りのAORやフュージョンも聴いた。

ビル・ラバウンティ、ロビー・デューク、ポール・デイヴィス、マイケル・フランクス、ジョーイ・マキナニー、クリストファー・クロス、グレッグ・ギドリー、アール・クルー、ボビー・コールドウェル、ランディ・ヴァンウォーマー、10CC、エア・サプライ等々。

NIAGALA TRIANGLE一味のうち、山下達郎と大瀧詠一もよく聴いた。いまでは笑い話だが、当時はウエスト・コーストの上げ底たっぷりなイラストが描かれた大瀧詠一のアルバム・ジャケットを「王様のアイデア」あたりで仕込んだミント系、パステル系のチープきわまりもないプラスチック・フレームに入れて飾っていた。イラストは鈴木英人だったと記憶する。

部屋にはほかにデコイやパーム・ツリーのフェイクものがあった。だれにでも過去の恥、傷というのはあるものだ。そして、その恥と傷からなにごとかを学ぶのだ。

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マットンヤー・ユミーンと吉田美奈子は定番中の定番だった。2人のほかに種々雑多雑食な取り合わせの音楽を聴きながら、本を読むか考えごとをするか小説の構想を練るか勉強するかしていた。雪がないときや雨が降ってべた雪のときはロッジの脇にポンコツ・カルマンギヤを停めて音楽を聴いた。寝袋にくるまって。ロッヂで寝ないのかって? ロッヂは寝るところじゃない。クリスマスを待つところだ。

思えば、ターコイズ・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14は私の書斎であり、リスニング・ルームであり、リビング・ルームであり、ベッド・ルームでもあったわけだな。清貧極まりもない居住空間だったことよ、わが友カルマンギヤは。最後は深夜の本牧D埠頭で脇腹から側壁に激突して大破し、ずいぶんとかわいそうなことをしてしまった。いつか手向けに行かなくては。

サーフボードはピュア・ブラックの地にピュア・ホワイトの稲妻が入ったライトニング・ボルトのワンメイクの特注品だったが、スキー板はSALOMONやらELANやらATOMICやらをゲレンデ、雪質によって使いわけていた。SALOMONもELANもATOMICもロゴがイカしていたからという理由だけで選んだにすぎなかったわけではあるが。

スキーブーツにはかなり贅沢をした。SALOMONがシェルとインナー別体成形の画期的なモデルを出して業界をあっと言わせた時代だ。どのスキー・ショップに行ってもSALOMONは別格扱いでプレゼンテーションされていた。もちろん、いい値段だった。大卒の初任給ひと月分が吹っ飛んでしまうようなフラッグシップ・モデルもあった。あの局面で我慢できたならば、私の人生ももっと別の様相を呈していたかもしれないが、もちろん、そうはならなかった。

SALOMONのフラッグシップ・モデル。フェラーリ・レッドの。買ってしまった。パラレル・クリスチャニア、ウェーデルンに毛の生えたような技術力しかない者がFISのW杯に出場するアスリートが使うレベルのギアとは恐れいった話だが、なにごとも大事なのはスタイル、かたちだ。手に入れてからしばらくは抱いているか触っているかつねに視界の中に置いた。

シーズン・オフにはサーフボードをリペアしたり、スキー板のエッジを研いだり、根岸競馬場近くにあるレストランとは名ばかりの、高いくせにくそまずい「ソーダ水の中を貨物船が通り、ナプキンにインクがにじむこと」で名高い『ドルフィン』の2階席のトイレに「ユーミンのうそつき!」と落書きしたり、港の見える丘公園の一番高い欅の樹に登って港を出入りする貨物船の数を数えたり、その形状や塗装、デザイン全般について大声で論評した。

ヤヴァ系? そうだ。私は天下御免のヤヴァ系だ。耶馬渓には3度行ったことがある。真梨邑ケイには短期間だが局地的局所的に世話になった。花形敬は鼻は高えが頬に疵のある伝説の愚連隊野郎だ。

TDKかMAXELLの120分のメタル・テープにチャンプルでお気に入りの曲を録音してMY FAVORITE SONGS BOOK TAPE、「お気に入り楽曲集」を何本もつくった。1曲3分から5分として30曲前後録音できた。携帯型のデジタル音楽視聴機器が主流である現代からすればお笑いぐさだが、120分テープには永遠の夏休みを閉じこめることさえ可能な時代がかつてあったということだ。

ただ曲を録音れるのではなくて、最初に立てたコンセプト、構想に基づいて曲順を決め、各曲名の1文字目をつなげると季節やシーンに合った意味のある単語、フレーズ、パラグラフになるように選曲した。超短編小説にしたこともある。

私のこのMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEは仲間内でかなり評判がよくて、リクエストがけっこうあった。季節やシーンだけでなく、相手の好みや趣味やセンスも考慮に入れてMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくった。全部で300本くらいはつくったと思う。

録音のときはドルビーのノイズ・リダクション・システムが重宝した。1枚のアルバムからは1曲のみというしばりをかけていたので手間はかかる。しかも、まだCDなどこの世に存在しない時代だ。録音レベルの自動調整機能など夢のまた夢だ。長岡鉄男だって生きていて、元気でピンピンしていて、やれスワンだ、マスだ、やれカレント電源だ、やれ鉛インゴットだと各オーディオ誌でゴマ塩頭で御宣下あそばされていたオーディオ新石器時代だ。

テープデッキ側でアルバムごとにいちいち録音レベルをセットしなおさなければならない。フルオーケストラとアクースティック・ギターのソロとではダイナミック・レンジに雲泥の差があるからだ。録音のときとは別に録音レベルを知るために曲をかけなければならないのも時間がかかる理由だった。

120分のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのに5時間はかかった。全体のおおまかな構成と曲順は決めてあるが、実際に聴いていると方針変更が生じてくる。アドリブと言えば言えないこともない。ある意味では観客なし舞台なしの即興演奏をやっているような気分だった。

他者の耳はごまかせても自分の耳をごまかすことはできない。心といっしょだ。一関ベイシーの菅原昭二は「おれは店のオーディオ・システムとレコードで演奏をしているんだ」と言っていたが、それと同じだ。その当時の私にとってはMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのは新しい作品をつくるのとおなじ意味を持っていたからだ。

言葉や文字の組み合わせ方、表意文字と表音文字の意外な組み合わせによる効果、指示と表出、リズム、ひっくり返し、落ち、意識と想像力の跳躍、シニフィアン/シニフィエの関係の明瞭化、文字や言葉のヒエラルキーの構造分析、名詞の力の新発見と再発見と再確認などについてのいいトレーニングにもなった。このトレーニングによって、少なくともさびれた観光地の廃業寸前の土産物屋で埃をかぶっている絵葉書のような言語表現をしないスキルを獲得できたのだといまにして思う。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEづくりと「はみだしYouとPia」への投稿は私の言語表現修行の場、発想着想の跳躍のための修練場だった。いかにシャープに的確に明瞭明晰に意外性をもって表現するかに腐心する「されどわが日々」である。

私のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEはいつしか「M'S TAPE」「Mのテープ」と呼ばれるようになっていた。「M資金」みたいでカッチョよかった。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるためにジャズや古典楽曲やポップスやAORやインストゥルメンタルなど、自分の手持ちの音源の中からメロディーや歌声や楽器の音やミュージシャンやテープの送り手の顔を思い浮かべながらの作業はとても楽しかった。

朝から作業を開始して、気づけばあたりが闇に沈んでいるというようなこともしばしばだった。おかげで、ともだちとガールフレンドを何人か失った。当然だ。作業に入ったら私はろくに返事もせず、彼あるいは彼女もしくは彼らのことはほったらかしなんだから。しかし、こればかりは致し方ない。なにかに集中したら最後、私は外部外界を一切合切遮断してしまうからだ。これはこどもの頃からずっと変わらない。いまもおなじだ。

私のそのような姿は他者からは虫の居所が悪く、すごく怒っていて、無視しているように映るんだろう。しかし、虫の居所が悪いのでもなく、怒っているのでもなく、無視しているのでもない。集中しているときの私には他者も外部も存在しないのだ。存在しないものに気を使うことはできない。そう考えるとひどいな。PassingでもBashingでもなく、Nothingなんだから。相手からしたらたまったもんじゃない。死ぬまで私のことを憎みつづけるだろう。まあ、すべては終わったことだ。

去る者がいて、理解を示す者がいた。多くの友だちと出会い、少しの友だちが残った。それでいい。それが人生という一筋縄ではいかないゲームのコンテンツであり、サブスタンスであり、マターであり、コンテクストであり、パースペクティヴだ。

自分の人生、日々を俯瞰的にクールに眺めながらすごすのが性に合うならそうすればいいし、私のように正面突破、My Way, My Own Styleでやりすごすのもまたひとつのゲームの進め方だ。他人がとやかく口をはさむべきことではない。

アルプスを迂回するルートも存在するし、マドレーヌ峠やラルプ・デュエズ峠に果敢にアタックするアルプス越えのルートだって存在する。両者のあいだにはなにひとつ善悪、価値の高低差などない。あるのは与えられた時間/残された時間の問題と燃費の問題と流儀、掟、スタイルのちがいとマルコ・パンターニ伝説に心を動かされるか否かのちがいだけである。坂口安吾だって言っている。人間を救う便利な近道はない。

そのような日々を送るうちにいくつもの季節がすぎてゆき、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、酒の苦さを知り、数えきれないほどの音楽と映画と書物とテクストと喰いものとガラクタのような快楽群と宝石のごとき愉悦と笑いと涙と不思議な出来事がいつも私といっしょだった。

いい青春? さあね。私にはわからない。もっと楽しくてハッピーで和気藹々で建設的で生産的で知的でお上品でリッチでセンスのいい青春はいくらでもあったろう。だが、少なくともそれらは私のスタイル、私の流儀、私の掟に則ったものではない。

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サーフ天国、スキー天国、そして、AOR天国。ビル・ラバウンティの”Livin' It Up”はすごくイカしてたな。デヴィッド・サンボーンのアルト・サックスもクールでソウルフルだった。ドラムスはスティーブ・ガッドだし、パティ・オースチンもバック・メンバーにいた。ほかにも超のつく豪華なスタジオ・ミュージシャンがビル・ラバウンティの脇を固めていた。”Slow Fade””Dream on””It used to be me””This Night Won't Last Forever”なんかもグッときた。

Livin' It Up - Bill LaBounty (1982)

さらに忘れられないのがロビー・デューク。ロビー・デュプリーではなく、ロビー・デューク。惜しいことに、本当に惜しいことに2007年のクリスマスの翌日に死んでしまった。

クリスマス・イヴのライヴの最中にステージ上で心臓麻痺を起こし、二日後に息を引き取った。51歳と20日。今夜はロビー・デュークの曲で一番好きだった”Rested in Your Love”と”Promised Land”を交互に繰り返し聴きながら夜の果ての旅をやりすごすことにしよう。魂に届き、心にしみ、約束の地へとつづくメロディと声だ。ひな祭りの朝に逝った須藤薫にも届けばいい。


「約束の地」へは涙のステップを踏みながら、少しだけゆっくりと歩みを進めることとする。急ぐ旅でもない。

Rested in Your Love → Promised Land

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My own epitaph for Roby Big-Boy.
Roby Ward Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Please rest and release your heart in peace. Roby Big-Boy, You've crossed the river into the Promised Land and you'll never have a broken heart again, Never. And I pray for your sister in GOD.
 
by enzo_morinari | 2019-04-30 12:13 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)

夜明けの口笛吹きの狂気/片雲の風に誘われて漂泊の思いやまぬ夜明けの口笛吹きはそゞろ神に魅入られてLSDで心を狂わせ、百代の過客のうつろいに愕然とし、不可視の壁に向かって狂気をさらに加速させる。

 
夜明けの口笛吹きの狂気/片雲の風に誘われて漂泊の思いやまぬ夜明けの口笛吹きはそゞろ神に魅入られてLSDで心を狂わせ、百代の過客のうつろいに愕然とし、不可視の壁に向かって狂気をさらに加速させる。_c0109850_05073987.jpg

われらの狂気を生き延びる道を教えよ Personal Matter Bird Man O-Ken

Flow, my crazy. Follow, my cruel. Phenomenal Matter Forest Man En-Zoo

狂気を装う狂気は世界を冷徹に計測する。 Phenomenal Matter Forest Man En-Zoo

正気を装う狂気は世界を冷厳に憎悪する。 Phenomenal Matter Forest Man En-Zoo


46年前の1973年。中学3年の4月の魚の日に初めてPink Floydの狂気/The Dark Side of the Moonを聴いた。のちに東京芸大の声楽科の教授になる風変わりな女の子が「エイプリルフール・プレゼントよ」と言ってむき出しの狂気/The Dark Side of the Moonのジャケットを私の机の上に放り投げた。彼女は生徒会の副会長だった。クラスはちがった。

アルバム・ジャケットの中には∞(ウォーター・マーク)の透かしのある薄桃色のARCHESの水彩紙が入っていて、怜悧な万年筆の字で「わたしの狂気を、生き延びる道を教えて。狂気の女王より狂気の魔王へ」と記されていた。アルシュ・ペーパーの四隅にはごく小さな文字でL O V Eと。ラブレターのつもりだったんだろうが、わたしの心はぴくりともしなかった。当然だ。年下も同世代も私の恋愛対象にはならないからだ。当時の私の恋愛対象はふたまわり以上年上の成熟した女だった。さらに言うならば、私は世界には怒りと憎しみしかないのだと考えていた。愛だの恋だのは愚か者がするものであるとも。そのような念慮を持つに至ったのはシノプス・ヒプノシスが過剰に分泌されていたせいもあったろう。好き好んでションベン臭い者と快楽を共有しなければならない理由などなにひとつない。

ピラミッド型のプリズムとおぼしき物体にひと筋の光が射入し、7色に分散屈折偏光するイラストレーションのジャケットがシンプルで斬新だった。「時代の気分」のなにがしかを象徴しているように思えた。

スロット・マシンから出てくるコインのジャラジャラ音が実に効果的に挿入された“Money”、”On The Run”のどんどん接近してくるレシプロ機のプロペラ音とクラッシュする轟音、次曲の”Time”に切れ目なくつづいて、いきなり大音響の時計の鐘の音。脳みそをグラグラ揺さぶられた。

“Money””On The Run””Time”の3曲のサイコぶり、ハジけっぷりにも驚いたが、白眉はアルバムの1曲目、”The Great Gig in The Sky”だった。

静寂と絶望と熱情と狂気。私は”The Great Gig in The Sky”の中にそれらを確かに聴きとった。

あの日から46年が経つが、いまでも夜明けには世界を憎悪し、憤怒し、嘯きながら口笛を吹き、天空からは”The Great Gig in The Sky”が聴こえている。おまえの狂気を、生き延びる道を教えてやろうと。まるで、啓示あるいは福音のように。天空の女神がやってきて、”Let's Groove!”「ハジけなさい!」と言われ、実際に私自身の生き様がハジけるのは8年後の1981年のことだった。遠くで泡の弾ける音と遠い太鼓が連打される地響きのような音がして、巨大で空虚で快楽にみちた泡がハジけるのはさらにその10年後だった。

夜明けの口笛吹きの狂気/片雲の風に誘われて漂泊の思いやまぬ夜明けの口笛吹きはそゞろ神に魅入られてLSDで心を狂わせ、百代の過客のうつろいに愕然とし、不可視の壁に向かって狂気をさらに加速させる。_c0109850_06374818.jpg


The Great Gig in The Sky - Pink Floyd (The Dark Side of the Moon/狂気 1973)

Let's Groove - Earth, Wind & Fire (Raise/天空の女神 1981)
 
by enzo_morinari | 2019-04-30 05:35 | 夜明けの口笛吹きの狂気 | Trackback | Comments(0)

ようこそ、バトルフィールドへ。ひとの不幸をヘラヘラと嗤う下衆外道木偶の坊の醜悪な卑劣漢の居残り佐平次が人権が滑った転んだだとよ。

 
ようこそ、バトルフィールドへ。ひとの不幸をヘラヘラと嗤う下衆外道木偶の坊の醜悪な卑劣漢の居残り佐平次が人権が滑った転んだだとよ。_c0109850_14481058.jpg

なにが天網恢々だ! うすらバカ野郎! てめえのような脳味噌疎々粗相オソソの外道にはオケツカイカイで大嗤いだ!


下衆外道木偶の坊の居残り佐平次はひとの不幸を嗤う卑劣醜悪な輩である。これまでにまともに言語表現をしてきていないことがあらわな稚拙な言説。思考回路も幼稚きわまりない。小学校低学年レベルだ。このようなお里が知れる輩を親に持ったガキがどのような輩になるかは火を見るよりもあきらかだ。

愚にもつかぬバイアスがかかった御託能書きしかほざけない木偶の坊のてめえなんぞに国家権力の是非をとやかく言う知性見識知見はないし、人権について言及する資格もない。てめえはバカ酒乞食酒大めし駄めしを喰らって、コーマンだかマヌーコだかの三流小物三下奴ポンコツ噺家の拙噺駄噺聴いてエヘラエヘラやってるのがお似合いだ。1mmの価値もない駄本を読み腐ってよ。カーッ(゚Д゚)≡゚д゚)、ペッ

「◯◯らしい」「◯◯だとしたら」といった言いざまでひとの不幸を嗤う下衆外道の居残り佐平次の精神の貧困と魂のいやしさは生来のものだ。池袋で暴走死傷事故を起こしたじいさんが原子力ムラの住人であったか否かは事態になんのかかわりもない。こどもにもわかる理屈だ。90歳にもなろうという棺桶待ちの者をつかまえてザマミロとは一体全体どういう料簡だ! てめえのような輩こそを不逞の輩ってんだ! 文句があるならクニへ帰りやがれ!
 
by enzo_morinari | 2019-04-29 14:51 | ようこそ、バトルフィールドへ | Trackback | Comments(0)

夜は森を歩く。昼間はひたすら眠り、ときに奪い、ときに死をもたらし、ときに殺す。

 
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殺生与奪がライフスタイルだ。D-Botch


夜は世界中の森を歩く。夜明け前にはブルーヘブンの森にある栖に帰還する。

日没とともに巨大化する。身長は33m12cm25mm、体重は4242.42kgとなる。栖ではとぐろを巻くようにからだを折りたたんで眠る。ひたすら眠る。

大太郎坊師(ダイダラボッチ/デイダラボッチ)とアルビノーニの遺伝子を受け継いでいるので紫外線は命取りである。日中は出歩かない。


Nature Sounds (Forest Sounds, Birds Singing, Sound of Water, Relaxation, Mindfulness, Meditation)
 
by enzo_morinari | 2019-04-29 10:09 | 夜は森を歩く。 | Trackback | Comments(0)

あなたと夜と音楽と/不眠症の夜の鳥たちは夜の光に魅入られて夜通し浮かれ騒ぐ。気がつけば、秋。

 
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Urban Melancholy. 不可視にして不可聴の夜の鳥たちはBright Lights/Big City Lightsを目指して、東京の夜空を滑るように翔んでゆく。


Night Lights - Gerry Mulligan (Night Lights/1963)

Night Birds - SHAKATAK (Night Birds/1982)

Early Autumn - Mezzoforte (Surprise Surprise/1982)
 
by enzo_morinari | 2019-04-29 08:28 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)

あなたと夜と音楽と/クリスマスのための無邪気な日々への挽歌

 
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世界中のだれの心にも冷たい土砂降りの雨が降る夜がある。

ヘッドライト、テールライト。旅はまだ終わらない。Mewcky Nacka Zimmer

配られたカードを交換することはできないし、どんな「最終解答」が待ち受けているとしても、このままゲームをつづけるしかない。ゲームからおりるほかに手はあるんだろうか?


雪の降るクリスマス・イヴのことだ。遠い昔、ずいぶんと悲しい思いをさせたかつての恋人と町外れの食料品店で出くわした。彼女は冷凍食品のコーナーの前に立ち、品定めに夢中で私に気づかなかった。

私はそっと彼女のうしろに近づいて彼女が着ている赤いマックのネルシャツの袖を引っ張った。初めのうち、彼女は私がだれかわからなかった。それでも、私が彼女と一緒だった頃にみせたおどけたいくつかの表情をすると彼女は目を大きく見開いて両腕をひろげ、とても強い力でハグしてくれた。勢いあまって彼女のポケットから財布が飛び出すほどだった。私と彼女は顔を見合わせ、涙が出るくらい大笑いした。

私と彼女は昔のように一緒に買い物をつづけた。買い物がすみ、やはり、昔のように二人並んでレジまで買ったものを運んだ。無愛想な若い店員によって品物はおなじ袋に詰めこまれた。私と彼女は立ちすくんでしまった。店員に「買ったものは別々にしてくれ」とはどうしても言えなかった。思いがけない事態に私も彼女も軽いジョークで切り抜けることさえできないくらい動揺した。

支払いをすませてから袋を1枚もらい、レジの横の台で品物をわけた。軽く飲みにいこうとしたがやっている飲み屋はみつからず、仕方なく酒屋で6本パックのバドワイザーを買い、彼女の白いカローラの中で飲んだ。私と彼女は互いにまだ無邪気だった日々と現在とに乾杯した。もちろん、思いがけない二人の再会にも。

乾杯はしたが気持ちはどこかうつろだった。そんな気持ちをなんとかしたかったがいい方法がどうしてもみつからなかった。それは彼女もおなじだったと思う。

「ひとまわり以上も年上の建築家と結婚したのよ」と彼女は突然言った。そして、「そのひと、わたしをすごく大事にしてくれるの」とつけ加えた。彼女はたぶん、その建築家を愛しているとも言いたかったのだろうけど、言わなかった。嘘をつきたくなかったのだと思う。大事なら冷たい雪の降るクリスマス・イヴに彼女をひとりで買い物になんか行かせるわけがない。しかも、夜ふけに。

「時間はきみにはやさしかったんだね」と私は言った。

「きみの青みがかった瞳の色はさらに深くなってる。すばらしい色だ」

しかし、本当のことを言えば私には彼女のことがほとんどわからなかった。幸せなのか信頼と慈しみに包まれているのか。彼女の心の中にあるものが感謝の念なのか猜疑心なのか。

「あなたのこと、たまにTower Recordsで見かけるわ。昔とおんなじ。お目当てのアルバムを探すのに夢中でまわりのことはなにひとつ目に入ってなかった。仕事はうまくいっているの?」

「音楽はいまでも大好きだし、素晴らしいけど、生きつづけることは地獄の責苦のように感じることもあるよ」

私と彼女は再びまだ無邪気だった日々と現在と再会に乾杯した。そして、われわれのあいだに横たわる途方もなく長い時間にも。おしゃべりに夢中になるあまり、私と彼女は決して取りもどすことのできない遠い日々を思いだし、過ぎ去ったいくつもの季節をなつかしんだ。

ビールがなくなり、しゃべりすぎたせいで口は疲れ果て、話すこともなくなって私は彼女に別れを告げた。彼女はとてもやさしい笑顔をみせ、ハグし、そっとキスしてくれた。彼女の車からおり、白いカローラのテールライトが見えなくなるまで見送った。ほんの一瞬、無邪気だった頃の気持ちがよみがえりかけた。そして、なつかしい痛みを感じた。いつしか、雪は雨にかわっていた。

Dan Fogelberg- Same Old Lang Syne (The Innocent Age/1980)

*Daniel Grayling "Dan" Fogelberg (August 13, 1951 – December 16, 2007)。彼が死んで世界からはいくぶんかの「やさしさ」が失われた。曲の最後にソプラノ・サックスで『Auld Lang Syne(蛍の光)』を演奏しているのはやはり2007年に死んだMichael Brecker(March 29, 1949 – January 13, 2007)だ。

無邪気だった頃の私になにかしらの力を与えてくれたふたつの魂は奇しくもおなじ年に死んだ。世界はそのようにしてますますつまらなくなっていくんだろう。仕方ない。そんなめぐり合わせなんだ。配られたカードを交換することはできないし、どんな「最終解答」が待ち受けているとしても、このままゲームをつづけるしかない。


ゲームからおりるほかに手はあるんだろうか?
 
by enzo_morinari | 2019-04-29 03:55 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(1)

あなたと夜と音楽と/愚かなりわが心。いつだって、心の中はMistyだ。思い出のサフラン・ライスとシスコのココナッツ・サブレ

 
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パリは華やかすぎる。ローマは古くさい。ロンドンは気分が滅入る。マンハッタンはそっけなくて、すぐに背をむける。サフランの咲き乱れる入江のあるあの街、サンフランシスコがいい。


お腹がすいたら、サフラン・ライスとチキンの煮込みのCheapでTake it easyなディナー。そして、シスコのココナッツ・サブレが食後のおたのしみ。それが、サンフランシスコの思い出。一人でもステディといっしょでも仲良しとワイワイガヤガヤでもおなじだ。

かかえきれない思い出をサンフランシスコに置き忘れたまま32年が経ってしまった。思い出のサンフランシスコを思い出のままにしておくわけにはいかない。霧の中にかくれたままにしておくわけには。


愚かなりわが心。いつだって、心の中はMistyだ ── 。


I Left My Heart in San Francisco - Julie London (The End Of The World/1963)

Misty - Julie London

My Foolish Heart - Bill Evans (Waltz for Debby/1961)
 
by enzo_morinari | 2019-04-28 20:57 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)

あなたと夜と音楽と/Wine Lightに照らされて。39分01秒の至福。あるいは、Urban Time 3901.

 
あなたと夜と音楽と/Wine Lightに照らされて。39分01秒の至福。あるいは、Urban Time 3901._c0109850_15170857.jpg

1980年の春。オーディオ・チェック用に横浜元町のTower Recordsで手に入れたGrover Washington Jr.の”Winelight”がきっかけとなってFusion Music/Smooth Jazz Musicにのめりこんだ。Fusion Music/Smooth Jazz Musicは玉石混淆。そのほとんどは1度聴いただけでDisk Unionに叩き売った。フュージョンではなくフージョンと言ってバカにした。しかし、”Winelight”はちがった。録音もすばらしかった。フュージョン系の音源はそのほとんどがドンシャリ録音だったが、”Winelight”はちがった。中低域の厚みは文句のつけようがなかった。粒立ちと解像度と音場の広さも申し分なかった。

バックのミュージシャンの顔ぶれもすごかった。

Grover Washington Jr.(Saxophones), Ralph MacDonald(Percussion), Marcus Miller(Bass), Steve Gadd(Drums), Eric Gale(Guitar), Richard Tee(Electric Piano), Bill Withers(Vocals). etc, etc.

長いあいだ聴きつづけ、ビニルのLPは14枚、CDは8枚買った。PCのiTunesにおける再生回数は5478回におよぶ。

表題曲の”Winelight”と”Just the Two of Us”, “Make Me a Memory”は自室でクルマの中でひたすら聴いた。ガールフレンドの耳元で甘言を囁くときのBGMの定番だった。コロイチだった。だから、”Winelight”とGrover Washington Jr.には感謝の念が強い。

今宵、Wine Lightに照らされてどのようなStoryをつむぐとするか。とりあえず、あけるワインから決めることにする。極上のワインに匹敵する音楽はすでにあるから、飲むワインは300円のコンビニ・ワインで十分である。


Wine Light - Grover Washington Jr. (Winelight/1980)

Just the Two of Us - Grover Washington Jr. fet. Bill Withers (Winelight/1980)

Make Me a Memory - Grover Washington Jr. (Winelight/1980)

In the Name of Love - Grover Washington Jr. (Winelight/1980)

Take Me There - Grover Washington Jr. (Winelight/1980)
 
by enzo_morinari | 2019-04-28 15:47 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)

あなたと夜と音楽と/Café du Mondeの世界の朝の愛のカフェ・オ・レを飲みながら、リンゴが嫌いでカフェ・オ・レが好きな女の子に「ついてくるかい?」とたずねたら。

 
あなたと夜と音楽と/Café du Mondeの世界の朝の愛のカフェ・オ・レを飲みながら、リンゴが嫌いでカフェ・オ・レが好きな女の子に「ついてくるかい?」とたずねたら。_c0109850_11291699.jpg

オレンジ色でTurn Leftの文字がプリントされたカフェ・オ・レ・ボウルを両手で捧げるように持つ女の子に、ゴールデン・デリシャスをかじりながら「ついてくるかい?」とたずねた。女の子は薄桃色の頬を少しふくらませ、くちびるを尖らせて言った。

「リンゴはきらいよ。においも味も色もかたちも。わたしはカフェ・オ・レがいいわ。でも、あなたにはついていく。」

女の子がカフェ・オ・レを飲み終え、私がゴールデン・デリシャスを食べ終えてから私と女の子は手をつないで出発した。途中、バグダッド・カフェの前でプティ・デジュネ・ボル型円盤に乗って男性型単数形定冠詞と粉砂糖をかけた角型のドーナツとチコリ入りのフレンチ・ロースト・コーヒーが支配するクレーム・ブリュレ帝国を目指した。

女の子の名前はペリエ・エビアン・ボルビック・ソス=ベニエ・プティ・デジュネ。実に変わった名前だが、女の子に罪はない。名前がエキセントリックなのは私もだ。ポール・ガー・マッカーニ・ムケタニー。

こどもの頃からポール・マッカートニーに似ていると言われつづけた。名前も顔も声も。Dirty Macに似ているなんて御免蒙りたかったが、ひとの口に戸は立てられない。いまでは、似ても似つかない。殺し屋稼業をつづけて人相はすごく悪くなったが、もう後戻りはできない。私の心のかたちはハートではない。私の心のかたちはバート・レイノルズだ。バニシング in Trans Am 7000だ。アーメン。…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。アッハ! プフィ! 倍音が! ナンカナプッシッケ! 女の子はリナリア・プルプレアの鉢を大事そうに抱えている。Turn Left!


Are You Going With Me? - Pat Metheny (Offramp/1982)
 
by enzo_morinari | 2019-04-28 11:43 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)