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センチメンタルな旅 冷たい部屋の世界地図

 
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遥かな遥かな見知らぬ国へ ひとりでゆくときは船の旅がいい。Andre Candre

積荷もなく行くあの船は海に沈む途中。魚の目で見る星空は窓に丸い形。Andre Candre

他者の死を知ることはできない。他者の死を死ぬことはできない。E-M-M

死を恐れぬ者はいない。なぜなら、生きている者は死を経験したことがないからだ。E-M-M

死について語る資格があるのは死者だけだ。しかし、死人に口なし。死者は黙して語らない。饒舌な死者はモグラ通りの行き止まり、モルグ街にしかいない。E-M-M

人生はみずからの意思でいつでもどこでもどのようにでもシャットダウンできるが、ログアウトはできない。E-M-M

日輪が子午線を通過する時刻から月が欠けて還っていくとき、人は往路よりも復路で自滅する。C-G-J

Baby I'll call up a storm and keep you safe from harm. But you only, you only disappear. T-M


神無月にかこまれ、つくづく、人生が二度あればと思い、危篤電報を受けとった夜。冷たい部屋の世界地図をひろげ、紙飛行機と積み荷のない船と銀河鉄道と不夜城行きの暗夜行路バスを乗りつぎ、恩讐の山を越え、暗く深い河を渡り、涙の砂漠を過ぎ、悲しみと嘆きと絶望の谷を通り、補陀落の海と豊饒の海を渡って東へ西へ右往左往する。航海日誌も後悔日誌もつけない。この際、往還の思想は役に立たない。良寛の手毬唄は聴こえない。

間に合わなかった。そういうこともあると諦めた。その夜は河沿いにないリバーサイド・ホテルに泊まった。

人生は二度ない。何度でも言う。人生は二度ない。かけがえのない大事な人々はみな死ぬ。逝く。遥か遠く去りゆく。もちろん、自分も死ぬ。消えてなくなる。跡形もなくなる。記憶の痕跡さえも。死んでも死ななくても花実は咲かないし、花は死ぬし、秘すべき花はない。そして、やはり、徹底的に決定的に、人生は二度ない。

おそろしいのは、そして、驚くべきは、自分の人生が二度あろうとなかろうと さらには、死のうが生きようが他者にとってはどうでもいいという冷厳冷徹な事実である。そして、二度目の死が容赦なくやってくる。忘却/忘去という名の二度目の死が。

口先で追悼の言葉を滔々とならべる者に死者の死んだ日をたずねてみるがいい。死んだ日どころか死んだ季節すらおぼえていないから。そのような者は、棄てられし民に寄り添う風を装いながら、大めしバカ酒を喰らい、歌舞音曲にうつつを抜かす不逞不埒不実な輩と同類/おなじ穴の狢である。

夫、妻、子、恋人、父母兄弟、友人知人、机をならべている会社の同僚、行きかう人々、電車の前の座席に座る未知の人物、そして、産声をあげる嬰児。

かれらの貌を目を凝らして見てみるがいい。全員、ひとりの例外もなく、いずれ、積荷のない船に乗って海に沈む運命を生きている者の貌だ。

鏡に映っているのはだれの貌だ?
水底から星空を見上げる魚の目になってはいないか?

他者の死を知ることはできない。他者の死を死ぬことはできない。

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つめたい部屋の世界地図 井上陽水 (1972)

積み荷のない船 井上陽水 (1998)

You Only Disappear - Tom McRae (2003)
 
by enzo_morinari | 2018-12-30 19:17 | センチメンタルな旅 | Trackback | Comments(0)

鮨ネタ。呪ぬ。微風。Ceci n'est pas une pipe. スシ・ネ・パ・ジュヌ・ピプ/九龍城砦のクローンはすりきれ、トラはイマージュの洞窟の奥にひそみ、パイプは容赦なくカットされる。

 
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La trahison des images (1928–1929) 63.5 cm × 93.98 cm/René Magritte



The word is not the thing, A map is not the territory. A-K

降りしきる雨の中、トラはイマージュの洞窟の奥にひそんでいる。洞窟の奥からは繰り返し、「私はパイプではない」という呪言が聴こえてくる。E-M-M


私はパイプではない。まつがいなく、ハイソではない。ただの1度も敗訴したことはない。いつも、ソクハイのライダーはサクイ。おそらくは、私はパイポではない。私は小指を契機として馘首になったことはない。たぶん、シューリンガンでもグーリンダイでもポンポコピーでもポンポコナーでもない。七草粥をマイウーと思ったことはない。雑草喰ってよろこんでいるようなヤツはトリスを飲んでもワイハーには行けない。せいぜい、青森で泡盛の安酒をかっくらう居残り佐平治の下衆外道と懇ろになるのがお似合いだ。いつか、マウイ島が山体崩壊することを夢見る。もちろん、鮨ネタでもない。私は呪ぬ。そして、微風。Ceci n'est pas une pipe. スシ・ネ・パ・ジュヌ・ピプ。

結論。Ceci est pas une pipe. 私はパイプだ。北風はピープー吹く。

私はイマージュの裏切りを愛し、憎悪し、憤怒する。新年が来ようが来まいが知ったことではない。氷下魚はうまいが、古米はズマイ。新米はうまいが高い。ニンバイはうまいがヤバい。ガラケーは安いがショボい。ガラパゴス島で移動祝祭日/Moveable Feastと移動平均線/Moving Averageの異種格闘技戦は開催されるが勝負はつかない。手仕舞いはない。スマホは外縁化されたムーバブル大脳辺縁系/新・大脳新皮質である。スマスマはFinして清々だ。NTTドコモの旧社名はNTT移動通信網株式会社である。

冥土の旅のマイルストーンを過ぎてよろこんでいるのは頭の中にラフレシアの花畑が広がっているオメデタイ輩である。とっととパイプカットしろ!

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La Decalcomania (1966) Oil on canvas/René Magritte



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ひとつの椅子とみっつの椅子

20世紀初頭にカジミール・セヴェルィーノヴィチュ・マレーヴィチュが 79.5cm × 79.5cm のキャンバスに漆黒の正方形を描いて以来、世界は解読不能の「深層」を孕むようになった。そのことはいまも変わっていない。世界に起こることのすべてはマレーヴィチュ『漆黒の正方形』の延長線上にある。 79.5cm × 79.5cm 的世界はいまも世界のありとあらゆるところに深淵の口をあけている。勇気のある者はその深淵を覗きこんでみるがいい。私は覗きこんだ。そして、彼女と出会った。

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彼女の部屋の中央にはアイリーン・グレイの Classic Modern End Table T-701 Type2 が置いてある。ル・コルビジェの尊大で仰々しいソファがこれみよがしにあるよりはましだ。女の子の部屋にル・コルビジェの家具があったら私はすぐに退散しなければならない。死んだ父の遺言だからだ。

彼女の部屋には徹底的にモノがない。テレビがない。冷蔵庫がない。本棚がない。花瓶がない。コーヒー・カップはひとつ。グラスもひとつ。ナイフもフォークも箸もひとつ。同じシャツと同じパンツが1週間分。例外はiPadとiPhoneとiPodだ。iPadは第1世代から第6世代まで。iPhoneは初代の iPhone 1 から最新の iPhone XS まで。iPodにいたってはすべてのモデルが全色そろっている。iPadとiPhoneとiPodは彼女の「特別な場所」に安置されている。午前中、もっとも陽の光が当たる場所だ。

iPadとiPhoneとiPodはそれぞれ等間隔で並んでいる。1mmの狂いもない。そのことについて彼女は昼下がりの表参道の交差点で信号待ちしているときに大声で言ったものだ。

「人間は1mmの誤差にこだわって生きるべきなのよ」

なるほど。しかし、昼下がりの表参道の交差点で信号待ちしているときに大声で言うべきことじゃない。

彼女の部屋にモノがないのにはちゃんとした理由がある。いつでも引っ越しできるようにだ。

「モノがきらいなの。まだわたしがモノに囲まれて生きていた頃、引っ越しでひどい目に遭ったのよ。引っ越しというのは人間の本性を剥き出しにする」

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ベーゼンドルファーのグランド・インペリアル290が5台は置けそうなリビング・ルームとフランクフルト式キッチン。だだっ広い。ベッドなし。いったいどうやって寝ているんだ?

「寝ないのよ」

彼女は不眠症だ。意識して眠らないそうだ。

「眠ると死んじゃうの。ところで、あなたはいま、セックスのときはどうするんだ?って考えたでしょ?」

そのとおりだった。

「立ったままするのよ。やり方はいくらでもある。いまからする?」

私がうなずくと、彼女は表情ひとつかえずに服を脱いだ。彼女は脱いだ服をとてもきれいにたたんで T-701 Type2 の上に置いた。

「あなたもさっさと脱ぎなさい」

私は着ているものを身分証を提示するような気分で順番に脱いだ。彼女はじっと見ている。彼女の真似をして服を丁寧にたたむ。T-701 Type2 に置こうとすると彼女が制した。

「T-701 Type2 はわたし専用よ。世界中の誰もわたしの T-701 Type2 を使うことはできない」

彼女は眉ひとつ動かさずに言った。

「服の脱ぎ方で男の中身はほとんどわかる」
「ぼくはどうだった?」
「カルシウムとドラマツルギーが足りない。ずいぶんとつまらない人生を生きてきたようね」

彼女の言うとおりだった。彼女はつま先から頭のてっぺんまで品定めでもするように注意深く私を見たあと、ものすごく機械的に私の前にしゃがみこんだ。

彼女の T-701 Type2 には指紋ひとつついていない。シミひとつない。いまにも動きだしそうだ。実際に動いた。T-701 Type2 を眺めながらボブ・ディランの『激しい雨』を口ずさむと彼女がたずねた。

「なにそれ? 気持ち悪い歌」
「ボブ・ディランの『激しい雨』だよ」
「ボブ・ディラン? 知らない」

彼女がボブ・ディランを知らないことは私の彼女に関する評価を上げた。ボブ・ディランをありがたがる人物にろくなやつはいない。これは経験則だ。転がったことも転がろうとしたこともなく、七里ガ浜駐車場のレフト・サイドで強い南風に吹かれたこともないやつがボブ・ディランを聴いたところで手に入れられるのはせいぜい庭付き一戸建て住宅的な退屈きわまりない幸福だ。そして、彼らはライフ・スタイル自慢に日も夜もない日々を送る。ひとかけらの光も差しこまない穴蔵でこれまでに人間が歩いてきた道の数を死ぬまで数えているほうがまだましだ。

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Black Square, 1915, Oil on Canvas/Kazimir Severinovich Malevich


Ceci n'est pas une pipe. (René Magritte)

The Back Stabbers - O'Jays (1Q72)
 
 
by enzo_morinari | 2018-12-30 03:29 | 私はパイプではない。 | Trackback | Comments(0)

どこにもない場所、忘れえぬ人々/恐るべき子供たち、エロス・エトス・パトス・ポトス・ポスト・トポス・ポトフ

 
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Old soldiers never die, they just fade away. Dag-Mac
どこにもない場所はどこにでもある場所であり、忘れえぬ人々は忘れられた人々である。E-M-M


年の瀬の激流の中を巧みなラフティングで茅ヶ崎から国木田独歩君が鎌倉夫人と坪内逍遙君と壷井栄女史を伴い、武蔵野牛肉とホレーショ馬鈴薯を持参の上やってきて肉じゃがを喰おうじゃないかと言うので「生憎、鍋を切らしている」と言うと、坪内逍遙君と壷井栄女史が声を揃えて「鍋がないなら壺で」と言った。

4人は濡れカピバラのようだった。特に壷井栄女史は顔が元々カピバラ系なので24の100万ボルトの瞳は小豆島産オリーブのようだった。半刻ほど遅れて、浮雲にまたがった二葉亭四迷こと長谷川辰之助君が這々の態でやってきた。

肉じゃがではありきたりだということで意見言文一致して、では趣向を凝らしてどこにもない場所でエロス・エトス・パトス・ポトス・ポスト・トポス・ポトフを作ろうじゃないかと決まった。

「一体全体、どこにどこにもない場所はあるんだね?」と国木田独歩君が鎌倉夫人のうなじに熱い吐息を吹きかけながら帰去来少年の悲哀の風情を醸してたずねた。

「それは君、どこにもない場所といえばユートピアに決まっているよ」と坪内逍遙君が答えた。

「そのユートピアは一体どこにあるのかしら?」と顔面カピバラ系の壷井栄女史が小豆島産オリーブみたような24の100万ボルトの瞳を輝かせて言った。

「そりゃ、あなた、夫君である名うてのコムニスト壺井繁治君が詳しいよ。なにしろ、コムニスムは理想郷建設を目的とする目的実現のためには手段を選ばないイデオロギーなんだからね」
「あら、彼は小林多喜二さんに騙されて蟹工船に乗せられて、今頃はオホーツクの荒海でゲロゲーロですことよ」

私はとうとうこらえきれなくなって言った。

「ユートピアはアリストテレス通り沿いのディストピアの反対側にありますよ。デストピアのお隣りさんです」

私が言うと一同は歓声をあげた。こうして、忘れえぬ人々/恐るべき子供たちとのどこにもない場所でエロス・エトス・パトス・ポトス・ポスト・トポス・ポトフを喰らう宴はその緒についた。

西の空にポモドーロ・コストルート・フィオレンティーノのように歪んだ恐るべき子供山師トマにいいように弄ばれたとまどうペリカンが邪魔者を消し終えた黄金のライオンをくわえ、打たれる釘よりハンマーのほうがいいと鳴きながらトマスモア・シャングリラ山を目指して飛んでいくのが見えた。ひとひらの浮雲がくたばってしまえとたなびいていた。二葉亭四迷こと長谷川辰之助君が「そのとおりだ」とつぶやいた。

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Pot-au-feu - Dany Jolls (1965)
とまどうペリカン - 井上陽水 (1982)
 
by enzo_morinari | 2018-12-29 05:48 | 忘れえぬ喰いもの | Trackback | Comments(0)

Tablet Traveler 祖父は書を捨てて街に出た。父は本を持って家を出た。私はタブレットで旅に出る。

 
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500mileを過ぎると、エンジンの音だけではさびしすぎる。Akky Sho+Row and Law

We don’t know a millionth of one percent about anything. T-A-E

おまえと俺との間には深くて暗い河がある
それでもやっぱり逢いたくてエンヤコラ今夜も舟を出す
Row and Row, Row and Row, ふりかえるな Row, Row…
Blind Hassy Kiyossy


旅のさなか、東北本線の700mの荒川橋梁を渡っているとき、100才までにいくつ河を渡れるだろうかと思う。いつまで旅はつづくのかとも。

祖父は書を捨てて街に出た。父は本を持って家を出た。私はタブレットで旅に出る。


Traveller - Chris Stapleton (2015)

Traveller - North Texas Wind Symphony (2011)

黒の舟歌 - 長谷川きよし (1971)
 
by enzo_morinari | 2018-12-27 22:06 | Tablet Traveler | Trackback | Comments(0)

伝えたい言葉、伝えられない言葉/星に会う日には星に願いを

 
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伝えたい言葉があった。しかし、それは伝えられない言葉だった。


電話口で泣きじゃくるメリケン帰りのバカ娘。数日前、私はわが要塞を訪ねてきたバカ娘とバカ娘の人生の同行者となるであろう若者、つまりは小娘と小僧っこを怒鳴り飛ばし、取りつく島もあたえず、追いかえした。

なにが「結婚」だ。なにが「愛している」だ。なにが「だいじなひと」だ。なにが「価値観がおなじ」だ。なにが「おたがいの一生を見届けたい」だ。なにが「お嬢さんを幸せにします」だ。幸せはするものでもなるものでもない。感じるものだ。寝言は寝て言え! 小僧! おまえたちにはおたがいが他人ではないことを生涯をかけて確認しつづける覚悟があるのか!

バカ娘と小僧はほうほうのていで逃げ帰っていった。

メリケン帰りのバカ娘は電話の向こう側で泣きじゃくり、懇願し、理解を求めた。「死にたい」という言葉がバカ娘の口から出たときには胸がつぶれるかと思われた。胸郭の中心を針で軽くつつけば、一瞬にして私の胸は張り裂けていたにちがいない。

私は万感の思いをこめて沈黙した。「語りつくせぬことについては沈黙せよ」というヴィトゲンシュタイン先生の言いつけを守ったのだ。後悔などしない。

私の選択と決断は正しい。そして、例によって私はきょうも、ただひとり荒野をめざす。瀟々と風の吹きすさぶ荒野の果てには天上の音楽が鳴り響く断崖があるはずだ。17歳の魚屋(ねりもの担当)には荒野と断崖がいちばん似合う。

ならず者たちが跋扈する荒野を横断し、断崖のかたわらにある気高い松の樹の根方で大いびきをかいて昼寝をする私はライオンの夢を見ているにちがいない。そのような私は、千尋の谷より何倍も深く険しい谷底から自力で這い上がってきた者でもあるのだ。であるがゆえに、であるからこそ、私は何者とも、何事とも妥協しない。いままでも、いまも、これからもかわらぬ。

私の心のかたちはスペードでもクラブでもダイヤでもない。ましてやハートなどではもちろんない。私の心のかたちはライオンだ。ライオンそのものだ。

そのバカ娘からメールが届いた。現在の心情が切々とつづられていた。近ごろは他者の文章(のみならず表現全般)に心を動かされることなど皆無に等しいが、バカ娘の文面からは揺らぐことのない意思の力が感じられ、しかも、私がもっとも重きを置く論理と叙情と情念とがほぼ完成されたかたちで表現されていた。そこにはいささかも「嘘」や「ごまかし」や「躊躇」がないように思われた。

私はバカ娘のメールを読み、「ああ、これはもう手放す時期がきたのだな。もはやおれが教えてやれることなどなにひとつない」と思った。

バカ娘からのメールには『星に会う日』と題された一片の掌編小説のごときものが付されていた。私とバカ娘との数少ない、しかし彼女にとっては宝石のような「思い出」を題材とした随想風の文章だった。

わがバカ娘ながらよく書けていた。ある部分では不覚にも落涙を禁じえなかった。自らの名誉のために言うが、これは赤の他人が書いたものだとしても、私は同様な事態に立ち至ったろう。

センティメンタリズムに流されているきらいがなくもないが、「センティメンタルでなにがわるい」と私自身がかねがね思ってきたことでもあるし、なにごとかからの「卒業制作」としてはじゅうぶんに及第点を与えられるだろうと思う。

以下に紹介する。バカ娘の承諾は得ていないが、当然のごとくバカ娘は承知してくれるだろう。ここに公にすることが私から彼女への卒業証書である。

私の知りうるかぎりにおいて世界でもっとも心さびしい誕生日とクリスマスをいくたびもすごし、口さがない世間の下衆外道どもに「妾の子」と陰口をたたかれ、世界でもっともくやしい思いに歯ぎしりをし、世界でもっとも手ごわい父親を持ったわが愛しきメリケン帰りのバカ娘よ。それでもなお、世界は素晴らしく、人生はバラ色だ。健闘を祈る。

吾輩仕込みの理力とレンブラント光線のごとき光の息吹きがいつもともにありますように。

注記1:メールの最後には「リンダ・ロンシュタットさんが歌う『When You Wish Upon a Star』を聴きながら以下の文章を読んでね。すごくこわいけど、大好きなパパへ❤」という追伸があった。「大好きなパパへ」も「❤」も蛇足である。「秘すれば花」という極意を理解していない野暮天、うつけ者、大バカ者がしばしば踏む轍である。

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星に会う日
26年前のある冬の夜、私は父と二人で星に会いにいった。部屋の明かりを落とし、窓越しに夜空を見上げると、星が私と父の上に音もなく降りそそいだ夜があざやかによみがえってくる。

「星に会いにいこう」

背中で父の声がした。振り返ると天体望遠鏡を抱えた父が立っている。父の顔を見るのは夏の初め以来だった。

「今から?」
「うん」
「外はすごく寒いよ」
「星に会いたくはないのかい?」
「会いたい」
「じゃ、おいで。あたたかくするんだよ」

父は私を自転車の荷台に乗せ、ひと気の失せた商店街を猛スピードで駆け抜けた。頬をかすめる風が痛い。私は振り落とされまいと必死で父の背中にしがみついた。

眼の前に父の背中がある。それまでに数えきれないほど見送り、憎しみやら怒りやらをぶつけ、眼をそむけ、焦がれた背中だ。

ポマードとタバコの入り混じった父の匂い。父の体温や心臓の鼓動までが伝わってきた。それほど間近に父を感じるのは何年もなかったことだ。私はしがみつく腕にいっそう力を込めた。

30分ほど自転車を走らせて着いたのは団地の造成現場である。夏、カブト虫やクワガタをつかまえた山の半分近くが切り崩されていた。私と父はフェンスの破れ目から中に忍び込んだ。

「てっぺんまで競争だ」
「あ、ずるいー」

父は言うが早いか走り出した。私も懸命に父のあとを追った。山の頂上からは夜の静寂の中に揺れる街を見渡すことができた。頂上は街中よりもさらに寒く、吐く息が綿のように白い。父は天体望遠鏡の三脚を立て、北の空に向けた。それから手際よくつまみやレバーを操作し、焦点を合わせた。

「のぞいてごらん」

真ん中にぼーっとした輝きを放つ雲のような星のかたまりが見えた。翼を広げた鳥のようにも見える。私は思わず驚きの声をあげた。

「オリオン大星雲だよ」

私がスバルを見たいというと父は望遠鏡の向きを変えた。

「なんですぐにわかるの?」

「ここに、」と言って、父は自分の胸に手を当てた。

「ここに星が宿っているからさ」

父の顔にはにかんだような笑いが浮かんだ。何年ぶりかで見る父の笑顔だった。私と父は地面に寝ころび、星々のさんざめく夜空を見上げた。

「あれがオリオン座。その向こうが冬の大三角形」

父は星空を指差し、ひとつひとつ星座の名前とその由来を私に解説し、星のことや宇宙のことについて身ぶりを交えて話してくれた。

「この望遠鏡じゃ見えないけど、今も、宇宙のどこかで星が生まれてるんだ」

そう言ってから、父は囁くように歌を口ずさんだ。それは心の奥深くに染みこんでくるメロディーだった。

「なんの歌?」
「星に願いごとをすれば、いつかきっと夢はかなうって歌だよ」
「本当に願いごとはかなうのかな?」
「かなうさ」

父の口ずさむ歌のメロディーを口笛で真似ながら心の中でそっと願いごとをつぶやくと急に涙があふれてきた。涙はあとからあとから、いくらでもあふれてきた。涙で星がにじんで、揺れた。

「泣いてるのかい?」
「うん」
「そうか」

私と父の間に深い沈黙がおちた。

「ごめんよ」
「え?」
「一緒にいてあげられなくて」
「いいよ。だいじょうぶ。お星さまにお願いしたから」

夜空の星はきらめき揺れつつ、私と父の上に音もなく降りそそいだ。

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When You Wish Upon a Star/星に願いを


Spin-Off
さて、バカ娘をたぶらかした小僧っ子だが、こいつがとんでもない。以下にやり取りの概略を記す。

雷:で、どうなんだ?
僧;はい。できてます。
雷:やることはやってるわけだな。
僧:すみません。
雷:で、相談というのは?
僧:お祝いに家が欲しいんです。
雷:坊や、殺されたいの?
僧:滅相もございません。
雷:おれの武勇についてはバカ娘から聴いてるよな?
僧:はい。そりゃ、もう。
雷:承知のうえでそういう寝言たわ言を言うんだな?
僧:すみません……
雷:すみませんで済めば警察はいらないってこと知ってる?
僧:はあ……

たいした野郎である。天涯孤独というのが気に入ったのだが、これからどうなることやら。とりあえずは子分/弟子/パシリにする。部屋住みは3年くらい。古典落語を50本、心肺機能7割アップで部屋住み終了といった程度にしといてやるか。ギャラ/授業料はどうするかな。
 
by enzo_morinari | 2018-12-27 03:56 | 伝えたい言葉、伝えられない言葉 | Trackback | Comments(0)

Pomo d'Oro/太陽の黄金の林檎をめぐるいくつかの物語

 
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世界の西の果てにあるヘスペリデスの園には不死をえられる黄金の林檎の林があり、不死の百頭竜ラードーンと美しいニュンペー/黄昏の娘たちヘスペリデスが番人として黄金の目を光らせている。


2012年6月5日のとうに夜半を過ぎた頃、元麻布の古くて高くてまずいリストランテのTerra Promessaでレイ・ブラッドベリからタンポポの密造酒の名品、Dandelion & Moonshine Mtn Dewとズュギア・ヘーラーの果樹園で採れた太陽の黄金の林檎をもらった。太陽の黄金の林檎はHermèsとParisの包み紙で二重にパッケージされていた。

太陽の黄金の林檎を食べていたら、突如、ウィレム・メンゲルベルクが指揮するアムステルダム・コンセルトヘボウのリヒャルト・ワーグナー『ニーベルングの指輪』の序夜 『ラインの黄金』の冒頭の序曲が大音量で聴こえ、42個目の太陽の黄金の林檎1919号の芯から太陽の黄金の音呼が飛びだしてきた。

「ボクヲタベナイデ」と太陽の黄金の音呼は叫んだ。以来、ピーチクパーチクビーチククログロフシギナピーチパイとかまびすしい。

最後の太陽の黄金の林檎を食べようとラブレスのカスタムメイド・ナイフで切れ目を入れると、エロティックな切れ目から太陽の黄金の万子が愛欲汁まみれで出てきた。

「わたしを食べないで。でも、やっぱり食べて。挿入れて。挿入れたり出したりして。最後は中で生でいっぱい出して。ぶちまけて」と太陽の黄金の万子は大きい陰の唇と少さい陰の唇をパクパクビチョビチョビチャビチャビラビラビロビロトロトロさせながら懇願した。

以来、万古の雪に照り映える玲瓏比なきレマン湖をランベルト正積方位図法で一心不乱に描きつづけている。腐乱したラフレシアとカース・マルツゥ/フォルマッジョ・マルチョを足してジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの粉末をまぶしたような強烈極悪凶悪なドイヒー・オイニーをふりまきながら。アンリ・バリュビュスの言うとおり、世界は様々な地獄で構成されている。


Il Pomo d'oro - Pietro Marc'Antonio Cesti (1667)/Spectaculum (Conductor: Gerhard Kramer, 1989)
 
by enzo_morinari | 2018-12-27 01:29 | Pomo d'Oro | Trackback | Comments(0)

In to the Polar Night/66.6度の太陽は踊る。夜はひとつの太陽である。

 
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麻布十番商店街近く、その昔、泡劇場時代の象徴的な虚城であるMAHARAJAがあった通りに面してBook Cafeのターバンセックス TATSUAYA TOKIO GIROPPON店はある。都営地下鉄大江戸線麻布十番駅徒歩3分、麻布十番駅から442m。麻布時代の2007年から2008年にかけて足繁く通った。

広告批評別冊の『秋山晶全仕事』入手のために10年ぶりにターバンセックス TATSUAYA TOKIO GIROPPON店を訪れた。ほかの本・雑誌のたぐいには目もくれず、デッドストックの『秋山晶全仕事』を手に入れてから2FのCDフロアに向かった。

Radioheadの『Pablo Honey』と『The Bends』を視聴しているとき、HSP/Highly Sensitive Personのレナウン・イエイエ女が現れた。10年ぶりの再会だった。装着していたSennheiser Electronicのイヤ・スピーカーHD 800 Pro Headphonesが急激に締まり、頭部が強く痛んだ。

「夜はひとつの太陽なのよ!」

レナウン・イエイエ女は叫んだ。2008年の春に初めて会ったときとおなじだ。


In to the Polar Night/夜はひとつの太陽である。

2008年春。

ケヤキ坂には64本の欅が植えられている。64本の欅は1本1本、表情が異なる。TSUTAYA側から坂を上り、テレ朝通りにぶつかるT字路で横断歩道をテレビ朝日側に渡る。そして、坂を下る。テレビ朝日のデジタル・アトランダム・モニュメントを左手に見て、再び横断歩道を渡り、TSUTAYA前に戻る。

これらの一連の行動は、私の日々の儀式のごときもので、朝昼晩の三度、必ず行われる。ケヤキ坂の上り下りのあいだに私は欅の数をカウントし、欅の1本1本を観察し、欅どもと対話する。もちろん、幹や枝ぶりに変化があればデジタル・カメラで撮影し、記録する。それは私にとっては、ある種の「自己療養」であって、ほかにはなにひとつ意味などない。

欅の本数を数え、幹の表皮の状態や枝ぶりや葉の状態を観察記録したところでどこにもたどり着けない。それでいい。いまや、すべては無意味さや不毛や荒涼でできあがっているからだ。

さて、本日もケヤキ坂は過不足なく穏やかな一日を終えようとしていた。『ニュルンベルクの歌合戦』の序曲とともにレナウン・イエイエ女が現れるまでは。

「夜はひとつの太陽なのよ!」

『ニュルンベルクの歌合戦』の序曲とともにケヤキ坂の東側をものすごい速さで駆けおりてきたレナウン・イエイエ女は叫んだ。スターバックスの巨大なベンティ・サイズのカップを帽子がわりにかぶっていた。

私はグランデ・サイズのキャラメル・マキアートをあやうく吹き出すところだった。手に余る大きさのグランデ・サイズのキャラメル・マキアートが地べたに落ちていたら、私は躊躇なくレナウン・イエイエ女に真空飛び膝蹴りを食らわしていたと思う。まったく、世界には油断のならない輩がいるものだ。

このちっぽけで退屈で腐った世界には、「正直者が馬鹿をみる」と臆面もなくほざくインチキまやかし勘ちがいの倫ならぬ恋真っ最中の鎌倉夫人さえいる。そればかりか、大事なものだけ詰めこんだはずの薄汚れた鞄の中には「快楽」と裏切りと虚偽と虚飾しか入っていないにもかかわらず、常識と純朴と善人ぶったつまらぬ笑顔で偽装する不届き者も数知れない。

「夜はひとつの太陽なのよ!」

レナウン・イエイエ女は私の目の前に立つと、私の眼の奥を覗きこみながら再び叫んだ。

「そんなのわかってるよ」
「よかった。で、とりあえずセックスする? それとも、夜明けまでTSUTAYAで時間をつぶす?」
「おまえとはいま初めて会ったんだぜ。いきなりセックスはないだろうよ」
「そんなもんかなあ。じゃ、TSUTAYAで暇つぶしでFAね?」
「だな。でも、ここは2時間の時間制限があるぜ」
「時間なんか止めちゃえばいいのよ」
「どうやって?」
「ほら。こうやって」

レナウン・イエイエ女は右の人指し指で虚空に「時間」を意味する言葉を梵字で切った。3度。時間は止まった。

このようにして、太陽の夜は始まった。夜明けまで9時間42分だが、時間はない。そもそも、時間は存在しない。人間がつくりだした幻想にすぎない。


Time - Pink Floyd (1973)

The Great Gig in The Sky - Pink Floyd (1973)
 
by enzo_morinari | 2018-12-26 18:31 | TOKYO STORIES | Trackback | Comments(0)

トロンプ・ルイユ=ゲーデルエッシャーバッハ/クシャミをするたびに右の鼻の穴からメタフィクション・ノベルが飛びだす男は自己言及の可能性について疾走∞失踪しつつ試行する。

 
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Ceci n'est pas une pipe. R-F-G-H-M
ウロボロスは自分の尻尾を呑みこんで無限∞永遠を獲得する。E-M-M


クシャミをするたびに右の鼻の穴からメタフィクション・ノベルが飛びだす男がいる。私だ。名はトロンプ・ルイユ=ゲーデルエッシャーバッハだ。

メタ! フィクション! クシャミだ。今回出たのはどんなようなメタフィクション・ノベルだろうか? メタクサ・エクサ遠いところに飛んでいったので回収するのにひと苦労ふた苦労セパタクローだ。

SUBARU 360をMaybach Excelero Üppig 58S風に改造して乗っているが、バカバカしいことこの上もない。てんとう虫はなにをどうやってもカブト虫や豊かな小川や豊饒の海にはなれない。Seiji Ozawaが逆立ちしてもJohann Sebastian Bachになれないのとおなじ道理だ。バーカーカーバーチンドンヤーオマエノカーチャンデーベーソーはバビロン行きのバスに乗って座して死ぬのを待つほかにバサラカなのである。

書店にはおもねったポンコツ本しかないし、古本屋はカビ臭いし、感染症の病原体だらけだし、古本屋のオヤジはえらそうにエラが張っているし、辛気臭いし、口は臭いし、図書館の本はだれが触ったかわからないから気持ちわるい。現在、世界でもっとも憎悪し、蔑んでいる居残り佐平治が触った可能性だってある。よって、文字を読むのはネットかクシャミをしたときに自分の右の鼻の穴から飛びでてくるメタフィクション・ノベルだけだ。


Creep (Radiohead) - Escher String Quartet feat. Brooklyn Duo
 
by enzo_morinari | 2018-12-25 14:35 | MC Escher∞反自己言及 | Trackback | Comments(0)

BEATNIK DAYS わっ! 毒バスだ!

 
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Beatきかして Go Go Go Go———! Goes on!


おいらはビート肉。肉屋だ。そんじょそこらの肉屋とはわけがちがう。ビートのきいた肉屋だ。店の看板にはただひと言、ビートな肉屋。Simple is Beat Best. いつもそばにいてくれるカドーのフツーの蕎麦屋のスタンバイミーの男の加藤は幼なじみだ。

相方は365日24時間コロッケを揚げている。コロッケを揚げながら金波銀波銀河系宇宙とドーナツ世界とカラアゲ人間について考えつづけ、四苦八苦している。ビート塊だ。

相方のビート塊は、ときどき、シャックリとジャック・ケルアックとクシャミを順番こに42回ずつする。シャックリのときは「ヘック・キャトル!」「ハッカラモケソケヘッケレピー!」、ジャック・ケルアックのときは「オンザロードーオンザロードーバンコクノオンザロードーシャヨダンケツセヨ!」、クシャミのときは「アイハブノーネームナメーハマダネー」という奇妙な音を出す。

「ヘック・キャトル!」のときは、古代種バッファローのヘック・キャトルがモーモー猛然とすっ飛んできて、「だれだ! 気安く俺を呼ぶのは!」と怒鳴る。トランシング・モーモーちゃんだ。そのうち、フェラーリのエンブレムもやってくるだろう。

ジャック・ケルアックのときはどこからともなく『L'Internationale』が聴こえてくる。

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞 暁は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて


クシャミの「アイハブノーネームナメーハマダネー」のときとなると、話はちょいとばかり厄介だ。

天下泰平楽の逸民であり、文明中学校の英語教師である珍野苦沙弥先生のところのChat sans nomがやってきて店先の甕に飛びこんで溺れ死ぬまで「ありがたい。ありがたい」とお経のような声をあげる。Chat sans nomが死んだのはこれまでにB地区9696回だ。乳首が黒々しているのもとろろ芋トトロの森の真っ黒クロスケなみにクォーター・パウンドである。

ビート塊はモノマネをたまにやるがだれにもなにごとにも似ていない。

「何者でもなにごとでもないもののモノマネをすることに意味がある。このちっぽけな銀河系宇宙には1mmも意味なんかないけどね」

天下御免/向かうところ敵なしのホイールチェアー・ベッドライダーにして世界のすべての苦難艱難辛苦苦悩苦行試練を一手に引きうけてゴリッパな日々を生きる中身空っぽ知性教養センス皆無の50ヅラ下げた言の蓮っ葉マサシやありがとうが魔法の言葉だと根拠なく言い張る妖怪ヨマズニイイネオシのまほババア63歳31日のように和気若布だ。

ビート塊はいつも揚げているコロッケのモノマネだけは似ている。コロッケ揚げ者のコロッケのモノマネが似ているのは当然だが、ポンコツ激痛ゲイ人のコロッケのモノマネをすると、その途端に街が悲鳴をあげる。コロッたものだ。ポンコツ激痛ゲイ人のコロッケのモノマネについては禁じ手にしている。禁色は自由だが自由放埒軒と文武両道軒の許諾をえなければならない。似ていればいいというものでもあるまい。アルマイトにかけて。まして揚げ物だ。だから、ビート塊には「煮てどうする。揚げろ」と苦言を呈する。さもないとエボナイト棒で百叩きのうえにビート板とトレードするぞと言ったら目黒通りのど真ん中、権之助坂の中腹でエア・バタフライをはじめる始末。バタアシ金魚族には困ったものだ。

肉屋を長いことやってると世界のあらゆることが憎くなる。だから、憎まれ口をきく。肉屋の憎まれ口。皮肉も言う。銀行通帳風味皮肉屋のバーナード・ショーの爺さんはお得意様だ。おねいちゃんの果肉と蟹肉にはむしゃぶりつく。ジュルジュルジュバジュバ音させて。

店の真正面にはバス停がある。芝浦のシバキ・エリア(35度37分39.81秒, 139度44分38.3秒/DMS)行きの毒バスが停まる。毒バスのくせに見た目は猫バスだ。宮崎パヤオの爺さんの差し金である。パヤオめ! 引退詐欺ばっかかましやがって!


Beatnik Party (1960)
 
by enzo_morinari | 2018-12-25 04:29 | BEATNIK DAYS | Trackback | Comments(0)

「さよなら」と書いた手紙、テーブルの上に置いたよ

 
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虹子と暮らしはじめて30年近くになるが、1度だけ虹子に別れを告げたことがある。

別れを告げた理由。いくつもある。いくつもあるけれども、1番の理由は「これ以上、虹子に困難を背負わせつづけるわけにはいかない」と思ったからだ。死ぬつもりだった。ダッフル・コートのポケットには青酸カリの小瓶が入っていた。スベテ清算カリニケリ。

「さよなら」と書いた手紙をテーブルの上に置き、部屋を出た。ドアの鍵をしめたときの音は腹にずしんときた。だれにも気づかれない場所について思いをめぐらしながら目黒の権之助坂を登った。

ライブ・ハウスのBlues Alleyにさしかかったときに名前を呼ばれた。虹子だった。遅番だったはずだが…。

「早く帰れたですのよ」
「そんな気がして迎えにきた」

言うと、虹子は弾けるような笑顔をみせた。

「寒いからお鍋にします。大根と白菜とお豆腐とタラの。お酒も飲んじゃおっかなー。ちょっとだけ」

涙があふれそうになったが我慢した。八百屋と魚屋と酒屋に寄って買い物をすませ、部屋のある雑居ビルがみえはじめる頃、ちらりほらりと雪が降ってきた。虹子より先に部屋に入り、手紙を丸めてゴミ箱に放りこんだ。かくして、別れを告げたが虹子には届かず、伝わらなかった。死にもしなかった。そうそう思いどおりにはいかないものだ。


さらば恋人 堺正章 (1971)

街の灯り 堺正章 (1973)
 
by enzo_morinari | 2018-12-22 15:38 | TOKYO STORIES | Trackback | Comments(0)