人気ブログランキング |

<   2018年 09月 ( 74 )   > この月の画像一覧

分業あるいは転がる意志のある石、スカボローの蚤の市の帰り道に出会った夢の中で出会うはずの不思議な女の子

c0109850_01594076.jpg


スカボローの蚤の市に行ったら
キャンブリック地のシャツを作るように伝えてくれないか?
パセリにセージにローズマリーにタイム。
縫い目も細かい針仕事もなしで。
そうしたら彼女は私の恋人になる。

スカボローの蚤の市に行ったら
涸れた井戸で縫い目のないシャツを洗うように伝えてくれないか?
パセリにセージにローズマリーにタイム。
そこは水も湧かなければ雨も降らない土地だ。
そうしたら彼女は私の恋人になる。
P-S/A-G/Passed Away Person


スカボローの蚤の市の帰り道に、夢の中で出会うはずの不思議な女の子に出会った。夢の中で出会うはずの不思議な女の子は美しい亜麻色の髪にパセリとセージとローズマリーとタイムで編んだ髪飾りをつけていた。

「あなたが縫い目のないシャツをひと粒の雨も降らない土地の涸れた井戸で洗うことができたら、わたしはあなたの恋人になるわ。そして、千年の間貞節をつくします。でも、割り算と引き算はきらい。1×3=4200000よ。この世界からチューレットとハイチュウとチョコレートと夕張メロンと富良野メロンが消滅してもね」

女の子は言うと髪飾りからタイムのひと枝を抜き取って私に差しだした。私はタイムの小枝を受け取り、胸ポケットに挿してから拳で3回心臓のあたりを叩いた。凍りついたアルマジロの背中にSlazengerのWimbledon Grand Slam All Court Ballをぶつけたのとおなじ音がした。

「問題は、縫い目のないシャツが手元になくて、おまけに涸れた井戸がどこにあるかわからないってことだ。それと、1×3はいついかなるときにも3だ。天地が裂け、空からターラーが降ってきてもね」

私が言うと女の子は少し間を置いてから透きとおるような声で答えた。

「縫い目のないシャツはわたしがつくるから、井戸はあなたがみつけて。1×3は30か4200000よ。シマーサがきれいごとを口にしなくなってリアルに目を向けるようになってもね。妖怪ありがとうは魔法婆あがインチキマヤカシを止めてもね」

このことから私は「分業」の大切さを学んだ。しかし、縫い目のないシャツはいまだに完成していないし、ひと粒の雨も降らない土地にあるという涸れた井戸もみつかっていない。夢の中で出会うはずの不思議な女の子は朝から晩まで縫い目のないシャツのためのキャンブリックの生地のロールの前でチューレットとハイチュウとレオニダスのチョコレートと夕張メロンと富良野メロンを同時に食べながら算数のドリルをやっている。足し算のところだけ。割り算と引き算と掛け算には手をつけない。

それでも、いつかは縫い目のないシャツは完成するはずだし、ひと粒の雨も降らない土地にあるという涸れた井戸もみつかるにちがいないし、夢の中で出会うはずの不思議な女の子は1×3=3であることに気づくはずだ。明日やればいいことを今日やらないだけだ。
c0109850_02000743.jpg


われわれはいかなる石になるべきか?
自ら転がる意志のある石となるか。あるいは自己の体系なき他者の体系の奴隷であるところの意志薄弱乃至は石野卓球御用達の意志の脱臼石となってノー・グルーヴィー&ノー・クルージン&ノー・ブルージーな日々を生きるか。次の石の中から選ぶのが手っ取り早いと思量する。石野真子も同意見だ。石部金吉を先祖に持ち、滅多なことでは笑わず、払わず、助けない私が言うのであるから頭を大木金太郎くらい大きくして、ついでにヘッドバットでホームランかっ飛ばして、信じなさい。

01.シャンポリオンもびっくりの歩行するロゼッタ・ストーン

02.冥王星までにも達するような「宇宙を支配する巨大な意志の力」が宿る不倒不変のモノリス

03.ウルルとカタジュタが束になってもかなわないチャヌンパのファイア・ボウル

04.もののけ姫の首に巻かれる不撓不屈のピエール・ターコイズ・ラピスラズリ

05.房総半島をひと飲みしてしまう規模の暴走イエローストーン(国立。「やっぱり山は立山だよにゃー」ヴァージョンもしくは「館山の駅前交番のおまわりは不親切だよにゃー。無札乗車くらいで目くじら立てんなよ。館山ホエールズのライトで8番が泣くぜ」ヴァージョン)

06.カンテレを奏でるワイナミョイネンの横で不貞寝するカレワラ・カーリング・ストーネ

07.ペトログリフ/ヒエログリフ兄弟愛用のルーン・ナポリタン・マスティフ・ストーン

08.ブリテン市ソールズベリー大通り42番地にある声をかけてもろくに返事もしないような輩どもばかりが集積した不思議石愛好会の全国組織ストーン・サークル・ユニオン本部本館ヘンジ棟の礎石

09.マイルス・デイヴィスが鳥の饒舌に対抗して敷設した里程標、「帝王の沈黙の石」

10.二擦り三擦りすると充血して青筋が立ってどっくんどっくんになっちゃってアレアレモーモーにしてくれるカトリシンゴナイト・エボナイト

11.アヒェヒェ・ホカヘー・ヤタヘェ・タリホー・ストン

12.「”石”はディネの男たちの言葉でなんというか?」を尋ねられたホピ族の長老は「炎の中心に立て」とだけ言ってローリング・ストーンズの『コンフリクト・コンクリメント・フリーズドライ・ブルース』を歌いはじめたので固まってしまったストーン・ヘッド

13.ニューエイジ・ピープルの信奉を集めるガネガネ・ウソッパチマヤカシインチキ・セドナ・ストーン

14.石工同盟(フリーメーソン)石岡支部の石和温泉慰安旅行の際の名物余興「ピアッシングの儀式」で使用されるディラックの海石

15.ボブ・ディラン+ジョーン・バエズ+ ママス&パパスにのけ者にされて怒りのあまり化石になっちゃった42PPMの濃度ピーターボールアンドマリッジ・ストーン

16.石原伸晃の腎臓結石(学名:ナマポ・ストーン。生保石または生命保険石。石原慎太郎の胆石の付属品)

17.原爆級の破壊力を持つと言われる大木金太郎石(キムチ色)

18.九州地方の伝統郷土料理ボボ・ブラ汁を調理する際に器の中に投げ込まれる真っ赤に灼けたデトックス・ストーン

19.縫い目のないシャツをひと粒たりとも雨の降らない土地の涸れた井戸で洗うことに精を出すスカボロー・フェア・ストーンに恋するパセリセージローズマリー&タイムが主食の石をみつめる女の子の心の中で生まれるヒマラヤ矢車菊色をしたブルーサファイア

20.2番目のオールマイティ・マンにつづく3番目の夜歩く者が歩きはじめて1分7秒あたりで輪廻転生するときに用いるマットンヤ・ユミーン・リインカネーション・ストーン

21.ギガサイズのブルーマリーン・セイルフィッシュにもキリマンジャロのダイアモンド・ダストにも誰のためにでもなく自分のためだけに鳴り響く鐘にも視えない自由を撃ち抜くための視えない銃が保管されている武器庫に別れを告げるジーン・パチェットにもなれるヘミングウェイ・ストーン

22.天下御免の疫病神輿石

23.戦国大名の使いっ走り足軽三十八人衆の38番目だったピース缶ボム・ケースの真犯人千石38

24.スナドリネコさんがコレクションしているしまっちゃうおじさん石



Scarborough Fair(スカボロー・フェア) - Simon & Garfunkel (1966)
 
by enzo_morinari | 2018-09-15 02:29 | 記号の都市から記憶の森へ | Trackback | Comments(0)

彼女の愛した数式

c0109850_15370998.jpg


数学は神が宇宙について記述したアルファベットである。Galileo Galilei
多くの言葉で少しのことを語るのではなく、少しの言葉で多くのことを語りなさい。Pythagoras
時間を微分したものが現在であり、時間を積分したものが人生である。ある数学者


「10個10円のチューレット3個でいくら?」と私は彼女にたずねた。
「えっ?!ハイチュウじゃなくて?」
「ハイチュウじゃなくて。チューレット」
「チョコレートでもなくて?」
「チョコレートでもなくて。チューレット」
「えーっと、10個で10円のチューレットは1個1円だから、3個で30円」
「えっ?!」

部屋はえもいえぬビミョーでエグいアトムスフィアに満たされた。

「じゃあ、10個10万円の夕張メロン3個でいくら?」
「えっ?!富良野メロンじゃなくて?」
「富良野メロンじゃなくて。夕張メロン」
「えーっと、えーっと、えーっと。10個で10万円の夕張メロンは1個1万円だから、3個で420万円」
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ?!」


10÷10=1
1×3=30(はあと❤️)

10÷10=1
1×3=4200000(爆死💔)



*翌日、彼女は『ローマはなぜ滅んだか? ローマ帝国滅亡を解読するための方程式』という博士論文を担当の弓削達教授に提出した。

彼女は割り算がきらいだ。憎んでさえいる。同様に引き算も憎んでいる。掛け算は好きでもきらいでもないが、苦手だ。できれば関わりたくない。足し算は1の位までなら暗い夜道で出会っても足し蟹の足音を正確に暗算で聞きわけるくらいのスキルはある。どちらかと言えば好きだ。

3ヶ月後に出る博士論文の答えは×××だ。マルチプリケーションではない。数年後、弓削達教授は『ローマはなぜ滅んだか?』というタイトルの著作を出したが偶然の一致にすぎない。ただし、この偶然の一致が起こる確率は1/420000000000である。夕張メロンに換算すると...割り算と掛け算は苦手だ。
 
by enzo_morinari | 2018-09-14 15:40 | 彼女の愛した数式 | Trackback | Comments(0)

真言の音楽/孤独な魂がたどり着く場所 日野皓正『Alone, Alone, and Alone』

c0109850_13224119.jpg


We came alone, live alone, we will go alone, and we're all alone.

この世界において確実なのは生まれた瞬間から死のカウントダウンは始まっているということだけである。E-M-M

地位も名誉もゼニもある者がとめどなくアルモニゼするとスタティック・タクティクス・カスタネダ・スネダナック・オガディオスがやってくる。E-M-M

クリフォード・ブラウンは交通事故で死んだ。25歳だった。スコット・ラファロも。スコット・ラファロのレコーディング・キャリアはわずか5年。今に至るも強く大きな影響を与えつづけている。ロバート・ジョンソンは死んだ。愚か者クラブ/27Clubは死んだ者の一覧だ。チャーリー・パーカーは死んだ。ジャズは死にかけた。ジャンゴ・ラインハルトは死んだ。ハンク・ウィリアムスは死んだ。アート・テイタムは死んだ。デューク・エリントンは死んだ。カウント・ベイシーは死んだ。グレン・ミラーは死んだ。ベニー・グッドマンは死んだ。バド・パウエルは死んだ。オスカー・ペティフォードは死んだ。ウェス・モンゴメリーは死んだ。ディジー・ガレスピーは死んだ。J.J.ジョンソンは死んだ。ジョン・コルトレーンは死んだ。エリック・ドルフィーは死んだ。チャールス・ミンガスは死んだ。ジャズ伝道師セローニアス・モンクは最後の最後まで文句を言いつづけて死んだ。オーティス・レディングは死んだ。ジミ・ヘンドリックスは死んだ。ジャニス・ジョプリンは死んだ。魂の共同体/幽霊のアルバート・アイラーは死んだ。マービン・ゲイは死んだ。保安官殺しのラスタファリアン/ヤー・マンのボブ・マーリーは死んだ。拒食症の明けない夜明けにカレン・カーペンターは骨格標本となって死んだ。ビル・エヴァンスは死んだ。チャーリー・ヘイデンは死んだ。ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセンは死んだ。ヴァーチュオーゾのジョー・パスは死んだ。ジャコ・パストリアスは死んだ。ミシェル・ペトルチアーニは死んだ。ウィントン・マルサリスはもうすぐ還暦だ。マイルス・ディヴィスでさえ死んだ。そして、ジャズは完全に死んだ。

小さな小川から豊饒なる大海に変貌を遂げたJ.S. バッハは死んだ。季節の移ろいを完全グリップしたアントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディは死んだ。ヘンデルは死んだ。ハノーヴァー・スクウェアのハイドンは死んだ。馬車馬のようにこき使われたかわいそうなかわいそうなウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは魔弾の射手に心臓を撃ち抜かれて死んだ。運命に翻弄されたルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンは喜びの歌の鳴り響く静寂の中で死んだ。パガニーニは死んだ。リストは大練習曲No.2の最中に死んだ。ディオニュソスに魅入られたワグナーはニーチェの死を死んだ。困憊と困窮に彩られたHard Timesを生きたスティーブン・フォスターは「Hard Times Come Again No More」と言い残して死んだ。セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフは美しくかなしい旋律を残してアダージョ・ソステヌートに死んだ。疾走する精神を妙なる調べ/雄渾なる大地の歌にしたグスタフ・マーラーは死んだ。指揮棒をふる哲学者フルトベングラーは死んだ。メンゲルベルクは死んだ。ムラビンスキーは死んだ。チェリビダッケは死んだ。カール・リヒターは死んだ。スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテルは死んだ。アルチュール・ルビンシュタインは死んだ。戦慄の抒情/すぐれたビジネスマンのヘルベルト・フォン・カラヤンは死んだ。バーンスタインは死んだ。J.S. バッハの『無伴奏チェロ組曲』を音楽の墓場から発掘したパブロ・カザルスはピースピースと啼きながら死んだ。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは死んだ。マリア・カラスは死んだ。カルーゾーは死んだ。パバロッティは死んだ。オザワももうすぐ死んでしまうだろう。楽譜の読めない無調性音楽好き/感音性難聴のサムラゴチは死ねばいいのに。

そう遠くない将来にナベサダもヒノテルも穐吉敏子も鬼籍に名を連ねる。帰らぬ人となる。山下洋輔や坂田明でさえ。海外に目を向ければソニー・ロリンズの名がまず浮かぶ。88歳。Countdownが終わるのはすぐだろう。メイヴィス・ステイプルズは来年の夏に80歳になる。アレサ・フランクリンはbye-byeしたばかり。キース・ジャレットとチック・コリアとジョージ・ベンソンとエルトン・ジョンは70歳を過ぎている。ピーター・フランプトンは70歳近い。日系ウガンダ人のハルキンボ・ムラカーミさえ。透明ブリュのコインロッカー屋/ガキデカ顔のリュ・ムーラカッミと銭ゲバ糸井は逝ってよし。さっさと逝け!


孤独な魂がたどり着くのは約束の地か煉獄か青き清浄の地か。答えは平行植物が繁茂し、鼻行類が闊歩するアノニマス・ガーデンのライムストーンの下に埋まっている。


Alone, Alone and Alone - 日野皓正 Terumasa Hino (1967)



Terumasa Hino - Alone, Alone, and Alone (COCY-80428).

Track Listing:
1. Alone, Alone, and Alone
2. Soulful
3. Summertime
4. Downswing
5. B-Lunch

Personnel:
Terumasa Hino (tp)
Yuji Ohno (pn)
Motohiko Hino (ds)
Kunimitsu Inaba (bs)

Recorded at Teichiku Kaikan Studio, Nov, 16 & 17, 1967

Memories of You - Benny Goodman
Hard Times Come Again No More - Mavis Staples
 
by enzo_morinari | 2018-09-14 13:42 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(0)

1993年秋のロン・カーターとナンシー関と鼻行類的世界


c0109850_2342715.jpg


チョコレートを毎時420g食べつづけさせられることはナンシー関の舌打ちよりムカつく。胸糞が悪い。ただし、糞がカカオになるのはまんざらでもない。E-M-M

カカオマス/Cacao Massは大阪府大阪市住吉区出身の近石真介系フグ田マスオとは一切合切縁もゆかりもないが、オニカマスとジミー・ペイジにHERCOのピックFlex 75で釣り上げられたプリマス・バラクーダとモンゴル奥地の清流に生息する幻のカカオ鱒とは仲がいい。逆玉の輿で亀屋万年堂のCEOとなったライパチ国松(背番号73)とさかなクンが発見したクニ鱒とは遠赤外線関係である。E-M-M

「カカオマスを描く」と口にしてならない。上野千鶴子に常駐される地獄がやってくる。E-M-M

「オニカマスを描く」という発語は、事と次第によっては「鬼がマスをかく」というマスターピース事態を招く。須磨蟹夫


1973年の冬は横浜・本牧の小港にある船員相手のゲーム・センターでスリー・フリッパーのスペース・シップに合計17630円をつぎ込み、春までのあいだに73回のTILTを出した。15歳を3ヶ月ばかり過ぎたころのことだ。マスターベーションのベテランになりかけていて、陰毛がほぼ生えそろい、背筋力は180kg近くだった。私の数少ないヒーローだった近代ゴリラは私になんの断りもなく、1970年の秋の終りに市ヶ谷の軍隊の砦でみずから腹をかっさばき、情死を果たしていた。

人生が馬鹿馬鹿しいことにうすうす気づいたのもこのころだ。おまけに、しかも具合の悪いことに、私は母親ほども年のちがう理科の教師に恋をしていた。このことはリトマス試験紙の青/赤の意味を理解するより私を混乱させた。その混乱が実験室で母親ほども年のちがう理科の教師とひと冬のあいだ、ほぼ毎日セックスする事態を招いたのだと思う。問題は1993年のロン・カーターだ。

c0109850_2354282.jpg

1993年の秋の盛り、私はたしかにブルーノート東京にいた。ロン・カーターとジム・ホールのデュオを聴くために1週間酒を断ち、3日間臓物を断ち、さらには開高健に脅迫文まで送りつけた。私が間抜けだったのは開高健がすでにこの世界とオサラバしていたことを知らなかったことだ。正確には知っていながら知らないふりをしていたことだ。

1993年の秋の盛りのブルーノート東京におけるロン・カーターとジム・ホールより開高健の死は悲しかった。『アメリカの鱒釣り』の死より悲しかった。あえて言えば、村上春樹が自分より先に文壇デビューしやがったことより悲しかった。「神戸がなんぼのもんじゃい!」と私は青山墓地の1-イ街区あたりで叫んだような気がする。修行がなってない。すべては記憶力と集中力だと遠い日の夏に一人誓ったのに。

c0109850_23162598.jpg

1993年の秋の盛りのブルーノート東京におけるロン・カーターはずっとニヤついていた。われわれオーディエンスの前に姿を現したときから消えるまでずっとだ。ふだんあらゆることどもに寛容な私も、『I Remember Clifford』のときさえふやけた笑い顔をみせるロン・カーターには腹を立てた。腹を立てていたのは私だけではなかったはずだ。私の右斜め前に座っていた消しゴム料理人のナンシー関は巨体を激しく揺らせながら「チッチッチッ」と立て続けに舌打ちをして不快感をあらわにしていたほどである。もっとも、暖房の効きすぎた店内においてはナンシー関こそが他のオーディエンスの不快感と嫌悪の中心だったことはまちがいない。そのときのオーディエンスの不快感と嫌悪がもとでナンシー関は9年後に心臓麻痺を起こして死んだのだと思う。

c0109850_23104915.jpg

南米のギニア高地に鼻行類という不思議奇天烈な生き物がいる。新生代鮮新世ザンクリアン期の地層から多数の化石が見つかっていて、マンモスの直接の祖先ではないかとの説もある。

鼻行類は手足のたぐいがなく、巨大な鼻を器用に使ってテリトリーを歩きまわるのだが、歩いているあいだ中、鼻行類はあたりになんとも言いがたいぬるく弛緩しきった笑いをふりまく。明け方の青山通りのカナダ大使館の前あたりで一度だけ鼻行類の一団に遭遇したが、リーダーとおぼしきとりわけて鼻のおおきなやつを中心に正17角形を描きながらかれらはぬるい笑いを私に投げかけてきた。もちろん、私はきっぱりと鼻行類どもの笑いを拒絶した。

私の毅然とした態度に驚いたのか、かれらは鼻を揺すり、グーグーと不満そうな音を発しながら高橋是清翁記念公園の森の奥へと消えていった。そのグーグーという奇妙な音はケルン・コンサートのときのキース・ジャレットの唸り声によく似ていた。次に鼻行類と再会するのは2012年の秋、神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下になることを当時の私はまだ知らなかった。

c0109850_23125737.jpg

1993年の秋の盛りのブルーノート東京におけるロン・カーターのニヤついた笑顔は鼻行類そっくりだった。もっとも彼の鼻行類的笑いになんらかの思惑があったわけではない。単にロン・カーターは人がよく、温厚で、指が宇宙から来た生物学者のように長く、そして原始100万年のDNAの螺旋階段を駆け下りる不思議がもたらした「鼻がでかい」という単純きわまりない形質上の問題が横たわっているにすぎない。それでも私はロン・カーターの鼻行類的笑いがゆるせなかった。彼の鼻づまりを起こしたようなベースの音色よりもだ。そして、私はいっさいの温厚さに憎しみを抱くようになり、1994年の春には3人の女の子の父親になった。以来、きょうまで私は鼻行類的世界にがっちりとつかまれている。そればかりか、今や私は土壌が回復不能なまでに腐敗した富良野で平行植物軍のフラノ攻撃に日夜さらされ、レオ・レオーニのクロッキー世界に閉じこめられている。レオニダスのチョコレートを毎時420g食べさせられる拷問を受けながら。
 
by enzo_morinari | 2018-09-14 05:17 | TOKYO STORIES | Trackback | Comments(0)

五つ子と双子/キメラをめぐるフランネル・フラワーとアストランティアの物語

c0109850_01025281.jpg


コード・トライアドの倒壊にともなう建替え工事の間、エドゥアール・ステファンのたっての頼みで彼の五つ子の面倒をみることになった。エドゥアール・ステファンはマルセイユ天文台の天文台長としてコンパクト銀河群研究の総指揮を取るための激務でほとんど自宅に帰ることができないのっぴきならない状況に置かれていたのである。エドゥアール・ステファンの妻は五つ子が産まれた翌年にジェローム・ユジェーヌ・コッジャと倫ならぬ恋に落ち、逐電していた。

フラワー・ベッドで目覚めたエドゥアール・ステファンの五つ子、ステファンズ・クインテットは同時に「アストランティアのアトランティス・サラダ食べたい」と5声の和音で言った。5声の和音? そう。宇宙は実に不可思議恒河沙阿僧祇無量大数に満ちている。五つの星の子。5星と5声。いくぶんかの整合性はある。5整。生成する整合性は実に清々しい。ある種の聖性さえある。

c0109850_11152072.jpg

さて、アストランティアのアトランティス・サラダを作るために私はアストランティアを求める旅に出た。フランネル・フラワーの双子の相方。アストランティアに産毛が生えてフランネル・フラワーになった。五つ子のための双子をめぐる旅。悪くない。

オーストラリア原産のフランネル・フラワーとヨーロッパ原産のアストランティア。おなじセリ科。属は異なるが双子の命が北半球と南半球に落ちて、その地に適した姿に変わった。元は同じ双子だった。乾いた不毛の地とその対極極北にある地。北半球と南半球を合わせてできあがる平行植物。散種されたキメラの平行植物。だれが、なんのために、どうやって。そして、どこから…。

c0109850_01034063.jpg

 
by enzo_morinari | 2018-09-14 01:06 | フランネル・フラワーに首ったけ | Trackback | Comments(0)

フランネル・フラワーに首ったけ

c0109850_11152072.jpg


フランネル・フラワーは平行植物の亜種である。Robert Rococo Rollo=Rollon le MarcheurⅢ

寝ているあいだに沈黙ノートの片隅に撒かれた種のビジョンはまだ沈黙の只中にある。E-M-M

古い歌(沈黙ノートのうた)
だれもがだれにも聴かれない歌を記す。
だれも聞いてはいるが聴いてはいない。
言葉は音もなく雨だれのように落ちる。
聴かれない歌は深い井戸の中で谺する。
S/G

No Listening, No Life. E-M-M


ロベール・ロココ・ロロ=ロロン3世からフランネル・フラワーを666株もらって以来、私はフランネル・フラワーの虜だ。つまり、フランネル・フラワーに首ったけ。

ロベール・ロココ・ロロ=ロロン3世こと「第42回物を知らない世界選手権」において、堂々の42連覇を果たした人物を大伯父に持つイタリア系日本人であるククビタ・ペポ(九首田ペポ/Cucurbita Pepo)はバビル2世が再開発したバビロンの北端にあるククビ茸畑から首だけ出す荒技で周囲を慌てさせたあと、私の素っ首にフランネル・フラワーの株666オーメンヨハネアポカリプスをつけあわせた。666オーメンヨハネアポカリプスのフランネル・フラワーはバーコードのようにひんやりしていた。銀座4丁目のSONY PLAZAで買ったジェフリー・ビーンのフレグランス/グレイ・フランネルの匂いがした。

無性に蝦夷地のヴィジュアル系チンピラ音楽隊のGLAYを踏みつぶしたかった。特にリーダーのフウイヌム国の住民づらの右42度上を集中的に。その広葉樹林文化を完全否定する醜悪なる桃源クチビルとともに。
c0109850_11171913.jpg


フランネル・フラワーは平行植物の亜種であると言ったのは宇宙植物学者であった頃の7歳の私である。

フランネル・フラワーはなにゆえにフランネル・フラワーというのか? 宇宙植物学者であった頃の私がそう決めたからである。そうだからそうなのだという世界は確実に存在する。具体的には富良野のアデルフィB地区9696がそうだからそうなのだという世界だ。

私はこれから富良野のアデルフィB地区9696を砂漠化し、極力自然交配に近いかたちでフランネル・フラワーのまったく新しいカインズホームステイを作出する。このプロジェクトのアシスタントとしてタスマニアン・デビルのタデ9U64モスキートコーストズッキーニ(蓼食う虫もSEX好き好き大好き)とウォンバット戦闘団零度のエクリチュール中隊隊長/神話作用によるバトルの体系体現者のウォンバット・コンバットS/Z(後家殺しのバット・ドール/黄金のバット)とたのきんトリオ・ロス・パンチョスのコアラのマーチが街にやってくる型聖者E-EK10を呼び寄せた。

c0109850_12153894.jpg
c0109850_12152549.jpg


古い歌(沈黙ノートのうた) S/G (1964)
 
by enzo_morinari | 2018-09-13 11:17 | フランネル・フラワーに首ったけ | Trackback | Comments(0)

うたたねの記憶/HONDAの栄光は失われた。和光のことは夢のまた夢。スズカのことは夢のまた夢の夢。

c0109850_06025422.jpg


アイルトン・セナの死とともにHONDAの栄光は失われた。和光のことは夢のまた夢。スズカのことは夢のまた夢の夢。E-M-M

HONDAはいまや機織り屋(自動織機)/看板屋(かんばん方式)/ゴーンとカネが唸るなり流脳寺にいいようにやられるばかり。ふりむけば、MAZDA/スバル/ダイハツ/SUZUKI/いすゞ/三菱だ。

アイルトン・セナがドライブするMcLaren MP4/6のHONDA V12サウンドを聴きながら眠りに落ちた。そして、夢をみた。

夢の中で私は世界有数のアイルトン・セナの死とHONDAの失われた栄光博士だった。アイルトン・セナの死とHONDAの失われた栄光に関することならなんでもこい状態である。

「ソーイチローの夢と致死量」に関するスリップストリップストリーム報告を読みすすみながら、回生エネルギーシステムを両前足で捧げ持ち、メチャイケブンブンブブブンと単位上等!爆走数取団音を立ててソーイチローの夢を飲みほす虹子象の尻尾を引っ張った。虹子象はふりむくと立てつづけに42回ウィンクし、鼻先を私に向けて、ものすごい勢いでソーイチローの夢を限界利益率過給圧無限大で噴射した。その量と言ったらアベシン象の頬のたるみ10000000000000センチ分はくだらなかった。その証拠にソーイチローの夢だらけの虹子象の足の裏をひと舐めふた舐めすると、思わず「アキエ~♪ アキエ~♪」と口から出た。

背後からイシバ象が全身を石志ば漬けで腫れあがらせつつも、余裕で私の体についたソーイチローの夢を剥ぎとり、自分の石志ば漬けに塗りたくりはじめた。それを天空からみていたヤバイヨヤバイヨデガワ神は「エリちゃん、エリちゃん。レマちゃんとは砂漠谷でなにして遊ぶの?」と叫び、「エリちゃん? エマちゃん? だれよ、それ」と尋ねた私に、ヒサコとキヨシとスミヒサとサトシとタマミとユリコとタクとゲンが8プラトン・オーバーテイク・ターボラグ・スリップストリップストリームを喰らわしたところで目がさめた。まことに石志ば漬け仕立て計測不能なアイルトン・セナの死とHONDAの失われた栄光世界の私であった。

夢からさめ、虹子をみれば、回生エネルギーシステムを盛大にふりまわしながらターボ! エンジン! ストール!のかけ声とともにアイルトン・セナの死とHONDAの失われた栄光踊りの真っ最中である。

一番弟子であるミニチュア・セントバーナードのポルコロッソは全身にアイルトン・セナの死とHONDAの失われた栄光を塗りたくられ、狂喜乱舞もいいところである。私はと言えば、虹子が次から次へと作りだすターボエンジンストールだけでできたアイルトン・セナの死とHONDAの失われた栄光を堪能し、血糖値レッドゾーン突破状態であった。


うたたねはかくもヒューマンエラーは0にできないし、自分の人生は自分にしか作ることができないごとくに2位は勝利でなく明瞭に敗北である。


McLaren Honda MP4/6 V12 F1 1991 at Suzuka Aytron Senna
Ayrton Senna drives the MP4/6 at Suzuka.Qualifying Lap
 
by enzo_morinari | 2018-09-13 06:04 | うたたねの記憶 | Trackback | Comments(0)

黒い絵描きのルノワール・ファム・ファタールとドイツ表現主義とフィルム・ノワールの夜

c0109850_17501184.jpg


かつて、目黒の権之助坂の中腹に喫茶室ウエストがあった。乃木坂の喫茶室ウエストとともに、時々、考えごとをしたいときに利用していた。ドライケーキをかじりながら。

喫茶室ウエストは、いわば私の思索部屋だった。しかし、ドトールコーヒーやスターバックスやタリーズの台頭とともに昭和のにおいを残す喫茶室はみるみるうちに姿を消した。喫茶室ウエストも例外ではない。「ドライケーキのウエストでございます。 」というシンプルで美しいCMを目にすることもなくなった。

喫茶ウエストのあとはルノワールとなり、ルノワールも撤退してしばらく「空き店舗」のプレートがかかっていた。目黒駅にほど近い場所柄、すぐになにかしらの店が入ると思っていたがそうはならなかった。

c0109850_00542330.jpg

きょうの昼すぎ、除去仕事のために目黒川沿いを下見した帰り道、勝丸でラーメンを食い、ついでにポーク亭でカツ丼を食べ、目黒雅叙園で雅叙園観光の残党を除去してから目黒駅方向に権之助坂を登った。

喫茶ウェストのあったビルは漆黒に塗り替えられて「黒猫社」という看板がかかり、喫茶室ウエストのあった2階にはシノワール・シャノワールというカフェ風の店が入っていた。

シノワール・シャノワール? Chinoise Chat Noir? 支那の黒猫? 黒猫社のビルに黒猫という名のカフェ。黒幇。黒龍会。龍頭...。気分の悪くなる言葉が次々に浮かんだ。

階段を小走りに駆けあがり、マットブラックの扉を押した。店の中はムスクのにおいが充満していた。

扉を入ってすぐの壁には黒い絵描きのルノワール・ファム・ファタールとすごすドイツ表現主義とフィルム・ノワールの夜というポスターが貼ってあった。ポスターはあきらかにドイツ表現主義の影響がうかがえるデザインと色使いだった。ポスターの下隅には小さく「『マルタの鷹』『黒い罠』『暗黒街の顔役』もノンストップ同時上映」とある。

黒い絵描き。ルノワール。運命の女。甘く危険な香りのする女。ドイツ表現主義。そして、フィルム・ノワール。

私は途轍もない災厄を孕んだ運命の歯車が音もなく回りはじめ、自分が陰謀/謀略の大迷宮に迷いこんだことをはっきりと感じた。そして、左脇のホルスターに収まっているFN Browning Model 1910の銃身を指先で2度撫で、Benchmade Vallation 407のグリップを握りしめ、「Grip Glitz」と口にした。

c0109850_21300673.jpg


The Cat - Jimmy Smith
 
by enzo_morinari | 2018-09-12 18:02 | GRIP GLITZ | Trackback | Comments(0)

真言の音楽 「なんて素晴らしい世界」と歌い、彼女は逝った。

c0109850_11513904.jpg


LA DIVA, EVA 歌う小鳥、夭折、Edge & Relation of Nature
1996年秋の土曜の朝、Song Bird、歌う小鳥イーヴァ・マリー・キャシディは宝石のような3枚のアルバムを残し、天国へと飛翔した。33歳。はやすぎる死だった。若き死はグレイス・スリックの肖像画のようにかなしく、せつない。

生まれたのも土曜の朝だった。土曜の朝に生まれ、土曜の朝に天へと帰る。イーヴァ・マリー・キャシディの音楽、歌声のように哀しく透明で素敵だ。

イーヴァ・マリー・キャシディの存在を知ったのは2001年9月11日の夜ふけだった。テレビ受像機からはWTCの双子のビルが憎悪の炎と煙りを上げる光景が繰り返し流れていた。またひとつ、「パンドラの筺」はこじあけられてしまったのだという思いに胸が押しつぶされそうだった。

パンドラの筺は開き、魔物がやってきて笛を吹いていた。その不吉な漆黒の旋律が世界を覆いつくしつつあった。この事態を見通すすべと勇気を持っていなかった。

WTCのふたつのタワーに次々と突入するボーイング767の機影をみながら、私は奇妙な感覚にとらわれていた。奇妙であり、凍りつくような感覚だった。世界のある種の側面を象徴するものが無力に崩壊する瞬間。

人類はこのとき、まちがなく岐路に立った。現実世界に突如として現れたふたつの魔物。これは「異界」から突然やってきた魔物だ。この魔物にはわれわれの常識や理念や価値観や感情や経験はいっさい通用しない。届かない。おそろしいことだ。 

戦争だと思った。狂信的なならず者たちによる唾棄すべきカミカゼ・アタックは世界全体への宣戦布告ととらえなければならないとも。ワイアット・アープは聖人気取り而して実体は金融強盗の親玉を仕留めねばならない。しかし、この戦争には、「どのようなかたちであれ、戦争は政治の延長線上にある」というクラウゼヴィッツ流の解釈は成り立たない。政治の延長線上にない以上、「外交」は力を持たない。そしておそろしいことに、魔弾の射手たちの憎悪と狂信によって放たれた矢に始まる「負の連鎖」を絶ちきるすべを世界は持っていなかった。

無力さが身にしみた。打ちひしがれていたと言ってもいい。そして、イーヴァ・マリー・キャシディに出会った。正確にはイーヴァ・マリー・キャシディの歌声に。覚えのないZIPファイルを解凍し、mp3ファイル・フォルダをあけると、エルヴィス・プレスリーやジョニー・キャッシュやサム・クックやエリック・クラプトンの『ダニーボーイ』に混じって、イーヴァ・マリー・キャシディの『ダニーボーイ』がフォルダの片隅で、サボテンミソサザイのようにふるえながら私を待っていた。

イーヴァ・キャシディのライブ音源、『Live at Blues Alley』を繰り返し聴いた。聴くたびに新しい発見と新しい感動があった。『Live at Blues Alley』は途轍もない「名盤」だと思った。それまで『Live at Blues Alley』はもちろん、イーヴァ・キャシディの存在すら知らなかった自分が恥ずかしく、くやしかった。そして、『Live at Blues Alley』の現場に立ち会った人びとが心底うらやましかった。

『未知との遭遇』で、唯一エイリアンに宇宙船への搭乗をゆるされたリチャード・ドレファス演じる主人公に、科学者役のフランソワ・トリュフォーがしみじみと「うらやましい。」と言った、あの気分だった。だが、私が『Live at Blues Alley』の現場に立ち会えず、イーヴァ・キャシディを知るのが彼女の死後、5年ちかく経ってからというのも、なにがしかの「縁」によるところだろう。

音楽の「現在性」「臨場感」「リアリティ」が好きなので、これまでにもライヴ音源は意識して聴いてきた。ライヴの成否は演奏者、聴き手、楽曲が三位一体となるかどうかで決まるが、それらの三者をつなぐのは、人知の及ばない不可思議精妙なる「縁」であるというところも魅かれる理由だ。

日曜日のヴィレッジ・ヴァンガードでおもいっきり不良している若き日のビル・エヴァンス、パリのクラブ・サンジェルマンで火の出るようなインプロヴィゼーションをぶちかまし、お高くとまっているジャズ好きのインテリどもを完膚なきまでにノックアウトしたアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ、アル・ディ・メオラとパコ・デ・ルシアがストリート・ファイト同然のものすごいギター合戦をしたサンフランシスコでのライブ。

いずれも、パフォーマンス史に残る名演だが、イーヴァ・キャシディの『Live at Blues Alley』のパフォーマンスはこれらに引けをとらない。それどころか、凌駕しているとさえ思われる。これは実は私にとってはたいへんな事態だ。

スティングの『Fields Of Gold』は、あきらかにオリジナルを上回って、まぶしいほどだ。さらに、『Autumn Leaves/枯葉』の透明感、哀愁、哀感、解釈は、私にとってはまちがいなく「The Best of Autumn Leaves」である。ほぼ無名に近い1パフォーマーが小さなライヴ・ハウスでひっそりと行ったライヴが、いわゆる「歴史的名演」を軽く乗りこえていたという事実に私はふるえた。

私にとって、『Live at Blues Alley』を聴くという行為は経験そのものであった。ライヴは「その場」で答えを出さねばならない緊張感と、二度と同じパフォーマンスはできないという一回性、つまりは一期一会の覚悟性に魅力がある。そして、文字通り、この音源を最後に、もう二度とイーヴァ・キャシディのパフォーマンスが記録されることはなかった。10ヶ月後に彼女は天に召されたのだ。世界のあらゆる事態は「縁」によって成り立っていることを、『Live at Blues Alley』を聴きながら、私はあらためて知った。 

The End of the World, What a Wonderful World
What a Wonderful World ──。彼女は「なんて素晴らしい世界」と歌い、逝った。

「パパとママにこの歌を捧げます。」と言い、イーヴァ・マリー・キャシディは歌いはじめた。1996年9月11日、死の2ヶ月前のことだ。彼女の「最後の歌」を聴くために親しい友人や彼女を愛する者たちが集まっていた。

イーヴァが歌いはじめると、会場は水を打ったように静まり返る。だれもがひと言も、一音も聴きのがすまいとしているのが手に取るようにわかる。そうだ。その場に居合わせている全員がすでに知っているのだ。イーヴァ・マリー・キャシディがもうすぐ死ぬことを。二度とイーヴァ・マリー・キャシディの歌う姿を間近では見られなくなることを。そして、これがイーヴァ・マリー・キャシディとの永遠のさよならになることを。そしてさらに、そのことをいちばんよく知っているのはイーヴァ・マリー・キャシディ本人であることを。もちろん、イーヴァ・マリー・キャシディ本人も。
 
『What A Wonderful World』は実に多くのパフォーマーたちがさまざまなかたちでカヴァーしている。玉石混淆、種々雑多、完全にひとをなめきったようなものもあれば、高をくくったようなものもあれば、おちゃらけ軽佻浮薄なものもあれば、勘ちがいもはなはだしいものもあれば、永遠にさようならのものもある。

両親への感謝と愛情をこめたメッセージではじまったイーヴァ・マリー・キャシディの『What a Wonderful World』は、私の知るかぎりにおいて、最上の、高貴な、心ふるえるパフォーマンスであった。本家本元、ルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』をしのぐのではないかとさえ思えるほどにすばらしい。このときの『What a Wonderful World』はもはや、音楽、パフォーマンスを超えて、死と直面しながらも逃げず、「世界」と対峙する者の静かなる叫び、ひとりの人間の生きざまの最終回答、結論と私は聴きとった。

心を静かに揺さぶり、余韻はいつまでも消えない。イーヴァは万感の思いをこめて歌い、聴衆もまた同様に万感の思いをこめて聴いたことだろう。わずか数分のことにすぎないが、その光景は一巻の叙事詩ともいえるのではなかったか。歌い終え、最後に、本当の最後にイーヴァは言った。

「みんな、来てくれて本当にありがとう。あなたがたは素晴らしい。」

ひとは生まれ、生き、死ぬ。そのことからはだれも逃れられない。世界はいつかかならず終わり、世界はいつかまたはじまる。世界は何度でも終わりつづけ、何度でもはじまりつづける。だからこそ、世界は素晴らしい。イーヴァ・マリー・キャシディの澄んだ歌声を聴きながら、そんなことを思った。

c0109850_11514841.jpg


Eva Cassidy - Live at Blues Alley (1996)


Released May, 1996
Recorded January 2 & January 3, 1996. Blues Alley, Washington DC.
Genre Blues, Jazz, Folk
Length 57:21
Label Eva Music
Producer Eva Cassidy, Chris Biondo

Track listing
1. "Cheek to Cheek" (Irving Berlin) – 4:03
2. "Stormy Monday" (T-Bone Walker) – 5:49
3. "Bridge over Troubled Water" (Paul Simon) – 5:33
4. "Fine and Mellow" (Billie Holiday) – 4:03
5. "People Get Ready" (Curtis Mayfield) – 3:36
6. "Blue Skies" (Berlin) – 2:37
7. "Tall Trees in Georgia" (Buffy Sainte-Marie) – 4:05
8. "Fields of Gold" (Sting) – 4:57
9. "Autumn Leaves" (Joseph Kosma, Johnny Mercer, Jacques Prévert) – 4:57
10. "Honeysuckle Rose" (Andy Razaf, Thomas "Fats" Waller) – 3:14
11. "Take Me to the River" (Al Green, Mabon "Teenie" Hodges) – 3:51
12. "What A Wonderful World" (Bob Thiele, David Weiss) – 5:50
13. "Oh, Had I a Golden Thread" (Pete Seeger) – 4:46 [Studio recording]

Personnel
Eva Cassidy - vocals, acoustic guitar, electric guitar
Chris Biondo - bass
Hilton Felton - Hammond organ
Keith Grimes - electric guitar
Raice McLeod - drums
Lenny Williams - piano


Autumn Leaves/枯葉 - Eva Cassidy(Live at Blues Alley)
 
by enzo_morinari | 2018-09-12 11:53 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(0)

オキム・オン=アミラ氏はカスタノプシス・アルギリロフィラの枯葉にライス・ボールをのせ、旅の困難を語る。

c0109850_09331425.jpg


家にあらば笥に盛るめしを草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子(萬葉142)

メソポタミアの民/チグリス川の申し子であり、萬葉落葉枯葉研究者としても名高いオキム・オン=アミラ氏が自分が有間皇子のリインカネーションであることをカミング・アウトしたのは2007年3月11日、仙台の杜の郷で開催された萬葉皇道学会の基調講演のときだった。

講演の最後にオキム・オン=アミラ氏は壇上で突如として痙攣を起こし、白眼を剥いて、神がかりの状態で語りだした。顔も表情も声も私の知るオキム・オン=アミラ氏ではなかった。このような顔だ。

Ψ(`▽´)Ψ

「マルスの月の昼下がりに北の国の大地は揺れ、悲しみの海は盛り上がり、プルトンの城は燃えて溶け出す。重金属の塊りのような大津波は北の国の街々を跡形もなく押し流し、人々の生活を根こそぎにするだろう。四つのプルトンの城は鳴動し、発熱し、大災厄を撒き散らし、水はニガヨモギのようににがくなるだろう」

騒然とする会場をよそに、オキム・オン=アミラ氏はなにごともなかったように早足に舞台の袖に消えた。

c0109850_09413248.jpg

私はオキム・オン=アミラ氏の求めに応じて白神山地を案内した。2時間ほど山中を歩き、やわらかな陽の射す場所で休息をとった。

オキム・オン=アミラ氏は「Yo! Man!」と言ってカスタノプシス・アルギリロフィラの枯葉にライス・ボールをのせた。そして、「家にいれば皿かボウルに盛れるんだがな」と言い、それまでの旅の困難と困憊を語りはじめた。

Les Feuilles Fortes/Autumn Leaves/枯葉(Joseph Kosma/Jacques Prévert)
Autumn Leaves/枯葉 - Eva Cassidy(Live at Blues Alley)
Cannonball Adderley(Miles Davis)
Bill Evans Trio
 
by enzo_morinari | 2018-09-12 09:44 | カスタノプシス・アルギリロフィラ | Trackback | Comments(0)