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<   2018年 09月 ( 74 )   > この月の画像一覧

根岸線とジョニ黒と『善悪の彼岸』

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昔々、横浜で。


根岸線。そう口に出すだけで甘酸っぱくなつかしい気分になる。桜木町止まりだった京浜東北線が磯子まで延長になったときは開通記念式典に物見遊山で出かけたものだ。まだ洟垂れ小僧の私には生まれてはじめての一大イベントだった。磯子の駅前が大きな舞台のように見えた。

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横浜市消防局の音楽隊が景気のいい音楽をジャカスカ鳴らしていた。色とりどりの風船が舞い踊っていた。どいつもこいつも幸せそうだった。

宙を舞う風船を追いかける私。
宙を舞う風船を追いかける私を追いかける母親。
それをクールにみつめる生物学上の父親を名乗る男。

生物学上の父親を名乗る男はろくでなし放蕩三昧の穀潰しで、おまけにまったくもっていけすかない奴だったが、そのクールさに免じてゆるしてやろう。

洟垂れ小僧の私と、まだ若く美しく健康そのものの母親と、いつも眉間にしわを寄せていたろくでなしの生物学上の父親を名乗る男。

母親との数少ないが宝石のごとき輝きを放つ思い出と、体中が緊張し、身構えてしまうような、生物学上の父親を名乗る男とのいやな思い出のふたつが交錯する日々がよみがえる。

生物学上の父親を名乗る男のつまらぬ夢のおかげで、私の母親は夢をあきらめ、輝きを失い、本来の寿命より40年もはやく逝った。私もずいぶんといやな思いをしたが、もうそろそろゆるしてやろう。すべては終わったことである。すべては夢のまた夢になろうとしているのだ。

夢はときとしてだれかを傷つける。そのことを教わったと思えばいい。背中しか見えなかったのは、私に背を向けていたからではなく、私とおなじ方向を見ていたからだと思えばいい。

生物学上の父親を名乗る男死して、13年。墓参はもちろんのこと、葬儀にすら背を向けてきた。もういい。もう手仕舞いの頃合いだ。潮目潮時である。死者を鞭打つのは姑息臆病な下衆外道のやることである。

この秋、陽気のいい日。虹子と一番弟子のポルコロッソといっしょに生物学上の父親を名乗りつづけた男、わが親父殿の墓参りにいこう。わが親父殿が愛飲したジョニ黒を持って。わが親父殿が愛読した『善悪の彼岸』を携えて。なつかしい根岸線に乗って。

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大連慕情 - 松任谷由実
 
by enzo_morinari | 2018-09-24 02:00 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

噺のほか 新潮69/焚新坑潮しろ!

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(老松)

新宿矢来町の老松がヘイト・スピーチに酔いしれて芝浦の浜に一挺入りする話


またぞろ、ポンコツ新潮45がやらかした。ポンコツ新潮45については書店の立ち読みですべて済ましてきたが、それはゼニカネを払ってまで手に入れる価値がないメディアであると判断したからであり、愚鈍低劣下衆外道ぶりを計測する対象でしかないからである。

この際、ろくでもない新潮45はロックオンされまくる新潮69に誌名変更するがよかろう。文藝春秋とともに下衆外道のイエロー・ジャーナリズムの両翼を担う不逞不埒の類いにはちょうどいい。

右も左もコンサバもラディカルも知ったことではない。カスミガセキシロアリとポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の団塊のほっかむりド腐れども以外ならなんでもござれである。杉田水脈のごとき低能低劣尻抜け尻軽のお先棒を担いで提灯持ちをすること自体が笑止千万である。

そもそも、低能低劣尻抜け尻軽の杉田水脈のLGBTに関わる的はずれ当てずっぽう場当たりのたわ言など語るに落ちず、杉田水脈の乱痴気乱脈ぶりをこそ槍玉にあげなければならない。低能低劣尻抜け尻軽の杉田水脈のような小物のことより、赤いきつねのうどん屋小娘にして詐欺師前科持ちの辻元清美の砂利利権/生コン利権をとっとと暴きやがれ!

LGBTに関わることは上野千鶴子のようなけたたましい輩がしゃしゃり出てきて能書き御託を並べたてはじめる前に腰を据えてがっぷり四つに組んで一挺入りすべきものだろう。そうでなければ鳥肌どころか鮫肌ものだ。鮫革の財布もぴゅーぴゅーと空っ風が吹きぬけてお寒いありさまだ。夢でなくてよかったではなく夢ならよかったという次第ではお噺にもならない。
 
by enzo_morinari | 2018-09-23 11:38 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

1975年のジムノペディ/第1番 ゆっくりと苦しげに(Lent et douloureux)

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1970年の大阪万国博覧会が終わって、ある種の熱狂がおさまった頃、西武文化/セゾン文化がそよ風のように吹きはじめた。「これはまったく新しい風だ」と思った。

1975年、セゾン美術館の前身である西武美術館が池袋の西武池袋本店最上階にオープンした。西武美術館のオープン初日、存在しない伯母が死んだことにして学校をサボタージュし、西武美術館に駆けつけた。17歳、高校2年生だった。

西武美術館のオープン告知のポスターは実に意表を突くものだった。いかなる美術作品が展示されるのかまったく予想できなかった。西武流通グループ総帥の堤清二は西武美術館について、「時代精神の根拠地である」といささか眉唾をして受けとめたほうがいいと思えるような大仰な宣言をしていた。

西武美術館内に入るとエリック・サティの『ジムノペディ 第1番』が聴こえてきた。美術館でBGMが流されるなど信じられないことだった。演奏者はフィリップ・アントルモンであったと記憶する。

エリック・サティの『ジムノペディ』がBGMで流れる美術館。それ自体がひとつの作品であるように思われた。実際、展示されていた作品のことはほとんど印象に残っていない。サティとミュージアム。それはのちの20世紀末に現れるエンバイロンメンタル・アートやランド・アートやインスタレーションの先駆けであった。

Gymnopédie No.1(Erik Satie) - Philippe Entremont
 
by enzo_morinari | 2018-09-23 09:27 | The et Satie | Trackback | Comments(0)

呪う女/午前2時の世界が終わるとき

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この話は呪い/メタファーを「暗示」と考える愚か者どもへの最後通牒/最終解答であり、グリモワール/グリムワール/リーテ・ラトバリタ・ウルスアリアロス・バル・ネトリール/レヂアチオ・ルント・リッナ/シス・テアル・ロト・リーフェリン/バルスである。

おまえたちに身の毛もよだつ災厄が訪れるのはもうすぐだ。せいぜい、高をくくって残り少ない人生を惰眠と惰食と惰読と惰文と惰歩と惰行と惰情と惰交に費やすがいい。




午前2時。一人の自室でカサカサカサという音がした。ただならぬ気配を持った小さな物の怪の類いが部屋中を走りまわっているように感じられた。その乾いた擦過音は不規則な間断をともなって長くつづいた。すさまじい悪臭が部屋中に立ちこめた。このときから呪いの日々は始まった。

悪臭はイタリアのサルディニア島/コルシカ島原産の羊の乳から作った蛆虫チーズ、カース・マルツ/フォルマッジョ・マルチョ(腐ったチーズの意)のにおいだった。生きた蛆が入った腐ったチーズ。悪魔のチーズ/呪われたチーズと呼ぶ者もいる。サルディニア人の羊飼いに贈るなら最もよろこばれる贈り物とされるが大金を積まれても断る。それほどの悪臭である。

その女は私の知るかぎり、これまでに42人を呪い、そのうち、41人が実際に死んだ。死んだ41人は全員中学の同級生である。いずれも非業の死だった。死の態様はそれぞれだが、非業の死であることにかわりはない。生き残った1人こそが私だ。

呪い女は小学校の同級生だった。仮にメグミとしておく。中学でも同級生になった。2年のときのクラス替えでも一緒だった。小学校3年から小学校6年までの4年間、そして中学の3年間。合計7年間、メグミとは同じクラスだった。メグミはいつもぶつぶつとなにごとかをつぶやいていた。そのつぶやきが呪言であると知るのはずっとあとになってからだった。

メグミはガミ術/コンレイ術という妖術/物の怪の術の類いを操る。

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by enzo_morinari | 2018-09-23 05:10 | 午前2時の世界が終わるとき | Trackback | Comments(0)

メタセコイアの樹上でモーツァルトの『オーボエ四重奏曲』を吹いてもだれも聴いていない。

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メタセコイアの樹上頂上でBuffet Cramponのオーボエでモーツァルトの『オーボエ四重奏曲』を吹いてもだれも聴いていない。


この話はある種のメタファーである。

オーボエ・ダモーレ奏者の女は着替え終わると同時に「あなたのことは今でも好きだけど、愛は終わったのよ。あなたとのアマーレとマンジャーレは最高だったわ、Amore mio. Goditi la vita!」と言って楽器ケースからオーボエ・ダモーレを取りだした。

「これがわたしのあなたへの別れの曲よ」

そう言ってからオーボエ・ダモーレ奏者の女はヨハン・フリードリヒ・ファッシュの『トランペットとオーボエ・ダモーレのための協奏曲 ホ長調』の主旋律を吹きはじめた。

私はセコイア国立公園内の原生林Giant Forestにあるセコイアデンドロンの巨木シャーマン将軍の木を目指してマドレーヌ飛翔体となった。燃料のMariage Frères/Esprit de Noëlは満タンだ。

メタセコイアもメタファーも失われたが、この旅はひとつの、そして確実なファルスであり、人間の生のメインディシュであり、メテンプシューコーシスの旅となる。

Mozart - Oboe Concerto in C, K. 314 / K. 271k [complete]
Johann Friedrich Fasch. Concerto in E Major for Trumpet, Oboe d'Amore, Strings

by enzo_morinari | 2018-09-22 16:49 | メテンプシューコーシス・ジャーニー | Trackback | Comments(0)

覆醢亭主人 てのよ草子 ── ムカッ腹立つもの

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波に乗れ乗れ豆腐屋ジョニーからの伝言 序二段

秋は飽き飽き、YO! YO! Suke-Bang! Decker! YO! YO! Nan No Men!

ムカッ腹立つもの。
業務報告と称しててめえのつまらねえ私事雑事些事をさらすやつ。錆びた匙で目ん玉くり抜いて、シワのない脳みそかきまぜてやりたくなるってのよ。こっきたねえ玄関先のしょぼくれた発泡スチロールに植えたパセリが増えた枯れた滑った転んだどうしたこうしたなんぞどうでもいいってのよ。その貧乏くせえパセリ売るのか? いくらかでもゼニカネになんのか? 近所の野良猫が鳴いた孕んだ追っかけた喧嘩した焼き魚盗んだ猫またぎまたいだ小判にコンバンハした「挨拶」は元々禅宗の用語だと猫講釈たれたサド公爵夫人が「あなたにもチェルシーあげたい」とチェレンコフ・ブルーの瞳輝かせて言った(被曝ハンパじゃねえから!)犬が棒に体当たり食らった負け犬が勝ち犬に勝った褒美にもらったワンコインでワイン買ったなんぞどうでもいいってのよ。それ、1mmも業務報告じゃねえから。おまえさんに業務報告されるおぼえはねえから。オーボエをメタセコイアのてっぺんで吹いてもだれも聴いてねえってのよ。

ムカッ腹立つもの。
カタカナ表記すべきところをなんの因果かひらがな表記するピンボケ勘ちがいヤリマンサゲマン尻軽ヴァカ女。レインボーブリッジをれいんぼーぶりっじ、メロディーをめろでぃ、フランスをふらんす、アメリカをあめりか(断腸亭主人は御先祖様だからゆるす)、イタリアをいたりあってたぐいな。金梃子で尻っぺたぶっ叩いて、縁もゆかりもないが、縁側で日向ぼっこしながら鮃の縁側の刺身につけ合わせちまいたくなるってのよ。

ムカッ腹立つもの。
文末に「♪」をつける還暦過ぎた3流私大文系糞婆あ。「〜〜でランチ♪」って具合のたぐいな。タグ付き糞婆あが思いっきり気持ち悪いってのよ。

ムカッ腹立つもの。
アラビア数字とアルファベットを全角英数字で表記するやつ。2018を2018/OmanchoをOmanchoってやってるアフォヴァカマヌケ。ポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の団塊の輩がやる。間が抜けているにも保土ヶ谷の宿だってのよ。馬鹿にされてるみてえだってのよ。半角英数字てえものを知らねえのかってのよ。

ムカッ腹立つもの。
意味のない「です/ます調」やってるやつ。おまい、一体全体、どこのどいつにへりくだってるってんだってのよ。丁寧語のつもりだろうが、おまいの脳みそは泥濘の中にどっぷり浸かってるってのよ。「です/ます調」だと好印象/好感度持たれるとでも思ってんのかってのよ。例外なく、「です/ます調」で書かれたものは中身空っぽ、華なし面白みのかけらなし鼻白むだけだってのよ。No Flower, No Life. No Funny, No Life.だってのよ!

ムカッ腹立つもの。
愚にもつかねえたわ言寝言繰り言未練言をだらだらと連投するヴォケ老人。てめえのせいでほかの記事が流れちまうってのよ。まとめりゃいい話だろうがってのよ!木地師に頼んでてめえのシワのない脳みそ植え替えろってのよ。ポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の団塊ヴォケ爺いが!

ムカッ腹立つもの。
安倍晋三のたるんだほっぺた。裁ち鋏でジョギジョギしてやりてえってのよ。

ムカッ腹立つもの。
デブ達磨D-マツコのジャバ・ザ・ハット系首まわり。あのデブ達磨、いったいいつになったら消えるんだってのよ。いつになったら「あの人は今」になるんだってのよ。デブ達磨がディスプレイに出てチャンネルかえないやついるのかってのよ。
 
by enzo_morinari | 2018-09-22 07:31 | てのよ草子 | Trackback | Comments(0)

ミナカタホコリの岸辺

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粘菌コンピュータの研究チームからの依頼案件の基礎フィールドワークのために隅田川沿いをたずねたときのことである。

桜橋のたもと近く、、隅田川の岸辺のビオトープでミナカテルラ・ロンギフィラ(ミナカタホコリ)の棲息を確認した。南方熊楠先生が亡くなられてから50年後の1991年12月29日の夜半のことであった。

私は前の晩に奇妙な夢をみていた。吸い口のついた敷島を全身にまとった巨大なアフリカリクガメが紫色の棟の花びらをむさぼりくいながら、「軒下の白い小さな生き物の亡骸を弔え」と迫ってくる夢だった。

夢におぼえはあった。熊楠先生御臨終の際に、家族の者から医者を呼ぶかと問われた熊楠先生は「天井に美しい棟の花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ」と断っていたのだ。つづけて、「縁の下に白い小鳥が死んでいるから、朝になったら葬ってやってくれ」と言った。翌朝、縁の下には確かに白い小鳥の死骸があった。
 
by enzo_morinari | 2018-09-21 19:52 | ミナカタホコリの岸辺 | Trackback | Comments(0)

若葉のころ、セロリのころ、テレホーダイのころ

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カフカの雪がとけて、グレゴール・ザムザ氏が冬虫夏草に変身変態した年の秋、世界規模の蜘蛛の巣が日本を覆いはじめた。World Wide Web. 1996年のことだ。

インターネット黎明期。ハードもソフトも環境も、遅く、重く、高く、チープだった。便利どころかPCをいじるのもインターネットを利用するのもストレスと隣り合わせだった。PCがフリーズするのは当然のことだと受けとめられていた。

1999年の春に宇多田ヒカルが『AUTOMATIC』を引っさげて腑抜けてふやけきった日本の音楽シーンに殴り込んできたとき、これはデビューなどという生やさしいことではなく出現/事件だと思った。インターネット黎明期だった。

光回線もブロードバンドもADSLすらもない時代。せいぜいがISDNだった。そして、インターネットの接続料金は従量制。「テレホーダイ」などというまやかしが幅を利かせていた。テレホーダイの始まる夜の11時が待ち遠しかった。

PCの性能もお粗末きわまりなかった。Macの標準的なモデルのHDの容量は1Gもなかった。CPUの処理速度は256MHz。今のiPodよりもはるかに小さく遅い。東京ドームと町の公民館、三輪車とF1マシンあるいは紙ヒコーキとF-22などの第5世代ジェット戦闘機くらいの差だ。

各プロバイダのサーバも陳腐だった。遅く、重く、小さく、お粗末で、陳腐。それがインターネット黎明期だ。PCも回線もプロバイダも、ハードとソフトのすべてが今から見れば旧石器時代、それどころかビッグバン数秒後ほどのレベルしかなかった。宇多田ヒカルはそんな時代のただ中に出現した。

宇多田ヒカルAUTOMATIC事件は新しい時代の到来を告げる象徴的な出来事だった。あらゆることがネットワークの中で発生し、成長し、増殖する世界。すべてのことが、当たり前のようにAUTOMATICに進行する世界が数年後に迫っていると感じた。

宇多田ヒカルAUTOMATIC事件を遡ること3年前。インターネット旧石器時代。SMAPの歌う『セロリ』が私のインターネット旧石器時代のテーマソングだった。

私のインターネット黎明期、インターネットの若葉のころ。ベッコアメのチャットでカエルだけれども人間の手協会の会長として辣腕をふるい、幻惑衒学のクワルテットで若造小娘どもを煙に巻く日々。ネット麻雀の東風荘ではシカゴ悪漢互助組合を結成して暴れ放題暴れた。東風荘での最後のレートは8985だ。

リピートセットしておいた『セロリ』と『Automatic』と『Time Will Tell』が繰り返し聴こえるピコ部屋(PCルーム)からほとんど出ることなく、気づけば憎悪の塊がマンハッタンのWTCに突入する映像があらゆるメディアで流れていた。次の年、世紀は21世紀に変わった。

「育ってきた環境がちがうから好き嫌いはイナメナイ。夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね」と草彅剛が歌い、「Time will tell. 時間が経てばわかる」と宇多田ヒカルが歌っていた。インターネットの若葉のころは年端もゆかぬ若造小娘に多くを教えられた季節だった。インターネットが痛みをともなうField of Dreamsであると気づくのは何年もあとのことだ。つくっても望んでもだれもなにもやってはこないことに気づくのは。

セロリ - 山崎まさよし
セロリ - SMAP & GONTITI
First of May - Bee Gees
 
by enzo_morinari | 2018-09-21 10:00 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

されどわれらがハンバーガー・デイズ/東京発モンタナ行き急行的ハンバーガーの良心と絶望と韃靼人の怒りと復讐

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すべてはあらかじめ失われているが、同時に、すべては往還する。ここかと思えばまたあちら。あちらと思えばアッチラで脱糞。そうかと思えばアッシジには関係のないことでゴザンスキー。かくも世界は謎と不条理とドタバタで墓場でダバダである。慰めてくれるのは買い物ブギーだけである。ああ、震度42。

毎年1月30日の明け方には神宮外苑の青山通りから12番目の銀杏の樹の下のベンチに東京発モンタナ行き急行を貸し切りにしてリチャード・ブローティガンはやってくる。望めば彼はやってくる。ビッグ・サーの南軍将軍とアメリカの鱒釣りと西瓜糖の日々と芝生の復讐を引きつれてリチャード・ブローティガンはやってくる。そして、青山通りから12番目の銀杏の樹の下のベンチに座る。かたわらにはいつも山口小夜子の化身であるミニチュア・セントバーナードが寄り添っている。地表スレスレだが滑空するミニチュア・セントバーナード。

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神宮外苑の銀杏並木が夕闇に包まれると、リチャード・ブローティガンは薄汚れたテンガロン・ジャバハットからレミントンのModel 700を取りだして口にするりと滑りこませる。

リチャード・ブローティガンが厳粛な綱渡りをする死滅する鯨のような空気をあたりに漂わせながらレミントンのModel 700の引き金を引くとリチャード・ブローティガンの頭は西瓜糖のように吹っ飛ぶ。無際限のハンバーガーのパティ分に散種したリチャード・ブローティガン。1985年1月30日からずっとつづく神宮外苑銀杏並木の冬の風物詩だ。そして、痛みをともなうハンバーガー・デイズが始まった。

 
東京発モンタナ行き急行的ハンバーガーの良心と絶望と韃靼人の怒りと復讐

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20歳の頃、ハンバーガーを1日に50個食べるのが日課だった。ハンバーガーを1日に50個食べつづけることでいったいどこにたどり着けるのかはわからなかったが、ハンバーガーを1日に50個食べつづけることは私の精神の強度と跳躍力と耐久性を飛躍的に高めた。

クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの『雨を見たかい?』の「雨」がナパーム弾の弾幕であると気づいたのは1日50個のハンバーガーのおかげだ。さらにはいくつかの「啓示」と「福音」も。

実際、1日中咀嚼しつづけることは容易ではない。しかも、相手はジャンク・フードのチャンピオン、ハンバーガーだ。だが、私はひたすらハンバーガーを咀嚼し、飲みこみ、消化しつづけた。おかげで私の体重は半年で30kg増加した。

もとの体重まで戻すために要した精神力はハンバーガーを1日に50個食べつづけることによって培われたのだと思う。そして、いまや私の大脳辺縁系のほとんどは挽肉とバンズとピクルスとタマネギとベーコンとチーズに占領されてしまった。かえすがえすもよろこばしいことだ。ハンバーガー天国に行ける日も近い。

ハンバーガー天国では日がな一日ハンバーガーを食べていることができる。ダイエットだのコレステロールだの中性脂肪だののことを心配する必要がない。ハンバーガー天国ではあらゆることがハンバーガーを中心にして成り立っているのだ。毎日がハンバーガー・デイズというわけだ。

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その頃足繁く通っていたハンバーガー屋は早稲田鶴巻町の「SEASON」だ。常連客は「SEASON」をなぜか「シーソン」と呼んでいた。なぜ「シーズン」ではなくて「シーソン」なのか、店員で一番人気のアッコちゃんにたずねたことがある。アッコちゃんの答えはこうだ。

「みんなバカだからよ。バカでなきゃシーズンをシーソンって言ったりしないし、第一、ハンバーガーなんて食べるわけない」
「アッコちゃんはバカとバカでない奴をどうやって判別してるの?」
「そうね。バカはバカのにおいがするのよ。だからすぐにわかる。バカのにおいがする奴はみんなハンバーガーを食べる。これはハンバーガーが19世紀末にコネチカット州ニューヘイヴンのルイス食堂で誕生したときから変わらないのよ。わかる?」
「それじゃあハンバーグ・ステーキを食べる奴は?」
「ハンバーグ・ステーキを食べるひとはみんなインテリゲンチャよ。おぼえといて!」
「タルタル・ステーキは?」
「あなた、あたしをからかってるつもり?」
「怒ったの?」
「どっちだと思う?」
「そうだな。ちょっと怒ってる」
「ものすごく怒ってるわよ。妻を寝取られた韃靼人の怒りに匹敵するくらいよ」

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アッコちゃんは早稲田の文学部の2年生で、放送研究会に所属していた。「100万人の妹」を自称するだけあってキュートなうえになかなかの美人だった。

私がアッコちゃんに恋心のごときものを抱きはじめ、ハンバーガーを食べなくなったのとほぼ同時期にアッコちゃんは消滅した。それはまさしく消滅と呼ぶにふさわしい。なにしろ、真夜中、早稲田通りのアスファルトにチョークでモンタナ急行の寝台車輌を描き、それに飛び乗って消えたのだ。いまでも、ハンバーガーをかじる直前、アッコちゃんのシマリスのような笑顔があざやかに眼に浮かぶ。

アッコちゃんはいまでもハンバーガーを食べる人々をバカ呼ばわりしているんだろうか? それとも、ハンバーガーどころか世界そのものをバカ呼ばわりしているんだろうか? できうれば空気のきれいな郊外の街でアメリカの鱒釣り師くらい誠実なハンバーガー・ショップを経営していてほしい。そして、マイケル・マクドナルドの数倍良心的で心のこもった笑顔をふりまいていてほしい。

きょうの昼食は30年ぶりにシーソンのハンバーガーにしよう。もちろん、50個は食べない。20個だ。

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背景音楽: Neil Hamburger - Why did the beef cross the road ?
 
by enzo_morinari | 2018-09-20 13:05 | されどわれらがハンバーガー・デイズ | Trackback | Comments(0)

スミダの岸辺/どこ吹くセロリの風/読まれることを拒否するテクスト/反律の使徒として死を賭して

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継続するエラン・ヴィタールと不用意な明日/あるいは反律の反ルイ・ポワリエの使徒として死を賭して。

育ってきた環境がちがうから好き嫌いはイナメナイ。
夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね。
山崎まさよし

今日やるべきことは今日やる。明日やればいいことに手をつけたり、思い悩んだりしない。明日は明日の風が吹き、明日は明日の風邪をひく。E-M-M


昼下がりのテーブルの上には夜の果ての旅を待つ架空の匿名時間が物憂げにたたずんでいる。A.D.ベイジンゲル


いつ/どこで/なにを/どのように読むか/読まないかはすぐれて個人的な問題である。他者がとやかくのことを言う領域には属さないというのが私の考えだ。

『草枕』の岩波文庫本を渡良瀬川の清流における午睡のための枕がわりにするのも自由だし、iPad/iBookを愛を囁きあいながら食す合鴨鍋乃至は相乗り鍋若しくはスンドゥブの鍋敷きにするのも自由だ。そこにはことの善し悪し/正邪の問題はいっさいない。あるのは自らの「内なる声」と読まれる/読まれないテクストがいかに響き合うかという問題だけだろう。

ウンベルト・エーコ教授の『薔薇の名前』において修行僧たちが向かいあっていたのは書物/テクストだろうか? 私はそのようには了解しない。彼らが向かいあっていたのは教会という名の権威、さらに言うならば中世という暗黒/闇であるというのが私の考えだ。ことほど左様に、書物/テクストのたぐいは時代/世界の権力/権威と不可分のものであるととらえたときに初めてその真の意味を読み取ることが可能となる。

このちっぽけでばかでかくて広い世界には読まれることを拒否するテクストすら存在することを踏まえながら私はテクストどもと向きあっている。以下はほんの寓話だ。湿気た鳩サブレのごときファブルであるからして読むことを拒否していただきたい。

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本所吾妻橋に小さなレストランがある。手持ち無沙汰の昼下がり、隅田川に面したそのレストランへ出かけてゆく。私はこの際、ある本をかならず持参する。ジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』を範として書かれた『スミダの岸辺』だ。私家版。モロッコ革を使った豪華装丁本。世界でも5指に入る造本家による手作り。書物のオートクチュール。装丁も造本も『スミダの岸辺』の物語の一部である。制作されたのは42冊。当然、増刷はされていない。本文の書体は秀英社明朝体。装丁/ブックデザイン/エディトリアル・デザインは若き日の戸田ツトム。本自体と本文ページにはカビのようなにおいが初めからつけられている。カビ/菌類の話から物語が開くからだろう。作者の名は伏す。書名については手を加えてある。

『スミダの岸辺』は菊判2000頁にもおよぶ大著である。3段組み7ポイント活字であるから、読みづらいことこのうえもない。しかも、読み手に作者と同等の博覧強記を求めてくるので、すこぶる疲れる。小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』も夢野久作の『ドグラ・マグラ』も中井英夫の『虚無への供物』も『スミダの岸辺』の前では乳飲み児同然、顔色を失う。いや、顔自体がなくなる。頭も大脳新皮質も大脳辺縁系も吹っ飛ぶ。眼と精神はモノリス・メルロー=フルーツポンチ准教授に強奪される。身体の多義性は世紀末ホテルのロビーでロヒンギャのベルボーイにアウン=サン=スーチー式に踏みつぶされる。

死んだはずの南方熊楠が実は生きていて、テンギャンの手になるものではないかと『スミダの岸辺』を所有する者たちの間でまことしやかに囁かれた。ミスリードしたのは私だ。

泡の時代の真っ只中に神田駿河台の馴染みの古書店でみつけ、当時の大卒の初任給3ヶ月分の大枚をはたいて手に入れた。

読みはじめたのが2000年の元旦であるから、私はかれこれ19年も『スミダの岸辺』と格闘している計算になるが、焦る理由はこれっぽっちもない。なぜというに、私はそもそも『スミダの岸辺』を読了しようなどとは考えていないからである。おそらくは、私が鬼籍に登録されるまでに読み終えることはあるまい。それでいい。

作者にしたところで、読了されることははなから考えていまい。そういったたぐいの書物もあるということである。読まれることを拒否する書物/テクストがあってもいい。

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さて、午前中のうちに、その日片づけるべき仕事、案件が順調に進捗し、ある目標が達成されれば、あとは私の自由気まま、放埒自在の時間である。

うたたねを決めこむときもあれば、調べものをするときもあれば、わが来し方行く末に思いを馳せるときもある。

今日やるべきことは今日やる。明日やればいいことに手をつけたり、思い悩んだりしない。明日は明日の風が吹き、明日は明日の風邪をひくのである。

この私の生活スタイルは合理的でもあって、世界は変数、常に転変、変わりゆくものであるからして、今日の事情、状況で明日やればいいことをやったところで、明日、事情、状況、事態に変化変更があれば、今日やったことがまったくの骨折り損、無駄足、くたびれ儲けになるからだ。これをして、おっちょこちょいというのである。

明日は明日の風が吹くという生き方のスタイルは数百年の昔にあたりまえのこととして実践されていた。本来、江戸開府以来、大江戸八百八町に暮らす庶民の生活は、実に「その場限り」「その日限り」のきわめて場当たり的な基本姿勢がまずあった。そして、江戸・東京は「宵越しのゼニは持たない」というライフ・スタイルが当然のように肩で風を切る都市だったのだ。

粋/鯔背といった美意識は軽やかで執着のない暮らしの基本原理があってはじめて成り立つ。いっぽう、野暮は野夫、あるいは吉原遊郭に遊んだこともないような田舎者、あるいは薮の中からでてきたような洗練されない者、さらには雅楽で使われる楽器、鉦の音のでない管、すなわち、音無しの構えでつまらない者を意味する。おのれの趣味/趣向/嗜好/ライフスタイル/暮らしをいかにも得意げに人前にさらすのもすべて野暮の極みである。

いずれの説にしたがおうと、野に暮らして田畑に執着し、家屋敷財産に執着し、ついでに過去にまで執着するようなあさましさ/さもしさをあらわしているように思える。

有り体に言ってしまうならば、この国は言わずもがな、世界は野暮天だらけであるということだ。この国の野暮天どものさらにたちが悪いのはいけしゃあしゃあと善人/常識人ぶるところにこそある。ほかのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもの節穴の眼は誤摩化せても、私の慧眼を欺くことはできない。すべてはお見通しということだ。ちなみに、八王子の谷保天神社由来の説があるが、これは野暮天が捏造した眉唾ものであろう。

私はやはり軽やかなのがよい。明日吹く風のことをきょう心配したところで、明日の風向きを変えられるわけもない。同様に、明日ひく風邪について、きょう気を揉んだところでどうにもなりはしない。

そうだ。明日は明日の風が吹く。明日は明日の風邪をひく。私は私の道をゆく。そのような「軽み」満載の生きかたをしたいものである。かくして、世界は明日は明日のどこ吹くセロリの風のごとくに天下太平楽である。

本日の『スミダの岸辺』との格闘の記録。2行、42文字。

セロリ - 山崎まさよし
セロリ - SMAP & GONTITI

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by enzo_morinari | 2018-09-20 05:06 | Nuovo Libro Paradiso | Trackback | Comments(0)