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Do The Hustle! ── The Road 旅の終りの名もなき道の片隅でみつけた世界で一番意志強固な石ころ

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強固な意志を持ちつづけるかぎりにおいて、あらゆることは開かれている。道がつづくかぎり旅はつづく。道が行き止まりになり、行き暮れたら新しい道を探し、また歩きだせばいい。世界にあるすべての道を歩くことはできないし、知ることはできないし、数えきることはできないが、自分の歩く道くらいなら必ずどこかにある。厄介事は歩きながら考えればいい。E-M-M

呪言師ジュゴンは口がきけない。失声症/Aphoniaである。聴力にはなんら問題はない。それどころか、すさまじいばかりの聴力を有している。超聴力と呼びたいほどだ。

超聴力と超能力。一聴すると超能力などという愚力/偽力/インチキマヤカシマガイモノ秋元康一味モノ/国際気能法研究所代表の自称超常現象研究家秋山眞人系有象無象と似ているが縁もゆかりもない。

口がきけない呪言師ジュゴンの口ぐせは「宇宙に物理法則に反する事態事象現象はない」と「孤独であれ。単独者たれ。単独者であることが人間を強くする」だ。

呪言師ジュゴンの超聴力は本牧埠頭D突堤の最先端で異化系タコと他個系イカと猫系タチウオを1本のEat My TackleのBlue Marlin Tournament Editionで同時に釣りあげながら、野毛山動物園の海獣プールの前でアシカとアザラシとオットセイとネイビーシールズのちがいがわからずに目をまわして気を失った女の子が倒れる際に発する悲鳴を聴きとることができるレベルだ。

小学校に入学した翌日から夕暮れの野毛山動物園における幸福論のための日々を生きてきた私はひとかけらの幸福とも出会えなかったが、夕暮れの野毛山動物園における幸福論のための日々を生きることによってアシカとアザラシとオットセイとネイビーシールズのちがいがわからずに目をまわす不思議な少女と出会うことができた。

彼女と出会えたことが私の人生において最大にして最高の幸運であり幸福だったのだと気づくのはずっとあとになってからだった。アシカとアザラシとオットセイとネイビーシールズのちがいがわからずに目をまわす不思議な少女こそが、のちに人生の同行者となる虹子だ。だが、それはまた別の話である。

呪言師ジュゴンは私とアシカとアザラシとオットセイとネイビーシールズのちがいがわからずに目をまわす不思議な少女が出会うことをほぼ正確に言い当てた。出会いの日時天候距離明暗形式のディテールに至るまで。呪言師ジュゴンはその能力を IT と表現した。IT はガミ術とコンレイ術の2種類の妖術からなる。

呪言師ジュゴンが私の前に初めて現れたのは双子の素数猿のヨタとヨクトが「ホメロスもダンテ・アリギエーリもフランソワ・ラブレーもウィリアム・シェークスピアもジェイムズ・ジョイスも紫式部も南方熊楠も超えた! おれたちはタイピングの王! 凄腕のタイパー! アンフィニ! モノリス! クマグス・マンダラ! ウィキペディア! エンサイクロペディア・ブリタニカ! ランダムハウス!」と叫びながら定規とコンパスだけでイマドシルト中学校の校庭に正65537角形を描き上げたコヒーレントな午後だった。

呪言師ジュゴンの母校であるイマドシルト中学校近くの隅田川の川辺からナマズとナマスとカマスとマナティとイエティを咥えた巨神兵のような風情で上がってきた呪言師ジュゴンをみて、私は呪言師ジュゴンはホームレスのレゲエ・マンだと思った。しかし、それは大きなまちがいだった。呪言師ジュゴンはスペースレスのラスタファリアン、自同律の不快宇宙なき空飛ぶパスタファリアン、チェレンコフ・ブルーテンターだった。

0歳児の頃から飛ぶスパゲッティ・モンスター教の円盤には何度も乗ったことがあったが、スペースレスのラスタファリアン、自同律の不快宇宙なき空飛ぶパスタファリアン、チェレンコフ・ブルーテンターにはお手上げだった。
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呪言師ジュゴンは毎日朝と夜の2回、ブルーキュラソー、トニックウォーター、ガムシロップ、ゼラチン、ミントでチェレンコフ・ゼリーを作ってくれる。

窓をしめきり、カーテンを閉じ、ブラインドをおろし、部屋を暗くして水槽の中で青く光る浮遊する恐怖を眺めながら、無言でチェレンコフ・ゼリーを食べるのがわれわれのルーティン・ワークのひとつだ。青く光る猛毒のブルーボトル・ジェリーフィッシュと毎秒42μSvの放射線を放つチェレンコフ・ゼリー。世界のなにごとかを象徴するコラボレーションだ。
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ダニー・オキーフの『O'Keefe』を手に入れたのはまったくの偶然だった。14歳、中学2年の冬の初めだった。その年の秋に母親が死に、私は正真正銘、天涯孤独になっていた。

ダニー・オキーフの『O'Keefe』は東宝会館でピーター・オトゥール主演の『ラ・マンチャの男』をみた帰り道に立ち寄った中古レコード屋で私を待っていた。店の看板にはアダムスキー型の円盤のイラストが描かれ、円盤の縁に「Flying Saucer」と店の名前がへたくそな字で書いてあった。

空飛ぶ円盤レコード。悪くないネーミングだった。「Flying Saucer」に通うようになったことがきっかけとなって、私は空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の敬虔なる信者であるパスタファリアンとなるわけだが、それはまた別の話だ。

「Flying Saucer」は横浜馬車道の路地裏にひっそりとあった。髪を肩まで伸ばし、とんぼ眼鏡をかけた痩せぎすの若い男が店番をしていた。愛想のなさはリバプール時代の火星旅行から帰ってきたばかりのジョン・レノンみたいだった。なにをたずねてもか細い声で「あっ」とか「いっ」とか「うっ」とか「えっ」とか「おっ」とか「まっ」とか「んっ」とか「こっ」とか言うだけだった。彼が難聴だと知るのはずっとあとのことだ。

私がダニー・オキーフの『O'Keefe』のレコード・ジャケットを手にし、ジャケット裏面のライナーノーツを読んでいると、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは私のほうを見ずに言った。

「それ、いいです」
「聴ける?」
「はい」

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは注意深くジャケットからレコードを取り出し、トーレンスのレコードプレーヤーのターンテーブルの上に置いてからレコードにそっと針を落とした。聴こえてきたのはA面5曲目の『The Road』だ。

初めはカントリー系かと思ったがちがう。曲を聴き、ライナーノーツの歌詞を読むと乾いた心に一滴の雨がしみこむような気分になった。値段をたずねると気持ちが少しだけひるみ、揺れたが思いきって買った。それがダニー・オキーフとの、『The Road』との、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンとの出会いだ。
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その頃、中学1年の夏休み初日からつづいていた旅の円環はいまだ閉じられていなかった。あの遠い日の夏からきょうまでに空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の円盤には何度も乗ったが、旅は本当には完結していない。いまもだ。

中学1年の夏休み初日以来、ずっと「とどまるな。走りつづけろ。旅は終わらない。旅はずっとつづく」と風邪っぴきのウディ・ガスリーの嗄れ声に似た声がいつも聴こえていた。
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火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは私より5歳歳上だった。3ヶ月も経った頃あたりから、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは私が「Flying Saucer」のピーター・マックス色のドアをあけると笑顔をみせるようになっていた。「いらっしゃいませ」などとは言わないが、そのぎこちない笑顔は火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンの精一杯のお愛想ででもあったんだろう。

「これから旅をする。いいな? 用意はできているよな?」と私は火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンにぶっきらぼうに言った。
「もちろんです」

店じまいをすませ、少し息を弾ませている火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは即答した。旅と言っても、それはただ無目的に歩くだけのことなのだが。ここと決めた道を気がすむまで歩きつづけること。あるいは道の終りまで。

その夜の旅歩きはとても気持ちがよかった。月は14番目だったし、豊饒の海ではフランスタレミミウサギがフラダンスを踊っていたし、ペーパームーンのへりに座っているテータム・オニールがたばこをふかしながらこちらに何度も何度もウィンクを寄越していた。

130Rを過ぎると、道は突然行き止まりになった。道の果て、旅の終り。私は心の動揺を火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンに気づかれないように道端に転がっている石ころのひとつを蹴飛ばしてから拾い上げた。そして、言った。

「この石ころを見てみろ。あんたより、よほど強固な意志を持っている」

私が言うと火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは目を輝かせた。
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『すごい石ですね。ほんとにすごい」
「ただな。厄介な問題がひとつだけある」
「なんでしょうか?」
「この石ころを持つ者はどんな境遇であれ、いついかなるときにも旅をつづけなけりゃならない」
「へえ。不思議な石ですね」
「そうさ。旅に関することでは銀河系宇宙において、この石ころの右に出るものは存在しない」
「樽さんはなぜそのことを知っているんですか?」
「知りたいか? おれの秘密を」
「とても知りたいです」
「それはだな。おれが宇宙を支配する巨大な意志の力の導きのもとに生きているからだ」
「なるほど」

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは私の手のひらの上で揺れている石ころを物欲しそうにじっとみつめた。

「私にくれませんか? その石を」
「どうするかな」
「どうかお願いします。いいレコードがみつかったら、いの一番に樽さんに知らせますから」
「そんだけ?」
「以後はすべて2割引きします」
「3割引きなら考えてもいい」
「では、2割5分引きで」
「わかった。手を打とう」

私はいかにももったいつけて石ころを火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンにくれてやった。火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは生まれたてのシーズーの赤ちゃんを抱くように大事そうに注意深く石ころを受け取り、赤いマックのネルシャツの胸ポケットにしまい込んだ。

「ところで、樽さん。道は行き止まりになってしまいましたけど、このあと、どうしますか?」
「そうだな。どうするかな。後戻りするのは癪にさわるしな」
「ではこうしましょう」

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは胸ポケットから旅に関することでは銀河系宇宙において右に出るもののない石ころを取り出し、大きく振りかぶってから、行き止まりにある家めがけて投げた。

旅に関することでは銀河系宇宙において右に出るもののない石ころはひゅうと鋭い風切り音をあげて飛んでいった。直後、ガラスの割れる音と怒鳴り声がした。

私と火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは元来た道を全速力で走って逃げた。それが私と火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンの最初で最後の旅の終りだった。とんだ旅の終わり方だが、ダニー・オキーフも歌っている。「別の街に行けば別の道がある。道があれば旅はつづく」と。
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中学1年の夏休み初日に始まった旅は、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンに出会った6年後、ジャクソン・ブラウンの歌う『The Road』を聴き、『The Load-Out』を聴き、『Stay』を聴いてひとまずの終りを迎えるわけだが、本当の旅の終りではない。

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンはその後、「強固な意志を持った本物の石」の後を追ってアメリカに渡り、現在ではデヴィッド・リンドレーの主治医をやりながら、「強固な意志を持った本物の石」を探しつづけている。いい人生と言えば言えないこともない。少なくとも、愚にもつかぬ仲良しごっこで日々をやりすごし、おべんちゃらきれいごとおべっかおためごかしを並べたててグロテスクな親和欲求や認知欲求を満足させるよりはずっとまともで上等だ。

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンはよくボブ・ディランの言葉を引き合いに出したものだ。

「仲良しごっこに夢中になり、おべんちゃらきれいごとおべっかおためごかしを口にするたびに人生はつまらなくなるし、魂は汚れるし、顔は醜くなる」

まったく、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンの言うとおりだ。

強固な意志を持ちつづけるかぎりにおいて、あらゆることは開かれている。道がつづくかぎり旅はつづく。道が行き止まりになり、行き暮れたら新しい道を探し、また歩きだせばいい。

世界にあるすべての道を歩くことはできないし、知ることはできないし、数えきることはできないが、自分の歩く道くらいなら必ずどこかにある。厄介事は歩きながら考えればいい。
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呪言師ジュゴンの導きによってヒスノイズの中に時折混じるホワイトノイズを辿って行きついた先は全開バリバリのバリー・ホワイト邸の主賓室、アーリー・マイラブな無限の愛の間だった。

全開バリバリのバリー・ホワイトはパロパロだかパラパラだかパオパオだかペロペロだかポロポロだかペモペモだかニマニマだかほざきながらファンキファンキしていた。オノマトペもここまでくると斧とマペットもいいところである。

人生は You're the First, the Last, My Everything あるいは Love Unlimited に越したことはないが、なんと言っても一番大事なのは Safety First である。私はこれを遵守しなかったためにかれこれ男女鍋釜取りまぜて13人の子持ちシシャモである。ハナマサの冷凍室担当もビックリアングリイングリモングリである。

現在、旅の終りの名もなき道の片隅でみつけた世界で一番意志強固な石ころは呪言師ジュゴンが持っている。

The Road 1972- Danny O'Keefe
The Road 1977- Jackson Browne
You're the First, the Last, My Everything 1974 - Barry White
 
by enzo_morinari | 2018-08-31 04:35 | 呪われた夜を超えて | Trackback | Comments(0)

ダニーボーイの夢/前略おふくろ様 かなわぬ夢と知りながら


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歌いなさい。泣きなさい。そして、最後は笑いなさい。Off-Crow-Sama

母親は中学2年の秋に死んだ。かれこれ、45年も会っていない。手紙も書いていない。手紙も来ない。おふくろ様に会いたい。おふくろ様の声が聴きたい。おふくろ様の甘くせつない山百合のようなコールドクリームの匂いがかぎたい。

目下のところのもっとも甘くほろにがい夢はアイルランドの鉛色の海を見下ろす断崖の際にひっそりと建つ小さな家で、わが人生の同行者である虹子と一番弟子のミニチュア・セントバーナードのポルコロッソに看取られながら、それまでの人生で聴いた最高の『ダニーボーイ』を聴きながらくたばることである。どうせくたばってから行きつく先は鬼か亡者か閻魔が待ちかまえているようなところであろうから、せめてくたばるときくらいは極楽天国をみたいということだ。

『ダニーボーイ』を初めて聴いたのはいつだったか、どこだったか。とんとおぼえていない。物心ついたときには口ずさんでいた。母親の腕の中で子守唄がわりに聴いたのか。それとも、ろくでなしの生物学上の父親が免罪符がわりに歌って聴かせたのであったか。あるいは小学校の音楽の時間に聴いたのか。いずれにしても、『ダニーボーイ』は私の魂、心、性根、細胞のひとつひとつに染みついている歌であることにかわりはない。

記憶にいまも残るのは、遠い日の夏、母親に連れられて出かけた丹沢で山道を二人並んで歩きながら一緒に『ダニーボーイ』を歌ったことだ。夏の盛りの陽は木々にさえぎられて涼しく、山百合の甘くせつない香りはつきることがなかった。

夏の盛りの陽にさらされながらも涼しげだった緑。甘くせつない山百合の匂い。母親の細い背中とやわらかな手。そして、鈴の音のような声。あの遠い夏の日の『ダニーボーイ』は私の宝石のうちのひとつであり、忘れえぬ。

母親がいまも生きて元気達者でいるならば、夏の盛りにおなじ山道を歩き、『ダニーボーイ』を一緒に歌ってみたいものだが、それももはやかなわぬ夢となった。生きつづけるということは夢のひとつひとつが確実に失われていくことでもある。

私にとってのいまのところの最高の『ダニーボーイ』は2002年東京公演におけるキース・ジャレットのものだが、それと同様に心ふるわされた『ダニーボーイ』はアイルランド南部、ウォーターフォード州の小さな港町で聴いた。

聖パトリック・デーのイベントのクライマックスに登場した市民合唱団による『ダニーボーイ』。プロフェッショナルのコーラス・グループのような声量や安定感や劇的な構成はなにひとつないが、彼らの『ダニーボーイ』はとても心がこもっていた。

彼らの全員が愛する者を思い浮かべながら歌っているのが手に取るようにわかった。いつしか、会場である市民ホール前の円形広場はひとつの塊となっていて、そこにいるすべての者が『ダニーボーイ』を歌っていた。私もその中の一人だった。

嗚咽する者がいた。ある者は人目も憚らずに涙を流し、ある者はからだを激しく震わせていた。私は彼らが日々の暮らし、家事、仕事、学業をこなし、時間を工面し、知恵をしぼって練習し、うまくいかず、落胆し、気を取りなおし、夜はふけてゆき、何度もおなじパートを練習しという姿が目に浮かび、胸打たれた。

また、別の意味で感慨深かったのは、2002年のFIFAワールドカップの折り、赤坂9丁目、赤坂通りのどんつく、外苑東通り、六本木に抜ける坂道の途中でアイルランド・チームを応援するためにかの妖精の国からやってきた一団が緑づくめの衣装を身にまとい、『ダニーボーイ』を歌いつつ闊歩する光景に遭遇したときだ。

ふだんはナショナリズムなどにはいっさい興味はないし、信用もしないが、そのときだけはちがった。

夕闇迫る東京のど真ん中、雑踏で聴く妖精たちの『ダニーボーイ』はまた格別であった。時間がゆるせば、妖精たち全員を引き連れてアイリッシュ・パブに繰り出したいくらいの気分だった。そして、ギネスのスタウト・ポーターでしたたかに酔いしれ、妖精たちと夜ふけの東京で『ダニーボーイ』を歌えたなら、おそらくは極上の『ダニーボーイ』になったことだろう。だが、すべては縁のもので、私の無邪気馬鹿げた夢は夕暮れの東京の雑踏のただ中に儚くも消えた。縁とはそういったものでもある。

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『ダニーボーイ』は出兵したわが子を想う母親の歌だ。


おお ダニーボーイ バグパイプが呼んでいる
谷から谷へ 山の斜面を転げ落ちるように夏が去り
バラの花はみな枯れゆく
おまえは行かねばならない わたしを残して
(手柄など立てなくてもいいから 無事で生きて帰ってきておくれ、わがダニーボーイ)

おお ダニーボーイ もしもおまえが帰ったとき
すべての花が枯れ落ち たとえわたしがすでに死んでいたとしても
おまえはかならずわたしをみつけてくれる わたしが眠る場所を
跪き さよならの祈りを捧げてくれる
わたしはきっと聴くだろう おまえのやさしい足音を
わたしのみる夢はすべてあたたかくやさしいものになるだろう

おまえが「愛している」と言ってくれるなら
わたしは安らかに眠るだろう おまえがわたしの元に来てくれるその日まで



哀惜の情とは、哀切とは、このようなことをいうのでもあろう。いつか来る別れ、やがて来る別れ、かならず来る別れを惜しみつつ、そして、「最高のダニーボーイ」に出会うことを願いつつ、残されたいくばくかの日々をせめて夢見心地に生きることとしよう。ダニーボーイの夢はきっと山百合の匂いがするはずだ。してほしい。
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前略 おふくろ様
私はおふくろ様の青春を知りません。知ろうともしませんでした。お会いしたときに聞かせてください。おふくろ様のときめきや痛みやかなしみを。おふくろ様が生きて感じたことのすべてを。

追伸
前略 おふくろ様
遠い日の花火が消えぬうちに会いに参ります。

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Keith Jarrett
Eva Cassidy
Elvis Presley
Harry Connick Jr.
Celtic Woman
Anonymous (unknown)
前略おふくろ様 - 萩原健一/田中絹代(語り)


背景DANNY BOY
Brigid Kildare & Sinead O'Connor/Bill Evans/Eva Cassidy/Jonell Mosser/Charlie Haden & Hank Jones/Celtic Woman/George Jamison, Norman Stanfield & William Paterson/Harry Belafonte/Sarah Vaughan/Glenn Miller/Danny Walsh/Michel Petrucciani/Nana Mouskouri/Art Tatum/Pat Hannah/Deanna Durbin/Charlotte Church/Johnny Cash/Eric Clapton/Elvis Presley/Tom Waits/Keith Jarrett/美空ひばり/Harry Connick Jr.
 
by enzo_morinari | 2018-08-30 20:07 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

Do The Hustle! ── That's the Way (I Like It)

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その意気さ。そんな調子でいきゃいいんだ。そんな生き方が気にいってるんだってのよ。AHA AHA KC
ある種の音楽は人間のからだに潜む導火線に火をつける。IM


「プロコル・ハルムの『A Whiter Shade of Pale』はなんかキナ臭いし、面倒くさいから好きじゃない」とメリージェーンは言った。プロコル・ハルムがゼニカネにまつわることですったもんだの訴訟沙汰になるのはずっとあとのことだった。

「プロコル・ハルムより、おバカなKC&ザ・サンシャイン・バンドのほうがよっぽどいい。”そんな調子でいきゃいいんだ。これがいいんだ。”ってね」

そう言ってから、メリージェーンは本牧のPXの映画館で映画をみることを提案した。『イージー☆ライダー』『明日に向かって撃て』『俺たちに明日はない』の3本立て。

メリージェーンがIDカードを見せるとチェックポイントのゲートはすんなり通ることができた。セキュリティの海兵隊員はとても愛想がよかったが、M16ライフルは鈍く光っていて、銃口は瞬きもせずにこちらを睨みつけていた。その銃口から飛びだした弾丸はいったい何人の人間を撃ち抜き、何リットルの血を吸い、殺したのだろうかと思った。

ポップコーンおばさんに溶かしバターをたっぷりかけてもらったバケツ1杯分のポップコーンを食べながらだだっ広いPXの映画館で映画をみた。あちこちでヘビーペッティングやらヘビーネッキングやらディープキスをする音が聞こえた。

メリージェーンは『明日に向かって撃て』でブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドがボリビア国軍に突っこんでいくラストシーンのストップモーションで「Come on! Let's go! Let's Groove! Just a Rock 'n' Roll!」と叫び、『俺たちに明日はない』のラストシーンでボニーとクライドが蜂の巣にされて殺されるところでしゃくりあげながら泣いた。

「7UP飲みたい。最後の7UPを。それと、あんた、あたしのクライドになってよ。あたしはあんたのボニーになるからさ」
「オーケイ。たった今から俺たちはボニー&クライドだ。手始めになにをする?」
「とりあえずは最後の7UPを飲みほして、それから小港橋の欄干からドブ川に飛びこんで、そのあとヘドロまみれで山手警察署を襲撃するのよ!」
「すげえな! 俺たちは無敵だ。怖いものなしだ。正真正銘のボニー&クライドだ! NBKだ! Natural Born Killersだ! しかも、俺たちに明日はないけど、蜂の巣にもならない!」

しかし、実際にわれわれがしたことは映画館の玄関脇にエンジンがかかけられたまま停まっている新聞屋のHONDAのスーパーカブのイグニッション・キーを抜いてゴミ箱に捨てることと新聞を3部盗むことだった。

映画を見終わってからTeens Clubに行き、7UPを飲みながら伝説のビリヤード台鯨で8ポケットをやった。

メリージェーンはエプロンに尻を乗せて、みごとなキューさばきでコーナー・ポケットに8ボールを沈めると、こともなげに「あたしはファスト・メリージェーンよ! ...先週、一番上のブラザーがHamburger Hillで死んだんだ」と言い、キューをビリヤード台に放り投げてから私に抱きついた。私にはかける言葉もなかった。私はメリージェーンを抱きしめ、背中をさすることしかできなかった。メリージェーンの髪の毛からポーチュガルのヘアトニックのにおいがして、鼻の穴の奥がヒリヒリした。

私たちはTeens Clubを出て、「Have a nice day!」と声をかける海兵隊員には目もくれずにPXのゲートを通りぬけ、無言で夏の盛りの太陽が照りつけるフェンスの向こう側のアメリカ通りをいつまでもいつまでも歩いた。夏の盛りの太陽は残酷で容赦なく、私の中のなにもかもを灼きつくそうとしているかに思われた。

ボリビア国軍に真っ正面から突っこんでゆくブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドのストップ・モーションが繰り返し繰り返しどこまでも青い夏の空の中に大写しで見え、『Raindrops Keep Fallin' on My Head』のリフが頭の中で鳴りつづけた。ボリビア国軍に真っ正面から突っこんでゆくブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドのストップ・モーションから永遠に逃れられないような気がした。

ウォーターゲート事件の裁判で判決が下ろうが、鉛管工一味が口封じで消されようが、ディープスロートがだれだろうが、安保が粉砕されようがされまいが、永田洋子がバセドー氏病だろうが、重信房子がどこにゆくえをくらましていようが、カンボジアのKilling Fieldsでポル・ポトとクメール・ルージュによってどんな大虐殺が行われていようが、田中角栄がピーナッツをむさぼり食おうが、小佐野賢治の記憶があろうがなかろうが、児玉誉士夫邸に神風特別攻撃隊が突っこもうが、沖縄が本土復帰を果たそうが、鉄の女マーガレット・サッチャーが保守党初の女性党首に選出されようがどうでもよかった。

ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドのストップ・モーションが次のストップ・モーションに切りかわるたびに、私は私の手の中で冷たい汗をかき、みるみるぬるくなっていく7UPを飲んだ。そのようにして、私は私の最後の7UPを飲み終えた。無性に狭くて暗い部屋でメリージェーンを抱きしめながら、ミニー・リパートンの5オクターヴ半の『Lovin' You』のサビを聴いていたかった。

O Kay, That's the Way I Like It!

That's the Way (I Like It) 1975 - KC and the Sunshine Band
Born to be wild/ワイルドでいこう 1969 - Steppenwolf
Raindrops Keep Fallin' on My Head/雨にぬれても 1969 - B.J.Thomas
Lovin' You 1974 - Minnie Riperton
 
by enzo_morinari | 2018-08-30 04:00 | 呪われた夜を超えて | Trackback | Comments(0)

Do The Hustle! ── 16小節の恋の手ほどき

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16小節のラヴソング。16小節ですべてを語り、真実を告げる。世界に告げる。君に夢中だって。H-L-G-D-W


多国籍乱闘のあと、私と呪言師ジュゴンは元町のフライング・ソーサーの脇の路地で目をさました。夜明けだった。本牧埠頭か山下埠頭に停泊している貨物船が出港の霧笛を鳴らしていた。

私も呪言師ジュゴンも『紅の豚』の終りちかく、乱闘のあとのポルコ・ロッソとアメ公飛行機乗りのカーティスみたいに顔がボコボコだった。青たん赤たんコイコイコイ。頭は瘤だらけだった。二人して顔を見合わせ、大笑いした。笑うと体じゅうが痛んだ。

ユニオンの開店まで港の見える丘公園で時間をつぶした。呪言師ジュゴンと横浜港を出入りする貨物船についてああでもないこうでもないと他愛ない話をし、ひっきりなしにタバコを吸った。なぜかLARKとKOOLとCAMELとゴールデンバットがあった。どれを吸ってもまずかった。

ユニオンでクアーズの6本パックを2Packとキャマンベール・チーズとキャベツとセロリを買った。レジの若い女が私と呪言師ジュゴンの顔をみて必死で笑いをこらえていた。「心配するところだろ、そこは」と思った。ふざけた女がいたものだ。まったく世界はどうかしてる。しかし、一番どうかしてるのは私と呪言師ジュゴンであることはたしかだった。

再び港の見える丘公園にもどって、ビールを飲み、キャマンベール・チーズを食べ、キャベツとセロリをかじった。体じゅうの痛みはかわらなかったが、みるみるうちに気力がみなぎってきた。フェンスの向こう側のアメリカの街、本牧のベースまでだって全力疾走できるように思えた。そして、私の16小節の恋の手ほどきの相手が現れた。メリージェーンだ。

「あたしにもちょうだいよ」とメリージェーンは言い、私の横に座った。ポーチュガルのヘアトニックの匂いがした。

メリージェーンは16歳だった。Sweet Sixteen. Nile C Kinnick High School(YOHI/ヨーハイ)の生徒だ。イタリア人とアイルランド人とユダヤ人とフランス人とドイツ人とバイキングとフィンランド人とノルウェイ人とウェールズ人とスコットランド人とスペイン人とポルトガル人とモロッコ人とチュニジア人の血がコンフューズしていることをたのしそうに話した。「あたしは人種の坩堝よ。自分のアイデンティティとルーツがなんなのかどこにあるのか、まるでわかりゃしない」とメリージェーンは言って笑い、少しだけさびしそうな表情をみせた。

Sixteen Bars/16小節の恋 (1975) - The Stylistics
 
by enzo_morinari | 2018-08-29 15:30 | 呪われた夜を超えて | Trackback | Comments(0)

Do The Hustle! ── 呪われた夜を超えて

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ハッスルしようぜ! ハッスルしようぜ! ハッスルしようぜ!V-McCy
いくつもの夜 いくつもの失われた孤独な夢の中から 俺たちは大事なものをひとつだけ手に入れる。EGLS

ヴァン・マッコイ&ザ・ソウル・シティ・シンフォニーの『ザ・ハッスル』でだれもがハッスルハッスルしていた1975年の夏の終り、17歳、高校2年生の私は呪われた夜を超えた。私が呪われた夜を超えるのを助けてくれたのが呪言師ジュゴンだ。呪言師ジュゴンは40年以上を経たいまもともにある。1年後、山本リンダの宿敵であり、失恋評論家のリンダ・ロンシュタットのバック・バンドに過ぎなかった田舎者のジャンキー4人組が「Take it easy. 気楽にいこうぜ」とほざいて世界を席巻し、いつでもチェックアウトできるけれどもだれもチェックアウトしないフラミンゴ・ピンクの宿屋に無数のメンヘラーを幽閉することになるとも知らずに。営団地下鉄銀座線大猿の呪い評論家日系ウガンダ人のハルキンボ・ムラカーミがスパゲティ・バジリコとナイーブな肉屋のナイーブなロースハムとホットケーキのコーラがけと不全感の回収業とキノコ頭の虫ケラ4人組が先鞭をつけたノルウェイの森林伐採事業で大儲けするとも知らずに。しかし、呪言師ジュゴンだけはやがてくる呪われた夜の日々の到来をクールに精緻に読みとっていた。呪言師ジュゴンとの日々はさらにのちにやってくるなんとなくクリスタルで上げ底たっぷりなウェストコーストの波に洗われて見るも無残に浸蝕されるポンコツボンクラヘッポコスカタン1980年代を生き抜くための準備運動のごとき日々だった。

この話は呪言師ジュゴンとの呪われた夜を超えるための格闘と快楽の日々の記録である。

ランブル・フィッシュでもあるわれわれがまずはじめにしたのは横浜駅西口の悪臭とヘドロとアオコだらけのドブ川/幸川っぱたにあるパープル・フィッシュというディスコで朝鮮高校と国士舘高校と武相高校とヨーハイと韓国学院と中華学校の不良どもと入りみだれて乱闘することだった。

中華学校の中に一人、恐ろしくナイフさばきのうまいやつがいた。そいつのナイフが顔のすぐ近くで何度も鋭い風切り音をあげた。左の耳たぶを切られた。ビール瓶でナイフを叩き落として顔面にグシャグシャと頭突きをお見舞いしてやった。フロアに落ちているナイフをひろい、中華学校のナイフ名人に突きつけると、怯えた羊のような目でまばたきもせずにこちらを見上げた。鼻の穴にナイフの刃先を入れ、一気に引きあげた。ぎゃあという悲鳴がし、血が噴き出した。それから、仕上げに左の耳たぶを半分だけ切り落としてやった。半分にしたのはせめてもの情けだ。ナイフは戦利品、記念品としていただいた。中華学校のナイフ名人から離れるとき、「今度会ったときは目ん玉をえぐって、心臓をひと突きだからな。忘れるなよ。わかったらうなずけ。そして、ここから消えうせろ」と言った。ナイフ名人はすぐに立ちあがり、猛ダッシュで逃げていった。

店のミラーとミラーボールとグラスと音響装置はすべて破壊され、アフロヘアの従業員は全員逃げだした。中には通りを挟んで向かいにある幸川に飛びこむ者もいた。

ため息が出るほどに素晴らしいバタフライだった。数年後、そのミッドナイト・スイマーはアジア新記録を出し、オリンピックの日本代表にも選ばれた。彼がそこまで成長したのはあの呪われた夜第1夜のドブ川スイミングのおかげだ。予選時にスイミング・キャップのかわりにアフロヘアのウィッグをかぶって登場したときは拍手喝采した。あとで物議を醸し、ドブ川スイマーの水泳人生を大きく変節させるが、あれは彼の1970年代的なるものへのオマージュ/レクイエムでもあっただろう。私は評価する。少なくとも、金メダル(萩本の欽公のメダカの学校でダルダル)を取って「チョー気持ちイイ!」とほざいたバカ丸出しの若造より何倍もファニーでファンキーだ。

横浜駅近くのディスコで数十人が乱闘。死傷者多数。翌日の神奈川新聞朝刊社会面にはデカデカと不良高校生による多国籍乱闘の顛末が載った。あれだけの乱闘で死人が2人しか出なかったのは奇跡としか言いようがない。私としては10人は死者が出てもらいたかったが。残念だ。


Do The Hustle!

The Hustle/ザ・ハッスル - Van McCoy and the Soul City Symphony
One of These Nights/呪われた夜 - The Eagles
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by enzo_morinari | 2018-08-29 04:42 | 呪われた夜を超えて | Trackback | Comments(0)

怨恨憾譚 ── しずやしず しずの苧環くりかえし 昔をいまに なすよしもがな(静御前)

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白肌に怨みは濃く、黒髪に恨みは深く、呪言に憾みは物しく、物の怪の気配は幽けく。森鳴燕蔵


遠い春の夜。鎌倉稲村ヶ崎の断崖から由比ヶ浜の海中に身を投げようとしたとき、うしろからきれいな声が聴こえた。
 
「ごいっしょしましょうか?」
 
ふりかえると艶やかな黒髪の美しい白肌の女がかすかに左右に揺れながら立っていた。女の手にはひとくれの苧環が握られ、小脇には濡れて動かぬ嬰児が抱かれていた。恐ろしい体験だった。以来、春の海には近づかない。

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「ごいっしょにいかがですか?」

うしろから声がした。妻がコーヒーカップをふたつ持ってかすかに左右に揺れながら立っている。ひと晩で腰のあたりまで伸びた艶やかな黒髪が春の生あたかい風を受けて揺れている。
 
もはや、どこにも逃げ場はない。
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憾 - 滝 廉太郎
鎌倉 - 鮫島有美子
もうひとつの鎌倉物語(鎌倉市PV)
夏をあきらめて

(補遺)
源九郎判官義經の愛妾・静御前の行状が唯一記された鎌倉幕府の公式歴史文書である『吾妻鏡』によれば、静御前は逃亡中である義經の子を宿していて、源頼朝は「女子なら助けるが男子なら殺せ」と家臣に命じる。文治2年7月29日(ユリウス暦1186年9月14日)、静御前は男子を出産。頼朝の家臣が赤子を引きとりにくるが、静御前は半狂乱で泣き叫び、わが子を引きわたすことを頑強に拒んだ。静御前の生母である磯禅師が静御前から赤子を取りあげて頼朝の家臣に引きわたし、赤子は由比ヶ浜の海中に沈められた。
 
by enzo_morinari | 2018-08-28 01:33 | 超絶短編・集 | Trackback | Comments(1)

屋根裏部屋の王が創造した「掌の中の宇宙」

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目の前の机の片隅で月あかりを浴びて1個の懐中時計が光っている。眼を凝らすと水晶でできた文字盤に月が映りこんでいる。

掌の中の宇宙に浮かぶ月。

その懐中時計の名は Marie Antoinette/BREGUET NO. 160. 数奇な運命をたどった伝説の時計である。

1783年、ルイ16世の妃、マリー・アントワネットは当代最高のキャビノチェ(時計職人)であるアブラアン・ルイ・ブレゲを直接呼びつけ、護衛官を通じて「すべての機構、装飾を盛りこんだ史上最高の時計」を作るよう命じた。あらゆる複雑機能と最新の装飾を要求し、費用無制限、納期無期限という破格の注文だった。

Marie Antoinette/BREGUET NO. 160 は完成した時点で時計技術の最先端そのものであることを運命づけられていた。アブラアン・ルイ・ブレゲ本人が時計技術を次々に革新していくのであるから、新しい技術、機構を発明するたびに、それらはMarie Antoinette/BREGUET NO. 160に投入されなければならなかった。

技術革新はブレゲにとっては自らを縛る頸であった。永遠に完結しない完全性を追い求めてブレゲは何度も設計をやり直し、落胆し、シシューポスの嘆きを味わったにちがいないことは容易に想像がつく。

発注から6年後の1789年に勃発したフランス革命によってマリー・アントワネットは断頭台の露と消えるが、何度かの中断を挟みながら、Marie Antoinette/BREGUET NO. 160の開発は密かにつづけられた。さらに、ブレゲの死後もMarie Antoinette/BREGUET NO. 160の製作はつづき、1827年、ブレゲの息子の代でついに完成した。マリー・アントワネットの希代の注文から実に44年の歳月が流れていた。

パーフェクト・パーペチュアル・カレンダー(永久暦)、暗闇でも打鐘音で時を知らせるミニッツ・リピーター、重力の影響による誤差を修正するトゥールビヨン機構、二重の耐衝撃機構、均時差表示、金属温度計、パワーリザーブ表示、インディヴィジュアル・バトンとスモール・セコンドなど、ブレゲ開発による最新の技術が盛りこまれた時計史に燦然と輝く最高傑作の誕生であった。
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私がMarie Antoinette/BREGUET NO. 160を手に入れたのは1983年の春のことである。エルサレムのL.A.メイヤー記念美術館に忍びこみ、厳重なセキュリティを破って盗みだした。私の掌の中で妖しく輝くMarie Antoinette/BREGUET NO. 160. 時を知らせる道具の範疇を遥かに超えて、それはまぎれもなく小さな宇宙である。

時計は視えない時間、存在しない時間を小さな歯車と螺子の集積によって視覚化する時の芸術品である。時の芸術品を生みだすキャビノチェは科学全般、哲学思想に秀でた大知識人でもある。彼らの社会的地位はたいへんに高く、人々の尊敬と羨望の眼差しを受ける存在だった。

キャビノチェの語源は「屋根裏部屋(キャビネット)」。薄暗い屋根裏部屋で哲学の深淵と科学の粋を小さな機械に注ぎこむ時計職人を当時の人々は敬意をこめて「屋根裏部屋の住人(キャビノチェ)」と呼んだ。キャビノチェの哲学、思想、天文学、冶金学、金属学、物理学、音響学等に関する知識と技術の結晶が時計なのだ。そのキャビノチェの王として君臨しつづけたのがアブラアン・ルイ・ブレゲである。時計の歴史を200年早めたと言われる、古今東西に比類なき孤高の天才だ。

ブレゲの顧客には王侯貴族、最高権力者、文学者、音楽家などが名を連ねる。かのナポレオン・ボナパルトやヴィクトール・ユゴー、バルザック、アレクサンドル・デュマもブレゲの時計を愛用した。フランク・ミューラー? ブレゲの前では赤児も同然である。

Marie Antoinette/BREGUET NO. 160を見ていると、ブレゲが「宇宙の運行」をそこに込めたのではないかとさえ思える瞬間がある。

時間を、宇宙をみつめなさい。

ブレゲのそんな声が聴こえるようだ。35年のあいだ、私は常にMarie Antoinette/BREGUET NO. 160ひいてはアブラアン・ルイ・ブレゲ本人に問われつづけてきた。「時間とはなにか? 宇宙とはなにか?」と。

私が機械式時計に魅入られ、ついにはその究極のかたち、最終解答であるMarie Antoinette/BREGUET NO. 160を我がものにしようと考えたのは「時間とはなにか? 宇宙とはなにか?」という問いへの解答を見つけたかったからにほかならない。

答えはみつかった。もはや、Marie Antoinette/BREGUET NO. 160が私の手元にある必要も理由もない。そろそろ、マリー・アントワネットの元にMarie Antoinette/BREGUET NO. 160を届けよう。彼女の墓に供え、両者を対面させるのだ。

マリー・アントワネットは今度は時間を浪費することもなく、無意味な豪奢にとらわれることもなく、ただ静かに時間を、宇宙をみつめることだろう。時の流れは死者の魂のありようさえ変貌させるのだ。

Time will tell
 
by enzo_morinari | 2018-08-27 19:21 | 超絶短編・集 | Trackback | Comments(0)

ザ・ザ・ガボールとハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ短調を聴き、ドリス・デイにQue Sera, Seraと慰められる。

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未来はだれにも見えない。だから希望に満ちている。R-E

9歳の冬から夢に頻繁に現れる女がいた。2016年2月18日の明け方までつづいた。夢に頻繁に現れる女がザ・ザ・ガボールであると気づいたのはザ・ザ・ガボールが主演する古い映画をみたときだった。

高田馬場の西友の地下街にあった三番館のパール座でみた『ムーラン・ルージュ』だ。『底抜け最大のショウ』 と『黒い罠』の3本立て。『ぴあシネマクラブ(通称ぴあシネ)』を片手に街をほっつき歩いていた頃だ。

ザ・ザ・ガボールことガーボル・ジャジャはアンドレ・カンドレ時代の井上陽水が歌う『夢の中へ』に乗ってディータ・フォン・ティース風にバーレスクを体をくねらせて踊りながら夢の中に現れた。2016年2月18日の明け方以来だった。そして、言った。

「わたしはあなたと10回目の結婚をするのよ。そうするようにハリウッドの神様に言われたから。いいこと? 文句はないわね? なにせ、わたしは天下のハリウッドの名花、ザ・ザ・ガボールなんだから」
「あんたと結婚するとなにかいいことがあるのかね?」
「もちろんよ!」
「具体的には?」
「わたしと好きなだけセックスできる」
「それだけ?」
「天下のハリウッドの名花、ザ・ザ・ガボールが超絶フェラをする。あなたは天下のハリウッドの名花、ザ・ザ・ガボールのプッシーをいくらでもなめたりいじったりにおいを嗅いだりできる。それでも足りない?」
「あんた、最近、鏡で自分の姿をみたことある?」
「ええ。暇さえあれば自分を鏡にうつしてるわよ。うつすたびに鏡が割れる。ものすごく大きな音を立ててね。最近の鏡はヤワね。中国製だからかしら」
「鏡は正直なだけさ。中国製というのも少しはあるけど」
「正直なのはいいことよ。ハリウッドは嘘つきだらけだけどね」

そう言うと、ザ・ザ・ガボールは小鼻にかわいらしいしわを寄せた。化け物にしてはキュートだった。九尾の狐みたいなものであることにかわりはなかったが。

「そんなことより、天下のハリウッドの名花、ザ・ザ・ガボールが来たというのになぜリストの『ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調』をかけないのよ」
「それはそれはすまない。すぐにかけるよ」

私はオーディオ装置のスウィッチを入れ、McIntosh MC275の真空管KT88が温まって機嫌がよくなるのをしばらく待った。そのあいだ、ザ・ザ・ガボールはいらだたしげに床を踏み鳴らしていた。

McIntosh MC275の真空管KT88がすっかり色づいたのでアルフレッド・ブレンデルの『ハンガリー狂詩曲』をCDプレイヤーにセットし、第2番 嬰ハ短調をリピート・プレイした。

42回目の第2番 嬰ハ短調が始まった直後に暖炉からトムとジェリー、バッグス・バニー、メリー・メロディーズ、ミッキーマウス、ウッディ・ウッドペッカー、ドナルドダックとダフィーダック、ロジャーラビットが現れた。ザ・ザ・ガボールは少しも驚かず、背筋をピンと伸ばし、毅然とした態度で言った。

「女たらしのリスト! 国の恥よ! ロマの娘をかどわかした恨みでロマに毒殺されたのよ! ロマ書に書いてあるとおりにね! そんなことより、なんでグレン・グールドの弾くハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ短調をかけないのよ! ブレンデルなんて鼻行類の親玉の鼻づまりピアノなんかかけて! このロクデナシ!」
「ロクデナシっていうけど、この冬がくれば60歳だけどね。それにグレン・グールドはリストの曲をほとんど録音してないよ」
「録音してなくてもなんとかするのが10番目の夫のつとめでしょ! そんなことだからあなたの人生はずっと破綻調なのよ! 破断した巴旦杏のフルーツ・サラダを食べさせなさいよ! ぜんぶ、嬰ハ短調の駄洒落よ!」

埒があかないので、私はきっぱりと言った。

「おれが生まれたのはあんたが主演した『黒い罠』が公開された1958年だぜ。『結婚協奏曲』や『ムーラン・ルージュ』のときは両親はまだ出会ってもいない。それに、あんたは2016年2月18日に死んでるんだよ。だから、あんたの10回目の結婚相手にはなれない。残念だけどね」
「わかってるわよ、そんなことくらい。ただ、さびしかっただけ」

そう言ったあとにザ・ザ・ガボールがみせた表情には少し胸が痛んだ。そして、ハリウッドうそつき世界の名花たちが次々とやってきては言いたいことを言い、やりたいことをやり、消えた。

マリリン・モンロー、グレース・ケリー、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーン、ビビアン・リー、イングリッド・バーグマン、ティナ・ルイーズ、そして、ドリス・デイ。ドラキュラ伯爵役のクリストファー・リーがやってきたのはハリウッド・ジョークかなにかだろう。
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ドリス・デイは帰り際に私の耳元で「Que Sera, Seraよ。凄腕の暗殺者であるあなたは知りすぎた男なのよ」とささやいた。ドリス・デイはジェフリー・ビーンのグレイ・フランネルのフレグランスの匂いがした。

「きれいなバラには時が必要よ」とドリス・デイは言った。
「それを言うならきれいなバラには棘があるだろ?」
「Que Sera, Seraよ。時間も棘も残酷で容赦ないことにかわりないんだから。その証拠がこれよ」

そう言うと、ドリス・デイはベリベリと音を立てて顔面を髪の毛の生え際あたりからゆっくり剥がした。見るも無惨な老婆の顔が現れた。夢はそこで終わった。

Hungarian Rhapsody No. 2 C-sharp minor S.244/2(Franz Liszt) - Alfred Brendel
The song from Moulin Rouge - June Hutton(1953)
Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be) Doris Day
 
by enzo_morinari | 2018-08-27 04:09 | Media Vita in Morte | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で/ガード下にヒールは折れて#2 ── 昭和の残像

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女からはセックスのときどこをどうすれば自分も相手も気持ちいいか/より強い快感をえられるか手取り足取り教えられた。

「あなたとセックスするのはすごく気持ちいい。こんなに気持ちいいセックスは初めてよ」

女はそう言ったあと、「また欲しくなっちゃった」といたずらっ子のような表情を浮かべて私のペニスにむしゃぶりついた。

「自分がされて気持ちいいことは相手にもしてあげるのよ」

女はそう言ってから私の両脚を広げた。それから、股ぐらに顔をうずめ、ペニスに舌を這わせ、睾丸の袋を掃くように舐め、アナルを舌先で軽く突ついたりねっとりと舐めたりしながらペニスを痛みを感じるくらいに強く握って激しくしごいた。

私はすぐに激しく長々と射精した。女は見事なタイミングで精液を口に受けた。女の口の端から精液がどろりとこぼれた。吐血しているようにみえた。あるいは女のはらわたを吐きだしているようにも。

女にされたとおりに、女のアナルを左右にひろげて舐めながら大ぶりのクリトリスを親指の腹でこすると女は悲鳴のような声をあげて背中を弓なりにのけぞらせた。

女の中に入っているペニスの根元がきつく締めつけられ、ペニスの先端はやわらかなゼリー状の塊に包まれたり、弾かれたりした。女のヴァギナの上部には粒状のものがびっしりと密集していて、それがえもいわれぬ快感をもたらした。のちに知る「数の子天井」だ。

女のヴァギナは極めて複雑な動きをした。締めつけ、捻り、からみつき、吸いこんだ。せつなそうに大きくよじれた。

女の恥骨と私の恥骨は完全にフィットした。女は仰向けのときは下から激しく突きあげ、上になっているときは前後左右に激しく強く腰をふった。腰を時計回り反時計回りさせた。私の脚を抱えあげて自分の肩に担ぎ、ものすごい速さと強さでこすりつけた。私が達しそうになるのを察して動きを止めてきつく締めつけた。

「まだイッちゃダメ。イクときはいっしょ」

透きとおるように白い肌。怖いくらいだった。すべすべしていた。男どもはこの肌に触れたら虜になるだろうなと思った。実際、私がそうだった。女と肌をあわせ、交わることばかり考えていた。

女が快感をえているときの声はすごかった。獣のようだった。女は達するときに白眼を剥き、野獣のような声をあげた。女は私の背中に爪を立て、肩口や腕や耳たぶや鼻にまで噛みついた。女が噛みついた顎にはいまも女の歯型が残っている。

女の口からはいつも果物のようなにおいがしていた。私は女の口のにおいを嗅ぐのが好きだった。私は女の部屋に入りびたりになり、女がいるときはいつもセックスをしていた。女もつねに求めてきた。外出先でもあらゆる場所で交わった。野毛山公園のトイレで。紅葉ケ丘にある神奈川県立青少年センターのプラネタリウムで。神奈川県立図書館の雑誌室で。神奈川県立歴史博物館の展示室で。深夜の吉田中学校の理科の実験室で。老松中学の茶道部の茶室で。関東学院三春台の家庭科の実習室で。阪東橋の欄干にもたれて。マリンタワーの第2展望台と植物園で。山下公園のベンチで。氷川丸の客室で。避妊はしなかったが女が妊娠することはなかった。

運命の女/ファム・ファタールとの日々の終わりは意外なかたちでやってきた。


The Isley Brothers - Between The Sheets
Gabor Szabo - Femme Fatale
 
by enzo_morinari | 2018-08-26 05:54 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

たどりついたらいつも雨ふり/夏休み最終日の夜ふけの中学校の体育館で聴いた五番街のマリーからジョニィへの伝言

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曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げ、雨が降らないことを願いながらも雨の気配を探る日々。かつて、われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。

その夏は街のどこにいてもザ・モップスの『たどりついたらいつも雨ふり』が聞こえているモッブでスノッブでサイケデリックな夏だった。国道16号線や産業道路のいたるところで、ガス欠したRenault Quatreを押す鈴木ヒロミツが「クルマはガソリンで走るのです」とほざいていた。その脇で、のちに類人猿の父親となるマイク眞木が「のんびり行こうよ、俺たちは~。焦ってみた~って、おなじこと」と歌っていた。

その夏の初めにリーバイスのレンガ色のチノパンを横須賀のドブ板通りの古着屋で手に入れた。600円だった。ひと夏中履きつづけた。根岸や本牧のマンモス・プールに行くときも空調の効いた街の図書館で昼寝がてらに本を読むときもガールフレンドと熊野神社の社殿の陰でヘビーペッティングやらヘビーネッキングやらをするときも上大岡にできたダイエーの紳士服売り場でラ・マーン・ビーキーにいそしむときもそのレンガ色のチノパンを履いていた。

「そのチノパン、すごくクサイよ」とガールフレンドが不快感満載で言うので、無性に腹が立った。

「臭きゃユニーの日用品売り場でシャットを1ダースばかり買ってクサイにおいを元から断つんだな。ついでに、世界中のクサイものを消臭してまわりゃいい。クサイものにフタをするのはお得意だろう? だいたい、おんなこどもにこのチノパンのほんとの価値はわかりゃしねえよ」と怒りに任せて言った。それきり、そのガールフレンドとの他愛ない恋愛ごっこは終わりを告げた。 夏が終わる頃には味わい深いレンガ色はなんとも珍妙奇天烈な色に変わり果てていた。

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中学3年の夏休みの最終日だった。悪ガキ仲間5人で逝く夏を惜しみ、去りゆく夏を追いかけるために夜どおし街をほっつき歩いた。集合場所は国道16号線沿いにある行きつけの銭湯の松の湯だった。

番台のオヤジは鬼がわらのような御面相だったが、われわれ悪童どもにどこか好意的だった。好意的だった理由は今では確かめようがない。鬼がわら番台オヤジはとうに死んでしまったし、松の湯自体が何年も前に廃業したからだ。

松の湯を出てから16号線をひたすら歩いた。途中、あまりにも腹がへって、人相の悪いのや入れ墨を入れたチンピラヤクザどもが出入りする深夜営業の『穴』という名前の怪しげなスナックで生姜焼き定食をひとつとライスを人数分頼んで食べた。食べているあいだ、スロットマシンの景気のいい電子音やピンボールマシンにダミ声で悪態をつくやくざ者の怒鳴り声が聞こえていた。ほかの悪ガキ仲間たちはビビりまくり、蒼ざめていたが、私はビビりながらも、社会のゴミどもロクデナシどもの生態の一端を間近に目撃できてちょっと面白かった。

「あんちゃんたちよお。中学生かよ?」

店を出ようとしたとき、うしろから悪意のこもった巻き舌の声がした。振りかえるとパンチパーマの20歳くらいのチンピラが揺れながら立っていた。酒に酔っているらしかった。足元が危うい。立っているのがやっとというありさまっだった。悪童仲間たちが一斉にビクっと首をすくめたのが横目でわかった。

「あんちゃんじゃねえよ。それにてめえにあんちゃん呼ばわりされるおぼえはこれっぽっちもねえぞ! 三下奴のチンピラ野郎!」

瞬きもせずにパンチパーマ野郎の目を見すえて言ったが、声が震えているのが自分でもわかった。

「やめとけやめとけ。シゲ! おまえ、飲みすぎだぞ。相手はこどもじゃねえか」

スナックのマスターとおぼしきハゲ頭の貫禄のあるおっさんが止めに入った。まくった白いシャツの袖口から鮮やかな入れ墨がのぞいていた。

「ここはおまえたちが出入りするような店じゃない。もう来るんじゃないぞ。いいな? それはともかく、いやな気分にさしちまって悪かった。ほら、これ。とっときな」

入れ墨ハゲマスターはそう言って、手の切れそうな1万円札を1枚差しだした。「5人いるんだけどな」と言うと、入れ墨ハゲマスターは「ぶん殴られたいか?」と顔をクシャクシャにして笑った。

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夜どおしのほっつき歩きはエンディングを迎えようとしていた。誰言うともなく足は通っていた中学校に向かった。

校門の手前で雷鳴が轟いた。アスファルトの地面を激しく打ちつける雨。全員ズブ濡れになった。

体育館に忍びこみ、緞帳で濡れた体を拭き終えてひと息ついたとき、赤毛のノリが胸元から元町ポピーの紙袋をおずおずと取り出した。ドーナツ盤が2枚。ペドロ&カプリシャスの『五番街のマリーへ』と『ジョニィへの伝言』だった。

赤毛のノリは無類の音楽好きで、「これ、いいよ」とドーナツ盤やLPレコードをおずおずと差し出すやつだった。赤毛のノリが寄こしたマーク・リンゼイ&レイダースの『嘆きのインディアン』やらリン・アンダーソンの『ローズガーデン』やらC.C.R.の『雨を見たかい』やらアルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』『落ち葉のコンチェルト』やらギルバート・オサリバンの『アローン・アゲイン』やらのドーナツ盤は50年ちかくを経た今も奇跡的に手元にある。

赤毛のノリは舞台の袖から階段を登って放送室に忍びこんだ。そして、大音量で『五番街のマリーへ』と『ジョニィへの伝言』をかけた。

夏休み最終日の夜ふけの中学校の体育館に響きわたる『五番街のマリーへ』と『ジョニィへの伝言』。音は床板に反響してライブすぎたが、心やら魂やらにやけにしみた。前奏のストリングスのパートで神妙な気分になり、アコースティック・ギターのソロのところで不意と涙がポロポロこぼれた。悪ガキたちもみんな声を立てずに泣いていた。いい時間、かけがえのない時間、宝石のような時間だった。

「きょうのことは一生忘れない。卒業してばらばらになっても、みんなと会うことがなくなっても、きょうのことは忘れない。みんなも忘れないでほしい」

放送室にいる赤毛のノリがマイクをとおして言った。涙声だった。言い終えたあとに赤毛のノリが嗚咽するのをマイクがひろっていた。悪ガキ全員が大声で泣いた。私? 泣くはずがない。天涯孤独で共感性と親和欲求がなくてタフでクールでハードボイルドな私が。目からしょっぱいものがいくらでも出たが、あれは汗だ。目から汗が出たんだ。よくある話だ。涙ではない。私は生まれてこのかた泣いた試しがない。クールなタフガイは泣かないものと相場は決まっている。レイモンド・チャンドラーだってそう言っている。フィリップ・マーロウもコンチネンタル・オプもマイク・ハマーも、そして、Grip Glitzさえも満足げにうなずくはずだ。

何度目の『五番街のマリーへ』『ジョニィへの伝言』が終わったときだったか。雨音が一層強く激しくなった。土砂降りの雨音が体育館に轟々と響きわたり、体育館は土砂降りのただ中になった。

永遠につづくかと思われた夏休みの終わりが近づいているらしかった。なにごとにも始まりがあって、終わりは必ずやってくる。そのことを学んだ夏だった。


赤毛のノリタマよ。まさか、おまえがおれより先にくたばりやがるとはな。せいぜい、あの世だか極楽だか天国だかとやらでいい皿回しになれ。思う存分皿回しをやれ。もはや、おまえを縛りつけるなにものもありはしない。たどりついたら土砂降りだった夏休み最終日の夜ふけの中学校の体育館で聴いた五番街のマリーからジョニィへの伝言のことも忘れていない。ついいましがたのことのようにおぼえている。これからもだ。

赤毛のノリタマよ。おまえに再会できる日もそう遠くはない。再会の日までに皿回しの腕を上げておけ。そうでなけりゃ、ブットバース!

Go Ahead! Go, Go, Go!! Go's On!!!
 
by enzo_morinari | 2018-08-25 16:49 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)