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カサブランカごっこ#1 月の輝く夜に

 
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忘れちゃいけない。キスはただのキス、ため息はただのため息。恋の基本はいつだって変わらない。月の光もラブ・ソングもなつかしい光のシミも時代おくれにはならない。どれほど時を経ても。Her-Hup


トーキョー砂漠のど真ん中にある酔いどれ王国唯一の酒場、「リックのアメリカ酒場」から聴こえる「君の瞳に乾杯!」の号令とともにカサブランカごっこは始まった。カサブランカごっこは痩せ我慢のゲームだ。

「きのうはなにをしてたの?」と女が懇願するようにたずねる。
「そんな昔のことは忘れた」と男は無表情に素っ気なくこたえる。
「あしたはどうするの?」と女は追いすがるようにさらにたずねる。
「予定は立てない」と男はさらに素っ気なくこたえる。

そこへ、別の若い女がやってくる。男の手を強く握り、涙さえ浮かべている。彼女の年下の夫が抱える借金のことを相談しているようだ。男は若い女をなだめすかし、きっぱりと言い放つ。

「お嬢さん、だれもがなにかしら問題をかかえている。きみだけじゃない。自分で解決しなさい」

若い女はがっくりと肩を落とし、うなだれてその場を離れる。男は配下の者を呼び、若い女の夫の借金についてたずねる。そして、小切手帳を白い富良野フラノのジャケットの内ポケットから取り出し、借金の額に大卒の月給3ヶ月分を加えて小切手に書きこむ。裏書きには「北の国から ゴローより」と書いた。

「これできれいにしてやれ。残った分は彼女に渡すんだ」

男の手下は足早に去る。

「さて、ゲームをつづけよう」

女は男の言葉を受けて、席を立ち、ホール中央の移動式ピアノに向かう。女に気づいて目を見張り、驚くピアノ弾き。

「あの曲をお願いよ、ピアノ弾きさん。パリの思い出の曲を」
「おぼえておりません」
「あいかわらず嘘がへたくそね。『As Time Goes By』よ、サム」
「どんな曲でしたか?」
「こうよ」

女は『As Time Goes By』のメロディを口ずさむ。ヘタクソだ。室温が5度下がる。少し間を置いたあと、ピアノ弾きは仕方ないといった表情をみせてから囁くようにピアノを弾きはじめ、歌いだした。

 You must remember this.
 A kiss is still a kiss, a sigh is just a sigh.
 The fundamental things apply
 As time goes by…


酒場の亭主が血相を変えて素っ飛んでくる。

「その曲は禁止したはずだぞ、サマンサ・タバサ! あ。まちがえた…」

間髪入れずに監督役の男の声。

「カ────ット!」

続いてアシスタントの声。

「一旦、休憩入りまーす」

長い夜になりそうだったが、美しいグレープフルーツ・ムーンの夜だ。急ぐ必要はこれっぽっちもない。疲れたら、なつかしい光のシミを数えながら、煌々と輝くグレープフルーツ・ムーンを見上げればいい。カサブランカごっこはまだ始まったばかりだ。


 As Time Goes By - Dooley Wilson (サム)
 As Time Goes By - Frank Sinatra
 As Time Goes By - 101 Strings Orchestra
 
by enzo_morinari | 2018-06-30 06:46 | カサブランカごっこ | Trackback | Comments(0)

ペーパーバック・トラベラー#4 1983年夏のクラクション

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曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げながら雨の気配をさぐる日々。かつて、 われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。


1983年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、ビーチサイドFMにセットしていたカー・ラジオから稲垣潤一の『夏のクラクション』が聴こえてきた。進行方向左手に2階建ての白い洋館が見えた。渚ホテルだった。右手にはきらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動。そうすることがあらかじめ決められていたようにクルマを停めた。そして、渚ホテルのペーブメントでUターンした。怪訝な表情を浮かべるベルボーイをバックミラー越しに見ながら、再び134号線に出て七里ガ浜駐車場をめざした。

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力を失いはじめた夏の終りの太陽を反射してコマ落しで輝く凪いだ逗子の海を左手に見ながらカルマンギヤ type14を走らせる。

20歳の誕生日。5歳年上のガールフレンドはGloverallのネイビー・ブルーのダッフルコートとBarneys New Yorkのタイクーン・カシミアのマフラーとNORTH FACEのペッカリー革の手袋をプレゼントしてくれた。そして、イグニッション・キーを私のブレザーコートの胸ポケットに滑りこませた。パウダー・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ type14。彼女の愛車だ。彼女のいたずらっ子のような表情がよみがえる。

「えっ?」
「いいの。わたしの家はおカネの置き場所に困るくらいの金持ちだから。兄貴からちょっとゴキゲンなクルマをお下がりでもらっちゃったし。ね? だから、気にするのはちょっとだけにして。そのかわり、助手席にはわたし以外女の子を座らせちゃダメよ。わかった?」
「...うん。わかった」
「それと、名義変更の書類は全部そろってるからね。名義変更その他の費用分の印紙も。グローブ・ボックスに入ってる。あとはあなたが印鑑証明と車庫証明をとって陸運局に行くだけ。一緒に行ってあげるけど」
「ありがとう」

ガールフレンドは鼻にかわいらしい皺を7本寄せ、「セーフティー・ファーストでお願いしますわよ、カミカゼ・ドライバーさん。ナビゲーションはおまかせあれね」とおどけて言った。いまから思えば、彼女のおどけ方は『Driving Miss Daisy 』に出ていたジェシカ・タンディが演じる主人公のMiss Daisyみたいだったが、『Driving Miss Daisy 』が公開されるのはそのときから11年後だ。

アクセルペダルをゆっくりと踏みこむ。RUFチューンのポルシェ356のエンジンとギアボックスに換装されたカルマンギヤ type14は腰の座ったレスポンスを示す。アクセル開度に敏感に反応するウェーバーのキャブレターの甲高い吸気音が小気味いい。

走行性能にかかわるフレームとパワーユニットと制動系と駆動系以外、エクステリアとインテリアをすべて未使用の純正部品でレストレーションされたカルマンギヤ type14は1955年当時と変わらないコンディションを保っている。走りの性能については少なく見積もっても当時の倍以上だった。まさに、モンスター・カルマンギヤだ。

景色が少しだけ速く流れはじめる。来たときとは道も風も陽射しも潮のにおいもちがって感じられた。走りなれた道はいつもより滑らかで、風はビロードで撫でられているみたいに心地よかった。陽射しはビル・エバンスがおどけて弾く『South of the Border』みたいに軽快で健やかで、潮のにおいはわずかにSEX WAXの甘いにおいを含んでいて、細胞のひとつひとつに沁みわたった。

ウィンドウを全開にし、エアコンを切り、ヴォリュームを上げる。それは1983年の夏に別れを告げるために必要な儀式のように思えた。5年のあいだずっとガールフレンドの指定席だった助手席は空っぽだった。ナビーゲーター不在。途方もない欠落と欠如と喪失と空虚が襲いかかってくる。車の中には彼女がつけていたフレグランス、Eau de Givenchyの残り香 ──。

彼女は逗子海岸から小坪トンネルを抜けて材木座海岸につづくカーブが好きだった。いつつの夏がすぎた海沿いのカーブ。小坪トンネルを抜けて視界に材木座海岸が広がると彼女はいつも歓声をあげた。Eau de Givenchyの香りがする無邪気な彼女が好きだった。

完璧なレストレーションとメンテナンスが施された白いシルビアCSP311。すぐ上のお兄さんから譲りうけた彼女の愛車だ。1回やや短く。2回短く。インターバルは正確に0.35秒。それが彼女のクラクションの鳴らし方だった。いつでもどこでもだ。

雨の日も風の日も雪の日もピーカンの日も台風が来ている日も雷の夜も寒いから2人でいるときも心さびしいときも。湘南でも伊豆でも苗場でも志賀高原でも第3京浜でも東名高速でも中央高速でも首都高でも山下公園通りでも元町でも本牧でも青山通りでも神宮外苑でも渋谷のパルコ前の公園通りでも内堀通りでも外堀通りでも晴海通りでも銀座でも。

ガールフレンドはTime Keepの天才だった。彼女に心拍数を計測されたことは142回。彼女は趣味をたずねられると即座に「時間と宇宙森羅万象を計測すること」と答えた。「君の瞳に乾杯」と言うと「わたしの瞳の直径はわかってるの? 睫毛の長さは? 眉毛の太さは?」とたたみかけてくる。セックスの回数と持続時間と射精した精液の量はすべてパウダー・ブルーのコノリー革の手帳に記録されていた。

ガールフレンドは毎日欠かすことなくジョギングがわりに素数の階段を昇り降りした。週に1回は複素数の螺旋階段も。月に1度は虚数の鏡の前でヒンドゥー・スクワットを42回1セットを30セット。ガールフレンドの体脂肪率はひと桁だ。

素数の階段を頂上まで登りきり、最後は転げ落ちる夢を1日おきに見ると鳩尾にアッパーカットを叩きこまれたシーズーのような表情をして言った。好きな言葉はふたつ。Festina LenteとAs time goes by/「悠々として急げ」と「時の過ぎゆくままに」だ。彼女は世界中のすべての命数法と数詞を諳誦できた。「宇宙森羅万象の究極の答えは42よ」というのは彼女の口ぐせだ。ガールフレンドが『時をかける少女』の話を始めると必ず日付がかわるまでつづいた。

「ヨシヤマカズコは足がおそい。鈍足もいいとこよ。あんなんじゃ時間とかけっこできない。アインシュタインについても言いたいことはいっぱいあるけど、きょうのところはやめとくわ。時間がないから。本来、ないはずの時間に追いかけられるなんてバカバカしいにもほどがあるけど、ないからこそ追いかけられるのよ。そんなわけで、わたしは生まれてからずっと忙しい」

遠い日の冬の夜、「世界が孕むある種のやさしさ」についてガールフレンドが話していたことを思いだす。

銀座線の車内で外国人観光客とうちとけたホームレスとおぼしき老人が、彼らとの記念撮影を求められたときに寂しそうな笑いを浮かべながら野球帽で顔を隠す場面に彼女は遭遇する。

ガールフレンドは思う。「老人が顔を隠した事情についてその日出るはずだった月のように世界にやさしさが満ちていればいい」と。

思い出し、涙がはらはらといくらでも出た。聴いていたキース・ジャレットの『My Wild Ilish Rose』のせいでもないし、回収できなかった「すっかり冷えきった爪先」のせいでもないし、「森のひと」と30年早く出会えていたらと考えていたからでもない。涙の理由らしい理由がみつからないので、今日のところは「世界の共同主観的存在構造」のせいであるということにしておこうと思う。

世界はユークリッド幾何学かつリーマン幾何学平面上にあるニュートン力学が支配する空間にいくぶんかの混沌が織りこまれたユークリッド幾何学並びにリーマン幾何学またはニュートン力学によって大方の説明がつく非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙でできあがっているが、きっといつの日か「お住まいは?」と尋ねられて「非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」と大手を振って答えたいとガールフレンドは真顔で言ったことがある。そのときは、彼女の言っていることの意味はわからなかったし、いまもわからないが、ユークリッド幾何学とリーマン幾何学とニュートン力学について勉強するきっかけになった。かくして、私は現在、非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙に生きている。

1983年の夏を境にガールフレンドの白いシルビアCSP311をバックミラー越しに見ることもインターバル0.35秒のクラクションを聴くことも心拍数を計測されることも『時をかける少女』の話とアインシュタインの舌に生えた苔の話を聴くこともなくなった。以来、今日まで、間延びしてひどくのっぺりとした時間がすぎている。いくらFluctuat nec mergitur, Festina Lente, As time goes byとつぶやいても、1回に65刹那が詰まっているFinger SnapとTut-Tutをセットにして1日中やっても七里ガ浜駐車場レフト・サイドで強い南風に吹かれても事態はなにひとつ変わらなかった。変わらないどころか、悪くなるいっぽうのようにも思える。

「あなたは平気で傷口に塩を擦りこむのね。それだけじゃなくて反律のナイフでさらに傷口を広げて、その傷口に牛喰いが飲むような強いジンを1時間あたり842cc流しこむ」

ガールフレンドはそう言って、大きな瞳から大きな涙をひと粒だけこぼした。あの大きな涙の粒は1時間あたりどれくらいの量が流れたんだろうか? 彼女は自分の流した涙ひと粒の量の平均値と総量を把握できていたんだろうか? 涙の理由と涙の平均値と総量はともあれ、別れに涙はつきものだ。特別なことではない。

ガールフレンドの涙のゆくえを最後まで見届けなかったことを後悔しているとき、クラクションが聴こえた。1回やや短く。2回短く。インターバル0.35秒。彼女のクラクションだ。しかし、バックミラーを見ても周囲を見まわしても彼女の白いシルビアCSP311はない。クラクションは前後左右のいずれでもなく、上から聴こえた。それも近くではなくて、はるか彼方の天空から。あらぬ彼方から。遠くで弾けた泡みたいな音で。クラクションの背後には無限大の太鼓の通奏低音。ドンドンドン パチン ドンドンドン パチン ドンドンドン パチン ドンドンドン......

気のせいか? それともただの空耳? 夏の終りの134号線を走っているのに、寒くて暗い宇宙にただ1人取り残されているような気分だった。稲垣潤一が「夏のクラクション Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart/夏のクラクション 風に消されてもう聴こえない Leave Me Alone, So Lonely Summer Days... 」と歌っていた。驚いたことに、ビーチサイドFMは『夏のクラクション』を3回立てつづけにかけた。風の歌はちっとも聴こえないし、風向きはまったく変わらないし、風は答えらしいことをなにひとつ孕んでいない。どうかしてる。本当に世界はどうかしてる......。

ガールフレンドの涙の理由もわからず、彼女の涙のゆくえを見届けることも回収することもないまま35年の歳月が流れ、そのあいだに数えきれぬほどの秋やら冬やら春やら夏やらがすぎていった。3年目で数えるのはやめた。たぶん、35年のあいだに季節は4242回くらい通りすぎていったのではないかと思う。芽吹き、花開き、実を結んだプルメリアは420を超えているはずだ。420のプルメリアの中には伝説になったものもあるかもしれない。「赤いスイートピーの化身であるプルメリアは小麦色のマーメイドになり、風の使者に恋をした彼女が流した涙は太平洋に流れこんだ。裸足の季節になると白いパラソルを抱えて青い珊瑚礁を駈けぬけるダイアモンドの瞳を持つ彼女のことを思いだす。彼女の甘い記憶は渚のバルコニーの蒼いフォトグラフ・ルームに残っている」という伝説に。

多くの人々と出会い、多くの友だちができ、少しの友だちが残った。神風タクシーのドライバーをはじめて2年めの冬にはネズミ交通チューズ・チーズ地区の選TAXIの竹野内枝分運転手と首都高中央環状線でカーチョイスをやって死にかけたり、カスミガセキシロアリ交通のペルーの元反政府ゲリラの役所コージーと赤坂見附のコージーコーナーのコーナーをどちらがコージー冨田らしく抜けられるかをジャンボ・シュークリーム42個と古事記の原本と松尾嘉代の赤い腰巻きを賭けて古式ゆかしくコジキ競争したり、風の歌と羊博士と世界の終りとクレタとマルタと208と209を探す旅の途中で何度も不思議な経験をしたり、ムネーモシュネーに記憶術を伝授したり、World Order Foundationに監視されたり、謎の組織のメンバーに尾行されたり、ハレ・クリシュナの熱心な信者ともつ焼き屋で飲んだくれたり、クリシュナ意識国際協会日本支部にハレー彗星を直撃させたり、浅草の新門辰五郎に目の敵にされたり、薔薇十字団とイルミナティとフリーメーソンと少年探偵団の争いを仲裁したり、年老いたバーニーズ・マウンテンドッグに言い寄られたり、光の速度を42回超えたり、宇宙の果ての向こう側を見たり、エヴェレットの多世界解釈を実体験したり、重力場を作りだす技術によって「量子異常による対称性の破れ」の研究を飛躍的に発展させたり、その過程でヒッグス粒子とグラヴィトンを発見したり、ディラックの海の青いほとりでナポレオン狂のナポレオン・フィッシュと権平狸好きのゴンベッサ・コンテッサのキメラを釣り上げたり、瞬時にイースター・エッグ/隠しコマンドを見つけだす裏ワザを開発したり、三社祭の宮入りで一之宮から丸金の若衆を引きずり下ろしたあとで鳳凰の尾羽を3本毟りとったり、富岡八幡宮の千貫御輿に押しつぶされそうになったり、非破壊検査のために烏骨鶏の卵の上で三点倒立したり、ジョン・タイターにAPPLE Lisa 4200をプレゼントした。そして、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学んだ。酒について学んだのは「酒を飲むと酔う」ことと「酒は飲んでも飲まれてはならない」ことと「酒は売るもの。飲ませるもの」ということのみっつだ。

どれほど酒を飲んでも、たとえJ's Barの床一面を厚さ5cmのピーナッツの殻で覆いつくし、25mプール1杯分のビールを飲みほしても、若芽の芽吹きの少ないさびしいキタコブシの林で、長いあいだぶら下がったままだれにも気づかれずに時折吹く風に揺れている若い女を回収することはできないし、どこにも行けないし、約束の地にはたどりつけないし、失われた時間を取りもどすことはできない。それが1986年4月26日1時23分(UTC+3)時点において得た結論だった。
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ガールフレンドは幼稚舎から大学/大学院まで慶応だった。大学院で量子力学と100万年時計の研究をしていた。博士論文は『チェシャ猫とシュレディンガー・キャットと箱猫は美しい友情を結べるか?』『現在/過去/未来の意味をわかっていない渡辺真知子は迷宮のクリームリンスに迷う』の2本だ。

正真正銘のお嬢様。ファッションや音楽、言語感覚を初めとして、およそ生きていくうえで必要なセンスがとても良かった。人生の日々の景色が絶景になることは約束されたも同然であるように思われた。

勉強ができるのは当然だが、頭の質がすごく良かった。クール・ビューティの典型だった。まちがっても、大酒にまみれても「鼻息」などという言葉を口にしなかった。アイドルがグレース・ケリーというのは出来すぎだったが。

ガールフレンドの自宅は神宮前2丁目にあった。一般的な一戸建て住宅5個分くらいありそうな豪邸だった。彼女の父親は不動産業を中心に飲食店や娯楽施設、サウナなどを手広く経営していた。すべて一代で築き上げたそうだ。ある経済誌に取り上げられたこともある業界の風雲児だった。

ガールフレンドの家には何度か行ったが、いつも居心地が悪かった。彼女の父親とは一度も会ったことがない。「どうせ、ほかの女のところよ」と彼女はこともなげに言った。なるほど。よくある話しだ。

ある日、待ち合わせ場所の表参道の交差点交番前に彼女は息をきらしてやってきた。待ち合わせ時刻を15分も過ぎていた。帰る寸前だった。たった15分で? そうだ。私はこどものころから時間にきびしいのだ。待ち合わせの5分前を過ぎて相手が現れなかったら帰るのが私の流儀である。世界には平等も公平も存在しないが、「時間」だけは古今東西を問わずにだれでもに平等公平に用意されている。

「ねえねえ。聴いて聴いて。竹内まりやがさあ ── 」
「なんだよ、いきなり。竹内まりやだあ? 知るか! それってうめえのか?」
「うまいうまい。トップスのカレーとチョコレート・ケーキくらいうまい」
「そ、そうなのか。じゃ、喰ってみる」

そして、私はガールフレンドから『UNIVERSITY STREET』のLPレコードを借り、聴き、竹内まりやの虜になった。ガールフレンドの言うとおり、トップスのカレーとチョコレート・ケーキ5年分くらいうまかった。

青山のブルックス・ブラザース本店で芥子色のシャツを買った。9月でもないのに『SEPTEMBER』を口ずさんだ。「SEPTEMBER」の発音に関してはいいなと思った。真似して発音したらL.L.のアメリカ人教師に褒められた。伊勢佐木町のヘンリー・アフリカでピーチパイを食べた。ただ甘いだけで不思議でもなんでもなかった。

『UNIVERSITY STREET』は『涙のワンサイデッド・ラヴ』が特に良かった。せつないというのはこういうことでもあるのだと知った。そして、ああ、女の子というのはこんなふうにものごとを感じ、受け止め、考えているのかと驚くと同時に感心もし、女の子にもう少しやさしく接しようと思った。思っただけで実際にはこれっぽちもやさしくはしなかったが。

『UNIVERSITY STREET』は実にいいアルバムだった。ジャズ・ミュージックと古典楽曲とわずかばかりの上質なポップスと上滑りなしA ( ) Cなしのロックのほかはほとんど聴かなかった私には新鮮だった。ただ、竹内まりやのスカした英語の発音については今にいたるもむかっ腹が立つ。それ、舌巻きすぎだから。舌先を上顎にくっつけすぎてるから。言いたいことは山ほどあるがもはやどうでもいいことだ。

山下達郎とのことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。

いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。

時間は大抵の場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんなふうにして色々なことが過ぎていき、色々なことがなにごともなかったように終わっていけばいい。もはや現役ではないんだしな。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。無神経/鈍感な輩には、この憤怒と憎悪と強蔑の強さと深さの意味は473040000000000000秒かかってもわかるまいが。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ! 人は皆、志半ば、途中で死ぬんだ! おぼえとけ!)

さて、ガールフレンドとの最後のやりとりだ。

「あなたのことは大好きだけど結婚はできないの」
「わかってるよ」
「え?」
「おれが日本人だからだろ?」
「 ── 知ってたの?」
「うん」
「ごめんね」
「おまえがあやまる理由なんかこれっぽっちもないよ」
「でも ── 」
「デモもストライキもない。おれたちは現代版のロミオとジュリエットだと思えばいいだけのことだ。どうってことはない。いまどき、セブンイレブンのレジ横に山積みしてあるような話だ」

言ったあと、3サイズと1/2大きいレイバンのサングラスがあればいいのにと心底思った。この店には新しい恋人と来ないだけじゃない。だれとも来ない。真夏の葉山でも一色海岸でも森戸海岸でも逗子海岸でも材木座海岸でも稲村ヶ崎でも七里ガ浜でも江ノ島でも茅ヶ崎でも会いたくない。写真はきれいさっぱり捨てる。電話番号はこの場で忘れる。そう言いたかった。本当の気持ちとは裏腹に。でも、言えなかった。どうしても言えなかったんだ。歯を食いしばったり、拳を握りしめたり、眉間にしわを寄せたり、顔をしかめたり、目をきつく閉じたり、深呼吸したり、街の雑踏に耳をすましたり、「大化の改新、虫5匹」とつぶやいたり、因数分解を暗算で解いたり、原子周期表を諳んじたり、『方丈記』と『草枕』と『堕落論』を暗唱したけど言えなかった。『My Foolish Heart』のリフの一節を口笛で吹くのが精一杯だった。気まぐれなんかじゃない。朝には消えてしまうひと夜の夢でもない。愚かなりわが心......

この一件以来、正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが私の言い分である。至極まっとうで的を射ていて正鵠のど真ん中をぶち抜いていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。

そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。2000tの雨に打たれながら悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000tくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだ。2000tの雨もいつかやみ、空を見上げて雨の気配をさぐる日々が来るのだということも。

なにごとからでも学ぶことはできるし、強い意志を持ちつづけるかぎりにおいてあらゆる厄介事や艱難、難関と対峙することができる。この際、厄介事を克服し、難関を突破したかどうかはそれほど重要な意味を持たない。それは二次的な問題にすぎない。涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだおかげで大抵の嘘泣きには騙されなくなった。そればかりか、彼あるいは彼女が嘘泣きをするに至った背景と事情を思いやり、「無駄だからやめろ」と諭すことさえできるようになった。

いまではトップスのカレーもチョコレート・ケーキも食べない。彼女もそうだといい。本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかっているが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。彼女と最後に会ったときに着ていたダッフル・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。

その後、彼女からは1度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字がにじんでいた。にじんでいたのは雨のせいだけではない。手紙の最後には私のことを思い出した回数の合計と年平均数が記されていた。ちょっとうれしかった。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。もはや涙の涸れ果ててしまった私のかわりにだれか泣いてくれ。

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あした晴れて、いい風が吹いたら、134号線をドライブしよう。窓を開け放し、たっぷり風に吹かれよう。封印していた『夏のクラクション』を繰り返し聴こう。そして、「1983年の夏」を終わらせよう。35年ぶりの『夏のクラクション』はどんなふうに聴こえるかな。「1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒」だったら少しうれしいんだけどな。

小坪トンネルを抜け、カーブが終わって材木座海岸が見えたら2018年夏の湘南の海に気持ちのいい挨拶をしよう。稲村ジェーンにはそっとウィンクしよう。物の怪のようなオニユリが群生して濃密な甘い香りが立ちこめる稲村ガ崎の突端の断崖から由比ガ浜を見下ろすというのもわるくない。

強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場のレフト・サイドで波を見よう。世界中の名もなき波乗り野郎たちのために、ときどき、いいオフショアが吹けばいい。セブンイレブンでビールと白ワインとブロック・アイスを買って2018年夏のウェルカム・パーティをやろう。珊瑚礁でピッチャー・サイズのジョッキをひとつ借りてブロック・アイスを全部ぶちこみ、白ワインでみたそう。

やがて、ずっと遠くで夏のクラクションが鳴り、僕らの夏は終りを告げる。そのとき、35年を経て1983年の夏も終りを告げる。そして、2018年の夏がはじまる。

この夏はどんなクラクションが聴けるかな。あの頃のように聴こえたらいい。1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒で。風の歌なんか聴こえなくてもいいから、風向きなんか変わらなくてもいいから、風の中に答えなんかなくてもいいから、いい風の吹くいい夏になればいい。もちろん、彼女にも。『ぼくのなつやすみ』のラストシーン、青い空に向けて飛翔するロケットに涙するすべてのひとにも。ついでに、これを読んでいるあなたにもね。

ハクション! ん? だれか噂しているのか? 134号線のロング・ドライブに連れていけって? わるいけどほかをあたってくれ。この広い世界には歯の浮くような甘言を耳元で囁いてくれるタラ師コマ師サオ師がゴマンといるから。合言葉は「1回速く短く。2回強く長く。3回奥まで」だからね。気がすむまで、真夏の果実が熟れすぎてトロトロになるまで、そして、ギラギラ太陽が黄色く見えるまで、いっぱいイッてね。イキまくってね。(はあと)

ハークション! 夏でもないのに夏風邪ひいたか? 夏風邪の先どりか? HACで龍角散ダイレクト・スティックミント買ってこよう。稲垣潤一が「Baby もう一度 オナラしてくれ あの日のようにイカせてくれ」って歌ってる。とんだところで空耳アワーだ。したのはオナラじゃなくてクシャミだけどね。ついでだから、1発カマしとこ。orz〜「イカせてくれ」なんて、そんなあ...イヤラスィィィィツ・ハート! 夏のハークション! ハクション! ハクション! 1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒で。やっぱり、夏風邪を先どりしたみたいだ。


海沿いのカーブを君の白いクーペ 曲がれば夏も終わる…

夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart

夏のクラクション
あの日のように聴かせてくれ 跡切れた夢を揺り起すように

夏のクラクション
風に消されて もう聴こえない
Leave Me Alone, So Lonely Summer Days...



夏のクラクション/稲垣潤一

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やがてクラクションが鳴り、夏が過ぎて、ひんやりとした秋の風空っぽのコパトーンのボトルの転がっている海辺ペーブメント・ローズの植え込みプラタナスの枯葉舞う街路賑わう大通り避暑地のあかりシャッターの下りた店の角や消された静かな駅の伝言板や陽よけやデッキチェアや夢の痕跡一緒に帰れなかった二人かなしい恋をうらむ女の子いつまでもバカな娘でいたかったOLシーズンオフの心の中を吹きぬけても、いつかまたどこかで夏のクラクションは鳴り、僕らの夏はやってくる。そう。きっとまた、いつかどこかで。(シーズンオフの心には)

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by enzo_morinari | 2018-06-25 03:18 | Paperback Traveler | Trackback | Comments(2)

皇帝のいない7月の小学校の校庭の隅っこの砂場夕暮れとポルコロッソ・オヴィディウス

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小学生の頃、よく砂場で遊んだ。50年近くも前のことだ。砂場はこどもの王国だった。砂場仲間の一人がポルコロッソだった。ポルコロッソは小学校3年の夏の初めに大阪から引っ越してきた。痩せっぽちで臆病で泣き虫だったが、砂地に鉄腕アトムや鉄人28号やエイトマンやウルトラマンや少年ジェッターやオバQを巧みに描いてみせる砂場の王でもあった。みんなポルコロッソが大好きだった。

だれかが「腹へった」と言うと、つられて全員が空腹を訴えはじめる。すると、ポルコロッソが「ちょっとだけ待っとってな」と言って駆けだす。新聞紙の包みを小脇に抱え、息を切らして戻ってくるポルコロッソをわれわれは歓声とともに迎える。新聞紙の中身が「お好み焼き」とわかっているからだ。ポルコロッソの家はお好み焼き屋だったのだ。具はキャベツとネギだけで、おまけに包んでいた新聞紙のインクの匂いがしたが、どんな御馳走よりもうまかった。指先についた甘辛いソース。夢中でなめた。一番大きなのを手に入れようと血眼になり、わずかばかりの大きさのちがいが原因で取っ組み合いのケンカさえした。

下校時刻。拡声器から『ダニーボーイ』が流れだすと、われわれはしぶしぶ帰り支度をはじめる。鬼瓦のような御面相の教頭先生が見まわりにやってくるからだ。そのような日々が永遠につづくものと思っていたが、まちがいだった。ポルコロッソが転校したのだ。

別れの朝、黒板の前に立ちつくすポルコロッソは拳をきつく握りしめ、歯を食いしばり、大粒の涙をいくつもこぼした。そして、声をあげて泣いた。ポルコロッソは最後の最後まで泣き虫のままだったが、その小さな肩で途方もなく重いものを背負いこんでいるように見えた。

教室の窓からポルコロッソを見送った。ポルコロッソは砂場に行きかけ、立ち止まり、思い直したようにまっすぐ校門に向かった。ポルコロッソはみるみる小さくなり、やがて春の雨の中にかすんで消えた。

2000年の夏の盛り。小学校の閉校式典のとき、同級生たちと再会した。何人かにポルコロッソのことを言ってもおぼえていなかった。いくつもの季節を経て、砂場遊びとお好み焼き争奪戦と夕焼けに心ふるわせた日々は跡形もなく消え失せていた。初夏の風に音を立てて揺れていた麦畑もいつかは色あせ、あとにはマンションや工場やファミレスやコンビニが建ちならんでしまうのだ。

式典が終わり、校庭の隅っこの砂場に向かった。砂場の横の貯水槽のへりに寄りかかった。足下の小石を蹴り、煙草を1本だけ吸った。砂場には入らなかった。砂場に足を踏み入れれば、かけがえのないなにごとかが失われ、壊れてしまうように思えたからだ。

時間はゆっくりと流れた。そして、校庭の隅っこの砂場に夕闇が迫ってきた。眼を閉じても、耳を澄ましても、いくら待ちつづけても『ダニーボーイ』は聴こえてこなかったが、ポルコロッソのお好み焼きのソースとインクの混じった匂いが宝石のような日々とともによみがえった。

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夕焼け小焼け
故郷の空/NHK東京放送児童合唱団
 
by enzo_morinari | 2018-06-24 18:26 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

アノニマスという名の革命。そして、新種誕生。

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表現者は無類の王である。
かつて、村上"PCB"龍は「表現する女は不幸だ」と得意満面でほざいた。あいもかわらず的はずれピンボケA( )Cで、限りなく凡愚に近いブサイクである。齢70にもなろうという者が、なんだあの髪型は。カンブリアン・エクスプロージョンで木っ端微塵に吹き飛ばされるか、無量大数を超える三葉虫にたかられて皮膚も肉も骨も内臓も皺のない脳みそもなにからなにまで跡形もなく喰われちまえ! タヒね! ムラカミ! ついでに、吊れ! ハルキンボ!

表現の場において表現者は無類の王として君臨することによって最上の幸福と快楽を手に入れる。いつでも王国を破壊できるし、殺戮も、慈悲もやり放題。殺生予奪の権力はすべて手の内にあって、なにものにもとやかくのことを言われる筋合いはない。吾輩はちょくちょくいけすかない輩どもを吾輩世界においてのたうちまわらせ、もがき苦しませ、むごたらしい死を迎えさせている。彼奴らがあげる痛みと恐怖に満ちた断末魔の叫びにリアリティをもたせるためにサンプリングを駆使することもある。

マグナ・カルタ第38条
王、王権、権力、国家といったタームを考えるときに、吾輩はそれらにまつわる情報のすべてについて渉猟する。そして、盗む。マグナ・カルタ第38条には「裁判権の保障」が規定されている。暇つぶしの憲法談義のときにこのことをなに食わぬ顔で言説の中にするりと忍ばせてやる。東大の憲法学の教授センセイも眼を丸くして驚く。ことほどさように、この国のインテリゲンチャの底は浅く、薄っぺらである。

王として君臨するためにはその王国における森羅万象について精通していなければならない。完全なるグリップだ。それがなければその王国はつまらぬ世界になるし、王は首を刎ねられることになる。一流の料理人が食材の目利きであり、仕入れのつわものであり、調理の達人であるのとおなじことが表現王国の王には求められるということだ。

アノニマスでありつつ表現を成立させるという実験がいずれ途轍もないビッグマネーをもたらすという確信があるから、アノニマス・ガーデンの名無しの庭師になることを決めた。ビジネス・モデルもすでにできあがっている。これについては微塵の揺らぎもない。そうでなければ片足どころか全身をつっこんだりはしない。

吾輩は極力愚か者、センスのない者、才能のない者、スマタポポヒとはかかわらない。そういった輩とのかかわりは徒労、時間の無駄に終わるからだ。アノニマスはPC/スマートフォン/タブレット端末をシャットダウンすればすべて終わる。つまらぬしがらみや義理人情に縛られ、わずらわされることもない。そこが一番の魅力である。吾輩は生身の人間にはもはやひとかけらの興味もない。

オンデマンド・ノベルという草刈り仕事
現在、吾輩にそこそこのファイナンスをもたらしているのはオンデマンド・ノベルだ。ひとつの物語、ストーリーにつき、読者は一人。クライアントでもある。『Signifié/Signifiant』『アノニマス・ガーデン』の熱心な読者でもあったある人物は一代で財をなした叩き上げだ。

ある日、彼は「私を主人公にした物語を書いてほしい」とメッセージをよこした。もちろん、吾輩はふたつ返事で引き受けた。ギャランティは2000文字で20万円。1文字100円。「。」ひとつが100円。「、」を30個打てばそこそこ気の利いた「オサレなランチ」が喰える。「豪華豪勢なステキステキディナー」を喰いたければセリフのカギ括弧を200個も使えばいいということだ。現在、そのようなクライアントが7人いる。すべてはPWつきの秘密のブログ、LINE、Skype、Facebook、Twitter、BBS、そして、メールでやりとりしている。

吾輩に関して彼らが持っている共通の認識、評価は「クール&スマート&タフ&ハードボイルド&インテリジェンス」である。「おまえさんとはかかっている元手と歩いてきた道の険しさと這い上がってきた谷の深さ危うさとくぐり抜けてきた修羅場の数、質がちがうのさ」と言ってやりたいが、黙っている。大事なお客さんだから。呵々。

LINEやスカイプやメールやFacebookやTwitterにおけるメッセージ、コメントを通じて彼らから彼ら自身の人生を取材するのも面白い。あるクライアントは江戸川乱歩、レイモンド・チャンドラーをはじめとする探偵小説のファンだと言うので、探偵小説風の物語で主人公に仕立てあげてストーリーを書いてやった。先方は大よろこびだ。吾輩にしてみればひょひょいのひょい仕事である。

各クライアントとも、2日に1本の割合で2012年の夏から続けている。おそらく、彼らが死ぬか吾輩がくたばるかするまでつづくだろう。ギャランティはきちんとPayPalを通じて振りこまれてくる。PayPalは手数料が割高だが、ファイナンス情報が日本の当局には絶対に漏れないというメリットがある。ebayに出品された吾輩の「商品」たる物語をクライアントは「競り落とす」という形を外装しているわけだ。よって、代金のとりっぱぐれはない。落札と同時に決済は滞りなく終了である。実にクール&スマート。しかし! それにつけても、PayPalの手数料はマフィアなみだ。為替の差益の旨味はあるにはあるが。(微妙な苦笑)

もちろん、納税拒否主義者である吾輩は金輪際税金など払わない。すべてはアノニマスで進行しているのだから当然だ。オンデマンド・ノベルは『Signifié/Signifiant』『アノニマス・ガーデン』における草刈り仕事のひとつというわけだ。キモは顧客、読者が少数でいいことだ。インチキマヤカシスカタンの仕掛け、マーケティングなんぞ不要にして無用である。1500円だか2000円だかの本代に躊躇するビンボー人ではなく、「1文字に100円払う金持ちの変人」を数人みつければいいということだ。初版75万部? ハルキンボ、色彩はないが色々と御苦労さんってこったな。

そのうち、アノニマス・クリエーターの登場と台頭によって、既存のメディア、出版界はきれいさっぱり無化されるだろう。ニッパン、トーハンの下衆ポンコツどもも。出版マフィアをのさばらせつづけた書店も消滅だ。同罪、共謀共同正犯、自業自得ということだ。本フェチの季節を長くすごした者の一人としていくぶんかのさびしさがなくもないが、こればかりは仕方ない。ここ数年のYouTuberたちの登場/台頭はその象徴である。

文学賞のたぐいは意味合いが変わってくるだろう。暇つぶしに芥川賞やらゴンクール賞やらでも獲ってやろうかという本業:アノニマス作家が本業でたっぷり腕を磨いて、ドスを研ぎに研いで、鼻歌まじり手慰みに本名で獲る時代がくる。ポンコツボンクラヘッポコスカタン編集者どもやカビが生えて脳みその皺の伸びきった審査員のセンセイがたの哀れぶざまな負け犬の吠えづら/虻蜂に刺されまくってボコボコになった泣きっつらを見るのがたのしみだ。

オファーはほかにもいくつか来ているが、商品の質を落としたくないのでしばらくは今のペースでいく。そのうち、吾輩の眼鏡にかなう表現者でなおかつアノニマスに表現したいという奴をみつけて、世界中で分業体制を敷くことも考えている。書き手と読み手は国語分だけあるわけだから、マーケットは無限だ。PC/スマートフォン/タブレット端末とネットワークさえあればいますぐにもできる。設備投資、インベスティゲーションも不要。やめたくなったら端末をシャットダウンし、ネットワーク回線を切断すればなにごともなかったように「まったくの別人」になれる。

出社も会議も営業も納税もなし。だれとも会わない。だれにも文句は言われない。命令も指示も説教もされない。なにしろ、こちらは天下御免の匿名、アノニマス・パースンだ。空気に文句を言う奴はいないだろう。空気に説教をする奴がいたら、そいつはまちがいなく狂人だ。完全匿名人は完全自由人でもあるわけだ。

会議室もいらなければ役員室もいらない。倉庫も守衛室もいらない。食堂も喫煙ルームも。福利厚生も社会保険も失業保険も。無駄はクール&スマートの敵である。すべてはクール&スマートに進行する。稼ぎたい奴が応分に稼ぐ。稼げる奴が稼ぐ。稼げない奴は「物静かに退場しろ」ということだ。

「商品(作品)」がつまらなければ「クライアント(読者)」が離れていくだけの話である。このあたりは冷厳にして冷徹である。まさに、ケインズ流経済学の踊り場だ。しかし、きわめてわかりやすい。能力のあるやつは稼ぎ、ないやつは淘汰されていく。それでいい。それこそが吾輩が長いあいだ望んでいた仕組みである。

しがらみなし。義理人情なし。愚か者、ナンセンス、才能のない奴、スマタポポヒともかかわる必要なし。日本にいる必要すらなし。アフリカのサバンナのど真ん中だろうが、マリアナ海溝の最深部の岩陰だろうが、ヴィーナスと乳繰り合うシャコガイの貝殻の裏だろうが、冥王星の戸籍係の机の上だろうが、天国にいちばん近い島で日光浴がわりに残留放射性物質が発するラジオアクティブを朝から晩までしこたま浴びながらだろうが、ロンゲラップ・ピープルと磯遊び/ヒバク遊びしながらだろうが、ネットワークがあり端末があればできる。必要なのは文体と創造力と眼力だけだ。

そのうち、吾輩の大嫌いな国家とやらも雲散霧消するだろう。吾輩のような不届き千万不埒な輩が世界中で同時多発的に発生すれば税収はかぎりなくゼロに近くなるわけだから国家経営自体が成り立たなくなるということだ。ヘーゲルもカントもフーコーもデリダもドゥルーズ=ガタリすらも予想していなかった事態だ。大嗤いもいいところである。まさしく、新種の誕生だ。実はとっくに新種は誕生し、着実に増殖しているのだが、そのことに気づいている者は少ない。閾値の到来はすぐそこだ。

確信さえあれば核心と革新は一気にやってくる。確信したことは実現するということだ。思うだけでは足りない。思い、確信することが大事だ。ナポレオン・ヒルは詰めが甘い。

クライアントは「キーワード検索」で向うからこちらの網の中にやってくるから、無駄な広告宣伝も不用だ。吾輩のテクストに「固有名詞の羅列」が多いのは「キーワード検索」にひっかかるための方便の意味もあるということだ。ゼニカネに不自由しなくなって「自分だけのストーリー」を欲しがる人種がいるということである。世界にはエキセントリックな人物は少なからずいるものだ。

知識、教養、センスを身につけるための時間的な「元手」は必要だが、そんなものは好き放題、面白おかしく生きてきた吾輩の人生からすればロハもんと言っていい。やるやらないは自由だが「そのとき」に備えてせいぜいドスを磨き上げておくがいい。スパンキング・ラケットがわりのドスを。

吾輩が首まで浸かっているのはアノニマスという名の革命だ。すなわち、Anonymous Revolution. 革命家になるか乞食になるかホモになるか。はたまた、飼い犬として一生を終えるか。答えは明らかだろう。All Over The World! Roll Over The World!だ。

すでにして賽は投げられた。果たしてどんな目が出るか? どんな出目にせよ裏目を足せばすべてLUCKY 7だ。最悪でも0はない。出た芽は花を咲かせ、実を結ばせないとな。メンチ切りならだれにも負けない。メンチカツは大好物だ。メンコいおめこも。一番好きな上がり役はメンピンジュンチャンサンショクイーペーコーイッパツツモドラドラときたもんだ。(老松)


*PCB: Poncoz Coin Locker Babies(ポンコツ・コインロッカー・ベイビーズ)
 
by enzo_morinari | 2018-06-23 01:55 | Anonymous Revolution | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/ハートのかたち ── ゴクドーを待ちながら

 
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品性と品格を失わないかぎり、困窮も困難も困憊も孤独もやりすごせる。その余のことはすべて過程のひとつにすぎない。E-M-M


上野・稲荷町の交差点に年老いた香具師がいる。名を工藤といい、人々は彼を親しみと畏敬の念をこめてゴクドーと呼んだ。


ゴクドーは永寿病院の正面玄関脇で商売をしている。啖呵売だ。ビール・ケースを台にしたラワン材の合板に下卑た鮮紅色の布をかけた売り台にはレイバン風のサングラスや出自不明の時計や怪しげな置物や猥せつきわまりない玩具などが並べてある。

ゴクドーはいつもボルサリーノのソフト帽をかぶり、チョーク・ストライプの、紺のダブル・ブレステッドのスーツを着ていた。ゴクドーの全身には白粉彫りで桜吹雪の刺青が彫られていて、素面のときにはわからないが、酔うと桜の花びらが薄紅に染まる。

二十歳の頃、ドス一本で反目する暴力団事務所に単身乗り込み、八人を血祭りに上げた武勇は歳月を経てもなお世代を超えて語られつづけた。左頬にあるこめかみから唇の脇にかけた傷跡はそのとき受けたものだが、武勇の壮絶さとあいまってゴクドーに揺らぐことのない迫力をもたらした。

「あんたはインテリゲンチャか?」とドスのきいた声で年老いた香具師はたずねた。
「どうかな。自分でもよくわからない」
「インテリゲンチャは信用できねえ」
「どうして信用できないのさ?」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「そうだ。きょうのおまんまのためのうそならいいんだけどな。インテリゲンチャのうそはカッコつけるためのうそだ。カッコつけるためのうそくらいカッコわるいものはねえよ。反吐が出る。それはそうと、あんちゃん、これを買いなよ」

年老いた香具師は言い、やつれたボストン・バッグから色鮮やかな箱を取り出す。手に取ってみると、それはUSプレイング・カード社製ティファニー・ブランドの未開封のプレイングカード・セットだった。しかも、最初期の。めったにお目にかかれないしろものだ。

「いくらで買う?」
「1万円」
「殺すぜ」
「こわいな」
「トランプでおれに勝ったらこいつをあんたにくれてやるってのはどうだ?」
「負けたら?」
「負けることを考えて勝負なんかできるかよ」
「負けることも考えなきゃ生きてはいけない」
「うまいことを言うじゃねえか。で、どうする? やるのか? やらないのか? あん?」
「負けたら?」
「有り金をぜんぶ置いてきな」

財布の中身を数える。3万円足らずだが、2週間生き延びるためのなけなしのカネだ。

「わかった。勝負しよう」
「なにで勝負する? ポーカーか? 51か? ジン・ラミーか? ババ抜きか? 七並べは七面倒くせえし、神経衰弱は性に合わねえぜ」

ゴクドーは笑いを噛み殺しながら言った。

「ポーカーで」
「二人でやるポーカーくらいつまらないものはねえが、いいだろう。コールもレイズもフォルドもなし。ブラフはこれっぽっちも意味がない。カードを切り、カードを引く。それだけの勝負だ。1回勝負でいいな?」

うなずくと、ゴクドーは上着の胸ポケットからタリホーの真新しいカードを取り出した。シャッフルしてから売り台の上に並べる。スペード、クラブ、ダイヤ、ハートのエースからキングまで。

スペードは兵士の剣、クラブは農夫の棍棒、ダイヤは銀行家の貨幣、ハートはキリストの聖杯。13枚ずつ4列に並べられたカード。合計52枚。52通りの人生。

カードをシャッフルするゴクドーは瞑想する修行僧のようだ。カードが配られる。手の中で広げる。ハートの9からキングまでがきれいにそろっている。

ストレート・フラッシュ、1/72193の奇跡だ。そのままオープンすればまちがいなく勝負には勝てる。しかし、それではいけないように思えた。それはたぶん誇りの類に属する問題だ。あるいは矜持、あるいは名誉、あるいは流儀。

迷う。稀少なティファニーのプレイングカード・セットが手に入るチャンスだ。こんなチャンスは二度とない。さらに迷う。

But that's not the shape of my heart

STINGの『Shape of My Heart』のリフの一節が不意に浮かぶ。『LEON』のラスト・シーンがよぎる。

レオンは九死に一生すらもかなわぬ死地に向かって勝負に出た。一人の女の子のために。一輪の花のために。いまだ味わったことのないささやかな幸福のために。悪徳刑事役のゲイリー・オールドマンが首をコキコキと鳴らす。鍋つかみのブタくんは主人を失おうとしている。一鉢の鉢植えを抱えて脇目もふらずに歩く少女。レオンは新しい、もっと別の世界に向けてゆっくりと歩みをすすめる。

新しい、もっと別の世界の扉まであと少し、あと数歩。その刹那、扉は閉じられる。

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Shoot Out, Shut Out, Shut Down.

世界が閉じてゆくさなかにレオンの見た血潮はハートの赤だった。凍りついたレオンの心に一瞬垣間見えた色。

私はハートの9を切り、ハートのエースを待つことに決めた。ハートのエースがそろえばもっとも美しくもっとも強いハンド、ロイヤル・ストレート・フラッシュだ。

目の前で確かに起きた1/72193の奇跡を捨てて1/649740の可能性に賭けることの愚かさはじゅうぶんにわかっている。理屈でわかってはいても私を突き動かすものがあった。私を愚行へと走らせるなにものかが。

ハートの9を切り、カードの山から1枚引く。胸が高まる。心臓が速く強く脈打つ。血がたぎる。ゴクドーを見る。ゴクドーは迷っている。眉間に深く皺が寄っている。眼を閉じる。眼を開く。あごを引き、うつむく。低く唸る。

ゴクドーを待ちながら、私は考えていた。自分の人生、生きざまを。愚行と蛮行の数々を。人生の貸借対照表を。齢の決算書を。

安全と安定のために頭を下げていれば、「常識」とやらに身を委ねていれば、小利口に立ちまわっていれば、長いものに巻かれていれば、大樹の陰に身を寄せていれば、自分の本当の気持ちとは裏腹の偽りの微笑を浮かべていれば、媚びていれば、おもねり、へつらっていれば、きれいごと・おべんちゃらを並べていれば、語りつくせぬことについて沈黙を守っていれば、新しい、もっと別の世界へ足を踏み入れようとしなければ容易に手に入れられていたはずの半分満ち足りて半分幸福で死ぬほど退屈な生活を。裏切りと嫉妬と欲得と怯懦と保身に彩られた者たちの陰湿で陰険で訳知ったような醜悪きわまりもないすまし顔・したり顔を。私とはちがう陣営に巣食う者どものいやしくあさましいほくそ笑みを。STINGは歌う。

それらは私の心のかたちではない

迷った末にゴクドーは2枚切り、2枚引いた。私が引いたのは最弱のカード、クラブの2。ノーペア。ハイカード。役なし。ブタ。手札を見せる。ゴクドーもほぼ同時に手札を見せた。エースのフォーカードだった。

「あんたはなにを待っていたんだ?」
「ハートのエース」
「おれもだよ。フルハウスを捨ててフォーカードに賭けた。ハートのエースは引いたカードの2枚目だ。あんたが引かなきゃ来なかった。 ── ところで、待っていたのはそれだけか?」
「人生の答えも」

ゴクドーは少し考えてからきっぱりと言った。

「人生に答えなんかねえよ。生まれる。生きる。死ぬ。それだけの話だぜ」
「生きる意味は?」
「そんなものは青臭いインテリゲンチャのたわごとだ」

ゴクドーの言葉が福音や啓示の類に思われた。そのとき、ゴクドーは私が捨てたカードを裏返して眼を見開いた。

「ストレート・フラッシュだったんじゃねえか ── 。たいした極道だぜ」

私は財布から運転免許証とカード類を抜いてゴクドーに差しだした。しかし、ゴクドーは受け取らず、かわりにティファニーのプレイングカード・セットをよこした。

「あんたの勝ちだ。いい勝負だった。これだけはおぼえときな。結果の背後には隠された法則が存在する」

別れ際、ゴクドーは押し殺したような声で私の背中に向かって言った。

「あんたはなにを待っているんだ? あんたはいったいどこに行きたいんだ? あんたは ──」

風がゴクドーの声を掻き消す。ゴクドーの言葉は聴きとれない。それでいい。ふりかえらずに歩く。先には引き返すことのできない細く暗い一本道がつづいている。

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Shape of My Heart - STING
 
by enzo_morinari | 2018-06-21 15:44 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

恥ずかしげもなく「プロフェッショナル」を名乗るスマタポポヒ

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まだ現場で打ち合わせやら交渉事やら下調べやらをしていた頃、名刺交換なるものをさせられた。すこぶるわずらわしかった。こちらは名刺交換する相手の顔も氏名も肩書きも連絡先も1度でおぼえてしまうので、名刺など無用の長物、本拠地に帰還すると同時にシュレッダーに放りこむか、ハリソン・フォードのアンドロイドに恋する夢見がちな電脳山羊のオードリーにくれてやる。本拠地のあった東京は法外に地べた代が高額なので、不要無用なものは捨てる。「断捨離」なんぞ知ったことではないが、それが東京人たる者の作法/流儀/掟である。

わたくしの名刺には氏名しか印刷されておらず、以後、つきあうことになりそうだと判断すれば連絡先その他の情報を書き加えて相手方に渡した。かたや、氏名のみ印刷された名刺を渡された者は怪訝な表情をするが、こちらは以後のかかわりを持つ気がないので、訝しがろうが井深大だろうが燻し銀だろうが号泣する銀将だろうが知ったことではない。こちらは生まれ落ちたときから天下御免の大変人/変わり者/変なヤツであるからして、訝しがられようが変人/変わり者/変なヤツ認定されようがなんともない。

中には「連絡先は?」としつこく訊ねる者もいたが、「連絡先を教えることは主治医に止められている」「赤の他人に連絡先を教えてはいけないというのが後醍醐天皇の御代からの家訓である」旨を申し向けて、早々にその場を立ち去る。そして、二度とその人物とは会わない。かかわりをいっさい持たない。その人物が所属する会社/組織/グループとは取引きしない。つきあわない。当然、取引きはキャンセル、白紙撤回、なかったことにする。それがわたくしのやり方/流儀/作法/Modus Operandiである。それをずっと通してきた。不便を感じたことはただの1度もない。

現在は滅多なことでは生身の人間と会わないので、「名刺交換」のわずらわしさからは解放された。たいへんにけっこうなことである。世界の森は消滅の危機を名刺1枚分先送りされた。これも、たいへんにけっこうなことである。

さて、名刺の肩書きには実に様々なものがある。代表取締役社長/専務取締役/部長/課長/係長からはじまって、〇〇本部長、局長、室長、担当部長、課長補佐、主任、主査などなど。目がまわるほどである。なぜ「平社員」という肩書きの名刺がないのかと思っていたら、泡の時代の初期に現れた。飛びこみ営業。事務機器関連の会社である「株式会社タイラー」の社長にして営業マン。たった一人の軍隊を地でいっていた。

姓は平平、名は平平。ヒラダイラ・ヘイベイ。冗談のようだが実名実話である。先祖代々、ヒラダイラ家の当主はヘイベイを名乗ったそうだ。御先祖は平家ゆかりの者、平家の落人、ことによれば平清盛かもしれない。わたくしの家紋は源氏車であるから平平の宿敵と言えないこともない。壇ノ浦で刃を交えたことも可能性としてはある。何代目のヘイベイなのかは聞きそびれた。

飛びこみ営業のたぐいはいつもなら即座に追いかえすところだが、そのときはちがった。追いかえすどころか、その場でスカウトした。逆営業。即興速攻ヘッド・ハンティング。「役員待遇/営業本部長/当期利益の3分の1を特別報酬とする/Capital Gainあり/二足のわらじO.K.(株式会社タイラーの社長としての仕事継続可)」で話はまとまった。こちらも相手も即断即決。気分がよかった。事務機器導入についてのかなりの額の契約を締結してから夜の街に繰り出し、銀座→赤坂→六本木→歌舞伎町をハシゴし、朝までしこたま飲んだ。笑った。しゃべくり倒した。快楽した。大酒豪大女好きがふたったり。たのしかった。愉快痛快爽快豪快淫快蕩快。韜晦狷介剣呑なる限界突破の宴。平平平平の営業手腕で倍々ゲーム×倍々ゲームで業容は一気に拡大した。平社員様々だった。

社長以下、家族総勢6名の写植屋がずいぶんと凝った書体の名刺で、社長、部長、課長、係長、主任、本部長の肩書き。笑いすぎて屁が出るほどだった。前夜に食ったニンニクたっぷりのアヒージョのせいでものすごい勢いでクサい屁だった。戸田の御浜岬の鈎状砂嘴に突き刺さるほどの勢い。誤字/脱字は皆無で、版下もきっちり仕上げてくるので、仕事上は問題ないからよしとした。

〇〇ライターという肩書きの名刺を恥ずかしげもなく差しだすスマタポポヒがいる。フリー・ライター、ルポ・ライター、旅行ライター、温泉ライター、ホテル・ライター、旅館ライター、スポーツ・ライター、ジョギング・ライター、ランナー・ライター、スポーツウェア・ライター、ジム・ライター、ワークアウト・ライター、文具ライター、オーディオ・ライター、AVライター、芸能ライター、TV番組ライター、ラジオ番組ライター、YouTubeライター、ニコ動ライター、Net Watchライター、ITライター、デジタル・ライター、スマホ・ライター、犯罪ライター、風俗ライター、オタク文化ライター、引きこもりライター、フリーター・ライター、webライター、コメント・ライター、グルメ・ライター、フード・ライター、料理ライター、お掃除ライター、お片づけライター、セレブ・ライター、インタビュー・ライター、ゴシップ・ライター、スキャンダル・ライター、音楽ライター、美容ライター、メイクアップ・ライター、コスメチック・ライター、美容整形ライター、ファッション・ライター、コーディネート・ライター、ライフスタイル・ライター、アウトドア・ライター、キャンプ・ライター、自給自足ライター、ナマポ・ライター、婚活ライター、就活ライター、終活ライター、お葬式ライター、マリッジ・ライター、マタニティ・ライター、ディボース・ライター、軍事ライター、演芸ライター、園芸ライター、ガーデニング・ライター、ゴースト・ライター、仮面ライター、イージー・ライター、ダイター・ライター、百均ライター、100円ショップ・ライター、100円ライター、放火ライター、ライター・ライター…。あげればキリがない。目にするたびに虫酸が走り、反吐が出る。全身Goose Bumps. おまえたちは火つけか? 火付盗賊改方呼ぶぞ! メーテルリンクに言いつけて青い鳥と一緒にヤードバードにしちまうぞ! 「〇〇評論家」のたぐいもおなじ穴の狢である。〇〇ライター、〇〇評論家を名乗り、名刺をばらまく者どもは、例外なく「わたしは正真正銘まじりっけなし掛け値なしのスマタポポヒです」と看板をぶら下げて歩いているようなものだ。恥を知れ! 恥を!「売文の徒」という言葉を知らねえか!たわけ者が! 世界の森を破壊し、消滅に追いこんでいるのはおまえたちだ! 墓石には「森の破壊者、ここに眠る」と刻んどけ!

〇〇ライターにかぎらない。「物書きのプロ」を自称するスマタポポヒもいる。自称「物書きのプロ」のテクストに目を通すと、案の定、退屈で陳腐でごもっともで常識人ぶりぶりで、閃きもジャンプ力もなくて、やたら体言止めが多くて、自分の文体/スタイルなし、センスなしリズム感なしオリジナリティなし、ナイナイづくしのコンコンチキチキマシーン大運動会でナイナイ岡村アタマパッカーン滑って転んで69等勝というありさまだ。句読点と「てにをは」と助詞/副詞/形容詞の用法は滅茶苦茶、連体形/連用形/活用形の混乱は目を覆うばかり。主語と述語の関係性が曖昧で、いつの間にか入れ替わってしまうという惨状である。金輪際、リングイネのパスタを食う資格なしだ。いっそ、Xバーで首を吊らなければチョムスキーが化けて出る。

的はずれ/ピンボケのオンパレード。一知半解のことどもをA( )Cで無理矢理記述しようとするから中身空っぽ、抽象的でつまらぬ修飾語だらけ。箸にも棒にもかからない。哲学に関わることを書いているつもりだろうが、ソークラテース/プラトーン/アリストテレースを主軸とするギリシャ哲学も、聖書もデカルトもカントもヘーゲルもまともに読んでいないことが見え見えバレバレ。思わず「小学生からやりなおしてこい!」と怒鳴ってしまうほどの日本国語の故障っぷりである。「〇〇のプロが教える〇〇のコツ」という鳥肌虫酸もちょくちょく目にする。おまえのような勘ちがいポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は物静かに退場しろ!

いまや、出版社の売らんがためのマーケティングの道具と堕した文学賞の受賞者のテクストからしてポンコツだらけである。書店に平積みされている売れ筋ものはお粗末の極みだ。失われた言霊、益荒男ぶりと手弱女ぶり/荘厳/厳粛/雄渾/幽玄/静寂/精緻/明晰/端正/余韻/気配/察しの欠如欠落。ナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハム好きのセックス依存症のスパゲティ野郎なんぞをありがたがっているからこういうことになる。しかし、それがこの国の言語領域の実情である。暗澹たる気分になる。

〇〇ライター、書き仕事をなりわいとしている者/言語表現、言説、売文によってなにがしかのギャランティをえて生活のファイナンスとしている者のメンタリティはふたつ。ひとつは「キーボード叩くだけでおカネもらえるんだからラクだしオイシーじゃん」という怠け者の心性。ラクなのがお好みだてんなら駱駝になっておっ死んで漬物樽にでも放りこまれやがれ! 毛がなくて無病息災寿手練経、酢豆腐自慢は夢のまた夢、おにょにょご津波のおっきゃらまあして米櫃は空っぽ空っけつのスッカンカンの駱駝のカンカン踊り、馬子の角栄どんだってお鼻の濡れたイノシシどんだってイグアノドンだってイノドンヘーイだって承知の助だ! クマグス先生でもおられりゃあ粘菌暮らしの御居処でもめっけてくれようものをよ! 咳をシテ島でしても一人だろうがホロホロ鳥にかぶりついてホロリと歯が抜けようがまた会うこともない力道山が遠ざかろうが、おまえたちは駄目だ。おまえたちのサイコロは裏目を足しても金輪際ラッキー7にはならない。明日は明日の風が吹くってえお釈迦さまのありがたいお経を知らねえか! おっきゃらまあ経てんだ! おぼえときゃあがれ! 正一位稲荷大明神であらせられる悪臭芬々唐芙蓉さまの生まれ変わりの駱駝さんよお! ギョーカイ人ヅラさらして脳みそのシワのない低脳低劣を相手にテレーズ・デレスケ・デスケルウ・ヌーヴォーしてやがれ!

それになんだあ、拾った鮫革の財布にお財宝が入っていなかったからって、話がちがうってたって、あれは上方のお噺だからよ。そうだろうよう、ぞろっぺいの勝五郎どん、その実、浅草伝法院のお狸様よう。火焔太鼓のお成りお成りもいいけどが、景気よく火の見櫓の半鐘を仕入れようたって半鐘はいけねえぜ。おジャンになるからな。まったく、風が吹けば消えてなくなっちまうようなアンポンタンばかりで素っ首がすーすーするってえ寸法だ。

芝浜夫婦善哉の床屋政談を浮世風呂の釜の脇で聴いていた船屋の徳兵衛がもうどうにもこうにも我慢できないとばかりに、向こう鉢巻に出刃包丁の艶姿で鐘と木魚の衣ほすちょう天の香具山音楽を奏でながら貝紫色の駱駝を引いて現れてでもしてくれりゃいいんだが、それは虫がよすぎるてえ料簡だ。お伴には紙洗橋で漉いたばかりの紙を冷やかしていたスットコドッコイの三下奴が付かず離れず従っているしよ。それにつけても、いざとなれば風を食らって逃げちまえばいいような瘋癲ばかりである。

この際だから、どいつもこいつもイタ公もフランス野郎も看看奴でも踊ってやがれてんだ! 火星の火屋で息吹きかえしたら「冷酒でもいいからもう一杯」と抜かしやがれ! まずはマーズがアタックがわりに作った不味いこと臭いことこの上もないカース・マルツの角に鼻っ柱ぶっつけてから、オオカミとイノシシとキツツキと雄鶏が合体したトンデモ・アレスがトネリコの樹に止まって「クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス」と3度鳴くのをよく聞いてろ! 唐変木の噺のほかの穀つぶしの表六玉のスットコドッコイ! いずれ女房は町内の若衆によってたかって可愛がられて自分には似ても似つかぬ赤ん坊が産声あげるってえ塩梅だ。仕上げを御覧じろたあこのことよなあ。ちくしょうめの長久命の長助め!

ふたつは「ライター、物書きって取材とかインタビューとかあってカッコよさげじゃん」というA( )Cの心性。はっきり言うが、〇〇ライターも物書きもカッコよくない。ラクじゃない。割りが合わない。取材はただの肉体労働だ。インタビューする相手は「過去の栄光」に未練たらたらでしがみついているオワコンと旬が過ぎて薹の立ちまくったポンコツばかり(恥ずかしげがないどころか、鼻高々得意げにオワコンへの取材/インタビューのことをなにかというと持ちだすやつもいるがな。特に団塊老醜に多い。40年前のポンコツ持ちだしてどうしようっての! オワコン・ポンコツの所属事務所からゼニもらってパブ記事/パブ番組か? そういう輩はてめえでてめえのことをウィキペディアに立ち上げやがんのな! 哀れで大嗤いなことったらねえや! 放送作家にノンフィクション作家にノンフィクション・ライターに音楽ライターにインタビュー・ライターに音楽評論家にジャーナリストにディスクジョッキーにって、いったいいくたり肩書/看板/名札ぶら下げたら気がすむんだ? 肩はこらねえのか? 看板好きは学生運動の闘士サマの頃からか? ゲラゲラゲラゲラゲラダヒヒヒ呵々大笑。あんたにはいつも「しめしめ」ってスピーチ・バルーンが出てるよ。鏡でよく見てみな)。肩にぶら下げているショルダー・バッグはくたびれ果てたハンティング・ワールドのパチモン。履いている靴は中国製かベトナム製というありさま。わるいことは言わないし、故郷の両親が心配するから売文業なんざやめときな。故郷へ帰って畑を耕すなり、漁網打ちな。そのほうがよほどクリエイティブだから。石に腰を、墓であったか 山頭火/お墓で出逢った山頭火/おっ! 墓であったかひと休み っつーこったな。

スマタポポヒなクライアントから愚にもつかない御託能書き寝言戯言をさんざっぱら聞かされて、えられるのはたかの知れたギャランティである。3万かそこらの家賃も電気代も水道代も年金掛け金も保険料も滞納するのが関の山。1回の食費は100円、打ち合わせに行くための交通費にも事欠く始末。ネット/SNSで知りあったどこの馬の骨とも知れぬやつから雀の涙のゼニカネを振りこんでもらったり、米やらカップ麺やらの食料を送ってもらったりで食いつなぎ、生き延びる日々。はやい話がほどこしで命脈をつなぐ人生だ。中には、「みじめで弱くてかわいそうな人間」を演じて人のいいやつの人のよさにつけいる不埒不届き千万不逞の輩もいる。

日本国憲法第25条第1項に明記され、保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」さえままならない。ほとんどの〇〇ライター/物書きは「生存権」が脅かされる生活を余儀なくされている。ワーキング・プアもいいところだ。しかしながら、大昔から怠け者とA( )Cはわけまえが少ないものと相場は決まっている。もって瞑すべし。
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by enzo_morinari | 2018-06-18 14:56 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

I, The Jelly/俺がクラゲだ! ── 青いヒポポタマスの小さなあくび

 
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俺がNPJ(Natural Psycho Jelly)となるに至った経度と緯度/入射角と反射角について。

前へ煤耳。全体止まミ。右向け石。左向け東。前へなろゑ。こどもの頃から俺にはすべてできなかった。いや。しなかった。俺には前も後も右も左もないし、いつもフワフワユラユラと漂っているからだ。そうするよりほかにないからな。団体行動は苦手だ。

だがよ。俺は漂っても沈まずに生きてきた。悠々としちゃいるが急いでいる。俺には右も左も前も後も上も下もない。全方位全方向。おまけに全天候型だ。ただし、速く移動することはできない。速く移動できない者がとるべき態度はただひとつだ。

1mmたりとも移動しないこと。完全無欠の静止/停止を保持すること。何者も立ち入ることのできない「完全定点」から世界を観察/分析/解読すること。

移動は階級と格差を生むが静止/停止は孤立をもたらしはしても静止者/停止者を自由にする。その者たちはいずれ「サイコパス・アサシンズ」として世界を喰い破りにかかる。そして、俺はナチュラル・サイコ・ジェリーとなり、サイコパス・アサシンズのメンバーとして世界のありとあらゆるものをヒットするようになった。その準備運動のために俺は『出ジパング記』を記さねばならなかった。


青いヒポポタマスの小さなあくび#1 
『出ジパング記』の取材のためにエジプトを訪れて3日目の昼下がり。俺はバビロン行きのオンボロ・バスの後部座席で出口の見えない腹痛と吐気と下痢に苦しんでいた。腹痛と吐気と下痢の原因はダウソ・タウソの浜田(ガイラ)雅功だ。

「エビアン汲んできて。いますぐエビアン汲んできて」

浜田(ガイラ)雅功は俺と眼を合わすことができず、うつむいたままそう言った。くちびるが火星年代記専用服の辛子明太子42個分くらい腫れ上がっていた。

「ハマちゃん。前田敦子に大きな栗とリスつけあわせ中なところ申し訳ないけどさ。火星年代記専用服の辛子明太子42個分に腫れ上がったくちびるでエビアン汲んできてって言われても、おれはへたれ山崎やほほほ~い遠藤章造じゃないんだから、ほほほ~いとフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯までなんか行けないよ」

「ほならオーヤン・フェーフェーかアイフ・モーフェー買うてきて」
「ええええええええええっ! もうそれは去年大失敗したじゃんよ。まだ懲りてないわけ?」
「そんなん言うたかて、わいは拍手とナイス!とイイネとコメントとコメント返しとコメント付き足跡がないと死んでしまうねん」
「じゃ、死ねよ」

俺が突き放すようにそう言うと、浜田(ガイラ)雅功は本当にその場にもんどり打ってひっくりかえり、冬眠中に死んで干からびてぺしゃんこになったソバージュネコメガエルみたいになって死んでしまった。死んでもくちびるは火星年代記専用服の辛子明太子42個分に腫れ上がっていた。『花より男子』にブサイク役で出ていた前田敦子にクリソツで、ブサイクの破壊力は前田敦子以上だった。

煙草1厘2分3毛事件(野村萬斎くっさめ万馬券事件)、電気窃盗事件とならんで20世紀最悪の難事件と言われた「聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院寸借詐欺事件」を解決してまだ日が浅い警視庁捜査1課の名捜査官・松岡正剛警視と法水倍音太郎警部を中心とした精鋭による「タラコくちびる頓死事件捜査本部」が麻布警察署の用具倉庫の一隅に設けられたが、一度も捜査会議が開かれることもないまま「タラコくちびる頓死事件捜査本部」は解散した。浜田の火星年代記専用服の辛子明太子42個分の下くちびるの裏側から前田敦子に大きな栗とリスつけあわせ問題に悩んでいたことを強くうかがわせるおぞましいほど下手くそな字でミミズがのたくりまくって書かれた遺書めいたメモが発見されたからだ。

俺は浜田(ガイラ)雅功の墓前に供える水を汲みにフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯を目指した。死ぬ思いでたどりついたフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯は閉鎖されていた。

「政府閉鎖の影響により本湯は閉鎖します」

ガバメント・シャットダウンと銭湯の閉鎖がどう関係するんだってのよ! もうめちゃくちゃじゃないか! 俺は腹立ちまぎれに近くの井戸で水を汲んで飲んだ。飲んだとたんに眠りに落ちた。そして、夢を見た。こんな夢だ。


夢の中で俺は不思議な女の子に出会う。スカボロー・フェアの帰り道だ。女の子は美しい亜麻色の髪にパセリとセージとローズマリーとタイムで編んだ髪飾りをつけていた。

「あなたが縫い目のないシャツをひと粒の雨も降らない土地の涸れた井戸で洗うことができたら、わたしはあなたの恋人になるわ。そして、千年の間貞節をつくします」

女の子は言うと髪飾りからタイムのひと枝を抜き取って差しだした。俺はタイムの小枝を受け取り、胸ポケットに挿してから拳で三度心臓のあたりを叩いた。凍りついたアルマジロの背中にテニスボールをぶつけたのとおなじ音がした。

「問題は、縫い目のないシャツが手元になくて、おまけに涸れた井戸がどこにあるかわからないってことだ」

俺が言うと、女の子は答えた。

「縫い目のないシャツはわたしがつくるから、井戸はあなたがみつけて」

この夢から俺は「分業」の大切さを学んだ。しかし、縫い目のないシャツはいまだに完成していないし、ひと粒の雨も降らない土地にあるという涸れた井戸もみつかっていない。

それでも、いつかは縫い目のないシャツは完成するはずだし、井戸もみつかるにちがいない。明日やればいいことを今日やらないだけだ。そして、バビロン行きのオンボロ・バスに飛び乗った。乗ったはいいが激しい腹痛と吐気がおそろしいほどの勢いで襲いかかってきた。そして、誰もいなくなった。「死ね死ね団」の創立メンバーを除いて。

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吐瀉物はバケツ2杯分に達していて、のちにギザのピラミッドで観光客らを襲撃することとなる「死ね死ね団」の創立メンバーを除くと、エジプトの民は俺のまわりからきれいさっぱり消え失せていた。このときのバビロン行きのオンボロ・バスの運転手がムハンマド・ホスニー・ムバラクである。いまから思えば実に奇妙なめぐりあわせだったと思う。

俺の腹痛と吐気と下痢の原因については実はまだ心当たりがある。俺はエジプトに来る前、パリで2週間ほどすごし、そのとき、ルーブル美術館のエジプト室に忍び込んであるものを盗みだしていたのだ。

盗みだしたのはエジプトの第12~13王朝時代、紀元前2000年頃にファイアンス技法を用いて作られたセラミックの青い河馬のこどもだった。

青い河馬のこどもは母親だか父親だかの大きな河馬に寄り添うかたちで展示されていた。俺は『M: I』のトム・クルーズばりの装備と『エントラップメント』のサー・トマス・ショーン・コネリーなみの緻密な計画を立てていたが、実際にはルーブル美術館の警備は驚くほどスペイン風にケ・セラ・セラだった。

俺はなんなくセラミックでできた青い河馬のこどもを盗みだした。しかし、それがおそろしい呪いと真の悪夢と不思議な冒険の始まりだとは思いもよらなかった。

俺は耐えきれなくなってついにバスを降りた。「死ね死ね団」のメンバーは俺のことをとても心配して青ナイルと白ナイルが合流するところまでいっしょに歩いてくれた。

俺が「死ね死ね団」のメンバーの憎悪と憤怒の炎に包まれたたくましい背中を見送り、青ナイルと白ナイルがぶつかって川の水の色が変わる場所にみとれているあいだに夕闇が迫ってきた。そして、青い大きな河馬がやってきた。

「息子を返してもらおう。さもないとおまえは永遠に腹痛と吐気と下痢に苦しむことになるぞ。それだけじゃない。ナイルの神であるおれがもっとおそろしい呪いをかけてやる」

そう言ってすごむ青い大きな河馬のうしろには骨をくわえたジャック・ラッセルのNBK(ナチュラル・ボーン・キラー)とインカ・オーロックスのアレアレ・モーモーちゃんと「飛ばない豚はただの豚だ」とまで言いきってアドリア海の空のエースとなった紅豚がならんでいた。俺が盗んだ青い河馬のこどもよりふたまわり大きいこどもの河馬もいっしょだった。

強いめまいがし、俺はその場でイチローばりの広角打法を駆使して雌鶏を連打した直後にすったおれた。青ナイルと白ナイルのあいだを渡ってきた風が心地よかった。そして、また夢をみた。夢をみているあいだ、ずっとファンタン・モジャーの『Rasta Got Soul』が聴こえていた。

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青いヒポポタマスの小さなあくび/ファンタン・モジャー
 
by enzo_morinari | 2018-06-16 14:10 | I, The Jelly | Trackback | Comments(0)

スマタポポヒの考古学

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世界はスマタポポヒだらけである。スマタポポヒであるにもかかわらず、そのことに気づいていないケースが多い。そのような場合は「イタい/痛い/イタタタッ」と評される。「伊丹十三にマルサ固めをくらっって死んだ使用済みンポンタ・コレクターであるタンポポ板前の板井さんの遺体が"No pain, No gain"と言いながらイタドリを貪り喰って痛み入りつつ匍匐前進したのがおかしくて板の間を転げまわったが板の間は痛い」と言ったのはわたくしである。

通常、スマタポポヒは丘の上か高所に生息している。モノカキ・ライターであちこち火をつけてまわる。火のないところに火をつけることをすこぶる好む。ちょくちょく、賢しらに、大仰御大層に、火のないところに煙りを立てる。知らないことだらけだが、もっとも知らないのは恥である。無知にして無恥。「ヒポクラテスの誓い」を「ヒポポタマスの誓い」と言い放って唖然とするジューバコノスミ・キツツキッターに誤りを指摘されても平然としている愕然ぶり。その後、やや悄然憮然とするも、結局はBlue Hippoのブローチをスーツのラペルにつけるエセ泰然自若さと厚顔無恥ぶりは唖然愕然腸捻転等差級数級である。シッタカ貝とシッタカ鰤は大好物だ。シッタカ貝をバカツ1杯食べても死なない。死ねばいいのに死なない。しぶとい。シッタカ鰤は刺身で焼き物で煮物でむしゃぶり喰う。シッタカ鰤ならなんでもござれという具合。

スマタポポヒの各国語は以下の通り。言われた当該国国民は火星年代記専用服の明太子を塗りたくられたアメリカ・マッカチのような顔色になって怒るので、いつでもその場から退却退散逃亡できるような態勢と心算でいることを勧める。

ストゥーピッド(Stupid)/フール(Fool)/モーロン(Moron)/スィリー(Silly)/イディオット(Idiot)/ジャーク(Jerk)/ダム(Dumb)/ダル(Dull)/デレスケート(Dellescate)/デンス(Dence)/フッカー(Hooker)/ニット(Nit)/ナード(Nerd)/ディックヘッド(Dickhead)/ドゥーファス(Doofus)/クラッド(Clod)/イディオ(Idiot)/アンベシル(Imbécile)/フー(Fou)/ドゥム(Dumm)/ヴォケ(Voke)/トンマー(Tonmaa)/トーンマ(Tohnma)/ブーバキキ(Boubaquiqui/Boubakiki)/ハルキンボ(Halkimbo)/ンジンガ(Mjinga)/ウプンバーヴ(Upumbavu)/タワーケ(Tàwàque)/アフォー(Aphở)/ヴァッカ(Vacca)/ボング(Bong)/タンガ(Tanga)/デクノ・ヴォー(Dechno Veau)/べンダン(Ben dan)/シャーズ(Shǎ zi)/フンダン(Hún dàn)/バイチー(Bái chī)/ユーチュン(Yú chǔn)/チュンツァィ(Chǔn cái)/ヂュトウ(Zhū tóu)/アービー(Ér bī)/シャービー(Shǎ bī)/シーサン(Shísān)/シーサンディエン(Shí sān diǎn)/アーバイウー(Èr bǎi wǔ)/ボドー(Bodoh)/ワイランギ(Wairangi)/シェーモ(Scemo)/ショッコ(Sciocco)/ポンコッツォ(Pongcozzo)/タッコ(Tacco)/ストゥーピド(Stupido)/イディオータ(Idiota)/リンコッリョニート(Rincoglionito)/スタ・マーレ(Sta Male)/エストゥピド(Estúpido)/イディオタ(Idiota)/トーロ(Tolo)/ブーホ(Burro)/ドイド(Doido)/イディオッタ(Idiota)/グルピェーツ(Глупец)/ドゥラーク(Дурак)/ヴラカス(Βλακας)/イリスィオス(Ηλίθιος)/ストゥルトゥス(Stultus)/ファトゥウス(Fatuus)/ヒマール(Himaar)/アフマク(أحمق)/ガビー(غبي)......


スマタポポヒは星の数ほどもいる。世界中の街や村それぞれが独自のスマタポポヒを持っている。スマタポポヒはアラビア語でガビー。青いヒポポタマスのガビー。理想主義者にして自由博物館館長のプレストン・ガービー将軍とは縁もゆかりもない。
 
by enzo_morinari | 2018-06-16 10:46 | スマタポポヒの考古学 | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で ── リキシャ・ルームで人生最大の恐怖と幸福を味わった瞬間

 
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遠い日の冬。私は20歳になったばかりで、ビートニク・ガールとは3度目の絶交期に入っていて、高校1年のときから応募しはじめた群像新人賞に5回連続して最終選考で落とされ、挙げ句の果てにはナイーブ・ロースハム系ウガンダ人のハルキンボ・ムラカーミというスパゲティ野郎にまんまと群像新人賞をかっさらわれ、世界やら人間やらに対して希望と信頼を失いかけていた。「スパゲティ・バジリコ」なんて存在すら知らなかった。つまるところ、名もなき青二才だったというわけだ。

横浜馬車道にある有隣堂ユーリン・ファボリ店でスタッズ・ターケルの『仕事!』とマーティン・バークの『笑う戦争』のどっちを買うか迷っているうちに閉店時間が来て、結局、両方とも買えず、1階にあるゲーム・センターでスリー・フリッパーのスペース・シップに有り金のすべてをつぎ込んだ。TILT連続17回のおまけ付きだった。

なんの罪もないピンボール・マシンを蹴飛ばしたことにはいまでも胸が痛む。しかも、スリー・フリッパーのスペース・シップ。スパゲティ野郎の呪いだ。

ゲーム・センターを出るとき、これみよがしに舌打ちを5回してから、猛然と日本大通りを目指した。元町のトンネルの手前でダッフル・コートのフードをすっぽりとかぶり、本牧までとぼとぼとぼとぼ歩いた。世界や人間が無性に腹立たしかった。スパゲティ野郎には憎悪すら感じていた。

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麦田の交差点の信号機が爆音を発して破裂した顛末を見届け、イタリアン・ガーデンやゴールデンカップやリンディやアロハ・カフェのドアを開けただけで中には入らず(リンディの店の外壁に突入している黄色いフォルクスワーゲン・ビートルのオブジェにはいつもどおりのチャランボ蹴りを入れてやった)、本牧亭の肉うま煮丼とサンマー麺の混じった匂いに気を失いかけ、ついには小港のリキシャ・ルームで無銭飲食するつもりでカウンター席に座り、ジム・ビームのダブルのオン・ザ・ロックスを5杯飲んだ。

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いよいよ無銭飲食決行を決意したとき、頬に深い疵のあるバーテンダーが抑揚のない声で、「きょうはおごってやる。きょうだけだぞ」と言って、私の前に6杯目のジム・ビームのダブルのオン・ザ・ロックスを置いた。

今に至るも、それは人生最大の恐怖と幸福を同時に味わった瞬間だった。あの瞬間の痕跡を探しに、いつか、ビートニク・ガールを伴ってリキシャ・ルームを訪ねたいものだ。ひょうきん者のジミーが5ドル札3枚分の嘘くさい笑顔をふりまく本牧埠頭D突堤の付け根にあるシーメンス・クラブにも。

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by enzo_morinari | 2018-06-15 04:42 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

密航/月の酔いどれ船で見たグレープフルーツのような月とトム・ウェイツとベルリンの壁

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月の酔いどれ船で見たグレープフルーツのような月とトム・ウェイツとベルリンの壁


1987年冬。深夜の横浜港山下埠頭。私と月を見る男はナホトカ行きの貨物船、Drunk on the Moon号に忍びこんだ。目的は大陸までの密航である。時代錯誤もはなはだしい蛮行であったが、気分はまだ見ぬ大陸を思い、爽快だった。

真冬の夜ふけの波止場の空気も風も剃刀で切り裂くように私と月を見る男を苛んだけれども、なぜか心の中はあたたかかった。あたたかかったのは、山下埠頭に来る直前に小港のリキシャ・ルームで頬に深い傷痕のある無愛想無表情のバーテンダーが「餞別がわりだ」とくぐもった声で言ったあとにニッカのフロム・ザ・バレルで作ってくれたホット・ウィスキーを飲んだからだろうが、それだけではない。

煌々芳醇馥郁としてたわわなグレープフルーツ・ムーンは高く、遠かった。まだ見ぬわれわれの祖国、自由放埒な酔いどれの王国はさらに遠い ──。

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密航2日目。私と月を見る男は船員たちが消えうせた深夜の甲板でグレープフルーツのような月を眺めながら、食料庫からくすねたスミノフをまわし飲みした。ウォークマンにトム・ウェイツの曲ばかり集めたTDKのカセットテープをいれ、イヤフォンを二人でわけあって聴いた。

真冬の、密航した貨物船の、船員たちの寝静まった深夜の甲板の、満月の夜の『Grapefruit Moon』とスミノフはわれわれにしみた。マラッカ海峡に轟音とともに真っ逆さまに沈んでゆく巨大な太陽に圧倒されながら飲んだ生ぬるいバドワイザーよりはるかに深く強くわれわれをつらぬいた。

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ナホトカ上陸後、徒歩とヒッチハイクでベルリンの壁をめざした。ベルリンの壁のウォール・グラフィティを目撃しにゆく風狂の旅である。その旅は孤独と困難と寒さと大爆笑の旅でもあった。

ベルリンの壁の前に立ち、われわれは言葉もなかった。言葉は必要なかった。なにかひと言でも言葉を発すれば、われわれの旅のすべてが意味を失い、否定されるように思われた。

本当のことを言えば旅の始まりに目的地などなかったが、なにかを越えたかった。なにかを乗り超え踏み越えて、その先になにがあるのかはわからなかったが、越えたという事実は残る。その手づかみ/赤むけ/リアルを経験したかった。

山下埠頭を出てからベルリンの壁までのあいだに出会った人々や吹かれた風のにおいや見上げた月や悪態をついた太陽やウォッカやウゾやラクやアラックやトーゴー・ビールや羊の丸焼きやヌーヤテンム村の村長からもらった代赭色の印度更紗にくるまれたひと切れのナンの味がよみがえり、うずまき、遠く去っていった。不意に青春の終わりと思った。青春の終わりなどという尻がこそばゆくなるような事態があるとするならば、いままさにこの瞬間がそうなのだろうとも。涙が少しだけ出た。月を見る男もおなじらしかった。次の年、私はのちにセロ弾きとなる女の子の父親になった。

あまたある落書きの中から月を見る男がPINK FLOYD/THE WALLのスプレー・ペイントを発見した。「超えた」と思った。ベルリンの壁も視えない自由も国境も人種も民族も宗教も戦争も紛争も内乱も殺戮も残虐も冷酷/冷淡も無関心も出会いも別離も文化もイデオロギーも正面突破で超えてきたのだと思った。極東アジアの東海の小島から壮大なるアジアン・ハイウェイを自力/他力こもごもに横断し、否応なく歩き、否応なく懇願し、否応なく貪り食い、否応なく酔いどれ、否応なく月に吠え、否応なく太陽に憤怒のつぶてをぶつけ、そして、果てにたどりついたのだと。私と月を見る男の旅は、このとき成就した。円環はたしかに閉じられた。

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あれから30年が経つ。友よ。月を見る男よ。いつの日か開高健を乗り越えようと誓った横浜関内・常盤町のバー「クラーク」の夜。そして、マラッカ海峡に轟々と沈みゆく巨大な太陽を眺めながら飲んだ生ぬるくくそまずいバドワイザーの味を忘れはしない。おまえはとうの昔に身罷って、今頃は鴨志田穣と『火垂るの墓』を肴にどうしようもない涙の酒を酌み交わしているのだろうが、いつかまた、煌々芳醇馥郁としてたわわなグレープフルーツ・ムーンの輝く夜に、山下埠頭から、あるいは世界のどこかの波止場から、どこかの国の古い貨物船に忍びこもう。そして、まだ見ぬわれわれの祖国、自由放埒な酔いどれの王国をめざそう。グレープフルーツ・ムーンは高く遠く、酔いどれの王国はさらに遠い。ゴビ砂漠よりも遠い。友よ ──。


Grapefruit Moon/Thomas Alan Waits
Drunk on the Moon/Thomas Alan Waits
Tom Traubert's Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen)/Thomas Alan Waits
San Diego Serenade/Thomas Alan Waits
 
by enzo_morinari | 2018-06-14 04:28 | カワウソ・ニザンの「途中の死」 | Trackback | Comments(0)