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ソバージュネコメガエルの実存の最先端#4 ジャングル・ブギー

 
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風が強くなり、冷たくなって、とうとう雨が降りだす。雨粒がソバージュネコメガエルの顔に立てつづけにあたる。ソバージュネコメガエルはからだをぷるぷるっと震わせる。眼を半分ほど開けて横目でじろりと私を睨む。そして、おもむろに口を開き、ややくぐもったような声で「ジェーエイチダブリュエイチ」とつぶやいた。

ジェーエイチダブリュエイチ? なんだ? JHWH? 暗号か? 神聖四文字か? 神のことか? 幻聴か? 福音か? 啓示か? 呪文か? それとも、なにかの前触れか? なぜカエルがしゃべる? 原因はまたきゅうりなのか? きゅうりといえば河童だ。カエルではない。

私が不審さ満載で見ていると、ソバージュネコメガエルは今度は明瞭に「La Pensée sauvage」と言った。「ジェーエイチダブリュエイチ」のときよりも大きな声で。

試しに「野生の思考」と言ってみる。ソバージュネコメガエルは胸を張り、即座に「クロード・レヴィ=ストロース」と答えた。とてもいい発音だった。ネイティヴと言ってもいいくらいだ。特に、ストロースの「ロース」のところがいい。「Tristes tropiques」と私が言うと、「悲しき熱帯。でも、Tropiques の発音が悪いです」とソバージュネコメガエルは気難しいフランス語のフェメ教師のようにぴしゃりと言った。

「驚いたな。わたしの言うことがわかるんだね?」
「はい。言うことだけではなく考えていることも」
「またまた驚いた」
「ぼくも驚いてます。ぼくの言うことがわかる人間に会うのはあなたで3人目です」

風と雨足が強くなる。寒いくらいだ。

「寒くないかい?」
「すごく寒いです」
「だろうね。たしかきみは寒さにすごく弱いんだろう?」
「はい。半分砂漠のようなところで育ちましたから」
「ぼくの家にくるかい?」
「うーん。どうしようかな」
「ぼくの家は冷たい雨と強い風の日のパンタグリュエリヨン草の葉っぱの上より居心地はずっといいはずだよ。保証する」
「いじめない?」
「いじめないよ。きっとたいせつにする」
「へびはいない?」
「いない。へびは大嫌いだ」
「人間のこどもは?」
「いない。人間のこどももあまり好きじゃない。いるのはぼくとポルコロッソと奥さんだけ」
「奥さんはどんなひと?」
「まちがいなく宇宙で一番やさしくてファンキーでファニーで豊かで心の広いひとだよ。美人だし。1回死んで生き返ってるし」
「ほんと?」
「うん。ほんと」
「ぼくのこと、好きになってくれるかな?」
「きっとなるさ。ぼくの奥さんはカエルが大好物なんだ」
「ぼく、食べられちゃうの?」
「冗談だよ」
「わかってますって。虹子さんがカエルを食べたりするひとじゃないことくらいわかります。虹子さんが大のきゅうり好きだってことも」

そこで初めてソバージュネコメガエルは笑った。胸の奥に100W電球が灯ったようなあたたかな笑顔だ。

「どうして虹子ちゃんの名前がわかったんだろう? それにきゅうりのことも」
「さっき言ったでしょう? ぼくはあなたの考えていることがわかるって。あなたの脳みその中にダイブしたんですよ」
「ああ、なるほど」
「ちょっと酸っぱかった」
「え?!」
「あなたの脳みそ。遠くのほうで酢豆腐さんがエピキュア・チーズを肴に般若湯で湯浴みしながら寿手練経を唱えてるみたい」
「わけがわからないけど、とにかくすごく酸っぱくて臭そうだ」
「問題はあなたなんです。あなたはとても不安定だから」
「うーん。たしかに。でも、きみにはかならずやさしくする。誓うよ」
「心変わりしない?」
「しない」
「約束ですよ」
「約束だ」
「誓ってください」
「何に誓えばいい?」
「宇宙を支配する巨大な意志の力に」
「誓います」
「ちゃんと言葉にしてください!」
「わたしは宇宙を支配する巨大な意志の力に誓って彼をたいせつにします! やさしくもします!」
「ちゃんとごはんもくれる?」
「宇宙を支配する巨大な意志の力に誓ってごはんもあげます!」
「じゃあ行きます」

私はソバージュネコメガエルをそっとつまみ上げ、左の手のひらの上にのせた。少しひんやりとしていたがソバージュネコメガエルの命の輝きのようなものが手のひらを通し、腕を伝い、全身に広がってゆくように感じられた。

ポルコロッソがうれしそうに尻尾をふり、何度も吠える。風がやみ、雨があがり、雲の切れ間から幾筋もの光が射しはじめる。壊れ物を扱うようにソバージュネコメガエルを手のひらにのせ、虹子の待つ家に急いだ。遠くから Kool & the Gang の『Jungle Boogie』のリフが聴こえてきた。そのさらに遠くで笠置シヅ子が「ウワオ ワオワオ ウワオ ワオワオ」と吠えていた。

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Jungle Boogie (1973) - Kool and the Gang
 
by enzo_morinari | 2014-07-30 09:48 | ソバージュネコメガエルの実存の最先端 | Trackback | Comments(0)

レッド・テープをぶった切れ! ── 救国のテロリスト、殺戮のロジック、ふたつの堆積物が交差する場所

 
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虚偽が罷りとおる時代に "真実を語ること" は革命的行為である。G-O


「俺はメッセンジャーだ。救国のメッセンジャーなんだ」

夜明け前。東京/霞が関。救国のテロリスト/役人首狩り族の王は潮見坂の頂上から財務省と外務省の薄汚れた庁舎を見下ろしながら独りごち、迷彩服の上から生き物のようにうねる巨大なアルチザン・チタニウム・ダガーを撫でる。哲の馬 Philosocycle による日々のトレーニングできれいに脂肪の殺げた躯体は精神と直結し、ひと振りの白刃のように研ぎ澄まされている。

アルチザン・チタニウム・ダガーの冷厳冷徹な「殺戮のロジック」はタフな戦闘服の生地を通しても伝わってくる。首都高速を行き交う車の走行音は救国のテロリスト/役人首狩り族の王の耳には一切入らない。

ひとしきりアルチザン・チタニウム・ダガーの「殺戮のロジック」を味わってから、救国のテロリスト/役人首狩り族の王は首からぶら下がっているドゥ・マゴ、二体の中国人形を握りしめる。

二体の中国人形。ふたつの病い。あるいはふたつの堆積物が交差する場所。

「俺のメッセージは必ず届く。俺のメッセージは手加減なし容赦なしだ。俺のメッセージは木っ端役人どもにとっては "死のメッセージ" だ。メッセージを届けたあとは遠く遥かに霞む幻視の海へ漕ぎ出す」

メッセージをドロップオフする刻限が間近に迫っている。

「殺人、殺人予備、殺人教唆、殺人幇助、内乱、内乱予備、内乱陰謀、内乱幇助、特定秘密保護法違反、破壊活動防止法違反、組織犯罪処罰法違反、脅迫、銃刀法違反。罪状はいったいいくつつくかな。今からたのしみだ。捕まれば当然に極刑、死刑がお待ちかねだが、こちらが失うのは自分の命だけだ」

南麻布の官舎を出たマークのピックアップされた生首が潮見坂の街路樹に晒されるまで、あと18時間。
 
by enzo_morinari | 2014-07-26 04:53 | レッド・テープをぶった切れ! | Trackback | Comments(0)

ならず者のうた、命知らずの日々 ── 人生の最終目的地は絶景社交倶楽部

 
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木陰でひと休みしたいから道端の麦わらをどけてくれよ。
こんなことだからいつまで経ってもどこにもたどり着けないんだ。
R-M-M-F

きのうはアルト・セドロからマカネへ行き、クエトに着いたら次はマヤリーに向かった。
きょうもアルト・セドロからマカネへ行き、クエトに着いたら次はマヤリーに向かう。
あしたもアルト・セドロからマカネへ行き、クエトに着いたら次はマヤリーに向かう。
R-M-M-F

人生は考えているよりもずっとシンプルで、思っていたよりもはるかに景色がいい。E-M-M


エル・パソを出発したらエル・カミーヨに向かう。エル・カミーヨでは肉がシコタマ入った部厚いトルティージャとタコスを喰う。でっけえマントル海老がごろごろしててニンニクがバッチリきいたアヒージョもだ。腹とゼニに余裕があるならカジョスも喰うぜ。晩めし用にゃパエーリャをお持ち帰りだ。エル・カミーヨのパエーリャは冷めてもうまい。おれの知るかぎり、エル・カミーヨのパエーリャは南半球一だ。

エル・カミーヨを出たら、あとはエル・カルロスカスタネダを目指して、ずっとトパンガ・ケイヨンロードを行く。真っ直ぐな道。どこまでもどこまでもつづく真っ直ぐで赤茶けた道。なにも考えなくてすむ分、人生はずっとシンプルになる。

おれは人生をシンプルにするためにエル・パソを出て、エル・カミーヨで肉のぎっしり詰まったトルティージャを喰い、エル・カルロスカスタネダを目指してトパンガ・ケイヨンロードを走る。それで人生はずっとシンプルになる。景色もよくなる。絶景と言ってもいい。その繰り返しだ。それがおれのようなデスペラードの人生の日々だ。Djobi Djobaだ。

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おれたちデスペラードの人生に追い越し車線は用意されちゃいない。追い越し車線はカネのある奴らや力のある奴らやお上品なおセレブ様方専用だ。おれのようなデスペラードはいつだって追い越されるばかりだ。

でもよ。そんな人生もなかなかどうして捨てたもんじゃない。おれを追い越していった奴らの煤けた背中、うそとインチキとまやかしときれいごととおべんちゃらとクソにまみれた後姿を拝んで、ああでもないこうでもないとジャグリングして、ジャイブして、ジョークにすることができるんだからな。これでどこにでも持ち歩けるおれ専用のジュークボックスでもありゃあ、言うことなしだ。そのジュークボックスにブエナビスタ・ソシアルクラブとイーグルスとGipsy Kingsとグスターボ・サンタオラージャのレコードが全曲入っていたら天国にいるも同然だ。HIP HOPだあ? それってうめえのか? おれの街では犬のエサだ。

おれがなにを言ったところで奴らには聴こえないし、届かない。第一、奴らには他人様の声を聴きとれるだけの耳がないんだ。ざまあみろってんだ。おまえたちに聴こえないのをいいことに、おれはいつもおまえたちを嘲り笑っているという寸法だ。そして、おれはいつか必ず訪れるインスピレーション、閃きを待つ。Gipsy Kingsの『Inspiration』をカーラジオで聴きながらな。おれはファニカとチャンチャンたちのように生き、ファニカとチャンチャンたちのようにくたばるんだろうさ。

ファニカとチャンチャンたちのように生き、ファニカとチャンチャンたちのように死にたいとずっと思いつづけてきた。あるいはジプシー・キングスの『閃き』のように。感傷やニートさや曖昧さのない生と死。あるのは事実だけ。リアル。レアル・マドリードのような、ロス・ガラクティコスのような完全無欠のリアル。

余計なことを一切考えなくていい人生。手加減も容赦もない光。赤茶けた道。乾いた風と空気。アクースティック・ギターの音。絶望さえ手のひらの上で転がすことのできる日々。希望やら平和やら友愛やらを躊躇なく世界の果てに向けて蹴り飛ばせる心。デラシネが耳元でやけに明るい声で「死ね死ね」と囁く日々を。

海辺の街では砂を篩にかける。粒の細かい砂だけを選り分ける。細かければ細かいだけ高く売れる。トルティージャを1枚多く喰える。そんな日々、そんな人生。文句のつけようがないほどに乾いてリアルで研ぎ澄まされた人生の日々だ。

余計なお荷物はエル・ドラドにまとめて捨ててきた。いまごろ、だれかが拾っているだろうよ。おれにとっては役立たずなガラクタでも、ほかのだれかにとってはお財宝かもしれないしな。だれかが捨て、だれかが拾う。それでいい。それが世界の仕組みだ。世界はそんな風に出来あがっているんだ。単純だが「永遠の真実」ってやつだ。

そして、最終的におれが目指すのは、おれの人生の目的地は絶景社交倶楽部だ。ほかにはなにもない。必要もない。絶景社交倶楽部にたどり着くことができれば、おれは死んだっていい。

その日のために、おれはきょうもエル・パソを出発してエル・カミーヨに向かう。エル・カミーヨでは肉がシコタマ入ったトルティージャを喰う。エル・カミーヨを出たら、あとはエル・カルロスカスタネダの町を目指して、ずっとトパンガ・ケイヨンロードを行く。真っ直ぐな道。どこまでもどこまでもつづく真っ直ぐで赤茶けた道。きょうも人生はシンプルで、いい景色だ。

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ならず者のうた、命知らずの日々
 
by enzo_morinari | 2014-07-16 06:04 | ならず者のうた、命知らずの日々 | Trackback | Comments(2)

飛ぶ豚はいつかどこかに着陸するが、飛ばない豚はどこにも行けない。喰われるのを待つだけだ。

 
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飛ばない豚はただの豚だ。捨てない人間はただの馬鹿だ。


「コペルニクス的転回」も「コペルニクス的転回の転回」も「絶対矛盾的自己同一」も「身心脱落本来面目現前」も吾輩の係ではない。それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? そんなリアリティのないものは「くそまじめな精神」の持ち主様にでもくれてやれ。さもなきゃ、犬畜生にでも喰わすか糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしちまえ。

おのれを捨てろだあ? おのれを虚しゅうしろだと? 何度でも言う。寝言は寝て言え。のたうちまわりながらほかの何者にもなりかわりえない吾輩自身のリアルをグリップすること。それが吾輩にとって意味を持つ。

物心ついたときからどんどんじゃかすか色んなものを捨ててきた。用がなけりゃ捨てる。当然だ。縁だって捨てた。手加減なし容赦なしで。女房だって娘だって息子だって女だってともだちだって本だってレコードだって捨てまくってきた。大好きな犬さえ捨てたことがある。ヨチヨチ歩きの仔犬を。

赤鬼でも青鬼でもない。捨鬼だ。おかげでいつだって引っ越しは楽チンのチンだった。そうやって数知れぬ別れを繰り返してきた。経験と言えば言えなくもないが、勧めない。ろくなことがないからだ。心だって痛む。鬼の目にも涙だ。

よく捨てることが拾うことに通じるだの、別れて道が開けるだのという生臭坊主が言いそうなことを経験の「け」の字も知らぬような甘ちゃんがぶっこくのを見聞きするが、そのたびに臍が独創茶を沸かす。甘っちょろいのはピントだけにしておけてんだ。

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ここ20数年、身悶え、身も凍るような存在感を持った人物を見かけないのは簡単にお手軽に捨てることが大手を振ってまかり通っているからだろう。まったくもって腹立たしいかぎりだ。

そう簡単に捨てられるなら、別れられるなら、切れるなら、それは元々必要のないものだったんだろう。必要のないものをあれもこれもとぶら下げて得意になっていたんじゃないのか? そういうのを骨折り損のくたびれ儲けてんだ。明瞭簡潔に言うなら愚か者、馬鹿者ということだ。おぼえとけ!

捨てるとき、切るとき、別れるとき。胸のど真ん中あたり、ずっと奥のほうがずんと疼く。痛む。それでいい。なんの不思議もない。別れ別れになるんだからな。以後は一切の関わりがなく、まったく別の道を歩くんだからな。死のうが生きようが、焼いて喰われようが煮て喰われようが知ったこっちゃない。捨てる/切る/別れるとはそういうことだ。

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by enzo_morinari | 2014-07-15 08:34 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

巨鳥墜つ/Bye-Bye, Timebird ─ Time, No Changes

 
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巨鳥墜つ。チャーリー・ヘイデン。76歳。タイムキープの名手だった。アヴァンギャルドに自由に芳醇に時間を彫琢していた。オーネット・コールマンからハンク・ジョーンズ、キース・ジャレット、パット・メセニーまで。ハードバップ、フリー、アヴァンギャルドからスタンダード、メインストリーム、コンテンポラリーまで。チャーリー・ヘイデンが紡ぎだした「宝石のような時間」を忘れまい。

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世界の果ての岬で凍える指先に息を吹きかけながら聴いたあなたの『世界の果てで』を忘れない。そもそも、世界の果ての岬への旅の本当の目的は世界の果ての岬であなたの『世界の果てで』を聴くことだった。旅の目的は達せられた。旅の円環は閉じられた。アルバトロスの王が虚空を舞っていた。音は放たれた刹那に虚空に飛び立っていた。時間は容赦なく命を削る。時の鳥の魂はアイオワの空高く翔けのぼる。

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Charles Edward Haden (August 6, 1937 – July 11, 2014)
Genres: Avant-Garde Jazz, Free Jazz, Mainstream Jazz, Contemporary Jazz, Post-Bop, Hard Bop, Folk-Jazz
Occupations: Double Bassist, Composer
Instruments: Double Bass
Years Active: 1957–2014
Associated Acts: Ornette Coleman, Hank Jones, Keith Jarrett, Pat Metheny, Paul Motian, Gonzalo Rubalcaba, etc
Website: www.charliehadenmusic.com


En la Orilla del Mundo (At the Edge of the World/世界の果てで)/Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba
 
by enzo_morinari | 2014-07-13 05:04 | Memories of You | Trackback | Comments(0)

大学通りを経て象牙海岸へ。涙のワンサイデッド・ラヴが終りを告げたあとは涙のステップを。

 
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星と導きと夜との狭間にある大学通りを経て象牙海岸へ。そして、『シャンペンと地動説』によって終りを告げた涙のワンサイデッド・ラヴのあとは涙のステップを。


忘れもしない。1979年の夏だ。ガール・フレンドは3歳年上で、幼稚舎から大学までストレートに慶応だった。正真正銘のお嬢様だった。ファッションや音楽、言語感覚を初めとして、およそ生きていくうえで必要なセンスがとても良かった。人生の日々の景色が絶景になることは約束されたも同然であるように思われた。勉強ができるのは当然だが、頭の質がすごく良かった。クール・ビューティの典型だった。アイドルがグレース・ケリーというのは出来すぎだったが。

彼女の自宅は神宮前2丁目にあった。一般的な一戸建て住宅5個分くらいありそうな豪邸だった。彼女の父親は不動産業を中心に飲食店や娯楽施設、サウナなどを手広く経営していた。すべて一代で築き上げたそうだ。ある経済誌に取り上げられたこともある業界の風雲児だった。

ガール・フレンドの家には何度か行ったが常に居心地が悪かった。ガール・フレンドの父親とは一度も会ったことがない。「どうせ、ほかの女のところよ」とガール・フレンドはこともなげに言った。なるほど。よくある話しだ。

ある日、待ち合わせ場所の表参道の交差点交番前にガール・フレンドは息をきらしてやってきた。待ち合わせ時刻を15分も過ぎていた。帰る寸前だった。たった15分で? そうだ。私はこどものころから時間にきびしいのだ。待ち合わせの5分前を過ぎて相手が現れなかったら帰るのが私の流儀である。世界には平等も公平も存在しないが、「時間」だけは古今東西を問わずにだれでもに平等公平に用意されている。

「ねえねえ。聴いて聴いて。竹内まりやがさあ ── 」
「なんだよ、いきなり。竹内まりやだあ? 知るか! それってうめえのか?」
「うまいうまい。トップスのカレーとチョコレート・ケーキくらいうまい」
「そ、そうなのか。じゃ、喰ってみる」

そして、私はガール・フレンドから『UNIVERSITY STREET』のLPレコードを借り、聴き、竹内まりやの虜になった。彼女の言うとおり、トップスのカレーとチョコレート・ケーキ5年分くらいうまかった。

青山のブルックス・ブラザース本店で芥子色のシャツを買った。9月でもないのに『SEPTEMBER』を口ずさんだ。「SEPTEMBER」の発音に関してはいいなと思った。真似して発音したらLLのアメリカ人教師に褒められた。伊勢佐木町のヘンリー・アフリカでピーチパイを食べた。ただ甘いだけで不思議でもなんでもなかった。

『UNIVERSITY STREET』は『涙のワンサイデッド・ラヴ』が特に良かった。せつないというのはこういうことでもあるのだと知った。そして、ああ、女の子というのはこんな風にものごとを感じ、受け止め、考えているのかと驚くと同時に感心もし、女の子にもう少しやさしく接しようと思った。思っただけで実際にはこれっぽちもやさしくはしなかったけども。

『UNIVERSITY STREET』は実にいいアルバムだった。ジャズ・ミュージックと古典楽曲とわずかばかりの上質なポップスと上滑りなしA ( ) Cなしのロックのほかはほとんど聴かなかった私にはすごく新鮮だった。ただ、竹内まりやのスカした英語の発音については今にいたるもむかっ腹が立つ。それ、舌を巻きすぎだから。舌先を上顎にくっつけすぎてるから。言いたいことは山ほどあるがもはやどうでもいいことだ。

山下達郎とのことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。

いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。

時間は大抵の場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんな風にして色々なことが過ぎていき、色々なことがなにごともなかったように終わっていけばいい。もはや現役ではないんだしな。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。無神経/鈍感な輩には、この憤怒と憎悪と強蔑の強さと深さの意味は473040000000000000秒かかってもわかるまいが。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ! 人は皆、志半ば、途中で死ぬんだ! おぼえとけ!)

さて、ガール・フレンドとの最後のやりとりだ。

「あなたのことは大好きだけど結婚はできないの」
「わかってるよ」
「え?」
「おれが日本人だからだろ?」
「 ── 知ってたの?」
「うん」
「ごめんね」
「おまえがあやまる理由なんかこれっぽっちもないよ」
「でも ── 」
「デモもストライキもない。おれたちは現代版のロミオとジュリエットだと思えばいいだけのことだ。どうってことはない。いまどき、どこにでも転がっているような話だ」

この一件以来、私は正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが私の言い分である。至極まっとうで的を射ていて正鵠のど真ん中をぶち抜いていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。

そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000トンくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだ。

人はなにごとからでも学ぶことはできるし、強い意志を持ちつづけるかぎりにおいてあらゆる厄介事や艱難、難関と対峙することができる。この際、厄介事を克服し、難関を突破したかどうかはそれほど重要な意味を持たない。それは二次的な問題にすぎない。涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだおかげで大抵の嘘泣きには騙されなくなった。そればかりか、彼あるいは彼女が嘘泣きをするに至った背景と事情を思いやり、「無駄だからやめろ」と諭すことさえできるようになった。

年に100回も200回も小僧の神様が愛した世界の果ての岬の温泉を日帰りする逆さクラゲ好きのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ地方議員センセイはあまりにも嘘泣きがへたすぎる。あんな嘘泣きでは田舎町の議会事務局の腑抜けた木っ端役人すら騙せない。

いまではトップスのチョコレート・ケーキもカレーも食べない。彼女もそうだといい。そうあってほしい。本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかってはいるが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。彼女と最後に会ったときに着ていたオーバー・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。

その後、彼女からは一度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字が滲んでいた。滲んでいたのは雨のせいだけではない。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。もはや涙の涸れ果ててしまった私のかわりにだれか泣いてくれ。

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大学通りを経て象牙海岸へ。涙のワンサイデッド・ラヴが終りを告げたあとは涙のステップを。 (1979 - 1982)
 
by enzo_morinari | 2014-07-09 11:53 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)

約束の地で心安らぎたいすべての人へ

 
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ロビー・デューク『Not the Same』(1980)

Roby Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Genre: ROCK/AOR, CCM(Contemporary Christian Music)

*2007年のクリスマス・ライブ中に心臓麻痺を発症。クリスマス翌日に死去。


Roby Big Boy, Please Rest in Peace. You'll never have a broken heart again.

Rested in Your Love → Promised Land
 
by enzo_morinari | 2014-07-07 14:43 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(0)

Hoka Hey! Ya Ta Hey!/戦うにはいい日、死ぬには手頃な日 ── 黒く塗れ! レッド・テープをぶった切れ!

 
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地震のあとには戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治屋がテレビでデカいことを言い始めてる。俺をバカにして戦争に駆り立てる。自分は安全なところでエラそうにしてるだけ。Imawa-No

災害のあとには甘い汁が降ってくる。甘い汁を吸いたい役人がウラでセコいことをやり始めてる。俺たちをコケにして濡れ手に粟で甘い汁を吸っている。自分たちは安全なところでハンコを押してるだけ。E-M-M


2014年7月1日夕刻。「自衛隊誕生の日」にポイント・オブ・ノーリターンは踏み越えられた。匕首で尻を撫でられた程度のかすり傷ごときで「痛いよお。痛いよお」と絞め殺されるニワトリの断末魔のような耳を劈く悲鳴を上げ(そのうち、板垣退助「板垣死すとも自由は死せず」/犬養毅「話せばわかる」は神話世界の出来事にでもなるんだろう)、首相官邸の赤絨毯の通路で衛視に両腕両脇両脚を抱きかかえられた無様な姿をさらした昭和の妖怪の孫、日本国自衛隊最高指揮官・安倍晋三によって。背後で操っているのは霞が関の魑魅魍魎どもだ。

昭和の妖怪は旧商工省出身、霞が関の魑魅魍魎あがりだった。おまえたち木っ端役人に戦場に送りこまれて死んだ兵士はもっと痛かったぞ。かすり傷ではなく、肉がちぎれ、目玉が弾け飛び、腕や脚がバラバラになったんだぞ、妖怪くん。

これでこの国に暮らす人々は「戦前」「開戦前夜」の日々を生きることとなる。「特定秘密保護法」と名を変えた新・治安維持法はすでにできあがっている。あとは徴兵制度の復活と国家総動員法の成立を待つだけだ。

いまや、日本国憲法第18条にある「その意に反する苦役」という文言は解釈によっていかようにも変えることが可能になった。ときの内閣が「徴兵は苦役ではない」と解釈し、強弁すれば憲法18条は軽々と乗り越えられる。そして、当然に「徴兵制」が我が物顔で復活する。

これから大勢の日本人が「アメリカ合衆国のための戦場」で死ぬだろう。その戦場には正義も国益もない。勝ち負けすらどうでもいいことになる。動機はただひとつ、「儲かること」だ。「儲かること」とは、即ち、守旧派の利益であり、官の利権確保と創出であり、民草を抑えこむための種々の法令、政令、条令、規則、通達、制度/仕組み/組織をつくることである。

日本国憲法を平和憲法として担保していた9条を閣議でいとも容易くねじ曲げることに成功したことに味をしめて、解釈改憲を「前例」として既成事実化するやり口はいかにも霞が関の魑魅魍魎らしい。

先の大戦で責任をとった官僚/役人はただの一人もいなかったことを忘れてはならぬ。2012衆院選/2013参院選で官僚党/木っ端役人の天下り先党である自民党に投票した20数パーセントの者たちと投票すらしなかった者たちの責任とともにだ。ツケはでかいが自分のケツは自分で拭くしかない。だれも尻拭いはしないだろうし、してはくれないが。

民主主義? 寝言は寝てから言ってくれ。日本に民主主義などない。「三権分立」「地方自治」「地方分権」など絵空事もいいところだ。少なくとも、霞が関の木っ端役人/魑魅魍魎どもは日本が民主国家であるなどとは微塵も考えていない。「三権分立? おととい来やがれ!」「地方自治? 地方分権? それってうめえのか?」というのが木っ端役人どもの本音だ。

相互抑制機能がまともに働いていないのに「三権分立」も糞もないし、「地方交付税」「交付金」「補助金」をチラつかせてしばりをかけ、地方の甘ちゃんたちを思うように服従させる傀儡師が地方の自治/自主/自律/自立など慮るものか。

この国は法治国家ですらない。官僚/木っ端役人がお手盛りで好き放題やり放題の勘ちがいも甚だしい官治国家だ。「カーンチ。センソーしよ」とちらと思ったことを恥じる。

日本を戦争へと突進させた稀代の悪法のひとつである「国家総動員法」策定の指揮を執ったのは、当時企画院調査部長だった旧商工省出身(のちに旧逓信省へ異動)の植村甲午郎だ。昭和の妖怪のフンケイの友にして悪だくみ仲間。

植村甲午郎はのちにフジテレビ創設にかかわり、フジテレビ会長/日本航空会長/経団連会長の要職に就いた。札幌オリンピック組織委員長。日の丸飛行隊は植村の手のひらの上で飛翔んでいたわけだ。

裏で日本を戦争に突き進ませた張本人がこの有様だ。フジテレビの大政翼賛は昨日今日始まったわけではないということである。日本テレビにしたところで似たようなものだ。日テレはこれに原発推進邁進猛進驀進のおまけがつく。日テレの創業者である旧内務省出身の元警察官僚・正力松太郎は原子力委員会の初代委員長である。こいつもまた昭和の妖怪の仲良しごっこ一味である。まことに「仲良きことは美しき哉」だ。

松本清張の『深層海流』は植村甲午郎をモデルとして、その暗部を鋭く抉ってみせた。いわゆる、「M資金」をめぐる暗闘、謀略、権謀術数の数々が綿密な取材と証言をもとに松本清張一流の迫真の筆致で描かれている。戦前・戦中・戦後を通じていかにして日本のエスタブリッシュメント、コンサヴァティブ、守旧派、既得権益が形成され、日本をどれほど閉塞させたかを知るのには格好にして必読の書である。

遠い昔、我妻榮が深々とため息をついたあとに、「岸は狂ってしまった…」とただひと言つぶやいたことが思いだされる。そして、レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭の「幸福な家庭はすべてよく似ているが、 不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」という言葉どおりのことが現代の日本で起きていることに愕然とする。民の貧困と窮乏をテコにして官僚独裁国家/軍産複合体国家は着々と強固なものになる。霞が関の魑魅魍魎による「国家乗っ取り計画」はすでにして最終章を迎えつつある。推して知るべし。

霞が関の木っ端役人/魑魅魍魎どもは戦争がやりたくてやりたくて仕方ないのだ。「これで原発事故も震災復興も1000兆円の借金もチャラにできる」「どうせ死ぬのは民草だ」「新しい戦争利権で濡れ手に粟、甘い汁を腹いっぱい吸ってやるぜ」とほくそ笑んでいる。そして、生存権と幸福追求権は容赦なく踏みにじられ、跡形もなく引きちぎられ、木っ端微塵粉々にされ、「健康で文化的な最低限度の生活」が夢のまた夢へと遠のく日々がやってきて、「大政翼賛/大本営発表、撃ちてしやまん、欲しがりません勝つまでは、贅沢は敵だ、大君の醜の御楯と出で立つ我は、1億総火の玉」という寸法である。腐れ電通/外道博報堂はこれら一連の企みに大口をあけ、よだれを垂らして群がるんだろう。今から目に見えるようだ。

守旧派/木っ端役人どもの提灯持ち/御先棒担ぎである腐れ電通/外道博報堂のグランド・デザインの根幹/主軸をなすものは「愚民政策」であり、「衆愚政治」であり、「反知性主義」であり、「蒙昧主義」であり、「一億総白痴化」である。パンとサーカスとスポーツとセックスと娯楽で脳味噌のしわを消し去り、考える力を奪うこと。

これを機会に腐れ電通がなぜ「独占禁止法」の網にかけられないのか、なぜ守旧派の子弟を優先的に縁故入社させるのか、なぜジャニタレ/AKB48をはじめとするジャリタレ、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもに肩入れするのかを考えてみるのも一興である。(秋元康一味/AKB一派はじきに消えるから論外としても、ここ最近のジャニタレの露出は度が過ぎていないか? メディアの番組、記事、広告。ジャニタレだらけじゃないかってのよ。)

今の段階であさってだかおとといだかの方向におつむと目と耳と口が向いているポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウども、「愚民政策」「衆愚政治」「反知性主義」「蒙昧主義」「一億総白痴化」のお先棒を担いでいる天然純朴偽装のインチキマヤカシの輩どもはいずれまちがいなく「大政翼賛」の陣営に拠する。「勝ち目はない」と女々しくキザったらしくスカしてほざく腰抜けチキン野郎もだ。

戦争遂行のためには民主主義も憲法も人権/私権も糞食らえというのが彼奴らの料簡だ。五臓六腑が煮えくりかえり、虫唾が走り、八つ裂きにしても飽き足らない輩はいくたりかいるけれども、筆頭は霞が関の木っ端役人/魑魅魍魎どもだ。

親兄弟、女房子供、戦友朋輩のためならいくらでも命は捨ててやるが、木っ端役人どものためなんぞには鐚一文、木っ端一枚くれてやるものかてんだ。

守旧派/既得権益受益者、木っ端役人どものお先棒担ぎ/提灯持ち/お追従者とは一切与しない。おこぼれなんぞには目もくれない。やるなら手加減なし容赦なしで賭け金と獲物をすべて一切合切いただく。それが吾輩流のModus Operandiであり、至誠一貫である。


Hoka Hey! Ya Ta Hey! Paint it, Black! Break & Roll Over The Red Tape!
さあ、戦うにはいい日、死ぬには手頃な日の始まりだ。黒く塗れ! レッド・テープをぶった切れ!

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*レッド・テープを引きちぎって ── 官僚の殺し方


Hoka Hey! Ya Ta Hey!
 
by enzo_morinari | 2014-07-02 00:10 | レッド・テープをぶった切れ! | Trackback | Comments(4)