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真言の音楽#7 森の奥ではいつも『TRAVELS』が聴こえていた。


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空を見上げ、人生は流れる雲のようなものだとわかったとき、森の奥からパット・メセニーの『TRAVELS』が聴こえてきた。背負っていた荷物をすべて放りだし、音のするほうへ、光のただ中へ向かって走った。森の奥、光の中心にそのひとはいた。森のひとだった。「やあ。ずっと待っていたよ」と森のひとは薪割りの手を休めて言った。森のひとのまわりに飛び散ったミズナラのかけらがかすかに明滅を繰り返していた。 E-M-M


Pat Metheny Group - TRAVELS (1982)
*Grammy Award for Best Jazz Fusion Performance(1983)

【Personnel】
Pat Metheny - Guitar, Guitar synthesizer
Lyle Mays - Piano, synthesizers, Organ, Autoharp, Synclavier
Steve Rodby - Acoustic and Electric Bass, Bass synthesizer
Dan Gottlieb - Drums
Nana Vasconcelos - Percussion, Voice, Berimbau

Producer: Manfred Eicher
Released: 1983
Recorded: July-November 1982
Genre: JAZZ/FUSION
Label: ECM


【Tracking List】
Side I
1. "Are You Going With Me?" Pat Metheny, Lyle Mays 9:19
2. "The Fields, The Sky" Metheny 7:46
3. "Goodbye" Metheny 8:16

Side II
1. "Phase Dance" Metheny, Mays 8:03
2. "Straight on Red" Metheny, Mays 7:26
3. "Farmer's Trust" Metheny 6:25

Side III
1. "Extradition" Metheny 5:45
2. "Goin' Ahead ~ As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls" Metheny, Mays 16:22

Side IV
1. "Travels" Metheny, Mays 5:03
2. "Song for Bilbao" Metheny 8:28
3. "San Lorenzo" Metheny, Mays 13:35

Travels - Pat Metheny Group
by enzo_morinari | 2013-07-05 11:03 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(0)

皇帝のいない夏、視えない自由を撃ち抜くための視えない銃。

 
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 あしたのアズカバンにおいしいダイジをつめて。

 
『海を殺した女』をロマンティックにロックする男の名は別府雅人。限定通称ガジン。愛妾多数。見た目、ロマンティックなクラシカル・ラジカル。黙すこと多し。その沈黙が語る多くは「酷寒のミル・プラトー」に関することである。背後から、あるいは奥底からアンダンテ・カンタービレがときおり聴こえる。中身、ロック。あるいはパンク。あるいはその意志の中心はメタル。あるいは鎮魂。あるいはイストワール。あるいはアクースティック。顔、でかい。だから、ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドだ。
 吾輩は彼にある宿題を突きつけている。「酷寒のミル・プラトー」を喜劇、コメディ・フランセーズでディスクールすることを。ルポルタージュ、ドキュメンタリー、ノンフィクションで「大宅壮一ノンフィクション賞」を強奪することを。ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドならやるだろう。
 吾輩はといえば、目下のところ、「ユニヴァーサル・ノーベル賞」のためのマカロン・パリジャン香るオーパス番号420を構想中である。アリン・スエツングースカとは抗争中である。
 狙った獲物は逃さない。ヴァシリィ・ザイツェフ秘伝の視えない自由を撃ち抜くための視えない銃の照準に狂いなし。照星はヒマラヤ矢車菊色のブルーサファイアでできている。この夏はテロルを決算するための「皇帝のいない夏」となる。

 7月4日に生まれた者とともに昨夜から夜明け前まで繰り返し聴いた楽曲
 Lagos Jump - Third World
 I Shot the Police - Bob Marley & The Wailers
 I Shot The Sheriff - Eric Clapton
 Born to Be Wild - Steppenwolf
 A Horse with No Name - America
 Have You Ever Seen The Rain? - Creedence Clearwater Revival(CCR)
 Indian Reservation - Mark Lindsay & The Raiders
 Ventura Highway - America
 Stand by Me - Ben E. King
 THE ROAD - Jackson Browne
 Late for the Sky - Jackson Browne
 Hotel California - EAGLES
 Get Up, Stand Up - Bob Marley & The Wailers
 Time Will Tell - Jimmy Cliff
 Life In The Fast Lane - EAGLES
 
by enzo_morinari | 2013-07-04 04:35 | 明日のアズカバン | Trackback | Comments(0)

モンスター・レッスン#2「死刑でいいです」と言ってほくそ笑んだ男

 
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 モンスターとは人間の思考の枠組みに対する異議申し立てである。 E-M-M


 刑務所出所後間もなく二人の無辜の姉妹を切り刻んだ男は言った。

 死刑でいいです。

 そして男は薄ら笑いを浮かべた。男の名は山地悠起夫。稀代の極悪人はどこにでもいる気の弱い若造小僧っ子だった。逮捕後、モンスターは嘯いた。「母親を殺したときの快感、昂揚感が忘れられなかった」と。首に縄をかけられるときも、吊るされ、ぶら下がったときも、モンスターは薄ら笑いを浮かべていたことだろう。途轍もない怪物がいたものだ。だが、山地悠起夫は特別特殊ではない。このモンスターの心性は今の時代の「標準」と考えておいたほうがいい。
 法が規定する個別具体的な刑罰は犯罪行為を予防する側面を持つ。一般予防と特別予防だ。「死刑」は究極の予防効果を期待する。通常、「死」をおそれない者はいないからだ。「犯せば死刑になる」という心理が犯罪行為への歯止め、ブレーキとなる。法はそのことを期待する。しかし、死を躊躇なく受け入れる者に法は予防効果を持たず、歯止め、ブレーキとならない。命を捨てたカミカゼ攻撃に有効に対処しうる方策がないのと同様である。大義とは金輪際縁のない姿なきテロリストはそこかしこでそのときが来るのを息をひそめて窺っている。 

 尼崎連続殺人事件の角田美代子をのぞくと、その愚かさにおいて瞠目すべきは山地悠起夫である。逮捕時の凍りつくような薄ら笑い。公判時の言動。過去に母親を惨殺した経緯。父親の他人事のような言動。「条件」は整いすぎるほど整っている。
 角田美代子には「貌」があったが、山地悠起夫には「貌」も「顔」も「表情」もない。当然だ。われわれが現に生きているこのアノニマスな時代は顔と貌を失い、さらには「心」「魂」さえもがあてなく彷徨わざるをえない時代でもあるからだ。
 間延びし、引き延ばされ、のっぺりとした日常は無表情無感動のテロリストの一撃一閃によって木っ端微塵にされる危機を孕んでいる。だれもがテロリストとなりえ、その犠牲者となりうる時代。そのような空前絶後の時代になったのだ。今の段階で言えることは、われわれはつねに山地悠起夫的な犯罪の前に有無を言わさず立たされているということだ。
 モンスター・レッスンはモンスターの攻撃を防御するためのものではない。モンスター・レッスンは、ある日突然襲いかかってくるモンスターの攻撃蹂躙に対して覚悟を決めておくための公正証書づくりである。「死刑でいいです」と言ってほくそ笑む者に対して取りうる有効な防御法はない。なにがしかの効果を持ちうるものがあるとすれば、テロリストに対してはテロリストとなり、殺人者に対しては殺人者となって対処することだろう。時代はまさに「殺人狂時代」に突入したのである。

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by enzo_morinari | 2013-07-03 20:55 | モンスター・レッスン | Trackback | Comments(0)

I am No One#1 赤いスカーフをした緑色のカエルに恋した涙のワンサイデッド・ラヴ

 
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My Name is Ian Moone. I am No One. Ian Sqweegel Moone


どうやら恋しちゃったみたい。食欲がみるみるうちにおちていく。ごはんがまともにのどを通らない。わたしが恋した相手は小説家。会ったこともない。声を聴いたこともない。ネットで知ったひと。顔も声もわからない相手に恋をする? まさか!わかってる。そんなこと。でも……。

ネットで恋をするのは二度目の経験だった。わたしはそのひとのことをネットのブログを通じてしか知らなかった。プロフィールがとにかくすごくて、そこから推測するとかなりの人物か変人かイッチャッテルひとという印象。でもねえ、ネットは自己申告だから。どこまでがほんとかわからないし。はじめのうちはそう思ってやや斜にかまえて更新されるブログを読んでいた。小説っぽいのやエッセイ、哲学論文のようなのや社会派っぽいの、ちょっとドキドキして鳥肌がたっちゃうような怖いのやエトセトラエトセトラ。

わたしはそのひとのブログを最初から時間を追ってむさぼるように読んだ。読んでも読んでも追いつかない。なにしろ、そのひとのブログの更新のすさまじさときたら嵐のようだった。1日に3回も4回も。かなりの気分屋さん、気まぐれな性格のようで、コメントがついてもユーモアたっぷりにリコメントするかと思うと、次の日には無視、スルー、なしのつぶて。かと思うとシャープで気のきいた1行のコメントを返したり。ブログを読み、コメントを読むたびにどんどん魅かれていくわたし。こんなひとはいままでの人生で会ったことがないと思った。すくなくともわたしのまわりにはいなかった。

ネットでは過去に一人だけいた。わたしのネットの初恋のひと。でもだめだめ。ネットの世界、バーチャルの世界だけのことよ。実態はとんでもない悪人かもしれないし。そう自分に言い聞かせてはみるものの、そのひとにというかそのひとの文章や不思議な世界観や美意識にどんどん引き込まれていくわたし。大学院までいって英米文学をはじめとしてかなり文学書を読み漁ってきたわたしですらあいた口がふさがらないほどの世界をそのひとはほぼ毎日、めまぐるしいほどの数のキャラクターや世界を提示して作り上げていた。

もう読むのはやめよう。クリックしなければいいだけのことよ。しっかりしなさい! でもだめだった。気がつけばそのひとのブログのページを開いている自分がいた。コンピューターの前にいる時間が以前の倍以上になっていた。ダメだわ。完全にこれは恋の病よ。それもかなり重症の。

おもいきってメッセージを送ってみた。予想どおりなしのつぶて。メッセージを送って1週間後に返事がきた。あきらめかけていたときだった。詳しいメッセージの内容は書けないけど、文面からはとても誠実で紳士的でまじめな人柄が伝わってきた。メッセージの最後にはこう書かれていた。

手元に残っている古いものでよろしければ小生の著作を何冊かお送りします。ただし、決して住所、電話番号等の個人情報に類するものは小生宛に知らせないでください。お住まい直近の佐川急便かクロネコヤマトの営業所留めでお送りいたしますので、営業所がわかった時点で再度メッセージをください。

それとお願いですが、わたくしの著作がお手元にいってわたくしのことがあなたにあらかたわかってしまうわけですが、私の名前(筆名等)をネット等で口外されませんように。

わたくしのことがわかるブツをお送りすることにしたのは、あなたのプロフィールやメッセージやブログのテクストを読み、信頼できる方であると判断したからです。あなた以外の方からも同じようなお申し越しがかなりありますが、たいていはお断りしてきました。そのことでずいぶんとネットでも叩かれましたのでやや用心深くなっております。

小生はインターネットにおいて顔も名前も正体も素性も不明な者として、つまりはアノニマス・パースンとしてなににも縛られず、しがらみを慮ることもなく自由に表現をしていきたいと考えている者です。書物・書籍を通じての表現はもううんざりなのです。そのあたりをどうぞ御理解いただきますように。


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わたしはすぐにすべて了解であるという旨のメッセージとネットで調べて近くのクロネコヤマトの営業所名をコピペして送った。

翌日、とても丁寧でセンスのいいラッピングがされた本がクロネコヤマトの営業所に届いた。はやる気持ちをおさえて包みをあけた。著者名をみてわたしは驚きでその場にへたりこんでしまった。

わたしが中学生のころから愛読していた小説家だった。しかも、すべてに署名がしてある。さっそくお礼のメッセージを送ろうと思ってそのひとのブログを開くと、そこには日本を離れ、外国に移住する内容のことがユーモアとエスプリとウィットがちりばめられた文章と画像で記されていた。しかも、日付は2037年と2036年の4月1日。

エイプリルフール。未来のエイプリルフールからのメッセージ。胸をなでおろした。よかった。こころの底から安心した。と思ったのも束の間、そのひとは7月1日、本当に日本を去ってしまった。しかも、心憎いほどの仕掛けがほどこされたブログを残して。

わたしは涙が止まらなかった。声をあげて泣いた。号泣。そのひとのあたたかさがダイレクトに伝わってきて。こんな経験は初めてだった。ネットにある文章でも動画でもおもしろいとは思っても、号泣することなどありえない。日本にインターネットがやってきたときからネットをやってきたわたしがだ。ネットの裏表、酸いも甘いも知っているわたしがだ。

わたしの片思いの相手は遠く去ってしまった。会いたい。会って話がしたい。声を聴くだけでもいい。でも無理よね。あのひとはだれとも会わないと書いていたし。会えば夢が現実になってしまう。これほどつまらないことはないとも書いていた。たしかに。そのとおりだわ。なんでもお見通しなのね。大センセイ。と妙に納得していたきょうの昼過ぎ、そのひとからメッセージがきた。「あなたに驚くべきことを教えます」とそのメッセージは始まっていた。そこには……。

いまから20年近くも前に、当時大学生だったわたしがよくやっていたチャット・ルームのことが独特のユーモアとエスプリと知的な香りのする文章で書いてあった。そして、なんと!

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あなたはBEKKOAMEチャットではペペロンチーノ・ガールというハンドル・ネームでチャットをされてましたよね?そのとき、赤いスカーフをした緑色のカエルのキャラで、アルカエルというハンドルネームの人物とチャットをしたのをおぼえていらっしゃいますか?

おぼえているどころの騒ぎではなかった。わたしがネットで初めて恋をしてしまった相手がアルカエルだったんだから!

アルカエルさんは当時のBEKKOAMEチャットでは一番の人気者だった。アルカエルさんがいるチャット・ルームはすぐに満室になった。だれもがアルカエルさんとチャットしたがった。とにかくチャットの内容がユーモアたっぷりで知的でスピード感があって気がきいていた。チャット仲間のだれもがアルカエルさんの虜になっていた。とにかく謎と不思議に満ちていた。だけど、アルカエルさんはけっして正体をあかさなかった。

いくら誘ってもオフ会には絶対に参加しない。メアドも電話番号も教えない。「吾輩はアノニマスに生きるのである!」というのが口ぐせだった。

いまから思えば20歳そこそこであるメジャーの文学賞をとって、当時はすでにプロの作家だったのだ。そりゃ、チャットでおもしろいのも納得できるわね。なにしろ知的なレベルとセンスがけたはずれだった。

文学、哲学、法律、語学、歴史、音楽、美術、政治、食、スポーツ、アウトドア、植物、動物etcetc. 百科事典みたいだとわたしは思った。しかも、そこにちゃんとオリジナルの解釈とストーリーがあった。どんな些細なことからでも物語を作り上げてチャットしてくれた。そりゃね。東大だもんね。しかも法学部。しょせんあたまのできがちがうわよ。私大文系とは……。もちろん当時はそんなこと知らなかったけど。

チャットの語り口はとにかくスマートでクールだった。「伝説の謎のネチズン」としてインターネット関係の雑誌に取り上げられたこともある。村上春樹ではないかというまことしやかな噂も立った。そして、ある日突然、アルカエルは消えた。

当時はまだインターネットの回線環境もコンピューターの性能もよくなかったし、サイトといっても数は少なくて、いまのように百花繚乱の世界ではなかった。インターネットといってもまだまだ狭かった。そのうち、アルカエルさんともネットで再会できると思っていたが、それはおおきなまちがいだった。アルカエルは完璧に消えた。ちりひとつ残さずに。あれはまぼろしだったのではないかと思えるくらいに。

アルカエルさんが消えて半年くらいはアルカエルの消息のことでBEKKOAMEチャットはもちきりだった。いまほどではないけれど、ネットは足がはやい。すぐに忘れる。忘れられる。にもかかわらずアルカエルさんが忘れられることはなかった。半年もだ。これは驚異的と言っていいことだったな。

メッセージを読んでいる最中に立ち上げていたスカイプにコールがあった。IDはalcael。もう! わたしは泣き出しそうだった。

「わたくしがあのときのカエルです」
「アルカエルさん!」
「はい」
「信じられません」
「わたくしもです」
「わたしがペペロンチーノだってなぜわかったんですか?」
「文体。リズム。句読点のくせ。修飾語の用法。目線。眼差し。吾輩は筋金入りの言語表現者ですよ。お忘れなきよう」
「スカイプのIDはどうして?」
「手持ちの情報、過去のBEKKOAMEチャットでのあなたの発言や現在のプロフィール、ブログ。それらからいくつかのIDを推定しました。3回目のコールでビンゴです」


まいりましたよ。赤いスカーフをした緑色のカエルさん。アルカエルさんにはやっぱり勝てません。今も昔もこれからも。「お会いしたいな」とタイプしたけど、「送信」ボタンは押さなかった。帰ってくる答えはわかっていたから。

あーあ。それにしても、アイ・ゴー・クレイジーだわ。こんなときに100パーセントかなうはずのない恋をしちゃうなんて。しかもおなじ相手に二度も。涙のワンサイデッド・ラヴね。今夜はひとりでヤケ酒よ。

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by enzo_morinari | 2013-07-03 08:08 | I am no one. | Trackback | Comments(2)

「不細工な男は髪を染めるセオリー」そして、原・痕跡あるいは原・エクリチュール

 
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プロトンから抜け出した人食い鬼エディ・メルクスと宇宙人ランス・アームストロングがマドレーヌ峠で体脂肪率と心肺機能と最大酸素摂取量のちがいを見せつけて先を行くグルペットに「死刑宣告」を言い渡しても、われわれは一向に解決の糸口を見いだせずにいる。

われわれが抱える問題はあくまでも数値化されたリアリティを求めている。0か1か。それが答えだ。われわれを邪魔し、われわれの行く手を阻んでいるのは 「不細工な男は髪を染めるセオリー」の典型である東浩紀だ。

東浩紀が憎い。浅草松木の肉が喰いたい。憎しみ遊びもしたい。ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドもまったく同意見である。ここだけの話だが、田原聡一朗もだ。田原聡一朗はテレ東野郎だが、この際、「敵の敵は味方セオリー」を御都合主義的に援用し、敷衍することとする。このことは吾輩とビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドが目指すもの、すなわち、「言語の解体と破壊」のための制度的保障である。担保がなければ指一本動かせない。おねいちゃんのうなじに息を吹きかけることすら不可能なのだ。

そもそも、「制度的保障」なる仕組みは、慟哭の20世紀初頭にカール・シュミットがヴァイマル憲法において提唱したのが始まりとされているが重大な事実誤認がある。

ヴァイマル憲法の最大の特徴である人権保障規定の斬新さについては、吾輩とビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドの「大学の自慰問題」「大学の15分をめぐるパラパラマンガの暗躍」にかかる還付なき源泉徴収的カンパニョーロ社製スーパーレコードの全面カーボン化への取り組みがおおいに貢献していることだけは頭をアマゾン川源流ほども大きくして申し述べておきたいところではあるが、ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドが左横に大きな顔をして居座り、吾輩の脇腹のわずかな贅肉をプニプニフニュルフニュルするのできょうのところはやめておく。

さて、問題は昼めしにひらまつ亭特製の土留め色をした味噌糞便弁当(リアルシット・ランチプレート)を食べたのではないかというほどの悪臭口臭を撒き散らしまくる散種野郎、「不細工な男は髪を染めるセオリー」の典型である東浩紀の処遇と死刑宣告だ。

この期に及んで寝言と戯言を繰り返す「不細工な男は髪を染めるセオリー」の典型である東浩紀の正体はヒットラー・ユーゲントである。アルチュセールをパクって亡霊とし、ハーバーマス教授の尻小玉を抜き去って尻抜けさせた張本人が言っているのは簡略化すればこうだ。

「AはAです。BはBです」

吾輩とビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドは声を揃えて言ってやった。

「おまえはなにも言っていない!」

そして、吾輩は凄味と脅しをきかせてつづけた。

罰としておまえには茶髪禁止、オール剃り込み、スキンヘッド、「朝まで生テレビ」への出演禁止、「死ぬまで生ナマポ」への無料出演、語でも概念でもないものを一日に10個生み出し、われわれに上納すること。いいな?

寝言と戯言を繰り返す「不細工な男は髪を染めるセオリー」の典型である東浩紀はモサドの精鋭部隊に追われるヒットラー・ユーゲントの小僧っ子のように怯え、青ざめ、そして、力なくうなずいた。こうして、「不細工な男は髪を染めるセオリー」の典型である東浩紀はわれわれの軍門に下った。

シルトの岸辺で、原・痕跡あるいは原・エクリチュールの縹渺とした嘆きが夕闇のただ中に屹立するモーリス・ブランショ邸の城の中の番人、白い人黄色い人の境界に溶け入ろうとしている。
 
by enzo_morinari | 2013-07-02 17:10 | BAD BOYZ | Trackback | Comments(0)

新宿2丁目池の坊イケコの逆襲とカンディンスキーのヤケイコポリンスキー

 
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 新宿2丁目池の坊のイケコをポパイの急階段から突き落として以来のいい朝だった。この夏初めての7月の初めの日の週の初めの月曜日の引っ越しにはうってつけだった。火照ったからだにカラムーチョ・ドンタコス・シャワーを浴びて、体中にまとわりつく酸っぱいにおいのするカルビーカッパエビセン・キシュービシューミトミトミトウメ汗とカルビーカッパエビセンベニショウガテン汗を流したまでは。モダンアート引越しセンターのカンディンスキーのヤケイコポリンスキーが大挙してやってくるまでは。なにしろ、モダンアート引越しセンターのカンディンスキーのヤケイコポリンスキーどもは、すべてにおいてポストモダンしていて、差異、差延、ディフェランスこそが語ることを可能ならしめる事態を軽々とやすやすとやってのけるのである。しかも、散種。ディセミナシオン。撒き散らされし者たち。おまけに匿名にして顔なし。

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 顔のない貌の群れが「ほいほいほい」「ポリンスキーポリンスキー 三角形の秘密はね。ポリンスキー ポリンスキー 美味しさの秘密はね。教えてあげないよっ。ジャン♪」と掛け声をあげ、歌いながら迫ってきてドリアングレイなランチをまともに食べられる者などいない。しかも、人類が知を手に入れて以来の謎、諏訪湖の湖底深く沈んだ小池和夫の呪いがかかった「三角形の秘密」を持ち出されて。ワールドワイドウェッブ網目状の三角形の秘密。コミケなのかコミュニケなのかネコの三毛なのか小池さんのラーメンの伸び具合のことなのか判然としないシュレディンガーキャットの生死のごとき曖昧模糊とした状態。コイケヤの「湖池屋」は湖と池の中間派なのか。ワーデル・グレイということか? 問いはいくらでも鎌首をもたげてくる。ここは一番、生ける成増5丁目伝説、ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドことジャン・ポール・ベルモント・ポリンスキー伯爵の登場を待つほかないというのがエスベーベーOBの一致したニチギン・イイダモモである。新宿2丁目池の坊イケコの逆襲が北海園の肉うま煮そばのドンブリの裏で息をひそめて機が熟すのを待っているのがはっきりと感じられた。熱い夏になりそうだ。

【参 考】
「古代日本においては三は二つの対立する概念を超越した完全な調和を意味し、其れを食することによって神産巣日神の霊力が体内に宿ることを期待したのである。即ち、之こそが霊力の宿りを意味しているのであって、三角形以外はおむすびではなく、単なる握り飯であるということなのだ。ゆえに、裸の大将においてすらも”ぼぼぼくはおむすびが大好きなんだな”と宣うのであり、アンパンマンも”おにぎりマン”ではなく”おむすびマン”なのである。」(民明書房刊『古代日本における料理の三角形』)

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by enzo_morinari | 2013-07-01 18:02 | カンディンスキーポリンスキー | Trackback | Comments(0)