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真言の音楽#22 ライ・クーダーはタバコ何本分待ったのか? Buena Vista Social Club

 
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名もなき者たちが起こした奇跡はライ・クーダーの一人旅から始まった。 E-M-M


荒野にいるときより都会にいるときのほうが孤独を感じるロンサム・カーボーイのライ・クーダーにとって、ハバーナは「帰りたい街、帰れない街」でもあったか。ライ・クーダーはタバコ何本分待ったのか? ウォーレン・オーツの首を探し出し、持ち帰ることはできたのか? それらの問いについて考えながら聴くのは『Buena Vista Social Club』こそがふさわしい。人生は考えているよりもずっとシンプルにできている。
1996年当時のBuena Vista Social Clubの主要なオリジナル・メンバーのほとんどはすでにして鬼籍に名を連ねている。いつの時代も「奇跡」は足が速い。
のちに制作される同名の映画は『Paris, Texas』『ベルリン/天使の詩』のヴィム・ヴェンダースが監督している。映画も必見である。人生は考えているよりもずっとシンプルで、思っていたよりもはるかに景色がいい。


Buena Vista Social Club - Buena Vista Social Club (1996)

Data
Released: September 16, 1997
Recorded: March 1996
Genre: Latin, Son, Cubano, Bolero, Guajira, Salsa, Rumba
Length: 60:00
Label: World Circuit, Nonesuch
Producer: Ry Cooder

Track listing
1. "Chan Chan" – 4:16
2. "De camino a la vereda" – 5:03
3. "El cuarto de Tula" – 7:27
4. "Pueblo nuevo" – 6:05
5. "Dos gardenias" – 3:02
6. "¿Y tú qué has hecho?" – 3:13
7. "Veinte años" – 3:29
8. "El carretero" – 3:28
9. "Candela" – 5:27
10. "Amor de loca juventud" – 3:21
11. "Orgullecida" – 3:18
12. "Murmullo" – 3:50
13. "Buena Vista Social Club" – 4:50
14. "La bayamesa" – 2:54

Members/Personnel
Ry Cooder (guitar) 1947 - Present
Juan de Marcos González (vocals) 1954 - Present
Ibrahim Ferrer (vocals) 1927 - 2005
Rubén González (piano) 1919 - 2003
Pío Leyva (vocals) 1917 - 2006
Manuel "Puntillita" Licea (vocals) 1921 - 2000
Orlando "Cachaito" López (bass) 1933 - 2009
Manuel "Guajiro" Mirabal (trumpet) 1933 - Present
Eliades Ochoa (guitar) 1946 - Present
Omara Portuondo (guitar) 1930 - Present
Compay Segundo (vocals, guitar) 1907 - 2003
Barbarito Torres (lute) 1956 - Present
Amadito Valdés (percussion)
Joachim Cooder (percussion) 1978 - Present

Buena Vista Social Club

Chan Chan/Songwriters: Repilado Munoz, Maximo Francisco
De Alto Cedro voy para Marcane
Llego a Cueto voy para Mayari
(Repeat x3)

El cariño que te tengo
Yo no lo puedo negar
Se me sale la babita
Yo no lo puedo evitar

Cuando Juanica y Chan Chan
En el mar cernian arena
Como sacudia el 'jibe'
A Chan Chan le daba pena

Limpia el camino de pajas
Que yo me quiero sentar
En aquel tronco que veo
Y asi no puedo llegar

De Alto Cedro voy para Marcane
Llego a Cueto voy para Mayari
(Repeat x3)

(Instrumental solo)

De Alto Cedro voy para Marcane
Llego a Cueto voy para Mayari
(Repeat x2)

De Alto Cedro voy para Marcane
Llego a Cueto voy (slowly) para Mayari


(English)
From Alto Cedro, I go to Marcan
I arrive in Cueto, and then I go towards Mayar.

The love I have for you
is something I cannot deny
I drool all over
I cannot help it.

When Juanica and Chan Chan
sifted sand at the beach

Chan Chan felt sorry/shame

Clean the path of straw
cause I want to sit down
on that tree trunk I see
and that way I'm never going to arrive

From Alto Cedro, I go to Marcan
I arrive in Cueto, and then I go towards Mayar.


アルト・セドロを出発したらマカネへ行き
クエトに着いたら次はマヤリーに向かう

おまえへの想いをおれは捨てきれない
所かまわずおまえが欲しくてしかたない

ファニカとチャンチャンが浜辺の砂をふるいにかけてたら
女の子がオッパイをゆさゆさと揺らすのでチャンチャンは恥ずかしくて顔を染めた

木陰でひと休みしたいから道端の麦わらをどけてくれよ
こんなことだからいつまで経ってもどこにもたどり着けないんだ

アルト・セドロを出発したらマカネへ行き
クエトに着いたら次はマヤリーに向かう
 
by enzo_morinari | 2013-07-31 01:54 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(4)

ゆるゆる王国#4 軽やかな絶望と3種類のサラダと坂本慎太郎のうた

 
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 昏睡の季節、紡錘形の静寂が支配する家における軽やかな絶望と3種類のサラダと坂本慎太郎のうた

 遠い空から降ってくるっていう幸せってやつがあたいにわかるまで
 あたいタバコやめないわ プカプカ プカプカプカ
Z-K-Z


 午前中にサフラン摘みをした日の昼餐は、由良デリコが「パウル・クレーの食卓」と呼ぶホンジュラス・マホガニーの8角形のテーブルで行われる。パウル・クレーの食卓に並ぶのは決まってサフラン・ライスとチキンのグリーンカレーとサラダだ。きょうのサラダは3種類。
 フルーツトマトとリコッタチーズを野菜の森で覆い隠したサラダ。
 ルッコラとザワークラフトとリンゴと胡桃とサヴォワ地方のコンテチーズと野生のスミレのサラダ。
 ローズマリーで燻したハムとサラダ菜と湯がいたブロッコリーとチェリートマトと黒オリーヴとパルメザンチーズの薄切りにアイオリソースがかかったサラダ。
 サラダだけでお腹がいっぱいになってしまうが、パウル・クレーの食卓に並んだものはひとかけらたりとも残すことはゆるされない。残したりすれば由良デリコの一閃によって鼻か耳たぶか指先が切り落とされることになる。まだしばらくは五体満足でいたいのでどれほど苦しくてもパウル・クレーの食卓に並んだものはすべて食べつくす。由良デリコは特にサラダに関して異様なほどのこだわりと執着を持っているので、毎回、サラダはとても手のこんだものが作られる。量も並大抵ではない。サラダボウルに山盛り。しかも、きょうのように何種類も。今までで一番多かったのは42種類だ。
 孤独なオートバイにまたがり、月の滴をなめながらときどき考える。いったい死ぬまでにどれくらいの量の、何種類のサラダを食べることになるんだろうと。もちろん、答えは出ない。これもひとつの確かな絶望だ。軽やかな絶望をたのしむために坂本慎太郎の『傷とともに踊る』と『まともがわからない』を交互に聴く。それで少しは絶望のダンスのステップは軽やかさを増す。素晴らしいことだ。 食事を終えた由良デリコは『プカプカ』を口ずさみながら、涼しい顔でタバコを吹かしている。モクモク共和国のラパタータ・マニョーリア大統領を虎の門のJTビルから突き落としたことなど知らぬげに。
 
by enzo_morinari | 2013-07-30 20:47 | ゆるゆる王国 | Trackback | Comments(1)

ゆるゆる王国#3 モクモク共和国の逆襲

 
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 そんなわけで、出会ったその日に私と由良デリコはゆらゆらゆるゆるとシコシコすることになったわけだが、問題がなかったわけではない。由良デリコはトヨバーバの妹のユバーバの怒りと呪いを受けて右眼を名無しの眼無しに奪われていて、隻眼の真っ最中なのだ。
 由良デリコはゆらゆらしているようにみえて、その実、精神はいつも研ぎ澄まされている。ジレットとフェザーとシックが束になってかかっても敵わないほどだ。不用意に由良デリコに触れようものなら指先はすっぱりと切り落とされてしまう。由良デリコはこの現象を「象限ナイフ」と呼んでいるが、象限ナイフによって切り裂かれた傷口からはスライム色の液体がゆらゆらと滲み出てくる。この滲出はとどまることがない。内部、実体、実質がすべて外部に滲みきって露わになるまで。スライム・ジュースは微量ずつしか滲出しないので内部、実体、実質が外部に出きってしまうまでには何十年もかかる。スライム・ジュースがそこそこおいしいのでお愉しみがないわけではないが、傷口を持つ者はきわめて緩慢な死を常に現前に突きつけられた生を生きる困難を抱えつづけることを思えばよろこんでばかりはいられないのもまた事実だ。実際、由良デリコの一閃によって受けた傷が元で猛烈な勢いで脱毛し、消耗し、ついには吉岡ミノールとキダ・ミノールのアイノコにされた者は少なからずいて、彼らは一様にヅラヅラしく物事をズラしまくり、テレビ受像機の位置をズラしまくり、国境線さえズラしまくり、赤坂とお台場をズラしてTBSとフジの視聴率戦争を煙りと鬘に巻き、オヅラトモアキも脱毛もとい脱帽するほどのヅラ猛者になる。
 そのような次第で、由良デリコの神経はいつも、つねに研ぎ澄まされていて、視野視界が半分になった分、聴覚聴力は常人をはるかに超える能力を持つに至っている。しかも、精神神経がぴりぴりと張りつめているので、外部、他者、世界が発する片言隻句を聞き逃すまいとして意識を集中させるものだから、それに応じるかたちで残った隻眼がギロギロと前後左右上下に蠢く。異様な姿だ。
 南蛮伴天連寺の門前の小僧から和泉屋染物店の番頭にまで昇りつめた木下杢太郎が地獄の地下一尺にある穀倉で独立宣言し、誕生したモクモク共和国のラパタータ・マニョーリア大統領がモクモクプカプカさせて禁煙ルームに乱入してきたときも、由良デリコの神経はアスピリン錠を100錠まとめて飲んだのと同レベルのピリピリ具合であり、しかも、前の晩の私とのゆらゆらゆるゆる苦しみ遊びがうまくまぐわえなかったこともあって至極不機嫌だった。由良デリコの大一閃によって国力を半分ほどに殺がれていたモクモク共和国大統領であるラパタータ・マニョーリア女史としては、なんとしても雪辱を果たすと同時に由良デリコに一矢を報おうと虎視眈々、たんたんたぬきのキンタマだった。風が吹く。風がないのにブラブラでも風が吹く。
 
by enzo_morinari | 2013-07-30 11:03 | ゆるゆる王国 | Trackback | Comments(0)

ゆるゆる王国#2 由良デリコとS-F-Pのマキ・サエグーサのエンターザドラゴン

 
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 鼻行類ウォッチングのために訪れた東京都庭園美術館で偶然知り合ったアール・ヌーヴォーデコンストリュクシオン・コンセプシオンが急死して3日目。アール・ヌーヴォーデコンストリュクシオン・コンセプシオンの臼歯を形見としてもらったはいいけれども、その使い道に意識の底部がゆるゆるした。そのような生煮えの意識状況を打開するために青い心の所有者、いつかの代々木のいつかの甲本のベロべろべろを1時間ほど鑑賞してからリンダリンダ・マネーロンダリングすることにした。一人ではアレでソレでコレでメンソーレでメンソールでレーゾンデートルが危うくなってしまいそうなので、由良デリコを誘った。
 由良デリコはいつもゆらゆらしている。ゆらゆらしているけれどもゆるくはない。アスコの具合はキリキリコリコリゴリゴリキュキュである。由良デリコは裸の王様の直系血族だが、そのことは内緒にしたいらしい。由良デリコの口ぐせは Aha! All We Want! だ。

 由良デリコと初めて会ったのは代々木のルースBというシケて難破寸前のライヴハウスだった。その日のライヴはニック100万発分の憎っきゆらゆら帝国とわがゆるゆる王国との異化するタコスバンド天国合戦の最終日であって、由良デリコは隣りの席でひとりぼっちの咳をしながら乳首の席替えと隻眼の洗浄のためのサイケデリックなフラワートラベリンバンダナを頭に巻き、S-F-Pのマキ・サエグーサと一緒にゆらゆらとスインギーにジグリーシマリングスウェイしていた。タテノリともヨコノリともハコノリともフジワラノリカノリともアサクサノリともホリコシノリともちがうエキセントリックなノリ方だった。由良デリコの不思議で風変わりなユラユラノリノリに見蕩れていると、由良デリコと一緒に揺れていたS-F-Pのマキ・サエグーサがマーサー・ガーサー風な笑みを浮かべながらラ王ラオス語で言った。
「ねえねえ、新わらしべシステムにいっちょ噛みしてみない?」
「いいけど、なにかいいことあんの? その新わらしべシステムにいっちょ噛みすると」
「あるあるどころの騒ぎじゃないよ!」
「きみとメイクラヴできるとか?」
「それムリムリ! あたしには穴という穴がないから。ないというより、歌う犬どものための弦楽四重奏好きの宇宙を支配する巨大な意志の力によって封印されちゃってるんだ。あんたは好みのタイプだし、頭もよさそうな上唇と鼻腔をしてるからヤリヤリしたいのは山々なんだけどね。でもさ、ヤリヤリなんかより、もっとイケイケでハフュッフェンで偽物ボブでトヨバーバなことがいっぱいお待ちかねだよ、新わらしべシステムやると」
「オーケイ。じゃあ、大橋巨泉の分と石坂の兵ちゃんの分とシコりに向かっている途中に権田原でジコる前のビトー・タケーシの分も併せて頼むよ。いくら?」
「イクラ? 鮭はカンケーしてねーし。っつーか、ゼニカネかかんねーし」
「なにそれ? タダってこと?」
「そうだよ。新わらしべシステムは精神の空洞を埋めるための道徳律の領域に属することなんだ。早い話が心がけ。わかる?」
「うーん。生長の家とか奉仕団とかインナートリップとかとはちがいがあるわけ?」
「ちがうに決まってるジャン! ジャーン! ポリンスキー♪ ポリンスキー♪ 三枝形のヒミツはね。教えてあげないよ! ジャン!」
「えっ?」
「えってなにが?」
「いや、オチはどこにあるのかなと思って」
「オチ? ジャンがオチじゃん」
「ジャンがオチって言われてもな」
「じゃあ、これでおじゃんね。火焔太鼓の時間だから」
「めちゃくちゃだなあ」
 マキ・サエグーサは火焔太鼓を担いで舞台に駆け上がってしまった。ゆらゆら帝国とゆるゆる王国が壮絶なゆらゆらゆるゆるバトルの最中だというのに。由良デリコは我関せず不条理ゆえに吾信ずとばかりにゆらゆらとスインギーにジグリーシマリングスウェイしている。
 
by enzo_morinari | 2013-07-30 04:36 | ゆるゆる王国 | Trackback | Comments(1)

テンギャン・クマグス、漱石と鴎外の「沈黙合戦」を一蹴。そして、縄文革命へ

 
アカエイと淫する南方熊楠翁のガマン汁の元は粘菌である。

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すでに我が国馬関辺では、アカエイの大きなのを捕えて砂上に置くと、その肛門がふわふわと呼吸に連れて動くところへ、漁夫が夢中になって抱きつき、これに婬し、終わるとまた他の男を呼び、喜びを分かつのは、一件上の社会主義とでも言うことができ、どうせ売って食ってしまうものなので、姦し殺したところで何の損にもならない。情欲さえそれで済めば一同大満足で、別に仲間以外の人に見せるのでもないので、何の猥褻罪も構成しない。かえってこの近所の郡長殿が、年にも恥じず、鮎川から来た下女に夜這いし、細君がカタツムリの角を怒らせ、下女は村へ帰っても、若衆連中が相手にしてくれないなどに比べれば、はるかに罪のない話である。 南方熊楠『人魚の話』

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さて、古今東西に並ぶ者なき「森羅万象の巨魁」「知の大巨人」である南方熊楠翁の記憶力、博覧強記ぶりにはほとほとあいた口が塞がらぬ吾輩である。

ある小春日和、武蔵野の小春おばさんの家の縁側で日向ぼっこがてらに『和漢三才図会』の綴じを繕っていた南方熊楠翁が突然、「きみきみ。近頃、中沢新一とかいう小僧がバッハバッハと喧しいようだが、あれはいったいぜんたいどういう料簡なのだ?」と言い、「耳にたいそう小癪なので、行ってどうにかしてきてくれまいかね?」と吾輩を促した。

「先生がどうしてもと仰るのであれば、わたくしとしてはその中沢新一とかいう小僧を野うさぎと一緒に煮るなり、野生野蛮焼きするなり、チベットまで蹴り飛ばすなりいたしますが、どういたしましょうか?」
「どうしてもというほどでもないのだがね。小癪に障るていどなのだがね」
「ではこうしましょうよ、先生。先生秘伝の粘菌汁の大元を少しくわたくしに分けていただけますまいか? ちょいとこのごろ、アレのほうの塩梅がいまいち潤いに欠けておりますもので」
「きみきみ。それはまた随分と難儀なことを申し向けてくるじゃないかよ。吾輩も寄る年波でアッチもコッチもガタが来ているところへもってきて、昨今の愚劣愚鈍な土地開発土地改良によって粘菌どももめっきり数が減っているのだよ。よって、粘菌汁の手持ちは吾輩の分しかない」
「うーん」
「ではこうしようじゃないかよ。アカエイのいいのをつらまえて、きみに極上極楽の思いをする秘法を伝授しようじゃないか」
「ええええええっ! あの湯ぼぼ酒まらを凌ぐとも言われるアカエイボボリコをですか!」
「そうさ」
「是非是非にお願いいたしますよ、先生!」
「よし。わかった。ではさっそくアカエイをばとっつかまえにいこうではないかよ」

こうして、南方熊楠翁と吾輩はアカエイ獲りの仕度に取りかかった。

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「クマグス曼荼羅」発、『河内のオッサンの唄』着

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クマグス曼荼羅、秋艸堂の結界を破る。千曲川のスケッチブックに綴られる海上の道と遠野の里の物語。そして、河内のオッサンの唄


「秋艸堂で釣竿一式借りることにしよう」

クマグス先生は言うが早いかダットサンを上回る脱兎の勢いで走り出した。吾輩もあとにしたがった。クマグス先生の俊足はつとに知られている。和歌山県陸上競技連盟の公式記録には若きクマグス先生が百メートルを10秒代前半で走ったとある。まさに天狗である。実際のところ、クマグス先生は正真正銘の天狗なのであるが。正確には「先祖がえり」の一例である。

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明治通りでスカした舶来車やらRV車どもを蹴散らしながら疾走し、学習院を横目に雑司ヶ谷の墓場際の秋艸堂に到着するなり、クマグス先生は大音声を発した。

「會津はいるか! 八一はおらんのか!」

中からはなにも声がしない。門は固く閉ざされている。と、クマグス先生は右の指先で虚空に梵字をいくつか切り、クマグス曼荼羅を出現させた。それからおもむろにクマグス曼荼羅を口にくわえ、一瞬気配を消したと思うそのすぐ先に一気呵成に「八一の結界」を破る。門は木っ端のように軽々と開いた。

「罷り通る!」

クマグス先生が結界を越えて一歩足を踏み入れた途端に、秋艸堂の庭の樹々がわさわさと喜びの声をあげた。

會津八一はいなかった。あるいはどこかに潜んでいるのかもしれないが姿はみえない。家の者もいない。クマグス先生はさっさと着物を脱いで褌一丁になると大広間の畳の上に大の字になった。そして、すぐに大鼾をかきはじめる。吾輩は手持ち無沙汰に會津八一の蔵書の中からカネになりそうなのを見繕ってさっさと懐におさめた。そして、吾輩もパンツ一丁になり、クマグス先生の横に寝転んだ。

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ひとつどきも過ぎた頃か。クマグス先生と吾輩の枕元にとんぼ眼鏡をかけた末生りがこれ見よがしに千曲川の瀬音を響かせながら立っている。

「先生、先生。島崎の野郎が来ましたぜ」
「ん? なに? だれが来たって?」
「島崎ですよ。島崎のハルキンボです」
「あ。ハルキンボめ! ここで会ったが百年目と思え!」

クマグス先生が怒鳴る。震え上がるハルキンボの末生り瓢箪のような肩越しにコケシとホトケさまを足したような風情、たたずまいの柳田國男が満面の笑みを浮かべて大黒柱に抱きついているのがみえる。

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「やいやい、ハルキ! ハルキンボ! おまえ、柳田のひとがいいのをいいことに椰子の実を盗みやがったな?」
「あ。それは、そ、そ、それは ── 」
「ソもラもシもあるか! ファドはポルトガルのブルーズだ! おぼえとけ! 姪っ子と乳繰り合うような下衆外道には椰子の実を盗むくらいはどうということもなかろうけれども、おまえのインチキマヤカシ銀流しは先刻お見通しだ。いったいうすらの女子をどれほどもいてこましたのだ?」
「そ、そ、それは、それは、百と八人ほど」
「きさま! ヤルにこと欠いて煩悩の数だけ天津摩羅命、天照眞良建雄命をおっ勃ておったか! ハルキンボ! ここに八一がいようものなら、おまえただではすまんぞ!」

「天下御免の會津八一である! 會津八一を知らんか!」と大音声を発して入ってきたのは秋艸道人、會津八一であった。

「あ。會津。どうしておまえがここにいる?」と南方熊楠翁やや拍子抜けした様子でたずねた。
「ここはおれんちだ。おれんちにおれがいてなにが悪い。なにか奇矯か? そんなことより、きょうこそはお弟子にしていただくのである!」
「おまえ、いちいち大音声を発せんでも聴こえるから」
「声のでかいのは地である! 天下御免の會津八一である! 會津八一を知らんか!」
「だれもきいてないから。おまえが會津八一であるのはここにいる全員知ってるから」
「秋の日は義淵が深きまなぶたにさし傾けり人の絶え間を」
「聴いてないから!」
「一、ふかくこの生を愛すべし 一、かへりみて己をしるべし 一、学芸を以て性を養ふべし 一、日々新面目あるべし いまよりは天の獅子座のかがやきを大人のまなこと観つつ励まむ」

會津八一は鬼の形相で絶叫をつづける。そのそばから島崎ハルキンボこと島崎藤村が歌いだす。

「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」
「黙れ! スケコマシ!」
「君がさやけき目のいろも 君くれないのくちびるも 君がみどりの黒髪も またいつか見ん この別れ」

クマグス先生が怒鳴ってもハルキンボはやめない。今度は柳田國男が呪文じみた言葉を吐き出しはじめた。

「ナニャドヤラナニャドヤラナニャドヤラ ナニャドナサレテナニャドヤラナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエナニャド ヤラヨーナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド」
「おまえたち! いいかげんにしろ!]

だれもやめない。

「よおし。おまえたちがそうなら吾輩だって」

南方熊楠翁は言うなり、『ラーマーヤナ』第6巻の「ユッダ・カーンダ」をブラーフミー語で吟じ始めるではないか。こうなっては吾輩も負けてはいられない。深呼吸し、息を整え、愛は思うまま歌った。

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「オイ、ワレ男っちゅうもんわな、酒の一升も飲んじゃってさ、競馬もやっちゃってさ、その為にさ思いっ切り働くんじゃいワレ。てやんでべら坊めやんけ。やんけやんけやんけやんけそやんけワレ。ワレワレワレそやんけ。やんけやんけやんけやんけそやんけワレ。ワレワレワレそやんけ。河内のおっさんの唄。河内のおっさんの唄!」

秋艸堂が一瞬にして静まりかえり、八つの射るような眼差しが吾輩の土手っ腹を轟々と貫いた。秋艸堂の幽けき庭から、マタ・ハリよろしく間諜仰せつかった落窪クソ婆の渋り腹より糞が絞り出されるごぼごぼというおぞましい音が聴こえてきた。

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クマグス先生、島崎藤村の右頬のシミの謂れについて語る。

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クマグス先生のげにも恐ろしき博覧強記、統合力の一端を象徴する話がある。何十年かぶりに故郷に帰還したクマグス先生は飲み屋で地元の者と会った。クマグス先生はそこである娘の「狐憑き」について地元の長老からなにくれと相談を受ける。

クマグス先生は娘の家系を遡りつつ、狐憑き娘の一族の縁故由来の種々について縷々延々と述べたあと、「そのような次第なので娘に狐が憑くのは致し方ない」と結論する。その娘とクマグス先生が直接に知り合いだったわけではないし、その娘とその家系について事前に特段の調査、追跡をしていたわけでもない。

クマグス先生の狐憑き娘の家系にかかる話はまことに微に入り細に入っており、その一族のある法事の席の膳にならんだ菜の品目、饗された酒の銘柄、当日の天候、風向きというような当の一族の者でさえ知らぬかおぼえていないことまでをも網羅するものであった。このようなところからも熊楠翁の桁外れの強記ぶりが知られる。天狗にしてみればどうということのない些末事にすぎないのではあるが。ちなみに吾輩のこれまでの言説中にたびたび登場する「冬眠を忘れた熊」とは南方熊楠翁のことである。

さて、クマグス先生、會津八一、島崎藤村、柳田國男、そして吾輩によるてんでばらばらな変則五重唱が一段落し、一同がこれまたてんでばらばらに自家撞着についての反省に耽っているコヒーレントな時間を破ったのは最前より十歳ほども若返ったクマグス先生その人であった。若返りはクマグス先生お得意の「天狗の術」のひとつである。クマグス先生は島崎ハルキンボをぐいと睨みつけて言った。

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「ハルキンボよ。おまえの右の頬の大きなシミの謂れを教えてやろうかい?」
「は、は、はひぃ! 是非にお願い申します」
「かわりと言っちゃあなんだが、麻布笄町の若菜を吾輩によこせよ」
「え、え、ええええ! そ、そ、そんなあ! 若菜はあたくしの命でございますよ、先生」
「吾輩に命を差し出す名誉を土産に冥土へ旅立つがいいさ。冥土への旅立ちの前にアキバのメイド喫茶くらいは連れていってやろうさ」
「……。」
「おまえは先年の春の盛り、正確には五月一日、メーデーの夕刻、姪っ子の若菜の家で若菜とたっぷり御懇ろに及んだのちの帰りの道すがら、ノダフジの枝のひとくれを手折って自宅に持ち帰ったな?」
「な、な、な、なんと! なしてそのことを知っておられますか!」
「吾輩は天下御免天下無双の南方熊楠である! 南方熊楠を知らんか!」
「それはおれの専売だから!」

傍で事態の成り行きをじっと聴いていた會津八一が口を挟むがクマグス先生も島崎ハルキンボも相手にしない。會津八一は「黙す。」とだけ言って、実際、シベリアの永久凍土のように深々と沈黙した。それを見届けたクマグス先生が口を開く。

「ハルキンボよ。おまえの右頬の醜悪なるシミはおまえが手折ったノダフジの精の仕業だ」
「じぇじぇ! じぇじぇじぇのじぇ!」
「きさま! 朝の連ドラぱくりすぎてるから!」
「ゲゲ! ゲゲゲのゲ!」
「それもだから!」

床の間の脇の小さなテレビ受像機から泉ピン子の嘘くさいインチキ付け刃の山形弁による台詞回しが聴こえてきた。泉ピン子の傲岸不遜で耳が腐るような声に虫酸が走り、腑のすべてが煮えくりかえる。思えば、銀山温泉にはいまもポンコツ・スーパーマーケット誕生前史となった話にまつわる土産の品々が埃を被って並んでいる。売れればひとつあたり何十円かが橋田壽賀子と石井ふく子の薄汚れた懐に入る仕組みだ。

橋田壽賀子、石井ふく子一味のやることは茄子事ヤル事脱税事、常に陳腐でまやかしで退屈である。渡る世間はみんなで渡ればこわくもないような甘ちゃん世界であり、鬼の居ぬ間に命の洗濯どころか「オサレなランチ」と「豪華豪勢ステキステキのディナー」の大行列、グロテスクなエゴイズムと愚にもつかぬ「認知欲求」と「親和欲求」にまみれた鬼ごっこばかりである。

頓知協会も顔色なし、『スコブル滑稽面白半分新聞』の腕っこき記者がそのうちそのカラクリを嗅ぎつけて「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪を経とし、色気を緯とす。過激にして愛嬌あり」とばかりに宮武外骨、森鳴燕蔵以下の反骨土性っ骨モッコスイゴッソウジョッパリの面々が駆けつけるのは必定である。そんな重大局面を知ってか知らずか、島崎ハルキンボの末成りボンクラヘッポコスカタンは美醜の戯けごとに御執心の様子である。

「クマグス先生、いったいこのシミを消すにはどうしたらばようござんしょうか?」
「そうだな。まず手始めに姪っ子の若菜を吾輩によこせ」
「またそれでござんすかい?」
「おうよ。それでござんすよ」
「手始めのあとはどうなりましょうか?」
「そいつは漱石と鴎外と芥川に相談だ。岩波のポンコツ茂雄にもな」

漱石山房の御一統様と帝国陸軍メディカル・ギャングスターズの一団の足音が文豪然と近づいてくる。

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漱石と鴎外の「沈黙合戦」を一蹴。テンギャン・クマグスここにあり!

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履き古した軍靴の行進のような腹にこたえる地鳴りを響かせて到着するなり、漱石山房の御一統様と鴎外を首領首魁とする帝国陸軍メディカル・ギャングスターズの面々は秋艸堂の幽けき庭で対峙した。漱石と鴎外の両陣営の総大将による直接対決、「沈黙合戦」「黙殺合戦」が始まるのだ。

漱石、鴎外ともに独自の軍配を固く握りしめている。漱石は「個人主義」というカーライル博物館色の軍配を。鴎外は「闘う家長」という大黒柱色の軍配を。その場にいる者の全員が息をのんで事態の推移を見守る中、この極上至極の緊張、威厳をぶち壊したのは「闘わない課長」の月亭可朝だった。

闘わない課長・月亭可朝は性懲りもなく「可朝は七年間不倫してきてその結果~ 警察に御用やで~ 『嘆きのボイン』も今は昔のことやで〜 だれも『嘆きのボイン』なんか知らへんで〜 ウケへんで〜」と歌うも、だれもぴくりともしない。唯一、例外的に、帝国陸軍メディカル・ギャングスターズの特務曹長、北里柴三郎が土筆ヶ岡養生園で秘密裡に開発された細菌兵器を月亭可朝に投げつける素振りをみせた。鴎外が北里柴三郎を制した。

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「コッホ先生が泣くぞ。今度はノーベル医学賞を獲れるように塩梅するからここはこらえなさい。余は石見人、森林太郎である」
「吾輩は神経衰弱の個人主義者である」

やや斜に構えて事の成り行きを見守っていた漱石が言った。横では久米正雄がチビた赤エンピツを舐め舐め、競馬ブックと競馬エイトと優馬の競馬新聞三紙を微苦笑しながら睨みつけていた。生意気にも根岸競馬場場長と目黒競馬場場長の二人をお供に従えている。そうかと思えば、菊池寛の鈍牛野郎は銭勘定に余念がない様子だ。岩波のボンクラ茂雄はいがぐり頭を恒藤恭に瀧川幸辰直伝の「構成要件充足違法性阻却自由皆無人格的責任硬め麺柔らかめ固め」によって締めつけられている。百鬼園・芥川龍之介はと言えば地獄から蜘蛛の糸を遮二無二強欲に躙り登ってきたアソコガ・カンジタ犍陀多のような形相で河童然と牛に繋がれている。

「芥川、なんだその態は?」

大白牛車のフェイクものを牽くべこ牛よろしく馬銜を禍福は糾える縄のごとくに繋がれた芥川に向かって、慈悲観世音菩薩のような悲しいお顔でクマグス先生はたずねられた。

「テンギャン先生、僕の透明な歯車と侏儒の言葉とに彩られた或る阿呆な人生には牛になる事がどうしても必要だったのです。そんなことより、芋粥を喰わせてください。羅生門際の藪の中で獲れた山芋の粥を。そうでないと、僕の悲しいことにはエボナイト棒でオールナイト・ニッポン百叩きの刑がお待ちかねなのです。どうか、僕のいつかの遠い日の夏の木登りのときに地べたに堕ちて折れちまった鼻高々の鼻をさらにさらにへし折ってください」
「承知したぞ、芥川。そのかわり、おまえが嫌悪し、憎悪した字の下手糞な女子どもの始末はどうつけるのだ?」
「テンギャン先生、その件は芋粥を食しながら」
「そうか。そうだな。それがいいな」

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クマグス先生は再び虚空に右の指先で梵字を切り、羅生門際の藪の中で獲れた山芋を百と八本、鍋、薪ざっぽうふた抱え、椀と箸の一揃えを出現させた。一同から「おお」という感嘆の声が上がったが、クマグス先生は意にも介さず、次にいまだ沈黙合戦中の漱石と鴎外に一瞥を加えてから二人に向かってふた息の息吹を吹きかけた。

漱石と鴎外は瞬時に寒山と拾得の置物に変わってしまった。そして、「そこになおっておれ。業突く張り強情っ張り偏屈爺どもめが!」とクマグス先生は吐き捨てた。クマグス先生が吐き捨てたものからは大瀬崎のお社の古代の神々たちの息吹とおなじ山梔子の匂いがした。さらにクマグス先生は言い放った。

「ハルキンボを除けば、ここにいる御仁はみな縄文人である。今日ただいまよりわれらは縄文革命を起こす。異議ありやなしや?」

一瞬の静寂沈黙ののち、ハルキンボ島崎を除いた全員が「異議なし! 縄文革命弥栄!」と会津八一もかくやとでもいうべき大音声で賛意を示した。ハルキンボ島崎だけが多崎つくるの青なり瓢箪のような尻を撫でながら小刻みに震え、ナイーヴなロースハムの蔕をちろちろと苔の生えた舌先で舐めていた。記念すべき縄文革命の始まりだった。

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by enzo_morinari | 2013-07-30 02:51 | クマグス・デイズ | Trackback | Comments(1)

ゆるゆる王国#1 ぼくらはきょうもゆるゆるに空っぽです。

 
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 昼すぎ、暴走半島小湊からハコノリノリノリで意気揚々と遠征してきた勝海舟烈士が秘書の宍戸留美に申し付けて準備万端させた宍戸錠の失われた頬っぺたを机がわりに江戸城のオケツ会場の片隅でしたためた勝恵子の不倫の子の親権にかかる渾身真剣献身的な和解案である「カツレツ案」に基づいて管内の関内駅前にある勘内ビルヂングの館内放送で勝烈庵が戦艦三笠の艦内に出店する旨のゆるゆるアナウンスが流れたので、取るものもとりあえず偵察に向かったところが、三笠公園事務所にて勝烈庵の一件を問い合わせても「わかんない。わかんない。おれは稚内の出だからなんでもかんでもわかんない」の一点張り。一張羅のISSAY MIYAKEのカツレツ色のだっさいスーツを着た三笠公園事務所おやじのあまりにもなゆるゆるゆらゆらぶりにイライラしていたら、坂本慎太郎がむきだしのメイナード・ファーガソンを脇に抱えて戦艦三笠艦内に突入していった。

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 仕方ないので三笠公園脇の三笠会館別館の入口に聳え立つ全自動洗濯機付き自動販売機でキリン本搾りチューハイのカツレツ味を飲んだ。飲んだ途端に頭がゆるゆるゆらゆらしてきたので、その事態にあえて抵抗しないことに決めてなんとなく夢見心地にゆらゆらゆるゆる揺れながら歩いてやさしい動物たちといっしょに美しい語尾ライター妖精学校へ行ってきますです。

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 当分はまだ生きていると思います。こんなわたしはきっとスプートニクの恋人にふさわしい仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明ひとつきりで宇宙を旅するひとりぼっちの人工衛星になることはできないんでしょう。だからカラダのために宝缶チューハイにあしたの朝こそ言ってやろうと思います。「おはよう。まだやろう。もっとやろう。ばかやろう」って。では、彼女のサソリに食いつかれたいたずら小僧の発光体を頼りに行ってきます。ゆるゆる。酩酊。迷彩。低迷。加納典明のバカカバチンドン屋おまえのカーちゃんデーベーソー。ムツゴロウの歯茎はノグチゴロー。

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by enzo_morinari | 2013-07-29 21:10 | ゆるゆる王国 | Trackback | Comments(0)

異世界レストラン#2 多世界解釈とマントル芝海老のパスタとタイム・ダイバー

 
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異世界レストランのテーブルにはもう一人の自分が座っている。 E-M-M


チネリちゃんとエヴェレットくんと多世界解釈とマントル芝海老のパスタとタイム・ダイバー
非局所性と局所性をめぐる光速度の応酬を経て、青山1丁目交差点HONDA青山2丁目伝説ビルとグレングールド・ベルトの右腕の二局間に分かれ、リーマン幾何学平面上の直線距離にして12700kmを隔てて対峙していたチネリちゃんとエヴェレットくんの同在性あるいは非在性を根拠とした議論は羽田沖で獲れた芝海老の腰のひと振りによって木っ端微塵にされてしまった。もっとも、F-1, 2, 3のダダ漏れ特売ストロンチウム・アーンド・プルトニウムに曝露された影響による芝海老のうちの1匹のオリオン右腕の変異が局所泡を発生させたのがチネリちゃんとエヴェレットくんの議論崩壊、破綻の直接の原因である。

二人のテッラ級の恋物語も同時に終焉を迎えるかと思われたが、プロフェッサー・スティーヴン・ウィリアム・ホーキングCBEが太陽系第3軌道を周回する回転楕円体を担保にマントル芝海老を主たる食材としたパスタの制作をリストランテ・テッラのオーナー・シェフ、ピエール・ルイ・モーペルテュイに依頼したことによって、事態は一応の収束に向けて動きだした。

チネリちゃんとエヴェレットくんの和解和睦のテーブルに並んだリストランテ・テッラの午後の最後のマントル芝海老のパスタはモホロヴィチッチ不連続麺を軽々と突き破り、マントル対流さえもしのぐおどろおどろしき態は瞠目に値する出来映えである。味つけは酸素とケイ素が主体で、以下アルミニウム・鉄・カルシウム・ナトリウム・カリウム・マグネシウムなどの金属元素が含まれる。このほかには微量だが砒素やニッケルも用いられている。マントル芝海老のパスタが放つ香りは地表から上空約100kmまでの範囲に及ぶ。それがこれだ。

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食後、「多世界解釈」をめぐって議論は再燃し、思わぬ人物/存在の登場を見ることとなる。その人物/存在からのメッセージがこれだ。

私はタイム・ダイバーだ。2036年から来た。「APPLE Lisa 4200」を手に入れるためだ。タイム・ダイビングに使用したのは Model-CHGELG420 Gravity Distortion Time Displacement Unit である。2034年にヨーロッパ素粒子物理学研究所が開発に成功し、Hyundai General Electric & LG Company が実用化した重力制御装置だ。Model-CHGELG420 Gravity Distortion Time Displacement Unit は重力場を形成する。重力場を作りだす技術は「量子異常による対称性の破れ」の研究の過程でヒッグス粒子とグラヴィトンが発見されたことによって確立された。

タイム・ダイビング中は上昇するエレベーターに乗っているような感覚が継続する。装置が加速するにつれて周囲の光が屈曲し、紫外線が爆発的に放射される。次第に暗くなり、完全な闇の世界が訪れる。設定した「時空間」に転移すると景色は元に戻り、タイム・ダイビングは完了する。出力最大で10年間分の時空間転移をするのに1時間かかる。タイム・ダイビングが可能な範囲は前後約60年だ。それ以上の過去や未来に時空間転移しようとすると、世界線のずれが大きくなりすぎてまったく異なる世界に時空間転移してしまう。そこは我々が知る歴史とは異なった歴史を持つ世界だ。

60年以内の時空間転移であっても世界線にわずかなずれが生じることは避けられず、タイム・ダイバーは「限りなく似通った並行世界」に時空間転移することになる。銀河系も太陽系も高速度で宇宙空間を移動しているから、タイム・ダイビングが成功したとしても、そこに地球はなく、宇宙空間に投げ出されてしまう可能性がある。この問題は技術的にもっとも困難な部分だ。現在地における重力の正確な測定を行うことによって地球上での空間座標を特定し、この問題に対処している。タイム・ダイビング中、可変重力ロックンロール機能によって空間座標は一定に保たれ、プルトニウム時計の発信周波数を基にエラー修正プロトコルを用いて制御する。可変重力ロックンロール機能の動作限界は60年間である。

エヴェレットの「多世界解釈」はほぼ正しい。エヴェレットの多世界解釈における「世界」は時間の異なる別の世界線上にあり、無限に存在する。異なる世界線を移動するのがタイム・ダイビングだ。過去を訪れたタイム・ダイバーが自分の親を殺しても、自分がいた世界とは別の世界の親を殺したことになるのでタイム・ダイバーは消滅しない。「親殺しのタイム・パラドックス」は起こらないということだ。同様に、異なる世界線の自分を殺しても世界線が分岐するだけである。タイム・ダイビングを行うことに起因して世界線が分岐するのか、あるいはタイム・ダイビングをする以前からその世界線は存在していたのかという問題は私のいた世界でも議論になっている。

帰還の際は往路で収集した重力の測定データを基に時空間を遡らなければならない。潮汐力が地球の重力に影響を与えているため、帰還するタイミングは一年に2回しかない。しかし、まったく同一の世界へ帰還できるわけではない。誤差は非常に小さいものの、そこは「よく似た別の世界」であることに変わりない。 世界線は無限に存在し、そのどれかにピン・ポイントで時空間転移する方法が見つかっていないためだ。ピン・ポイントの時空間転移は光速を超えないかぎり不可能である。アインシュタインの呪縛から逃れることはできていないのだ。もっとも、確率的には低いが、自分の望む世界にたどりつく余地はある。世界線のずれがない世界(同一の時間軸上にある世界)に帰還したタイム・ダイバーは少数だが存在する。

APPLE Lisa 4200 の入手があなた方の世界に来た目的である。APPLE Lisa 4200 にはマニュアルにはないコンピュータ言語の翻訳機能がある。イースター・エッグの一種だ。私の使命は2年後に迫っている「2038年問題」に対応することであり、過去から受け継いだコンピュータ・プログラムをデバッグするために、どうしても APPLE Lisa 4200 が必要なのだ。どうか記憶士であるあなた方の力を貸して欲しい。


α-------------1Q86.4.26---2QQ1.9.11--2Q11.3.11-Ω

 
by enzo_morinari | 2013-07-29 17:21 | 異世界レストラン | Trackback | Comments(1)

真言の音楽#20 幸福の音楽 デイブ・ブルーベック・カルテット『Dave Digs Disney』

 
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ミッキー、ミニー、ドナルド、グーフィー、プルート、スヌーピーとその仲間たちとともに月の輝く夜をすごすことの幸福。BGMはデイブ・ブルーベックの『Dave Digs Disney』と『Quiet As The Moon』


デイブ・ブルーベックもポール・デスモンドも快調、軽快そのもの。Dave Brubeck Quartetの黄金期、全盛期を示す1枚。『Time Out』2年前の録音。1曲目の『Alice in Wonderland/不思議の国のアリス』と4曲目の『When You Wish Upon a Star/星に願いを』は他の音楽家による数多ある演奏の中でも屈指の名演だ。とにかく、しあわせな気分にさせてくれる。「俗なポピュリズム」だの「志なき迎合主義」だの「ただのイージーリスニング」というあさっての方角を向いたことを抜かす輩は死んでも幸福を感じることはできない。音楽は聴いて気持ちよければ、楽しければ、幸福を感じられればそれでいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。J.S. バッハを聴こうがベートーベンを聴こうがシュトックハウゼンを聴こうがジョン・ケージを聴こうがシェーンベルクを聴こうがAKB-48を聴こうがマットンヤ・ユミーンを聴こうが高橋竹山を聴こうがサムルノリを聴こうが少女時代を聴こうが東方神起を聴こうがKARAを聴こうがBIGBANGを聴こうが山下達郎を聴こうが加古隆を聴こうがコルトレーンを聴こうがマイルス・デイヴィスを聴こうがアルバート・アイラーを聴こうがエリック・ドルフィーを聴こうがビル・エバンスを聴こうがキース・ジャレットを聴こうがおなじである。ただし、レディー・ガガと田嶋陽子の『蝶々夫人』だけは除外しなければならない。このふたつは「物静かに退場音楽」だ。本来的に言うならば、「音楽以前」である。

1時間幸福になりたかったら『Dave Digs Disney』を聴きなさい。さらに1時間幸福になりたかったら『Quiet As The Moon』も聴きなさい。風変わりな幸福を味わいたかったら時間切れになる前に『Time Out』も聴いておきなさい。

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Dave Digs Disney - The Dave Brubeck Quartet


Released 1957
Recorded June - August 1957
Genre Jazz
Length 50:17 (reissue)
Label Columbia Records

Track listing
*All tracks written by Frank Churchill and Larry Morey except where noted.
1. "Alice In Wonderland" (Sammy Fain / Bob Hilliard) 9:24
2. "Give A Little Whistle" (Leigh Harline / Ned Washington) 7:32
3. "Heigh-Ho (The Dwarfs' Marching Song)" 3:53
4. "When You Wish Upon A Star" (Leigh Harline / Ned Washington) 4:49
5. "Some Day My Prince Will Come" 8:15
6. "One Song" 4:56

Reissue CD Bonus Tracks
1. "Very Good Advice" (Sammy Fain / Bob Hilliard) 5:31
2. "So This Is Love" (Mack David / Al Hoffman / Jerry Livingston / David Pack) 5:56

Personnel
Dave Brubeck - piano
Paul Desmond - alto saxophone
Joe Morello - drums
Norman Bates - bass

Dave Digs Disney - The Dave Brubeck Quartet
 
by enzo_morinari | 2013-07-25 15:35 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(0)

匿名は殺す。

 
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【STRUCTURAL GANGSTAZ MURDER CASE#1】


匿名は殺す。手加減なし、容赦なし。あとには風すら吹かない。 E-M-M


世界に存在するC-4の2パーセントを使ってル・コルビジェ・カフェをふっ飛ばしたことにより、俄然勢力を拡大しはじめたピーター・アイゼンマン、ダニエル・リベスキンド、フランク・ゲーリー、コープ・ヒンメルブラウ、ダニエル・リベスキンドらを中心とするデコンストリュクシオナール・ギャング・スターズへの規制強化策策定の素案が決定した夜。構造主義建築探偵のミーム・ファンデルソル・ローエングリンことミーム青山は殺された。惨殺。五体不満足にされたうえに、手足の爪の一枚一枚をすべてペンチで剥がされ、肉という肉は切り刻まれた。耳たぶも。鼻梁も。口びるも。目蓋も。陰嚢の皮も。陰茎の表皮までも。

肉、皮、内臓のすべてが切り刻まれ、ミンチにされ、残った彼の筐体、骨のすべては粉砕されてガリガリガリクソンガガーリンガリガリクンガリタ食堂の千年紀ミルサーにかけられた。できあがったすべてはミレニアム・ガリガリガリクソンガガーリンガリガリクンガリタ・ハンバーガーヒル・ハンバーグとしてガリガリガリクソンガガーリンガリガリクンガリタ食堂のメニューに載り、即日完売した。あらかたを平らげたのはガリガリガリクソンガガーリンガリガリクンガリタ食堂店主のガリタ本人である。

構造主義建築探偵のミーム・ファンデルソル・ローエングリンことミーム青山殺害12時間前、構造主義建築探偵のミーム・ファンデルソル・ローエングリンことミーム青山は神宮前2丁目所在、リストランテ・ラパタータ野菜館の並びに古色蒼然として屹立する、ローシング・ヘイトレッド種亜種のディテステーション蔦に侵蝕されつつあるチャペル・チャベス・チャンチャラ・ユープケッチャ写真館を訪ねていた。チャペル・チャベス・チャンチャラ・ユープケッチャ写真館こそは異界/匿名の庭への入口だった。

ガイ・フォークス&ナイヴズ・カンパニーの血にまみれた人間の頭部と腕と脚と胴体がシンボライズされた肉塊紋章がかかる扉を押し、青いパティオを抜けると「ソス・ド・ヴィ」と刻された黄金のプレートに目を奪われる。そのプレートに対して地軸の傾き23.43度の位置に立つと杉浦康平大明神の立像が足下から出現する。このあと、まだ42ほどのプロセス、儀式とも言いうるイベントがつづき、ついにチャペル・チャベス・チャンチャラ・ユープケッチャ写真館内部に足を踏み入れることができる。

構造主義建築探偵のミーム・ファンデルソル・ローエングリンことミーム青山にとっては慣れた過程のひとつにすぎなかったが、まさか、これが最後の儀式、プロセスになるとは予想だにしなかっただろう。構造主義建築探偵のミーム・ファンデルソル・ローエングリンことミーム青山がチャペル・チャベス・チャンチャラ・ユープケッチャ写真館館主であり、立候補マニアのマック赤坂泡沫の無惨な死体に気づいたのと同時に緑ずくめのバナナウェーブの兵士が彼を取り囲んだ。構造主義建築探偵のミーム・ファンデルソル・ローエングリンことミーム青山はバナナウェーブ・ガスを嗅がされ、意識を失った。


Boot up ──

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記憶の岸辺/ミュトス・シティ東部沿岸 UTC17時42分

ミュトス・シティ唯一の砂浜に打ち寄せる波を数え終えたとき、呪われたアルマジロと虹のコヨーテと黄金のカエルがやってきた。

「冬眠を忘れた熊よ。いよいよその時が来たのだ。グレート・マザーに戦いを挑む時が」

呪われたアルマジロの言葉は簡潔で自信に満ちているうえに神々しかった。言葉のひとつひとつに神が宿っているのではないかと思えるほどだ。

呪われたアルマジロは母親の遺伝情報しか持たない固有半数体種だ。聖なるものの顕現者であり、宇宙を支配する巨大な意志の力から「言葉」を預かる者である。呪われたアルマジロは宇宙を支配する巨大な意志の力から「言葉」を預かり、世界に向けて解き放つ。解き放たれた「言葉」たちは軽やかに翼をはためかせ、世界を自在に飛翔する。解き放たれた「言葉」はヨハネスブルグ・キッズの凍りついた心にさえ届く。北の国のコッチェビ・チルドレンにも。ロンゲラップ・ピープルとチェルノブイリ・ボーイズ&ガールズとフクシマ・ベイビーにも。世界中の、虐げられ、忘れ去られ、なきものにされ、再び十字架にかけられし者たちにも。彼らに届けられた「言葉」が彼ら自身の力で輝きを増して飛び立つまで、呪われたアルマジロは「言葉」を預かり、世界に向けて解き放ちつづける。

虹のコヨーテは孤高の戦士だ。世界を蝕み、貪り喰うすべての邪悪なるものと戦う。怒れるアメリカン・バッファローの一群を狡猾冷酷なスコティッシュ・ブラックフェイスから解放したのは虹のコヨーテである。誇り高きカリブーの群れのただ中から石をみつめる少女をたった一人で救い出したのも虹のコヨーテだ。悪意と憎悪に満ちた巨大な砂嵐の中で迷うアニャング戦士の12人のパックを導いたのも虹のコヨーテだ。3度の救出劇で虹のコヨーテは無惨きわまりない深手を負い、肋骨を7本骨折し、右目を失ったが、3度とも宇宙を支配する巨大な意志の力と妖精たちによって癒された。宇宙を支配する巨大な意志の力はまだ虹のコヨーテに戦うことを命じている。

黄金のカエルは宇宙を旅する者である。目的地も同行者もない旅は黄金のカエルを不安と孤独で四六時中苛むが、それもまた宇宙を支配する巨大な意志の力によって決められたことである。何者もその意志に逆らうことはできない。ミュトス・シティの西の果てにある嘆きの沼で日がな一日泳ぎまわっていた頃、黄金のカエルは目映いばかりに輝いていたが、旅のあいだにどこにでもいる緑色のアマガエルに変わってしまった。しかし、黄金のカエルがほかのカエルたちと決定的にちがうのは、いついかなるときにも緑色に輝いていることだ。太陽が水平線の彼方に消え、世界が漆黒の闇に沈んでも黄金のカエルは緑色に輝く。何者にもなりかわりようのない彼自身として。何者にもなりかわりえない緑色をした黄金のカエルとして。

それにしても、名前というのはしんどいものだ。名前のおかげでずいぶんといやな思いをしてきたことだ。そのことを思うと重く湿った疲労感が容赦なく襲いかかってくる。一時間ほど前ににわか雨に遭い、たっぷりと雨を吸い込んだドイターのポリッシュ・ブラックのメッセンジャー・バッグが肩に食い込む。名前さえなければ何者にでもなれたはずなのに。名前さえなければ樵の王として世界中の森に君臨することだってできたはずだし、世界中のありとあらゆる砂漠を旅する商人として、ゴビ砂漠に詩の王宮を建設することも可能だったろう。あるいは、一瞬のうちに巨大なブルーマリン・セイルフィッシュを手なづけてしまう漁師にも。名前さえなければ本当の自由をこの手につかみ取ることができたのに。

眼を上げる。沈黙の岬灯台がセイレーンに弱々しいシグナルを送っている。セイレーンは沈黙の歌で応える。ミュトス・シティはいまにも消え入りそうな瞬きを繰り返している。ゆうべ、ミュトス・シティの住人たちが「北の尾根」と呼ぶ細く険しい峠道を歩きながら、私は旅の間に起こった出来事のひとつひとつに腹を立てていた。すべてに腹を立て終わったとき、夕焼けを背に浮かびあがっていた私の影は深い闇に飲み込まれた。

ミュトス・シティの中心、アノニマス・ガーデンにたどり着いたとき、アノニマス・ガーデンの初代園長、呪われたアルマジロは死の床にあった。呪われたアルマジロが横たわるベッドのまわりには、市長、助役、財政局長、建設局長、保健衛生局長、環境局長、農政部長をはじめとする街の行政担当者、さらには警察署長、消防署長などの治安防災関係者、商工会議所の面々、市議会議長以下の政治家たちが神妙な顔つきで立ちつくしていた。アルマジロの顔を覗き込む。眼窩は深くくぼんで影の中に埋もれ、頬はこけ、血の気のない唇は潤いを失ってひび割れている。「骸骨だ」と思う。そして、ロゴス・シティで最後に呪われたアルマジロと会ったときのことを思い浮かべた。呪われたアルマジロは静かに息を引き取った。部屋のあちこちからすすり泣きが聴こえる。だが、これは偽りの死だ。呪われたアルマジロは死んでいない。そのことを知る者は限られている。真実を知るのは私と虹のコヨーテと黄金のカエルだけである。市長も助役も警察署長も欺かれているのだ。

「冬眠を忘れた熊よ、ダイブの時間だ。用意はいいかね?」と呪われたアルマジロが言った。数え終えたはずの波の音がかすかに聴こえる。記憶海岸の入江を見渡す。マーカスの鏡のように静かだ。14番目のグレープフルーツ・ムーンが映っている。呪われたアルマジロに向かってうなずく。呪われたアルマジロは私の額に右の手のひらをそっと置く。呪われたアルマジロの手からイグドラシル・ストリームがゆっくりと流れ込んでくる。あたたかい。母親の胎内にいるようだ。流れ込む速度がいっきに上がる。意識がうすれ、世界が遠ざかる。記憶が音もなく消えはじめる。波の…音……が…………聴こ ──

Shut down.


Boot up ──

Click,
Enter,

ヴァーチャル・リアリティ・タワー東棟42階/イデア・シティ北部 UTC18時42分

私はリコレクター、記憶士だ。記述士、分析士、修正士、計数士、管理士、消去士、統合士を加えた8人でチームを組んでいる。完全なSOHO。形式的な健康診断と思想調査を除けば、出社に類するものはいっさいない。すべてはネットワークを通じて行う。

記憶士は宇宙のすべてを記憶する。それが仕事である。ひたすら記憶すること。考えなくてもよい。答えは求めない。答えを求めようとするとデータに誤差がでるからだ。記憶は無数の忘却の集積である。記憶したデータは記憶の宮殿の最深部に鎮座するアレクサンドリア・ストレージ・サーバ(ASS)に送る。

記憶をASSに送信するのは祈りにも似た行為だ。ASSはいずれ「神」と呼ばれて崇められるようになるのだから、私の考えもあながちまちがいではない。記憶士として仕事をしているときは常に頭部搭載型ディスプレイ(HMD)を装着する。3次元の空間性、実時間の相互作用性、自己投射性の三要素がともなってはじめて正確な記憶が可能だからだ。

メタバースの住人たちによって結成されたメモリー・ウォーリアーズから攻撃を受けることもあるが、そのときはアカシック・レコード・プログラムを起動してフラッシュ・クラッシュし、撃退する。メモリー・ウォーリアーズの攻撃を受けたときは3週間の休暇を取ることが認められている。大脳辺縁系を休めて冷却するためである。息が詰まるようなHMDから解放されるのは去年のクリスマス以来だ。ヴァーチャル・リアリティ・シート(VRS)に体を沈める。これで思う存分、自由放埒に「世界」を駆けまわることができる。

Scroll ──
Drag,
Command+Copy,
Command+Paste,
Scroll ──
Drag & Drop
Scroll ──
Click,
Enter,



Reload.


Enter,
Click,

アノニマス・ガーデン最深部/ミュトス・シティ中央 時刻不明

ミュトス・シティは隔絶孤立した街である。クリーン・ルームがそのままコミュニティになったと言っていい。隣町との境界にはΨとΦとΘとΩが不規則に刻まれた巨石が置かれ、外部からの侵入を拒んでいる。実際、外部の人間がミュトス・シティに立ち入ることは厳重に規制されている。自然は徹底的に改造され、すべてのエネルギーの源であるアノニマス・ガーデンを中心にして個性のない街並が放射状に整然と広がっている。原子時計のように正確無比で、蜜蜂の巣のように規則的で統制された社会。よそ者はミュトス・シティを理想郷と呼ぶが、それは大きなまちがいだ。隣りの芝生が幸福と笑いと歓喜に彩られた緑にみえるのと同じである。彼らは庭の芝生の緑を見るのみで、凡庸と裏切りに満ちた閨室の寝物語の地獄を知らない。

ミュトス・シティはグレート・マザーによって設計された。グレート・マザーは量子型DNAコンピュータだ。演算処理速度は毎秒42ヨタ回。人類の知の領域を100年相当分拡張したといわれる超スーパー・コンピュータである。ミュトス・シティはエネルギー・コンサーベイションとトリジェネレーション・システムの社会実験場として誕生した。管理運営のすべてはグレート・マザーが行っている。ミュトス・シティは当初の目的をはるかに超える成果を上げた。誰も予想しなかった新しい「富のかたち」を生み出しはじめたのだ。

グレート・マザーはシビタスが莫大な債務によって数度のデフォルトを発生させていた最中に誕生した。ガバメント・シャットダウンは目前に迫っていた。キャリア・ビューロクラットの猛烈な抵抗にも関わらず、キャビネットがグレート・マザーの開発に国家予算の8パーセントを費やす賭けに出たのは出口のない状況を打開したかったからだが、ローマ帝国の凋落を因数分解で解決できないのと同様に、グレート・マザーがシビタスの財政危機を解決する方策を編み出すとは誰も考えなかった。

疑念と不信は日を追うごとに深まり、大きくなった。グレート・マザーはキャリア・ビューロクラットとそれに雷同する者たちの無責任で根拠のない批判をよそに着々と計算をつづけた。数値解析し、仮想化し、仮説を立て、推論し、モデリングし、エミュレーションし、シミュレーションし、検証する。想定しうるリスクをひとつひとつ潰す。それを繰り返す。

グレート・マザーが最初にはじき出したのは「シビル・サーバントの身分保障の廃止」と「シビル・サーバントの大幅な人員削減」と「エージェンシーの全廃」だった。グレート・マザーは抵抗するキャリア・ビューロクラットとの対処のシナリオまでキャビネットに提示した。個々のポリティシャンたちにも具体的な行動指針と行動計画を示した。中には既存の法令に抵触しかねないきわどい内容を含むものもあった。

計画を実現するための新たな法案も次々と策定された。グレート・マザーはこれらの計画のすべてを「内戦」「クーデター」「対キャリア・ビューロクラット戦争」「革命」と位置づけていた。グレート・マザーが策定した法案は過半数すれすれながらダイエットを通過した。法案通過と同時にキャビネット・セクレタリアートとミニスターズ・セクレタリアートから次々とキャリア・ビューロクラットが追放された。

最初に槍玉に挙がったのはセクレタリーである。セクレタリーはビューロクラット・システムが送り込んだ監視役だからだ。次はデプティ・バイス・ミニスターとカウンシラーとカウンセラー。罷免追放に際しては私物の持ち出しまで禁止された。

粛清は迅速に行われた。それはまさに「革命」と呼ぶにふさわしい。次に各ミニストリーのバイス・ミニスター、ジェネラル・ディレクターが追放された。予想通り、シロアリ・ネスト・マウンド(旧霞ヶ関)は大混乱に陥った。グレート・マザーの計画に協力的でない者は一人残らず追放されるか閑職に追いやられた。

「ミスター・シャドウ・プライム・ミニスター」とまで言われて恐れられ、権勢を恣にした財務省のバイス・ミニスターは罷免の翌朝、オフィシャル・レジデンスにほど近い神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の樹で首をくくった。だが、それはグレート・マザーの計画の始まりにすぎなかった。

ネットワークを通じて財務省のバイス・ミニスターの死の知らせがもたらされるとグレート・マザーはCPUの空き領域で考えた。「余の威光があまねきために」と。そして、トーキョー・スペシャル・プロスキューター・チームにピース缶 sengoku38、疫病神コシイシ、全ミニストリーのバイス・ミニスター、ジェネラル・ディレクター、デプティ・バイス・ミニスター、セクレタリー、カウンシラー、カウンセラー、外局の幹部職員、全エージェンシーの幹部を新設のシビタスとピープルに対する反逆行為の処罰等に関する法律」に基づいて一斉検挙するよう指令を発した。「憲法改正案」の起案が完了するのは42秒後だ。明日には金融システムの解体に着手しなければならない。グレート・マザーは再び考える。

「余の威光があまねきために」

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デス・タウン/イデア・シティ南部 UTC19時42分

ファン・ド・シエクル・タワーズ第9地区の南の一角に世紀末ホテルはある。地上126階、地下7階。居住者(不法占拠者)の平均寿命31.6歳。部外者の平均生存時間24秒。1日の殺人発生件数、平均4.2件。強盗同23.1件。侵入窃盗同80.6件。放火同14.2件。強姦同28.4件。傷害同186件。犯罪発生率の高さと治安の悪さから隣接する街の住民たちに蛇蝎のごとく忌み嫌われるデス・タウンの中でも、ファン・ド・シエクル・タワーズ一帯はきわめつきの無法地帯だ。とりわけ危険なのが第9地区。その中心が世紀末ホテルである。世紀末ホテルに足を踏み入れる者は死を覚悟しなければならない。

世紀末ホテルはアステカ・シティの紋章として描かれたテスカトリポカ・ノグチとケツアルコアトル・ノグチ兄弟の『制御された混沌/空を削る者』に強い影響を受けた非対称/非線形の外観を持つ。リーマン幾何学平面を積極的に取り入れた外観は過去の建築様式や装飾を引用するエクレクティシズムを強く拒否していることがうかがわれる。世紀末ホテルは建築の歴史軸の延長線上にはないのだ。

外壁を構成する直線が見る者の期待/願望を裏切るかたちで雲形に変化したあと、内部の混沌を暗示する「尖端の集合体」が不意に出現する。ひねられ、ずらされ、差異化され、遅延され、留保され、傾き、スパイラルする尖塔。鏡のようなガラスの平面を浸食する「ミトコンドリア型の異物」。そこには設計者の「表層/表皮」に対する並々ならぬ執着がみてとれる。建物の継目から縦横に伸びる無数の触手状のスティックは「身体なき器官」の象徴であり、それらを包み込むように「ホール」と呼ばれるオブジェが脈動する。「ホール」は「器官なき身体」の象徴であり、全体でひとつの有機体を構成する。

開業当初、世紀末ホテルは成功と富の象徴だったが、いまや見る影もない。近くで見るとその荒廃ぶりがよくわかる。外壁は落書きだらけで、あちこち崩れている。放火の跡が何カ所もある。正面玄関脇の壁には「自分の身は自分で守れ」とスプレーで大書きされている。電気、ガス、水道の供給はすべてストップ。電話回線遮断。クロークとおぼしきスペースの右奥に鋼鉄製の扉。扉には「Way Out!」の真っ赤な文字。「出口」ではない。「逃げ道」だ。

「ホテル」の文字が冠してあっても、世紀末ホテルはいまやホテルではない。死と退廃と絶望と虚無と欲望に支配された廃墟だ。ベル・ボーイはいない。ベル・ガールもいない。ベル・キャプテンもいない。フロント・クラークもコンシェルジュも客室係もバトラーもアシスタント・マネージャーも支配人もいない。ドアマンすらいない。いるのは死神と亡者どもだ。

レストランもない。バーもない。カフェ・テリアもない。フィットネス・ジムもない。ロビーはゴミ捨て場と化していて、強烈な悪臭が鼻をつく。5秒で吐きそうになる。実際に吐いた。つい今しがたのことだ。動物の死骸がある。切断された血まみれの人間の手や足や指が無雑作に転がっている。かつてブティックやジュエリー・ショップやフラワー・ショップがあったテナント・スペースは破壊され、ドアは破られ、ショー・ウインドウのガラスは叩き割られている。中庭にはベッドや椅子やテーブルなどの調度品が燃やされた残骸がある。中心部の「コア」と呼ばれる吹き抜けには投げ捨てられた大量のゴミが堆積し、7階あたりにまで達している。このまま世紀末ホテルを重犯罪者専用の刑務所にしようというプランまで持ち上がっている。

かつて、ファン・ド・シエクル・タワーズ一帯は成功と富と夢のシンボルだった。IT長者たちは競ってファン・ド・シエクル・タワーズにオフィスを構え、住人となった。それは彼らが成功し、富を手に入れ、夢を実現したことを意味した。

ITバブルがもののみごとに弾け飛び、敗北者の一人がエントランスにシルバー・メタリックのメルセデス・ベンツ600SELを放置したのが荒廃化の発端である。最初にボンネットの上にセブン-イレブンの空き袋が置かれた。すぐに COKE の空き缶が並び、7UP の空きボトルが並び、未開封の Dr Pepper の2.5Lボトルが並んだ。そして、翌日にはフロント・ガラスが叩き割られた。

アンテナがへし折られ、サイド・ミラーがもぎ取られ、車輪とドアが持ち去られた。エンジン、バッテリー、バックミラー、フロア・マット、シート、ステアリング、シフトレバー、GPSシステム、カー・オーディオ ── 形のあるものは次々と奪われていった。1週間後には地べたに漏れたオイルの染みを残して、シルバー・メタリックのメルセデス・ベンツ600SELは跡形もなく消えた。

「破れ窓理論」どおりだった。崩壊に向けて走り出した世紀末ホテルを救うことは誰にもできなかった。暴走列車のように血煙を吹き上げながら世紀末ホテルは破滅に向かって驀進した。盗みが激増し、強盗が日常の一部となり、ついには支配人が惨殺された。犯人は13歳の少年だった。支配人の両目はえぐり取られ、顔はつぶされ、身ぐるみ剥がされていた。パンツや靴下の果てまでだ。

警察は取り締まりはおろか、世紀末ホテルに足を踏み入れることすらできなかった。殺人鬼、強姦魔、強盗、サイコパス、詐欺師、麻薬常習者、アル中、こそ泥、ヤクの売人、浮浪者。世紀末ホテルは凶悪なならず者どもの巣窟へと変わり果てた。

打つ手なし。世紀末ホテルの経営会社は完全にお手上げだった。世紀末ホテルだけではない。ファン・ド・シエクル・タワーズすべてが無法地帯と化したのだ。ならず者どものせいで巨額の投資資金は泡と消え、あとには廃墟が残ったのみだ。

経営はみるみる悪化して上場廃止、そして倒産。セブン-イレブンの空き袋が置かれてから7ヶ月後のことだ。天国から地獄へ。奈落の底へ。客室からはベッドやソファの調度品は無論のこと、金目の物は一切合切略奪されるか破壊されるか燃やされた。世紀末ホテルには憎悪と絶望と退廃が渦巻いている。略奪の中心となったのはルーンストーンズとロンゴロンゴ・ギャング団。デス・タウンを二分するならず者集団だ。

私はなんのために世紀末ホテルに来たのか? 私も犯罪者なのか? 私は犯罪者ではない。もちろん、世紀末ホテルの住人ではない。ファン・ド・シエクル・タワーズの近くを通ることさえ避けている。ましてや、第9地区などとんでもない。世紀末ホテルには金輪際足を踏み入れるまいと思っていた。ファン・ド・シエクル・タワーズ一帯が隕石の直撃を受けて消滅してしまえばいいとさえ思っている。では、なぜ世紀末ホテルに来たのか?

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デス・タウン/イデア・シティ南部 UTC20時42分

ビッグ・タンガタ・マヌ邸地下、拷問部屋。
「100億いる人間どもが100人になったって滅亡でもなんでもねえからな。もとは100匹いたのにいまは1匹しかいねえなんて話はこの世界にゃ吐いて捨てるほどもあるぜ。今度は人間どもがおなじ目にあうんだ。止めようがねえのさ。好きなだけ殺し合いやがりゃあいい。だれも悲しみゃしねえ。いいも悪いもねえ。おれが100人200人殺したところでどうってこたあねえのさ。だからおれは殺す。殺しまくり、殺しつくす。だれにも文句は言わせねえ。文句があるなら、おれを取っ捕まえて、ぶっ殺すがいいさ。なあ、そうだろう? そう思うだろうがよ? おまえさんにもぶち殺したい奴が一人や二人はいるだろう? え? ちがうか? おべんちゃら、きれいごとはどうでもいいんだ。なあ、そうだろう? いいか? この世界から人っ子一人いなくなったって、そんなものは滅亡でもなんでもねえよ。どうってこたあねえ過程のひとつにすぎねえんだ。人間どもがいなくたって太陽は昇るし、太陽は沈む。なにごともなかったようにな。つまり、おまえに言いたいことはたったひとつだ」

ビッグ・タンガタ・マヌはまっすぐに私を見る。ど真ん中を射抜かれる。動けない。ビッグ・タンガタ・マヌの次の言葉を待った。

「生きろ。だが、一度死んでおけ」

ビッグ・タンガタ・マヌは銀色に輝くクロノスの大鎌を振り上げた。

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by enzo_morinari | 2013-07-25 02:31 | 構造主義建築探偵殺人事件 | Trackback | Comments(0)

ニーチェ爆弾/ある若い友人への招待状

 
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深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいている。 F-W-N


1889年1月3日、フリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ発狂。この日、ニーチェはトリノのカルロ・アルベルト広場で御者に鞭打たれる馬を目撃する。なにごとかを絶叫しながら馬に駆け寄るニーチェ。馬の首を抱きしめ、泣き崩れる。そして、その場に昏倒。広場は騒然となる。

気づかう者がいる。嘲る者がいる。罵声を浴びせかける者がいる。笑いころげる者がいる。まったく無関心な者がいる。無関心を装う者がいる。厄介事にはかかわるまいと見て見ぬふりを決めこむ者がいる。そこには故郷を喪失しつつある「近代」の醜悪なる貌の一端が見てとれる。

やがて警官たちが到着。人々の憐れみと奇異と冷笑の眼差しがニーチェに注がれる。ニーチェ44歳の冬である。得体の知れない新しい世紀の不気味で不可解で不条理な足音がすぐそこにまで迫っていた。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した『ニーチェの馬』はこの出来事を物語の端緒とした映画だ。

発狂の日、ニーチェはコジマ・ワグナーに手紙を送っている。自分は十字架にかけられし者である、豊饒と陶酔と混沌の神デュオニソスである、ブッダである、ナポレオンであるなどといった支離滅裂な内容。ニーチェは精神病院に収容された。そして、死ぬまで狂人としての日々を送ることとなる。

発狂以降、ニーチェは著作・論文等の執筆は一切していない。よって、ニーチェの思想と哲学は発狂以前の著作からしか知りえない。コジマ・ワグナーへの手紙には発狂以前のニーチェの片鱗をうかがわせる言葉が記されていた。その中の一節。

私は人間ではなく爆弾です。

なるほど。爆弾か。ここ100年で考えても、ニーチェ爆弾にやられた者は洋の東西を問わずに数知れまい。芥川龍之介がそうだった。三島由紀夫もそうだろう。私のまわりにも何人かいた。私の友人たちにかぎって言えば、一人残らず社会的不適合者になるか、廃人になるか、発狂するか、自殺するかしている。残念ながら、乞食とホモ・セクシュアルと革命家はいない。

「ニーチェにハマったら終わりだ。ワグナーばかり聴くようになったら危ない」とまことしやかに囁かれているというが、わかる気がしないでもない。私の場合はニーチェにハマることもなかったし、ワグナーは『ローエングリン』『ニーベルングの指環』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『タンホイザー』といった歌劇・楽劇をときどき聴くていどで、これらとて熱心に聴いたとはとうてい言えない。特に『ニーベルングの指環』などは全4編、総演奏時間15時間にも及ぶ長大な大作であるから、第1夜の『ワルキューレ』と第3夜の『神々の黄昏』を折にふれて聴くくらいのものだ。

たしかに、ニーチェには哲学や思想という厄介きわまりもない岩盤、一枚岩を一撃で吹き飛ばす力がある。ニーチェを読んでいると、行間からデュオニソスの荒ぶる魂が飛び出してくるのではないかと思える瞬間がある。その感覚は恐怖ともいいうるものだ。思わずうなってしまうような箴言や警句にふれると、一種異様な凄みに搦めとられて、そこから先には一歩も進めないような感覚が起こることもしばしばあった。いくつか挙げてみる。

神は死んだ。/悦ばしき知識
深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいている。/善悪の彼岸
怪物と戦う者は自身が怪物とならないように注意せよ。/善悪の彼岸
誇らしく生きることができないときは誇らしく死ぬべきである。/偶像の黄昏
自分に命令する力のない者は自分に命令する者を求める。/悦ばしき知識
悪とは「弱さ」から生ずるすべてのものである。/アンチ・クリスト
狂気は個人には稀有だが、集団・民族・時代にあっては通例である。/善悪の彼岸
脱皮できない蛇は死ぬ。精神もおなじである。/曙光
中途半端に多くを知るより何も知らないほうがいい。/ツァラトゥストラかく語りき
事実はない。あるのは解釈だけである。/権力への意志
自己言及は自己を隠蔽する手段である。/善悪の彼岸
恋愛は誤謬をその父とし、欲望をその母とする。/人間的な、あまりに人間的な
誰も学ばない。誰も知ろうとしない。誰も教えない。 孤独に耐えることを。/曙光
他者の考えで賢者になるなら愚者であるほうがましだ。/ツァラトゥストラかく語りき
自殺を思うことは強い慰謝剤である。これによって多くの夜が楽に過ごせる。/善悪の彼岸


私はニーチェを読むとき、「これは現実ではない。これは文字にすぎない。惑わされてはならない。魅入られてはならない」と強く自分に言い聞かせた。そうすることでかろうじて精神の均衡を保つことができたような気がする。あのとき、もしニーチェ爆弾をもろに被弾していたら、ニーチェ爆弾の直撃を受けて斃れていった人々とおなじ運命をたどっていたかもしれない。

ヘーゲルの『精神現象学』と格闘したときもそうだったが、私はニーチェの著作を「論理(ロゴス)」としてではなく、「物語(ミュトス)」として読んだ。ヘーゲルもニーチェも物語として向かいあうと、尊大きわまりもないロゴスの大伽藍に細くではあるが幾筋かの神話的でやわらかい光を見いだすことができた。あの光はおそらくは豊饒の光でもあったろう。その後の私の人生に巻き起こる数々の混沌と不条理と困憊を差し引いても、あのとき垣間見た幾筋かの光は私が歩む細く暗い道を常に照らしつづけた。

ニーチェは30年にもわたって、まさに血煙を上げながら執筆と思索に没頭した。ニーチェの血煙の意味を理解できない者はニーチェに近づくべきではない。ニーチェを読んで人生に活かそうなどとゆめゆめ考えてはならない。

ニーチェは世の中のためにはならない。いかなる意味でも役には立たない。ニーチェにはいささかも世間的な価値がない。19世紀のヨーロッパ世界において、傲岸不遜にも「神は死んだ」と言い放った者から学ぶべきものはない。国家が成熟してゆこうとする途上の時期に「永劫回帰」を提示し、「超人」を持ち出す輩がもたらすのは不幸と悲劇と苦悩だけだ。

まちがいなく強烈な痺れるような魅力はある。脳みそとはらわたを引っ掻きまわされるのに似ている。しかし、それはセックスの相性がいいだけの性悪女のようなものだと心得ておいたほうがいい。マルクスには復活の可能性がわずかに残っているがニーチェにはない。このことは断言できる。ニーチェは人間社会を成り立たせている諸原理とは金輪際相容れないのだ。反社会的ですらあると言ってもよい。ニーチェを読んでいるような輩にはかかわらないほうが身のためである。

しかし、だからこそ、ニーチェは空前絶後に凄いのだとも思える。その凄さを知るにはニーチェの「隠れた問い」を見つけださなければならない。ニーチェから「答え」を引きだそうとしたのではニーチェを読んだことにはならない。そもそも、ニーチェからは答えなどなにひとつ出てこない。

ニーチェは誰も気づかなかった「問い」をたった一人で見つけだし、たった一人でその「問い」と格闘した。ニーチェは思想と哲学の「たった一人の軍隊」なのだ。『ツァラトゥストラかく語りき』も『人間的な、あまりに人間的な』も『善悪の彼岸』も『この人を見よ』も『権力への意志』も、ニーチェの「問い」から生まれた問題集だ。

危険な問題集ではあるが、自爆誤爆の覚悟があるのなら、保身と利権に血道を上げる愚劣卑劣な木っ端役人どもや既得権益の上にあぐらをかいている守旧派守銭奴どもの牙城に風穴をあけるくらいの爆弾はもたらしてくれる。

この問題集でスキルアップすれば、人生という厄介なゲームに土塊ひとつ担保提供せぬまま恥知らずにもローリスク・ローリターンの定額貯金に精を出す善人づらした小市民や醜悪きわまりもない親和欲求に翻弄されるヘッポコ・スカタン・ボンクラや臆面もなく純朴偽装した能天気や暮らし自慢、趣味自慢、ライフ・スタイル自慢にうつつをぬかして日も夜もあけぬ極楽とんぼや裏切りと嫉妬と欲得と怯懦と保身に彩られた者たちに回復不能な一撃を加えることはお茶の子さいさいになるはずだ。だが、扱いにはくれぐれも用心すべし。

ニーチェ爆弾は使いようによっては核爆弾より威力がある。プルトニウムやストロンチウムよりはるかに有毒有害だ。世が世なら、まちがいなく「禁書」「焚書」「打首獄門」「磔」である。いったん汚染されてしまえば除染はできない。ニーチェ爆弾は究極の最終兵器、リーサル・ウェポンなのだ。セシウム? ニーチェ爆弾に比べたらアメ玉だ。

さて、若き友よ。いまだ浮かび上がることも喰い破られることもない血管を持つ者よ。
超人と狂人と善人と悪人と駱駝と獅子と赤児と魔神の住まう善悪の彼岸へようこそΨ
 
by enzo_morinari | 2013-07-24 17:54 | ニーチェ爆弾 | Trackback | Comments(0)