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BAD BOYZ#2『現代思想の100人』をめぐる冒険と王権と蛇拳

 
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恥を知る純白のパンダを従えた水曜の午後の動物園はいつものように独特のリズムでドアをノックした。サリフ・ケイタとユッスー・ンドゥールのウガンダの虐殺をめぐる闘争の果てに誕生したポリリズムと高熱のためにポール・デスモンドが参加していないデイヴ・ブルーベック・クワルテットの変則5拍子を融合したような、聴く者に不定形な不安をもたらさずにはおかないノックの音。

ミス・ファット・モー・ツォートンが部屋の隅で身をよじり、天空に向かってケンツしている。さらにはミス・ファット・モー・ツォートンの対極にいるミセス・ボニー・ピンク・コーセーはわれわれを指弾し、ついには全裸になってエドはるみよろしく「ググググーッ!」ときたもんだ。門田頼命はいまどこで踊っているんだ? 門田頼命の夜明けは遠いのか?

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突然、ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドが『現代思想の100人』をあやしながら宣言した。

「ネットワークは黄金の大鉱脈だ。無数の宝が眠っている」
「なんだよ、急に」
「重要なのは速度感、スピードだ。クラックだ。チョコだ。ヘロだ。コークだ。スカンクだ。フラワートップだ。アカプルコ・ゴールドだ」
「すべてについて同意する」

そのとき、天狗鼻がへし折れ、酷寒のミル・プラトーに立った島田雅彦がポッテリくちびるの今夜が山田詠美の巨大なインカクをディベルティメントしながら南向きの窓から登場した。

「あ。嬉遊曲野郎! 一体全体どういう料簡だ!」
「まあまあ。今夜が山田詠美あげるから仲良くしてくれよ」

それを聴き取ったビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドが憤激した。

「てめえ! 島公! おれよりふたつも年下のくせしやがってため口きいてんじゃねえ!」
「そうだそうだ! シマゲジ野郎! ここで会ったが百年の孤独の野郎めだ! ただ置かねえから覚悟しやがれ!」
「キング・アルマジロ呼ぶぞ! 異形の王権の復権だ!」

島田雅彦が逆上して叫んだ。

「呼べるもんなら呼んでみやがれ! こっちには呪われたアルマジロと虹のコヨーテと冬眠を忘れた熊とソバージュ・ネコメガエルのエクリと苦悩するビーバー・カモノハシとルイスウェイン・キャットと森のひととテンギャン・クマグスがついてるんだ。初版も捌けなかったキング・アルマジロなんぞトーハン・ニッパンに即行で返本だ! 最初はグータン・ヌーヴォー・クリティーク! ジャンケンポン!」

島田雅彦はチョキを出した。われわれはツー・プラトン・アリストテレス・ソクラテス・ディオゲネスでパーを出した。

「10本対2本でおれたちの勝ちな」
「ひでえ!」

島田雅彦の天狗鼻が萎れ、今夜が山田詠美の巨大で真っ黒けっけなインカクはハーレム・タワーほどに屹立し、潮吹きは亀戸天神に慈雨を降らせた。かくして、島田雅彦はわれわれの軍門に下った。「不細工な男は髪を染めるセオリー」の典型である東浩紀がヒットラー・ユーゲントのコスプレで角の加藤のタバコ屋でゴールデン・バットを1カートン買って高笑いしている。
 
by enzo_morinari | 2013-06-30 12:18 | BAD BOYZ | Trackback | Comments(0)

BAD BOYZ#1 顔面熔解男を契機とする諸問題/記憶庫、ディミトリ・フロム・パリ、「原発やめろ」

 
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メニエール・ダンスの名手、ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドと終りなきアノニマス・マドレーヌ・トークで戯れのエクリチュール並びにパロール・パローレしているときのことだ。

昼すぎから始まったアノニマス・マドレーヌ・トークは音楽、思想、哲学、文学、ラヴ、セックス、体位、ラカンの鏡とマーカスの鏡の「鏡合わせ」、快楽、差別/被差別、国家、権力、ハルキンボ・ムラカーミ並びに秋元康一味及びベックソ系に関する悪口雑言、すなわち森羅万象についていつ果てることもなくつづいた。

パフュームのパフォーマンスと「生命、宇宙、そして万物、森羅万象についての究極無窮の答え」との関係性について精査しているとき、突如、脳内にきわめてキュートな声で「Love Love Mode♪」という歌が聴こえはじめた。

「だれだ!? おまえはだれだ! この歌はだれの歌なんだ!」

吾輩は思わず叫んだ。きょとん顔のビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドを尻目に、吾輩は記憶庫の5781600個ある引出しを手当り次第に引っ張りだした。

「どうしたどうした? どうしたんだ?」

ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドが問う。当然だ。吾輩はいくぶんかポモドーロ・コストルート・フィオレンティーノの冷製スープにも似た冷静さを取りもどしつつ、ビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドと終りなきアノニマス・マドレーヌ・トークで戯れのエクリチュール並びにパロール・パローレをつづけながらも「Love Love Mode♪」の主のことを大脳辺縁系ならびに大脳新皮質の一部を使って高速サーチしていた。

おなじように名前が出なかったヴァンダレイ・シウバはすぐに出た。自称IQレスラーの桜庭も。『苺の季節』のアースキン・コールドウェルも。ハルキンボ・ムラカーミの自宅と携帯の番号も。大江健三郎の器の容量も。60年安保闘争と70年安保闘争のドラマツルギーの正体も。宇多田ヒカルとジミー・クリフの『Time Will Tell』に関する取引きが時間によって解決された真相についても。早死にしたロリー・ギャラガーの死因も。江藤淳が吉本隆明に狙いすましてつけた難癖の背後にある守旧派の怨念とコム・デ・ギャルソンに象徴される「消費文化」の表層についても。佃小橋の欄干にもたれて涙した遠い日の少年の涙のゆくえについても。スティーヴィー・レイ・ヴォーンの「ギュウィィィィィィィィン」の成分についても。

「『OUT TO LUNCH』がわかるという奴がいたら大嘘つきだ」
「わかるわけないんだから」
「『OUT TO LUNCH』はジャケットの秀逸さもさることながら、その危険さ、ヤバさ、古くも新しくもならない強固さにおいて、ジャズ世界の王だ」
「デリダについてもモノリス・メルロー=ポンティ准教授についても義理の兄のモーリス・メルロー=ポンティ教授についてもおなじだな」
「日本の哲学思想界をだめにしている張本人はみすず書房の編集長だ」
「渡辺守章のフーコー物の翻訳をのぞけば、みすず書房をはじめとする哲学思想翻訳物はすべていただけない」
「それもこれも、助手時代の遺産と政治力で寝穢くいけしゃあしゃあと生き延びている爺さん学者たちに原因がある」
「そもそも、最低でも英語、独語、仏語、ラテン語、ギリシャ語が理解できていなければ哲学はわからないし、語ることはできない」
「まったくだ」
「それにつけても、顔面熔解男・山下達郎はひどい奴だ」
「だな。吉田美奈子の人生をめちゃくちゃにしやがって」
「ひとの男を寝取った竹内まりやも竹内まりやだ。だから、おれは金持ちが嫌いなんだ」
「だな」
「金持ちどものおかげでまちがいなくおれの分け前は420万ユーロは目減りしている」
「クラフトワークは『原発やめろ』で演歌になっちまったしな」
「荒野にでも出るか?」
「この夏にはな。イエスやブッダやツァラトゥストラやムハンマドが荒野に出る前に鬼になったように、おれたちも鬼にならないとな」
「だな。とりあえず、なにから始める?」
「顔面熔解男の粉砕と撹拌だ」

そして、突如、正解が仕舞われていた記憶庫の引出しがあいた。ディミトリ・フロム・パリ Dimitri From Paris. YouTubeで検索し、早速『Love Love Mode』を聴いた。「この声、おれは勃起する」とビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドが言った。水曜の午後の動物園が恥を知る純白のパンダを引き連れて角の加藤のタバコ屋の前まで迫っていた。


Love Love Mode♪ - Dimitri From Paris
 
by enzo_morinari | 2013-06-30 07:04 | BAD BOYZ | Trackback | Comments(0)

RADIO DAYS#2 スクール・カーストの誕生とラバトリー・ランチからの脱出

 
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政治的人間は生まれながらに政治的である。身分制度の誕生は常に政治的人間によってその骨格が形成される。すべての身分制度は強者と弱者、多数派と少数派、多勢と無勢、メジャーとマイナー、マジョリティとマイノリティ、支配層と被支配層、差別者と被差別者、大と小、横暴と繊細、愚鈍と敏感という単純な二項対立図式の中から誕生する。強者、支配者は弱者、被支配者を分断し、管理し、統制する。例外はない。スクール・カーストについても同様である。少数の強者による多数の弱者への支配、専横、分断が行われるとき、悲劇は誕生する。「悲劇の誕生」は身分制度の成立とともにあるとも言いうる。悲劇のあるところには必ず身分制度、差別/被差別がその大きく深く強固な闇の口をあけている。

スクール・カーストの原型は遠くメソポタミア古代王朝の中にすら見いだすことができる。自己と他者の別が存するところには当然に差別/被差別、支配/被支配の関係がある。被差別民、被支配階層は常に生存にかかわるリアリティを突きつけられつづける。被差別と被支配は一様に悲劇的だが、そのリアリティはそれぞれに別の貌を持つ。そして、それぞれの悲劇を生きることを強いられる。16歳の名もなき少女に降りかかった悲劇は「便所めし」「ラバトリー・ランチ」というかたちで立ち現れた。

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「教室でお昼ごはんを食べられるようになりたい」と冴は絞り出すように言った。
「どこで食べたって味はおなじだ」と私は突き放すように言ってやった。
「ちがう。好きなひとときれいな景色がみえる場所で食べるおむすびは嫌いなひとと狭い檻の中で食べるフレンチのフルコースよりおいしいはずです」
「きみの言うとおりだ」
「でも、おいしくないどころか、味すらしないのは一人で、トイレの中で食べるお昼ごはんです」
「さて、そこだ。きみは便所めし、ラバトリー・ランチから脱出したい。そうだね?」
「はい」
「きみはお昼に食べるお弁当を自分で作っているのかね?」
「いいえ。ママに作ってもらってます」
「問題解決、ラバトリー・ランチからの脱出はそこから変えなければならないね。お弁当は自分で作ること。できるかね?」
「やります」
「うん。そのお弁当はきみの作品でもあるわけだから、手抜きやマンネリはいっさいゆるされない」
「はい」
「きみはその作品を持って学校に行く。お昼休みになる。いつも教室の隅っこで”透明な存在”として話し相手もなく小さく縮こまってきたきみは宣言するんだ。”これがわたしの作品よ! みんな見てちょうだい!”きみにできるかね?」
「やります! やってみせます!」
「うんうん。それがいい。そのときの注意点は ──」
「はい。なんでしょうか?」
「ファンキー&ファニーであること」
「ファンキー&ファニー」
「そうだ」
「どういう意味ですか?」
「ググりなさい。あるいは研究社の英和中辞典を引きなさい」
「そうします」

冴がラバトリー・ランチから脱出し、スクール・カースト解体のための闘争の第一歩を踏み出すのは翌日だ。

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by enzo_morinari | 2013-06-30 04:28 | RADIO DAYS | Trackback | Comments(0)

MODERN ART WATCH#1 マクドナルドのジャド・エンジン

 
 
 残念なジャド・エンジンに究極のモダニズムを!
 
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by enzo_morinari | 2013-06-29 20:47 | MODERN ART WATCH | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/本日の吾輩グレート・ギャツビー・コーディネート

 
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 境界のボートの舳先には神秘のヴェールに輝く石が埋め込まれている。 E-M-M


 夕暮れゟ、ヴェルニー公園にてオールドミス・デイジーとエロティック・ヴェール・デート。本日、緑に彩られた還暦を迎える兼高かおる似のロマンスグレー・ビューティー。カドーも準備万端。ミステリアス・ヴェール・ストーンのネックレスだ。今から胸高鳴る。二人で乗り込み、漕ぎ出すのは折り紙付きの境界のアボカド・ボート/AVOCADO BORDER BOATだ。目的地はクマグス曼荼羅彼岸、あるいは石と氷晶としての世界。またはレッド・チャイナ帝国もしくはナイーヴな街のナイーヴな肉屋で売っているナイーヴなロースハム・ワールド。

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by enzo_morinari | 2013-06-29 12:57 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

RADIO DAYS#1 時のないホテルを駆け抜けていった霧の中の少女

 
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だれもが霧の中のジョガーとなって、時のないホテルを駆け抜けてゆく。 E-M-M


フルーツバスケットいっぱいのかなしみを抱えた少女は16歳の秋に死んだ。ミエロジェーナス・ロイケーミア。急性骨髄性白血病だった。その少女は中学生の頃から私のラジオ番組の熱心なリスナーであり、投稿者だった。私がたじろぐほど切っ先鋭く、問題の核心に肉薄する大量のコメントを番組の専用BBSに投稿しつづけた。彼女がコメントすると他のリスナーは沈黙した。それが私の番組、掲示板における掟、暗黙の了解だった。

驚くべきことに少女は生まれてこのかた、まともに本を読んだことがなかった。つまり、少女の発する研ぎ澄まされた言葉の数々はすべて彼女そのもの、魂のあかむけの叫びだった。それはひとつの奇跡であるように思われた。

少女のハンドルネームは冴。冴え冴えとした少女のコメントを象徴するハンドルネームだった。高校生であるというのは自己申告にすぎないし、博多在住というのも同様に自己申告である。冴についてわかっているのは音声と類まれな言語表現能力を有しているということ、そしていまや死んでこの世界には存在しないことだけだ。

「生まれ変わることはできない。しかし、少しずつ変わってはゆける。たとえきょうが苦しいとしても、いつかあたたかな想い出になる」と言い残し、彼女が最後にリクエストした曲は松任谷由実の『霧の中のジョガー』である。その3日後、彼女は死んだ。死んで、永遠に霧の中に消え去った。

「だが」と思う。少女はいまもネットワークの中に生きて、なにごとかを発信しつづけているのではないかと。彼女が発信する場所は時間も空間も超越した時のないホテルなのではないかと。

私がこれからここに書きしめすのは私のラジオの日々であると同時に、不思議な少女との交流と交感の記録である。かなしみと痛みと苦悩がいくぶんか含まれてはいるが、慰めや教訓などはない。


冴が高校に進学して間もないある春の深夜。彼女からスカイプ・コールがあった。冴の声には深刻さと強い苦悩がにじんでいた。

「友だちが欲しいんです。いままでに友だちと言えるようなひとが一人もいなかったから」
「きみが用意するべきものはひとつだ」
「用意するべきもの? なんでしょうか?」
「彫刻刀」
「彫刻刀?」
「うん。彫刻刀」
「なんで彫刻刀?」
「さて、そこだ。友だちが欲しいというきみに、なぜ彫刻刀が必要なのか」
「はい」
「彫刻刀の本当の名が友情刀だからだ」
「友情刀。ちょっとかっこいい」
「そして、きみがおとなになってから世話になるのは中将湯だ」
「中将湯ならもう飲んでますよ」
「けっこうけっこう。さて。ポケットに彫刻刀を忍ばせたら、きみはきみが友情を結びたい相手の背後にそっと忍び寄る。いいね?」
「はい」
「そして、きみはポケットから彫刻刀を静かに取りだす。決して相手に気づかれてはならない。いいね?」
「気づかれないようにそっと背後に忍び寄る。なんだかイアン・ムーンのラバー・スーツみたいね」
「そうだ。きみは実に勘と察しがいい。きわめて重要な特質だ」
「ありがとうございます」
「礼を言うには及ばない。つづけるよ」
「はい」
「きみは彫刻刀を構え、相手の背後に立ち、そして、耳元でそっとつぶやくんだ。”My Name is Ian Moone. I am No One.”」
「わたしの名前はイアン・ムーン。わたしは何者でもない」
「そのとおり」
「そのあとは?」
「彫刻刀を相手の脇腹、肝臓のあたりに突き立てる」
「痛いじゃないですか! それに、へたをすると死んじゃいますよ!」
「そうだよ。痛いよ。へたすれば死ぬよ」
「できませんよ! そんなこと!」
「では、その人物と友情を結ぶことはあきらめなさい」
「え? どういうことですか?」
「つまりだ。他者と友情を結ぶということは強い痛みがともなうということだ。教室で透明な存在であるいまのきみに必要なのは、きみが何者でもない他者であることの明晰な認識と、その事態から抜け出すための冒険なんだ。わかるね?」
「わかりません」
「よろしい。たいへんによろしいよ。そう簡単にわかられたんじゃ吾輩の立つ瀬がない。ついては注意点がひとつだけある」
「なんでしょう?」
「用意し、携帯する彫刻刀はくれぐれも丸彫り用のをね」

少女はとても気持ち良さそうな笑い声をあげた。

「もうひとついいでしょうか?」
「いいよ」
「わたし、家族以外のひととごはんを食べたことがないんです」
「うん。学校ではどうしているのかね?」
「トイレにこもって食べてます」
「便所めしってやつか?」
「はい」

かくして、少女のラバトリー・ランチからの脱却に至る物語が始まる。
 
by enzo_morinari | 2013-06-29 09:07 | RADIO DAYS | Trackback | Comments(0)

鎮魂のラタトゥイユ#1

 
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 そのラタトゥイユはとても鎮魂的だった。彩り、味、香り。そして、その言葉と歌。すべてが人々の傷ついた心を癒す。酷寒のミル・プラトーに立ちつくしている者の凍りついた魂さえをも。シベリアの永久凍土の奥深くで爛熟した超高度消費社会に通用する市場調査に関する報告書を記述中の営業マンの殺伐とした多崎つくる的精神も。カタロニア讃歌に涙する動物農場主、1Q84的スパゲティ・バジリコさえも。25メートルプール1杯分の涙を流すかわいそうな中国行きの貨物船の船長の油にまみれた208と209の双子の掌も。自同律の不快に苦悩するクレタとマルタのエーゲ姉妹も。
 ハルキンボ・ムラカーミは思う。ゲッツ・スパゲティを追悼しよう。夕暮れの千駄ヶ谷の路地のひとつひとつを癒そう。東京体育館のかなしみを思おう。東京体育館の脇の午後の夢の芝生から見下ろす煉瓦色のトラックとともにあろう。東京体育館の脇の夢の芝生から見下ろす煉瓦色のトラックを周回する孤独なピンチランナー、危機的長距離走者たちとともに走りつづけよう。嘆きも傷も苦しみも痛みも癒されるときがいつかきっと来ることを彼らに知らせよう。それがおれに残された唯一の仕事だ。
 
by enzo_morinari | 2013-06-28 23:00 | 鎮魂のラタトゥイユ | Trackback | Comments(2)

コトバドライヴ#1 村上春樹をめぐるハルキンボ・ムラカーミさんへの手紙

 
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ナイーヴな街のナイーヴな肉屋に売っているナイーヴなロースハムはロストボールのようなものだ。 E-M-M


気のいいアラスカ鱒の胸びれのような色をした『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を初版本で3册所有していることに慚愧忸怩憤憤のわたくしでございますが、そんなものはスティーブ・ガッドの32ビートを42分乃至は54回も浴びれば雲散霧消してしまうことにやっと気づきましたのです。

遥か遠い昔々の大昔、1980年。カストリ雑誌に毛の生えた「文學界」に載った『街と、その不確かな壁』を原型とする『世終、ハボ&ワラ』でありますが、吉本隆明大言師が「御苦労さん」の一言をもってバッサリサッパリしたことがなつかしく思いだされる夏の初めです。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、新潮の「書き下ろし純文学作品」の中では出色、司修の画、ブックデザインともに群を抜くもののように思えるので、書棚デザイナーとしては是非とも加えておきたい一冊です。問題は「その後のハルキンボ・ムラカーミ氏」です。

ノルウェイの森? うーん。困ります。1Q84? さらに困ります。色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年? もっとも困ります。村上春樹のノーローン・アローン・アゲイン・ロンリー・クローン羊であるハルキンボ・ムラカーミさん。あなたのリアリティ、「切実さ」はいったいどこにあるんですか? 一体全体、いつまでゼニカネ亡者のメディアのお先棒担ぎよろしく、愚にもつかぬ中国行きのマーケティング・ボートに乗りつづける気ですか? 噴飯ものたることきわまりもありません。

『風の歌を聴け』ではT-Cを、『1973年のピンボール』ではO-Kさんの『万延元年のフットボール』を、そして、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』ではスキーター・デイヴィスとボブ・ディランを、それぞれ臆面もなく「いただきちゃん」したことには目を瞑りましょう。しかし! やみくろ氏を闇に葬り、羊博士と羊男と二組の双子の女の子たちと邪悪な闇どもが支配する雑木林でいまなお欅の木にぶら下がったまま揺れている直子さんとセックス・シーンと「死」を描かぬまま死んだ鼠さんたちの脳味噌をチューチュー吸い、蛸かいなしたあなたが、セルシオ乃至はレクサスの後部座席にふんぞり返っている姿は見たくありませんでした。「醜悪なる風景」でした。

住宅ローンを抱えたことのないハルキンボ・ムラカーミさん。少なくともあなたは1980年代の手入れの行き届いた「白いカローラ」を自ら運転するべきです。それが整合性というものです。たとえ「霜取り装置の壊れた冷蔵庫」のクールさが黒猫のヤマトにタンゴのリズムで蹴散らされたとしてもです。当代一のベストセラー作家となり、ノーベル小学校入学が内定し、億万長者、おセレブさんになり、佐々木マキさんのチープきわまりもないイラストが司修さんのモダンアートにかわり、最低クラスの中質紙がクレーム・ブリュレ色の上質紙にかわっても、それはおなじであるとわたくしは考えるものです。それがあなたが再三、さんざっぱら言いつづけてきたナイーヴさ、誠実さではないでしょうか?
 
by enzo_morinari | 2013-06-28 12:07 | コトバドライヴ | Trackback | Comments(0)

真言の音楽#6 First Song, Last Song/スタン・ゲッツ&ケニー・バロン『PEOPLE TIME』

 
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ファースト・ソングにしてラスト・ソング。重要なのは「死生観」である。「死生観」のない者を信用することはできない。 E-M-M


1991年6月6日、スタン・ゲッツは逝った。22年が経つ。享年64歳。肝臓癌。長い闘病の末の死だった。

つい先日、手持ち無沙汰にみた『ベニー・グッドマン物語』の中に一瞬、若き日のスタン・ゲッツをみつけたときはなつかしさがこみ上げるとともに涙がこぼれるほど心が揺れ動いた。遠い昔に死んだ友と再会したような気分だった。

死の3ヶ月前、ゲッツは『PEOPLE TIME』という美しい奇蹟を残した。ラスト・コンサートのライブ・レコーディング。どの曲にも死を覚悟した人間にのみ到達しうる透徹した透明感と美しさがあふれている。「無人島レコード」なる能天気とは異なるが、「死ぬ前に聴いておきたい音楽」のうちのひとつが、スタン・ゲッツの『People Time』だ。

共演者のケニー・バロンのライナーノーツによると、「『カフェ・モンマルトル』におけるスタンのプレイはいつになく好調で、すべてのソロに全力投球していた。しかしふと目をやると、彼はひとつのソロを終えるたび息を切らしていた。彼の体調が良くないことは一目瞭然だった」とある。『PEOPLE TIME』は文字通り命を削って刻んだ最後の白鳥の歌なのである。特に『First Song』は切々と響きわたり、心を揺るがせてとまらない。

1991年3月3日から6日までの4日間のコンサートを収録した『PEOPLE TIME』はスタン・ゲッツの遺作である。死の3ヶ月前にコペンハーゲンのジャズクラブ「カフェ・モンマルトル」におけるピアニストのケニー・バロンとのデュオのライヴ盤。わが子を亡くした中原中也は『在りし日の歌』という宝石を残したが、スタン・ゲッツは『People Time』という珠玉をもたらした。このライヴの3ヶ月後、6月6日にゲッツは世を去った。

1927年生まれ。19歳で初レコーディング。生涯を通じて発表されたアルバムは100枚近くあり、マイルス・デイビス並みだ。スカンジナビア・ビューティーと結婚するが、離婚。離婚後、生涯にわたって莫大な慰謝料を払わされつづけ、いつも財布の中は空っぽだったと言われる。マイルス・デイヴィスにも匹敵する数のレコードを出しながらタバコ代にも事欠くほどだった。『GETZ/GILBERTO』をはじめとする数々の大ヒット作があるにもかかわらず、金に困ってピストル強盗をしたという伝説さえある。

『PEOPLE TIME』は癌の痛みをこらえながら演奏した生涯の最高傑作、畢生の1枚となった。死期が迫り、鬼気迫るというより達観した人生の「痛み」「苦しみ」「悲しみ」を朗々と謳いあげている。テナー・サックスの巨人がジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズなら、ゲッツはテナーの粋人だ。スタン・ゲッツは20世紀を疾風のように駆け抜けた。

やわらかく暖かな音色とフレージングは健在だが、『PEOPLE TIME』には『GETZ/GILBERTO』の頃のようなはちきれる陽気さはもはやない。そこには死を覚悟した者の静かな「諦念」が横溢している。一音一音がゲッツの別れの言葉に聴こえる。とりわけて心打たれるのは、チャーリー・ヘイデン作の『First Song(For Ruth)』だ。葬送の曲とも鎮魂の歌とも聴こえる。

死を目前になにを考え、なにをするか? ときどき、そんなことを考える。もちろん、答えなど出ない。加賀乙彦の『宣告』を書棚から引っぱりだし、ページをめくってみるが、やはり答えは出ない。いつのまにかスタン・ゲッツの『PEOPLE TIME』に手が伸びている。そして、繰り返し聴く。聴きながら、死生観について思いをいたす。涙はいくらでもこぼれてくる。これだけの涙は一体全体どこにあったのだと思うくらいに。

こぼれた涙の意味を考える必要などないし、感傷的であることは少しも恥ずかしいことではない。負い目でもない。挫けてしまうこともだ。死も。死は敗北ではない。「First Song/初めてのうた」が「Last Song/最期のうた」なのだと思うことができれば、死もまた生の一部なのだと覚悟できるのだが。

スタン・ゲッツが『First Song』で彼の『Last Song』を歌っている。人々に別れを告げている ── 。


PEOPLE TIME(Live at Cafe Montmartre) - Stan Getz & Kenny Barron(1991)
Stan Getz(ts)/Kenny Barron(pf)/Recorded live at Cafe Montmartre, Copenhagen, Denmark on March 3-6, 1991.

DISC 1
1. East of the Sun (And West of the Moon)/Brooks Bowman(9:29)
2. Night and Day/Cole Porter(8:16)
3. I'm Okay/Eduardo del Barrio(5:24)
4. Like Someone in Love/Johnny Burke+James Van Heusen(8:02)
5. Stablemates/Benny Golson(8:47)
6. I Remember Clifford/Benny Golson(9:04)
7. Gone With the Wind/Herbert Magidson+Allie Wrubel(7:12)

DISC 2
1. First Song (For Ruth)/Charlie Haden(9:55)
2. There Is No Greater Love/Isham Jones+Marty Symes(8:36)
3. The Surrey With the Fringe on Top/Oscar Hammerstein II+Richard Rodgers(9:22)
4. People Time/Benny Carter(6:14)
5. Softly, As in a Morning Sunrise/Oscar Hammerstein II+Sigmund Romberg(7:54)
6. Hush-A-Bye/Sammy Fain+Jerry Seelen+Ambroise Thomas(9:33)
7. Soul Eyes/Mal Waldron(7:32)


参考

People Time: The Complete Recording/Stan Getz & Kenny Barron

Disc1
1. Stan Getz Announcement
2. I'm Okay
3. Gone With The Wind
4. First Song
5. Allison's Waltz
6. Stablemates

Disc2
1. Autumn Leaves
2. Yours And Mine
3. (There Is) No Greater Love
4. People Time
5. The Surrey With A Fringe On The Top
6. Soul Eyes

Disc3
1. Tuning
2. You Don't Know What Love Is
3. You Stepped Out Of A Dream
4. Soul Eyes
5. I Wish You Love (Que Reste T-Il De Nos Amours)
6. I'm Okay
7. Night And Day

Disc4
1. East Of The Sun - Live
2. Con Alma
3. People Time
4. Stablemates
5. I Remember Clifford
6. Like Someone In Love
7. First Song
8. The Surrey With A Fringe On The Top
9. Yours And Mine

Disc5
1. The End Of A Love Affair
2. Whisper Not
3. You Stepped Out Of A Dream
4. I Remember Clifford
5. I Wish You Love (Que Reste T-Il De Nos Amours) - English Version Albert Beach
6. Bouncing With Bud
7. Soul Eyes - Live - Instrumental
8. The Surrey With A Fringe On The Top

Disc6
1. East Of Sun (And West Of The Moon)
2. Night And Day
3. First Song
4. Like Someone In Love - Live - Instrumental
5. Stablemates
6. People Time

Disc7
1. Stan Getz Announcement
2. Sofltly As In A Morning Sunrise
3. I Wish I Love (Que Reste T-Il De Nos Amours) - English Version Albert Beach
4. Hush-A-Bye
5. I'm Okay
6. Con Alma
7. Gone With the wind
8. The Surrey With A Fringe On The Top
9. Night And Day - Engineer Soundcheck


Stan Getz - First Song (For Ruth)『PEOPLE TIME(Live at Cafe Montmartre)』
 
by enzo_morinari | 2013-06-28 04:04 | 真言の音楽 | Trackback | Comments(0)

雨とラタトゥイユと彼女の巡礼の年@もう後戻りはできない。

 
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夏の初めの朝、私は鎮魂と慰藉と慰撫のためにスパゲティ・バジリコとスタン・ゲッツをアウフヘーベンする。すなわち、スパゲティ・ゲッツ。 E-M-M


驟雨の午後。激しい雨が降りつづく午後。静かに物語と向きあう。物語の主人公、ミス・ラタトゥイユは悲鳴のような軋んだ機械音をあげるコインランドリーの乾燥機の前に呆然と立ちつくしている。住宅街の路地裏のひっそりとしたコインランドリーにいるのは彼女だけだ。ミス・ラタトゥイユは土砂降りの雨音を聴きながら、Tシャツやジーンズや靴下やストッキングやパンティやブラジャーが踊り狂うのをみつめながら物語のページをめくっている。彼女が読んでいるのは村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』だ。初版本。代官山の胡散臭い書店に徹夜で行列して手に入れた本だ。

洗濯物のダンスは彼女の日常の不全感を象徴してでもいるのか。不規則な回転をつづける彼女の日常の群れは円形の窓に現れては消え、消えては現れる。

「ハルキンボヴィッチの穴」と突然彼女は呟く。「そして、わたしはBitch。今夜も名も知らぬ男たちに抱かれるDaughter of a Bitch。あばずれ女の娘」

ミス・ラタトゥイユが『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読むのは2013年4月12日の午前零時42分42秒からきょうまでに153回目だ。彼女は1日に2回、ほとんど欠かさずに『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んできた計算になる。1回少ないのは4月の第4日曜日の午後、高校の同級生であるかつてのボーイフレンドとずっとセックスしていたからだ。

このことはいったいなにを意味するのか? ミス・ラタトゥイユが「閉じられたセックス」を2ヶ月していないということだ。彼女は毎日、仕事としてセックスするが、それらは「開かれたセックス」であり、快感も絶頂もない。彼女の不幸は2ヶ月前にほぼ12年ぶりに行った「閉じられたセックス」が予想に反して彼女に快感と絶頂をもたらさなかったことである。

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その日、ミス・ラタトゥイユが袖を通したMAX MARAの白いシャツは、正確に12年前に青山のMAX MARAで買ったメンズのシャツで、当時の彼女がなぜそのような趣味だったのかについては、彼女の死後、ごく限られた4人の友人によってひっそりと語られるていどのつまらぬ問題である。おそらく、ミス・ラタトゥイユはユニセックスな雰囲気に憧れてでもいたのだろう。ちょうど『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の主人公である多崎つくるのような人間に。夜の海のように生き、死ぬことばかりを考えて暮らし、洗濯することを心の底から愛し、極力自炊し、生ぬるいビールが満たされた25メートル・プールで泳ぎ、自分の肉体をコントロールする男に。友だちは決して多くは持たず、セックスの相手にはそれほど不自由していない男に。

ミス・ラタトゥイユは「女」というジェンダーで生まれて以来、多崎つくるのような人間に憧れていた。そして、ミス・ラタトゥイユは自分が多崎つくるのような人間になりたかったのだと気づく。西麻布のビストロ通りにある小さなバーで村上春樹にそっくりのソバージュ・カワウソに口説かれた夜からずっと封印していた思いに。

ミス・ラタトゥイユは思う。太陽の光にさらされると誤差と誤謬と誤解のないゴビ砂漠の砂粒になり、風が吹いたら音もなく吹き飛んで消えてしまいたかったのだと。そして、最後はポルシェ911タルガを疾走させて激突死するジェームス・デューンになりたかったのだと。

多崎つくるは「糾弾と指弾と苦痛と苦悩の日」の16年と3日後に彼の巡礼の旅に出発する。ミス・ラタトゥイユが巡礼の旅に出るには、あとどれくらいの歳月が必要なのだろうか? もう後戻りはできないのだが。

私はミス・ラタトゥイユの困難と困憊とその小さな不幸に彩られた悲劇の行く末を思って、まともで鎮魂的で追悼にふさわしい料理をつくることにした。

寸分の狂いもなくおなじサイズに食材を刻み、エクストラ・ヴァージンのオリーブオイルと青森産のニンニクで正真正銘のアーリオ・オーリオをつくったあとに、野菜を炒める。そして、ポモドーロ・コストルート・フィオレンティーノの粉砕物と青森産ニンニクの色と味が隅々にまで行き渡るように煮込む。煮込みつづける。

私と彼女と彼女の巡礼と贖罪のためのラタトゥイユ。雨はまだ降っている。降りつづいている。『日曜日のうた』まであと何回ラタトゥイユをつくればいいのだろうか?

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by enzo_morinari | 2013-06-26 19:03 | 鎮魂のイストワール | Trackback | Comments(3)