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Poisson d'avril#666 さらばわがアオハルの日々#1

 
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30代半ば。若い。言葉がないほどに若い。もちろん、乾くヒマなき日々であった。ふ。
 
by enzo_morinari | 2013-04-30 05:55 | Poisson d'avril | Trackback | Comments(0)

鬼に訊け#1 鬼が来た。

 
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鬼が来た。予想もしなかった方角から。


鬼だ。鬼になりたかったんだ。鬼ごっこの話ではない。正真正銘、本物の鬼だ。やっとなれた。いや、鬼になっていたことに気づいた。きのうのことだ。吾輩の修羅の日々の一端を知る古い友人との他愛のないやりとりがきっかけだった。

こどもの頃から「鬼ごっこ」の鬼をやるのが好きだった。自分から志願して鬼役をやった。ほかのこどもたちは鬼を志願する吾輩が理解できないらしく、不思議そうな顔で吾輩をみつめた。怪訝な表情をみせる者もいた。

鬼となって逃げる者たちを追いかけまわすことに快感をおぼえた。わざとぎりぎりのところまで迫り、しかし、捕まえずに追いかける。「オラオラオラ! おうおうおう!」と雄叫びを上げながら。

追う吾輩。逃げる腰抜けども。腰抜けどもが悲鳴をあげるのがたまらなかった。中には地面にへたり込み、大声で泣き出すやつもいた。吾輩はその様子を見ながらゲラゲラと笑った。笑いは止まらなかった。

夕暮れの小学校の校庭に響く泣き声と笑い声。いま思えば世界のなにごとかを象徴していた。泣く者と笑う者という世界のありようを。

自分でも気づかなかった。鬼になっていたことに。鬼とはなにか? わかった。鬼とはなにごとかに一心不乱に打ち込む生きざま、姿そのものだった。鬼はどこにいるのでもない。わが胸中にありだ。

鬼は自分の性根、心、魂からやってくる。鬼は余計なものは容赦なく手加減なく捨てる。切り捨てる。無駄なことは一切しない。それが鬼だ。

ずっと昔、あるテレビ番組で開高健を取り上げていた。副題は開高健本人の名言、「悠々として、急げ」。古代ギリシャの劇作家ソポクレスの『アンティゴネー』第231節に由来する。いい言葉だ。コメンテーターたちの薄っぺらで浅はかな発言をのぞけば、おおむねよくできた番組だった。まだ若い開高健がインタビューに答えたときの言葉には激しく強く深く胸を抉られた。開高健は言った。

外部の敵とはどのようにも戦える。内部の敵、心の闇だけはどうにもならない。

そうか。あの開高健でさえ「鬼」に怯えていたか。思えば、開高健とともに歩いてきたような人生だった。その博学、博識、博覧強記、大伽藍のごときヴォキャブラリー群にはただただ圧倒されつづけた。

風貌、話しぶりとは対照的に、開高大人の小説作品は緻密であり、濃密であり、繊細である。根拠のないひとりよがりにすぎないが、自分の文章を読みなおしていて、「あ、これはどこかで聴いたことのある『話しっぷり』だな」と思うことがある。おぼろげな記憶をたどってゆくと、はたと思いあたる。開高大人がなにごとかについて語るときの、汲めどもつきぬ「豊饒なる饒舌」に吾輩はわれ知らぬうちに強く影響を受けていたのだと。

いまでも、週刊プレイボーイに連載された読者とのQ&Aをまとめた『風に訊け』は折りにつけて読み返す座右の書と言ってもよい本だ。励まされる。叱られる。驚かされる。笑わされる。考えさせられる。そして、モンゴルで巨大なイトウを釣り上げたときの「イトウだ! イトウだ!」と叫ぶ開高大人の永遠の少年のごとき声と満面の笑顔がよみがえる。

悠々として急ぎ、茫洋として繊細だった開高大人もいまはない。中上健次大兄もいない。大森荘蔵先生もみまかった。憂きことのみ多いが、せめて、悠々として、急ぎ足で帰り道をゆくことにしよう。いつか旅は成就する。円環は閉じられる。美しいものを見たくなったら、眼をつぶればいいだけのことだ。

鬼は捕まえた。この手と耳と眼と心と魂で。あてどなく、ただやみくもで他愛のない「鬼ごっこ」はこのあたりで終りだ。よい子はルンルンかまやかしイタリアン・ジェラートでも買っておうちに帰るがよろしかろう。あとは捕まえた鬼を飼いならし、野に放つだけだ。

陽はとっくに落ちているというのにそのことに気づかず、極楽とんぼ能天気に鬼ごっこにかまけている世間知らずの甘ちゃんどもは、せいぜいほんまもんの鬼には気をつけることだ。

鬼はあらゆる場所、あらゆる時間にやってくる。鬼の形相で。ときにはえびす顔で。はたまた仏の顔で。この鬼は魂を喰う。喰らいつくす。恐ろしいが、迷ったら鬼に訊け。いくぶんかの痛み苦しみはともなうが、死ぬほどではない。
 
by enzo_morinari | 2013-04-29 22:50 | 鬼に訊け | Trackback | Comments(0)

On the Road, On the Beat, And Load Out#5 苔院の午後のあとで。

 
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苔院の午後は静かに終りを告げようとしていた。苔院は古刹。イケナイ苔院。もう世界がギシギシジュワジュワと音を立てている。坊主と門前の小僧は習わぬHIP HOPでTHUG LIFEまっしぐらだ。そして、四天王も十羅刹も薬師如来も観世音菩薩も大日如来までもが肌を露わにして踊り狂っている。傍らの奥崎ケンゾーと牡蠣崎柿右衛門はぴくりとも動かない。森の漫才師サルーは暮れなずむ青山通りに向かって言った。

「さて。そろそろ、お互いに本当のことを話そうか」
「そうだな。そろそろ本当のことをな」
「あんたは俺に会うまでの長く退屈な人生をどうやってやりすごしてきたんだ?」
「殺しつづけてきたのさ。人間と世界をね。ついでにエッセドーワーブな存在そのものも。そうとでもしなければ退屈で僕は死んでいたと思う」
「なるほどな。で、きょうまでにいったい何人の人間を殺したんだ?」
「42人。正確には41.33333人。一人はとても人間とは言えないような半端人足だったからね」
「そうか。俺にもおぼえがあるよ。人間とは呼べないような半端人足には。 最後に殺したのは?」
「1999年の春の初め」
「相手は?」
「ガジンというメニエール・ダンスがとてもじょうずな奴だ」
「メニエール・ダンスか! 踊り手は20世紀世界に7人しかいなかったというあのメニエール・ダンスか!」
「そうだ。ガジンはとびきりのメニエール・ダンサーだった。テテ・モントリューの弟のアンヨアンヨ・モントリューの弟子でもある。おまけに、ガジンの趣味はめまいだった。完璧なめまいを起こすとものすごい射精をしていた」
「そんなすごい奴をなぜ?」
「話せば長い」
「長くても話してくれよ。これは信義の問題にも属することだ」
「オーケイ。話すよ。でも、ほんとに長いぜ」
「いいさ。ちなみにどれくらい長い?」
「そうだな。伊藤ビー丸が砂糖A丸になるくらい」

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「えええええっ! 太陽が赤色矮星になっちゃうじゃないかよ!」
「そうだよ。僕の抱えている問題はすべて天文単位が必要なものばかりさ」
「わかった。つきあうよ。話してくれ」
「うん。ガジンには二つ年上のお姉さんがいたんだ」
「うん」
「お姉さんの名はビジン。ブスなのにビジン。不思議だろう?」
「不思議だ」
「そうさ。いまでも不思議でならない。なぜビジンさんはどブスなのにビジンなんて名前なんだろうって。きっと、つらい人生だったろうなって。どブスなのにだれもかれもに”ビジンさん””ビジンちゃん”と呼ばわれつづける人生。引き裂かれまくりの人生。そして僕にヒーメンを引き裂かれた」
「えっ!? ヤっちゃったのか?」
「そうさ。僕は縁をもった女の子とは必ずいたすのさ。だが
「だが?」
「だが、ビジンさんは重度の脳ヘルニアだった。脳が頭蓋骨の継ぎ目から飛び出しちゃうという宿痾の病い。業の病い」
「脳ヘルニアだってええええっ! イーヨを世界に向けて解き放つきっかけになった脳ヘルニア!」
「大江健三郎はビジンさんにヒントをえたんだよ」
「こりゃたいへんなことになってきた」

なにがたいへんなことなのかはわからなかったが、森の漫才師サルーの世界においてはたいへんなことなんだろう。そういうこともある。

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Cocaine - JACKSON BROWNE
 
by enzo_morinari | 2013-04-28 20:17 | 路上とビート | Trackback | Comments(0)

世界ハフュッフェン会議#1

 
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 思えば、芽崎カエルの人生が狂いだしたのは「第35番世界ハフュッフェン会議」にアザブジュバーンス・ドンク・ジュ・スゥイ・タリーズ・オープンテラス代表として向いのドラッグストアの小太りサプリメント女並びに榛色のグレートデーンを連れた白のBentley Azureオープンをいつもスカしてドライヴ・ドライヴの右腕にタトゥー、左手にiPAD愛人マンション365日24時間対応不機嫌女とともに出席したのがきっかけだった。ギャラは安い。旬の野菜とそら豆のキッシュ及びパーネ・ヴィーノな「ひとつの屋根にひとつの部屋セオリー」の知的所有権譲渡のみだ。このていどではマセラティ5台とフェラーリ3台とブガッティ・ヴェイロン1台とブガッティ・ヴァシュロンの設計図並びに目論見書とレナウン・イエイエ女の調子っぱずれな桃色吐息くらいしか手にすることはできない。わかっちゃいるけどやめられない。団塊プープルの佐賀である。葉隠武士である。

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 さて、そもそも「世界ハフュッフェン会議」とはいかなることを話し合う会議であるのか? 残念ながら極秘である。「世界ハフュッフェン会議」について判明しているのはその名と議長がモーツァルトの『交響曲第35番ハフナー』好き(ゆえに「世界ハフュッフェン会議」は常に「第35番世界ハフュッフェン会議」として開催されている)、開催日時天候距離明暗形式の一途並びにハ行変格活用のみである。ハフュッフェン社が自信満々地震バンバン津波ゴーゴーで世界発売するも42体しか売れなかった超激レアギア、「ハフュッフェン人形」の軸芯に「世界ハフュッフェン会議」の全容を解く鍵が仕込まれているとの鮫島事件記者情報があるが(鮫島事件? あ。言っちゃった。公安が夜の闇を引き裂いてリュ・カンボン42番地まで来ちゃう・・・。)、この情報の信用性は『Signifié/Signifiant』並みに低い。"いいんだけど、なぁんか力の抜ける、ナイスなザンネンさを表す形容詞"をあてがいたくなる衝動に引き裂かれんばかりである。ザンネンをとっくのとうに通り越して、ハッキネン・ライコネン・アホネン・ヤリマンネン・ナンヤネン・アホヤネン・アホチャイマンネン・パーデンネン・シカネン・コルホネン・ヴィルタネン・ヴァイタネン・ニエミネン・マキネン・ハマライネン・コスキネン・ヘイッキネン・ヤルヴィネン・ザトペック・ビヨン・ボルグ・マケラ・マッティラ・セッパラ・パイッカラ・キーママー・パトヤ・マッカラ・カーリパー・プンッキ・ロム・ヒキパー・プルスカ・オラヴァ・ナルカイネン・カルフカネルヴァ・ヌンミ・キヴィ寿司だ。(イカネン・ジゴウネン・ヤリマンネン)

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by enzo_morinari | 2013-04-28 12:13 | 詳細を知らない芽崎カエル | Trackback | Comments(0)

多次元ビブリオテカ#3

 
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005 語りつくせぬことについて沈黙するかぎりにおいて、沈黙は金である。「語ること」と「語られること」のあいだには、いかなる冒険者であろうとも征服しえない深い闇が広がっていて、その闇に光をあて、暴きだし、あらわにすることが言葉の祖国に帰還するためには必要だ。その意味において、"沈黙は金、饒舌は銀" なる言葉は語ることができない者の免罪符にすぎない。彼らは永遠に言葉の祖国には帰れない。語れ。まず、語れ。なにより自ら獲得した言葉で語れ。沈黙の話はそれからである。

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006 誰も知ることのない「秘密の入江」で、風に吹かれ、風の歌に耳を傾け、RARE HAWAIIANのオーガニック・ホワイトハニーをたっぷりとかけた悪魔のフォルマッジオ、カッチョ・マルチョを肴にエコール・ノルマル・シューペリウールの1958年を飲み、アルチュール・ランヴォのいくつかの詩編を諳誦し、風向きにあわせてモーツァルトの『狩り』を口ずさみ、仕上げに極上の自家製贅沢オムレット・ライスを食す。これ以上を望むのは世界への宣戦布告である。

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by enzo_morinari | 2013-04-28 03:10 | 多次元ビブリオテカ | Trackback | Comments(0)

多次元ビブリオテカ#2

 
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ひょんなことから手に入れた人生の日々が、日ごと消滅すべき新しい理由を提示してくれるとはなんと素晴らしいことであるか。E.M.C.

私が夥しいほどのテクストを読むのは自分の孤独よりも遥かに深く重い孤独にいつの日か出会えるのではないかと期待しているからだ。 E.M.C.

存在を続行するか。あるいは、存在を打ち切るか。お生憎様。どちらも御免蒙る。 E.M.C.

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001「方法的懐疑」というシロモノが吾輩は大嫌いである。もちろん、世界のすべてを疑いたいのだが、その面倒なお遊びは気が向いたときだけにしてもらいたいものだ。

002 アテナイという町は地獄だったろう。あんなちっぽけなところに世界の根本的な問題について激しく対立する人間があれほど多く集まり、おたがいに知り合いで、朝から晩までのべつ幕なしに議論し、喧嘩しなければならなかったのだから。吾輩ならさっさと荷物をまとめてサントリーニ島に永久バカンスに出かけて二度と戻らない。

003 民衆/大衆なる言葉を皮肉、嘲笑、反語を交えずに使う者はそれだけで愚者認定だ。民衆/大衆がどのような運命を辿るかはわかりきっているではないか! 歴史の気まぐれで残酷で容赦ない軛に苦しみつつ耐えること、自分たちを圧し潰す圧政に賛同し、媚び諂うことが民衆/大衆が生まれながらに持つ逃れようのない宿命である。

004 吾輩が世界の中でのたうちまわっているのではない。世界が吾輩の手のひらの上で手足をばたばたさせているだけのことだ。
 
by enzo_morinari | 2013-04-27 23:26 | 多次元ビブリオテカ | Trackback | Comments(0)

異世界レストラン#1 ミセス・クロスティーニとミス・ブルスケッタの立ち位置をめぐる暗闘

 
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 ミセス・クロスティーニとミス・ブルスケッタの立ち位置をめぐる暗闘
 極東極北の漆黒の夜空を轟音とともに凶兆の彗星が超高速で飛翔して焦がし、祇園町の清楚な裏通りを稽古を終えた芸妓の二人連れが楚々として歩き、百獣の王とバッファローの午後のダンス・ダンス・ダンスが終わり、シロクマくんのジャンプ・ジャンプ・ジャンプ・レッスン、「氷山上のアリア」が山場を迎え、ネフェルティティの微笑が昼の光から夜の闇の中へ移ろおうとしているとき、J.S. バッハの『平均律クラヴィーア』とおなじレベルの完璧さでセッティングされたダイニング・テーブル上で、いままさにミセス・クロスティーニとミス・ブルスケッタの積年の恩讐に関する解答が出ようとしている。だが、この闘いはまだ代理戦争であって、闘いの矢面に立っているのは双方の刃の将たちである。本当の闘い、ミセス・クロスティーニこと黒ネフェルティティとミス・ブルスケッタこと白ネフェルティティの立ち位置あるいは役回りをめぐる暗闘はまだその緒にさえ着いていない。

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by enzo_morinari | 2013-04-27 01:01 | 異世界レストラン | Trackback | Comments(0)

いつのまにか少女は

 
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         Shooted by maki+saegusa(SAEGUSA FULCRUM POINT)

 
 その少女の存在を知ったのは1982年の冬だった。世界は「火の七日間戦争」から千年を経て腐海に覆われ、さらに悪いことには土鬼どもが東と西に別れて対立し、人々は「冷戦」という名の冷酷非情な心理戦に翻弄されていた。さらには、少数の富める者と多くの貧しき者たち、持てる者と持たざる者は北と南に別れて対峙し、人々は「搾取」という名の桎梏に繋がれて日々を生き延びることに汲々としていた。

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 世界からはありとあらゆる希望と信頼と調和が失われ、人々は懲りもせずに再び石油と金属とプラスチックとセラミックまみれの旧世界の復活を願っていた。「巨神兵」という名の核兵器に頼ろうとさえした。愚かきわまりもないが、いまもそれはなにひとつ変わっていない。「核の傘」の下で雨宿りをしたところで、待っているのはさらなる核の土砂降りだろう。いくら待っても爽やかで健やかで気持ちのよい晴れ間が出ることなどない。

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 恐ろしい致死の森である腐海は刻々と人々が暮らし、生きる世界を飲みこんでいたが、人々はなすすべもなく腐海の浸食を受け入れるしかなかった。そのような世界に少女は現れた。オデュッセイアを助け、恋に落ち、のちにオルレアンの救国の乙女として生まれ変わり、さらに虫めでる姫君として輪廻転生し、ついに少女は人々を青き清浄の地へ導かんとしていつもいい風の吹く谷の小さな村に再び現れたが、少女の再誕に気づく者はアニメージュ王国の一部のオタク族だけだった。彼らは羨望と憧れをこめて、少女を「風の谷のナウシカ」と呼んだ。

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 2年後の1984年春、少女はメーヴェ、カモメという名の風に乗り、颯爽と広い世界に現れた。2年前より少女の翼が少し疲れてみえたのは私の気のせいだったろう。人々は少女を賞賛した。崇める者がいた。少女に恋をする者さえいた。しかし、それも長くはつづかなかった。人間はやはり懲りもせず、この先もずっと「愚かな道」を歩みつづけるのか? 希望と信頼と調和のない道を。わからない。私の残り時間では本当の答えを知ることはできない。

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 少女の存在を知ってからすでに30年が過ぎた。そのあいだに世界はいい方向に変わっただろうか? 私の知るかぎりにおいては「青き清浄の地」はいまだにみつかっていないし、かたちをかえた腐海が世界を飲み込み、さらに広がっているようにさえ思える。
 いつのまにか少女は彼女を知り、なつかしむ人々とその子孫たちの前に遠慮がちに年に春と夏の2回だけ、2時間足らず姿を現すのみだ。風ではなく、電磁波に乗って。様々の思惑と欲得としがらみにがんじがらめにされて。しかたない。それが時間というものの残酷さだ。

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 30年の歳月を経て、少女の翼はとても年老いたように見える。翼のあちこちには傷みや劣化がある。艶も輝きも1982年の頃よりずっと失われている。くすみ、煤けているようにも感じられる。羽ばたきはしなやかさと力強さを失っているし、風切り音にはいまや鋭さがない。全体の動きは緩慢で俊敏さは影を潜めている。千年後には少女の翼は無惨にも折れ曲がり折れ果て風化して、痕跡さえとどめなくなっているだろう。それを押しとどめることは何者にもできない。

 風を使いこなし、風の通り道を知り、風のゆくえを見届ける次代の「風の谷のナウシカ」はいつ登場するのか?

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 いつのまにか少女は - 井上陽水
 
by enzo_morinari | 2013-04-26 05:43 | ジブリの岸辺 | Trackback | Comments(0)

「三枝点」をめぐるいくつかの視点#1

 
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イラッシャーイ。宇宙人生構造力学上、もっとも重要な概念である「三枝点(SAEGUSA FULCRUM POINT, SAEGUSA SUPPORT POINT)」について述べる。「三枝点」は次の3点からなる。

1. 新たな自分への旅が、その刹那に始まる地点
2. 新たな世界への扉が、その刹那に開かれる地点
3. 新たな宇宙への時間が、その刹那に動き出す地点


三枝点について論及する前に、われわれは時間についての問題を共有することから始めなければならない。「時間は垂直に積み重なるのか。水平に連なり進むのか」というヘラクレイトス以来未解決の問題の前でわれわれは1指パッチンに65刹那の身悶えをする。このとき、われわれは「垂直に積み重ねられたはずの過去がワンクリックですべて水平に並列に現象化すること」を経験する。そして、次の声を聴くこととなる。

「そう、あのテラス席は確かにけやき坂だった。そして、レナウン・イエイエガールの祝福の吐息はマセラティ5台とフェラーリ3台よりも大きな富と悲しみを与えてくれるのよ。」

この声の主はだれか? 声の主はさらにつづける。

「そういえば、ガーデンプレイスで拾ったタクシーの運転手さんは、都内で一番、麻布十番界隈が嫌いだって毒づいてたわ。一通も多いし道は狭いし、なによりも今はなき旧地名の坂! 地図で探せない坂ばかりを行き先で告げられる!って。あなたは階段の坂の下のカフェでカプチーノなんて、ありきたりでバカみたいって思うでしょうけど、やっぱり傾く午後の陽射しは気持ちよくて、相手と半分こしたはずのケーキは、わたしの方が多く食べちゃって、やっぱりこんなのバカみたいって思うけど、そう思うことがバカみたいでバカみたいなのはわたしだと、ようやく観念してみたりするのよ。わかる?」
「わかるよ。」

だれだ? 「わかるよ。」と言ったのは。ダイアローグはつづく。

「なんだか、真夏の夜の夢みたいね。垂直に積み重ねられたはずの過去がワンクリックですべて水平に並列だなんて。」
「垂直に積み重ねられたはずの過去がワンクリックですべて水平に並列な件については、海南鶏飯食堂のウッドデッキでシュレディンガーの猫を膝にのせて撫でながら、六本木高校の壁の野郎、おもいっきり迫ってきやがるぜ! 小西! ガチャピン! 借景のつもりだろうが、そうは問屋制家内手工業だぞ! マッキャン・エリクソンに言いつけちゃうからな! と純粋理性の二律背反することでほぼ解決するらしいよ。らしいよ。」
「ふと思うのよ。そもそも時間というのは垂直に積み重なるのか、はたまた水平に連なり進むものなのか? って。やっぱり飼うなら、アビシニアンでもアメショーでもなく、シュレディンガー・キャットにかぎるわね。それともなければ、チェシャ猫。六本木高校の壁の上に、最後まで笑い声を残して消えていくの。ねえ、世界はこんなことでいいのかな?」
「いいんだよ。これでいいんだ。いつか、きっとどこかにたどり着ける。円環はまちがいなく閉じられる。だから、われわれは悠々として急がなくちゃならない。いいね?」
「うん。Festina Lente! ね!」
「そうだとも!」

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たとえば、検非違使忠明が障子に映った下女の影に怯えて押し入れの中に隠れちゃう。そんで、奴はぶるぶる震えつづける。1回震えるごとに「1ぶっさり」徴収するとして、10回震えたら10ぶっさり。このあたりは「ローマはなぜ滅んだか?」を因数分解するセットで習ったよね。X軸Y軸Z軸それぞれに「縁」がまとわりついているわけだから、もうひとつの軸は当然にLA VIE EN ROSEでなきゃならない。ということはつまり、21時57分にドイツ軍兵士が真空管ラジオに齧りついたのだってまんざら理解できないこともないし、「パリは燃えているか?」ってロンメルに直電したアドルフの気持ちもいくぶんかは汲んでやらなくちゃならない。そうすれば、午後のお茶の会だっても、きっと豊饒と親和と神話に満たされるはずさ!

と、ここまで私は自動書記したわけだけども、これこそが、イマ・ココの時間の連なり、換言すれば「遅延」「差異」の集積になるわけです。本来、ないはずの「時間」を現前化させる作業がディスクールすることにほかならないと言える。ブランショもデリダも言ってるんだから、まちがいない。エコール・ノルマル・シューペリウールの68年で乾杯するに値するくらい美しく危うく妖しい結論だ。だが、問いはまたすぐに産声をあげる。

ゆるいカーブを描いて並べられたドミノのように、教師の授業なんか耳に入らない学生が描いた教科書の片隅のパラパラ漫画のように、世界はまだ存さぬ、しかし確かな将来と延びた軌跡をなぞるものだなんて、そんなアフォーダンスまがいは神経症の学者の夢だった。

「指をパチンとはじいた一瞬に、刹那は65コも詰まっている。まだ見ぬ大陸の葡萄畑の午後、吹き渡る黄金色の風は豊穣そのもの。そしてオーパス・ワンのテイスティングは25$/1グラス」

声の主、夏服を着た女はクレープデシンのワンピースの裾を66涅槃寂静のあいだ摘んだあと、67無量大数分のため息をついた。

「ちがう。初めていっしょに観た映画は『グレート・ギャツビー』なんかじゃない。あの人はいつも肝心なところでまちがえる。」

夏服を着た女のまわりで淡い紫色の雲が踊りはじめる。夏服を着た女は思う。「人間」が打ち寄せる波によって消し去られて以降、都市には記号と仮説が溢れはじめた。いわく、おセレブさん。いわく、イケメンくん。いわく、ヒルズ族。いわく、ヤマンバ・ギャル。だけど、彼らのいずれもが「孤独の人」の住まう、中心が空虚なドーナツ・シティで踊っていることに気づいていない。だから彼らはイカさない。だから彼らは異化しない。他個どもに囲まれて蛸踊りに興じるだけだ。かくして、イカとタコの階級闘争は永遠につづく。

「それにしても、あの人はいったいいつになったら”本当のこと”を教えてくれるんだろう?」

夏服を着た女はコケモモのジュレをスプーンで掬いながら思う。

「どうでもいいことはいっぱい教えてくれたのに。」

夏服を着た女のまわりで踊っていた淡い紫色の雲が群青色に変わった。ブルカニロ博士がタリーズ麻布十番店のオープン・カフェの階段でつまずき、通りを挟んで向かいにある薬局のぽっちゃり女はサプリメントの陳列に余念がない。榛色のグレート・デーンを連れたタトゥー女は今日も不機嫌である。

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by enzo_morinari | 2013-04-25 03:45 | 多次元ビブリオテカ | Trackback | Comments(2)

不条理ゆえに吾信ず#2

 
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鴎外の『雁』には不忍池を泳ぐ雁に石礫を投げつけたところが、みごとに命中して雁が死んでしまうという不条理劇のワンシーンのような場面がある。この雁をめぐるエピソードは『雁』を象徴するものだ。吾輩にはこの話と寸分たがわぬ経験がある。吾輩は尻の青みのとれぬ野心だけは満々の法学の徒であった。異なるのは不忍池ではなく三四郎池であるという点。

その日、吾輩は團藤重光に「人格的責任論」をめぐる種々の問題で愚にもつかぬイチャモンをつけ、ホトケさまのごとき團藤翁をほとほと困り果てさせ、意気揚々と三四郎池へとやってきたのだった。同行者のNは二歳年上の風采の上がらぬ地方出身者、典型的な田舎者だった。吾輩は年上のNをなんのかのと連れ回し、顎でこき使っていた。真夜中に吾輩の下宿まで呼び出すことさえあった。酒と酒の肴を調達させて。にもかかわらず、Nはいつも二つ返事で吾輩の不条理傍若無人きわまりない要求を飲み、吾輩の元に喜び勇んでやってきた。

「おい、N。あそこの雁に石ころを投げて殺せよ」
「そ、そんなあ。無理ですよ。当たるわけないですって」
「おまえはそれは蓋然性の問題を言っているのか? それとも、ただ単におまえの臆病小心の立ち現れか?」
「その両方です。Dさんもよく御存知のように折衷説がぼくの基本的な立ち位置ですからね」
「ふん。小癪なやつだ。とにかくだ。石を投げろよ」

吾輩が言うとNは渋々足元の石礫をひとつ拾い、しばし雁の動きをうかがってから、見るも無残なフォームで石礫を投げた。Nの投擲フォームはヤンキー・スタジアムのマウンドに初めて立った緊張から左右のバランスを失い、緊張のあまり全身の筋肉という筋肉が強張って、おまけにスタンドとベンチからの痛烈な野次によって舞い上がったMLBルーキーである軟体動物のたぐいのようだった。ところが ──。

石礫はゆるやかな弧を描きながら一羽の雁に向かって吸い込まれるように飛んでいき、頭部のど真ん中に命中したのだ。夢をみているような気分だった。見れば、Nは全身をわなわなと震わせている。だっさい鼠色のナイロンのズボンの裾からは湯気を帯びた液体が滴っている。Nは小便を漏らしたのだ。

「うぎゃあ!」とNは叫び、その場にへたりこんだ。「うぎゃほほぎゃふふふふ」とさらに叫ぶ。
「ばかやろう! しっかりしろ!」

吾輩はそれしか言えなかった。吾輩もかなり動揺していたのだ。そして、ここからが『雁』よりもおもしろくなる。柄にもない動揺から復帰したあと、吾輩はすっかり気をよくしてNとともに無縁坂をくだり、不忍池に向かった。歩いても10分とかからない。目と鼻の先と言ってもいい。図らずも不忍池には雁の群れがいた。吾輩はNにもう一度石礫を投げるように言った。Nは渋々同意し、石ころを探した。手ごろな石は中々見つからず、Nは中之島のお社のあたりまで石ころを拾いに行った。Nが拾ってきたのはひと抱えもある黒御影石だった。

「おまえ、なんだよ。そりゃ」
「いいのがなくて。でもだいじょうぶです。この石で必ず仕留めてみせます」

Nはすっかり自信をつけたようだった。Nは不忍池の淵に立ち、足元をならし、踏み固めるような動きをみせた。全盛期の江夏豊、21球でダイナマイト・ミサイル・トマホークICBM打線を封じ込めた江夏豊のような腹のすわった風格さえ漂わせていた。Nは大きな黒御影石を軽い身のこなしで拾い、おもむろにふりかぶった。そして、30メートルほど先の雁に向けて(おそらくN本人は)投げた。と思ったが、黒御影石はNから離れず、Nとともに真冬の不忍池の池の中へ堕ちていった。

「これでいい。これでゴドーが永遠にやってこなくてもおれは待ちつづけることができる」

吾輩はそう心の中でつぶやいてから、不忍池を離れ、上野の雑踏の中へと向かった。遠くで助けを求めるNの悲しげで癇癪にさわる声が聴こえた。

蛇足
Nこそは福島の原発事故発生後、原子力反安全・不安院のスポークスマンとして「東大話法」「霞が関文学」によって世間を世界を煙に巻き、ついでに自分にはヅラを巻いた例のヅラメガネである。

N。最強の官僚キャラ。フグスマの原発事故後、会見にのぞむ原子力反安全・不安院の担当者がついついほんとのことを言っちゃったり(「溶けちゃってます。メルト・ダウンです」)、黙秘したり(「…。」「……。」)、不貞腐れちゃったり(「もう3日も寝てないんで、手短に簡潔にやりましょうよ」)という失態によって次々に更迭されたのを受けて、急遽、環太平洋村から呼び寄せられたヅラメガネは、初めのうちこそ苦手な理系問題にへどもどしていたが、時間の経過とともに保身テク、ごまかしテク、言い逃れテク、天下り先確保テク、ヅラテクを次々と繰り出して記者たちを煙に巻き、ついでに自分にはヅラを巻いた。不安院が原発事故現場から撤退したことについて追及を受けると、間髪をいれずに「(権力さえあれば)現場にいなくても規制はできる」との名言を残す。いっぽう、「不安院のあいつはヅラだ」等の風評被害に悩まされ、身も細り、毛も抜ける日々を送ってもいる。ライバルは「とくダネッ!」のオヅラ・トモアキ。愛娘の舞ちゃんはテプコ・アトミック・ワンダーランドの社員。父親と瓜ふたつ。やはり、いつの時代も不幸はそれぞれに不幸である。

2011年3月13日より、連日、原子力反安全・不安院担当としてテプコ・アトミック・ワンダーランドのフクシマ原子力発電所事故についての記者会見にのぞむ。その後、職場ファックがバレバレしてフクシマに飛ばされる。学生時代、だっさい臙脂色のナップザックに有斐閣小六法、我妻榮『担保物権法』『民法基本判例集』、團藤重光『刑法綱要』、平野龍一『刑法概説』、芦部信喜『憲法訴訟の現代的展開』とともに団鬼六やら宇能鴻一郎やらケン月影やら縄やら鞭やら蝋燭やらを忍ばせていたことを知るのは、なにを隠そうこの吾輩だ。

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不条理ゆえに吾信ず。
 
by enzo_morinari | 2013-04-24 23:18 | Credo Quia Absurdum | Trackback | Comments(0)