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『アメリカの鱒釣り』の死 #3

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『アメリカの鱒釣り』の文章はおそろしく透き通っている。清冽で眩しい。痛いくらいだ。それは死の影に身を委ねた者のみが書くことのできる文章である。もう一度だけ言おう。リチャード・ブローティガンは死んだ。1984年の秋口。短銃自殺。『アメリカの鱒釣り』も死んだ。1998年の1月中旬から2月下旬にかけて。68回。68通りの死。

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 残念なことに、あるいは幸運にも、私がリチャード・ブローティガンを知ったのは、彼が死んだずっと後のことだったが、彼が死ぬ前、私は表参道の緩やかな坂道の途中あたりで、彼とすれちがったことがある。もちろん、そのときは彼がリチャード・ブローティガンだなんて知るはずもない。リチャード・ブローティガンの連れの女性は山口小夜子に似たちょっとした美人で、細くて作り物みたいに白い首に紫色のスカーフを巻き付けていた。二人の傍らには『アメリカの鱒釣り』が臆病な柴犬みたいに寄り添っていた。リチャード・ブローティガンはマクドナルドのチーズバーガーをかじりながら、コーラのMサイズを飲んでいた。彼はチーズバーガーを3分の2ばかり食べ、残りを『アメリカの鱒釣り』のほうへ放った。チーズバーガーのかけらを食べる『アメリカの鱒釣り』はすごく哀しそうな眼をしていた。それを見つめるリチャード・ブローティガンはもっと哀しそうだった。以来、私の心の片隅にはリチャード・ブローティガンと『アメリカの鱒釣り』の影が小さなしみのように残っている。

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by enzo_morinari | 2012-08-27 05:00 | 『アメリカの鱒釣り』の死 | Trackback | Comments(0)

『アメリカの鱒釣り』の死 #1

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 午前5時14分。南青山1丁目ツインタワー前。徹夜明けの朝、こわばった心をほぐすために青山通りで跳ねる百万匹の鱒たちの黒ずんだ背びれを眺める。彼らはすべて、『アメリカの鱒釣り』から抜け出してきた誇り高き鱒たちだ。
『アメリカの鱒釣り』でリチャード・ブローティガンのことを知ったとき、彼はすでに世界とオサラバしていた。短銃自殺。1984年の秋のことである。私の知らないうちに私の知らない小説家が私の知らない土地で銃で頭を撃ち抜いていたという事実は私を少しせつなくさせた。『アメリカの鱒釣り』を読み進みながら、私は生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみについて考えていた。読み進むうちに、生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみは輪郭がとてもくっきりしてくるのだった。3ページ読むと3ページ分のリアリティが加わった。『アメリカの鱒釣り』を読んでいる間、私の心の中には『アメリカの鱒釣り』のための清冽で目映いばかりの川が音もなく流れつづけた。魚たちの跳ねる音や澄んだ空気や川岸の冷たい緑色をした樹木や野生の草花や鱒の黒ずんだひれやほんの少し湿り気をおびた風が私と一緒だった。

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 アメリカの鱒釣り。
 リチャード・ブローティガン。
 私は小説を読み、小説家を思った。 
 
 なぜ『アメリカの鱒釣り』はリチャード・ブローティガンによって書かれ、なぜリチャード・ブローティガンは『アメリカの鱒釣り』を書いたのだろう。そして、なぜ『アメリカの鱒釣り』を書いたリチャード・ブローティガンは短銃自殺なんかしたんだろう。もちろん、いくら考えても答えはでなかった。それらのことについて考えていると胸の真ん中あたりがパリパリと乾いた音を立てて割れてしまうような気がした。
 この世界に確実なことなどなにひとつないが、これだけは言える。もしもアーネスト・ヘミングウェイが生きていて、リチャード・ブローティガンと出会っていたら、二人とも自殺なんかしなかったということだ。そして、今頃は『アメリカの鱒釣り』のための清冽な流れに二人並んで釣り糸を垂れたり、ヒッコリーの木にもたれて釣竿の自慢話をしたり、やまゆりの匂いをかいだり、風の歌に耳を傾けたりしていただろう。だが、二人は出会わなかった。そして、一人は猟銃で、一人は短銃で、それぞれ自殺した。


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by enzo_morinari | 2012-08-16 05:00 | 『アメリカの鱒釣り』の死 | Trackback | Comments(0)