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東京の午睡#1 序・前口上

 
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東京の午睡」と書いて「とうきょうのひるね」と読む。『東京の午睡』は東京に生きるわたくしの寝言やら独り言やら繰り言やら小言やら諫言やら暴言やら失言やら遺言やらを、できうれば「東京事(とうきょうごと)」乃至は「東京事態(とうきょうじたい)」を踏まえつつ、ほぼ自動書記で、ということはつまり、思うまま考えるまま感じるまま見たまま聴いたまま推敲やら加筆やら訂正やらなしに書き殴り、書き飛ばし、書き放ち、書き捨てといったかたちで記述される。風狂明快なることこのうえもない戯れ言遊びとなるはずである。

わたくしは東京の空気などいっさい読まぬし、わたくしの知ったことではないが、『東京の午睡』はグレート&ファックに汚れた東京の空気を思うぞんぶん吸いこんだうえの、ある種の「東京の現在」ともなろう。それはすなわち、「のっぴきならないわたくしの現在」をもあらわすものであって、永井荷風『シ墨東綺譚』を母とし、作者不詳『江戸午睡』を父とする。けっして、孤児ではない。

サブカルなど糞喰らえの立場はかわらぬし、堅持するが、否が応でもサブカル臭は漏れ出すに相違ない。サブカルチャーはもちろん、カウンターカルチャーさえ飲み込んで、ついには「トキオクールチュール」のとば口あたりまでたどり着けるならば望外の収穫である。さらには、これは些末なこだわりの類いであるけれども、東京「に」生きるほかに、東京「を」生きる、東京「で」生きる、東京「は」生きる、東京「の」生きる等々をも試みていく予定である。

いずれにしても、わたくしにとっては、「生きること」はすなわち「東京すること」でもあるから、当然に処世訓、人生論、人間学に加えて、政治論、経済論風なフレバも醸すことが予想される。その場合、「なんでもわかっているお見通し」な御仁は、さっさと、しかも、物静かに退場するがよかろう。以後は、『東京の午睡』が本欄の中心となっていく。(「ある事情」によって、今後、「小説」のスタイルをとっている類いのテクストを本欄で発表することができなくなってしまったことを、言い訳がましく付記しておく。いずれ、未完のテクストどもは、「別のかたち」で諸兄の目汚しの栄に浴すこともあろうが、それはそれで、ある種の風狂、御愛嬌である。もって、瞑すべし。)

『東京の午睡』は範を元禄の頃に世に出た『江戸午睡(えどごすい)』にとっている。作者不詳のこの戯作本は「匿名」の体裁をあえてとって、自由闊達、放埒自在に「江戸」の森羅万象を俎上に載せ、解体しまくり、調理調味しまくり、刺身にし、煮付けにし、唐揚げにし、炒め物にしといった具合に江戸を骨の髄まで味わい、しゃぶりつくしている。まさにアノニマス・ガーデンで時さえ忘れて無心に一心不乱に遊ぶ真の自由人、幼子のこころを『江戸午睡』の中にわたくしは読み取った。『江戸午睡』は当時、空前絶後のベストセラーとなり、ブーム後は長屋という長屋の路地、入口、ゴミ捨て場に、文字通り山のように積まれていたとモノの本にある。わが『東京の午睡』もまた、かくありたいものである。

なお、西沢一鳳の『皇都午睡(みやこのひるね)』は寡聞にして存在すら知らず、もちろん、読んだこともなく、このたび『東京の午睡』をはじめるにあたって、基礎資料の収集のために吉里吉里国国会図書館、東京帝國主義大學歴史文庫、早稲田圃大学演劇博物館ほかで江戸期の戯作本、黄表紙の類いを片っ端から読み飛ばしているうちに偶然発見した。発見したときは嬉しいやら悔しいやら、不思議な心持ちであった。西沢一鳳翁の慧眼に敬意を表しつつ、ゆっくりのんびりたっぷり天下太平楽に午睡のごとく朦朧茫漠茫洋としてすすめる次第である。


かくして、本日も東京は天下太平楽である。

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by enzo_morinari | 2012-01-01 00:00 | 東京の午睡 | Trackback | Comments(0)