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カテゴリ:横浜Night Lights( 1 )

Night Lights, Bay City YOKOHAMA/海賊稼業と港からみえる夜の街のあかりといつも聴こえていたGerry MulliganのNight Lights

 
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横浜の港にいるあいだは、昼間でもGerry MulliganのNight Lightsが聴こえていた。

地べたを舐め、這いつくばり、石もて追われた経験のけの字もない甘ちゃん/いい子ちゃん/マジメくんは、除菌されたクレゾールのにおいのする明るい表通りで二人でお茶を飲んできれいごとおべんちゃらおためごかしいいひとぶり善人ぶり仲良しごっこをやっているかママにキャラメルをおねだりするか極楽とんぼになってクソ田舎を飛びまわっているのがお似合いだ。


泡劇場崩壊後間もない海賊稼業の時代。山下埠頭や本牧埠頭や大黒埠頭で外国船の船員相手に中古の電化製品(早い話が粗大ゴミ)や中古車/中古バイクや中古自転車(いずれも廃車されたか放置自転車として処分されたもの)を8tのロングのトラックやトレーラーに満載して売りさばいていた。仕入れはすべてロハ。つまり、ただ。私の海賊稼業の時代、Bay Side on My Mindの時代だ。

1USドル=130円。実入りは1日に3000ドルを下らなかった。事務所と倉庫を借り、人手とトラックを増やすと倍々ゲームだった。手にしたUSドルはすべて本牧埠頭にあるUSS Seamen’s Clubで日本円にかえた。ビルが何本も建つほど稼いだ。毎朝起きると頬っぺたをつねって夢でないことを確認した。

危ない橋も渡った。塀の内側に落ちるまであと数歩ということが何度もあった。危ない橋を渡り、塀の上を歩く過程で海上保安庁第三管区海上保安本部の国際犯罪対策室の海上保安官とともだちになった。顔パスで国際犯罪対策室に出入りできるまでになった。麻取Gメンと税関のGメンは仕事仲間といえるくらい気心が知れる仲になった。情報提供をし、なにがしかの見返りを受け取った。デコスケだけは最後まで反りが合わなかった。

Under Coverのためにコロンビア船やロシア船やイラン船に泊まることもあった。船員は「訪船」を喜んで迎えてくれた。食い放題飲み放題ヤリ放題。おまけにオフィサーとおなじクラスの船室に泊めてくれた。大桟橋に停泊係留するロシアの貨客船には目の玉が飛び出るくらいの美人が大勢いた。中古の3ドア冷蔵庫1台でひと晩たのしめた。

ロシアの貨客船ルーシー号の船長であるセルゲイ・バシィーリーはチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で6位入賞というとんでもない経歴の持ち主だった。「音楽では食えない」というのがキャプテン・セルゲイがピアノを諦めた理由だった。

セルゲイはUSS Seamen’s Clubの調律のされていないYAMAHAのアップライト・ピアノでクラシカルやジャズ・ミュージックやポピュラー・ソングやスタンダード曲を弾いて聴かせてくれた。セルゲイが私のリクエストに応えて、ラフマニノフのピアノ・コンチェルト2番の第2楽章を弾いたときには不覚にも塩味のダイヤモンドが数粒こぼれた。セルゲイも塩味のダイヤモンドを流しながら弾いていた。故郷の親兄弟、国に残した妻や子のことが頭をよぎったか。

Gerry MulliganのNight Lightsをリクエストしたら、セルゲイは”My favorite songs!”と言ってから繰り返し繰り返しNight Lightsを弾いた。Seamen’s Clubの喧騒がやみ、Seamen’s Clubにいるだれもが息を殺し、神妙な面持ちでセルゲイの演奏に聴きいった。いつも陽気なフィリピン船の船員たちも。みんな心は疲れているんだなと思った。

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横浜の港にいるあいだは、昼間でもGerry MulliganのNight Lightsが聴こえていた。夜の帳がおり、昼間の喧騒が消えて沖仲仕たちも家路につく頃。横浜の港は濃密な静寂のうちに沈む。桟橋の先端のボラードに座り、フィリピン船の船員からもらったぬるいサンミゲルを飲む。そして、夜の光を浴びて夜光虫のように艶かしく光る横浜の街を眺める。

YOKOHAMA Night Lights ──。けたたましく忙しなくデンジャラスな日々の中で忘れかけていた”たいせつなこと”を取りもどし、見失わないための宝石のような時間だった。そして、それは私がおとなのとば口からちゃんとしたおとなになるための通過儀礼のような時間でもあった。実際、横浜の夜の港の時間を経験するごとに自分が少しずつだが確実にタフでクールでハードボイルドでスマートになっているように思えた。

海賊稼業の時代、Bay Side on My Mindの時代は商売がハネたあとは浴びるほど酒を飲み、遊んだ。本牧と野毛と中華街がメインの飲み場/遊び場だった。

中華街にはアブナイ店/場所、ヤバイ店/場所、アンタッチャブルの店/場所がいくらでもあった。ある意味で、中華街は解放区あるいはHard Dangerous Zone/超危険地帯、パニック地帯だった。

事情を知らずにディープな店/場所に隙だらけで足を踏み入れて、そのまま行方知れずになった例は山ほどある。死んだ場合は当然に死体は出ない。

地べたを舐め、這いつくばり、石もて追われた経験のけの字もない甘ちゃん/いい子ちゃん/マジメくんは、除菌されたクレゾールのにおいのする明るい表通りで二人でお茶を飲んできれいごとおべんちゃらおためごかしいいひとぶり善人ぶり仲良しごっこをやっているかママにキャラメルをおねだりするか極楽とんぼになってクソ田舎を飛びまわっているのがお似合いだ。


Night Lights - Gerry Mulligan (1963)
 
by enzo_morinari | 2019-03-24 11:30 | 横浜Night Lights | Trackback | Comments(0)