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カテゴリ:17歳の地図( 1 )

吹きこぼれるように書きたい。いや、殺したい。思想的な乱暴者/詩心を持つ悪党/なにものにも妥協しない暗殺者/夕闇のバス停でひとりふるえる少女に涙する無法者/ひと枝のかすみ草を愛するならず者でありたい。

 
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おれは1億分の1ではない。

×ひとつ。あとみっつでおしまい。

中上健次が死んで、世界は名前のない地図と生死を超えた神話世界と胎内のような路地を失ってしまった。

大江健三郎もじきに死ぬだろうが、そのときはアトミック・エイジの凄腕の神様のピンチヒッターとして、ヒロシマとナガサキの望徳の鐘もロンゲラップ・ピープルの悲しみのHIP-HOPもニガヨモギの核の棺桶もハッピー・アイランドの核のゴミ捨て場も銀河系宇宙の彼方までかっ飛ばし、名うてのピンチランナーとして、充分にリードをとって、同時代ゲームのゲームセットのホイッスルが雨の木球場に鳴り響くまで、涙が魂におよぶまで泣く。リーリーリーリーリーリーと高らかに声をあげて。わが狂気を生き延びる道を教えよと17歳で死んだ政治少年のように。


中上健次の『岬』は1975年のクリスマスに5歳年上のガールフレンドがプレゼントしてくれた。カシミアのネイビー・ブルーのマフラーとそろいのカシミアの手袋と一緒に。17歳の誕生日だった。

中上健次は『岬』のあとがきに書いていた。

吹きこぼれるように、物を書きたい。いや、在りたい。ランボーの言う混乱の振幅を広げ、せめて私は、他者の中から、すっくと屹立する自分をさがす。

翌日の黄金比の朝の沈黙ノートには次のようにと書いた。


吹きこぼれるように書きたい。いや、殺したい。ボードレールのような悪の華を咲かせて世界の混乱の振幅をさらに広げ、他者からすっくと屹立し、孤立する自分を探す。思想的な乱暴者/シジフォスを手玉にとり、まばたきもせずに太陽を凝視する異邦人/やがて大海となるバッハの小川のほとりにたたずむ単独者/饒舌なかごの鳥の前で沈黙する帝王/至上の愛に背を向けるキセノフォーンのコロッサス/あらゆるモノとコトから逃亡する脱走兵/生まれたばかりの赤ん坊から棺桶に首までつかった年寄りまで震えあがるお尋ね者/ファニー&ファンキーなテロリスト/いつも静かに微笑っているペシミスト/だれにもみせない心のうちは沸騰寸前に滾っているニヒリスト/ロマンチシズムを失わないリアリスト/現実を冷厳冷徹に見据える永久革命家/チャプリンを愛する独裁者/心の奥深くに愛誦する一片の詩を密かに隠しもつ悪党/なにものにも妥協しない暗殺者/夕闇のバス停でひとりふるえる少女に涙する無法者/ひと枝のかすみ草を愛するならず者でありたい。


15歳になる年に『十九歳の地図』で中上健次を知り、その濃密な文体と危うさに強く惹かれた。『十九歳の地図』の主人公にならって、自分が現に生きている世界/古今東西のあらゆるものに◯と×をつけた。三島由紀夫の死の痛手から立ちなおれたのは中上健次と『十九歳の地図』のおかげだった。

×をつけたものは手加減なし容赦なしで罰した。世界から葬り去ったものもある。1964年版平凡社世界大百科事典の林達夫の巻頭言を引きちぎり、八つ裂きにし、唾を吐きかけ、踏みつけ、最後は野毛の火葬場で跡形もなく燃やした。林達夫には400字詰め原稿用紙42枚に及ぶ脅迫状を送った。

林達夫からは目のさめるような達筆で礼状が届き、あとから当時最新の1972年版平凡社世界大百科事典が送られてきた。「思想のドラマトゥルギーを持つ共産主義的人間はやることがちがう」と感心した。

林達夫の自宅で大江健三郎と初めて会い、ともだちになった。大江健三郎はまだ痛風を発症しておらず、色白で薄桃色でぷよぷよツヤツヤしていた。大きくておいしそうなミミナガバンディクート耳だった。左の耳たぶをフルニフルニしたら、すごくよろこんだ。宙返りする太ったうしろの百太郎だと思った。

文章は関係代名詞だらけの吃音体で「、」が多すぎるし、脳みそのシワが少ない腰の座らぬポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の腑抜けどもによる毀誉褒貶は色々あるが、いずれにしても、大江健三郎は人間がいい。洪水が及んでもなんら変節しない魂の質が。

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大江健三郎についてああでもないこうでもない滑った転んだと寝言たわ言をほざく野郎は脳ヘルニアに罹ってむごたらしく死んじまえばよろしい。大江健三郎もじきに死ぬだろうが、そのときはアトミック・エイジの凄腕の神様のピンチヒッターとして、ヒロシマとナガサキの望徳の鐘もロンゲラップ・ピープルの悲しみのHIP-HOPもニガヨモギの核の棺桶もハッピー・アイランドの核のゴミ捨て場も銀河系宇宙の彼方までかっ飛ばし、名うてのピンチランナーとして、充分にリードをとって、同時代ゲームのゲームセットのホイッスルが雨の木球場に鳴り響くまで、涙が魂におよぶまで泣く。リーリーリーリーリーリーと高らかに声をあげて。わが狂気を生き延びる道を教えよと17歳で死んだ政治少年のように。

その後、林達夫の鵠沼の自宅には何度も事前のアポイントメントなしで遊びに行った。それは襲撃と呼ぶにふさわしい。ハヤタツ百科全書屋再襲撃。再々々々々々々襲撃。襲撃のたびに林達夫はお小遣いをくれた。感謝の言葉も言わずにことさらに不満げな顔をして「少ねえな」とつぶやくと、林達夫はニコニコしながら初めにくれたのと同額のカネをくれた。林達夫からもらったカネで本を買った。次に襲撃したときにそのことを克明に記したものを林達夫に見せた。林達夫はすごくよろこんだ。林達夫のところからは金目のものを随分と持ち去った。林達夫はすべてお見通しだったがなにひとつ咎めず、やはり静かに微笑っているだけだった。私をジャンジュネ・ボーイと呼んで頭を撫でてくれさえした。

林達夫とは主にフランス語で会話した。鵠沼海岸にならんで座り、時さえ忘れて宇宙しりとりをやった。すべて私の勝ちだった。ディドロ&ダランベールが守護者としてついている私に勝てる者はこの宇宙/石と氷晶としてのマグリット世界にはいない。宇宙を支配する巨大な意志の力をのぞいて。

林達夫が死んだときは季節みっつ分仕事が手につかなかった。どこのだれとも知れないやつに涙を見られるのがいやで葬式には行かなかった。この世界にもはや林達夫がいないのだということを思い知らされるような気がして、墓参りにも行っていない。くたばる前に参って、「地獄でもよろしく。思想上のおじいちゃん」と伝える。

17歳の誕生日から17歳の地図をつくりはじめた。17歳の地図はまだ完成していない。17歳の地図の製作作業は現在もつづいている。進行中。未完成を前提にした作業。それは、死ぬまでつづく。

ちょうど10年後の1983年に尾崎豊が『十七歳の地図』で世に出たときは激怒した。怒髪天どころか非利発な理髪店を42軒つぶすほどだった。ガミ術の10年殺しを尾崎豊にかけてやった。10年経たずに尾崎豊は死んだ。

世界のどこでもない場所/生と死の境界を超越した神話世界としての物語を中上健次から学び、盗んだ。中上健次には感謝の念が強い。慚愧に堪えないが。刻んだ×印と人肉と怒りと憎しみと悲しみは数えきれないが。

中上健次が死んで、世界は名前のない地図と生死を超えた神話世界と胎内のような路地を失ってしまった。悲しかった。すごく悲しかった。黄金比の朝が、夕暮れのコペルニクスが天井裏を歩きまわる虚数の夜の果ての旅の拳銃無宿にかわり、千年の愉楽がけし飛ぶほどに悲しかった。母親を失った気分だった。世界など割れてしまえ、熔けてしまえ、死んでしまえと強く思った。

×を∞個つけた居残り佐平次には2013年の秋に7年殺しをかけてある。妖怪ヨマズニイイネオシのパルジー・マサシとアホマホ婆(63Kittyと95Psycho)にはついいましがた2年殺しをかけた。のたうちまわり、もがき苦しみ、むごたらしく死ぬがいい。

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by enzo_morinari | 2019-02-27 03:04 | 17歳の地図 | Trackback | Comments(0)