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カテゴリ:ウィンダムヒル・ラプソディ( 1 )

ウィンダムヒル・ラプソディ/バビロン再訪あるいはThanksgivingを迎えたくても迎えられなかった者たちへのRequiem

 
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My Lost City. Babylon Revisited. バビロン再訪。失われた都を訪ね、失われ、損なわれたものの痕跡を探す。

過ぎた季節は遠く速く容赦なく残酷に去りゆき、2度と取りもどすことはできないが、カットグラスのボウルは完全にはロストしていない。粉々に砕け散ったガラスの破片にも世界は映る。

夢はこどものときに砕け散る。粉々に砕け散るのだ。例外はない。しかし、夢がとっくの昔に砕け散っていたことに気づくのに何十年もかかる。気づいてからのちは、粉々に砕け散った夢のかけら、断片をひとつひとつひろい集め、つなぎあわせ、頬ずりし、そっと口づけ、数知れぬ溜息をつき、夢の墓場に埋め、あきらめきれずに掘り起こし、さらに埋めもどし、そして疲れ果ててゆく。成熟するというのはそういうことだ。

いまや、ウィンダムヒルにかつての栄光はない。ウィンダムヒルが失われた都、バビロンそのものであることに気づくのはずっとあとになってからだった。

Windham Hillの音楽は「肩の力を抜いて」「だいじょうぶ。いつもそばにいるよ」と言って励ましてくれた。


1980年代初頭。だれもが疲れ果てていた。なんとなくクリスタルな風に吹かれ、浮かれ騒いでいるようでいて、孤衆予備軍の心の中には意地の悪い隙間風が吹いているように感じられた。飲まず食わず恋もせず、おまけにクラシカルな音楽しか聴かない、趣味は読書だけというインテリ・ブローなSittaca Barryの心にさえ。

25mプール1杯分のビールを飲みほしても、気のいいバーテンダーのいる古いジュークボックスから古いうたの流れる居心地のいいバーの床を5cmの厚さのピーナッツの殻で埋めつくしても、古いピンボール・マシンで新記録のスコアを出しても、チャイナのC席に座っても、心にぽっかりと空いた穴は埋められない時代だった。

そのようないやな風向きの時代にWindham Hillは叙情的で透明感のあるアクースティックな音/世界をもたらした。Windham Hillの音/世界はすっと心になじみ、しみこんだ。こわばった心がゆっくりほどけていくようだった。ECMのストイックさとは異なるやさしさ/さりげなさが疲れた心にしみた。

癒し系/ニューエイジという胡散臭いタームとは離れて、アール・クルー/アレックス・デ・グラッシ/ウィリアム・アッカーマン/ジョージ・ウィンストン/タック&パティ/フィリップ・セス/マーク・アイシャム/マイク・マーシャル/マイケル・ヘッジス/リズ・ストーリーらの音/音楽世界は心になにがしかの潤い、豊かさをもたらした。Windham Hillの音楽は「肩の力を抜いて」「だいじょうぶ。いつもそばにいるよ」と言って励ましてくれた。

いまや、ウィンダムヒルにかつての栄光はない。ウィンダムヒルが失われた都、バビロンそのものであることに気づくのはずっとあとになってからだった。

これからここに書きしめすのはだれもが疲れ、心が風邪をひいていた時代の物語、Thanksgivingを迎えたくても迎えられなかった者たちへのRequiem、ある意味のバビロン再訪だ。慰めも教訓もないが、立ち止まり、ふりかえり、失ったもの、手放したものを掘り起こし、温め、埋めもどすきっかけはあるかもしれない。いくぶんかの痛みと悲しみをともなうが、癒えぬ痛み/悲しみではない。そうあればいい。

過ぎた季節は遠く速く容赦なく残酷に去りゆき、2度と取りもどすことはできないが、カットグラスのボウルは完全にはロストしていない。粉々に砕け散ったガラスの破片にも世界は映る。


George Winston: December - Full Album (1982)
 
by enzo_morinari | 2019-02-25 04:42 | ウィンダムヒル・ラプソディ | Trackback | Comments(0)