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カテゴリ:アール・クルー日和( 1 )

アール・クルー日和#1

 
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村上春樹的なるものとの訣別のために私と猿の漫才師サルーがやったことは『午後の最後の芝生』が掲載されている1982年8月号の『宝島』を庭の芝生の上で焼くことだった。


鉄の掟、家事の得意な金持ちの友人、生涯にたった一人の友人
かつて、アール・クルー日和と呼ばれる日々があった。1985年の夏のことだ。1985年の夏から33年の歳月が流れた。そろそろあの夏の日々について語る潮時である。なにごとも潮目潮時が大事だ。いまを逃しては永遠に語ることはできない。

いま私は語ろうと思う。1985年の夏の日々と私自身と猿の漫才師サルーのために。私と猿の漫才師サルー以外の人々に有用な教訓や慰めはこれっぽっちもない。あるはずもない。あるべきではないとすら感じる。しかし、少しは彼らを元気づけられるかもしれないし、勇気を与えられるかもしれない。そうあってほしい。 

1985年の7月1日から9月15日まで。ひと夏を鎌倉の七里ケ浜ですごした。古い友人であり、ドゥービー・ブローでもある猿の漫才師サルーの別荘に居候である。

猿の漫才師サルーとの共同生活はこれまでのジェットコースター・デイズの中でもっとも愉快痛快爽快刺激的でドープでクールでファニーでファンキーで天国音楽だった。あの2ヶ月半におよぶ海と波と光と風と星と月と雲と詩と快楽と(Beach Side店ではなく Hill Top Side店の、さらにわれらが「アロハ・ロングボード・オールバック・ファット・ヒゲマスター」のいる)珊瑚礁の海老みそカレーとビーフ・サラダと音楽とクサ(あるいはハッパ)とマーティンD45と酒とバカの日々はこの世界とオサラバするときに持ってゆく宝石のうちのひとつである。 

ゼニは持っているほうが出すというわれわれの鉄の掟に従い、猿の漫才師サルーが夏のあいだの出費の全額を負担した。また、炊事、洗濯、掃除も猿の漫才師サルーが受けもった。持つべきは家事の得意な金持ちの友人である。その意味で猿の漫才師サルーは完璧な友人であった。おまけに猿の漫才師サルーは凄腕のガール・ハンター、当代一流のナンパ師でもあった。

猿の漫才師サルーが2人の女の子に声をかけ、その15分後には4人仲良くメイクラブというのが最短最良の記録である。しかも、猿の漫才師サルーはかならず美人のほうを私に引き合わせるという配慮までしてくれた。私は1985年の夏の日々によって友人は猿の漫才師サルー1人でよいと決め、以後、きょうまでそれを守りつづけている。


Long Ago And Far Away - Earl Klugh (1977)
 
by enzo_morinari | 2018-11-28 10:02 | アール・クルー日和 | Trackback | Comments(0)