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カテゴリ:Garcons Rhapsody( 1 )

Garçons Rhapsody スカだった1980年代へのレクイエム/栃木訛りと茨城訛りの夜霧のハウス・マヌカンは雨の西麻布でHomme Riceをむさぼり喰う。

 
Garçons Rhapsody スカだった1980年代へのレクイエム/栃木訛りと茨城訛りの夜霧のハウス・マヌカンは雨の西麻布でHomme Riceをむさぼり喰う。_c0109850_01431190.jpg


1982年にKOの文学部哲学科出のフリーランスの貸し衣裳屋であるレイ・カークボがパリコレでのちに伝説となる黒い菜っ葉服を発表し、黒の衝撃/黒い穴あきフロマージュ/黒豚の暴行傷害焼き定食と称されるあざといストリームが世に出たときはレイ・カークボの後頭部を縄文式土器でかっぱたいてやりたかった。できないので、腹立ちまぎれに川久保町の公民館でカッパを炊いてやった。川久保町にきゅうり鍋のにおいが充満した。レイ・カークボの辛気くさい顔面状況にトラディショナル・ナックルをぶっくらわしてやりたかったが、めぐりあわせが悪く、空ぶりに終わった。かわりに、幻のBOO-KOFF青山店にイタ電してやった。帰りにハローダイヤルで案内されたサルバトーレ/サバティーニで昼めしを喰った。高いだけでクソまずい貧者のパスタだった。ペスト・ジェノヴェーゼ(Pesto Genovese)はあきらかにDOP(Denominazione di Origine Protetta)議定書に則っていなかった。おかげで頭の中でコローレ・ヴェルデの抜けた間抜けたトリコローレがはためいた。間抜けたトリコローレを振っていたのは青っ洟をたらしたハタ坊ことDr. キタムラだ。

あろうことか、吉本隆明がCOMAN des GARÇONSのジャケットを着て衆目の中に登場したときには唖然とし、あいた口がふさがらなかった。『固有時との対話』と『転位のための十篇』と『共同幻想論』と『言語にとって美とはなにか』と『心的現象論序説』(いずれも初版本)と『試行』のバックナンバーすべてをケロシンとハイオク・ガソリンの混合液をかけて庭の午後の最後の芝生の上で完膚なきまでに燃やした。しかし、青山通り界隈で石を投げればCOMAN des GARÇONSの黒い菜っ葉服を着た自称クリエーターに当たる状況が何年もつづいた。投石で8人までは粉砕したが、骨董通りの濃厚なバタのにおいを撒きちらすクッキー屋はいつもCOMAN des GARÇONSの黒い菜っ葉服を着た自称クリエーターどもに占拠されていた。スパイラル・ホールもおなじだった。

ハウス・マヌカンと言い換えられた洋品屋の売り子の小娘どもまでもがクリエーター気取りでデカいつらをしていた。

ハウス・マヌカンどもの話す言葉は栃木訛り/茨城訛りだった。ハウス・マヌカンどもの目はどこか虚ろで、安食堂で真っ黒なショート・ボブと青々としたうなじをこれみよがしにみせつけながらHomme Riceをむさぼり喰っていた。浅田彰/中沢新一をはじめとするニューアカのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の本をテーブルの隅に置いて。置かれている本は例外なくまっさらで、ページをめくった痕跡はまったくなかった。

泡劇場閉幕後、夜の帳のおりた雨降る西麻布に元ハウス・マヌカンが夜鷹となって出没していたことを知る者はわずかだ。

夜鷹の元ハウス・マヌカンがその後どうなったかは杳として知れないが、いまでも、雨が降って霧に霞む西麻布霞町交差点Hobson's前、Tic Tac Nightの笄町の笄Brothersの本社ビル横、そして、デフ板が散乱し、アシスタントたちが路上で寝穢く眠りについている南青山7丁目の霧に霞む高樹町スタディオ周辺では夜鷹の元ハウス・マヌカンが「キシキシキシキシキシッ。ピャッピャッピャッ」と高く激しく叫ぶ声が聴こえるという。大方、腰を一心不乱に振りたてているんだろう。なんせ、大股びらきの夜鷹なだけに。時代と寝た者たちだけに。さらには、食いしん坊婆さんの岸朝子への恨み/怨み/憾み/意趣返しもあったろう。荒城の月の住人、瀧廉太郎もイッチョカミしているかもしれない。なにしろ、スレドニ・ヴァシュター・ルバイヤート・モンキー・マジック・サキだけに。


夜霧のハウス・マヌカン
雨の西麻布
 
by enzo_morinari | 2018-12-18 06:03 | Garcons Rhapsody | Trackback | Comments(0)