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カテゴリ:早く家に帰りたい。( 1 )

早く家に帰りたい。Homeward Bound.

 
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複雑で剣呑で厄介でよんどころのない事情がいくつも絡まりあって、一時期、生物学上の父親の元で季節みっつ分暮らした。小学校6年のときだ。事情はともあれ、私が世界で1番憎んでいる男の家に転がりこんでいるのはひどい苦痛だった。死を強く願い、呪い、殺してやろうとさえ考えている男の元にいることは。

有栖川宮公園近くに生物学上の父親の家はあった。当時、あるアメリカの飲料水メーカーの日本法人を立ち上げて成功して財をなし、羽振りのよかった父の家はたいそうな豪邸だった。地下には図書室があり、ボールルームやビリヤード室や温水プールやリスニング・ルームまであった。

その家には腹ちがいの兄や姉が何人にもいた。場ちがいなところに来てしまったという居心地の悪さが常にあった。

腹ちがいの兄姉のうちの長兄は年齢がひとまわりほどもちがった。私は長兄を親しみをこめて「兄公」と呼んだ。ニコと呼ぶこともあった。「アニコウ」の略称。それと兄公の名前が「勝利」だったからだ。ロシア語のニコライ、ギリシャ語のニコラオスは「(対人的な)勝利」を意味する。さらにはほとんど笑ったことがないから皮肉をこめて。

ニコと呼ばれるのを兄公はすごく喜んで、そのときだけは私のほかに人がいなければとても魅力的な笑顔をみせた。「ニコ」のいわれを話すとさらに喜んだ。

「すごいな」
「ニコよりIQが高いだけの話さ」
「かわいくないな」
「かわいくないけど大好きだろう?」
「まあな」
「本当はかわいくてしかたないだろう?」
「うるせえ!」

兄公は私の大嫌いな「団塊の世代」に属するが、群れない男だった。徒党を組むことを極端に嫌った。学生運動やら全共闘運動やらで徒党を組む同世代の人間を憎悪し、軽蔑していた。三島由紀夫が東大の五月祭に来て全共闘の学生たちと討論するイベントで芥正彦に殴りかかったのはニコだ。ニコは「ゴミアクタの野郎め。女をくいものにしやがって」と言って憤慨していた。さらには「あんなA( )Cのいやなやつはいない」とも。

孤独孤高孤愁のひとだった。孤独。孤高。孤愁。激烈。孤立無援。それがニコをほぼ正確にあらわす言葉である。

日本刀をひとふり携えて単身京浜安保共闘のアジトに乗りこんで大立ちまわりを演じて逮捕されたこともある。殺人予備/住居侵入/器物損壊等々に抵触する重罪にもかかわらず執行猶予付き判決だった。死人怪我人が出ていないことと検察官も裁判官も「義挙」と受け止めたからだろう。検察官は論告求刑で執行猶予付き判決を求めた。異例中の異例だ。現在では考えられないが、時代ということもあったんだろう。

釈放されて帰ってきた日は野毛のジャズ喫茶ちぐさに一緒に行った。HONDA CB - 750(ナナハン)に二人乗りして。吉田衛さんがまだお元気で達者だった頃。日野皓正が店の自作巨大スピーカーのキャビネットに座り、ほっぺたをパンパンにふくらませてコルネットを吹いているすぐ横で目を閉じて聴き入っている吉田衛さんの写真が大きなパネルで壁にかけられていた。

「どうだった? おもしろかった?」
「デコスケは馬鹿ばっかりでつまらない」
「馬鹿は警察官だけじゃない」
「だな。なんでやったんだって訊くから、太陽がまぶしかったからだって言ってやった」
「ふん。警察官は『異邦人』を読まないよ。警察官という生きものはカミュどころか本を読まないし、ものを考えたりもしない。あいつらの脳みそは筋肉でできている。国家の暴力装置というのはそういうものだから」
「訳知ったようなことを言いやがって」
「そうでなきゃ、デモ隊に水平撃ちなんかしない」
「なるほどな」
「で、学校はどうするの?」
「やめるよ。最初からそのつもりだ。死人が出ると思ってたからな。死人どころかネズミ1匹いやしない。逃げ足の速いやつらだ」

ニコはそう言って吉田衛さんにジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』をリクエストした。ニコは結局、東大の仏文科を2年で中退した。やめずに卒業したところで、残りの2年間は時間の無駄になるだけの話だったが。学校側は停学という寛大な処分で済まそうとした。しかし、ニコは家族の説得にはいっさい耳を貸さず、さっさと退学届を提出した。

「安田講堂に火をつけときゃ金閣寺放火犯の林承賢のようになれたのにな。”象牙の塔の破壊者”って」

退学届を提出した日、ニコはそう言ってすごく大きな笑い声をあげた。

兄公は私を「シュート」と呼んだ。なぜ「シュート」なのか。私がサッカーに夢中になっていたことと、「秀れた弟/秀弟/シュウテイ→シュート」だと兄公は私には目もくれずに朝日ジャーナルを読みながら答えた。遠い昔々、大昔のことだ。ニコとシュート。いいコンビだった。

***

ビートルズが解散して兄公どもが嘆き、サイモン&ガーファンクルに慰めてもらった時代がかつてたしかにあった。

思えば、私の「青春時代」の中心である1970年代は自衛隊市ヶ谷駐屯地における三島由紀夫の自裁/東京事変の衝撃で幕をあけた。

エルビス・プレスリーは自室に閉じこもってドーナツを頬張り、キノコ頭4人組のカブトムシ楽隊の野郎どもは何年も前に「なるようになるさ」と言い放ってさっさと大衆に背を向けた。おかっぱ頭と天然パーマの二人組が得体の知れない明日に怯える孤衆予備軍に向け、逆巻く渦にも負けない橋を架けてあげようと歌っていた。

おかっぱ頭と天然パーマの二人組が架けたうさん臭い橋は健在だった。さらには、大工の息子とその妹が「巨食症の明けない夜明け」のためのジャンバラヤを撒き散らしていた。ケイジャンはアメリカ南部のジャンケン、パエリアはパイ、ナシゴレンは梨のデザートだと思っていた。極太レッド・ホット・チリペッパー・ウインナーに足を取られて伊勢佐木町のポンパドールの前で42回すったおれて痛い思いをした。おかげで3人のガールフレンドが去った。だから、ジャンバラヤはいまでも嫌いだし、食べない。トマトケチャップは憎んでさえいる。1970年代的痛みの痕跡だ。

ひとはなにごとからでも学ぶことはできるし、たとえそれが痛みをともなう経験であったとしても、その痛みの痕跡が死ぬまで残るとしても、大切なものを失う結果をもたらしても、無駄ではない。ひとはそれを成熟と呼ぶ。

そのような時代を経て、木綿のハンカチーフが真っ赤なドレスと真っ赤な靴に変わり、「のんびりゆこうよ~おれたちは~」などと暢気にほざき、ガス欠したポンコツのRenault Quatreを押す鈴木ヒロミツの脇で、のちに類人猿の父親となるマイク眞木が「のんびり行こうよ、俺たちは~。焦ってみた~って、おなじこと」と歌っていた。その横を「かわいいあの娘はルイジア~ンナ」というどこかぎこちないキャロルの和製ロックンロール風演歌に発情したクールスが駆け抜け、ウェストコーストの薄っぺらで上げ底の波がなんとなくクリスタルでただ居心地がいいだけの街に押し寄せようとしていた。そのあとには、ごていねいにも風の歌を無理矢理聴かされて故障しかかった不全感の塊のようなスパゲティ・バジリコとピンボール・マシンにこっぴどい目に遭わされたナイーブなロースハムが用意されていた。羊と双子とセックスの混じったにおいのするひとの弱みにつけこむ時代がやってくるのは数年後だ。

1970年代末、街には『Hotel California』の物悲しい旋律がいつも流れていたと記憶する。当時は「アイデンティティ」だの「共通体験」だの「同苦」だの「共通感覚」だのといった言葉がある種のファッションのように語られていたが、私はそれらの言葉に対してなんとはいえない軽薄さ、皮膚が毛羽立つような異和、上滑りしたお祭り騒ぎのごとき印象をぬぐえなかった。

「身体は1立方メートルにも満たないちっぽけな器にすぎない」と抜かすいけ好かない気取り屋がいた。

「きゅうり1本作るのにどれだけの石油が消費されるか。そういうところから発想するべきだ」

三四郎池のほとりで鳥取のクソ田舎出身のいけ好かない気取り屋が言った。砂丘で食ってるクソ田舎野郎がなにをぬかしやがるかと思った。おめえはマスクメロンの網目の数でも勘定してやがれよ。

「じゃ、おまえ、手拍子100回やったらエネルギーの無駄づかいか? 足踏み鳴らしつづけたら浪費か? じゃ、音楽は生まれてきてごめんなさいだな」
「おれは土人の音楽は聴かない」

唖然とした。立てつづけにゲップが出た。昼めしで食べたメンチと消化液の混ざったいやなにおいが鼻先にまとわりついた。このクソ田舎出身のいけ好かない気取り屋の言で唯一いいところは、あらゆる資源が消え失せたときにわれわれはどんな音楽をどんなふうに奏でるのかということを考える端緒をもたらしてくれたことだ。

クソ田舎出身のいけ好かない気取り屋は現在、文科省の初等中等教育局教育課程課教育課程企画室で「表現及び鑑賞の活動を通して音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育てるとともに音楽活動の基礎的な能力を培い豊かな情操を養う」ことを謳い文句に日本の音楽教育を台無しにし、死に至らしめるべく日夜口出し手出し利権漁りに邁進している。

そのような時代のまっただ中にニコはなんらの前触れもなく行方をくらました。40年近い歳月を経て、2008年のクリスマス目前、ニコは私の前に姿を現した。やはり、なんらの前触れもなく。私の誕生日祝いにとフランソワ・ラブレーの『Gargantua, Pantagruel』の原書の稀覯本を携えて。

「やっと”早く家に帰りたい”と思ったから帰ってきた。40年かかった」

ニコはそれだけ言うと私を抱き寄せ、強い力で抱きしめた。黒ばらのジャコーのポマードのにおいがした。私が口をひらきかけると、「わかってる。なにも言わなくていい」と言ってさらに強く私を抱きしめた。

「ニコと吹かれたい風があったんだ。ニコと眺めたい星や夕陽や虹や空があったんだ。ニコと飲みたい酒があったんだ。ニコと食べたいものがあったんだ。ニコと聴きたい音楽があったんだ。ニコの声を聴きたかったんだ。ニコに聴いてもらいたいことがあったんだ。何度も何度もニコの名前を呼んだんだ。いくつ夜を越えてでもニコに会いたかったんだ」と言いたかったが言わなかった。言えなかった。ニコはすべてわかっているから。ニコもおなじ気持ちだと思ったから。

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いくつかある音楽に関する「原風景」のうち、こどもから少年へのとば口に立っていた頃のものは、ビートルズのメンバー4人の顔が配置された『LET IT BE』とサイモン&ガーファンクルの『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』の2枚のジャケットが無造作に置かれた兄公の机である。そのかたわらには吉本隆明の『共同幻想論』とJ.P. サルトルの『存在と無』とアラン・ロブ=グリエの『Dans le Labyrinthe(迷宮のただ中にて)』『Projet Pour une Révolution à New York(ニューヨークの革命計画)』が、これもやはり無造作に、というよりも放り投げてある。いま思えば、ニコもいっぱしの哲学青年もしくは文学青年を気取っていたことがわかるが、当時のニコはいつも眉間に皺をよせ、深い陰翳が顔に宿っていた。

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うつむき加減にぼそぼそと話すニコの姿を思いだす。私以外の一族の者たちすべてがニコに怯えていた。ニコは「恐怖の王」として君臨し、何者の干渉も介入もゆるさなかった。

恐怖の王は私にだけはやさしく、あたたかだった。そのニコもいまでは視力を失い、闇の世界の住人である。ブックエンドがわりの「魚のしるし」はなぜ失われたのか? ニコがいま聴いているのは「沈黙の響き」でもあるのか。美しいものだけを見たいから目を閉じたのか、ニコ。

当時、ニコが繰りかえし繰りかえし聴いていたのがサイモン&ガーファンクルの『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』に収録されているA面4曲目の『Homeward Bound』だった。

繰りかえし繰りかえし『Homeward Bound』を聴いていたニコのそのときの気持ちを本人に直接たずねてみたい気もするが、ひとにはなにかしら他者に触れられたくない心の闇がある。そっとしておこうと思う。「沈黙の響き」がニコを慰め、癒すことを祈りながら。

ニコはどこに行っていたんだろう?
ニコはどこに帰りたかったんだろう?
ニコはなにを考えていたんだろう?
ニコは闇の中になにをみているんだろう?

そんなことを考えながら、今夜は『Homeward Bound』を繰りかえし繰りかえし聴こうと思う。「帰りたい場所」なら手持ちはいくらでもある。「帰りたいけれど帰れない場所/遠くから、はるか遠くから思いを寄せつづけるしかない場所」もいくらでもある。

聴いているうちに本当の「帰るべき場所」がみつかるかもしれない。そうあってほしい。峠のあずま屋でも埴生の宿でもなつかしくない家でもいい。早く家に帰りたい ── 。


Homeward Bound - Simon & Garfunkel
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by enzo_morinari | 2018-10-24 03:29 | 早く家に帰りたい。 | Trackback | Comments(0)