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カテゴリ:The et Satie( 2 )

Willys 野戦救急車型ジープM170で疾走しながら、窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースは肺胞虚脱急性呼吸不全寸前、深き淵の底から警告する。

 
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どいつもこいつも小僧も小娘もジジイもババアもマンコもチンコもそろいもそろって辛気くさいピーピング・トムだ。E-E-M
どいつもこいつも小僧も小娘もジジイもババアもマンコもチンコもそろいもそろって辛気くさいシミッタレだ。出すのは2枚舌と請求書だけ。裏で苔の生えたこっきたねえ舌を出しているのはお見通しだ。E-E-M


1978年のグノシエンヌ/第1番 思考の片隅で Du bout de la pensée.

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい。Paul Nizan


1978年秋。私は20歳を目前に死と戯れていた。私は熱にうなされたように「20歳がひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい」と心の中でつぶやきつづけていた。当時の圧倒的な愛読書であったポール・ニザンの『アデン・アラビア』の冒頭の一節だった。そして、そうなることが宇宙を支配する巨大な意志の力にあらかじめ決められていたように窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースと出会った。その出会いは出会いというよりも正面衝突のようなものだった。

実際、窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースとは本牧麦田のトンネルを抜けてすぐの交差点で正面衝突した。窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースは1958年製Willys M38A1改良型野戦救急車型ジープM170を運転していた。

正面衝突の原因は窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースの居眠り運転と覗き見運転のコングロマリットである。窃視症の居眠り羊だけに。きわめて整合性と妥当性と蓋然性がある。なんせ、窃視症の居眠り羊だけに。時計塔を見るために羊の股座のキンタマーニを持ちあげる牧童のようにパストラルである。キンタマーニ・ドッグはさびしい夕暮れ時に「こんなさびしい夕暮れ時に呼びだしたりして緑色のスライムにそっくりのライチャス・ブラザースの右のほうはライ麦風味のライムライトなラムネよこせよ! サム・ライミはライムハウス・ブルースを口ずさめよ!」と吠える。

窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースは横浜双葉の制服を着ていた。1958年製Willys M38A1改良型野戦救急車型ジープM170から出てきた窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースは「牛のしっぽの赤ワイン煮込み(Queue de Boeuf Braiser)が食べたい」と言って息絶えた。息絶えて42秒後に息を吹き返した。

無性に赤ピーマンのムースとオマール海老の元気が出るテリー伊藤とエイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソースが食べたかった。小港の山手警察署からPCが駆けつけたときには窃視症の居眠り羊のクリーピー・ナッピー・ナッティー・ゴールデン・スランバー・ダースは跡形もなく消えていた。築地のテリー伊藤系たまご焼き一族と元気が出るテレビ一味となにを抜かしやがるか15秒の狙撃手気取りの川崎(テンボ)徹(下衆外道電通映画社)と高橋(オンデマンコ)がなりとゼニカネの虎自己破産一味とひょうきん族一味と萩本の欽公一味をまとめて十羽一カラアゲに皆殺しにしようと決めた。すべてのウーアザッヘはなんつっても築地のたまご焼き一族だから。

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死に魅入られ、死と戯れる。それは小学生の頃からつづいていた。決定的だったのは小学校3年の秋の終わり、私は人間も世界もすべてはばかばかしいのだという結論に達した。数学や物理学や量子力学や生物学や歴史や哲学や思想や先人たちの言説を総合統合した結果えた結論だった。その結論には微塵の揺らぎもなかった。それは今でもまったく変わっていない。変わっていないが踏んだ場数とくぐり抜けた修羅場の数によっていくぶんかの図太さが加わった。それを「おとなになった」と言うらしいが、私は8歳のこどものままである。

私はずっと長いあいだ、なんとしてでも20歳の誕生日までに死ななければならないと考えていた。それは哲学的仁義だった。私は頬かぶりをしないし、できないし、させないし、ゆるさない。なかったことにもしないし、できないし、させないし、ゆるさない。頬かぶりし、なかったことにしている不逞不埒の輩は草の根をわけても探しだし、鉄槌を下す。けじめを取る。ケツを拭かせる。吐いた唾は飲ませない。知らぬ存ぜぬを決めこんでいる輩も。それが私の哲学的思想的仁義/流儀の通し方である。

自分の命をどうしようと、生かそうと殺そうと他者にとやかくのことを言われる筋合いはない。生きるのも死ぬのも自分が決める。その強固な意志は何者も寄せつけない。近寄ろうものなら手加減容赦なしで完膚なきまでに踏みつぶす。それが50年変わらぬ私のModus Operandiだ。

そんな死と戯れる日々に出会ったのが坂口安吾の『堕落論』であり、エリック・サティの『グノシエンヌ』だった。『堕落論』を読んで大笑いし、『グノシエンヌ』を聴いてクスクスと笑った。『グノシエンヌ』は落語の小噺みたいだった。演奏者への助言としてスコアに書きこまれた奇妙な注意書きが面白くて仕方なかった。

Questionnez 問え!
Du bout de la pensée 思考の片隅で
Postulez en vous-même 自分自身をプレゼンしろ!
Sur la langue 言葉のように
Ne sortez pas 逃げるな!
Conseillez-vou soigneusement 念入りに自分と相談しろ!
Munissez-vous de clairvoyance 洞察力を使え!
De manière a obtenir un creux 空虚を手に入れるように
Portez cela plus loin もっと遠くまで!
Ouvrez la tete 頭を開いて
Enfouissez le son 音を埋めちまえ!


『堕落論』を繰り返し読み、『グノシエンヌ』を繰り返し聴いているうちに私の希死念慮はやみ、熱病のごとき死を希求する病は解熱した。1978年12月24日のクリスマス・イヴ。20歳の誕生日の1日前だった。死の谷の淵に足がかかっていた。死の谷の谷底が大きくて黒い口をあけていた。深い淵の底から聞こえてくる叫び声を糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしてやった。隻手音声。無手大音声。

気分は途轍もなく高揚していた。大きくて黒い口をあけている死の谷の谷底に手持ちの罵詈雑言罵声のすべてを浴びせ、唾を吐きかけてやった。死の谷の谷底は口を少しだけすぼめた。その分厚くてじっとりした唇にヴェーゼしてやった。しばしのお別れの接吻/Un baiser avant de mourirだった。

この経験を境に私は死を手なづけ、飼いならすことができるようになった。そして、アダージョ・ソステヌートの殺人者としての道を歩みはじめた。座右の銘はFluctuat Nec Mergitur/Festina Lente/La Vie en Rose/No Music, No Life/Batonga! そして、Grip Glitzだ。

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Gnossienne No.1(Erik Satie) - Daniel Varsano
Aus tiefer Not schrei ich zu dir, BWV 38 (Herreweghe) - J.S. Bach
 
by enzo_morinari | 2018-10-27 05:27 | The et Satie | Trackback | Comments(0)

1975年のジムノペディ/第1番 ゆっくりと苦しげに(Lent et douloureux)

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1970年の大阪万国博覧会が終わって、ある種の熱狂がおさまった頃、西武文化/セゾン文化がそよ風のように吹きはじめた。「これはまったく新しい風だ」と思った。

1975年、セゾン美術館の前身である西武美術館が池袋の西武池袋本店最上階にオープンした。西武美術館のオープン初日、存在しない伯母が死んだことにして学校をサボタージュし、西武美術館に駆けつけた。17歳、高校2年生だった。

西武美術館のオープン告知のポスターは実に意表を突くものだった。いかなる美術作品が展示されるのかまったく予想できなかった。西武流通グループ総帥の堤清二は西武美術館について、「時代精神の根拠地である」といささか眉唾をして受けとめたほうがいいと思えるような大仰な宣言をしていた。

西武美術館内に入るとエリック・サティの『ジムノペディ 第1番』が聴こえてきた。美術館でBGMが流されるなど信じられないことだった。演奏者はフィリップ・アントルモンであったと記憶する。

エリック・サティの『ジムノペディ』がBGMで流れる美術館。それ自体がひとつの作品であるように思われた。実際、展示されていた作品のことはほとんど印象に残っていない。サティとミュージアム。それはのちの20世紀末に現れるエンバイロンメンタル・アートやランド・アートやインスタレーションの先駆けであった。

Gymnopédie No.1(Erik Satie) - Philippe Entremont
 
by enzo_morinari | 2018-09-23 09:27 | The et Satie | Trackback | Comments(0)