人気ブログランキング |

カテゴリ:トパンガの夢( 3 )

トパンガの夢 ── 憎悪の巡礼/ルサンチマンの旅

c0109850_05005040.jpg

この旅は憎悪の巡礼/ルサンチマンの旅である。

トパンガはセシウム137のγ線放射線量が92200.00 Bq/kgを示すベクレルの森を日々駆けまわり、左うしろ足の肉球が癌に侵された。せめて扁平上皮癌ならと思ったが細胞癌だった。

肉球に発生した癌組織は初めやや赤味のある米粒ほどの大きさだったものがみるみる増殖肥大し、ついには人間のこどもの握りこぶし大にふくれあがった。別の生きものが脚についているようだった。化け物だと思った。肉球は赤黒く腫れあがり、脚全体が高熱をもっていた。激しい痛みに苛まれながらもトパンガはうんともすんともくんとも言わずに耐えていた。化け物と変わり果てた自分の肉球をただ舐めつづけるだけだった。トパンガは束の間の眠りについているとき、うなされて驚くほど大きな悲鳴、呻き声をあげた。

当然、散歩は即刻中止。ひと晩で致命的な事態に至る排尿障害を避けるために家の中で排便排尿させた。衰弱のせいで自分の力では排便できないので「大便絞り」をした。便に大量の血が混じっていた。

凍結寸前まで凍らせた保冷剤を患部にあて、そっと撫でつづけるほかに私にできることはなかった。自分の無力さ不甲斐なさにはらわたが煮えくりかえった。なぜトパンガがという不条理への憤慨と放射性物質を撒き散らした者どもへの峻烈激烈な憤怒と憎悪に肉体も精神も灼けた。灼ける音さえした。やつらを跡形もなく灼きつくすと決めた。秋霜烈日の日々のはじまりだった。

悪魔の小鬼どもはすでに全身に転移していた。手遅れ。手のほどこしようのない状態だった。親和欲求と共感性のない私が生まれて初めて身代わりになりたいと思った。そのように思った2度目は虹子が子宮頸癌に侵されたときだ。虹子が自分の時間をすごしていたベランダにおけるセシウム137のホット・サーベイは9842.00 Bq/kgだった。自然環境中には本来ほとんど存在しないセシウム137が放出するγ線はいったい何回虹子を貫いたのか計算しかけたが途中でやめた。怒りで単純計算さえできなくなったからだ。複数人殺害すれば死刑になるという単純計算さえ。苛烈を極める殺害態様なら1人殺しても極刑になるという単純計算さえ。

「どうしますか?」と年老いた獣医はたずねた。
「彼がいま味わっている痛みの程度は?」
「想像を絶するものだと思います」
「では、エウタナシアを」
「よろしいんですね」
「こうなったら、タナトスに御登場願うしかない」

安楽死の処置は極めて単純でクールで機械的だった。処置室でうしろ足にカテーテルを通して薬剤が問題なく入るかどうかの確認のために生食液を注入。その後、麻酔剤のチオペンタールを注入し、最後にペントバルビタール・ナトリウムが注入された。

トパンガはなにも言わず、目を閉じたまま、最期に息を吸いこんで静かに逝った。あえぐこともなく、おだやかな最期だった。私はトパンガの顔をまばたきもせずに見つめ、背中を撫でていた。見つめ、撫で、見届ける。それが私の役目だった。それだけが最良の友でありつづけたトパンガにできる最後のことだった。

ひと粒の涙も出なかった。泣く理由がない。生まれ、生き、死ぬという宇宙万物森羅万象に起こる物語がまたひとつ完結しただけの話である。ただし、生きているさなかに起こったことについては別の物語だ。生死にまつわる貸借対照表/決算書/収支報告書に基づいて新しい物語を紡ぐのもまた私の役目である。その物語のタームは冷酷/残虐/非情/殺戮だ。

経営していたいくつかの会社はすべて精算した。役員と社員には規定の3倍の退職慰労金を支払い、株主どもの持株を額面の10倍で買い取った。オンデマンド・ノベル仕事のクライアントには引退する旨を通知した。仕事で使っていたスマートフォンを解約し、引っ越した。引っ越し先の固定電話は新たに契約した。だれもどこからもコンタクトできない環境になった。

金融機関/証券会社の口座をすべて解約閉鎖し、タックスヘイブンがらみのものもすべて換金した。PAYPALも。その他、各投資先からすべての資金を引きあげた。リサイクル業者を呼び、必要最小限度の日用品のみ残して処分した。ビニルのLPレコードは10万枚を超え、CDは3万5枚。書籍は1万2000冊。その他衣類、宝飾品、機械式時計。自転車。ベーゼンドルファーのModel 290 Imperialをはじめとする楽器類。リサイクル業者が4tトラックを何回も往復させてモノ狂い人生の証拠物件を持ち去ると、部屋はフットサルのコートが2面取れるくらいにだだっ広くなった。

13人いる生物学上のKidsども/私の遺伝子を受け継ぐ者には均等に100万円ずつ包括遺贈する旨の遺言書を公証役場で公正証書にした。表に出ないウラのカネは「いい仕事」をしているペットの殺処分に反対する団体、ズーチェック運動系の団体、日本各地の放射線量にかかる緻密精密なデータを計測分析公表しているNPO/NGOに完全匿名で送った。

泡の時代からつきあいのある大学の先輩にあたる弁護士に死後のことをすべて託した。「裏切ったらどうなるかわかってるよな? まさかとは思うが、あんたが不始末をしでかした場合の保険としてSigue Sigue Sputnikに仕事を依頼してある。そのことを片時も忘れるな。あいつらは実にいい仕事をする」と言うと、弁護士はごくりと音をさせて生唾を飲みこみ、無言でうなずいた。


強く深く大きな遺恨に基づく遺言なるイコンもしくはエピタフのごときもの
葬儀は一切不要。墓は不用にして無用。風葬鳥葬が望ましいが、このポンコツ国家では不可能であるから散骨がベターである。火葬費用以外、役所/公的機関ではビタ一文使うな。払うな。もらえるものいただけるもの奪えるものはケツケバの1本の果てまで手に入れろ。納税拒否主義者たれ。

最低限度のゼニカネしか使うな。ゼニカネを使えば自分以外の者が儲かる。他者が儲かれば自分の儲けが減る。パイの大きさは変わらないのであるから、他者の取り分が大きくなればこちらのパイは小さくなる。小学生でもわかることである。

自分のものは自分のもの。ひとのものも自分のものを自是とせよ。ただし、欲の皮は突っ張らかすな。銭ゲバになるな。守銭奴になるな。しみったれになるな。セコくなるな。おおらか鷹揚太っ腹たれ。銭ゲバ/守銭奴/しみったれ/セコセコは松戸の土地持ちのアルビノ女の担当である。

ゼニカネは所詮幻想にすぎない。幻想のためにあくせくと100年足らずの持ち時間を使うな。ゼニカネはモノ/サービスのたぐいと交換できることと比較的長期間経年劣化しないことと置き場所に困らないことのほかにメリットはない。ゼニカネはただのデータ/数字にすぎない。データ/数字で腹は満たされない。ゼニカネ=通貨制度はロスチャイルドの悪党が編みだした悪魔のシナリオである。惑わされてはならない。

ゼニカネがあるふりをするな。同様にゼニカネがないふりもするな。ゼニカネに関することはどこ吹く風でいろ。風向きが変わればゼニカネは黙っていてもやってくる。風向きが悪ければいくらしがみついてもゼニカネは風とともに去ってゆく。

ゼニカネがないことを嘆くな。ゼニカネがないから足りないからとじっと手を見たりするな。ゼニカネに関することはすべてマネーゲームと心得ろ。おごるな。おごられるな。すべてフィフティ・フィフティたれ。貸し借りなしの人生を生きろ。

預金残高の0の数がゲームの勝敗を決定する。そして、それだけのことである。マネーゲームに勝利したところで1mmの価値もない。偉くもなければ尊敬の対象となるわけでもない。あまたあるゲームのひとつに勝ったにすぎない。ポーカーや神経衰弱やSevensやUNOやページ・ワンやナポレオンやジン・ラミーやContract Bridgeやルービック・キューブや人生ゲームやバンカースやインベーダー・ゲームやパックマンやドリフト・スピリッツやダビスタやFFやDQやバイオハザードやDの食卓やモンストやモンハンやグラブルやその他の有象無象のアプリゲームに勝つこととなんら変わりはない。他のゲームと比較していくぶんか複雑で、ゲームを進めるにあたっては複数のエレメントが影響しあうことを考慮に入れる必要が生じる分、知的なゲームではあるが物語性やドラマツルギーやロマンティックな要素はない。銭ゲバ/守銭奴/ゼニカネの亡者を生み、凶悪犯罪の温床/動機となるからタチが悪い。

あまたあるゲームに勝ったところで給料が上がるわけでも偏差値55が83になるわけでも学歴が駒澤大学法学部卒から東京大学法学部卒に変わるわけでもブサイクがイケメンになるわけでもドブスがシカゴ・カブスのエースになれるわけでも腹が満たされるわけでも女房の機嫌がよくなるわけでも東京電力や東京ガスや水道局の毎月の請求額が減るわけでもない。しかし、ゲームである以上、勝つことが最終目標である。自分の能力と運気と元手と資金力と情報網に見合った賭け金を投入しろ。ベストはディーラーとプレイヤーを同時にやることである。さすれば、百戦してあやうからず。100戦100勝だ。ゲームのポイント=預金残高の0の数はみるみる増えていく。

預金残高の0の数=ゲームのポイントを減らすのは愚か者のすることである。見栄意気がりA( )Cで無駄ガネ/ドブ銭を使うな。ゼニカネをつかうことはどこの馬の骨とも知れぬ者に儲けさせることなのだと思え。

預金残高の0の数を徹底的に増やせ。ゼニカネは稼げ。儲けろ。マネーゲームのポイントをどんどん増やせ。しかし、ゼニカネの消費は必要最小限にしろ。ベストはゼニカネをビタ一文使わないことである。ゼニカネがあるときに寄ってくる輩は例外なく敵/裏切る者と思え。ゼニカネがないときにも離れない者を友とせよ。繰り返し繰り返し、生涯にわたって『犬の聖歌』を読め。

マネーゲームに勝つために必要なのは運/勘/情報/知である。運に見放され、勘が悪く、情報弱者で、知性がなく、頭のわるい者はマネーゲームの敗者となる。

寄らば大樹の陰などもってのほか。大樹は伐り倒して売っぱらえ。長いものに巻かれるのももってのほか。長いものは引きちぎり売り飛ばせ。郵便局の定額貯金などもってのほか。金貸しももってのほか。ひとの弱みにつけこむな。ひとの生き血をすするな。ゼニカネは血であり、肉であり、いのちである。金利/利息をとるとはひとの生き血をすすり、肉をむさぼり喰い、いのちを削ることであると思え。それは下衆外道のやることである。首吊りの足を引っ張ることとおなじである。賃貸マンションで家賃収入をえるのもおなじことである。家なき者の生き血を吸う下衆外道の所業だ。手を出すな。固定資産税などという馬鹿げたみかじめ料を払うのは愚の骨頂である。不動産投資は愚か者/怠け者/卑しい者がやることである。

ゼニカネは借りるな。盗め。奪え。住宅ローンだろうが運転資金の融資だろうが学資ローンだろうが金利/利息が発生するものにはいっさい手を出すな。金利/利息を払う者は救いようのない愚か者である。ローンを組むというのは自分の人生を人質に出すのとおなじである。自分のいのちを削ってゼニカネ=幻想を手に入れるなどという馬鹿げた話があってたまるか! いのちと引き換えにできるものなどない。命あっての物種だ。人生の過程においては命を差し出す局面があるのは確かだがな。しかし、すべてはどうということのない過程のひとつにすぎない。

死ぬときは「いい仕事」をしている者に全額くれてやるのがベストだ。完全匿名で。遺産を自分のこどもその他に相続させるのは愚か者である。野暮の極みである。マネーゲームの勝者の最高の栄誉とトロフィーは手に入れたものを見返りなく無償で野に放つことである。自分だけがわかっていて自分だけが納得する。これをして本懐という。

他者の評価などにはなんらの意味も価値もない。人生を生きるのは自分自身である。自分の人生を引き受けられるのは自分だけである。何者もなりかわりえない。他者の御託能書きはすべて雑音である。

センス・エリート100箇条
30歳を目前にした熱い夏、ある輸入ビールの広告制作の依頼が舞い込んだ。当時はキリンビールが圧倒的なシェアを有していて、どいつもこいつも当たり前のようにキリンビールを飲んでいた。そういった状況に異議申立てしたかった。そして、「センス・エリート/1番が1番いいわけではない。1番ではないことがクールでカッコイイことだってある」というコンセプトで企画を立て、広告文案を書いた。自分自身に言い聞かせるような意味合いもあった。ギャラは安かったけれども、この広告文案が書けたおかげでその夏はいい夏になった。その夏の終わりに手に入れたデイヴィッド・ホックニーのリトグラフはいまも手元にある。

001 30歳を過ぎても少年の好奇心が旺盛である。
002 謎めいた部分を持っている。
003 家庭のことはいっさい口にしない。
004 軽々しく“仕事”という言葉を使わない。
005「男らしさ」を誇示しない。
006 汗を拭き拭き喫茶店の水を飲まない。
007 なにを身につけてもさまになる。
008 健康のためのスポーツ、教養のための読書などはしない。
009 自分の持ち物、ファッション等に関しての入手先、値段を口にしない。
010 つきあいパーティーの類にはいっさい顔を出さない。
011 本物と偽物を見ぬく眼を持ち、好き嫌いがハッキリしている。
012 オートバイに夢中になってもスピードの魅力を口にしない。
013 一流の映画監督よりも三流の映画役者をこよなく愛す。
014 カネがあろうがなかろうが自分の生活を匂わせない。
015 文化人と呼ばれる人間の言うことは簡単に信じない。
016 世の中についての安易な発言はしないし、世論に惑わされることもない。
017 探検旅行が好きなうえに旅慣れている。
018 趣味をひけらかさない。
019 格闘技をこよなく愛する。
020 動物に対して親愛の情を抱いている。
021 クレジットで生活しない。
022 絵心を持っている。
023 仕事仲間よりも遊び仲間を優先する。
024 社会的名誉よりも個人的悦楽を優先する。
025 アメリカン・コレクションにうつつをぬかさない。
026 学校教育以外の独学で世界を知り、独自の美意識を身につけている。
027「ほどほど」という平均値を生きていくうえでの基準にしない。
028 ビール5~6杯で酔っぱらって愚痴をこぼすようなことはしない。
029 自己の行為に反省やら悔恨/悔悟の情はいっさい抱かない。
030 他人がなんと言おうが自分の信じる流儀はすべてにおいて貫きとおす。
031 己のプライドを傷つけるものに対しては徹底して戦う。
032 数少なく信頼できる友を持っている。
033 “なんとなく”という気分はいっさいない。
034 さびしさをまぎらわすために夜な夜な酒場で陰気な酒を飲んだりしない。
035 最終的には一人で物事の決着をつける覚悟を持っている。
036 社会情勢、景気、不景気で信条を変えない。
037 時間に追われる生活をしない。
038 いつもここより他の地への夢想を密やかに胸に抱いている。
039 男には仕事に成功したときの喜びの顔よりも美しい顔があることを知っている。
040 群れない。
041 小さなことにも感動できる少年の心を持っている。
042 笑顔がさわやかである。
043 ウエスト・コーストを卒業。オーセンティックを好む。
044 長い船旅に退屈しない。
045 性に対しての偏見を持たない。
046 女性遍歴の自慢話はしない。
047 アメリカの放浪よりもヨーロッパの漂泊。
048 セクシーだが猥せつではない。
049 売名行為はしない。
050 人に説教、訓戒の類いをいっさいしない。
051 イエス・マンではない。
052 学校教育に関しては無関心である。
053 部屋の壁にはデイヴィッド・ホックニーのリトグラフ。
054 遠くを見つめているような神秘的な瞳を持っている。
055 深刻になったとしても決して眉間に皺を寄せない。
056 群衆が熱狂する祭りのなかに身を投じ、魂を解放できる。
057 流行を創りだすことはあっても追いかけない。
058 社会的地位を得たとしても安閑としない。
059 ファッションでサングラスをかけない。
060 まちがっても、女から「老けたわね」と言われない。
061 生涯を通じてイチかバチかの大冒険を少なくとも三度は体験する。
062 仕事か家庭かの選択を迫られるような生活はしない。
063 笑いはあらゆるマジメを超えていることをわかっている。
064 一生の住みかを構えようとは思わない。
065 自分が身を置いている現実のちっぽけさを知っている。
066 貸し借りなしの人生。
067 滅びゆくもののなかに光る美を発見し、愛惜する情を持っている。
068 どんなことがあろうとも女性に対し暴力をふるわない。
069 郷土愛、祖国愛にしばられることはない。
070 相手の弱みにつけこまない。
071 ときとして無償の行為に燃える。
072 大空への情熱。そしてアフリカへの憧れ。
073 場末の人間臭さを素直に愛せる。
074 一人旅、一人酒を楽しめる。
075 力の論理や数の論理に圧倒されることがない。
076 “世代”のワクでくくられないような道を歩んでいる。
077 神話世界に深い関心がある。
078 すがるための神なら必要としない。
079 なにごとにつけ女々しさを見せない。
080 はたから見たら馬鹿げたことでも平気でやる。
081 人前で裸になれないような肉体にはならない。
082 感傷的な面もあるが想い出に耽ってしまうことはない。
083 自分だけの隠れ家を持っている。
084 食道楽等のおよそプチブル的道楽志向とは無縁である。
085 あらゆる判断と行動の基準は「美しいか、美しくないか」である。
086 お湯でうすめたアメリカン・コーヒーは飲まない。
087 なにごとにおいても節制によって自分を守ろうとはしない。
088 自然に渋くなることはあっても自分から進んで渋さを求めない。
089 どこまでが真実なんだか虚構なんだか定かでない世界に生きている。
090 カネは貯えない。ひたすら遣う。
091 ヤニ取りフィルターなどを用いない。
092 生き方について考え悩まない。
093 愛誦の詩を心に持っている。
094 やたらハッピーな世界をつまらなく思っている。
095 失くし物をしても探すようなマネはしない。
096 洗いざらしのコンバースがいつまでも似合う。
097 女性に対してはロマンチストである。
098 世に受け入れられないすぐれた芸や人を後援するが表には出ない。
099 内面にこだわる以上に外観にも気を配る。
100 No.1がかならずしも素晴らしいとは思わない。


犬の聖歌
この世の中では親友でさえ、あなたを裏切り、敵となることがある。
愛情をかけて育てた我が子も深い親の愛をすっかり忘れてしまうかもしれない。
あなたが心から信頼している最も身近な愛する人も、その忠節を翻すかもしれない。
富はいつか失われるかもしれない。最も必要とするときにあなたの手にあるとは限らない。
名声はたったひとつの思慮に欠けた行為によって 瞬時に地に堕ちてしまうこともある。

成功に輝いてるときは、ひざまずいて敬ってくれたものが
失敗の暗雲があなたの頭上をくもらせた途端に豹変し、
悪意の石つぶてを投げつけるかもしれない。

こんな利己的な世の中で決して裏切らない恩知らずでも不誠実でもない
絶対不変唯一の友はあなたの犬だ。

あなたの犬は、富めるときも貧しきときも健やかなるときも病めるときも常にあなたを助ける。
冷たい風が吹きつけ、雪が激しく降るときも主人のそばならば冷たい土の上で眠るだろう。
与えるべき食物がなにひとつなくても、手を差し伸べればキスしてくれ、
世間の荒波にもまれた傷や痛手を優しく舐めてくれるだろう。
犬は貧しい者の眠りを、まるで王子の眠りを見守るように守ってくれる。

友が一人残らずあなたを見捨て立ち去っても、犬は見捨てない。
富を失い名誉が地に堕ちても、犬はあたかも日々天空を旅する太陽のごとく、
変わることなくあなたを愛する。

たとえ運命の力で友も住む家もない地の果てへ追いやられても
忠実な犬はあなたとともにあること以外になにも望まず、あなたを危険から守り、敵と戦う。
すべての終わりがきて、死があなたを抱きとり、あなたの骸が冷たい土の下に葬られるとき
人々が立ち去ったあなたの墓のかたわらには、前脚の間に頭を垂れた気高い犬がいる。
その目は悲しみにくもりながらも、油断なく辺りを見まわし、死者に対してさえ忠実さと真実に満ちている。



結語
Fluctuat Nec Mergitur, Festina Lente! 漂えど沈まず、悠々として急げ。No Pain, No Gain! 痛みのパンなくして前進なし。まちがっても血迷っても途方に暮れても路頭に迷っても怒り心頭に発するときでもアマゾンの奥地であろうとアフリカのサバンナのど真ん中であろうとマリアナ海溝の最深部の岩陰であろうとアネイブル・コントロール中のV-22オスプレイの操縦席であろうとヨハネスブルグのポンテ・アパート42階の4242号室であろうとヴィーナスと乳繰り合うシャコガイの貝殻の裏だろうと冥王星の戸籍係の机の上だろうと天国にいちばん近い島で日光浴がわりに残留放射性物質が発するラジオアクティブを朝から晩までしこたま浴びながらだろうとロンゲラップ・ピープルと磯遊び/ヒバク遊びしながらだろうとメイク・ラブの真最中であろうとめしもろくに喰えない貧乏どん底の困窮困憊の日々であろうと最愛の子/最愛のパートナー/最愛の親兄弟を失おうと信頼する者に裏切られ心さびしいときですら、すなわち、いつかなるときもどんな状況下にあってもいかなる境遇にあろうとも私のことを思いだしてはならない。通常とは異なるかたちの眠りにつくだけのことである。痩せがまんの果てにカエルの王となりし黄金のカエル/宇宙一の大馬鹿ガエルは眠る。ただし、冬眠ではない。

かくして、私の終活は完了した。


そして、秋霜烈日
いまの私には失うものがなにひとつない。やり残したことも心残りも未練もない。ゆえにこわいものはない。あらゆる事態/現象に手加減なし容赦なしで対峙する。いまや私にとって冷酷/残虐/非情/殺戮は呼吸とおなじである。経験の「け」の字も知らぬような甘ちゃんのリアリティのない甘っちょろい寝言たわ言きれいごとおべんちゃらおためごかしには一切耳を貸さない。聞かない。物静かに退場させる。事と次第によっては踏みつぶす。あらゆる手練手管を行使駆使して回復不能な打撃を加える。生涯にわたって抱えつづけるトラウマをもたらす。寝言は寝てから言うものと相場は決まっている。寝言たわ言きれいごとおべんちゃらおためごかしは年端もいかない若造小娘相手か退屈で陳腐でかわりばえのしない閨室の寝物語/ピロー・トークのときにでもほざくがいい。

私にはTorta alla nonna以外の甘みは不用無用にして不要である。イイヒト鰤もゼンニン鰤も喰わない。口に合う合わぬ以前の話である。腐っていないイイヒト鰤とゼンニン鰤にはお目にかかったことがない。ジャック・アンバーはうしろから針のような嘴で狙いすましてだまし討ちするダーツの名手である鱵より腹黒い。横須賀市三春町沖の鱵は名うての腹黒だが腹黒さにかけてはジャック・アンバーの足元にも及ばない。

憎悪の巡礼/ルサンチマンの旅のさなかには多くの冷酷/残虐/非情/殺戮が行われる。クロノスの大鎌は無音でふるわれる。必要な方法と技術と道具とアイテムの準備は整っている。Aqua Regiaは20ℓポリタンク5本。高性能超小型チェンソーと電気メス。簡単に死なせないための点滴セット一式。抜歯器具。マラソン・マンの歯を眉ひとつ動かさずに抜いた”白い天使”クリスティアン・セル博士さえ顔色なくこうべを垂れて戦慄する。

手加減なし/容赦なし/やられたらやりかえせのもとにすべては迅速に行われる。跡形なし。痕跡なし。クールにスマートにスムーズに静かに躊躇なく。身におぼえのある者/胸に手をあてて思いあたる節がある者/脛の傷が疼いた者はいまのうちに残務整理/終活をしておくがいい。これには1度でも敬意を払わなかった者も該当する。男女長幼の別は問わない。例外/特例はない。ほとぼりが冷めることはない。何年何十年経とうとかわらない。やられたら手加減なし容赦なしでやり返すのが私のスタイルであることは承知のはずである。それも10倍100倍で。それが私の揺らぐことなきModus Operandiである。世界は失うものがない者のおそろしさを目撃する。

手はじめ肩ならしのマークはTEPCO(Ka No ToKiO January 17, 2017消去済, KazMat, SimiZ, Mtoo)/METI(牛乳瓶底眼鏡禿げ妖怪)/PS/カンリョウネズミ/カスミガセキシロアリ/ダンカイチュウ/ダンカイ毒虫/モノカキヒツケ虫/エーカッコシーハーミーハーヒーハー小杉/アリガトウ妖怪/カンシャ虫/動物虐待の動画画像をネット上にあげる下衆外道/真夏の炎天下に散歩させる虐待飼い主/アリン・スエツングースカ/ガンジャ・プーヴェ/ダーツ・コキーア/コミーエ・ズキース/オサーイ・ハシターカ/イレーコ・ヤギスーマ/マコータ・ガライーシ/マソーコ・ヌヅカーイ/ムキターラ・ツヤータ/ゼンニン鰤/イイヒト鰤である。

マークの行動様式/行動形態はすべてグリップした。経歴、健康状態、病歴、既往症、収入、預貯金を始めとするファイナンス状況、趣味嗜好、性格、弱点、人間関係、どの駅で乗降するか、好みの煙草/酒、好みの料理、曲がる角、起床時間/就寝時間、睡眠時間、休日のすごし方、家族構成、箸の上げ下げに至るまで。Amat Victoria Curam, Perfect Grip, Perfect Erase & Perfect Anonymous./周到な準備と完全把握と完全消去と完全匿名が勝利を招く。

合言葉は黒く塗れ! レッドテープをぶった斬れ!だ。黒く塗れ! レッドテープをぶった斬れ!の声が聴こえたら首をすくめることしかできない。それが人生最後の行為となる。クロード・アヴリーヌには申し訳ないが、人間最後の言葉を発するいとまはない。

潮見坂と霞が関坂と三年坂が首刈り物語の主たる舞台である。この合言葉のあと、幾筋もの滴る血潮が夕陽に染まる。凍る血さえ残らない。耳削ぎ/鼻削ぎ/歯抜き/爪抜き/目玉抜きは前菜にすぎない。舟状骨と月状骨の暗闘に端を発するスカボローの蚤の市における世にもおぞましいマヌカ・ハニーとオ・レの物語によるスカフィズムはこども騙しだ。準備運動がわりのエクスキューションは松戸の土地持ちのアルビノ女とTOM TOM CLUBパクリの首吊りの足を引っ張る婆さんだ。せいぜい、痛みになれておけ。無駄な抵抗/悪あがきだがな。

鬼の庭の評定は熾烈を極めるぞ。裁判員なし。弁護人なし。傍聴人なし。証人尋問なし。証拠の吟味なし。弁論なし。公訴提起/論告求刑即判決。上訴不可。完全一審制。大審問官とDeadend/Deadlockのプロスキューターは私が兼任する。人権? 罪刑法定主義? 裁判権の保障? 弁護人選任権? 推定無罪? 疑わしきは被告人の利益に? 一事不再理? ダブル・ジョパディ? それってうめえのか? 汁かけめしみたいなもんか? 暴行傷害焼き定食の親戚か?

この際、往生際を考え、座して死を待つというのもひとつの美学だ。痛みへの対処法は飼いならすか無視するかしかないが、おまえたちにはできるはずのない相談だ。臆病姑息小児病患者にはな。hahahahaha!



しっ! 静かに! 耳を澄ませ! 祈りを捧げろ!『海賊のうた』と『海賊の花嫁のうた』が聴こえる。輝ける漆黒の葬列が通りすぎてゆく。そろそろ、われわれも出航する時間だ。

The Pirate's Bride(Eye of The Storm) - Sting

c0109850_05011835.jpg

(参考)
『首狩の宗教民族学』山田仁史(筑摩書房 2015年)
『首を洗って待て ── 本邦における首刈り斬首秘史』影佐禎昭(梅機関極秘資料/民明書舘編 1920年)
『アマゾン万華鏡』曽塚啓二(文芸社 2000年)
『ヌサンタラ島から島へ』正野雄一郎(文芸社 2006年)
『官僚の殺し方』田中清玄(私家版 1940年)
『官僚首狩り族』蔵王権太左衛門時房(江田島機関資料部1978年)
『How to Erase All Evidence and All Trace』Dr. Christian Szell(World Order Medical Publishing & Co. October 8, 1976)
『Perfect Erase』John Titor Jr.(John Titor & CERN Foundation July 20, 2038)
 
by enzo_morinari | 2018-07-20 04:47 | トパンガの夢 | Trackback | Comments(3)

トパンガの夢 ── 表参道のポール・スチュアートの並びの花屋で買ったひと抱えのかすみ草のゆくえ

c0109850_03561815.jpg

トパンガの夢の記憶をたどり、海と空と大地が出会う場所を越えてトパンガ・ムーンに向けた旅に出発する前夜。夢に出てきたトパンガはすねたような表情でたずねた。少しだけ怒っているようだった。

「いつもアルフレックスのチェストに飾っていたかすみ草はどうしたんだ?」
「どこかに行っちゃった」
「どこに行っちゃったんだ? あんたが初めて虹子に贈った表参道のポール・スチュアートの並びの花屋で買ったひと抱えのかすみ草はどこに行っちゃったんだ? 虹子が大好きだったかすみ草はいったいどこに行っちゃったって言うんだ?」

夢の中で涙があふれそうになる。

「しゃんとしろ! モリナリ・エンゾウ!」

トパンガが怒鳴る。

「虹子が大好きだったかすみ草は虹子が持ってちゃった」
「虹子は大好きだったかすみ草を持ってどこに行っちゃったんだ?」
「遠いところ。すごく遠いところ」
「いっしょに虹子のいるところに行こうぜ」
「…うーん。むずかしいよ。いまは無理だ」
「おれは虹子に左の脇腹を撫でてもらいたいんだ」
「わたしがかわりに撫でるよ」
「あんたじゃだめだ。あんたの指はゴツゴツしてるから。虹子の細くて長くてやわらかくてやさしい指でなきゃ」
「困ったな」
「虹子はすごく遠いところからいつ帰ってくるんだよ」
「ずっとずっと先」
「わからないな。虹の橋のたもとで待てば虹子に会えるかな。大好きなかすみ草を持った虹子に」
「必ず会える。トパンガに会えたら虹子はすごくよろこぶよ」

トパンガが満足げに喉をグフグフと鳴らしたところで夢は終わった。あした、出発しよう。そして、トパンガに会い、すべてを話そう。虹子が大好きだったかすみ草のゆくえを。虹子のことを。


Where Have All The Flowers Gone/花はどこへ行った? - Peter, Paul And Mary

Where Have All the Flowers Gone?/花はどこへ行った?
Pete Seeger/ピート・シーガー(作詞/作曲)

野に咲く花はどこへ行ったの?
見わたすかぎりの野原で色づく花たちを抱いた娘たちは甘い香りに包まれていた。

娘たちはどこへ行ったの?
幸せそうに微笑む愛する人と交わした約束。ずっと一緒に生きていこうと。

あの約束はどこへ行ったの?
若者たちは戦場で恋人を抱きしめていた腕で銃をとって戦いつづける。

若者たちはどこへ行ったの?
勇ましく叫んで十字架を突き刺した冷たい土で祈りもなく静かに眠っている。

彼らの夢はどこで咲くの?
春の訪れが近い墓地では名もなき花たちが風に揺れながら娘たちの訪れを待ちつづけている。

 
by enzo_morinari | 2018-07-19 04:05 | トパンガの夢 | Trackback | Comments(0)

トパンガの夢 ── Green Mileより、8 Mileより、500 milesより、少し遠い238,856 miles彼方の約束の地を目指して

c0109850_09401495.jpg

 
7UPを1ダース飲みおえ、海と空と大地が出会う場所を越えて、トパンガ・ケイヨンロードをトパンガ・ムーンに向けて200 mil/hで飛ばす。トップを格納した1958年式フォード・エドセル・サイテーションは息を止める寸前だ。オールズモビルがレモンを丸ごと1個噛みつぶしたような顔がさらに醜く歪んでいる。ロバート・マクナマラが化けて出そうだ。

不意に「世界の終り」と思う。サイズの小さな「世界の終り」なら、もうすでに世界中のあちこちで見てきた。高くついた「世界の終り」もあれば、お買い徳な「世界の終り」もあれば、まがいものまやかしインチキの「世界の終り」もあれば、羊頭狗肉の「世界の終り」もあった。今回だって高いか安いかのちがいがあるだけだろう。そう自分に言いきかせる。どんなふうに思われようとこれが自分の人生なのだし、これまでどおりゲームをつづけていくしかない。

1992年の秋、トパンガは「水を汲んでくる」とだけ言ってトパンガ・ムーンに行ったきり、帰ってこない。もう26年になる。トパンガがいなくなったとき、1958年型フォード・エドセル・サイテーションはガレージで埃をかぶっていた。 バッテリーは溶けて跡形もなく、4本のタイヤはすべて空気が抜けてぺしゃんこなうえに乾いてひび割れ、エンジン・ルームは鼠どもの寝倉に変わり果てていた。当時の1958年型フォード・エドセル・サイテーションがいるべき場所はスクラップ置場だった。世界中のありとあらゆるポンコツが集まる場所。天国にも地獄にも一番近いところ。車だけではなくて、人間も動物も輪転機もコピー機も蒸気機関車も車両番号モハ102-42も洗濯機も冷蔵庫も扇風機も空調機の室外機も本来の役目を果たせなくなるとここに追いやられる。墓場だ。晴海には東京ディープと呼ばれる万物の墓場がある。

晴海埠頭はそのやけに晴れやかな名の裏側にメタル墓場とでも呼ぶべき影の部分を抱え込んでいる。巨鯨の骸の群れのように折り重なった業務用冷蔵庫とディスプレイとコピー機、暗い熱情を発する大型変圧器、スパイラルな鎮魂歌を奏でる自動車の衝撃吸収材、終りなき巡礼に悲鳴を上げながら腐敗しゆく樹脂とタイヤの山脈。その他もろもろの金属の瓦礫。かつての最先端技術が無秩序と混沌の墓場に埋葬されるときを待っている。その向こうに聳えているのは無際限に増殖しつづける巨大な構造物群だが、まぎれもなくその群れは巨大な墓標である。その巨大さは巨大さゆえに意味を失いつつある。そしてやがて、放射性物質という名の廃棄物の王が風に乗り、水に運ばれ、日々の糧、食物に溶け込んでわれわれの生活の中に一陣一閃のナイフとなって音もなく侵入する。トパンガは92200.00 Bq/kgを示すベクレルの森で日々駆けまわり、左うしろ足の肉球に癌ができた。この旅は憎悪の巡礼/ルサンチマンの旅でもある。

10年かけて生き返らせた。2002年12月25日の昼過ぎに1958年型フォード・エドセル・サイテーションは息を吹きかえした。44歳の誕生日だった。

10年のあいだ、来る日も来る日も薄暗く埃っぽいガレージで1958年型フォード・エドセル・サイテーションのレストレーション作業をやった。ニューヨークWTCの悲劇が起こり、世紀が変わって、世界中のルーーキーが中堅になっていた。

1958年型フォード・エドセル・サイテーションに触れているときだけはトパンガのことを束の間忘れることができた。それは自己療養の意味合いのある行為だった。やるべきことがあるうちはかたちはどうあれ生きつづけることができる。そういうことだ。

トパンガはバトンガの双子の弟。純白のフレンチ・ブルドッグだ。バトンガは漆黒、トパンガは純白。Black&White. Two Dog Knight. ふたりでひとつ。バトンガが右を向けばトパンガも右を向く。トパンガがあくびをすればバトンガもあくびをする。バトンガがおならをすればトパンガもおならをする。トパンガが吠えればバトンガも吠える。バトンガがおねだりをすればトパンガもおねだりをする。ちがったのは虹の橋を渡ったとき。バトンガは1991年1月1日、その1年10ヶ月あとの1992年11月11日にトパンガは虹の橋を渡った。

26年のあいだ、トパンガの夢を見つづけた。つらい夢やかなしい夢や痛い夢やたのしい夢。最後は泣いて夢からさめる。これが夢であればと思い、夢でなければと思う日々。

月の美しい夜は月を見上げ、雨の日は雨粒を数え、風の強い日はトパンガの人なつこい笑顔を思いだした。そして、杯を傾けた。何杯も。そうだ。何杯も何杯もだ。そうとでもしなければやりすごせないほど風向きの悪い26年間だった。

この26年間に関するかぎり、「風向きもいつかは変わる」というのは大うそだ。これっぽっちも変わってやしない。事態は悪くなるいっぽうのようにさえ思える。強い南風が吹きつける七里ヶ浜駐車場のレフト・サイドに丸一日立ちつくしたこともあるが、答えらしいものはなにひとつみつからなかった。答えは風の中なんかにはないんだ。きっと。

26年。多くの人々が通りすぎ、色々なものが壊れた。虹子の死。ビートニク・ガールの消滅とマッキントッシュMC275の経年劣化による引退。ベニー・グッドマン『Memories of You』のEP盤はスクラッチ・ノイズしか聴こえなくなった。60年近くもつきあいのある左の前歯は一昨日するりと抜け落ちた。

見上げた月とカウントした雨粒とかさねた杯はいったいどれくらいになるか。3年目の冬で数えるのはやめた。それでも、いつかトパンガと再会できる日がくると信じて生きてきた。

再会を待ちつづける日々。再会の場所が炎のただ中であったとしても、私はけっして尻込みしない。トパンガとともに炎の中心に立つ。 トパンガとの再会の日までに、目を背け、置き去りにしていたことどもと向かい合う勇気を取りもどそう。まだ遅くはない。まだ間に合う。まだ旅は終わっていない。まだ旅はつづく。まだ息をすることができる。

わが名は月で酔いどれるカタジュタの男。ホピとチェロキーとナバホの友人が1人ずついる。ディジュリドゥは楊枝がわりだ。トパンガ・ケイヨンロードは200 mil/hでぶっ飛ばす! 7UPを1日に1ダース飲む! ホカヘー! ヤタヘェ! アヒェヒェ!


トパンガに会えるまで、あと238,856 miles. Green Mileより、8 Mileより、500 milesより、少し遠い。少しかなしくて少しうれしい。海と空と大地が出会う場所をすぎたとき、カーラジオから故郷をはるか500 miles離れた見知らぬ土地で途方に暮れる貧しい旅芸人一座の女バンジョー弾きの悲しげでか細くて弱々しくてささやくような歌声が聴こえてきた。


あふれでそうになる涙をこらえ、故郷から500 miles彼方の見知らぬ土地で途方に暮れる。シャツ1枚さえない。1ペニー1枚の小銭すらもない。これからの人生がどうなるのかわからない。故郷を遠く離れて。500 milesも離れて。聴こえるのは汽笛だけ。この線路を500 milesたどっていけばなつかしい我が家に着くけど帰れない。帰りたいけど帰れない。遠くから、はるか遠くから思いを寄せることしかできない。聴こえるのは汽笛だけ。500 milesも離れて。500 milesも離れて。500 milesも離れて......

500 miles - Peter, Paul and Mary

c0109850_09404874.jpg

by enzo_morinari | 2018-07-18 09:05 | トパンガの夢 | Trackback | Comments(0)