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カテゴリ:Philosophical Story( 5 )

1975年世界のインド洋を泳いできた3匹の犬とオールド・ファッションドのドーナツ

 
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ラジオから聴こえる古びたラブソングの包みこむようなサウンドは永遠を約束しているみたいだ。T-D-N
貨幣は単なる記号として置換される。J-B
モノは使用価値としてだけではなく、単なる記号として立ち現れる。J-B
包装紙さえ売買され、交換され、消費される世界。そのような世界をパピルス・バルビュス地獄と呼ぶ。E-M-M


1975年世界の私の周囲では常にドーナツ化現象が生起していた。天上からは1975年世界をサンボリスムするThree Dog Nightの『Old Fashioned Love Song』が壊れかけの古い真空管/ロクタル管ラジオのような音で聴こえていた。

1975年世界のある冬の初め、Donut Countyからインド洋を泳いで渡ってきた3匹の犬とオールド・ファッションドのドーナツが私の元にやってきた。足元に落ちたオールド・ファッションドのドーナツのかけらをひろって食べるとインドラ・マグロの味がした。バラモン・ガラモンと帝釈天シーバマータ・ハクナマタータと聖獣の白象アイラーヴァタと大きく長い耳を持ち、世界を劈く嘶きを発する七つ頭の空飛ぶ馬ウッチャイヒシュラヴァスとガラーム・ジャラームを神酒ソーマで一緒に煮込んだ味。噛むたびに『リグ・ヴェーダ』のインドラを讃える歌が聴こえた。

その頃のドーナツ世界を牛耳っていたのは駅のそば屋の丸井である。OIOIである。丸井は熊の胆を専門に豊葦原瑞穂国全域に売り歩く富山の薬売り青井忠治が創業したが、躁病の青井忠治はなにを勘ちがいしやがったか、商号を丸井にした。青井にしておけば孫であるNHKアナウンサーの青井実が画面に映るたびにいい宣伝になったものを。さすれば、今日のような長期凋落傾向に陥らずに済んだはずだ。それもこれも、電痛を中心とするZ日マフィアの淫靡陰湿陰険な陰なる謀が主因である。御朱印船もいくぶんかの影響を与えている。ちなみに、丸井今井はドーナツ世界ならびにドーナシ世界およびロクデナシ世界/口ナシ世界の用務員である。それが1975年世界の実態だ。

「わが名はボコボコ」と風変わりなオールド・ファッションドのドーナツは言った。「中心の空虚はわが存在の多義性を象徴する」

ドーナツ屋は駅のそば屋の裏手にあるものである。そのことを成り立たせているものこそが消費社会の神話と構造/La Société de Consommationである。


Old Fashioned Love Song - Three Dog Night (1975)
 
by enzo_morinari | 2018-11-07 16:05 | Philosophical Story | Trackback | Comments(0)

分裂病者のダンスパーティの奇妙な笑い声、もしくはスーパー・カルテジアン劇場でスーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーに首ったけな百鬼夜行の夜

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夜毎、世界のどこかで催される分裂病者のダンスパーティは奇妙な笑い声とともに。E-M-M

人間はタクシーの料金メーターはしきりに気にするが、意識メーターには無関心である。E-M-M

世界の実相を支えているのは、

W
X
Y

である。しかし、裏にまわれば、



という様相を呈している。玉門そばをたぐった裏門の菊花の御門にして小さな星/エストレリータ/アステリスク。リスクもなんのその、アナる者/アナるのが好きな者も少なからずいる。しかも、におう。匂宮の二天門で仁王が仁王立ち。

アナることをアナグラムすること。アナスタシアをアプリオリ/アポステリオリにアダージョ・アダージョにアポストロフィ付きでアナるアナグマのアナグラム。アナるルナールのニンジンを虹のニジンスキーに喰わせるためにニシンと炊き合わせるにじんだ無聊。六条御息所でさえ奥入を好む。「もっと奥まで」と。つまり、クサい。ψにφ ψにφ ψにφ ψにφ 世の中すべてYだらけ Yっていることきわまりないもない。
E-M-M

猥褻は退屈で窮屈で辛気臭い世界へのアンチテーゼである。世の中すべてYだらけ。すなわち、Y的。南丫島のΥ字路。Υに凸るΛ E-M-M

世界は邪悪で狡猾なアナロジーによって、ついにはアナーキーなアナコリズムが蔓延し、アナクシマンドロス型アナボリックステロイドでえたアナモルフィズムは安易なアナスチグマートとアナバプテストとアナトール・フランス流コキュを穴場へと追いやり、アナダマパンによってかりそめの空腹を満たしたアナクサゴラスのアナクロニズムにさらに拍車をかける。世界のすべての現象はスペルマの混合分離によって生じる。原初の完全なる混沌状態に運動を与えて秩序ある世界を創造する原動力としてア・ヌースは存在する。このとき、奪われたア・ヌースはアナトー色のアナルジージア状態となる。罪深きアナニアスのアナリシスとアナトミーをアナグリフで眺める。


帽子の女に脳みそをひっかきまわされて深刻なダメージを受け、スライム型水槽脳を移植されて以来、ろくなことがない。世界に起きている事象/現象、自分に起きている事象/現象がすべて他人事に感じられるようになってしまった。

狂ったホムンクルスである私はスーパー・カルテジアン劇場の無数の座席のうちの最前列の席に座り、巨大なスクリーンを見ている。私のほかにはだれもいない。撮影技師の咳払いがときどき聴こえるだけだ。それが私の現在の日常である。断腸の思いにまみれた日常。断腸的日常。

不気味の谷の谷底にあるウォズニアック・ハウス北側のスーパー・サイエンティストである高慢ちきな血まみれメアリーの部屋で哲学的ゾンビどもを相手にハードプロブレム・ゲームをしているあいだ、スティーブ・ライヒの衒学的弦楽四重奏曲『コウモリであるとはどのようなことか?』がソナス・ファベールのグァルネリ・オマージュから小さな音で繰り返し聴こえていた。

前日の10時間に及ぶチューリング・テストで私のブロックヘッドはシーマンとスワンプマンと砂男と砂の女とマンボを踊るマンボウが泳ぐ水槽脳のようになっていて、ゲームは散々だった。ゲームの最中にMr. Coffee Testが実施されたのも敗因だった。

ふと目をあげると、スティーブ・ライヒの衒学的弦楽四重奏曲『コウモリであるとはどのようなことか?』が流れるグァルネリ・オマージュの美しいスピーカー・ボックスの上にはトーキング・ブロックヘッドが満面の笑みを浮かべて座っていた。時折、スワンプマンがトーキング・ブロックヘッドの背後からいたずらっ子のような表情をのぞかせた。

私はスーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーに首ったけだった。ハードプロブレム・ゲームが終わり、哲学的ゾンビどもが下卑た笑いを浮かべ、口々に「ゾンビであるとはどのようなことか?」について馬鹿げた議論をしながらウォズニアック・ハウスから去っていくのを見送った。トーキング・ブロックヘッドとスワンプマンもフェードアウトする奇妙な笑い声をあげながらグァルネリ・オマージュのウーファーの中に消えた。

狙いすましたようにスーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーが口を開いた。

「さて、わたしたちはこれからいつものように世にも奇妙なセックスを始めるわけだけど」
「うん」
「あなたにとってセックスのクオリアはどんなものなの? 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そして痛覚のそれぞれの領域において」
「それは世にも奇妙なセックスをしながらひとつひとつ確認していくということでどうかな?」
「いいわ。そうしましょう」

スーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーはそれだけ言うと、シルクの淡いブルーのスリップを体から滑らせた。贅肉のかけらもない完成された肉体が現れた。かたちのいい乳房が揺れ、うす桃色の乳首が息づいている。私は激しく勃起し、快楽のクオリアはキャマンベールであることをスーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーに告げた。スーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーは満足げにうなずき、私の正面にひざまずいた。

私は達しそうになるのをこらえながらスーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーの顔をのぞきこんだ。スーパー・サイエンティストの高慢ちきな血まみれメアリーの顔は会ったこともなければ見たこともない別人の顔にかわっていた。その顔は美しかったが凄絶で禍々しかった。そして、2018年10月14日、夜ふけのメアリーの部屋に魔物がやってきた。百鬼夜行の夜の始まりだった。

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Proud Mary - Creedence Clearwater Revival
Bloody Mary
 
by enzo_morinari | 2018-10-21 04:19 | Philosophical Story | Trackback | Comments(0)

1000枚の葉っぱのための真実のミームを探してシープ・ビープ・シップでトリップ

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OvationのCelebrity CC44は羊たちの沈黙型バッテリーで作動するチューナーを内蔵する。その音は迷える子羊の悲鳴に似ている。A-D-M


酔いどれ王国の二日酔い港から羊警報船は出航しようとしている。Beep音の後にStray Sheep, Stray Shipという嘆きとも噎び泣きとも聞こえる声。甲板長のショーン・ポーだ。

ショーン・ポーはグレートブリテン島生まれ。好物はカモミールと播磨国風土記風鴨志田穣アレンジ鴨のデコイの火垂るの墓焼き節子仕立てと神のペヨーテとナイーブなロースハム。頑固な不全感に悩んでいる。瞬間睡眠遊びを好む。4242頭めの羊をカウントした直後に深い眠りに落ちる。

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Beep Beep I'm a Sheep
The Pirate's Bride(Eye of The Storm) - Sting
 
by enzo_morinari | 2018-10-15 05:19 | Philosophical Story | Trackback | Comments(0)

気が変になる水銀入りの海亀もどきスープで昼食後に帽子の女はファム・ファタールになる。

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帰宅時間はゲーデルに訊いてくれ。水銀中毒で気が変になった帽子屋

演奏が終わった音楽は虚空へと消え、二度と取り戻すことはできない。E-A-D
エリック・ドルフィーの『OUT TO LUNCH!』は『不思議の国のアリス』を解読するための地図である。E-M-M

AIWS治療の帰り道、水曜日の昼下がりの外苑東通りで魅力的な帽子の女をみかけた。帽子の女は老舗の帽子専門店であるThe Hatterのショウ・ウィンドウに見入っていた。帽子の女はジョン・テニエルの古い画集を小脇に挟んでいた。

帽子の女は呪文のようにMad as a hatterと小さな声でつぶやきつづけた。

Mad as a hatter. 帽子屋のように気が狂っている。

帽子の女の呪文のせいで周辺の時間は手のほどこしようのないほどねじ曲がってしまった。

帽子の女は三月ウサギと同様に帽子屋のように気が狂っている。帽子の女は聡明な科学者だが、普段は白/黒の部屋に閉じこもり、白/黒のディスプレイを通して世界を観察している。

帽子の女の専門分野は視覚に関する大脳生理学である。赤いロサ・ガリカ・コンディトルムや緑なす山々や青空を見るときに感じる色彩についての物理学的/大脳生理学的情報/知識を多岐にわたって有している。

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帽子の女と話しているうちに「マドレーヌ現象」がはじまった。主たる用件はその帽子の女にエリック・ドルフィーの『OUT TO LUNCH!』のジャケットのコラージュを制作することが可能かどうかを打診するのが目的だったが、話はいつのまにか「夢の球場」のことや古今亭志ん生のことや「ラデュレ・ビジネス」のことや『不思議の国のアリス』のことや『オズの魔法使い』のことや『銀河ヒッチハイク・ガイド』のことや『宇宙の果てのレストラン』のことや「42の腰つき」のことや「生命、宇宙、そして万物、森羅万象についての究極無窮の答え」のことにまで及び、ついには「宇宙を支配する巨大な意志の力」と『歌う犬どものための弦楽四重奏』の演奏会を113年ぶりに実現しようという地点にまでいってしまった。

話題は宇宙森羅万象、ソンブレロ銀河への帰還、ステファンの五つ子の養育権におよび、とりわけて、こと「音楽」と「表現」にかかわることとなると、宇宙を支配する巨大な意志の力のやつめが異常な興奮を示し、雨はしばしば土砂降りをはるかに超えて、哲コン金クリート降りとなった。

帽子の女と話しているあいだ、私は壁の『OUT TO LUNCH!』のジャケットをずっとみていた。そして、発見した。『OUT TO LUNCH!』はワンダーランド、不思議の国に昼めしを喰いに行ったきり帰ってくることができなくなった者のための音楽であるということを。そのことを帽子の女に言うと、帽子の女は大きくうなずいて服を外科医が患者の腹を切り裂くように脱ぎ捨てた。着ているものを脱ぐことにも凄絶さは附着する。

Out to Lunchは「昼食中」という本来の意味のほかに「気が変になる」という含意がある。そして、『OUT TO LUNCH!』のジャケットにはドアノブの左横に「WILL BE BACK」の文字のある帰宅時間を報せるための時計を模したプレートがかかっている。時計の針は長針短針合わせて7本。

7本の時計の針? クロノグラフやらパーペチュアルならともかく。「帰宅時間不明。今が何時なのかもわからない。時間など意味がない。時間はあっちこっちに向かってねじくれている」ということか? 私の発見、見立てはこうだ。

私は気が変になって、空間も時間もバラバラの世界、「異う世界」に生きている。もうどこにも帰ることはできない。帰れない。

エリック・ドルフィーは『OUT TO LUNCH!』を録音した4ヶ月後にこの世を去ったが、実はすでにエリック・ドルフィーはとっくの昔に「異う世界」に向けて、虚空に消えていく「音」とともに旅立っていたのだ。

いまごろはチェシャ猫やキラキラ光る蝙蝠さんやトカゲのビルやキ印帽子屋やドードー鳥や眠りネズミやオールド・マグピーやモック・タートルやフィッシュ・フットマンやフロッグ・フットマンやTwo, Five & Sevenやハートの女王様やハートの王子様やベンジャミン・ディズレーリ・グラッドストーンやエルシー・レイシー・ティリーや口うるさい美術批評家の年寄りアナゴとともに黄金色の昼下がりの「午後のお茶の会」で自由が丘ルピシアの『Castleton Moon Light 2018-DJ144』とは似ても似つかぬ紅茶もどきをすすり、ハートの女王がふんぞり返りながら焼いた「逆さま世界のアヴァンギャルド・タルト」を齧り、晩餐には海亀もどきスープに深々とした溜息をつき、眠られぬ夜にはおない年の幼なじみ、ジョニー・グリフォン相手に『オマール・ロブスターのカドリユ』でスウィングしながらケニーGのTwo, Five & Seven倍すごいロングブレスの練習をしていることだろう。怠惰と邪悪と強欲と低血糖に抗いながら。風変わりでアヴァンギャルドなウッド・シェディングだが、エリック・ドルフィーらしいと言えば言えないこともない。

いまや、世界はフェルトの帽子屋のように気が狂った者ばかりになった。私が三月のウサギになるのもじきだろう。ジターバグのワルツような。帰還するのは八方ふさがりのメローなロスト・ワールドの週末、ワニ語の名手ジョージ・ベンソンが永遠の1/2オクターブ走法を教えこんだ稻羽之素菟の背中に乗ってだ。

Eric Dolphy - Out To Lunch! (1964)
 
by enzo_morinari | 2018-10-10 00:24 | Philosophical Story | Trackback | Comments(0)

箱猫 ── 跛行的な、あまりに跛行的な

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史上最高の波乗り野郎、エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガーの死と哲学猫の逃走は、箱猫すなわち境界線上の猫を生んだが、問題は彼が生きているのか死んでいるのか、誰にもわからないことである。

箱猫はコストコのプラグマティズム満載のダンボール箱に詰めこまれ、箱根の老舗温泉旅館・根古屋に送りつけられた。送り主欄には史上最高の波乗り野郎、エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガーと哲学猫ゲダンケンエキスペリメントの名が連名で記されていた。横浜南部エリアで知らぬ者なき悪筆美容師、スミヒサ・ディネコに比肩しうるヘタクソな字だったが、それはこの際、問題ではない。

なにを考えているのか、まったくわけがわからないが、クロネコヤマトの宅急便箱根デポ所属の猫ひろしアルバイトは箱猫をクール宅急便用の保冷車でデリバリーした。猫ひろしアルバイトが自信たっぷりにバレーボール箱根地区リーグの交流試合中に決めた必殺レシーブ、キャット空中3回転が予想に反してオーディエンスに不評だったことが原因である。見かねたコンピュータ・セッターの猫田が天井稲妻落としサーブを42回連続で成功させ、「あと1本、あと1本」のかけ声とともに眩惑のブロックサインから繰りだされる変幻自在のクイック攻撃、時間差攻撃、X攻撃で相手チームを翻弄し、圧倒した。猫ひろしアルバイトときた日には、仕事に私情を持ち込まないでいただきたいものだ。さもないと、エボナイト棒で百叩きの刑である。上訴不可。

さて、根古屋の女主人(元猫女 ミシェル・ファイファー 注:帰化済み)がコストコのプラグマティズム満載のダンボール箱を開梱したとき、箱猫は「なめんなよ!」と書かれたプラカードを握りしめたまま、生きているのか死んでいるのか判然としない重なりあった状態のただ中にあった。箱の中には箱猫のほかに青白く光るラジウム・キューブ、GM計数管、青酸ガス発生装置があった。ラジウムがα粒子を放出するとGM計数管が感知し、GM計数管に連動した青酸ガス発生装置が作動して青酸ガスが発生する。そして、青酸ガスを吸った箱猫は死ぬ。ラジウムからα粒子が放出されなければGM計数管と青酸ガス発生装置は作動せず、箱猫は生き残る。このとき、箱猫は生と死が重なりあった状態にあると言いうる。のちに箱猫は重なりあった状態に置かれたときの気分をたずねられて、「肛門に外郎と求肥と寿甘を同時に突っこまれたようだった」と答えている。

無国籍無頼者の藤田五郎と偏狭にして偏狂な辺境華僑の射影公準拠が共同で創業した箱猫湧園には重なりあった状態を視覚化したアンテリジーブルかつサンシーブルなサンプルが第42大浴場のオブジェとして展示されている。目にすれば、死ぬか死なないか/生きるか生きないかのどちらかである。この際、確率の問題は意味を持たない。死ぬか生きるかの件はハムレットの玄孫のオムレット&ハムカツ兄弟の担当である。生きないの件はダンカンの担当である。

プサイにファイ プサイにファイ 世の中すべて波だらけ♪

箱猫は猫かぶりに飽きるとシュレディンガー音頭を歌い、踊り、借りてきた猫のような風情で目を覚ました。以来、根古屋の女主人に猫可愛がりされる日々がつづいた。ペット・セメタリーB地区9696街区の墓場から甦ったエルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガーに連れられた哲学猫、ゲダンケンエキスペリメントに猫パンチを浴びるまでは。根古屋の看板招き猫である灼けたトタン屋根の上野猫が遠い太鼓の向こう側で弾けた泡のような悲鳴を上げるまでは。

上野のお山の西郷ドンがついに堪忍袋の緒をワンツンワンツン(やすめ!)(やすめ!)引きちぎり、偽造テレホンカードの密売に忙しいイラン人どもに江戸無血開城24会館スペシャルを浴びせ、上野猫の小児性愛癖を暴露するため、上野発夜行列車箱根行きのローカル線、結界量子線に無賃乗車するまであと65刹那だった。箱猫が「帰りたい箱、帰れない箱、そして、帰るべき箱」と新種の青い蜂に変体した死喰い人のルシウス・マルフォイを手に入れるまで、あと跛行的反復横跳び42回/分で42000セット。

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箱猫が跛行的反復横跳び42回/分で42000セットに取りくんでダルダルダラダラダリダリ系の偏執狂的で焼いたベーコンのある柔らかい記憶の固執/溶ける魚たちが蝟集する磁場としてのシュルレアリスムあるいはダダイストの呪詛におののくダリの柔らかい時計(Breguet No.161 Salvador Dalí/Persistance de la memoire)の汗をテンプと脱進機とゼンマイと香箱と雁木車から滴らせるシュルレアリスム・タイムのあいだに、賢者の石に置かれた炎のゴブレットをダンブルドア校長が不死鳥騎士団の助力をえて闇の帝王であるヴォルデモート卿に投げつけて撃退し、死の秘宝をあるべき場所に返した午後、魔法牢獄アズカバンで恐ろしい暴動が勃発した。「ハリーの小僧に大急ぎでぽたぽた焼きを焼かせろ! さもなくば死!」というのがアズカバンの囚人たちが掲げるスローガンだった。「スローなガンにしてくれ」とイケナイ・ルージュマジック・マッシュルームの自家栽培群生地の苔院院主である赤鼻ハルキンボ・カドカーワの魔法茸怨念によって、今や1mmもお呼びでないキャンサー・キャリアの南から来た男が言ったが、跛行的な、あまりに跛行的なKYなことこのうえもない。

その様子を聖なるタブレットでのぞき見ていたサルサラの風神クルパ・ポモ・ピーニャソーダ・ピアンタはワルキューレの騎行の雄壮な調べに乗って爪先立ちホース・ライディング・スタイルであらぬ彼方にイッてしまった。クルパはホース・ライディング・スタイルが実にうまい。ホース・ラディッシュとおなじくらいうまい。跛行的な、あまりに跛行的な。


未来は決定していない  未来は変えることができる 生まれ変わることはできない 少しずつ変わることはできる


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by enzo_morinari | 2018-06-03 22:19 | Philosophical Story | Trackback | Comments(0)