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カテゴリ:笑えない話( 1 )

笑えない話#001 (笑)のテロリスト

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ユーモアは自我の不可侵性の貫徹から誕生する。S-S-F

(笑)のテロリストはwwwのテロリストとも言う。あるいは(ワラ)のテロリスト。(笑)のテロリストは発言/書込み/メッセージのたびに「(笑)」「www」「(ワラ)」である。なにかというと「(笑)」「www」「(ワラ)」である。「はい(笑)」という具合である。「ありがとうwww」である。いきなり、なんらの脈絡もなく「(ワラ)」である。とにかく手当り第に「(笑)」「www」「(ワラ)」である。笑うに笑えぬ。

「(笑)」「www」「(ワラ)」の前後にユーモア、エスプリ、ウィット、ギャグ、ジョーク、ダズンズ、アナグラム、タホイヤ、アンビグラム、リメリック、ラップ、ヨギ・ベラ、マラプロピズム、偽キリル文字、小話、地口、回文、縦読み、言葉遊び、落し噺、滑稽譚、落語、漫才、喜劇、狂言、風刺、諧謔、風狂、パロディ、アネクドートがあるわけではない。これっぽっちも、ひとかけらも、ない。ないないずくしのこんこんチキチキ・マシーン大レースである。「(笑)」「www」「(ワラ)」のかわりに「ウシャシャシャシャ」なら大いにケンケンなんだがね。そうではない。「w」を大文字にして勘所で「W(ロビー・ロボット万歳)」とでもすればヒネリが多少なりとも利いていてクスッとできるのだがな。それももちろんない。

「笑い(Smile/Laugh)」は「楽しい」「うれしい」などの感情をあらわす感情表出行動だ。すぐれて人間的な行動である。チンパンジー、オランウータン、ゴリラ、ボノボ等の類人猿も笑い声をあげることが報告されているが、人間の「高度な笑い」とは質においても量においても大きな差がある。

人間は笑い声が伝染・伝播してその場にいる多数(あるいは視聴している者)が一斉に笑う場合があるけれども類人猿にはない。野生のチンパンジーには言語によるユーモアや嘲笑、他者を笑わせる「たわむれ」「おどけ」「とぼけ」がない。「笑いの社会性」は人間が突出している。人間の「笑い」はきわめて社会的な行動であるとも言える。

しかし ── 。「(笑)」「www」「(ワラ)」を乱用濫発する者は「笑い」ということに関してサルどもにも劣る。彼奴らは「(笑)」「www」「(ワラ)」によって室温を2度から3度、へたをすると5度下げる。お寒いことこの上もない。しかし、当の本人はそのことに気づかない。気づくはずもない。彼奴らは実際には笑うことのできない(笑)のテロリストだからだ。

「笑い」は大好物であるが、わたくしは「(笑)」使わない派である。なぜかと言うに、わたくしは滅多なことでは笑わないからだ。なぜ笑わないかと言えば、この世界には笑えるほどの事象/現象/事態がほとんどないからである。

文字のみの意思表明はたしかにむずかしい。どうしても笑っていることを相手に伝えたいときは「ゲラゲラゲラ」と書く。実際にゲラゲラゲラと笑っているからだ。「ゲラゲラゲラ」を早くタイピングできるようになるためにタッチ・タイピングをおぼえた。「ゲラゲラゲラ」を「げ」で単語登録もしてある。「ゲゲゲの鬼太郎」と入力しようとして「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラの鬼太郎」になってしまうことが難点だ。クイック・レスポンスできないけれども、やや間を置いてゲラダヒヒの画像を貼りつけるか送ることもある。こんな具合に。
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おもしろいので、「(笑)」を濫発乱用する人物と直接会ったことがある。会ったのは吾妻橋際にある「天磐屋」という風変わりな飲み屋だった。突出しに甘藍の玉が1個丸ごと出てくるという変わりようである。そして、板場の中央に居丈高満載でふんぞり返っている板長が「切るか? 伐るか? 剪るか? 斬るか? 着るか? それとも、割るか? 刻むか? 飲むか?」と矢継ぎ早に詰問してくる。

こちらは間髪入れずに「煮てさ。焼いてさ。喰ってさ。肥後どこさ。佐渡おけさ」と返す。すると、鬼瓦のような御面相の板長は破顔一笑、呵々大笑、抱腹絶倒、仕上げに一笑に付して、「笑中に刀あり。笑う門には福来る」と包丁を振りかざして大見得を切り、笑いを噛み殺しながら去っていく。そんなようなスコブル滑稽面白半分な店である。

(笑)氏と会う前はエノケンとトニー谷と初代桂春団治とチャールズ・チャップリンとローワン・アトキンソンとバスター・キートンとマルクス兄弟とモンティ・パイソンとハロルド・ロイドと藤山寛美と花菱アチャコと横山エンタツと古川ロッパと三木のり平と伴淳三郎と益田喜頓を足してナチュラルキラー細胞をまぶしたような人物を想像していたがちがった。(笑)氏と一緒にいるあいだ、天岩戸で神懸かったアメノウズメノミコトが踊り狂うことはなかった。

(笑)氏は発言するたびにこちらをちらと見やり、赦しを乞うような目をし、「笑っていただいてますよね? ボクの言っていること、おもしろいですよね? ボクってなに?」とスピーチ・バルーンを出していた。そのスピーチ・バルーンはことごとく風刺と皮肉の棘を刺して破裂させてやったが。

「実は樽さんに是非とも相談に乗っていただきたいことがあるのです(笑)」
「相談?」
「はい(笑)」
「ソーダ水の中を通る貨物船に乗りたいとかいう話じゃなくて?」
「それはまた別の機会にでも(笑)」
「ギャラは高いぜ」
「承知しております(笑)」
「わかった。で? ソーダ水の中を通る貨物船に乗りたいとかいう話とはまったく別の相談というのは?」
「実は私は生まれてから一度も笑ったことがないのです(笑)」

そう言った(笑)氏のスピーチ・バルーンには「死にたいです」という「(笑)」なしのモリサワ極細明朝体9Qの文字が浮かんでは消えていた。

(笑)氏の相談事についてたいした貢献も力添えもできないまま季節がふたつ過ぎた。そして、7ヶ月後、生涯にわたって笑うことのなかった(笑)のテロリストはみずから死を選んだ。哀しい気分でジョークどころではない。笑い話ではすまされない。

(笑)氏の死から10年を経て、この広い世界には「笑えない人々」が数多く存在することを知るに至り、めしも酒もいくぶんかうまくなくなった。若かりし頃に繰り返し読み、数少ない愛読書のうちの1冊であるベルグソンの『笑い』がやけに白々しく感じられ、底の浅い、上滑り上っ調子浮かれポンチな愚劣低劣にして下卑た笑いを撒き散らす者どもへの憎悪はいや増した。

実を言えば、わたくし自身が「笑えない人々」のうちのひとりであることに気づいたのはここ最近だ。記憶によれば、わたくしが初めて心底笑ったのは30歳をいくつか過ぎてから。コーエン兄弟の『バートン・フィンク』を見たときだった。ジョン・タトゥーロとジョン・グッドマンの一挙手一投足、なにからなにまで、すべてがおかしかった。ひとしきり笑ってしまうと、物心ついたときからずっとついてまわっていた憤怒と憎悪はなりをひそめ、かわりに浮き立つような気分になった(そのときに味わった「浮き立つような気分」の意味を知るのはずっとあとのことではあるが)。それまでのわたくしの笑いはつくり笑い、嘘笑い、計算づくの笑いだったということである。まったくもって笑えない話だ。
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by enzo_morinari | 2018-04-21 05:50 | 笑えない話 | Trackback | Comments(0)