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カテゴリ:Orilla del Mundo( 2 )

世界の果てで/Orilla del Mundo 世界の果てに立ち、世界の終わりをWaccallanay KangarooのRoger the Muscle Kangarooとともに考えることの意味。

 
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そりゃ、俺も悩んださ。Roger the Muscle Kangaroo

人間はカンガルーの脚ではない。

人間はカンガルーの海驢でも海豹でもない。

人間はカンガルーのAssicca Gatacca UZIではない。
 
by enzo_morinari | 2019-05-09 05:58 | Orilla del Mundo | Trackback | Comments(0)

世界の果ての岬で考えるいくつかのこと/明日に架ける橋などいらないが、コンドルがどこにたどりつくのかはこの目で見届けたい。

 
世界の果ての岬で考えるいくつかのこと/明日に架ける橋などいらないが、コンドルがどこにたどりつくのかはこの目で見届けたい。_c0109850_17512840.jpg

 
アルバトロス王の孤独あるいは世界の果ての岬で考えること

明日に架ける橋などいらないが、コンドルがどこにたどりつくのかはこの目で見届けたい。Rainbow Coyote

どこにも行きたくない者にとってはどこであろうと世界の果てだ。E-M-M
1秒たりとも生きていたくない者にとってはどこであろうと地獄だ。E-M-M
なぜ鳥は歌ってるの? なぜ星は瞬いてるの? 世界の終りが来ていたのだとも知らずに。S-D


朝からずっとチャーリー・ヘイデン&ゴンサロ・ルバルカバの『En la orilla del Mundo(At the Edge of the World/世界の果てで)』を聴いている。エンドレスで。世界の果てをエンドレスで。世界の果てを終わりなく。遠い日の夏のLe Tour de Cape Hornの日々を思いながら。

遠い日の夏のLe Tour de Cape Hornの日々がおぼろげによみがえる。

Le Tour de Cape Hornの参加者は3人だった。ホーン岬をめぐる旅が終わり、われわれは言葉もなかった。言葉など必要なかったと言ったほうが事態をより正確にあらわしている。

われわれは世界の果ての岬にたたずみ、ただ水平線と空の空隙と海の群青をみていた。激しい雪が降ってくれることを願ったが、われわれの願いは聞き届けられなかった。それでいい。願いがあるうちはまだ生きつづけられる。

世界の果ての岬は静寂が支配的だが、勿論、風の音もする。波の砕ける音もする。風の音はわれわれの心をかき乱し、波の砕ける音はわれわれの魂を木っ端微塵にした。

風の歌も潮騒も聴きたくはなかったが、旋律もリズムもない風の音は疲れ果てたわれわれの心をいくぶんか慰めないこともなかった。手加減も容赦もない波の砕ける音はわれわれの魂を木っ端微塵にしたあとにわれわれの中にある塵埃を洗い、喪失を埋めた。そして、考えた。

世界は朝めしや昼めしや晩めしを記述することでは解明されないし、「記憶」は常に/いつも歪で跛行的で曖昧だし、故障した日本語を撒き散らすポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが文章教室の講師とはお笑いぐさのうえに腹立たしいし、ワンセグなど知ったこっちゃないし、コストコでひと山いくらで売っているコストのかからない「感謝の言葉」には反吐が出るし、趣味と実益が両立してえられるものなどただ貧乏臭いだけだし、MJはすでにオワコン/スリルなしだし、謎は謎のままにしておけばいいし、古本/古書にしがみつく亡者どもの舌を閻魔大王はどんなふうに料理するのか気がかりだし、お高くとまった雨傘やいけ好かないレインブーツをひけらかす暇があったら異形ベイビーと災害/災厄のさなかにある人々に思いをいたしたほうがよほどスマートだし、ECHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンや車麩の揚げ物やPot Rack Partyではどこにもたどりつけないし、小雨降る窓に向かって蕎麦味噌をつつきながら熱燗の盃を傾けても世界はちっとも良くならないし、何百万回「標高1260メートルの朝」を迎えても本当の答えはみつからない。

しかし、世界はそのようなガラクタどもの集合体である。ガラクタはガラクタのままでいい。大いに好きにするがいい。サリンジャー・ウォールの壁厚を厚くし、壁高を高くすればいいだけの話だ。なるほど。そういうことだったか。


世界の果てだと思っていた場所は実は自分の心の闇と翳だった。世界の果ての岬と心の闇と翳の間隙を縫うようにアルバトロスの王は飛翔しつづける。

世界の果ての岬で考えるいくつかのこと/明日に架ける橋などいらないが、コンドルがどこにたどりつくのかはこの目で見届けたい。_c0109850_18564812.jpg
世界の果ての岬で考えるいくつかのこと/明日に架ける橋などいらないが、コンドルがどこにたどりつくのかはこの目で見届けたい。_c0109850_1630352.jpg

En la Orilla del Mundo (At the Edge of the World/世界の果てで)/Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba
 
by enzo_morinari | 2019-05-09 00:52 | Orilla del Mundo | Trackback | Comments(0)