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カテゴリ:巴里で午睡( 10 )

巴里で午睡 世界の天井パリの空の下、ルグランは流れる。

 
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エスプリと気品の音楽表現者は凍てつく世界の天井、パリの空の下で静かに穏やかに逝った。Repose en paix, Monsieur Esprit et Élégance-Legrand.

Michel Legrand/ミシェル・ルグラン 1932年2月24日 - 2019年1月26日


先日亡くなったMichel Legrand/ミシェル・ルグランはおなじアパルトマンに住んでいた。気のいい人物だった。いい匂いがした。シャボンのような匂い。天然パーマの髪がキュートだった。中庭でよく日向ぼっこをしていた。

私が生まれた年、1958年にミシェル・ルグランがPhlipsから出したLegrand Jazzのオリジナル盤のファースト・イシューは今も手元にある。Michel Legrandのサイン入り。”Félicitations pour la naissance de votre bébé” (あなたのかわいいベイビーの誕生おめでとう)のメッセージ付き。私が生まれたときのお祝いにミシェル・ルグラン本人からプレゼントされたものだ。

母親とミシェル・ルグランはおない年だった。当時、母親は私を身ごもり、単身世界の天井パリに渡った。そして、私を産んだ。当時、当然、母親は若かった。ミシェル・ルグランも若かった。そのことを思うと少しだけせつなくなる。

ミューズとともに逝け。

Monsieur Esprit et Élégance-Legrand. Repose en paix.


The best of Michel Legrand (Full Album)
 
by enzo_morinari | 2019-01-27 03:44 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

巴里の空の下、人生は流れる。

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世界の天井に降る雨。雨の朝に死んだのはだれだ? 大勢いる。大勢いるうちの一人がヴァニタス・スカルラッティだ。死のにおうかなしみを静かにたたえた優雅と優美。チャコール・グレーのカシミアの膝掛けのように憂鬱で静寂に満たされたやさしさ。ヴァニタス・スカルラッティの夢を語り継ぐ者はいまやいない。

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雨の朝、巴里に死す。この秋はどんな夢をみるとしようかな。ろくでもない夢でも悪い夢でもこわい夢でも巴里でみる夢ならいい。下衆外道の害虫害獣カスミガセキシロアリ/カンリョウネズミ(テクノクラット)に操られる頰のたるんだ顔面土左衛門が国のトップにいるような国のどこでみる夢よりもいい夢だ。悪夢機械のアブラカダブラだらけのオイル・ヒーターのほうがまだましだ。

それにしても冷たい雨だった。容赦なく冷たかった。ポルコロッソは寝床から出てこようとすらしない。熱く濃くいれたカフェ・オ・レを2杯。ゆうべ訪ねてきたマダム・プレヌリュンヌが土産に持参してくれたデメルのビター・チョコレートをかじり、彼女の残り香をさぐった。マダム・プレヌリュンヌの残り香はひとかけらもない。ポンピドー・センターにのぼって雨の巴里の街をみた。雨脚は強くなるいっぽうだった。心とからだが芯から冷えた。

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雨あがりの巴里は疲れた心に少しだけやさしい。そのことを知るのはこの世界で吾輩とジュリエット・グレコだけだ。

ジュリエット・グレコ。帝王マイルス・デイヴィスが生涯でただ一人だけ本当に愛した女。

「あたしがどうあがいてもエディット・ピアフにはかなわないのよ。おなじ巴里の空の下で呼吸してるのにね」

そう言って肩をすくめる彼女の肩越しに雨あがりのエッフェル塔がみえた。

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ジュリエット・グレコを『Le Dome』の前まで送り届けたあと、マダム・ラ・ツール・エッフェルの足元に潜りこんだ。脛を蹴飛ばしたり、腿に2Bのファーバー・カステルを突き立てたり、足の甲を踏んづけたり、膝カックンしたり、股ぐら目がけて火炎放射器をぶっぱなしたりした。

なにをしてもマダム・ラ・ツール・エッフェルは表情をかえない。眉ひとつ動かさない。毅然とし、凛とし、堂々としている。気品さえ漂わせている。さすが鉄の貴婦人と呼ばれるだけのことはある。その強靭な意志でピエール・ド・ボローニャ伯爵の横恋慕をはねつけたのは伊達ではなかったということだろう。

鉄の貴婦人マダム・ラ・ツール・エッフェルはきょうもモンマルトルやモンパルナスやカルティエ・ラタンやアヴェニュー・デ・シャン=ゼリゼやオペラ座や人生や恋や涙を見守りつづける。マダム・ラ・ツール・エッフェルは本当にいい女だ。

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寝ぐらのあるカンボン通りを北に行くとカプシーヌ通りにぶつかる。右折。しばらく歩いているうちにいいワインバーとカフェをみつけた。どちらもまだ真新しく初々しい。清潔感の極み。一発で気に入った。二軒とも朝からやっている。

朝酒と軽い食事。吾輩のような気まぐれ自由気ままな者にはとてもありがたい。カフェのほうはテイクアウトもできる軽食喫茶というところだな。イタリア人がやっている。初め、「ムッシュ・ボンジョルノ」と声をかけたら無視された。次に「フォルツァ・フェラーリ!」と叫んだら白髪まじりの店主が仕事の手を止めてにっこり微笑んだ。

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東京は酔いどれずにはいられない街だったが、巴里は酔いどれるというような無頼、破滅、荒廃は金輪際似合わない。「無頼や破滅や荒廃はこどものやることよ。シャルル・ボードレールもドリアン・グレイもエルンスト・テーオドール・ アマデウス・ホフマンもとっくの昔に死んじゃったのよ。この街には『悪魔の美酒』は一滴も残っていないのよ」とたしなめられる。

カプシーヌ通りでみつけたワインバーは清潔で明るい。酔いどれ・酔っぱらい・酒ぐれはいっさい似合わない。2杯。多くとも3杯。そのときどきの気分で赤にするか白にするか。銘柄もお好み次第。ピンからキリまで。酒飲み修行の場がまたひとつ増えた。


Juliette Gréco Official HP
The Best of Juliette Gréco (full album)
 
by enzo_morinari | 2018-10-02 10:51 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

さくらんぼの実る頃をすぎても

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さくらんぼの実る頃をすぎても、6月15日をすぎても、ナショナル・ダイエット・ビルヂングのサウスゲートが血に染まっても、美智子さん、あなたは「桜田通りはジャン=バティスト・クレマン通りだ」と言い張っていた。たぶん、あなたは桜田通りが本当に「ジャン=バティスト・クレマン通り」だと思っていたんだろう。「いつかジャン=バティスト・クレマン通りの街路樹をすべて白樺の樹にするのが夢よ。そして、わたしは樺美智子から白樺美智子に改名するの」と言って細い顎をほんの少し突きだして笑った。

6月15日の何日か前に卒論の準備は進んでいるかたずねると、懇願でもするように「これで最後にするからデモに行かせて」と答えた。「じゃあ、そのあとに卒論について話そう」と言うと、あなたは素直にうなずいた。白のブラウス、濃紺のスラックスに淡いクリーム色のカーディガンを肩から羽織ったあなたがなぜかまぶしかった。あなたがかなしげな微笑みを浮かべたとき、一瞬、あなたの向こう側が透けて見えたような気がした。

それもこれも、「血の1週間」であなたが負った痛手のせいだ。ひどい深手だった。多くの友だちが去り、多くの裏切りがあり、多くの悲しい出来事があった。「血のしずく」や「ひらいた傷口」はいまでも目に焼きついている。

どこからか飛んできたコーラ瓶の破片で切れて出血している仲間の脚を見て「デモ行進も歌も静かにやって静かに聴くものよ」と言ったときのあなたのかなしそうな目も。「この傷もいつかあなたのコカコーラ・レッスンになるのね」と言って手当の手を止めてくすりと笑い、鼻にかわいらしいしわを寄せたことも。生々しく痛みは残っているけれども忘れがたきいい思い出だ。

ゆうべ、夢の中で集めたさくら色の珊瑚でつくったさくらんぼのイヤリングを贈るよ。あなたに似合うといいのだが。さくらんぼのイヤリングをつけたあなたを見ることができたらいいのだが。統三さんのエチュードを聴けていたらいいのだが。浩平くんがカーネーションを握りしめていた理由をたずねてくれたらいいのだが。悦子さんと会えていればいいのだが。ナイーブなロースハム好きの日系ウガンダ人呪術師/不全感回収業者/スパゲティ・バジリコ野郎のハルキンボ・ムラカーミに説教してくれたらいいのだが。間にあえばいいのだが。さくらんぼの実る頃をすぎても。

ロシニョールやモッキンバードを殺すのに銃も剣もいらない。


Le temps des Cerises - Yves Montand



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村上春樹という墓標 ── 二十歳にして心朽ちたり
村上春樹の『風の歌を聴け』を読んだのは二十歳の夏の初めだった。『群像』の1979年6月号掲載。その年の「群像新人賞」受賞作。私も応募していたが、最終選考止まり。以後、一切の懸賞小説に応募するのをやめた。「スパゲティ・バジリコ野郎が認められるような世界なんかにコミットメントしてられるか!」というのが理由だ。「スープに毛が入っていようが、スパゲティ・バジリコが完全なるアルデンテに茹であがろうが、牛の胃の中にひとつかみの牧草しか入っていなかろうが、ある種の誇りを持ちつづけるためにアレック・ギネスが命がけで橋をつくろうが知ったことか!」ということである。

1980年の春に『1973年のピンボール』が出て、おなじ年に田中康夫が『なんとなく、クリスタル』で文藝賞を受賞したのをきっかけに、「文学青年」の日々とはきれいさっぱりおさらばし、「文学」と縁を切った。清々した。パスタを茹でつづける男の人生と厚さ5cmに積み重なった南京豆の殻と25mプール1杯分のビールに担保された青春とナイーブなロースハムを売っているナイーブな肉屋に関する話とチャイナのC席に回収される不全感とカタログが文学、小説だというなら萩本欽一は合衆国大統領だと思った。

ひと冬をかけて1973年製のピンボール・マシン、スリーフリッパーのスペースシップを探したが街のどこにもスリーフリッパーのスペースシップはみつからなかったし、気のいい中国人のバーテンダーは中国行きの貨物船の船員になって街から消えていた。しかも、厚さ5cmに積み重なった南京豆の殻が火元になって街の半分は焼けてしまい、ソルト・ピーナッツとナイーブなロースハムの食べすぎと25mプール1杯分のビールの飲みすぎのせいで多くの人が痛風を発症し、だれも死なない小説とほっておいてもセックスする者たちに装着されていた使用済みコンドームと蛍の死骸と焼きつくされた納屋と午後の最後の芝生を刈って出た枯れ芝の残骸と醜悪きわまりないリチャード・ニクソンの悪臭ふんぷんたるクソが浮かぶ不全感の海で溺死した。

街のあちこちに鈎状砂嘴ができて、鋭い切っ先を突きつけていた。街はクリスタルどころか灰色に濁り果てていて、TILT117回のおまけ付きだった。三百代言試験に合格したことを除けば、1980年は本当にひどい年だった。えた結論は「村上春樹は死者を食いものにしている」ということだ。さびしい林で揺れている林直子さんを一刻もはやく回収するのは村上春樹の義務である。

『風の歌を聴け』を読んだ1979年は高野悦子の『二十歳の原点』と原口統三の『二十歳のエチュード』と奥浩平の『青春の墓標』とポール・ニザンの『アデン・アラビア』を同時進行で読み、ともにある日々だった。高野悦子と村上春樹は同い年だ。奥浩平は村上春樹より六歳歳上の同世代。原口統三はふた世代上。ポール・ニザンの『アデン・アラビア』はその当時の私にとっては「青春」を象徴するもののうちのひとつだった。

二十歳は重要だった。人の一生で1番美しく傷つきやすく垢むけでなければならなかった。「区切り」であると思った。二十歳を過ぎて以降の人生は「本当のこと」「大切なこと」を見失い、手放して、あとは汚れ、醜くなり、ただ単に生き延びることにすぎないとさえ考えていた。二十歳になった時点で、なんらかのかたちで「死」を経験しなければならないとも。そのことは最優先の課題であるように思われた。


二十歳にして心朽ちたり秋桜子
 
by enzo_morinari | 2018-07-25 19:19 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

巴里で午睡 paris de hirune ── 創元社『知の再発見』双書を読了する。

 
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創元社から出ている『知の再発見』双書シリーズのうち、1巻から102巻までを読了。1日5册を目処に『知の再発見』双書を読みはじめたのは3週間ほど前だった。

吾輩は『知の再発見』双書シリーズ102冊をブックオフでまとめて手に入れていた。格安だった。全部で1万円でおつりがきた。続刊について創元社に問い合わせたところ、ぞくっとするほど音声と言葉づかいのよろしいK女史が懇切丁寧、誠実ここに極まれりという対応。現在、創元社の『知の再発見』双書は156巻まで刊行されているとのことであった。

やりとりの最中、思いがけず例の「マドレーヌ現象」が生起し、K女史は吾輩が発する幻惑衒学の煙りに巻かれて窒息寸前の様相を呈しはじめたために撤収した。いずれ、折りをみて口説きのための遠征をすることを固く決意する。

創元社の『知の再発見』双書シリーズはガリマール書店から『ガリマール発見叢書』として発刊されたもので、発刊時から評判を呼び、話題ともなり、ロング・セラーに名を連ねた。それを創元社が翻訳出版権を買い取るかたちで1990年から発刊したものである。

ガリマールといえばドイツのレクラムと双璧をなすフランスの名出版社だ。創業者であるガストン・ガリマールが「文学」「思想/哲学」に果たした貢献は計り知れないものがある。設立時にはアンドレ・ジッドらが編集同人に名を連ねている。ガリマールなかりせばジグムント・フロイト、アンドレ・ブルトン、アーネスト・ヘミングウェイ、サン=テグジュペリをはじめとする「知の巨人」たちが世に知られることはなかったか、あるいは知られるのはもっと遅れていたにちがいあるまい。

J.P. サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アルベール・カミュ、モーリス・ブランショ、エルンスト・ユンガー、ジョルジュ・バタイユ、ジャン・ジュネ、フランソワーズ・サガン、マルグリット・デュラスらはまちがってもガリマールには足を向けて寝られなかったはずだ。

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装幀/ブック・デザインは戸田ツトムと岡孝治。戸田ツトムは杉浦康平、菊地信義、平野甲賀とともに吾輩が愛するエディトリアル・デザイナー、造本作家であって、1980年代から彼がデザイン/設計する書物はことごとく入手した。

「秀英社明朝」という名書体の復権は戸田ツトムがいてこそであると吾輩は考えている。実際、吾輩が敬愛し、同志とも考える松岡正剛が工作舎を立ち上げ、伝説の名雑誌『遊』を発行して野心的独創的画期的な書物を世に送り出すにあたって松岡の片腕ともいいうる仕事をしていたのが戸田ツトムであった。

いまはすっかり落ちついて、ロマンスグレーの「すてきなおじさま」ぶりを発している戸田ツトムではあるが、1980年代から1990年代半ばくらいまでの戸田ツトムといえば、その仕事の質と量において松岡正剛とともに「時代知」の最先端をまさに血煙をあげながら突っ走っていた。

我々の知の地平は松岡正剛と戸田ツトムによって拓かれたと言っても過言ではない。戸田ツトム畢生の書であり、難解とされる『断層図鑑』は吾輩の「東京探検」「東京発掘」「東京の午睡」のためのガイドブックであり、用心棒であり、教科書であり、顕微鏡であり、望遠鏡であり、高射砲であり、防空網であった。

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創元社が『知の再発見』双書シリーズにおいて、装幀者/ブック・デザイナーに戸田ツトムを起用したことにまず喝采を送りたいと思う。

「”知”としてのエディトリアル」「『編集』という名の知」は吾輩の長年のテーマであり、そのために必須なのが優れたエディトリアル・デザイナーである。そして、その優れたエディトリアル・デザイナーの筆頭が戸田ツトムであり、杉浦康平であり、菊地信義であり、平野甲賀だ。

いかに中身がよかろうとポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな装幀/造本/エディトリアル・デザインでは気持ちが腐る。眼も腐る。逆に中身は多少ポンコツでも装幀/造本/エディトリアル・デザインが優れていると中身までがその強度に引っ張られるかたちで良くなってしまう。

松岡正剛の数少ない誤謬のうちのひとつが「装幀/造本/エディトリアル・デザイン」に寄りかかりすぎた仕事のいくつかであって、松岡正剛はそれこそ千年に一人出るかどうかという空前絶後、極め付きの超絶編集者、大知識人、大智慧者、知の大強者だが、いささかの誤謬が「玉にキズ」などということでは済まされないことの自覚と表明を短い余命のうちにやり遂げてもらいたいものだ。そうでなければ松岡正剛の『野辺送りのうた』に「校了」の判は押せない。

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さて、『知の再発見』双書であるが、テーマも内容も翻訳も編集もたいへんによろしい。読み物としても面白い。書棚に並べればすこぶる壮観である。数多くの図版類は戸田ツトムのエディトリアル・デザインによって生命を吹き込まれ、生き生きとしている。

単なる挿絵・参考図版も戸田ツトムの手にかかればデザインの一部として読み手を強く惹きつける。おかげで吾輩は1日に5册読了という目標をなんらの苦もなく達成できた。吾輩はめったなことでは書物についての「おすすめ」をしないが、創元社の『知の再発見』双書シリーズについては強くすすめる。

戸田ツトムと同世代もしくはそれより上の世代である子も孫もいるようないい齢を重ねた者たちがわけのわからぬ「依存」だか「ハマること」だかについて科学的思想的論理実証的な比較衡量検討のひとかけらもなく、ましてやみずからが「親和欲求」と「認知欲求」の呪縛に取り憑かれていることさえ気づかず知らず、知ろうともせず、貧乏長屋の井戸端会議よろしく、鶴と亀が滑った転んだ、茶碗が欠けた、これはホントあれはウソなどなどと四の五の朝から晩までやったところで、どうせ出てくるのは本心とは裏腹のおべんちゃらときれいごととおためごかしばかりの愚にもつかぬ御託が関の山である。

そんなヒマがあるなら『知の再発見』双書のような良書の1ページでもめくったほうがよほど価値がある。光陰は矢の如く流れ去り、お迎えはあっという間にやってくることの自覚がない者にはなにを言っても無駄ではあるが。
 
by enzo_morinari | 2014-06-02 09:28 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

KOBE-COLORS/神戸の色、創造の形。

 
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COLORS というフラワー・ショップがある。フラワー・ショップ、花屋というより、オートクチュール・フラワーブティックとでも呼びたい。

兵庫県神戸市。設立3年。知る人ぞ知る存在。しかし、ほぼ無名に近い。スタッフの数も5名と家族経営に毛の生えたようなものだ。しかし、やっていることがすごい。すばらしい。まさにクリエイティブ。クリエイティビティにあふれている。

伝統的なもの、正統なコンサバティブなものは無論のこと、モダン・アート作品とみまごうものまで。目を見張る。吾輩が注目し、驚いたのは色鮮やかな赤唐辛子と杉の葉を用いた作品。これなどは芸術作品そのものである。

WEB上で COLORS の仕事を初めて目にしたとき、「これは美大出身者か、グラフィック・デザインの仕事に携わってきた人物が中心にいる」という感想を持った。直接、問い合わせた。ハズレ。美大出身でもなく、グラフィック・デザイナーでもなかった。ただし、 COLORS の代表をつとめる國安太郎はベルギーのフラワー・アーチストである DANIEL OST の元で10年にわたって学んだ経験を持つ。DANIEL OST は「花の建築家」の異名を持つすぐれたクリエイターだ。

「事業内容」は空間装飾にはじまり、セレモニー装飾、フラワーギフト販売、ディスプレイの企画・制作・施工、ウェディング装飾全般、オリジナルブーケ/ウェディングブーケ/ブライダルブーケのオーダーメイド制作などだ。そのクリエイティブのレベルはHPを見るだけでも容易に想像がつく。 COLORS の仕事は本場ヨーロッパでも十分通用するだろう。実際、ヨーロッパを中心に世界展開するあるホテル・チェーンの広告宣伝ディヴィジョンのディレクターが強い関心を示している。

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COLORS HP http://www.kobe-colors.jp/achievement.html

ことクリエイティビティという点から言うならば、老舗づらしてふんぞり返っている大手の日比谷花壇やゴトウ・フローリストなどは足元にもおよばないだろう。コネ、人脈のみで寝穢く食い扶持を稼いでいる守旧派と新進気鋭、少数精鋭のクリエイティブ集団では勝負は戦う前からわかりきっている。

COLORS はその志もまたすばらしい。いわく、「世界一の花屋計画」。これは代表の國安太郎の志でもあるのだろう。

まだ42歳。これから脂がのり、ますます「いい仕事」をしていくだろう。國安のもとには若い才能がどんどん集まってくる予感もする。

電話で直接話したが、いい声、シャープな応答、即断即決、爽快。成功はまちがいあるまい。いまの段階で吾輩は断言しておく。COLORS は数年のうちに「花はCOLORS」という存在になる。

日比谷花壇? ゴトウ・フローリスト? でかいのは態度と図体だけだろう。人の数と大きさはそれほど重要ではない。「たった一人で炎の中心に立つ仕事」ができるか否か。そこがホンモノかただのカスかの分かれ目になる。

これから KOBE-COLORS がいかなる速度感、いかなる規模、いかなるクリエイティビティで伸びていくのか。胸躍らせながら見守りたいと思う。


注記:記事中の画像及びバナーの知的財産権はすべて株式会社カラーズ(Colors,inc.)に帰属する。

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by enzo_morinari | 2012-11-06 16:00 | 巴里で午睡 | Trackback(1) | Comments(3)

巴里で午睡#6 昼下がりのワラビー・モーリな件。

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 ワラビー・モーリが吾輩の前にそのあまりにもなトラッド、ラルフ・ローレンぶりで往年の名MF、アソシエーション・フットボールの上手な愚か者ポール・ガッザ・ガスコインがオーナー・シェフとして厨房に立つ安食堂『ガスコーニュ&コリン・スゲット・サンダーランド・マッケム・ニューカッスル・ユナイテッド』に姿を現したのは日曜の昼下がりのことだった。ワラビー・モーリはクラークスの焦茶のワラビー・ブーツを履いていた。そこまではよかった。初対面のときから『石と氷晶としてのマグリット世界』講義をロハで吾輩がやってやったまではよかったが時間の経過とともにまったくいただけない点が次々と露呈した。
 まず、ブレザー・コート。ラルフ・ローレンのエンブレムがこれみよがしに胸のパッチ・ポケットについている。それは厳密な紋章学的解釈からすればまったくのスットコドッコイ、物静かに退場コース、「そりゃなかろうよ」100連発、大審問官の人定質問以前の問題であった。しかも、着ているブレザー・コートは綿製で(この季節に?!)、力石透が矢吹丈の「明日のためにその42:バレなきゃ肘打ち」をもろにくらったときのごとくにヨレている。それだけではない。袖口の金ボタンの数が4個。そこは3個だろうが! 1個むしりとってやったのはいうまでもない。燕脂色と海軍青色のレジメンタル・タイもコーディネートとしてはまったくいただけないし、第一、そのようなレジメンタル柄は大英帝国服飾コード規則集B地区9696のどこをさがしてもない。つまりはインチキ。つまりはまがいもの。つまりはパチモン。

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 最悪なのはワラビー・モーリがクラークスのワラビー・ブーツについて鼻高々なことであった。「あのね。吾輩はもう靴はテストーニかジョン・ロブの誂えしか履かない地点まできちゃってるんだよね。その意味わかる?」と言ってやりたかったが、モーリの右手首(左手首じゃなくて?)にどんよりと巻かれた中国製のクオーツ腕時計を見たとたんになにを言っても無駄、徒労に終わると思った吾輩はセーヌ左岸めがけてかっとんでいくV42エルスケン・バイクに飛び乗ってワラビー・モーリの前から消えた。その後、ワラビー・モーリがどうなったかについては吾輩の知ったことではない。ラ・プリュ・ベラベニュ・デュ・モンド・ラヴェニュ・デ・シャンゼリゼ川にこのごろよく出没する北極イトウの化け物クラスに喰われたとしたらちょっとかわいそうな気もするが、やはりそれも吾輩の知ったことではない。
 ワラビー・モーリよ。企画書の件、きっちりやれよ。企画書の具合によってはエトランジェーなトキオ物件にかかわる運用をすべてきみに任せてもいいと考えているんだからな。わかるな? 吾輩のハードルはきわめてスコブル高いが越えられないこともない。企画書の立案に苦闘苦悩七転八倒するワラビー・モーリの姿を思い浮かべながらウヒヒムヒョヒョするのは当然のこととして、貴君にヨハン・アウグスト・ストリンドベリィ先生の次の言葉を贈ることとする。心して読み、肝に銘ぜよ。貴君の立ち位置はいついかなるとき/いかなる境遇であろうと、高座で眠りこけることでもなく芝浜で皮財布を拾って拾得物横領罪を犯すことでもなく炎の中心に立つことだ。それはさておき、解放的なエッセー童話を書くのはとてもむずかしい。へたをするといのちを落とすことにもなりかねない。まあ、いつ死んでもよしとする覚悟はすでにしてできてはいるが。

 苦しみつつなおも働け。安住を求めるな。この世は巡礼である。

付記:このストリントベリィ先生の言葉は若き日の海音寺潮五郎先生を絶望の淵からすくい上げ、困難と困憊の日々を乗り越えるための支えとなった。のちにそのことを知った山口瞳はやはりこの言葉を心に深く強く鋭く刻みつけて広告文案家から作家へと転身するための文学修行に打ち込んだ。大原麗子もイチコロのはずだ。


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by enzo_morinari | 2012-10-22 03:00 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(1)

右岸散策、馴染みの古本屋、ブランクーシ、人間観察。

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昼餐後、セーヌ右岸を散策中に馴染みの古本屋でコンスタンティン・ブランクーシのカタログレゾネを買う。古本屋の店主は三代目。吾輩が懇意にしていたのは今の店主の父親だ。

三代目も父親に負けず劣らずの頑固一徹、偏屈無愛想を絵に描いたような人物である。お愛想ひとつ言えぬ不器用者。だが、その頑固一徹、不器用ぶりがその古本屋をして巴里一の古書店にしているというのが吾輩の考えだ。

軟弱や要領狡猾や風見鶏や提灯持ちや器用貧乏や迎合やおもねりや無節操が本物の一流になった試しはない。古今東西を問わずにである。店、会社、組織にかぎらず、人間も同様である。二流は二流にしかならないような道を歩いてきたのであり、三流は三流にしかならないような日々を生きてきたのである。

常連客にはエコール・ノルマル・シューペリウールやコレージュ・ド・フランスの教授たち、かつてはアンドレ・マルロー、J.P. サルトル、ロラン・バルト、ジョルジュ バタイユ、ミシェル・フコやジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、クロード・レヴィ=ストロース、フランソワーズ・サガン、アルベール・カミュ、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーといった人々がいた。「客が小粒になった」とは三代目店主の弁である。

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ブランクーシのカタログレゾネの中にいい感じのもの(友人のキクラデスの空飛ぶパン屋に見せたらまちがいなくヨダレを垂らして欲しがるはずだ)があったので「いつか手に入れてやるぜ」と誓う。

誰に誓ったのか? 宇宙を支配する巨大な意志の力にである。宇宙を支配する巨大な意志の力に誓いを立てればたいていのことは誓ったとおりになる。これまでもそうだったし、これからもだ。ただし、手に入れてもあの風変わりなギリシャ人、キクラデスの空飛ぶパン屋にだけは教えられないし、見せられない。そんなことをしようものならキクラデスはキクラデスの空飛ぶパンに乗って強奪しにくるからだ。妻を寝取られた韃靼人と物欲に目が眩んだ希臘人くらい手に負えないものはないのだ。

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ストゥーディオに帰還する道すがら安食堂とカフェに立ち寄り、ワインを飲み、クレーム・ブリュレを喰い、巴里の空の下をゆく善男善女を計測する。人間観察は吾輩の趣味のひとつだ。

身なり、持ち物、歩き方、表情、ちょっとした仕草。まさに千差万別である。それらを総合的に観察し、勘案することでその人物がいかなる人生を歩んできたかはほぼ特定しうる。のちに恋愛関係となったある女は吾輩の「人間観察」の対象者であったが、彼女が吾輩の手中に落ちたのは吾輩が彼女の人生の絵図縮図の悉くを正確に言い当てたからであった。

「あなたにはうそをつけないわね。おそろしくて」
「まあね。それでずいぶんとともだちを失ったよ」
「まあ」
「ひとつ、いやなことを言っていいかね?」
「ええ。いいわよ」
「きみはね、40歳前後にみずから命を絶つ」
「えええっ! どうして? 自殺する理由はなに?」
「男。そして、カネ。そして、うそ」
「気をつけるわ。いかにもありそうだから」

女はそう言って笑っていたが、吾輩は心の中で「気をつけたところで無駄だよ」とつぶやいた。そして、その女は8年後、本当に40歳になる年に西新宿の住友三角ビルから飛び降りた。自殺の動機は男の裏切りと男に背負わされた借金だった。いやなことを思い出してしまった。マダム・プレヌリュンヌに膝枕してもらいながらロストロポーヴィチの弾くJ.S. バッハ『無伴奏チェロ組曲』を聴くことにしよう。北風がやけに身にしみる。


by enzo_morinari | 2012-10-20 09:00 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

青いエアメイル。あるいは元妻3号との焼け棒杭の恋#1

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元妻3号からメールがあった。17年連れ添った夫を癌との長い闘病生活のすえに失った旨のことが切々とつづられていた。メールにはこの秋に居住する地域で行われた「収穫祭」のときの画像が添えられていた。美しい。さらに美しくなっている。匂い立つような美しさだ。高校の同級生でもある彼女は演劇部の部長として辣腕をふるい、勉強もよくでき、才女の誉れ高い女性だった。よその高校のいくつかにファンクラブができるほどだった。

結局、元妻3号は吾輩と暮らすことになった。虹子も愛人どももおおよろこびだ。一番よろこんでいるのは元妻3号である。正直に言うが20数年ぶりの元妻3号とのメイクラヴはすごくよかった。ほかの男に長いあいだ抱かれてきたことが吾輩のジェラシーに火を点したのかもしれぬ。いまのところ1日に最低でも3回はいたしている。吾輩が知らないよがり声と絶頂に達したときの声を聴き、からだのよじり方を目にするごとに吾輩のジェラシーは深く強くなっている。

「吾輩と別れたあと、男は何人?」
「亡くなった主人を含めると4人」
「亡くなった旦那との婚姻期間中には?」
「二人」
「その二人とは今でも?」
「いいえ。一人は一夜限り」
「もう一人とは?」
「ええ。たまに」
「たまにというのはきわめて抽象的かつ欺瞞的である」
「月に2度くらい」
「ふむ。メイクラヴの相性がいいというわけだな」
「ええ。まあ」
「今回、このようなことになったわけだがどうするんだ? そのセックスの相性がいい男とのことは」
「あなたとこうなっちゃってからふりかえるとバカみたいって。やっぱりセックスの相性が一番いいのはあなただなって」
「そりゃな。モノもテクニークもそんじょそこらの奴らとは桁がちがうからな。吾輩のメイクラヴにはストーリー、ドラマがあるからな」
「まあ! 自信たっぷりのところは昔といっしょね」
「だが事実だ」
「ええ、おっしゃるとおり」
「吾輩としてもきみがほかの男に抱かれるのを想像すると胸が焦げる。そんなような思いがまだあるということも驚きだが、実際きみとのメイクラヴは非常によろしい。その、なんというか快楽快感が肉体の中心を突き抜ける」
「ふふふ。ありがとうございます。あなたにあの日の朝、突然離婚届に署名捺印せよと迫られたときだってセックスはほぼ毎日でしたよ。それもすごく濃厚なのを。わたしもあなたもお外にまで声が聴こえてしまうくらい激しくて」
「たしかにな。きみの言うとおりだ。しかし、だからこそ吾輩はきみと別れなければならないと決めたのである」
「まあ! ひどいひと」
「吾輩と別れたあとどれくらい吾輩に操を立てたんだね?」
「そうね。5年。いえ、8年。ちがうわ。11年よ。そう11年」
「マットンヤ・ユミーンの歌にそんなような話があったな」
「ええ。わたしの大好きな歌。『青いエアメイル』よ」
「うんうん。あれはいい歌だ。それにしても、5年と8年と11年ではずいぶんと開きがあるな」
「5年は待とうと決めたのよ。いつかきっとあなたは帰ってきてくれるって。でもあなたからは梨のつぶて。諦めかけていたとき、街で偶然あなたを見かけたのよ。あなたね、すごく輝いてた。まぶしいくらいに。それでもう3年待とうって決めたの。そのときに。でも、やっぱりあなたは帰ってこない。そして、また諦めかけたとき、またまたあなたを見かけたの。日比谷線の反対側のホームでまっすぐ前をみすえてるあなたをね。あなたは5年目のときよりもっと輝いていて、まぶしくて、その輝きとまぶしさに深みが加わってた。くらくらしたわ、わたし。それで性懲りもなくあと3年待とうって。そして11年目の秋に奥様を亡くされて苦しみと悲しみのさなかにあった主人と出会ったの。そして...」
「みなまで言わなくてよろしい。そのあとのことは手に取るようにわかる」
「そうね。あなたですものね」
「そうだ。吾輩だからな」

吾輩は目を閉じ、考えをめぐらせた。元妻3号がじっと吾輩をみているのがわかる。

「なにを考えていらっしゃいますか?」
「うん。物語をだ」
「物語を。その物語はどんな?」
「きみが新しい登場人物として加わった吾輩の物語である」

吾輩が言うと元妻3号が声をあげて泣いた。天下御免の泣かせ屋一代ここにありである。

by enzo_morinari | 2012-10-17 01:35 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

巴里で午睡#2 マ・ジョリのパリ・ドゥ・イルヌちゃんへ♪

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「パリ・ドゥ・イルヌっていいですよねー。わたしも一度だけ行ったことありますー♪ (*^-^)ニコ」とのメッセージをくださった第二外国語でおふらんす語を履修したか、あるいは、どこぞの仏文科だか仏教科だかを出たあなた! あなたの言う「パリ・ドゥ・イルヌ」というのはどこにあるんですか? わたくしも是非一度行ってみたい! 巴里にあるんですか? それとも日本? 東京? イル・ド・フランスの入谷の交差点あたり? ヨハネスブルグ・キッズがヨハネスブルグ・ライスを貪り食っているヨハネスブルグのポンテタワー北棟の42階? ピョンヤン? PARIS,TEXAS? 冥王星? プレアデス星団のどこか? まさか宇宙を支配する巨大な意志の力の右膝の裏側ってことはないですよね? 神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の樹の下にうずくまってるってことはありませんよね? まさかね。ところで、サガン好き? サガンは右と左のどっちが好き? ボーヴォワールが愛読書? デュラスのラ・マンに憧れちゃう? El Quijote Miguel de Cervantes Saavedra Tomochika de La Manchaの肝煎りでDONQが新展開している「ジュ・パンス・ドンク・ジュ・スィ」にはもう行った? 「ジュ・パンス・ドンク・ジュ・スィ」のコギト麦100パーセントのエルゴスム・パンおいしいよねー♪ (*^-^)ニコ

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ただですね、日本中を探しても、世界中を血眼で歩きまわっても、ミレニアム・ファルコン号で宇宙中を探査しても、「パリ・ドゥ・イルヌ」はみつからないというのがわたくしの考えです。なぜなら、そもそも「パリ・ドゥ・イルヌ」はわたくしが48時間ほど前に思いついた名辞であり、この宇宙広しといえどもこれっぽちも、ひとっかけらも、微塵も存在しないからです。「paris de hirune」とは「ぱりでひるね」、「パリで午睡(昼寝)」のことなのですよ。paris 以外はローマ字表記です。

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「H」を発音しないまではよかったけど、そのあとがいけませんでしたね。大いに反省し、謙虚にアレやらコレやらソレやらジュリアン・ソレルやらに精進なすってください。「知ったかぶり」は向学と向上と進歩と調和と発展途上国と高度経済成長と地球環境の最大の敵であることを肝に銘じてくださいね。さすればいつか、パリ・ドゥ・イルヌちゃんにも超国宝級のお宝の山へとつづく法王庁の抜け穴がみつかることでしょう。パリ・ドゥ・イルヌちゃんの御健闘をバトー・ムーシュの脇をかすめて疾走するいんげん豆船の船長室からお祈りいたします。いつかエルスケンの魂が夜ごと昼ごと朝ごと彷徨するセーヌ左岸でお会いできる日をたのしみにしています。わたくしはサガンは右のほう、右サガンが好きです。では。


補填(教育的指導)
「知ったかぶり」は実はおおいにけっこうなんです。けっこうなのは「本当に知っていること」についての「知ったかぶり」ならばですが。「知らない」乃至は「ちょっと知っている」だけなのに「知ったかぶり」をすると命が危険にさらされることにもなりかねません。これは経験則から申し上げております。「知ったかぶり」が命にかかわる状況をもたらしたわたくしの経験についてはいずれ「パリ・ドゥ・イルヌ」ででも(「パリ・ドゥ・イリュヌ」だったらなんかいい感じだったかも)。知っていることは堂々と胸を張って知っているという。知らないこと/曖昧な知識と知見しかないことについても堂々と胸を張って知らないという。それが肝要です。愛想笑いと無意味な相づちと空虚なおべんちゃらはすべて禁止にしてしまえばいいんです。そして、それを踏まえて、「知は力なり」というのは本当です。「能ある鷹は爪を隠す」という態度はわたくしは好きではありません。そういう態度をとって泰然自若ぶりってるやつはたいていの場合、やっつけちゃいます。コテンパンに。「泰然自若ぶり」は「知ったかぶり」よりたちが悪い。最悪の「ぶり」は「いいひとぶり」です。だれにでも愛想がよくて常識的なことしか言わずせずというような輩にこそ注意してください。そういった輩こそあなたをあなたのいないところで貶めている中心人物、主犯、張本人であると思ってください。「裏ではなにをしてやがるかわかりゃしない!」ということです。表えびす顔、裏えんま顔というやつです。そういった輩が自分の部屋でひとりになったときの顔は野村沙知代がごめんなさいしちゃうくらいに凄絶です。邪悪、禍々しさの極致です。大乗仏教の法理のひとつである「十界互具論」に言うところの「三悪道四悪趣」の権化と言っていい。虫も殺さぬような顔をして彼奴らは眉ひとつ動かさずに世界を殺します。そういう輩からの贈り物には特に気をつけてください。肉なら中にガラスのかけらが仕込まれています。飲み物なら白く濁ってべとべとしたくっさいツバが入れてあります。着るものなら巧妙に縫い針が忍ばせてあります。あなたが受けたものの100倍を返さないと10000倍の誹謗中傷が待ち受けています。あなたのいないところでです。The Birthday のチバユウスケも同意見です。『stupid』を聴けばわかります。「おれはじぶんがバカだって知ってるぜ。ほんまもんのバカだってな。絶望ってやつと希望ってやつはたちが悪いから〜(略)」って。『stupid』いい曲です。iTunes の再生回数みたら1252回でしたよ。もっと聴かなきゃです。チバちゃんとはたまにいっしょに鯱の塩焼きを食べます。鰤のあら煮も。寒鰤の季節がやってきますね。きときとのが食べたいです。

かくして、本日も巴里は風車巨人に立ち向かうSegunda parte del ingenioso caballero Don Quijote de La Manchaのごとくに天下太平楽である。

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by enzo_morinari | 2012-10-04 17:38 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(0)

巴里で午睡#1 移動祝祭日、世界の天井にやって来た。

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PARIS. パリ。巴里。花の都。世界の天井。移動祝祭日。あらゆることどもが最初に降りかかる場所。そして、わが生誕の地。それにしても、寒すぎだろうが! 華氏で48°Fだってよ。摂氏換算したら10℃切ってんじゃねえのか? 真冬じゃねえかってのよ! 吾輩の場合、巴里はいつも怒りから始まるのが通例である。たいへんにけっこうなことである。なんせ、相手は巴里だからな。世界の天井だからな。福島の原発事故のときは国営企業も同然のアレバ社に汚染水処理でたんまり儲けさせたわけだし、文句のひとつやふたつ言ったところで罰は当たるまい。こどもだましに毛の生えたようなちんけな装置でいったいぜんたい何千億持ってったんだ? 以後もコンサルティング料名目で永続的にしこたまぼったくるんだろう? サルコジの猿野郎も気に入らなかったが、それに輪をかけておもしろくないのがサルコジといっしょに押っ取り刀で駆けつけたやり手婆だ。やり手婆は屋根裏部屋で貧乏でかわいそうなおばちゃんたちの生き血をすすっている腐れ外道のシンデレラの婆さんだけでたくさんだ。強制捜査はどうなってるんだ? 頃合いを見計らって河合警視長殿にメールできいてみよう。

巴里は2007年の秋以来である。5年ぶりという計算になる。5年ぶりだがなにも変わっていない。たいへんにけっこうなことである。十年一日というが巴里は十年一日どころか百年一日の街であるように思う。たとえグランダルシュができようがルーブルにガラスのピラミッドができようが、それらはパリのほんの表面上のことにすぎない。巴里は変わらない。変わってはならない。変わるべきではない。

変わらない街。変わってはならない街。それが巴里であり、巴里の持つ宿命である。革命が勃発したのだってパンの値段を変えるなというのが直接の原因だ。100年後も1000年後も巴里は同じでいい。キリスト教右派が台頭しようが左翼が勢力を伸ばそうがパリにはいささかも関わりがない。関わりがあってはならない。欧州危機が欧州崩壊につながろうが欧州連合旗の☆の数が増えようが減ろうがルノーが潰れようがプジョーが身売りしようがシトロエンが凋落しようがミシュランがパンクしてギド・ミシュランが廃刊になろうがリモワがエースに買収されようがラデュレがマカロンの製造販売から撤退しようがエシレ・バターがエゴン・シーレ・バカロレアに社名変更しようが関係ない。ルーブル美術館とオルセー美術館とオランジェリー美術館とピカソ美術館とベル・モケとフーケとル・ドームとタンギー爺さんの安ぼろ食堂と星の数より多いカフェと盗人の数よりちょっと少ない安食堂のビストロとサクレ・クール寺院前の斜面とモンパルナスとモンマルトルとカルティエ・ラタンと小さなぶどう園が生き残ればそれでいい。ただし、モンサントだけはとっととつぶれちまえ!

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家財道具一式その他はすべて FedEx で送ってあったし、当面の本拠地であるストゥーディオにすべての荷物は運び込まれていて、ベトナム人のメイドのおばちゃんたちがばっちり荷解きとセッティングはすましてくれている。吾輩がまだ日本にいるときにデジカメで撮影した「証拠写真」をメールで送ってくるという念の入り用だ。奇跡的に荷物のロストもブレイクもひとつもなかった。こんなことは初めてだ。やるじぇねえか、FedExちゃん。ポイント上げたな。なんなら、以後の吾輩のビジネスのロジスティクスを一切合切任せてもいいぜ。ただし、吾輩は筋金入りのネゴシエーターだ。交渉の担当者には相当の腕っこきを寄越さないと儲けが出ないことにもなりかねないぜ。うっしっし。ん? 巨泉がいるのか? あ。いつのまにいやがる。巨泉の爺さん。あんたここでなにやってんの? え? 戸田の別荘買ってくれないかって? いやだよ。悪いがほかをあたってくれ。うん。出口はあちら。そっちじゃないって。そこは法王庁に抜ける秘密の穴に通じてるんだからだめ。イルミナティに消されちゃうよ。そうそう。開け閉めは静かにねがいますよ。うん。もう二度と来ちゃだめだめだよ。丸出ダメ男だよ。わかった? え? 娘のCD買ってくれって? いやだよ。あんなどブスのCDなんか。マーサ三宅なら考えてもいいけど。うんうん。じゃあね。気をつけてくたばるんだよ。石坂やたけしにあんまり迷惑かけちゃだめだからね。オヅラなんかもっと食い物にしちゃっていいけど。はいはい。わかったわかった。カンチャン待ちは好手なのね。わかってますわかってます。ふう。やっと帰りやがったぜ。巨泉の爺さんには油断も隙もあったもんじゃないからな。

さて、先遣部隊の弟子どもがPCとネットワークのセッティングをすべて完璧に済ませていたので、こうしてスムーズにネットができる。持つべきは優秀な弟子である。そんなこんなで、吾輩一行は近所の飲み屋・食堂にでも行くような軽装で巴里に入城したのである。

いま、巴里は朝の9時を少し過ぎたところだ。東京は何時だ? 7時間足せばいいんだからそろそろ夕方か。4時くらいだな。いままでなら「東京の午睡」を貪っていた時間だ。朝の9時に午睡というわけにもいかんしな。「巴里の午睡」はもう少しおあずけだ。時差ぼけのことは日本にいたときから昼夜逆転の時差ぼけ生活だから問題はない。それどころか体内時計の針が調整されてちょうどいいだろう。

日本に別れを告げるに際し、友人たちや知人から「未練、心残りはないのか?」という旨を尋ねられた。吾輩の答えは「ない」だ。もう日本はだめだ。国のトップである者、野田佳彦の御面相をよくみてみろ。土左衛門だ。運気のかけらもない。あんな能無しのボンクラがトップにいるような国の将来が暗いのは火を見るよりも明らかというものだ。そして、霞が関の木っ端役人どものすさまじいほどにあさましくいやしいツラ。勝栄二郎? 千年に一人の大食わせ者だ。内閣改造があったようだがおかしくて臍が茶を沸かしたぜ。

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なぜ細野を原発担当から外す? 八方美人、A( )Cのところが気に入らないがそこそこやっていたじゃないか。三島ですこしばかり肩入れしたことにきっちり仁義を切った男だ。悪くない。その男をなぜ? しかも、後釜は原子力のど素人。木っ端役人がやり放題やるための木っ端役人による木っ端役人のための人事だ。原子力担当だけではない。財務大臣、拉致問題担当大臣。どれもこれも木っ端役人が引いた絵図面どおりの人事だ。橋下が天下を取るしか残された道はない。橋下徹を首班とした「維新内閣」「救国内閣」を組閣し、国家公務員法並びに地方公務員法及びこの二法を支え、担保し、公務員の身分・地位を保証し支える一連の関連法令・条令・政令等々の全面改正に着手することがプライオリティ・ナンバー1だ。これをやらなければ日本に未来はないと腹を括らなければならない。早い話しが木っ端役人どもが貪り食う「甘い汁」「おいしいところ」をすべて剥奪すること。これは「革命」だ。「戦争」である。「官僚ファシズム打倒」という大義名分のある戦争である。何人もの戦死者が出るだろう。だが、その死は名誉ある死だ。孫子の代まで、いや、未来永劫語り継がれるだろう。

さて、アジテーションだ。孤高の兵士はいないのか? 次代のフェデリコ・ボレル・ガルシアはどこにいる? たった一人の軍隊は出動しないのか? 木っ端役人どもと守旧派に視えない自由を撃ち抜くための視えない銃の銃口を向けるヴァシリィ・ザイツェフのごとき気高い狙撃手はいずこに? トマス・アラン・ウェイツ特製の嗄れ声用モロトフ・カクテルを準備せよ! 年末に向けて予算消化のための無駄な道路工事が始まったら工区を占拠し、アスファルトを引き剥がせ! 霞が関を日本のカルティエ・ラタンにしろ! パルミジャーノ・パルチザンとレジデンス・レジスタンスを組織せよ! 羽仁五郎の『都市の論理』をコピーして配れ! 既得権益にしがみつく日本のすべての分野における守旧派を一掃し、出直すには次の総選挙しかチャンスはないのだ。そうでなければ日本は10年もたない。まあ、吾輩にはもはやどうでもいいことだが。

さて、巴里初日からテンションを上げすぎた。ポルコロッソをつれて脳味噌のクーリングがてらヴァンドーム広場の見回りでもしてくるか。カンボン通りにホテル・リッツの裏口があるからそこを抜けてヴァンドーム広場に出てやろう。日本を出発する前にツルッツルのスキンヘッドにしてあるからベルボーイは吾輩をちらとも見ないだろう。洋の東西を問わずに大事なのはまず見てくれだ。

かくして、巴里は本日も、そして千年後もフレンチ・カンカンのごとくに天下太平楽である。


 
by enzo_morinari | 2012-10-02 16:59 | 巴里で午睡 | Trackback | Comments(2)