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カテゴリ:「村上春樹」という墓標( 2 )

かわいそうなカワウソ少年であるハルキンボ・ムラカーミへのNo Side&Suicideのススメ

 
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死は敗北ではない。E-M-H

やがてノーサイドのホイッスルが鳴り、僕らの青春は終わりを告げる。Masa-Prajñā-Hara-Mita-Sing-Yoh!


ハルキンボ・ムラカーミが父親との確執の日々を告白し、いつか来るみずからの死を強く意識した一文を『文藝春秋』の6月号に寄せている。

20ページにおよぶ長文だが、最初から最後まで実に痛々しい。結論から言うならば、あいかわらずの甘ちゃんであるということだ。70歳にして死を意識とは遅すぎである。50歳すぎたら死と真正面から向き合わなければならないのに。ハルキンボ・ムラカーミの命の砂時計にはそもそも砂が入っていなかったか、上も下も砂がいっぱいに詰まっていたかだろう。

あえて、告白的に言うが、ハルキンボ・ムラカーミのデビュー作である群像新人賞受賞作の『風の歌を聴け』を読んだ20歳の夏から、次作の『1973年のピンボール』、そして『羊をめぐる冒険』、さらには『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』まで、私はハルキンボ・ムラカーミとともに呼吸をし、物事を感じ、考え、音楽を聴き、食べ、飲み、話し、セックスをし、ビニルのLPレコードとオーディオにおけるアナログの衰退に腹を立て、世界と人間を計測し、その息づかいに耳を澄ましていた。『ノルウェイの森』という色キチガイの話を境にハルキンボ・ムラカーミと訣別するまで。有り体に言うなら、当時の私にとってハルキンボ・ムラカーミはある種の世界観の礎だった。『中国行きのスロウ・ボート』『螢・納屋を焼く・その他の短編』『回転木馬のデッド・ヒート』『パン屋襲撃』『パン屋再襲撃』『TVピープル』『ランゲルハンス島の午後』『象工場のハッピーエンド』『カンガルー日和』『羊男のクリスマス』等々の短編集/エッセイ集群は発想着想の教科書でさえあった。あの日々/ハルキンボ・デイズを現在から逆視するならば、ハルキンボ・ムラカーミは私の青春の墓標ということにでもなるんだろう。いまだに、地下鉄銀座線における大猿の呪い/表4広告の呪縛は完全には解けていない。銀座線の旧車両は引退を余儀なくされ、走行中の突然の消灯がなくなったとはいえ。ヒマワリの葉っぱはおいしくないし、死んだ牛の第2胃/ハチノスに残っていたひとつかみの干し草はかなしいだけだし、スパゲティ・バジリコは味もそっけもないし、ナイーブな街のナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハムは失われた。スタン・ゲッツは1991年の夏の目前に一文無しで死んだ。

70歳を機にハルキンボ・ムラカーミは自死を選択するだろう。肉体/体力の衰退と精神/知力の劣化はハルキンボ自身が一番よくわかっているのだから。ごくろうさん。もういいから。これ以上、みちゃいられない。そう。ハルキンボ・ムラカーミは超高度消費社会の生産-消費-廃棄の無限のトリロジーに搦めとられ、ついには窒息したのだ。あからさまで露骨なステルス・マーケティングに踊らされて。

ハルキンボ・ムラカーミ終焉の主犯は講談社/文藝春秋社/新潮社の3悪を中心とする出版マフィアだ。かわいそうなかわいそうなハルキンボ・ムラカーミ。ピンボール・ゲームと南京豆とビーバー・ビールとBe-Bop Beerとパオパオ・ビールが好きなカワウソ少年。本当にかわいそうに。出版マフィアどもに文学的なテロルをやってやりたくなる。

『1Q84』も『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』も『騎士団長殺し』もお話にならなかった。ひどいもんだ。風/ピンボール/羊のハルキンボ3部作、そして、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で村上春樹は死んだ。ベストセラー作家? 知るか! ゼニカネが欲しいのなら、ほかにCPのいいやり方/仕事/生業はいくらでもあっただろうよ。

あんたはギリシャから帰ってくるべきじゃなかった。父親との和解もすべきじゃなかった。ヨーコさんとともにやわらかでやさしいエゴイストとして生きるべきだったんだ。早起きして、スミス少年のように長距離走者の孤独を内に秘めながらジョギングして、魚を食べて、ジムに通って、25mプール1杯分のBe-Bop Beerが満たされた双子の羊プールを完璧なクロールで泳ぎつづけて長距離泳者の孤独を味わい、鼠とさびしい林で揺れている直子さんを追悼する日々を生きるべきだったんだ。でも、もうおそい。Point of no returnはとっくにすぎてしまった。

あんたはよくやった。もういい。潮目潮時だ。あとは生き恥をさらすだけだ。自分の意思で生死を選択できなくなり、自分で手を下せなくなってからではおそい。他者の手に自己の生死を委ねる事態をあんたは決して認めないだろう。だから、いまがみずから幕引きをする頃合いだ。そのことで、だれもあんたを責めたりはしない。だれにも責める資格なんかない。水丸画伯だってカラートーンの見本帳をめくりながら、首を長くしてあんたがくるのを待ってるぜ。

Bye Bye Otter Pinball Boy. No Sideのホイッスルは鳴った。Suicideには早すぎないし、遅すぎもしない。強くなくても生きてはいけるし、やさしくなくても生きつづける資格はある。もちろん、死ぬ資格も。もういい。もういいよ、ハルキンボ。楽になれよ。

OK. Otter Pinball Boy. Bye Bye Otter Pinball Boy.

Please rest and release your heart in peace. Harukimbo “Otter Pinball Boy” Murakami, You've crossed the river into the Promised Land and you'll never have a broken heart again, Never…


Promised Land - Roby Duke (Not The Same/1980)
 
by enzo_morinari | 2019-05-20 15:12 | 「村上春樹」という墓標 | Trackback | Comments(0)

「村上春樹」という墓標#1 二十歳にして心朽ちたり

 
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村上春樹の『風の歌を聴け』を読んだのは二十歳の夏の初めだった。『群像』の1979年6月号掲載。その年の「群像新人賞」受賞作。吾輩も応募していたが、最終選考止まり。以後、一切の懸賞小説に応募するのをやめた。「スパゲティ・バジリコ野郎が認められるような世界なんかにコミットメントしてられるか!」というのが理由だ。「スープに毛が入っていようが、スパゲティ・バジリコが完全なるアルデンテに茹であがろうが、牛の胃の中にひとつかみの牧草しか入っていなかろうが、ある種の誇りを持ちつづけるためにアレック・ギネスが命がけで橋をつくろうが知ったことか!」ということである。

1980年の春に『1973年のピンボール』が出て、おなじ年に田中康夫が『なんとなく、クリスタル』で文藝賞を受賞したのをきっかけに、「文学青年」の日々とはきれいさっぱりおさらばし、「文学」と縁を切った。清々した。パスタを茹でつづける男の人生と厚さ5cmに積み重なった南京豆の殻と25メートル・プール1杯分のビールに担保された青春とナイーブなロースハムを売っているナイーブな肉屋に関する話とチャイナのC席に回収される不全感とカタログが文学、小説だというなら萩本欽一は合衆国大統領だと思った。

ひと冬をかけて1973年製のピンボール・マシン、スリーフリッパーのスペースシップを探したが街のどこにもスリーフリッパーのスペースシップはみつからなかったし、気のいい中国人のバーテンダーは中国行きの貨物船の船員になって街から消えていた。しかも、厚さ5cmに積み重なった南京豆の殻が火元になって街の半分は焼けてしまい、25メートル・プール1杯分のビールのせいで多くの人が痛風を発症し、ナイーブなロースハムの浮かぶ不全感の海で溺死した。街のあちこちに鈎状砂嘴ができて、鋭い切っ先を突きつけていた。街はクリスタルどころか灰色に濁り果てていて、TILT117回のおまけ付きだった。三百代言試験に合格したことを除けば、1980年は本当にひどい年だった。

『風の歌を聴け』を読んだ1979年は高野悦子の『二十歳の原点』と原口統三の『二十歳のエチュード』と奥浩平の『青春の墓標』とポール・ニザンの『アデン・アラビア』を同時進行で読み、ともにある日々だった。高野悦子と村上春樹は同い年だ。奥浩平は村上春樹より六歳歳上の同世代。原口統三はふた世代上。ポール・ニザンの『アデン・アラビア』はその当時の吾輩にとっては「青春」を象徴するもののうちのひとつだった。

二十歳は重要だった。人の一生で一番美しく傷つきやすく垢むけでなければならなかった。「区切り」であると思った。二十歳を過ぎて以降の人生は「本当のこと」「大切なこと」を見失い、手放して、あとは汚れ、醜くなり、ただ単に生き延びることにすぎないとさえ考えていた。二十歳になった時点で、なんらかのかたちで「死」を経験しなければならないとも。そのことは最優先の課題であるように思われた。


二十歳にして心朽ちたり秋桜子
 
by enzo_morinari | 2013-10-15 04:57 | 「村上春樹」という墓標 | Trackback | Comments(0)