カテゴリ:ゲンゴロウの言い分( 3 )

ゲンゴロウの言い分/言語表現における解像度と粒立ちとダイナミック・レンジ#01

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現象/事象/表象/事態/事物/意思/意志/意識/感情/心象を表現するとき、われわれは主に言語(話し言葉/文字言語)を用いる。表情/仕草/眼差し/各種身体言語(ボディ・ランゲージ)/肉体言語(他者に物理力/有形力を行使するときに使用する)、そしてときに沈黙で表現する。

日本語は解像度、粒立ちが悪い。ダイナミック・レンジに至ってはゼロに等しい。物理法則、数学的定理、各種方程式は解像度/粒立ちがよく、ダイナミック・レンジが広い。サイエンスが国境を越えて広く認知され、受容されているのはそのためである。

科学による裏打ち/担保のない技術は信頼性を保持しえず、生産される製品は不良品となる。工業製品のみならず、電気、ガス、水道、通信、交通の社会インフラ、医療、食料/飲料、文具、衣料等々、すべては科学に基づいている。箸の上げ下げ、ナイフの動き、ドアの開け閉め、播種/田植え/収穫/脱穀にも物理法則は働いている。精子の着床から揺り籠を経て墓場まで。科学によって導きだされた法則は万物を貫く。

言語表現における解像度/粒立ち/ダイナミック・レンジに関する悪例が官僚/公務員/役人の言説だ。彼らの言葉には中身がない。なぜ中身がないかと言えば、彼らの言説の眼目はあとで言い訳/言い逃れ/ごまかしができるようにすることだからである。中身がなければいかようにも言い繕える。無/ゼロは無限の解釈/解説/補足を加えることができる。「なので〜」「〜かなと(かなって)」「〜とか」「〜たり」「〜みたいな」「〜だよねー」「〜かも」も同類である。

日本語には、すべてを曖昧なままにし、先送りし、判断留保しようとする日本人の心性がよく現れている。忖度も斟酌も配慮もこの心性から生まれたと考えてよい。解像度/粒立ちが悪く、ダイナミック・レンジが狭い言語表現は例外なくリアリティ/リアリズムがない。つまらない。おもしろくない。中身がない。空っぽである。

他者への伝達、交流のために言語を用いながら、肝心の中身は曖昧/空っぽというジレンマ/パラドックスに引き裂かれることが常態化している人々。彼らのさまよえる精神はいったいどこに向かうのか?


(補遺)
解像度、粒立ちが悪い言語表現の例
頑張る/頑張ります/頑張りたい/頑張ろう/頑張れば/頑張った
努力する/努力します/努力すれば/努力しても/努力しよう/努力した
検討する/検討したい/検討した/検討すれば/検討しない
善処する/善処しよう
本当に
とても
前向きに
有名な
○○と言えば
○○として知られる
○○の代名詞
一所懸命(一生懸命)
粉骨砕身
なにがなんでも
わかる気がする
ありがとう/ありがたい
しあわせ/幸福
すごい/すごく
たいへん
苦しい
つらい
悔しい
悲しい
楽しい
美しい
きれい
イイネ
ナイス
👍
〇〇なう
可愛い
かわいい
カワイイ
Cawaii!
おいしい
おかしい
おもしろい
すばらしい
清々しい
瑞々しい
まったり
ほっこり
すっきり
くっきり
はっきり
のんびり
ぴったり
ぶっちゃけ
うんざり
恥ずかしい
もうすぐ
かっこいい
素敵
草食系男子/肉食系女子/女子会/大人買い/あり寄りのなし/なし寄りのあり/有吉のありようと何かが巣食ったカルト・アイ
オキニ/オソロ/コーデ/オススメ/イチオシ/オワコン/ビミョー/アゲアゲ/マジ/ガン見/壁ドン/神対応/塩対応

(参考)
終わったコンテンツ老害さんまのバカゲラ笑いの耳障りぶり/終わったコンテンツ老害欽公の貧乏神づらと引きつりの薄ら寒さとすさまじいまでの人相の悪さ/たけしの滑舌と昭和系ギャグの惨状/自称御意見番和田の脳みその皺が1本もない言説の滑りっぷり/自称御意見番美川(元フェニルメチルアミノプロパン常用者)がミゾウユウ麻生同様に口をひん曲げて並べる御託能書きの鼻白み加減/マツコ・デブダルマとUltra Stupid IKKOとミッツ・マンドラゴラとデヴィ・スッカスカルノ(ナオミ・カムバック・ネギシ)が消えうせない現実のポンコツ木偶の坊ぶり/W終わったコンテンツ&W遺物である美空ひばりと石原裕次郎をいまだにありがたがる風潮の脳天気極楽トンボぶり/絶倫目黒皇帝中山ビデ(目のまわり真っ黒クロスケ黒々クマ大王)&大股開き松本明子(うんこ座り女給にしてオマンコ連呼女郎)をはじめとするナベプロ一派の昭和臭プンプンの噴飯ものぶり/秋元康一味のインチキイカサママヤカシペテン銭ゲバぷっり/いっぱいいっぱい痛い痛い病患者中川翔子(脳みそシャコタン)の低脳低レベル低センス高虚偽ぶり/ガラクタポンコツだらけのエイベックソの目を覆うばかりの凋落ぶりと京急上大岡駅前で青っ洟たらしていた松浦のレンタル・レコード屋ふぜいっぷり/クソジャニ系の愚鈍ぶり/元宝塚トップスター系の勘ちがいぶり/不吉邪悪ヅラの傲岸不遜勘ちがい小娘広瀬ズーズーの目つきとカーカー声と学芸会レベルの三文猿芝居(伸びしろ絶無皆無)/団塊ならびにポスト団塊の悪臭口臭老醜老害の権化どもの年金お題目と頬っかぶりとチンピラ音楽談義/チンピラ音楽とその業界に巣食うポンコツ木偶の坊どもの駄文駄弁/めし屋と飲み屋の紹介記事と番組とそれらを書き、制作している輩どもの駄才/毎年のHappy New Year騒ぎ(またひとつ冥土の旅の一里塚を過ぎてなにが楽しいんだ?)/毎年の成人式騒ぎ(おまえたちは全員サイタマンゾーになっちまえ!)/毎年のクリスマス騒ぎ(ブッディスト、ムスリム、ヒンドゥー、ハリシetc, etcはビミョーな気分)/毎年のヴァレンタイン・デー騒ぎ(「聖ヴァレンタイン・デーの虐殺」くらいおぼえとけ!)/毎年のハロウィーン騒ぎ(上っ調子上滑りのドテカボチャどもめが! 正座して唐茄子屋政談でもしとけ!)/毎年の恵方巻騒ぎ(大量生産合成保存料着色料人工甘味料遺伝子組換えモノ出所不明食材まみれのブラック企業製造販売賞味期限切れ大量廃棄のジャンク・フードに縁起もクソもあるかってのよ! 脳みそにエポキシ樹脂充填しときやがれ!)/毎年のボージョレー・ヌーヴォー騒ぎ(チリのサンタ・カロリーナは必要にして十分なうまさで500円で1年365日飲めるがな! ボルドーとブルゴーニュのちがいもわからないようなグラン・ペゾンがヌーヴォーもヘチマもあるかってのよ! ジャンキー田代と荒川っぱたの土手に並んでぬ〜ぼ〜でも喰ってすべての歯が齲蝕しちまえ!)


語りつくせぬことについては沈黙せよ

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by enzo_morinari | 2018-05-28 08:24 | ゲンゴロウの言い分 | Trackback | Comments(0)

ゲンゴロウの言い分#2 推敲しまくれ。「てにをは」「句読点」の用法をまちがえるな。

 
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ゲンゴロウはセブンナップを1日に12本飲む。セブンナップを飲んで言語表現のレベルを7UPしろ!


どいつもこいつも文字言語、書き言葉による表現がなっていない。ゆとりの生ゴミ同然の小僧小娘から還暦をとうにすぎた爺さん婆さんまで。気合いが入っていない。誤字脱字だらけ。文法めちゃくちゃ。馬鹿丸出しだ。読みなおし、推敲をしていないのが見え見えである。話し言葉については推して知るべし。お話しにならない。世も末、白法隠没。お釈迦様でさえどうにもならない言葉の末法だ。

推敲せず、「てにをは」ならびに「句読点」の用法をまちがえ、文法上の誤謬を犯している者は例外なく恥知らずである。恥知らずくらい手に負えない者はいない。霞が関の木っ端役人(カスミガセキシロアリ)ども、寝穢く利権/既得権益に群がる守旧派、原子力村の下衆外道ならびに原発マフィアども、喪もあけぬうちから近所の狒狒爺/狒狒婆と御懇ろにおよぶ卑劣奴めらとおなじ穴の狢だ。

取り澄ました教養主義者どもの中にもちゃんちゃらおかしくてチャンチキおけさを踊りだしたくなるような言語表現をする者が山ほどいる。カビ臭く、辛気臭く、死んだ言説。狸汁にもならないお粗末、俵の鼠が米喰ってちゅーちゅー蛸かいなだ。

漢字とかなのバランスに気を配れ。なんでもかんでも漢字にすればいいというものではない。「全て」「全く」を使うな。「すべて」「まったく」にしろ。「全」は「全部のせ」「全体主義」「全美」「日本全国バカ自慢」用にとっておけ。「無い」も×。「ない」だ。「文無し」「宿無し」は可。「無い」を使う者は脳味噌がないか、足りないものと知るべし。NO 無い。脳内にはオガクズかオカラが詰まっているにちがいない。ないないずくしのコンコンチキだ。ナイナイの岡村が再び頭パッカーンだ。コンチキ号が軟派な海で難破しちまう。

太宰は「1行読めばわかる」と嘯いたが、吾輩は2、3文字読めばわかる。GWに「GWですね〜」と書いてどうする? 雨の日に「雨ですね〜」と書いてなにがおもしろい? そういうポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウは世界の終りが来ても「世界が終わりますね〜」とほざくのか? お笑いぐさだ。笑いすぎて屁も出ない。

ほかにも言いたいことは山ほどある。

略すな。
着地しろ。
曖昧にするな。
文頭(話頭)に「なので、」を使うな。
リアリティのない身辺雑記を書くな。


まだまだあるが、腹を立てすぎて腹へったのできょうのところはここまで。次回は「助詞どもの使い方」だ。
 
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by enzo_morinari | 2013-09-25 04:45 | ゲンゴロウの言い分 | Trackback | Comments(0)

ゲンゴロウの言い分#1

 
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おなじオサムシなのにテヅカオサムシばかりが有名になって、触覚をキンキラキンの金色に染めたテヅカオサムシの小倅までがなにを勘ちがいしやがったのかクリエイタースマシを気取っている。まったくもっておもしろくない。フナの死骸をチューチューしてもちっともうまくない。気のせいかもしれないが、泳ぎに滑らかさ、手弱女ぶり/益荒男ぶりがなくなっている。オナガミズスマシのチンケ野郎にまで笑われる始末だ。きのうなどは文無し宿無しのオケラの野郎ごときにタガメも喰わぬような軽口を叩かれ、からかわれたぜ。情けないかぎりだ。

言いたいこと、言い分は山ほどある。玉虫色をした節足動物門前に堆く積みあがった虫けらどものクソのように。だから、おれはきょうから源五郎をやめて言語郎だ。おなじ虫けらでも言葉の虫だ。言語の権化、言語の権佐、世界中どこでも、東へ西へ、上から下へ、国境の南だろうと太陽の西だろうと神出鬼没の言語のゴンザレス・チチリアーノだ。気が向いたら、ヨシモトリューメイチュウ直伝の下町べらんめえ調で、「ゲンゴロウにとって美とはなにか?」についてもいずれ言語化する。景気づけに、これからバナナの皮を喰うことにする。
 

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by enzo_morinari | 2013-09-24 05:28 | ゲンゴロウの言い分 | Trackback | Comments(0)