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カテゴリ:湘南の散歩者の夢想( 1 )

湘南の散歩者の夢想/1978年の夏は強い南風の吹く七里ガ浜駐車場レフト・サイドでいつも2000トンの雨を待っていた。

 
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シーズンオフの心には/さよなら、夏の日。また会うこともない。

十代最後の夏。1978年の夏は強い南風の吹く七里ガ浜駐車場レフト・サイドでいつも2000トンの雨を待っていた。Rain Drop Keeper

強い南風の吹く七里ガ浜駐車場レフト・サイドではただの1度も2000トンの雨に会えないまま1978年の夏は終わった。いくら耳をすましてもどこにも2000トンの雨の気配はなかった。いい波にも乗れなかった。そのようにして1978年の夏は終わりを告げた。4ヶ月後のクリスマスに20歳になったがどうということもなかった。憎悪と憤怒の対象が増えただけだ。ハルキンボ・ムラカーミとなんクリ田中。そして、ジョシダイセーという珍妙奇天烈愚劣愚鈍ないきもの。心の底から世界など滅びればいいと思った。収穫は司法試験の短答式試験をクリアしたことくらいだ。ほかには取りたてていいことなどなにもない。


七里ガ浜に別荘がわりのあばら屋を手に入れた。格安だった。この夏はしばしば七里ガ浜リゾートを中心として湘南を生きる日々となるはずだ。

『真白き富士の嶺』も『七里ヶ浜の哀歌』も歌わない。人生はこれっぽっちも深刻になる必要などない。10ccばかりのホワイト・レインを浴びれば気持ちよくやりすごせる。ファンキー&ファニーに。珊瑚礁のビーフサラダのように。ビートきかせて。速度感を持って。ヴォリュームたっぷりに。迷宮のクリームリンスのように指通りよくやりすごせばいい程度のシロモノである。七里ガ浜珊瑚礁のビーフサラダはあいかわらずすさまじいヴォリュームだ。

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企みはかくの如し。

湘南2019夏の吾輩コンテンツ
由比ヶ浜の波打ち際を歩く。
材木座海岸の波打ち際を歩く。
七里ガ浜の波打ち際を歩く。
鎌倉ビールを計測する。
鎌倉の路地をさまよう。
鎌倉駅前御成通りで「御成り御成り」する。
材木座海岸から逗子の海まで長距離泳者の孤独する。
日影茶屋で「フィリップ・マーロウの日向」を捜索する。
渚のヘッドバッド/湘南ロコに肉体言語闘争を仕掛けてみる。
稲村ジェーン専用のボードを作る。9フィート7インチ。リーシュ・ホールなし。
TSUNAMIを待つ。
稲村ジェーンを待つ。
珊瑚礁のアロハ髭デブおやじのことを思いながら、泣きながら波に乗る。
『サーフィン稲村ヶ崎』の翻訳を仕上げる。タイトルは『SURFIN' INA』
稲村ヶ崎の古戦場で古兵になる。
暮れなずむ稲村ヶ崎で、忘れかけていた「水曜日の伝説の大波」を思い出す。
七里ガ浜珊瑚礁の山店でタラフクする。
七里ガ浜珊瑚礁の海店でシコタマする。
七里ガ浜で蜩とともに「湘南甘夏納豆売り」する。
夕暮れの七里ケ浜駐車場で『アルハンブラの思い出』を弾いてみる。
七里ガ浜の半径5km以内で「HEMINGWAY DAYS」の予行演習をする。
虹子とポルコロッソに「PAPA ENZO」と言わせてみる。
夕暮れの江ノ電の線路で芥川石油の匂いのする駄菓子トロッコを疾走させる。
強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドで望郷する。
強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドで哲学する。
強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドで文学する。
強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドで思想する。
強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドで夢想する。
小動岬の突端で『王権神授説』を諳誦しながらビバークする。
昼めしは幻のパシフィック・ホテルのスカイレストラン「サファイヤ」で。
ちょっと待った湘南/『湘南スタイル』にイチャモンをつけてみる。
さらば、湘南。さらば、勝手なシンドバッドの入江の午後3時。
湘南の夏にさよならをする前に2000トンの雨に打たれる。
2000トンの雨に打たれても/飛沫を上げ、波打つ夕立ちの中のプールで。
2000トンの雨がやんだら/そして、僕らの湘南の夏は静かに終りを告げる。
9月には帰らない/最後の朝、波しぶきを見に幻の七里ガ浜灯台へ。
未来が霧に閉ざされていた頃は/そして、湘南の夏は江ノ島の島影に消えた。
シーズンオフの心には/さよなら、夏の日。また会うこともない。


一瞬の夏、テロルの決算。そして、永遠の夏のこどもたち。

夜明け前、降りそそぐ星々のさんざめきのような蜩の呼び声に目覚めた。夏の盛りだというのに。いつもならすぐにスキーター・デイヴィスの『The End of The World』をリピートでかけて、世界の始まり/世界の終りを夢想しつつ1日の始まりにふさわしいだけの溜息をつき、嘆息をつき、「やれやれ」と思い、意識の覚醒を待つのだが、きょうにかぎってはちがった。蜩の呼び声にしばらく耳を傾けた。それは世界の終りを告げているようにも感じられた。

Mac miniを起動し、LINEを立ちあげる。天神祭ガールのマーチャノワからメッセージが5Line届いていた。メッセージは「強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドで夏の始まりのための祝杯をあげませんか?」という実に魅力的なオファーで始まっていた。いまは天神祭の地で慎ましやかな暮らしを営んでいるマーチャノワだが、元々は茅ヶ崎生まれの茅ヶ崎育ち。正真正銘の湘南ガールである。「大船は鎌倉市だけど湘南じゃない」というのがマーチャノワの口ぐせだ。そのあとで、決まってマーチャノワはつづける。

「本物の湘南ピープルは自分が湘南に住んでいるなんて決して口にしない。だって、湘南に生まれて湘南で生きて湘南で死んでゆくんだから。それがあたりまえのことなんだから。それでいいんだから。取り立てて言うほどのことじゃない。訊かれてもいないのに茅ヶ崎に住んでるだの地元は鎌倉だの言うやつは救いようのないバカで田舎者よ。湘南、特に鎌倉くらい排他的な街はない。京都以上よ。わたしは鎌倉は大っきらいだけどね。鎌倉って聞いただけで虫酸が走っちゃう」

夏の盛りを迎え、湘南の血が騒いだのでもあるか? 早速、返信した。


「委細承知。吾輩は葉山、逗子の海沿いを経由して、材木座海岸、由比ヶ浜、稲村ヶ崎の波打ち際を歩いてゆく。強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドに立っていたまえ。そして、まばたきひとつせずに海を凝視していろ。吾輩は七里ガ浜の幅40メートルほどのサーフポイントから浜辺に上がる。頭にはクビレヅタ、海ブドウをドレッドヘアのようにかぶっているはずだ。その異形を見ていろ。海ブドウをかぶって海から巨神兵の凱旋のごとくに七里ガ浜の浜にあがる吾輩を。それがわれわれの湘南の夏の始まりを告げる開幕ベルがわりだ。七里ガ浜駐車場前のセブン-イレブンでビールとクラッシュアイスを調達して、よく冷やしておくこと。ときどきは江ノ島の島影と勝手者のシンドバッドの胸騒ぎの腰つきに一瞥をくれてやれ。くれぐれも、きみの得意技である2000トンの雨のための雨乞いはしてはならない。2000トンの雨のための雨乞いをするのはこの夏が終わるころ、湘南の夏に別れを告げるときだ」


灼けつくすような湘南の陽の光を全身に浴びながらひたすら波打ち際に歩みを進める。材木座海岸、由比ケ浜で引潮の時間帯にあたり、渚が30メートルほども後退していた。由比ヶ浜の西の外れに人影はほとんどない。夏の盛りであっても、それが由比ヶ浜のひとつのまぎれもなき姿である。

一旦、134号線の海沿いにルートをとる。心地よい弧を描き、適度なアップダウンを繰り返しながら、よく整備された遊歩道をゆく。途中、数々の風雨によってやつれたベンチに座り、相模湾を一望する。背後を行き交う車の走行音と潮騒だけがある。さらに歩みを進める。ゆるやかな勾配の果てに稲村ヶ崎の岩肌が迫りくる。

稲村ヶ崎の古戦場でいにしえの古つわものどもに一瞥をくれてやるが、古つわものどもは黙して語らない。今は昔の「七里ガ浜駐車場合戦」を忘れたか。稲村ヶ崎の岩礁のごつごつとした感触を足裏に感じながら岬をひと巡りし、再び波打ち際を歩く。

江ノ島の島影が湘南の夏の高熱の中で揺れている。小動岬は夏の陽盛りを浴びて蒸発寸前だ。珊瑚礁海店の屋根の一部が見えはじめる。強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドも揺れている。波打ち際を越境し、入水する。泳ぐ。ひたすら泳ぐ。途中、予想どおりに海ブドウのひと房が頭部にのる。いい兆候だ。いままでも、こうして湘南の夏の始まりを迎えてきた。これからも、生きているかぎりずっとだ。

ビートのピッチをやや落とす。その分、パドリングのぺースを上げる。海水は浮力がある分、水をつかみにくいから、このやり方が正しい。真水のプールでしか泳いだことのない野生と野蛮を失ったひ弱な都市生活者どもには解きえないドリルだ。

息つぎのときに強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフトサイドに目をやる。マーチャノワがちぎれるほどに手を振っている。白い腕を。ターコイズ・ブルーのリボンのついた帽子を。

浜辺に向かう。水中から巨神兵は凱旋する。波打ち際を再度、越境する。真夏の越境者。いい物語の開き方だ。マーチャノワからよく冷えたビールを受け取り、プルリングを一気に引き上げる。世界の果てで弾ける運命の泡のような音。かくして、僕らの2019年、湘南の夏は始まる。


あれから10年も忘れられたBIG WAVE 遠くに揺れてるあの日の夢 K-K-K

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40年近くが経ったいまでも思う。「あれは幻の波だったのか?」と。そして、「伝説の水曜日の大波を待ちつづけながら生きた日々は夢だったのではないか?」とも。いや。あれは幻でも夢でもない。実際にあったことだ。伝説の水曜日の大波も伝説の水曜日の大波を待ちつづけながら生きた日々も。伝説の水曜日の大波が押し寄せる轟々という音ははっきりと耳に残っているし、伝説の水曜日の大波を待ちつづけながら生きた日々に起きたことどもはこの拳と眼と肌と、そしてなによりも心の中にくっきりと残っている。焼印、烙印のように。いくら時間が経っても癒されぬ痛みさえともなって。それを感傷と呼びたければ呼ぶがいい。どうとでも好きなように解釈するがいい。なんと言われようと思われようと痛くも痒くもない。探られる腹は贅肉の鎧で覆われている。腹の中身はいつからかサヨリもびっくりして背びれをおっ立てるほどの真っ黒黒助だ。心はとっくのとうに石ころ同然、転がせばコロコロカラカラと乾いた音がする。

幾千億の波と幾千億の太陽と幾千億の星と幾千億の朝の話だ。波乗りと波乗り野郎どもと湘南の話でもある。タフでクールでヴァイオレンスでハードボイルド・ワンダーランドだ。村上春樹? それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? 村上春樹とやらがハルキンボ・ムラカーミのことなら、やつはササキマキ色のベントレーの後部座席にふんぞり返った揚げ句に、株と素人だかカブトシローだか相手に株価操作を喰らわして兜町界隈でお尋ね者になったのをこれ幸いと株価を乱高下させ、最期はカフカ海岸で腰抜けのくせに図体だけはでかい大波にさらわれちまって、いまは行方不明だ。悪いがよそを当たってくれ。係じゃない。完璧な文章の話も完璧な絶望の話も出てこない。鼠やら羊やら双子の姉妹やら色きちがいどもも出てこない。巡礼だのナイーヴなロースハムなんぞ知ったこっちゃない。

登場するのは異形ベイビーのおれ様と元牛乳屋の七里ガ浜珊瑚礁のアロハ髭デブおやじと伝説の水曜日の大波、人呼んで稲村ジェーンとそれらにかかわる人々だ。酒の話はテンコ盛りだ。どいつもこいつも大酒飲みばかりだからな。食いものの話もシコタマあるぜ。なんせ、アロハ髭デブおやじは洋食屋の偏屈店主だからな。それと音楽。そして、当然女。そして、いくつかの不思議。感傷は少しだけあるが、手にあまるほどではない。悲しみもいくつかあるが、泣くほどのことではない。第一、他人様に見せるほどの量の涙はもう一滴だって残っちゃいない。最後のダイヤモンドの一滴はとっておきだ。秘密の場所に隠してある。江ノ島と稲村ヶ崎と渚ホテルを結んだ三角形のどこかにな。三角形の内側か外側か。そいつは教えられないね。死んだアロハ髭デブおやじとの約束だ。

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幾千億の朝を迎え、幾千億の波を超えてもなお、われわれが求める本物の波をわれわれはこの手につかめずにいる。だが、この話はそこから始まる。終りがあるかどうかはわからない。間に合うかどうかさえ。間に合えばいいが。いつかは伝説の水曜日の大波をはるかにしのぐ本物の波に会えればいいが。そして、アロハ髭デブおやじに届けばいいが。


2000トンの雨 山下”ニュウドウカジカ”達郎 (Go Ahead/1978)
 
by enzo_morinari | 2019-05-06 18:42 | 湘南の散歩者の夢想 | Trackback | Comments(0)