俺がNPJ(Natural Psycho Jelly)となるに至った経度と緯度/入射角と反射角について。
前へ煤耳。全体止まミ。右向け石。左向け東。前へなろゑ。こどもの頃から俺にはすべてできなかった。いや。しなかった。俺には前も後も右も左もないし、いつもフワフワユラユラと漂っているからだ。そうするよりほかにないからな。団体行動は苦手だ。
だがよ。俺は漂っても沈まずに生きてきた。悠々としちゃいるが急いでいる。俺には右も左も前も後も上も下もない。全方位全方向。おまけに全天候型だ。ただし、速く移動することはできない。速く移動できない者がとるべき態度はただひとつだ。
1mmたりとも移動しないこと。完全無欠の静止/停止を保持すること。何者も立ち入ることのできない「完全定点」から世界を観察/分析/解読すること。移動は階級と格差を生むが静止/停止は孤立をもたらしはしても静止者/停止者を自由にする。その者たちはいずれ「サイコパス・アサシンズ」として世界を喰い破りにかかる。そして、俺はナチュラル・サイコ・ジェリーとなり、サイコパス・アサシンズのメンバーとして世界のありとあらゆるものをヒットするようになった。その準備運動のために俺は『出ジパング記』を記さねばならなかった。
青いヒポポタマスの小さなあくび#1 『出ジパング記』の取材のためにエジプトを訪れて3日目の昼下がり。俺はバビロン行きのオンボロ・バスの後部座席で出口の見えない腹痛と吐気と下痢に苦しんでいた。腹痛と吐気と下痢の原因はダウソ・タウソの浜田(ガイラ)雅功だ。
「エビアン汲んできて。いますぐエビアン汲んできて」
浜田(ガイラ)雅功は俺と眼を合わすことができず、うつむいたままそう言った。くちびるが火星年代記専用服の辛子明太子42個分くらい腫れ上がっていた。
「ハマちゃん。前田敦子に大きな栗とリスつけあわせ中なところ申し訳ないけどさ。火星年代記専用服の辛子明太子42個分に腫れ上がったくちびるでエビアン汲んできてって言われても、おれはへたれ山崎やほほほ~い遠藤章造じゃないんだから、ほほほ~いとフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯までなんか行けないよ」
「ほならオーヤン・フェーフェーかアイフ・モーフェー買うてきて」
「ええええええええええっ! もうそれは去年大失敗したじゃんよ。まだ懲りてないわけ?」
「そんなん言うたかて、わいは拍手とナイス!とイイネとコメントとコメント返しとコメント付き足跡がないと死んでしまうねん」
「じゃ、死ねよ」
俺が突き放すようにそう言うと、浜田(ガイラ)雅功は本当にその場にもんどり打ってひっくりかえり、冬眠中に死んで干からびてぺしゃんこになったソバージュネコメガエルみたいになって死んでしまった。死んでもくちびるは火星年代記専用服の辛子明太子42個分に腫れ上がっていた。『花より男子』にブサイク役で出ていた前田敦子にクリソツで、ブサイクの破壊力は前田敦子以上だった。
煙草1厘2分3毛事件(野村萬斎くっさめ万馬券事件)、電気窃盗事件とならんで20世紀最悪の難事件と言われた「聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院寸借詐欺事件」を解決してまだ日が浅い警視庁捜査1課の名捜査官・松岡正剛警視と法水倍音太郎警部を中心とした精鋭による「タラコくちびる頓死事件捜査本部」が麻布警察署の用具倉庫の一隅に設けられたが、一度も捜査会議が開かれることもないまま「タラコくちびる頓死事件捜査本部」は解散した。浜田の火星年代記専用服の辛子明太子42個分の下くちびるの裏側から前田敦子に大きな栗とリスつけあわせ問題に悩んでいたことを強くうかがわせるおぞましいほど下手くそな字でミミズがのたくりまくって書かれた遺書めいたメモが発見されたからだ。
俺は浜田(ガイラ)雅功の墓前に供える水を汲みにフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯を目指した。死ぬ思いでたどりついたフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯は閉鎖されていた。
「政府閉鎖の影響により本湯は閉鎖します」
ガバメント・シャットダウンと銭湯の閉鎖がどう関係するんだってのよ! もうめちゃくちゃじゃないか! 俺は腹立ちまぎれに近くの井戸で水を汲んで飲んだ。飲んだとたんに眠りに落ちた。そして、夢を見た。こんな夢だ。
夢の中で俺は不思議な女の子に出会う。スカボロー・フェアの帰り道だ。女の子は美しい亜麻色の髪にパセリとセージとローズマリーとタイムで編んだ髪飾りをつけていた。
「あなたが縫い目のないシャツをひと粒の雨も降らない土地の涸れた井戸で洗うことができたら、わたしはあなたの恋人になるわ。そして、千年の間貞節をつくします」
女の子は言うと髪飾りからタイムのひと枝を抜き取って差しだした。俺はタイムの小枝を受け取り、胸ポケットに挿してから拳で三度心臓のあたりを叩いた。凍りついたアルマジロの背中にテニスボールをぶつけたのとおなじ音がした。
「問題は、縫い目のないシャツが手元になくて、おまけに涸れた井戸がどこにあるかわからないってことだ」
俺が言うと、女の子は答えた。
「縫い目のないシャツはわたしがつくるから、井戸はあなたがみつけて」
この夢から俺は「分業」の大切さを学んだ。しかし、縫い目のないシャツはいまだに完成していないし、ひと粒の雨も降らない土地にあるという涸れた井戸もみつかっていない。
それでも、いつかは縫い目のないシャツは完成するはずだし、井戸もみつかるにちがいない。明日やればいいことを今日やらないだけだ。そして、バビロン行きのオンボロ・バスに飛び乗った。乗ったはいいが激しい腹痛と吐気がおそろしいほどの勢いで襲いかかってきた。そして、誰もいなくなった。「死ね死ね団」の創立メンバーを除いて。

吐瀉物はバケツ2杯分に達していて、のちにギザのピラミッドで観光客らを襲撃することとなる「死ね死ね団」の創立メンバーを除くと、エジプトの民は俺のまわりからきれいさっぱり消え失せていた。このときのバビロン行きのオンボロ・バスの運転手がムハンマド・ホスニー・ムバラクである。いまから思えば実に奇妙なめぐりあわせだったと思う。
俺の腹痛と吐気と下痢の原因については実はまだ心当たりがある。俺はエジプトに来る前、パリで2週間ほどすごし、そのとき、ルーブル美術館のエジプト室に忍び込んであるものを盗みだしていたのだ。
盗みだしたのはエジプトの第12~13王朝時代、紀元前2000年頃にファイアンス技法を用いて作られたセラミックの青い河馬のこどもだった。
青い河馬のこどもは母親だか父親だかの大きな河馬に寄り添うかたちで展示されていた。俺は『M: I』のトム・クルーズばりの装備と『エントラップメント』のサー・トマス・ショーン・コネリーなみの緻密な計画を立てていたが、実際にはルーブル美術館の警備は驚くほどスペイン風にケ・セラ・セラだった。
俺はなんなくセラミックでできた青い河馬のこどもを盗みだした。しかし、それがおそろしい呪いと真の悪夢と不思議な冒険の始まりだとは思いもよらなかった。
俺は耐えきれなくなってついにバスを降りた。「死ね死ね団」のメンバーは俺のことをとても心配して青ナイルと白ナイルが合流するところまでいっしょに歩いてくれた。
俺が「死ね死ね団」のメンバーの憎悪と憤怒の炎に包まれたたくましい背中を見送り、青ナイルと白ナイルがぶつかって川の水の色が変わる場所にみとれているあいだに夕闇が迫ってきた。そして、青い大きな河馬がやってきた。
「息子を返してもらおう。さもないとおまえは永遠に腹痛と吐気と下痢に苦しむことになるぞ。それだけじゃない。ナイルの神であるおれがもっとおそろしい呪いをかけてやる」
そう言ってすごむ青い大きな河馬のうしろには骨をくわえたジャック・ラッセルのNBK(ナチュラル・ボーン・キラー)とインカ・オーロックスのアレアレ・モーモーちゃんと「飛ばない豚はただの豚だ」とまで言いきってアドリア海の空のエースとなった紅豚がならんでいた。俺が盗んだ青い河馬のこどもよりふたまわり大きいこどもの河馬もいっしょだった。
強いめまいがし、俺はその場でイチローばりの広角打法を駆使して雌鶏を連打した直後にすったおれた。青ナイルと白ナイルのあいだを渡ってきた風が心地よかった。そして、また夢をみた。夢をみているあいだ、ずっとファンタン・モジャーの『Rasta Got Soul』が聴こえていた。
青いヒポポタマスの小さなあくび/ファンタン・モジャー