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一億一千一秒物語#1 フーディーニの椅子

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ハリウッドのマジック・キャッスルのレストランには「フーディーニの部屋」がある。「フーディーニの部屋」で食事をするとフーディーニの霊が現れるという仕掛け部屋になっている。他愛のないアトラクションだが、無類のフーディーニ好きである吾輩にはたまらない。「これが本当だったら」と何度願ったことであるか。そして、吾輩の願いはかなった。

1987年の春の盛り。あれは澁澤龍彥が死ぬ3ヶ月前のことだ。5月9日。澁澤龍彥の誕生日だった。吾輩と澁澤龍彥はハリウッドにいた。澁澤は愛兎のウチャを伴っていた。

「最近、腕立て伏せにハマっててね。1日に100回を朝昼晩の3セット。合計300回。で、わかったんだ。腕立て伏せは自分の肉体を押し上げているのではない。地球を押し下げているんだってね。腕立て伏せは作用反作用の法則をはじめとして、多くの物理法則を実感できるきわめてPhysical Scienceな行為だよ。それだけじゃない。メイクラブのクオリティとエンデュランスも向上する。舌筋と舌骨筋が鍛えられてフランス語の発音がよくなる。さらには、おつむのパフォーマンスがあきらかに上がるしね。先週なんか、ゼロ除算ができたよ。どうだい? すごいだろう?」

膝の上のウチャを撫でながら澁澤龍彥はそう言った。とても上機嫌だった。

さしてうまくもない晩餐が終わり、フーディーニの部屋にティナ・ルイーズの歌う『Tonight is the Night』が小さな音で流れ始めたときだ。部屋中の扉という扉が大きな音をたてて閉じた。「Who din I? Hurry up!」とフーディーニの声がした。吾輩は隣りの澁澤龍彥と顔を見合わせた。

「おまえが座っているのはおれの椅子だ。いますぐどけ」とフーディーニは言った。
「お断りだ。高いカネを払って買った私の席だ」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ」
「わかった。ではおまえに呪いをかける」
「おもしろい。かけていただこう。その呪いとやらを」

アマルガムバブルガムカニンガムハニンガムバッキンガムビンガム オウイホンジキュウジキュイジーヌビブリオテカドナスィヤンアルフォーンスフランソワドサドレーオポルトフォンザッハーマゾッホ

フーディーニはぼそぼそと聞きとりにくい声でつぶやいた。

「これでおまえは3ヶ月後に死ぬ。血管を破裂させてな」
「たのしみだね。大いにたのしみだ」

澁澤は胸を張った。それは澁澤龍彥としての矜持の現れでもあっただろう。避けえぬ凶事を知らぬ澁澤の。それから3ヶ月後、澁澤龍彥は本当に死んでしまった。フーディーニの予言どおり、頸動脈を破裂させて。『世紀の魔術師 フーディーニ』を読んでいるさなかだったというが、真偽のほどはわからない。それではあまりにもできすぎているような気もする。

ところで、フーディーニは吾輩にも呪いをかけた。「ついでに」と言って。その呪いの内容は ── 。

おまえは2018年の5月20日の午前3時ちょうどに死ぬ。飼い犬に噛み殺されて。

「2018年の5月20日の午前3時」まで、あと5分だ。すぐうしろでアメリカン・ピット・ブルテリアのダニーボーイが低い唸り声をあげている。

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by enzo_morinari | 2018-05-20 02:55 | 一億一千一秒物語 | Trackback | Comments(0)