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カテゴリ:ディラックの海の青いほとりで( 3 )

今夜、ディラックの海の青いほとりで

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マドレーヌ現象型ハッブル宇宙望遠鏡がもたらした「青の時代」

ハッブル宇宙望遠鏡がとらえた宇宙の生々しい姿はわれわれの宇宙観/世界認識/知のありようを劇的に根本的に変えた。それまで闇の中に薄ぼんやりとした姿で浮かんでいた銀河、宇宙はハッブル宇宙望遠鏡の登場によって、ある日突然毛穴のひとつひとつ、皮膚の肌理までをありありとわれわれの前に提示されることとなった。

オリオン座にある暗黒星雲の馬頭星雲が「馬頭」などという大雑把な表現ではなく、ディープインパクトのゴール板前の上げ下げで勝利した頭の差星雲あるいはゴドルフィンアラビアンが猫に挨拶をしたときの頭星雲と個別具体的な名を与えられる日が来たのだ。天秤座ではなく、タニタ食堂の厨房の秤座、乙女座ではなく原節子座、牡羊座ではなく、村上春樹の羊をめぐる冒険座というふうに。

いまや宇宙は絵物語、夢物語、神話、伝説の対象ではなく、リアリズムによって語られるべき対象となった。そして、いよいよ、星々、星座によって語られてきた「星々と神々の物語」はリアルな「宇宙誌」「宇宙博物誌」「宇宙年代記」「宇宙白書」「宇宙決算報告書」として精緻に記述される時代がやってくる。明晰な数値、観測データとともに。先端の科学技術によってえられた詳細精緻な観測データ、素材は山のようにある。これに手をつけない手はない。宇宙は宝の山、究極の御馳走だらけだなのだ。宇宙ブロガー、宇宙詩人誕生の日も近かろう。

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ビッグバンもベビーユニバースもパラレル・ユニバースもダークマターもダークエネルギーも「重力場理論」も「膨張宇宙モデル」も「宇宙背景放射」も「宇宙ひも理論」も「サイクリック宇宙論」も宇宙のほんの一部を記述しているにすぎなくなるかもしれない。

ディラックの海は宇宙という大海のほんの小さな渚にすぎなくなるかもしれない。宇宙はさらに巨大で深い闇を広げ、謎は深まるかもしれない。アインシュタインが取り出してみせたE=MC2の方程式すらこども騙しにすぎなくなるかもしれない。

われわれは宇宙/ユニバースについてもっと語らなければならない。ネット上に山ほどあるハッブル宇宙望遠鏡によってとらえられた宇宙、銀河、星団、星々の画像をみて。生々しい宇宙の姿を目にしたわれわれの心をふるわすものこそがハッブル・バイブレーションだ。

ハッブル宇宙望遠鏡がわれわれに見せるのはリアリティのある『スペース・オデッセイ』である。宇宙はこれから先、近い将来、さらに精度を増し、リアリティを加えてわれわれの前にその姿を見せる。そのとき、人間は宇宙のリアルな物語をいかなる文体で語るのか。

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さて、ゆうべのことだが、マドレーヌ現象型ハッブル宇宙望遠鏡でピカソのBLUE PERIOD/青の時代のいくつかを観察計測解釈分析した。鑑賞? ふざけるな。ピカソのBLUE PERIOD/青の時代は鑑賞などという甘っちょろい態度をゆるさない。そんなものはさびれた観光地の廃業寸前の土産物屋で埃をかぶっている絵葉書を愚にもつかぬ教養主義で塗りかためて、いかにも価値があるようにみせかけるポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊どもの取る態度だ。私の係ではない。

私はBLUE PERIOD/青の時代を食べるのだ。喰らうのだ。ときとして腹をこわすが、それでもおそれずひるまずたゆむことなくガブガブムシャムシャと貪り喰うのだ。ピカソも大よろこびだろう。いつの日かピカソが残した15万にも及ぶ大御馳走のすべてを平らげてやる。

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ゼニカネに困り果てていたパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソは青い絵具しか買えなかった。その「危機の時代」が史上最高のクリエイターを生んだ。BLUE PERIOD/青の時代は「危機の時代」とも言い換えうるということだ。

重要なのはクライシス・モーメント、クリティカル・モーメント、クリティカル・ポイント、危機、臨界である。「危機の時代」「臨界」を経験していない者は死ぬまでポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊のままである。「オサレなランチ」「豪華で素敵なディナー」などとほざいているような者に世界は開かれない。扉を閉ざす。

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ピカソのBLUE PERIOD/青の時代を代表する『自画像』『年老いたギター弾き』『母と子の肖像』『年老いた盲人と少年』『セレステーィナ』などを見ているとどうしようもなく泣けてくることがある。無論、感傷の涙などではない。3日も飲まず喰わずで腹がへってはいても文無しなのでひと切れのパンすら買えないときに流れるたぐいの涙だ。

さんざっぱら泣いてしまったあとはすこぶる気持ちがいい。まさにカタルシスだ。このような気分を味わわせてくれるものはそうそうありはしない。

そうだ。青だ。ようやくにして尻の青みのとれた私に必要なのは土手っ腹にこたえる本物の青なのだ。貧者の青と強い青と深い青と豊かな青と鮮烈な青と清冽な青と哀しみの青と愁いの青とラピスラズリとコバルトとターコイズとアクアマリンとバイカル湖の湖面とカリフォルニアの青い空、そして、チェレンコフ・ブルーである。

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*ハッブル宇宙望遠鏡の後継機としてジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)の打ち上げが2021年3月に予定されている。宇宙誕生/ビッグバンの約2億年後以降に輝き始めたとされるファーストスターを初観測することがJWSTの主な任務である。
 
by enzo_morinari | 2018-10-17 04:47 | ディラックの海の青いほとりで | Trackback | Comments(0)

今夜、宇宙を横ぎって/銀河鉄道の夜を越えて ── なにものも私の世界を変えることはできない

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ディラックの海のほとりで宇宙を見わたす夜。

宇宙の音に耳をすます。磁気圏と太陽風のせめぎあいが生む暁合唱団の鳥の囀りのようなコーラス、巨大な波がうねるようなプラズマ波のリズミカルな不協和音、ヴァン・アレン帯を重力波が突きぬけるときのバリバリと耳をつんざく音、ブロードウェイの銃弾を全身にまんべんなく等間隔で42発浴びた『Radio Days』のウディ・アレンが、雨の朝、カッサンドラーの悪夢にうなされながらニューヨーク市マンハッタンのBullets Over Broadway Hospitalで末期にカイロの紫のバラを胸に抱いて発したフラゴナール・アゴナール・レスピレーションの音、『ラジオの時間』に周波数をあわせるときのホワイト・ノイズ、『今夜、宇宙の片隅で』の台本読みの声、白鳥座銀河第三象限の停車場で輝く有機交流電燈のアーク放電音、初恋カプセルから聴こえる「あといくつ銀河鉄道の夜を越えれば言葉にできるの?」というギャラクティカな問い、[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]が時を刻む音、ミントジュレップを一杯引っかけたあとにアーキオプテクスの樹の上で震えながら途方に暮れている仔猫ちゃんの鳴き声、アカンソステガ・ディアトリマ・ハイエノドント楽団の1000人のヴァイオリン弾きたちが演奏する1000台のヴァイオリンによるMistyYou Go to My HeadI've Got a Crush on Youに聴き惚れる浅葱色をした隠喩の法衣を無惨にも剥ぎ取られたアンドレ・ブルトンのいまにも指のあいだから滑り落ちそうなレモン色の平行四辺形によって切りとられた夕暮れの薄暗がりから貌をのぞかせる溶けだしたベーコンに捧げる接吻の音、宇宙吟遊詩人がモノリスにもたれて詠い奏でる『スペース・オデッセイ』、オリオン座暗黒星雲のゴドルフィン・アラビアンが猫に挨拶をしたときの頭星雲が宇宙卵でイースター・エッグダンスをしながら踏むピアッフェの音、プラント・プラネタリアンがスペース・フラワーベッドに新種のスーパーノヴァ・コスモス・シード42を播種する音、金属を研磨する音、天体の極域で発生する知性/創造性の極北極光のエレクトロフォニック・サウンド、宇宙を支配する巨大な意志の力が宇宙風の乱数表をめくる音、宇宙風になびく42列横隊に整列した薄桃色のコスモスがケイオスと対峙しながら発する調和と秩序の音、黒体輻射のブラック・ノイズ、青の時代のピカソがチェレンコフ光に照らされる貧しい年老いたギター弾きを描くときの筆づかいのキュビスム・サウンド、リズミック・コズミック、ハッブル・バイブレーション、されどわれらがプラネタリウム・デイズ ──。

宇宙の音に耳をすましながら、宇宙創生150億年の歴史がからだを駆けめぐるのを感じる至福と恍惚と高揚。五体五臓六腑の熱は宇宙が燃えさかっていたころの名残りであり、自分が宇宙そのものであると確かに了解する。今、この瞬間、なにものも私の世界を変えることはできない。

「あしたは七夕、星祭り、Star Festivalね。雨が降らなければいいけど。あした、会えたらいいんだけど…」と虹子からLINEにメッセージが入った。

虹子と最後に会ったのは春の盛りの頃だから、かれこれ1ケ月半になる。電話すらしていなかった。顔も声も匂いもぬくもりもおぼろにかすみかけている。

「今夜、宇宙を横ぎって会いにいくよ。きっといく」

こどもたちのはしゃぐ声や鳥たちの囀りや小鳥の羽ばたく音やポルコロッソがグーグーうなる声が一気に押し寄せてくる。言葉の精であるW-42が耳元でささやく。

「言葉たちが無限の慈雨のようにあふれだす。心を開けば悲しみや喜びがさざ波となって伝わってくる。望んで言葉にすれば世界はだいじょうぶ」

宇宙のあちこちで散乱する光を見ていると、光たちは閃くように私を呼びながら遠ざかってゆく。沈黙ノートのページをめくる音や「オクザキ! 天皇を撃て!」の大号令とともに高らかに吹き鳴らされる神軍ラッパやゆきゆきて神軍が行進のときに地面を踏み鳴らす音や語りつくせぬことについての沈黙の響きや饒舌な沈黙や黄金にはほど遠い沈黙やマドレーヌ現象やマドレーヌ・トークやマドレーヌ・ライティングやTHUGZ4LIFEやクリフォード・ブラウンの言いだしかねたいくつかのことやチャーリー・パーカーの饒舌やマイルス・ディヴィスの孤独と静寂に満ちたつぶやきやカリブのサクソフォーン神ロリンズの孤愁を秘めた豪放やケイデンス142/1minの回転音やアレ・キュイジーヌやベンガベンガベンガやチュパイマコーやコギト麦で焼いたエルゴスム・パンやキーヨ・エスタス・キーヨや白鳥座銀河第三象限の停車場で輝く有機交流電燈の謎や淪落する少女の叫び声や笑う戦争の犬の笑い声や愛のささやきや嵐の朝に別れを告げる声や惜別の辞や愛別や離苦や起承転結や序破急や憎悪と憤怒と怨嗟の罵りや涙の落ちる音や1983年夏のクラクションや1973年のピンボール・マシンの電子音や餅5個を立てつづけに食べて死んだロバーツ秋山の死を悼む悲しみの嗚咽や乳首の席がえのために死にゆく人々の死ぬ瞬間や天国の階段をのぼる足音や天国の扉が開く音や利己的な遺伝子の身勝手なふるまいやベアリングとブッシュの軸受戦争や古書と硝子片と鬱積する自同律の不快と霧雨のような恋人とくすんだ愛欲と詩の果ての孤独と大賢者たち(バタイユ/ラカン/ソシュール/レヴィナス/エーコ/ブラン ショ)の長く大きなため息や宇宙際タイヒミュラー理論に架ける橋建築の槌音や降る星のような慈しみの雨音や喜びの歌や街の雑踏やフクシマ・ピープルとロンゲラップ・ピープルの絶望と悲嘆やチェロキー・ピープルとロヒンギャとセルクナムの血と涙の旅路の慟哭やハインの祭の遠い太鼓の音やTEPCO Atomic Wonderlandの愉快な仲間たちの反省と品性のかけらもない下卑た高笑いやチェルノブイリ・チルドレンの確かな痛みをともなう不安や巨大地震と大津波に根こそぎにされた北の国の人々の落胆やコンテンポラリー・ハウスにも及ぶレッドテープ/繁文縟礼やポンテ・アパートの銃声やヨハネスブルグ・キッズの飢餓の苦しみやピョンヤンのコッチェビ・キッヅの骨の軋みや七つの大罪企業のほくそ笑みや国と国民を貪り喰い痩せ細らせ侵食するカスミガセキシロアリのしたり顔と中身ゼロの言説やエキセントリック口元の辻元清美の恥知らずぶりや米中露のワールド・パイ/トルタ・ムンディアル山分けに関する円卓会議やムスリムと十字軍の2000年戦争開戦の砲声や沈黙の春や草花と樹木のさんざめきやトトロのオカリナや真っ黒クロスケの秘密会議や猫バスのクラクションやラピュタの飛行音や無数の飛行機乗りたちの無音の編隊飛行や王蟲の怒涛の進軍や巨神兵の呻き声やナウシカが乗るメーヴェの風切り音やアシタカがタタリ神をなだめる真言やもののけ姫のサンが山野を駆けぬける音や森を歩くシシガミの生と死を司る者ののみが知るかなしみやダイダラボッチの夜ふけの足音やコダマとコロボックルと妖精たちが戯れるたのしげな声やセクース依存症にしてナイーブな肉屋のナイーブなロースハム好きのハルキンボ・ムラカーミのノーベル・プライズ・サプライズ・スクリームや風の歌や大地の歌や星々の瞬きが渾然一体となって一大叙事詩/シンフォニーのようにこだまする。

オーケイ。今夜、宇宙を横ぎって会いにいくよ。銀河鉄道の夜を越えて。銀河鉄道と流星号を乗りついで。エイトマンより速く。鉄人42号より強く。アストロ・ボーイより馬力をかけて。マジンガーΩよりPatek Philippe&Co/Abraham-Louis Breguet/Vacheron Constantinに。


Α-Ω-Α∞Ω
これより、終りの始まりが始まる。


Across The Universe - The Beatles
When You Wish Upon a Star - Linda Ronstadt
 
by enzo_morinari | 2018-07-06 16:09 | ディラックの海の青いほとりで | Trackback | Comments(0)

時間とベケットとラマヌジャンとメタモルフォーシス

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ガジンと並んで大きなラピスラズリに腰かけ、きわめて加算的付加的なインド音楽のリズムでサミュエル・ベケットを待っているあいだ、時間は普段よりずっと間延びし、のっぺりとした貌をみせつづけた。

ブリキでできたガラス職人/タマネギ剥き名人のギュンター・グラスと「ベッケンバウアータヒネ」と呪文のようにつぶやくネッシー・ハンターと戦う軍団団長のギュンター・ネッツァーがわれわれに影のように寄り添っていた。

ブリキ製ガラス職人/玉葱剥き名人のギュンター・グラスは悲鳴のような雄叫びで地涌菩薩都市のガラスというガラスを木っ端微塵に破砕し、ブリキの太鼓を叩いてマドホウセ湖の巨大うなぎどもを眩惑した。42屋主人風情を漂わすギュンター・ネッツァーはプーマの42センチの特注ビッグ・サイズのサッカー・シューズと自分の顔をならべて「どっちがデカい? どっちがデカダンス? デカメロン好き? ロートレアモン好き?」と言った。さらには、「プーマは賢人であるわたしにもカンガルー1枚革/踵4本スタッドのキング・ペレとおなじようにオーストリッチ1枚革/踵5本スタッドでカイザー・ネッツァーを作っていただきたいものだ」とも言った。全身アディダスまみれの掃除屋フランツ・ベッケンバウアーが脱臼のために包帯で固定している右腕でカウンター式斧爆弾を炸裂させたのは言うまでもない。リベリーノは自慢のサネブラシを撫でながらビバノンノン杉の陰で卓越した左足をトリッキーに振動させ、わずかにできた世界の空隙に狙いを定めてただ微笑んでいる。狙撃手の眼だ。もう一人の左足の魔術師ウォルフガング・オベラーツはスパイク・シューズのベラをこれみよがしに長くして折り曲げ、ストッキングを足首までずり下ろす荒技に出ていた。ゲルト"爆撃機" ミュラーは視えないゴール前で髪をふり乱し、動物的勘に依拠した振りむきざまを意味もなく繰り返している。ネプチューンを崇拝するあまりプロテウスの怒りを買って象男にされたジョゼフ・メリックは窒息寸前、演芸ホールのザ・リビングに果敢にダイビング・ヘッドを試みた。歴戦の強者である鉄人ブライトナーは類人猿鉄人のサチ・キヌガーサと乳繰りあっている。なんて、鯉する惑星の Be a driver な光景。赤ヘルってくれ。

そのような1970年 FIFA World Cup メキシコ大会的な状況下、私とガジンの前をジョージ・ハリスン御用達のラヴィ・シャンカール色のタクシーがひっきりになしに通りすぎた。ガジンは私が制するのも聞かずにジョージ・ハリスン御用達のラヴィ・シャンカール色のタクシーのナンバーからシタールの付帯したラマヌジャン・タクシー数1729を91個みつけた。

「悪魔が来ちゃうじゃないか」と私はガジンに言った。
「あんたが悪魔だろう?」
「なんだ。知ってたのか」
「そりゃね。知らなきゃ、伊達や酔狂で酷寒のミル・プラトーの頂上で2年もデジタル・べジタリアンとしてデジタル・デバイド・バイトの日々を引き受けたりしない」

そのうち、「間の山」のほうから『浜辺のアインシュタイン』と『屋根の上の1000台の飛行機』と『水素のジュークボックス』と『めぐりあう時間たち』と『メタモルフォーシス』が聴こえてきた。

「もう一日待とう。明日、ベケットがこなければ首を吊ろう」

私が言ってもガジンはもはや私の言葉を理解できない怪物に変身していた。フィリップ・グラスの『メタモルフォーシス』の作品5が終わると同時にガジンは蒼穹に向かって急上昇し、小さな点になり、消えてしまった。「明日、ベケットがこなければ首を吊ろう」と思った。

「いやなことばかりじゃない」とギュンター・ネッツァーが声をかけてきた。その大きな口からはベルティ・フォクツが顔をのぞかせ、「ボルシアMGからコンニチハ」と出歯亀づらでほざいたのには腰が抜けるほどラマヌジャンだった。ベルティ・フォクツの出歯亀づらはジャイアント馬場の16文キック、メルシボク魔法を使って世界を煙に巻いて誑かすツソボ天井桟敷を根城とする車椅子性悪阿漕魔女ババア(62歳と42日)の知性教養ゼロ/センス絶無の故障した日本国語による醜悪にしておぞましい感謝を装った空々しく不実な言葉/寝言/戯言/妄言/虚言、木っ端役人/カスミガセキシロアリの謝罪反省の言葉と国会答弁、寝取り屋ユコー・アソドーが匕デキ力ソゲキ・オデキマソサイの突然死のときにこれみよがしにみせた涙くらい嘘くさかった。ついでにお口もクサかった。クサーマ・ヤヨーイの反ねじ式反縄文式怒気ゲジーツ作品くらいクサかった。水玉/ドットで喰いやぶれるほど世界はヤワではないし、甘っちょろくできあがっていない。

Philip Glass: Metamorphosis


by enzo_morinari | 2018-05-19 01:22 | ディラックの海の青いほとりで | Trackback | Comments(1)