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カテゴリ:The Scene( 3 )

The Scene #1 Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで デボラの舞い

 
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失われたもの、砕け散った夢、傷ついた心をいつまでも抱えているわけにはいかない。すべては過程の中のひとコマにすぎない。


いつからか、エッダ・デル・オルソが歌う『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』の劇中歌であるエンニオ・モリコーネの『Friendship and Love』がずっと頭の中で鳴っている。小さな音で。静かに。消え入るように。霞むように。二度と取りもどすことのできない宝石のような思い出のように。

横浜馬車道の東宝会館で『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』をみて以来のことだから、1984年以降ということになる。もう35年にもなるか。

1984年。若かった。嵐のような裏切りと諍いのただ中にあった。それまでおぼろげながらもあった世界と人間に対する信頼が木っ端微塵に消し飛んだ季節だった。世界は冷酷と裏切りと強欲と無関心とで出来あがっていることを知った。

世界と人間と未来は信ずるに値しないと確信するに至るつらい日々だった。だが、そろそろ砕け散った心と夢のかけらをひとつ残らず回収する頃合いだ。失われたもの、砕け散った夢、傷ついた心をいつまでも抱えているわけにはいかない。すべては過程の中のひとコマにすぎない。

人生の大半が友情と裏切りとカネと愛と力と性と喪失でできあがっていることに気づくのに30年かかった。30年以上も前のことだ。友情と裏切りとカネと愛と力と性と喪失を描いた映画が『Once upon a time in America』である。「おとなのいい男」「おとなのいい女」になりたい者はみるがいい。「永遠の少年」でいたい者がみてもなにがしかの参考にはなる。

見終わったあと、いくぶんか人生の深さやら友情の儚さやら裏切りの痛みやら愛の意外さやらについて理解を深めている自分に気づくはずである。ただし、へっぽこ編集屋の上げ底たっぷりの計略にまんまと乗せられて、「ちょいワルおやじ」だのという愚にもつかぬステレオタイプを気取るようなおっちょこちょい、恥を知らぬ有象無象の輩が何百回、何千回みたところで感動も理解もできまい。時間の無駄であるからやめておくがよかろう。(「ちょいワル」だあ? ワルならワルに徹したほうがよっぽどかっちょいいんじゃねえのか? つまりは、「ちょいワルおやじ」てえのは悪党悪漢になれない半端人足のことだろう? まったく笑わせやがる)

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『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』は志ある者、道半ばにして弊れた者たちのための映画、鎮魂歌である。少なくとも人生のいかなる局面であれ、事情であれ、大事であれ、些事であれ、「最大公約数」を出処進退の基準にするような腰抜け腑抜けがみる映画ではない。

主人公の少年マイケルはある日、初恋の相手デボラが倉庫の一隅でバレエのレッスンに打ちこむ姿を夢見心地で盗みみる。いつか潰える夢だとも知らずに。このシーンは何度みても、甘くせつなく、夢でもみているような気分になる。監督のセルジオ・レオーネはこのシーンをこそ撮りたかったにちがいない。「デボラの舞い」のシーンこそが若く、未成熟で、夢やら希望やらに満ちあふれていたアメリカを象徴しているように思える。「昔々、アメリカで」と。

「宝石のような秘密の場所」を年老いたマイケルは再訪する。覗き穴から幻の「デボラの舞い」をみるマイケル。このとき、マイケルの眼はうるんでいる。うるんではいるが涙は一滴もこぼれない。もはや涙は枯れ果てているからだ。数々の裏切りと喪失と困憊によってマイケルの心は石ころになってしまったのだ。救いなどない。慰藉もない。しかし、それが大方の人生であり、成熟というものだ。

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夢はこどものときに砕け散る。粉々に砕け散るのだ。例外はない。しかし、夢がとっくの昔に砕け散っていたことに気づくのに何十年もかかる。気づいてからのちは、粉々に砕け散った夢のかけら、断片をひとつひとつひろい集め、つなぎあわせ、頬ずりし、そっと口づけ、数知れぬため息をつき、夢の墓場に埋め、あきらめきれずに掘り起こし、さらに埋めもどし、そして疲れ果ててゆく。成熟するというのはそういうことだ。

実現の道筋なき「わたしの夢」「わたしのしあわせ」とやらを得々として吹聴しつつ、おべんちゃら、きれいごと、要領三昧狡猾にまわりの顔色ばかりをうかがいながら「最大公約数」「最大多数の最大幸福」などと臆面もなくほざき、極楽とんぼ能天気に生きてきた者が成熟などしようはずがない。そういった輩どもの上げ底、メッキのまやかしポンコツぶりは目を覆いたくなるほどだ。まやかしはさらなるまやかしを呼び、ポンコツどもはさらなるポンコツと群れるという醜悪きわまりもない図。

好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言う。ただそれだけのことをなぜためらう。好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言っていれば敵は増え、世間は狭くなり、つまりは生きづらくなる。生きづらくはなるが、いさぎよい。清潔だ。汚いより清潔なほうがよほど気持ちよくはないのか? もっとも、熟したからといって甘いわけではない。それどころか苦いばかりである。甘ったるいのがお好みの御仁は天国に一番近い島あたりで余生を送ることを夢みつつ、汲々として日々を、暮らしをやりすごすがいい。夜毎、総天然色の夢がみられるはずである。うらやましいかぎりだ。

砕け散った夢、疲れ果てた心に『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』はいくぶんかの慰めをあたえてくれる。時間をかけ、10年に1度ほどのペースで何度でも繰り返しみるに値する映画である。みるたびに新しい思い、別の思い、忘れかけていた思いがみつかるはずだ。平均寿命まで生きながらえたとして、あと2、3度みれば THE END と相成る。そのようにおのれの人生を計測してみるのも一興である。蛇足だが、エンニオ・モリコーネの音楽がすこぶるいい。

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Edda Dell'Orso - Deborah's Theme
Ennio Morricone, Edda Dell'Orso - Friendship and Love
Ennio Morricone - Amapola Part I
Ennio Morricone - Amapola Part II
 
by enzo_morinari | 2019-02-26 02:36 | The Scene | Trackback | Comments(0)

大きなクリとリスの歌♪

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大きな栗とリスの唄/あのねのね
 
by enzo_morinari | 2018-10-18 07:34 | The Scene | Trackback | Comments(0)

いっそセレナーデ、いっそパーラメント。そして、いっそディボースメント。

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すべてのラブアフェアは予測不能である。E-M-M


元妻2号との離婚に関わる協議/調整がほぼ整った1984年の冬、元妻2号と山形県米沢市の天元台高原スキー場に行った。天元台高原を選んだのは雪質が本州で一番いいからだった。

私と妻は高校の同級生だった。高名な歯科医の5人姉妹の次女。グレース・ケリーと仁科明子を足して鈴木京香をかけあわせたようなスコブル付きの美人。小学生の頃からファンクラブができるほどだった。頭もけっこうよかった。特に英語と数学と美術がよくできた。演劇部の部長にして生徒会役員。無遅刻無欠席。男にも女にも好かれていた。絵に描いたような優等生だった。一方の私といえば、貧乏人の小倅/妾の子にして天涯孤独。凶暴凶悪な名うての不良/悪党/札付きのワル。どう転んでも釣り合いは取れない。

「たとえあなたがギャングでもわたしは勇気をもってあなたを愛します。そして、あなたの人生を見届けたい」

高校2年の秋の終わり。冷たい北風の吹きつける三渓園で元妻2号は言った。彼女のこの言葉は私のその後の人生を陰に陽に支えた。しかし、われわれは離婚することになった。すべては私の一方的な事情変更の原則の行使、身勝手なふるまいである。

天元台高原スキー場に着いたのは夜の8時を過ぎていた。晩めしを簡単にすませ、ナイトスキーに向かった。

二人ならんでリフトに揺られているとき、井上陽水の『いっそセレナーデ』が大きな音で聴こえてきた。

『いっそセレナーデ』は周囲の山々に反響し、谺し、ゲレンデ中に響きわたった。

鳥肌が立ち、胸の奥がふるえ、熱くなり、ぽろぽろと涙がこぼれた。元妻2号に気づかれるのがいやで、うつむき、息をとめた。横目で元妻2号を見ると肩をふるわせて泣いていた。大粒の涙がロシニョールの白いスキーウェアにぽたぽたと音を立てて落ちた。いくつもいくつも。

ポケットからパーラメントのNight Blueを出して火をつけ、体育館の裏で隠れてタバコを吸うようにせわしくなく吸った。

「わたしにも1本ちょうだい」
「え?」
「最近、吸いはじめたの。1日に3本くらいだけどね」

元妻2号の細くて白い指にスリムなパーラメントはよく似合った。

「ふだんはなにを吸ってるんだ?」
「あなたとおなじ。パーラメントのNight Blueよ。だって、初めてタバコを吸ったのは知らないフレグランスの匂いのするあなたのスーツから盗んだパーラメントのNight Blueだから」

私は少しだけ噎せた。

「いっそセレナーデ、いっそパーラメント。そして、いっそディボースメント」と元妻2号は言ってパーラメントのNight Blueを深々と吸いこんだ。タバコの火に照らされて仄あかるく光る元妻2号の顔は毅然としてクールビューティー、凛として気高かった。もう涙は見えない。枯れ果てたか? いや、ちがう。たいていの涙は請求書付きのガラス玉でできていて、いつか乾き、枯れ果てるが、そうではない涙もある。枯れ果てることのないダイヤモンドの涙が。ぬぐえなかったことをずっと後悔する涙が。

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いっそセレナーデ - 井上陽水
 
by enzo_morinari | 2018-10-11 09:23 | The Scene | Trackback | Comments(0)