カテゴリ:沈黙ノート( 57 )

淡水魚の死

 

遠い土地でのたうちまわり、もがき苦しみ、格闘し、世界と人間を憎悪し、呪い、カミソリのように生きていた淡水魚が死んだのは2010年の秋の盛りだった。21歳。♀。

「おっちゃん、図書館で物思いに耽ってる村上春樹みたいらしいな」と淡水魚はSkypeでメッセージを送ってきた。それが淡水魚とのはじまりだった。2008年の春の終わりのことだ。

「なんだそりゃ?」
「とにかくな、うちは図書館で物思いに耽ってる村上春樹が好きなんや」
「吾輩は図書館なんぞには金輪際行かないし、物思いに耽ったりもしない。スパゲティ・バジリコくらい不誠実な食いものはないと思ってるしね」
「おっちゃん、頭いいな」
「まあね」
「好きや」
「ギャラは高くつくぜ」
「命で払う」
「吾輩とかかわると挽肉になっちまうかもしれないぜ」
「メンチカツは大好きや」

淡水魚はそう言ってゲラゲラとゲラダヒヒのように笑った。笑っていたがスーパーサイヤ人色に染めた髪の毛の前髪のあいだからのぞく眼にはひとかけらの笑いもなかった。それどころか、淡水魚の眼は-273.15で凍りついた若鮎のような悲しみで満たされていた。後にも先にもあれほど悲しい眼にはお目にかかったことがない。こちらの魂が凍りついてしまうような眼だった。

いまにして思えば、淡水魚は長いあいだ強烈に「救い」を求めていながら、この世界に「救い」などありはしないことを知りつくしていたのだと思う。

「とにかくだ。いつでも話し相手にはなってやる。そのかわり、真剣に笑い、真剣に泣き、真剣に怒り、真剣に悩み、真剣に悲しみ、真剣に苦しむことが条件だ。吾輩は上っ面、おべんちゃら、おためごかし、お愛想、きれいごとは算数とリトマス試験紙とデコスケと木っ端役人とおなじくらいきらいなもんでね」
「アイアイサー!」
「吾輩のメガネにかなういい子になれたら弟子にしてやってもいい。東京で一番うまいメンチカツだって好きなだけ喰わしてやる」
「ほんまか!?」
「本間雅晴や!」
「だれやそれ?」
「吾輩のひいじいさん」
「知るか!」

正確にそれから2年半後の2010年11月11日、淡水魚は御堂筋線の線路にダイヴしてみずからミンチになった。まったく。そう、まったくなんてこった。

淡水魚はよく「泥にまみれた少女の亡骸にそそぐ一滴の水になりたい」と言っていた。カミソリのように鋭利な言葉の礫と心、魂、性根に突き刺さる真言、本物とニセモノ、美しいものと醜いものを見抜く心眼を持っていた。淡水魚が死んで世界からは鋭利さと本物と美しいものがそれぞれ7パーセントほど失われた。 淡水魚が死んでから4ヶ月後に大地が激しく揺れ、洪水が世界を飲みこみ、放射性物質が世界を覆った。淡水魚の憤怒と憎悪のように思えた。

 

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by enzo_morinari | 2018-02-18 05:14 | 沈黙ノート | Trackback

砂漠では自分の名前すら思い出せない

 
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by enzo_morinari | 2018-02-16 04:56 | 沈黙ノート | Trackback

たどりついたらいつも雨降り/夏休み最終日の夜ふけの中学校の体育館で聴いた五番街のマリーからジョニーへの伝言

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曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げ、雨が降らないことを願いながらも、雨の気配を探る日々。かつて、われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。


その夏は街のいたるところでザ・モップスの『たどりついたらいつも雨ふり』が聞こえているモッブでスノッブでサイケデリックな夏だった。

その夏の初めにリーバイスのレンガ色のチノパンを横須賀のドブ板通りの古着屋で手に入れた。600円だった。ひと夏中履きつづけた。根岸や本牧のマンモス・プールに行くときも空調の効いた街の図書館で昼寝がてらに本を読むときもガールフレンドと熊野神社の社殿の陰でヘビーペッティングやらヘビーネッキングやらをするときも上大岡にできたダイエーの紳士服売り場でラ・マーン・ビーキーに勤しむときもそのレンガ色のチノパンを履いていた。

「そのチノパン、すごくクサイよ」とガールフレンドが不快感満載で言うので、無性に腹が立った。

「臭きゃユニーの日用品売り場でシャットを1ダースばかり買ってクサイにおいを元から断つんだな。ついでに、世界中のクサイものを消臭してまわりゃいい。クサイものにフタをするのはお得意だろう? だいたい、おんなこどもにこのチノパンのほんとの価値はわかりゃしねえよ」と怒りに任せて言った。それきり、そのガールフレンドとの他愛ない恋愛ごっこは終わりを告げた。 夏が終わる頃には味わい深いレンガ色はなんとも珍妙奇天烈な色に変わり果てていた。

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中学3年の夏休みの最終日だった。悪ガキ仲間5人で逝く夏を惜しみ、去りゆく夏を追いかけるために夜どおし街をほっつき歩いた。集合場所は国道16号線沿いにある行きつけの銭湯の松の湯だった。

番台のオヤジは鬼がわらのような御面相だったが、われわれ悪童どもにどこか好意的だった。好意的だった理由は今では確かめようがない。鬼がわら番台オヤジはとうに死んでしまったし、松の湯自体が何年も前に廃業したからだ。

松の湯を出てから16号線をひたすら歩いた。途中、あまりにも腹がへって、人相の悪いのや入れ墨を入れたチンピラヤクザどもが出入りする深夜営業の『穴』という名前の怪しげなスナックで生姜焼き定食をひとつとライスを人数分頼んで食べた。食べているあいだ、スロットマシンの景気のいい電子音やピンボールマシンにダミ声で悪態をつくやくざ者の怒鳴り声が聞こえていた。ほかの悪ガキ仲間たちはビビりまくり、蒼ざめていたが、私はビビりながらも、社会のゴミどもロクデナシどもの生態の一端を間近に目撃できてちょっと面白かった。

「あんちゃんたちよお。中学生かよ?」

店を出ようとしたとき、うしろから悪意のこもった巻き舌の声がした。振りかえるとパンチパーマの二十歳くらいのチンピラが揺れながら立っていた。酒に酔っているらしかった。足元が危うい。立っているのがやっとというありさまっだった。悪童仲間たちが一斉にビクっと首をすくめたのが横目でわかった。

「あんちゃんじゃねえよ。それにてめえにあんちゃん呼ばわりされる覚えはこれっぽっちもねえぞ、三下奴のチンピラ野郎」

瞬きもせずにパンチパーマ野郎の目を見据えて言ったが、声が震えているのが自分でもわかった。

「やめとけやめとけ。シゲ! おまえ、飲みすぎだぞ。相手はこどもじゃねえか」

スナックのマスターとおぼしきハゲ頭の貫禄のあるおっさんが止めに入った。まくった白いシャツの袖口から鮮やかな入れ墨が覗いていた。

「ここはおまえたちが出入りするような店じゃない。もう来るんじゃないぞ。いいな? それはともかく、いやな気分にさしちまって悪かった。ほら、これ。とっときな」

入れ墨ハゲマスターはそう言って、手の切れそうな1万円札を1枚差しだした。「5人いるんだけどな」と言うと、入れ墨ハゲマスターは「ぶん殴られたいか?」と顔をクシャクシャにして笑った。


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夜どおしのほっつき歩きはエンディングを迎えようとしていた。誰言うともなく足は通っていた中学校に向かった。

校門の手前で雷鳴が轟いた。アスファルトの地面を激しく打ちつける雨。全員ズブ濡れになった。

体育館に忍びこみ、緞帳で濡れた体を拭き終えてひと息ついたとき、赤毛のノリが胸元から元町ポピーの紙袋をおずおずと取り出した。ドーナツ盤が2枚。ペドロ&カプリシャスの『五番街のマリーへ』と『ジョニーへの伝言』だった。

ノリは無類の音楽好きで、「これ、いいよ」とドーナツ盤やLPレコードをおずおずと差し出すやつだった。赤毛のノリが寄こしたマーク・リンゼイ&レイダースの『嘆きのインディアン』やらリン・アンダーソンの『ローズガーデン』やらC.C.R.の『雨を見たかい』やらアルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』『落ち葉のコンチェルト』やらギルバート・オサリバンの『アローン・アゲイン』やらのドーナツ盤は50年ちかくを経た今も奇跡的に手元にある。

赤毛のノリは舞台の袖から階段を登って放送室に忍びこんだ。そして、大音量で『五番街のマリーへ』と『ジョニーへの伝言』をかけた。 夏休み最終日の夜ふけの中学校の体育館に響きわたる『五番街のマリーへ』と『ジョニーへの伝言』。音は床板に反響してライブすぎたが、心やら魂やらにやけにしみた。不意と涙がポロポロこぼれた。悪ガキたちもみんな声を立てずに泣いていた。いい時間、かけがえのない時間、宝石のような時間だった。

何度目の『五番街のマリーへ』『ジョニーへの伝言』が終わったときだったか。雨音が一層強く激しくなった。土砂降りの雨音が体育館に轟々と響きわたり、体育館は土砂降りのただ中になった。

永遠につづくかと思われた夏休みの終わりが近づいているらしかった。なにごとにも始まりがあって終わりは必ずやってくる。そのことを学んだ夏だった。


赤毛のノリタマよ。まさか、おまえがおれより先にくたばりやがるとはな。せいぜい、あの世だか極楽だか天国だかとやらでいい皿回しになれ。思う存分皿回しをやれ。もはや、おまえを縛りつけるなにものもありはしない。Go Ahead! Go, Go, Go!! Go's On!!!

 


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by enzo_morinari | 2018-02-13 08:00 | 沈黙ノート | Trackback

夏の朝の成層圏からやってきた陽の光

一時帰宅した虹子はすぐに臥せた。痛みと吐き気と悪寒と不眠が虹子を苛んでいた。手のひらをのぞけば、肩と言わず、背中と言わず、腰と言わず、脚と言わず、撫でるようにさすっても虹子は痛みと不快を訴えた。


仕方なく虹子の手のひらを両の手で包み、時折、そっと撫で、わずかに力をこめて握った。すると、虹子はいまにも消え入りそうなか細い声で、「気持ちいい」とだけ言って束の間の眠りに落ちた。


虹子の薄っぺらい手のひらを包んだままわたしも眠りに落ちた。虹子のやすらかな寝息で目がさめたとき、灼熱と悪意を孕んだ夏の朝の成層圏からやってきた陽の光が、こちらをうかがうように窓辺で揺れていた。



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by enzo_morinari | 2017-07-29 23:55 | 沈黙ノート | Trackback

Hush, Little Baby ── あのとききみが泣いたのは

あのとききみが泣いたのは
やさしいママが死んだから

あのときパパが泣いたのは
かわいいきみが泣いたから

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by enzo_morinari | 2017-05-10 17:24 | 沈黙ノート | Trackback

発狂する国家 ── 未公開スノーデン・ファイルからみえてくるもの

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by enzo_morinari | 2017-04-24 22:45 | 沈黙ノート | Trackback

忘れじの言の葉 ── グリムの書き置き

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ドナルド・トランプなる品性下劣、品格皆無、知性教養低劣、守銭奴、銭ゲバ、クワセモノフンパンモノマガイモノイカモノインチキマヤカシペテン師の登場によって「物語」はいよいよつまらぬものとなった。したたか極まりもないネオコン一味が可愛く懐かしくさえ思える時代になるということだ。

トランプはキングか? それともジョーカーか? そのいずれでもない。ハイカードすなわちブタだ。ヅラをかぶったブタ。まちがっても空は飛ぶまい。飛ばないブタはただのブタだ。ヨーロッパでも似たり寄ったりのこととなる。つまり、ロスチャイルドとロックフェラーと金融資本と石油メジャーと軍産複合体と既得権益の上にあぐらをかいてふんぞりかえっている守旧派の傀儡、操り人形にすぎぬということだ。

保護主義だあ? 「偉大なアメリカ」だと? これまでの数百年、何億何十億の無辜の民を虐げ、さんざっぱら搾取しつづけておきながらなにをほざきやがるか。虐待と略奪と殺戮の限りを尽くされ、大地を血に染めたネイティヴ・アメリカンは3億人だぞ! 労働者の味方? 雇用の飛躍的な創出? 笑わせやがる。なに喰わぬツラで金融資本/ウォール街の代弁者と山師の親玉を財務長官/商務長官に起用しておいてなにを抜かすか。今後、格差はさらに拡大し、大衆/労働者は目を覆うばかりの惨状に見舞われる。トランプ・タワーの近くを通るときには大きくて頑丈な蝙蝠傘が必要だ。トランプ・タワーから飛び降りるマネー・ゲーマーが土砂降りの雨のように降ってくるからである。

そもそも、ドナルド・トランプ並びにその取り巻きどもが目の色を変え、取り憑かれつづけている「ゼニカネ/通貨/貨幣」など欲深邪まな人間が作り出した幻想にすぎぬ。実体のあるモノと交換できる便利さと置き場所に困らないことのほかにメリットはない。ナサニエル・メイヤー・ロスチャイルド(初代ロスチャイルド男爵)の言とされる「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。さすれば、誰が法律を作ろうとかまわぬ。(Let me issue and control a nation's money and I care not who writes the laws.)」の意味を我々はよくよく考えねばなるまい。

出口も一筋の光も見えず、いつ果てるとも知れぬ第3次世界大戦はとっくの昔に始まっているというのに。問題はこの愚か者たわけ者がアメリカ合衆国における核兵器使用の最終決定権者であり、24時間、その傍らには核兵器発射ボタンがあることである。この銭ゲバ、守銭奴はゼニになるならなんでもやる。こんな愚劣漢卑劣漢に世界の運命を握らせるなどもってのほか、言語道断である。ドナルド・トランプ並びにその取り巻きども、提灯持ちどもに『運命の書』を書かせてはならない。「大衆迎合」がもたらすのは常に独裁、ヒトラー的なるものであることを忘れてはならない。

さて、そこだ。世界の物語は大団円などなく、なしくずしにつまらなくなるが、いい歌が2016年に世に出た。『忘れじの言の葉』。『グリムノーツ』というRPGの主題歌だ。作詞砂守岳央/作曲松岡美弥子(未来古代楽団)。歌唱は沖縄出身の高校生、安次嶺希和子。

幼さ稚さを残しながらも、魂を鷲づかみにされるがごとき透明感あふれる凛烈清洌にして強靭な歌声。濃密なフォークロアとインディオの民俗をうかがわせる旋律。幾千、幾万、幾億の旋律。記号あるいは象徴、ないしは神話。大地とともに生き、呼吸し、大地が死ぬときともに死に、息の根を止めた名もなき赤剥け無垢の人々の息づかいさえ聴きとれる。世界の物語は猿芝居、三文芝居に成り果て、成り下がったが、刻まれし情念は幾千億の英雄物語を紡ぐ。

『グリムノーツ』配信元の SQUARE ENIX/スクウェア・エニックスの紹介文。いわく、「童話の世界を旅する」。

役割を与えられた主役と、空っぽの脚本をもった脇役が紡ぐRPG

僕らは生まれたときに一冊の本を与えられる。僕らの世界、生きる意味、運命。それらすべてが記された『運命の書』。

全智の存在であるストーリーテラーが記述した『運命の書』に従い、僕たちは生まれてから死ぬまで『運命の書』に記された役を演じつづける。それがこの世界の人々の生き方。

── だからさ、教えて欲しいんだ。空白のページしかない『運命の書』を与えられてしまった人間は、いったいどんな運命を演じて生きていけばいいんだ?


忘れじの言の葉

言の葉を紡いで微睡んだ泡沫
旅人迷い込む お伽の深い霧
さしのべた掌 そっと触れる予感
受け止めてこぼれた光の一滴

面影虚ろって微笑んだ幻
想いの果てる場所 まだ遥か遠くて

求め探して彷徨って やがて詠われて
幾千、幾万、幾億の旋律となる
いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなき物語


指先を絡めて触れる誰かの夢
刻まれた思いのこだまだけが響く
言の葉を紡いで微睡んだ泡沫
旅人の名前を伽噺という


求め探して彷徨って やがて道となり
幾千、幾万、幾億の英雄はゆく
いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなくここに在る
求め探して彷徨って やがて詠われて
幾千、幾万、幾億の旋律となる

いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなき物語

 

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by enzo_morinari | 2017-01-03 05:39 | 沈黙ノート | Trackback

マヌエル・ポンセの『エストレリータ/小さな星』を聴いて、もう1度だけ人生に恋をしよう。

 
マヌエル・ポンセの『エストレリータ/小さな星』を聴いて、もう1度だけ人生に恋をしよう。

そうだ。もう1度だけ人生に恋をしよう。もう1度だけ。まだ遅くはない。まだ間に合う。


Estrellita de lejano cielo,
que sabes mi penar,
que miras mi sufrir.

Baja y dime
si me quiere un poco,
porque es que ya no puedo sin su amor vivir.

¡Tu eres estrella mi faro de amor!
mi faro de amor
Bien sabes que pronto he de morir
he de morir.

Baja y dime
si me quiere un poco,
porque es que ya no puedo sin su amor vivir.


わたしの苦しみを知っている
遠い空に光る小さな星
もし彼がわたしを少しでも愛しているなら
降りてきて彼の思いを教えて
わたしは彼がいなくては生きていけないから

小さな星よ あなたはわたしの愛の灯台
あなたはわたしが死にそうだってわかるでしょう?
小さな星よ おねがい
もし彼がわたしを少しでも愛しているなら
降りてきて彼の思いを教えて
彼の愛なしには生きていけないから
 


『エストレリータ(Estrellita)/小さな星』
メキシコの作曲家マヌエル・マリア・ポンセ作詞・作曲の歌曲。1912年作。「Estrellita」はスペイン語で「小さな星」の意。本来は歌曲だが、今日ではピアノ、ヴァイオリン、サキソフォン、ギターなどによる器楽曲として演奏されることが多い。20世紀屈指の名ヴァイオリニストの一人、ヤッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetz/1901-1987)による編曲と演奏で世界に知られるようになった。

マヌエル・マリア・ポンセ(Manuel Maria Ponce/1882-1948)
近代フランス音楽の影響を受け、メキシコ民族主義に根ざした作風を確立。アンドレス・セゴビアと親交が深く、『ギター・ソナタ第3番』『南国のソナチネ』などのギター作品を数多く残している。

代表作
『エストレリータ』(歌曲)
『ギター・ソナタ 第3番』
『ロマンティックなソナタ』
『真昼のソナチネ』
『南国の協奏曲』(ギター協奏曲)


エストレリータ(Estrellita)/小さな星
 
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by enzo_morinari | 2015-11-17 12:25 | 沈黙ノート | Trackback

「世界の終り」の始まりを生きる者よ

 
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阪神大震災前日の夕暮れ、バスで伊丹空港に向かっていた。神戸・南京街の「老祥記」で買った100個の豚まんをかき抱きながら。夕焼けがそれまでに見たこともないような紅蓮に燃えていた。

「よくないことが起こる。途方もない災厄が」ととなりの虹子に言った。虹子は「ですね」とだけ言って、吾輩の腕を強い力でつかんだ。

翌朝、空襲を受けたような神戸の街をテレビ受像機の画面にみた吾輩は、すぐさまロードレーサーのメンテナンスを開始した。「災厄の現場」に哲の馬で行くためだ。輪行袋に分解した哲の馬2号のCinelli Special Corsaを詰め、虹子の作ってくれた握りめしをORTLIEBのメッセンジャー・バッグに放りこんで吾輩は出発した。電車で行けるところまで行く。あとはひたすら漕ぐ。

なんのために? 語り継ぐためだ。語り継ぐためには「現場」にわが身を置き、自分の眼で見て、自分の耳で聴いて、自分の鼻で嗅いで、自分の大脳辺縁系で考え、自分の心で感じなければならない。直に。手づかみで。それが吾輩がやるべきことであり、できることだった。ジバランさとなおのオーディオ装置が気がかりだった。

神戸は惨憺たる有様だった。つい数日前に虹子と歩いた町並みは見るも無残な姿に変わり果てていた。それまでに世界のあちこちの戦場を見てきていたが、神戸はまぎれもなく戦場だった。ベイルートやコソボの破壊とかわりがなかった。

「世界の終りだ」と思った。「だが、だいじょうぶ。世界はまた始まる」と自分に言い聞かせた。そうだ。世界は何度でも終り、何度でも始まるのだ。炊き出しを手伝い、メッセンジャー・ボーイをやった。神戸に滞在した29日間、ずっと焼け焦げたにおいがしていた。ジバランさとなおと連絡を取ることはできなかった。無事を祈った。ジバランさとなおと彼の所有するKRELLたちの無事を。

2番目の「世界の終り」は2ヶ月後にやってきた。オウム真理教による地下鉄サリン事件だ。このときは虹子が神谷町の駅であやうく巻き込まれるところだった。電車2本ちがいで虹子は難を免れた。事件が起こる前、代々木の駅前で麻原彰晃のお面をかぶった者どもの姿を見たときには底知れない不気味さを感じたものだ。

そして16年後、3番目の「世界の終り」が起こった。3.11。東日本大震災。2011年3月11日14時46分18.1秒(JST)。そのとき、吾輩は虹子と「ミヤネ屋」を見ていた。宮根誠司のたわけが報道センターの実況に割り込んでわけのわからぬことをほざいていた。すぐにチャンネルをNHKにかえた。

自宅にあるテレビ受像機のすべての電源を入れ、地上波、BS、CS、それぞれちがうチャンネルに合わせた。ラジオもAM、FM、短波の全局にチューニングした。普段は沈着冷静、クールなNHKの横尾泰輔の声は震え、うわずっていた。日テレの豊田順子は混乱の中、意外にも沈着冷静だった。ラジオではパーソナリティの大竹まことが「報道のプロ」のようなパフォーマンスを聴かせていた。元TBSアナウンサーの小島慶子が予想以上の能力をみせた。

「こんなときにもテレ東はアニメかな」と虹子に言うと、「冗談を言ってる場合ですか!」と叱られた。福島の震度がテロップに流れたときは「やばいことになるな」と思った。

原発がやばい。振り払いようのない焦燥感が全身に起こった。広瀬隆の「予言」が現実になると。吾輩と虹子はテレビ受像機に釘づけだった。あれほどテレビを見たのは「浅間山荘事件」以来だった。

地震の被害につづいて津波が襲来する様子がリアル・タイムで流れはじめたときには背筋が凍りついた。名取市の仙台平野が押し寄せる津波に飲みこまれるとき、「白っぽい半透明の物の怪」のたぐいが画面を左から右へものすごい速度で横切った。直後、道端の小さな祠が消し飛んだ。「土地の神が名取の地を見捨てたんだ」と思った。地震学者の東大・都司嘉宣の狼狽ぶりが事態の深刻さを物語っていた。吾輩は「現場」に行くかどうか考えはじめていた。虹子はすぐに気づいた。

「行くんですね」
「迷ってる」
「迷ってらっしゃるなら行ってしまったほうがいいです」
「うん。だけど脚力に自信がない。吾輩ももう爺さんだ」
「まあ。お気の弱いことを。おめずらしい」

しばし、思案し、結論を出した。

「今回は行かない。テレビとネットで情報収集する」

この判断は正しかったと思う。阪神大震災やオウム事件のときはインターネットがまだ日本には普及していなかったが、16年の歳月を経てインターネットを通じて「現場」の生の姿に近いものに触れることができるようになったからだ。

そしてついに、4番目の「世界の終り」がやってきた。福島原発事故。現在、自民党に政権交代して「フクシマ」のことは巧妙狡猾に隠蔽され、なきものにされつつあるがとんでもないことだ。大津波とともに「福島原発事故」は子々孫々までも語り継がねばならない。それが「世界の終り」の始まりを生きる者たちの責務である。そして ──

世界なんか跡形もなく消えてしまえばいい。
世界なんか跡形もなく消えてしまえばいい。
世界なんか跡形もなく消えてしまえばいい。


吾輩は3回口に出した。そして、3回テキスト・エディタに書いてみた。そうだ。世界なんか跡形もなく消えてしまえばいいんだと吾輩は思った。それはいつも吾輩が考えていることだ。

世界なんか跡形もなく消えてしまえばいいけれども、そのいっぽうで、世界は『THE END OF THE WORLD』や『収穫の月』やCSN&Yや『レオン』や『グラン・ブリュ』やジャクソン・ブラウンやプライム紀尾井町店の大五郎(2リットル)298円や『海を見ていた午後』やシーズンオフの心や心の中のギャラリーや雪だよりや青いエアメイルや新しい恋人と来てほしくない男心や同じく女心やサングラスで隠して見せない涙やゴミアクタマサヒコや右翼や左翼や福島瑞穂・辻本清美・田嶋陽子一味のけたたましい唐変木どもや『カサブランカ』や「正義」や「公序良俗の原則」や「罪刑法定主義」や吉田美奈子や『星の海』や『My Love』や「例の赤いTシャツ」やチャーリー・パーカーや沙羅双樹の花や『風の谷のナウシカ』や「年越しそばに命をかける女」やその息子のムラオサ君やライ麦畑風味のライムライトなラムネ売りのライムマンや星を継ぐ者やマイルス・ディヴィスやジョン・コルトレーンやニガブロ・ニザンやさえちゃんやうれし涙やくやし涙や怒りやいかりや長介や憎しみや憎しみの肉屋や喜びや喜び組のよろめきや悲しみや「きのう、悲別で」や『時間よとまれ』や「クリスマス・イヴにコンビニで再会した古い恋人」や「ブルーでちっちゃなクリスマス」や【センス・エリート100箇条】や「パスタをひたすら茹でつづける者」やウソやカワウソやカモノハシやビーバーや『人間の証明』やウジ虫どもや渡辺香津美や『薔薇の名前』や「暴行傷害焼き定食」やインチキやニセモノやクワセモノやマガイモノやマヤカシや『ホテル・カリフォルニア』やシーバース・リーガル17年やMacallan Private Eye 35th Anniversaryや『紅の豚』や『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』や呪われたアルマジロや冬眠を忘れた熊や苦悩するビーバー・カモノハシや黄金の羊や黄金の魚や黄金のカエルや虹のコヨーテや哲の犬や世紀末動物園やワラビー・モーリやスキャット猫やカワウソ・ニザンやプリマス・バラクーダやココペリキリギリスのボーイ・リョージや蓮根と長ネギのトーキョー・プライスに詳しいマーちゃんや30歳にしてメタボ・ギアな元演説青年のスミジル・スミスや猫にこんばんはなEI BOYやクリュッグのラ・グラン・キュヴェや「漂えど沈まず」や「悠々として急げ」や盛者必衰の理や猿の漫才師サルーやそのお天使ちゃんやかれらの小せがれ小娘どもや暗躍海星や数の子天井カズコや芸者ガールや25メートル・プール一杯分のビールや『風の歌を聴け』や2ちゃんねるや姑息低能愚劣下衆外道どもの巣窟「シンデレラの屋根裏部屋」や『La Vie en Rose』や祇園精舎の鐘の音や『雨を見たかい?』やベッシー・スミスや『奇妙な果実』やボブ・マーリー&ウェイラーズや『河内のオッサンの歌』や『WHAT A WONDERFUL WORLD』や諸行無常の響きや「幻師のゲンゲンムシ maki+saegusa」やプラント・プラネタリアンの葉っぱちゃんや「物の怪感度」が人並み外れて高い木蓮R指定やトゥルッロ・ソヴラーノの機織り部屋へとつづく階段で物思いに耽る「ひとつの屋根にはひとつの部屋」が口ぐせの黒海に恋する地中海の感傷ウーマンや「9年目のあるがままそのまま」に寝てばかりいるPIECES OF HAPPINESS PATO BOYにその小さな胸をキュンキュンさせる「世田谷おしゃれ食堂」のオーナー・キュイジニエ・エクリヴァンや「小さなコビトの大きな世界」や本好き料理好きささみ好き行列好きのヒメキリンの坊やや光と闇の幽玄の闘争に立ち会うZINや国大出で美人で木っ端役人で世界を2パーセントくらいつまらなくしているさっちゃんに番号非通知ワン切りの集中放火を浴びせるべく有志を募っている風変わりなバランス感覚でタブーもサンクチュアリもなんのそのな A-BALANCER や日本文学全集レプリカの背表紙に頬ずりするエストリル・ガールや世界で一番小さな庭で繰り広げられる「いのちの物語」のダイナミズムに心ふるわせるレイザ姫や葡萄酒を飲み過ぎたせいでオーバー・ドーズし、夫をとうとう専業主「婦」にしてしまった地下鉄のジュジュのバサラカ冒険によってハラハラドキドキの抑圧デイズを生きるアーキテクチャー・ウーマンや自身の闇とのタイマン勝負に勝利すべく「てにをは」「句読点」の文章修行に精を出すビーチサイドのセイレーンや東京フェルメール・ガール代表の chisato Memories や「文字」を拡大表示するのと「!」を乱発するのが「お下品」であることに気づきはじめた七転八倒しつつも七転八起する神々の黄昏おやじやねじまき鳥看護婦の松坂世代や虹子やポーちゃんやメリケン帰りのバカ娘やを乗せて、明日もまた壮大にドタバタ満載に、喜怒哀楽、起承転結、ありとあらゆることどもものどもを乗せて走りつづけ、ジェットコースターしつづけ、メリーゴーラウンドしつづけ、何度でも終わり、何度でも始まらなければならない。そうだ。それがわれわれが生きている「世界」なんだ。

そして、事実。重要なのは事実だ。なまくらな人道主義、嘘くさい正義、中途半端な現実主義、薄っぺらな善意と理想論、よるべなきあさはかなニヒリズム乃至はアナキズム。それらは「事実」の前に沈黙する。上滑りした理想論や人道主義や正義や善意や現実主義やあさはかなニヒリズム乃至はアナキズムでヨタったりスカしたりするまえに、まず、「事実」に耳を傾けよ。 心の耳をすまし、「事実」のひとつひとつの響き、旋律、音色を聴け。

われわれにもし、未来とやらがまだ肯定的なものとして残されているのなら、いまわれわれの前に横たわる途方もない「事実」を拠り所として歩みを進めるくらいの余地は、いくぶんか残されている。道は細く長く曲がりくねって瓦礫に埋め尽くされ、荒れ果ててはいるが、歩けぬこともない。「七つのラッパ」はまだすべては吹き鳴らされていない。

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by enzo_morinari | 2014-08-15 14:47 | 沈黙ノート | Trackback

この洪水ののちに「希望」を語ることは野蛮である。

 
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あのころ、ランゲルハンス島の午後はいまよりずっと静かで、盲目のホピ族の長老に急き立てられて見るまえに跳んだ17歳の私は、風の歌を聴きながら孤独な核時代のピンチランナーとして1973年製のピンボール・マシンによる同時代ゲームに取り憑かれることとなった。

いまや、どす黒い金属の塊のような洪水はありとあらゆる人々の魂に及び、死者たちの奢りは際限もなく私を疲れ果てさせる。鯨が死滅する日よりもはやく「その日」がやってきたのだ。破壊された波止場には燃えつきた海図をたよりに苛酷な船旅をつづけた方舟さくら丸が漂着し、燃えあがる。永遠の呪詛のようなプルトニウム風のウクライナ語によって語られる「新しい千年の物語」にはアトミック・エイジの守護神も新しい人も登場しない。アトミック・エイジの守護神は厳かに宣言する。

この洪水ののちに「希望」を語ることは野蛮である。

どす黒い金属の塊のような洪水がすべてをなぎ倒し、根こそぎにし、飲みこんでゆく。手加減なし。容赦なし。当然だ。自然に意思などないからだ。あるのは冷厳冷徹な物理法則だけである。おぼろげながらも予感していた「その日」の圧倒的な光景をリアル・タイムで目撃しながら、私はしばし奇妙な冷静とそれまでに味わったことのない昂揚のあいだを行ったり来たりした。そして、「沈黙こそがかの地の人々への追悼である」と思いいたった。

沈黙しよう。それがかの地の人々に対する仁義であり、自分の流儀であるように思われた。だが、別の「その日」がやってきた。別の「その日」はハリウッドを殺した億万長者よりはるかに狡猾で、クラウゼヴィッツの暗号文よりも難解だった。膨大な「危険な話」に彩られていた。じっとしていても「言葉」が次から次へと溢れてきた。

啓示か? 福音か? そのいずれでもあり、いずれでもないだろう。答えは語りつづけることのうちにみつかるかもしれない。よしまた、答えなどみつからないとしても、この事態と向き合うことで「新しい生き方、新しい物事の捉え方、新しい解釈の仕方」がおぼろげにでも身につけばいい。生きつづけるというのはそういうことだ。

2011年3月14日、福島第一原子力発電所3号機が水素爆発を起こした直後、携帯電話が鳴った。電話の主のHは北関東エリアで産業廃棄物処理業を手広く営む人物である。Hとはバブル期に共同戦線を張り、いくつかの危うい仕事をいっしょにやった。Hの声は甲高くうわずって、興奮しているのがわかった。Hは大震災による膨大な量の瓦礫を宝の山と言い、原発事故によって発生した放射性廃棄物や放射性廃液などの「核のゴミ」を金のなる木と呼んで、千載一遇の大チャンスがめぐってきたのだと早口でまくしたてた。「これで一発逆転だ」とHは最後に言った。

「樽の旦那。あんたもひと口のるかい? 交渉事にあんたぐらいふさわしい人間はいない」
「やめとくよ。今回は野次馬に徹する。だがな、ひとつだけ忠告しておくぞ」
「なんだ?」
「くれぐれも用心してかかれよ。震災で出た瓦礫はともかく、原発のほうの相手は人を人とも思わない原発マフィアだ。裏街道の有象無象、海千山千どもが血相を変えて大津波のように押し寄せてくる。先刻承知之介だろうけどな。今度の件は動くゼニの桁がちがいすぎる。おまえさんが当て込んでる宝の山、金のなる木をめぐって大勢の人間が命を落とすことになるぜ」
「骨はあんたが拾ってくれ」
「バカ言うな」
「バカはいまにはじまったことじゃねえよ。ぐははは」

電話はそれで切れた。バブル期、地上げ屋の大物を相手に威勢のいい啖呵をきるHの強面だが憎めない顔が浮かんで消えた。

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さて、独立行政法人日本原子力研究開発機構の下部組織である産学連携推進部が「放射性廃棄物処理処分料金表」なるものを公開している。はやい話が「核のゴミ」の処理と処分に関する料金表だ。この料金表では放射性廃棄物の性状や線量率などのちがいによって細かく処理処分の料金が決められている。1トンあたり下は数十万円から上は3億円ちかいものまで。

日本原子力研究開発機構といえば、1995年に発生した高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏出火災事故でその「隠ぺい体質」がたびたび批判された原子力村の一翼をになう組織だ。福島原発事故後も「焼け太り」よろしく、いけしゃあしゃあと国から年間数千億円にものぼる補助金を受け取り、官僚や電力会社役員の天下り先として健在である。

役員一覧を見れば「天下り」の実体と、原子力村のいやしい住人どもがいかに巧妙狡猾に税金を食い物にしているかがよくわかる。同機構にかぎらず、原子力がらみで設立された組織はすべて税金をむさぼり喰うためにのみつくられたと考えてよい。「寄付金」「会費」名目で支出されている巨額なカネが原子力村の中を還流するさまは目眩さえおぼえるほどである。

現在の福島第一原子力発電所にある放射性廃棄物の処理処分の費用を「料金表」をもとに単純計算してみると、100兆円をゆうに超える驚くべき数字が姿をあらわす。東京電力の損害賠償費用、補償費用をはるかに超える額になる勘定だ。海洋投棄された1万トン超の「低濃度の汚染水」を料金表どおりに処理処分したとすると3兆円である(「低濃度」というのは東京電力が自身に都合よく言っている大ウソで、原子炉やトレンチやピットやタービン建屋に存在する高濃度の汚染水より濃度が低いというにすぎず、実際は国の環境基準値の100倍を超える濃度というしろものである。本来、放射線管理区域内で厳重に保管しておくべきものを意図して垂れ流すなどというべらぼうな話があってたまるか。また、「国の環境基準値」とやらも大いに疑ってかからなければならない)。「汚染水」のほかにも水素爆発で破壊され吹き飛んだ配管、構造材の瓦礫、廃炉にともなって出る原子炉本体の処理処分にかかる費用、放出拡散した放射性物質の除染除去費用は別勘定である。

今後、政と財と官と学とメディアと裏街道のならず者どもは「金のなる木」に眼の色をかえて群がり、すさまじいまでの貪欲さでその利権を貪り、食い散らかすだろう。東北の地を飲み込んだどす黒い金属の塊のような洪水がもたらした以上の「地獄絵図」をわれわれは目にすることになる。「原子力発電」はつくるのも維持するのも、処理処分するのも、すべて利権のタネなのだ。そして、そのツケは総括原価方式というペテンまやかしによって巧妙狡猾に姿を変え、ついには「電気料金」と名を変えて、必ずわれわれにまわされる。

福島第一原子力発電所事故をめぐる「核のゴミ」はならず者どもにとってはまさにヨダレの出る「金のなる木」なのだ。アレバ社のしたたかきわまりもない女社長と大統領のサルコジがおっとり刀で駆けつけたのだって、この「金のなる木」が目当てだと思えば合点がいくというものだ。

保身と責任回避と組織防衛と利権の確保を旨とする小賢しい木っ端役人どもの悪知恵と、あさましい政治屋どものゴリ押しによって法整備され、システム化され、御用学者どもは愚にもつかぬ御託を並べて擁護し、メディアは「安全安心」を連呼して広告料をせしめ、経済的に不遇な自治体が「補助金」「交付金」「寄付金」「奨励金」という名の毒饅頭と引き換えに「不幸」を受け入れて庶民の「暮らしと人生」を人質に取るという構図は遅かれ早かれ完成するだろう。そのようにして、「国策」の名のもとに「核のゴミ」は大手を振って「なきもの」にされるのだ。

地下深く埋められるか、稀釈されて「海面土壌埋設」という名の海洋投棄か。あるいは一家に1トン汚染水か。「天罰」が下ってもこの国はなにも変わりはしなかったというお粗末である。いくぶんかのさびしさを感じながらひろうHの骨がセシウムやらプルトニウムやらストロンチウムやらに汚染されていないことを祈ろうと思う。ついでに「新しい人」の誕生も。
 
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by enzo_morinari | 2014-08-08 15:36 | 沈黙ノート | Trackback