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カテゴリ:沈黙ノート( 138 )

ブログはミュンヒハウゼン症候群だらけ

 
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つい先頃、自分になりすました者があちこちの「関係先」に書きこみを行ったとかで大騒ぎしているブロガーがいた。私のテクストにたびたび登場する大仰御大層大上段大袈裟好きの大不誠実五体不満足還暦婆さんだ。

私は大仰御大層大上段大袈裟好きの大不誠実五体不満足還暦婆さんの騒ぎを知ったときから、これは自作自演なのではないか、ミュンヒハウゼン症候群の亜種なのではないかと見立てていた。

真実はどうあれ、大仰御大層大上段大袈裟好きの大不誠実五体不満足還暦婆さんがなにがしかのかたちで反感を買い、批難批判を受けることになるのはずっと以前から容易に想像できた。

大仰御大層大上段大袈裟好きの大不誠実五体不満足還暦婆さんはただ単に「周囲の関心を買いたい」「同情を引きたい」「注目を集めたい」「アクセス数を増やしたい」といったことに加えて、いびつきわまりない「かまってちゃん」であるというのが私の了解である。さらには、そのブログ同様、故障した日本語によって記述された、詩魂、詩心のかけらもない詩もどきを書きつらねただけの自費出版の詩集のたぐいを売りさばきたいという思惑、欲得もあっただろう。

蓼食う虫も好き好きだが、驚くべきことに、そのようなまやかしの権化とも言いうる大仰御大層大上段大袈裟好きの大不誠実五体不満足還暦婆さんに同調するポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが山のようにいる。

なにごとかをする/或いはしない愚かさではなく、気づかない愚かさこそがもっとも醜く、罪深い。大仰御大層大上段大袈裟好きの大不誠実五体不満足還暦婆さんとこの婆さんに群れる者たちだ。

世界は腐り、死んでいる。そんなことはとっくの昔にわかっていた。そのことにももはや慣れた。こんな世界なら、とっとと滅びてしまえばいい。いいことなどなにもない。


飽食と放埒と眠らぬ夜と。
飢餓と忍従と眠れぬ夜と。


ただ、いまだに慣れることができないのは、世界が腐り、死んでいることに気づかないポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが世界の大半を占めているという動かしようのない事実だ。

世界が腐り、死んでいることに気づかないポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもはなにを考え、なにをしているのか? 彼奴らは日々、グロテスクな認知欲求と親和欲求を臆面もなくさらけだし、周囲の関心を買い、同情を引き、注目を集めることに夢中で、かまってちゃんに忙しい。

「ディスプレイの先には生身の人間がいる」といまだに真顔で宣う脳内にお花畑がひろがり、極楽とんぼが飛び交っているのではないかと思わずにはいられない御仁が掃いて捨てるほどもいる。

インターネット黎明期ならともかく、アノニマス革命さえ起こそうという匿名集団が大きな力、強度を持ちつつある時代に「生身の人間」もへちまもなかろう。

従来の人間観はすでに波に掻き消される砂の城のように風前のともしびであるというのに。そのような輩はリアルな日々の生活では守旧派/既得権益に巣食う者どもと恥も外聞もなく結ぶ。

彼らは、日々、自分たちのしていることが未来を食いつくすことに陰に陽に加担しているとも気づかない。のみならず、インターネットの世界にもなれあい、しがらみといった旧態依然とした関係性を懲りもせずに求め、持ちこむ。そういったぬるま湯のような関係性の中で生ぬるく生きたいのでもあろうが、ところがどっこいもはや時代の流れはそのようなことをゆるさない。

ディスプレイに映り、スピーカーから聴こえるものは文字と画像と音声だけだ。それ以上でもそれ以下でもない。受け手はそれらの情報からなにがしかの感懐なり意見なりを持つ。なにをどう解釈し、いかなる感想意見を持つのも自由である。

発信する者も自己責任の範囲内でなにを/どのように/だれに発信するのも自由である。自由だが、まやかし如何物なまくらポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウは黙っていても淘汰されていく。ミュンヒハウゼン症候群はいつか馬脚をあらわす。

ミュンヒハウゼンは冒険譚だけで十分である。
 
by enzo_morinari | 2019-08-17 12:20 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/幼児性愛者、性犯罪者が身重の女性を見世物にして滑った転んだとは笑止千万!

 
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私は幼児性愛者性犯罪者の居残り佐平次に対してのみ差別主義者である。頭下げて事実を認めただけでケジメがついたと思うなよ。腐れ外道! どこの公園かは突き止めた。あとは被害者の母親に被害届の提出を促すだけだ。


バカ丸出しガキ丸出し的はずれ素っ頓狂独りよがり思いこみまやかし嘘っぱちまみれの息を吐くようにウソをつく下衆外道木偶の坊品性下劣盗撮者覗き魔出歯亀性犯罪者幼児性愛者下郎の火病耄碌糞ジジイ居残り佐平次は連日、Twitterで便所の落書きにも劣る愚劣陋劣なないことないことをほざいている。

おちょくり。茶化し。揶揄。揚げ足取り。虚偽の吹聴。根拠なき大言。じきに80歳にもなろうという者の言辞とは到底思えない低劣下劣ぶりである。

佐平次 @saheiziinokori で検索すればすぐにヒットする。

*すべての天空の古城はセイントおにいさんにウーピー・ゴールドバーグしてある。


器物損壊罪(日本国刑法261条)
他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
 
by enzo_morinari | 2019-08-11 18:37 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/無駄に齢を重ね、尻の青味もとれず、経験のけの字も知らない能天気な甘ちゃん極楽とんぼどもの「戦争反対!」「過ちは繰り返さない」にはリアリティがない。

 
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言多きは退くなり/語りつくせぬことについては沈黙せよを百万遍唱えろ。

実現の道筋なき空虚な言説を撒き散らすバカ丸出しガキ丸出し恥知らずの愚か者をデマゴーグという。Demagog Busters

1970年代末、黒い戦争が世界を覆いつくしていた最中、多くのBack Stabbers/裏切り者がどろどろぬるぬるの物質を隠し持っていた。そのどろどろぬるぬるは粘土や泥などの無機物、生物の分泌する粘液などの有機物、またそれらのコンプレックス/コンフュージョンしたものなど実に多様である。

日系佃煮系飴公のマテル佃はこのどろどろぬるぬるマテリアルをスライム/Slimeと名づけ、1977年だけで全世界に約1000万個を売った。大量のスライムは1990年台後半には新種の生物化学兵器の原料に転用された。初期の被害者は安倍晋三と野田佳彦である。二人に共通するケミカル・スライム・ウェポンによるとみられる疫学的症状は顔面土左衛門シンドロームとぬるくビミョーなスライム・スマイルである。


おまえら、戦争行ったことあるのか? 従軍経験は? 前線に身を置いたことは? 核兵器が炸裂するのをじかに目にしたことは? 耳元を銃弾が通りすぎるときの風切り音を聴いたことすらなかろう。泥水を飲んだことも飢餓えたこともひもじい思いをしたことすらも。

ないだろう。あるわけがない。そんなおまえらが大声で「戦争反対!」「過ちは繰り返さない」と叫んでも、わけ知り顔したり顔で能書き御託をならべても、夢の虫/バカなバタフライが甘藍畑をお気楽極楽に翔びまわるように能天気に喋々しても、1mmのリアリティもないし、ひとかけらの説得力もない。絵に描いた餅、ペーパームーン、絵空事だ。バカのひとつおぼえ、金科玉条のように「原爆忌」を持ち出した舌の根も乾かぬうちに大めしバカ酒くらうたわけ者どもが!

世界中に戦争、紛争は山ほどある。行ってこい。行ってじかに見て、聴いて、匂いを嗅いでこい。人体が木っ端微塵になり、肉と髪の毛が焼け焦げる様を音を匂いを。いまも放射線という視えない弾丸が飛びかう福島に住んでみろ。福島はまぎれもない戦場だ。

エアコンの効いた部屋でドビュッシーやらラヴェルやらビゼーやらを聴いて、E. カッシーラーやら三文小説/駄本/愚本/醜本/カビ本/ゴミ本/糞本を読んで、歌舞伎だお能だ落語だと歌舞音曲に血道をあげ、BBQでチーチーパッパラリパッパして御満悦鼻高々酔生夢死極楽とんぼしてるヒマとゼニがあるならよ。「戦争反対!」やら「過ちは繰り返さない」やらの話はそれからだ。

絶対の安全圏に身を置いていながら、きれいごとを100万言費やしたところでどこにも辿り着けないし、答えはなにひとつ出ないということだ。


黒い戦争/War (What Is It Good For?) - Edwin Starr (1970)
 
by enzo_morinari | 2019-08-08 09:00 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

浜菊はまだ咲くな。畔唐菜はまだ悼むな。軽々しくJAL123便墜落事故について語るな。語りつくせぬことについては沈黙せよ。軽々しく死について語る者は死からもっとも遠い者である。

 
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悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ。Hen Me-Yoh

死にまつわるくさぐさのことどもを「悲劇」などという言葉で回収しようとするな。死はつねに個々の死である。
なりかわりようのない他者の不幸、不遇、悲運について軽々しく語るな。語りつくせぬことについては沈黙せよ。
浜菊はまだ咲かない。畔唐菜はまだ悼まれていない。死について軽々しく語る者は死からもっとも遠い者である。


1985年(昭和60年)8月12日。JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落し、散華した日も『見上げてごらん夜の星を』を聴いていた。私は離婚協議に入っていた当時の妻の強い勧めでJAL123便から次の次の便に変更し、生きながらえている。まことに不思議だ。


経験の「け」の字も知らぬそのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は飽きることなく大雑把で空疎空虚な抽象/絵空事で語り、きれいごといい人ぶり善人ぶりを撒きちらし、つねに悲劇に眼差しを注いでいるポーズをとり、つねに悲劇と向きあう者を偽装する。まことに鼻持ちならない輩である。嘘くさい。いや、嘘そのものだ。

悲しいを100万回ならべても悲しみはわからない。楽しいを100万回ならべても楽しくない。苦しいを100万回ならべても苦しみは伝わらない。そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の言説はこのたぐいのものである。死んだ言葉の羅列。不誠実の極み。つまり、まやかし/A( )C/中身空っぽ。

そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は案の定、JAL123便墜落事故について地に足の着かぬうわべだけの美辞麗句の大安売り大売り出し叩き売り、魂の抜けた低次低劣低俗な言説、なんらの生活実感もない自立の思想的拠点なき安っぽい能書き御託、リアリティ、誠実/切実のかけらもない寝言たわ言を垂れ流した。そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は御巣鷹の尾根の五百二十の御霊、御柱を鎮魂慰霊する碑にただの一度も参することすらせずに訳知り顔したり顔でなにを語ろうというのか? 520の死体の総重量がどれほどになるか考えたことすらなかろう。

夏の盛りの容赦のない炎熱にさらされて、すさまじい腐臭を放つ木っ端みじんになった520人分の死体、総重量30tを超えるリアルな死の重さの前で目を背けず息を止めずにぬかずきつづけることができるか否か。その圧倒的な死の重さに耐えきれずに何人もの医師や自衛隊員や消防士や消防団員や警察官や役所の担当者やマスコミ関係者がみずから命を絶った。この事態をそのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊はなんと受けとめるか。阿鼻叫喚の機内で断腸のおもいで刻みつけるように記して妻に子にあてた痛切の最期の言葉/絶筆のふるえる文字を正視できるか。やはり、悲しいひどい苦しいという抽象/絵空事で片づけるのか?

散華した五百二十柱と遺された者の痛み苦しみ痛切痛恨苦悩困苦困憊をグリップできる者などいない。近親者、家族さえグリップすることが困難至難であるのに、そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は散華した五百二十柱とその遺族の痛み苦しみ痛切痛恨苦悩苦悶困苦困憊をひとくくり十把ひとからげにして軽々と語る。悲劇痛み苦しみ痛切痛恨苦悩苦悶困苦困憊をあたかもイベントのたぐいででもあるかのようにとらえるおぞましいほどの軽佻浮薄さ。

広島/長崎に原子爆弾が投下された日にはその殺戮の悲劇悲惨を上っ面皮相表層浅はかに語った。具体的な放射性物質の名も放射性同位体も内部被曝/外部被曝の別も生体濃縮も各放射線障害も知らずにそのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は核兵器についてなにを語ろうというのか? 大震災、原発事故についてもおなじだった。

いわく絆、いわく希望、いわく友愛、いわくがんばろう東北、いわくがんばろう福島というふうに。

3.11/3.14の出来事を大雑把で空疎な抽象/絵空事で語る者は直後からいて、そのような輩どもは絆/復興/希望/友愛/がんばろう東日本/がんばろう福島などという耳心地だけはいい言葉をどこか得意げに、そしていかにも満足げに垂れ流していた。

そのような輩どものリアリティのない一群の言葉はこの国の現在の心性をも象徴していたのであって、それらの使い古され、手あかにまみれ、虚しく空転する言葉はほどなく力を失った。当然のことだ。死者たちも、これから絶望と苦悩のうちに死にゆく者たちも、おまえたちにはなにひとつ期待などしない。いつか、おまえたちに身も凍るような惨事が降りかかることを祈っているのみだ。のたうちまわり、もがき苦しみ、むごたらしい死が訪れることを。

そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は8月15日には「戦争の悲劇」について待ってましたとばかりに軽佻浮薄に語るだろう。銃弾も飛んでこず、炸裂した迫撃砲の肉を切り裂き、骨を木っ端みじんにする破片も飛んでこず、ナパームの雨も降らず、下肢を吹き飛ばす地雷もなく、Killing Fieldsの対極にある平穏安穏としたSweet Homeで。坂口安吾は8月15日の突きぬけた青空を見上げて、人間は変わりはしない。ただ人間に戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。生きよ。堕ちよと言いきった。

74年の歳月を経て、1941年12月8日から1945年8月15日に起こったことをリアルに語れる者は鬼籍に入り、資料は散逸隠蔽されて、1941年12月8日から1945年8月15日に起こったことどもに向きあうことすら困難になりつつある。

そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊はバターン死の行軍もサンダカン死の行進もサンダカンの娼婦の館にまつわる痛恨痛切苦悩苦悶困苦困憊も決して語られることのない沖縄戦の実態もひめゆりの塔のいまだに癒されぬ乙女たちの叫びの隠された真実も知らぬだろう。そのポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊の百万言よりロバート・キャパの『斃れる兵士』の1枚の写真のほうがすぐれて悲劇の一端を撃ちぬく。この際、『斃れる兵士』がロバート・キャパによるものか否か斃れる兵士/フェデリコ・ボレル・ガルシアが実際に被弾したか否かは問題ではない。

1985年夏。JAL123便は群馬県御巣鷹山に散華した。1985年8月12日18時12分に羽田を離陸した123便は離陸から12分後の18時24分、圧力隔壁の爆発により垂直尾翼の大半を失い、ハイドロプレッシャー・システムの4系統すべてに致命的な損傷が及んだ。警告音ががなり立て、すさまじいダッチロールに見舞われつづける修羅場で、文字通り、全身全霊を注いで機体をコントロールしようと試みる機長は、絶望の淵に立ちつくしながら管制室に向かって叫んだ。

操縦不能!

操縦不能(Unable to Controle/Uncontrollable)という最悪の表現がなされたのは、木星号墜落事故以来、2度目のことだった。航空機の運航に際して、操縦不能というのは、即、死を意味するから、123便の機長が管制官にこの言葉を伝えたのは最悪の状況であったことのまぎれもない証である。事実、JAL123便の墜落事故は世界の航空機事故史上、最悪の結果となってしまった。機長は下顎部の一部がみつかっただけだ。歯の治療痕からかろうじて判明した壮絶な生の痕跡。

圧力隔壁の爆発から墜落までの機長、副操縦士、機関士の生々しいやりとりを克明に記録した「ボイス・レコーダ」が15年を経て2000年に陽の目を見た際、私はその最後のやりとりを録画して繰り返し聴いた。震えた。涙が止まらなかった。そして、人間は捨てたものではないという思いを強くした。

JAL123便のコクピットで行われた30数分間の痛切痛恨のリアルなドラマは、ギリシャ悲劇をしのぎ、アポロ13号のアクシデントにおける飛行士たちとNASAの地上スタッフによる壮絶な「生還への死闘」とともに人類史に永遠に記憶されるべきである。それは「人間はどこまで絶望と闘いうるか」という問いにはからずも答えた希有な記録だから。


死にまつわるくさぐさのことどもを「悲劇」などという言葉で回収しようとするな。死はつねに個々の死である。
なりかわりようのない他者の不幸、不遇、悲運について軽々しく語るな。語りつくせぬことについては沈黙せよ。
浜菊はまだ咲かない。畔唐菜はまだ悼まれていない。死について軽々しく語る者は死からもっとも遠い者である。


あまたの「滅び」を生き残った者もいつか必ず朽ち果てる。だからこそできることはただひとつだ。死者に言葉をあてがい、朽ち果てるそのときまで絶えることなく刻め。


死者にことばをあてがえ 辺見 庸

わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬(すく)え

砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ

浜菊はまだ咲くな
畔唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけのふさわしいことばが
あてがわれるまで


*辺見 庸『眼の海』より
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見上げてごらん夜の星を 木村充揮+近藤房之助 (男唄 ~昭和讃歩~/2007)

見上げてごらん夜の星を 坂本九 (1963) Classical Guitar Solo
 
by enzo_morinari | 2019-07-23 22:27 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/軽々しく「魂」という言葉をつかう愚か者に問う。ついでに、バカ丸出しガキ丸出しの耄碌糞ジジイ居残り佐平次の自他分離がどうたらこうたらのスッカスカのカス言説を大嗤いし、ヘソ茶をわかす。

 
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魂? それってうめえのか? どんなかたちだ? 何色だ? においは? 手ざわりは? 歯ごたえはどうなんだ? ダシはきいているか? まず、魂とやらをおれの手のひらの上にのせてみろ。魂の話はそれからだ。主客未分自他未分離の魂の抜けた腰抜け腑抜け間抜けバカ丸出しガキ丸出しの下衆外道木偶の坊耄碌糞ジジイの棺桶に首まで浸かった居残り佐平次は論外だ。


The Very Marvelous Best of Great Visible Individual Soul

The 100 Greatest Soul
 
by enzo_morinari | 2019-07-21 07:16 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

恨と仇討ち/やられたらやりかえす

 
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昭和20年の秋の夕暮れ。戦後間もない焼け野原の蒲田の駅前で往復ビンタを喰らわされた話を母親から何度も何度も聞かされた。母親は15歳の女子学生。相手は矢口でおなじ長屋に住んで懇意にしていた朝鮮人。その話をするときの母親はいつものクールさとスマートさを失い、怒りにふるえていた。

「だからあたしは朝鮮人も朝鮮漬けもニンニクもトンガラシも焼肉も大きらいだ」
「終わった話じゃねえかよ」
「あたしの中では終わってない。何十年経とうとね」

怒りはとけぬまま母親は死んだ。だから、母親の怒りは私が晴らす。仇討ちだ。生まれついてのデジタル人間だが心性はアナログだからアナクロも似たようなもんだ。長じて、母親に往復ビンタを喰らわせたやつを突き止めて殺しにいったがすでに殺されていた。一家皆殺し。不動産にまつわる揉め事が原因だった。

仇討ちは必ずやり遂げる。そう言われてどんな気分だ?

「恨の思想」だか「恨の文化」だか知らぬが、おまえらの言っていること/やっていることはそういうことだ。実にCPが悪い。ずっとやってろ!

キムチもカクトゥギもナムルもニンニクも唐辛子もコチュジャンもネンミョンもチジミもクッパもピビムバプもユッケもタッカルビも参鶏湯もチゲ鍋も焼肉も大好きだ。『アリラン』も『トラジ』も、歌詞もメロディーも秀逸ないい歌だ。在日韓国人と在日朝鮮人の友人は大勢いる。こどもの頃から助け、助けられた。おとなになってもだ。気心が知れ、気を置けぬかけがえのない宝物仲間だ。被差別部落/同和地区出身のやつもおなじだ。友人の在日韓国人と在日朝鮮人の中には下衆外道の居残り佐平次のような卑怯者、カスはいない。


*文句があるなら祖国とやらへ帰りやがれ! 恨を晴らしたいならテロルの決算書を書け! やられたらやりかえせ! 口先だけならああ言えば上祐にも劣る。
 
by enzo_morinari | 2019-07-18 00:11 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

プッ( *´艸`)プププッ It's never too late to learn? おそいけどな。せいぜい、ボンクラ息子とポンコツ孫の年金の心配でもしてろや! 下衆外道居残り佐平次!

 
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ものごとには早すぎることと遅きに失することとがある。経験のけの字も知らぬような甘ちゃんとおつむの中に極楽とんぼが舞い狂うお花畑が広がっているたぐいのアフォー/マヌーケ/ヴァカ/たわけ者が根拠なく It's never too late to learn.とたわ言をほざく。語学は勉強学習の対象じゃねえしよ。そんなことより、本業の性犯罪と盗撮と幼児性愛とネゲトに精を出すこった。カーッ(゚Д゚≡゚д゚)、ペッ ( ゚д゚)、ペッ


It's too late - Carole King (1971)
 
by enzo_morinari | 2019-06-19 13:20 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

誤字脱字だらけの寝言たわ言なうえに、てにをは/句読法/修飾法をはじめとする言語表現の基礎技術が未熟な者に「知性」言われてモナー。加藤”単独者”周一が曲がったヘソでドクダミ茶わかすモナー。

 
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反知性とは無関心、そして、すべてを善意と良心と常識とモラルで回収しようとする怠惰である。ML - K


Super Intelligence 1
Super Intelligence 2
Super Intelligence 3
 
by enzo_morinari | 2019-05-26 21:44 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

パースペクティブ/パラダイム/エピステーメーのない木偶の坊頬かむり下衆外道の居残り佐平次ごときうすらバカが歴史修正主義がどうの国益が滑ったの転んだのとほざくな!

 
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口先舌先三寸の進歩派(気取り)/インテリ(ぶりぶり)、しかして、その中身は姑息な保守反動/守旧派の反日の国賊/一貫性整合性のない眉唾者。それが木偶の坊頬かむり下衆外道の居残り佐平次。うせやがれ!


毎度毎度、木偶の坊頬かむり下衆外道の居残り佐平次の御託能書き寝言たわ言はちゃんちゃらおかしてくて屁も出ない。文句があるならKimtty Hwabyeongの国へ帰りやがれ!
 
by enzo_morinari | 2019-05-22 11:49 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/民俗の十字軍はなにゆえに酔漢としてキャメルイエローのロールスロイスのリムジーンに乗って帰還し、悲しくてやりきれない気持ちをかかえたまま仏ヅソ河を渡ったのか?

 
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心の耳でなければ聴きとれない音楽がある。Forest Seeker


ザ・フォーク・クルセダーズが歌っている『イムジン河』(作詞 朴世永/作曲 高宗漢/日本語訳詞 松山猛)はいわくつきの楽曲だ。東芝音楽工業(のちの東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)から発売される予定だったが、政治的配慮から発売中止された。なにが政治的配慮だ。忖度か? 斟酌か? 酌量か? ただ臆病風に吹かれ、小心姑息なだけだろう。腰抜け腑抜けめがよ。原発音頭でも出してチャンチキオケサやってるがお似合いだ。

ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』は、すでに13万枚が出荷されていたが、3万枚が未回収に終わった。未回収分3万枚のうちの1枚が貧乏長屋の仏壇の抽斗に入っていた。

イムジン河。知らない河だった。ポータブル・レコードプレイヤーで聴いた。悲しげな旋律曲調。水鳥は自由にイムジン河を越えて飛んでいけるのに自分はイムジン河を渡れないという歌詞がこども心にもたいそうしみた。ボリュームを大きくして聴いていると、貧乏長屋の住人のうちの何人かがやってきて、聴かせてくれというので四畳半の狭い部屋に入れてやった。

会津ほまれや白い酒(いま思えばマッコリかどぶろくだったんだろう)や焼酎や理研の人造酒/合成酒やトリス・ウィスキーやサントリー・レッドで酒盛りがはじまった。来訪者どもは『イムジン河』を何度も何度も聴きながら、朝鮮漬け(キムチ/カグテキ/ナムル等々)や唐辛子まみれの魚介やお好み焼き(チジミ)を肴にして飲み、食い、大声でくっちゃべり、ハングルで怒鳴り合い、歌い、泣いていた。ヨッパライ酔いどれ酔漢どもは小学生の私に酒をすすめた。ふざけたやつらだったが、たのしかった。やつらとはたのしい思い出しかない。

貧乏長屋には在日朝鮮人/在日韓国人が大勢住んでいたのだとわかるのはずっとあとだった。「文句があるなら国へ帰りやがれ!」と言うと、「おまえらに連れてこられたんだよ!」と言い返してきた。満面の笑顔で。「おまえらのアボジ/オモニ、ハラボジ/ハルモニが日本に連れてこられたとき、おれは産まれてねえよ!」と言うと、「わかってるよ。もう終わったことだ」と言ってすごくさびしそうな顔をした。そのさびしげで悲しそうな顔を見ると瞼が強く押された。いまもはっきりとおぼえている。大酒と貧弱な食生活と重労働が祟ったんだろう。どいつもこいつも若死にした。気が向くと久保山の墓地にお参りにいき、マッコリとキムチとムクゲの花を供える。そして、『アリラン』『トラジ』、そして『イムジン河』をいれたCD-ROMをかける。昭和の貧しくも楽しかった日々がよみがえる。

バイアスのかかった退屈で辛気臭くてつまらぬ100万言の言説よりも3分足らずの歌のほうがはるかに強度がある。心を打つ。魂が抜け、心の耳を持たぬ居残り佐平次やアメンボ小僧のたぐいの輩には聴きとることはできまいが。


イムジン河 ザ・フォーク・クルセダーズ (1968)

悲しくてやりきれない ザ・フォーク・クルセダーズ (1968)
 

 
by enzo_morinari | 2019-05-11 09:10 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(1)