カテゴリ:バイト日和( 1 )

バイト日和#1 神は数と重さと尺度からすべてを創造した。

 
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come.comのハンディカムに向かって総入れ歯をカミングアウトした途端に幸運がやってきた。


私の趣味は噛むことだ。私はなんでもかんでも噛む。宇宙を噛む。世界を噛む。思想を噛む。重力だってもちろん噛む。タキオンもタージオンもニュートリノも噛む。リーマン予想と宇宙際タイヒミュラー理論とABC予想とiPS細胞にも噛みついたがさすがに歯が立たなかった。ジョーズのやつは激突同然にひと噛みでやっつける。

『あしたのジョー』は愛読書だが梶原一騎も真樹日佐夫もあまり好きではない。石どもは朝めしの前に噛む。力石なんかチョチョイのチョイ。いつも噛んでいる石はローリングする意志あるターコイズ・ラピスラズリの42番だ。ローリングする意志あるターコイズ・ラピスラズリの42番の別名はローリング・シンキング・ストーン。テキーラ・サンライズに似た味がする。噛んでいると、誑かされた脳味噌の皺の足りない幾千万のティーンエイジャーたちの恨み節が聴こえることもある。鴨が葱背負ってカモナマイハウス♪ 鴨の燻製とカモノハシのクンニはどちらがうまい? 嘉門達夫はなぜ消えた?

こどもの頃から石で歯を磨く。枕もずっと石だ。かかりつけのドクター野本からは石歯磨きも石枕もやめるように言われているがやめない。薬石効なかろうが投石で捕まろうが知ったことではない。漱石は小学校に上がる前にすべて噛みつくした。漱石が産み落とした猫石は噛むとクシャミばかりする。ありがたいありがたい。なにがありがたいのかわからないが兎角にこの世はなにかというと角が立ち情に流されて窮屈で住みづらいけれどもありがたい。蟻が鯛を喰うくらいにありがたい。ありがたい歯ごたえである。

私の特技は齧ることだ。私はなんでもかんでも齧る。聞き齧るのは得意中の得意だ。そのほかにも見齧る(ウガンダ系日本人のハルキンボ・ムラカーミはとっくの昔に見限った)、舌齧る、林檎齧る(歯茎からちょっと血が出る。スティーブ・ジョブズはちょっとした友人だ)、丸ごと齧る、法律を齧る(悪しき隣人たる法律家どもには齧るどころか噛みつく)等々。まだまだある。火事があると知れば、どれほど規模が小さくてもすっ飛んでいく。元禄御畳奉行なみのフットワークの軽さだ。

伊藤さんちのハム太郎がローマイヤさんの鍛えあげたハムストリングスを齧ったのが発端となって全人類のポケットというポケットで噛みつき怪物たちが一斉蜂起したときはありとあらゆる噛みつきに慣れている私もさすがに焦った。鎌倉さんちのカム太郎と和睦したほどだ。和睦寸前、噛みつきネズミのピカチュウに乱入されて和睦は不調に終わったが。ニッポンはまったくもってヒモだらけだ。昨今の「紐付け」とやらには並行宇宙が垂直宇宙にひっくり返るほどヒッグス・ビックリするし、開いた口が質量ゼロになるくらい閉口する。感性の鈍磨した輩どもには慣性系は意味を失い、無化される。ガリレオ福山も同じ意見だ。

そのような次第で、私は断じて火事場泥棒をゆるさない。ひとの女房を寝取る下衆外道もゆるさない。ただ単に「快楽」に身を焦がし、窶しているにすぎぬのにもかかわらず、不全感だの不遇だのなんのかんのと愚にもつかぬ言い訳を仕立てあげた揚げ句に婚外性交にかまけるバカ主婦などはもってのほかである。賞味期限はすぐそこまで迫っているとも知らずに。私の使命はこの腐った世界の舵を取ることだが、これについては世界の七大秘密だ。明らかにするにはまだ時期が早い。

そんな私に石神井公園園長の石神さんを通じてうってつけのバイトの話が舞い込んだのはcome.comのハンディ・カムに向かって総入れ歯をカミングアウトした翌朝だった。ツール・ド・フランス級のロードレーサーやMOTO GPクラスのオートバイのフロント・フォークをバイタルに噛むバイトだ。バイタル・バイト・バイト。語呂もいい。完璧とさえ言いうる。まちがいなく誤謬のひとかけらもなく世界をベグリッフェンしている。フルヘッヘンドさせている。ターヘル・アナトミアな午後はすぐそこだ。杉田玄白先生も御満悦である。

そのバイト先の福利厚生用の図書室には『パイドン』のレクラムの原書と岩波の『プラトン全集』が備わっている。噛み疲れたときは図書室でマッサージを受けながら読書をしたり音楽を聴いたりできる。これは自由にできる。本人の自由意思に委ねられている。噛み疲れているのに図書室室長の神谷女史ときた日には涼しい顔をして尻に噛みつく。先週の火曜日には尻だけでなく耳にも噛みつかれた。噛みつかれただけではなくて、耳たぶをねっとりと舐められた。「好きよ、とっても。死ぬまであなたを噛みつづけたい」というカミングアウト付きで。安いインカムでこき使われるバイト仕事ですごく噛み疲れているというのに噛みつかれる者の身にもなってほしいものだ。それはさて置くとして、つまらない予断と偏見に満ち満ちた余談であるが図書係員見習いのピーター・アラカンさんはバイセクシャルだそうだ。だからどうした八百屋の五郎的話だが。レタスを4tトラックの荷台1台分食べても摂取できる食物繊維は微々たるものである。イカサママヤカシはやめろ。魚藍坂明るいビルのポンコツヘッポコオーナーのシゲサート・イトーイ! 明るい生活なんぞにはこれっぽっちも興味はないし、不思議は大好きだが元スカタンカクマルのおまえごときに四の五のと御託をならべられるおぼえはない。(「ほぼ日」解約するぞ!)

私は一日に一度は図書室に行って『パイドン』の民衆ギリシャ語の原書を読んだり、呉茂一の居眠りをしているような曖昧模糊としたテクストを読んだり、田中美知太郎のポンコツ翻訳の『プラトン全集』のページをめくったりする。田中美知太郎訳の『プラトン全集』は読まずにただページをめくるだけだ。そして、ときどき、ページを引きちぎる。ディオゲネスの犬の気分で。まったくもっていい気分だ。世界で一番気難しい樽になったような気分。ときどき歩行する貝殻のショーワ・シェルくんがやってきて首筋のまわりをセナ足をしながら歩きまわってくれる。気持ちいい。ガールフレンドとの金輪際冒険心が欠如したメイクラヴより100倍くらい気持ちいい。

バイト場にいつも流れているのはエルサレム・クワルテットが演奏するハイドンの弦楽四重奏曲17番『狩り』だ。エンドレス・リピートで。なにからなにまでが私のために用意されている。噛神が私の土砂降りカミカミ人生の御褒美にそのバイト先の会社を作ってくれたのではないかとさえ思う。

ジャン・ミシェル・ミゴーのアノニマス変奏曲『アノニマス・ガーデンのためのカンノーリとコンフィチュールとフィナンシェとピティヴィエールとクイニーアマンとグリッシーニとチューインガム/噛み』は毎年、6月4日の8時と20時にかかる。バイタル・バイト・バイト会社の社長のバイト者たちへの「虫歯に注意!」のひねりのないメタファーだ。まったく思想的センスのひと噛みもない社長には歯軋りしたくなる。バイタル・バイト・バイトの1日先輩であるゴマメさんだっておなじ意見だ。

噛神と初めて会ったのは靖国通りと外苑東通りが立体的に交差するきわめてペイトリオットな場所だ。あるいはトム・クランシー的な。そのとき噛神は「一日の花を嚼め。あるいは亀の頭」とかなんとか言いながらチューインガムをくちゃくちゃと音を立てて噛みながら田母神のいない防衛省のほうを見ていた。噛神はターコイズ・ブルーのチューインガムを靖国通りのうす桃色のアスファルトに吐き捨てると言った。

「噛んでる?」
「噛んでるよ。もちろん」
「いいバイトがあるんだけどいっちょ噛みしてみる?」
「うん」
「じゃ、石神井公園の園長さんのとこ行って」
「わかった」
「じゃ、これ。電車賃。右手出して」

私は左手の手のひらを地面に向けて差し出した。噛神は噛み残しのチューインガムを私の顔に勢いよく吐き出した。噛神の吐き出したチューインガムは私の鼻の頭に命中し、くっついた。カミーユ・クローデルが『骨をしゃぶる犬』に噛みついたときにつけていたムスクの匂いがした。

さて、そろそろバイトの時間だ。次に噛むのは「I'm coming!」を42回 Come Together して神々の黄昏カムフラージュから「!」マークがきれいさっぱり消えたあとだ。髪は長〜い友だちだし、「Numero pondere et mensura Deus omnia condidit」は私の家の家訓だし、神は数と重さと尺度からすべてを創造したし、神は平気の平佐で見捨てるし、紙は天才と基地外のあいだにある越えがたい壁だし、加味された料理はたいていヘッポコだし、神のペヨーテはバッキンバッキンに効くし、香美は広瀬だしすることをどうか忘れないでほしい。

(ひたすら噛みつづける)


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by enzo_morinari | 2018-04-05 08:48 | バイト日和 | Trackback | Comments(0)