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マイナス100度の太陽みたいに/私の「ホテル・カリフォルニア問題」あるいは『同時代ゲーム』に示された世界に関する答え

 
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マイナス100度の太陽みたいに身体を湿らす恋をして、めまいがしそうな真夏の果実は今でも心に咲いている。

曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げながら雨の気配をさぐる日々。かつて、 われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。


1983年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、ビーチサイドFMにセットしていたカー・ラジオから稲垣潤一の『夏のクラクション』が聴こえてきた。進行方向左手に2階建ての白い洋館が見えた。渚ホテルだった。右手にはきらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動。そうすることがあらかじめ決められていたようにパウダー・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ type14を停めた。そして、渚ホテルのペーブメントでUターンした。怪訝な表情を浮かべるベルボーイをバックミラー越しに見ながら、再び134号線に出て七里ガ浜駐車場をめざした。

齢の決算書をつくる過程で、泡の時代の「もうひとつの貸借対照表」のための参考資料として1990年前後の自分自身のテクスト、世に出たあまたのテクスト、楽曲/音楽を読み、聴きなおしている。

1990年の夏の盛りに出たサザンオールスターズの『真夏の果実』を聴いていたら無性に泣けてきた。『真夏の果実』の中に出てくる「マイナス100度の太陽みたいに」という言葉が突き刺さった。それは実体をともなってわが身を貫いた。マイナス100度の太陽は、当時もいまもかわらず微動だもせずに頭上にあり、私と世界を灼きつくし、凍りつかせながら輝いている。しかし、いまや世界に伝説の水曜日の大波と稲村ジェーンの消息を知る者はいない。

1990年夏。天国と地獄と残酷と冷酷と冷淡が嵐のように吹きすさんでいた。1990年の春には置き場所に困り、うなるほどあったゼニカネはものの見事に消え失せていた。あのときあったゼニカネはいったいどこに消え失せてしまったのか。すでにして30年近くが経過している現在もすべては解明できていない。これからここに書き示すのはマイナス100度の太陽のごとき日々の記録となるはずだ。


「好きなときにチェックアウトできるが、だれも立ち去ることはできない」@誠実な大江健三郎と『同時代ゲーム』に示された世界に関する答え。

私の「ホテル・カリフォルニア問題」はとても根深い。音楽。波乗り。ウエスト・コーストの上げ底で上っ調子な波。居場所のない青春。裏切り。嫉妬。欲得。愚劣な者と卑劣な者。あさましい魂と高貴な魂と無垢なる魂。友人の死。また別の友人の死。成就した恋。また別の成就した恋。失った恋。また別の失った恋。正しくある世界とうそっぱちの世界。

あの時代、特に『ホテル・カリフォルニア』を聴いたことを境に私は人間も世界も未来も過去もいっさい信用しなくなった。現在すらもだ。「うそっぱち」という言葉がよく口をつくようになり、口ぐせになった。

「うそっぱち」という言葉を武器のひとつとして私が世界デビューを果たした象徴的な出来事がある。高校2年の文化祭のときのことだ。演劇部の出し物で大江健三郎の『敬老週間』をやることになり、私に脚本執筆と演出の役がまわってきた。私は大江健三郎本人の承諾・許可を取らなければならないと強弁して(本音はただ大江健三郎に会いたかっただけなのだが)、東大の仏文を出たばかりの新米教師に大江健三郎と会うためのアポイントメントを取らせ、手土産代と交通費、そしてああでもないこうでもないと屁理屈をつけて合計5万円を生徒会の「文化予算」の中から支出させて、私は成城の大江健三郎宅を訪ねた。大江健三郎本人から快く承諾と許可をもらい、晩めしまでごちそうになった。

食後のお茶の時間。ドアの隙間からこちらを窺う大江光(イーヨー)を睨みつけて撤収させることに成功したのに気をよくした私はトワイニングのアールグレイを音を立ててすすってから大江健三郎に言った。

「大江さん、一杯の紅茶のためなら世界が滅んでもいいというのはいまでも有効でしょうか?」
「うーん。それはどうでしょうね。世界はすでに何度も滅んでいるというのがわたしの考えです」
「大江さんのおっしゃる世界というのは正しくある世界のほうですか? それとも、うそっぱちで出来あがっている世界のほうですか?」
「それについての回答はしばらくお時間をください。まさに僕が現在抱えている問題ですので」
「お時間というのはどれくらいのスケールを考えればいいでしょう?」
「そうですね。次回作の完成後ということでいかがでしょうか?」
「はい。それでけっこうです。私もそのあいだに自分なりの答えを出しておきます」

大江健三郎とすごした数時間はとても有意義で知的で親和性に富んでいた。いま思い返しても幸せな気分になる。そして、大江健三郎が言った「次回作」に答えは書いてあった。『同時代ゲーム』だ。大江健三郎は実に誠実な人物だと思った。

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DISK UNION に引き取られていった2500のウエスト・コーストと再生回数420.1回の『HOTEL CALIFORNIA』

一昨日の夕方くらいから、初めて『HOTEL CALIFORNIA』を聴いたのはいつ、どこで、どのような状況だったかずっと考えていた。考えているあいだじゅう、『HOTEL CALIFORNIA』を繰り返しかけた。再生回数420.1回。420.1? そうだ。最後の1回はドン・フェルダーとジョー・ウォルシュによるイントロのギター・ソロ部分でもはや耐えきれなくなってアンプリファイアーを Shut Down した。だから、正確には420回だ。『HOTEL CALIFORNIA』は6分30秒の楽曲であるから、私は「ホテル・カリフォルニア問題」を45時間半にもわたって考えていたことになる。丸々二日近く。眠らず、飯も食わず、一回だけラバトリに立ったほかはオーディオの前から離れなかった。「いままさに自分のいるこの場所がまぎれもない『HOTEL CALIFORNIA』である」と気づいたとき、421回目の『HOTEL CALIFORNIA』が始まった。もはや限界だった。

遠い青春の日々。「青春」などという甘っちょろい言葉では言いあらわすことのできない修羅と失望と諍いと悲しみの日々。そして、ある日を境に私は『HOTEL CALIFORNIA』をまったく聴かなくなった。『HOTEL CALIFORNIA』だけでなく、イーグルスをはじめとするウエストコースト・サウンド、さらには「ウエスト・コースト的なるもの」から遠く距離を置くようになった。

集めに集めたLPレコードはジャズと古典楽曲とレゲエとアフロビートと民族音楽を除いてすべてDISK UNIONに叩き売った。2500枚くらいあったと思う。当時、まだ無名だったサザンの桑田佳祐が私のレコード・コレクションを聴くために私の部屋に何回もやってきたほどだ。

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私はサーフ・ボードもスケート・ボードも手放した。サーフ・ボードは自分の命より大事だった。「1980年代」というスカで空っぽでうそっぱちでインチキな時代がすぐそこまで迫っていた。「1980年がやってくる前に死のう」と本気で考えていた。1950年代末に生まれ、黄金の少年時代を1960年代に生き、青春のただ中を1970年代に過ごしたんだ。もう思い残すことはない。あとは腐っていくだけだ。そう考えていた。実にいい考えだ。

悪運か強運か悲運かはわからないが、私は今日まで生き延びてしまった。生き延びてしまったが、当時の考えはいまもまったく変わらない。変わらないどころか日々強固に頑迷になっている。

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伝説の大波と先の見えない時代を乗り切るために作ったサーフ・ボード。ジェリー・ロペスが私にだけ教えなかった事と私にだけ教えてくれた事。

そのサーフ・ボードは茅ヶ崎海岸のサーフ・ショップでオーダーした特注品だった。トリプル・フィン。リーシュ・ホールなし。いま思えば斬新だ。革新、革命とさえ言いうる。ジェリー・ロペスの派手でアクロバティックなライディングがもてはやされていたサーフィン新石器時代だ。あの時代にトリプル・フィンのサーフボードに乗っていた波乗り野郎は世界に10人もいなかったはずだ。私のオーダー・シートを見るサーフ・ショップのオーナーもしきりに首を傾げていた。

「トリプル・フィン? なにこれ?」
「フィンがみっつ」
「やってくれるかな。かなり複雑だ。強度と剛性の問題もあるし」
「なんとかやってもらってよ。波乗りの神様のお告げなんだ。”トリプル・フィンの板を作れ。祈れ。そして稲村ケ崎の伝説の大波に乗れ。”って」
「ベース・カラーはピュア・ブラック?」
「漆黒。真っ黒けっけってこと」

オーナーは呆れ顔だ。

「で、稲妻はピュア・ホワイト」
「そう。純白。真っ白けっけ」

そこでオーナーはやっと笑った。

「真っ黒けっけと真っ白けっけ」
「そう。まさにおれのこと」
「よく言うよ。時間はきっちりもらうよ。この商売をはじめて20年になるけど、こんな複雑なオーダー・シートはみたことない。ボルトのシェイパー、ビルダーも目を丸くするぜ。やつらはきっと言うはずだ。”オー! マイ・ガッド! ディスオーダーだ! ディザスターだ!”」
「災厄って? それならいっそういい。ざまあみろだ。先っぽの角度と底のベルヌーイ・ラインの本数を増やして、形状ももっと複雑にしてやろうかな」
「おいおい。かんべんしてくれよ、樽くん」
「へへへ」

そんな思い出と思い入れのあるサーフ・ボードを手放すのはかなりの勇気が必要だった。きっかけはある友人の死だ。

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ヨシノ・コージの死と「ウエスト・コースト的なるもの」との訣別

私の特注サーフ・ボードは3ヶ月後の夏の初めにできあがった。ボードを砂浜に突き刺すとモノリスみたいに見えた。太陽の加減で白く見えることもあった。あるいは透明にも。ブラック・ライトニング・ボルト。あるいはホワイト・ライトニング・ボルト。存在の耐えられない透明な波乗り板。真っ黒けっけで真っ白けっけ。いろいろな矛盾をはらみつつ世界に確かに存在し、生きている私にはぴったりのサーフ・ボードだった。

何人かのサーファーがやってきてはああでもないこうでもないと私のサーフ・ボードについて話し、当然、彼らには「答え」も「結論」も、それらに類することも見つけられずに去っていった。私は心の底から思い、七里ガ浜の海岸に向かって吐き捨てた。

「おまえらごときにわかるわけねえよ」

プロ・サーファーのヨシノ・コージも私のサーフ・ボードの噂を聞きつけてやってきた。ヨシノ・コージは天才肌の波乗り野郎だった。私ともけっこう仲がよくて、七里ガ浜のヨシノ・コージの家のウッドデッキで何回かイケナイ・ルージュ・マジック・スモクをやったこともあった。ヨシノ・コージは体質的にイケナイ・ルージュ・マジック・スモクが利きやすいようで、すぐにオーバードーズになった。オーバードーズ状態になるとヨシノ・コージはかならず「乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン♪ 波に波に波に乗れ乗れ♪」を歌いながら完全オリジナル振り付けの波乗りダンスを踊った。それは見ものと言ってもいいくらいに見事な波乗りダンスだった。ヨシノ・コージの波乗りダンスの評判を聞きつけた史上最高の波乗り野郎、エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガーが哲学猫のデンケン・フォン・エクスペリメントと箱猫のシックスボックス・キャットと境界線上の猫のサウスオブボーダー・キャットを連れて見学にくるほどだった。

そして、私はそんなヨシノ・コージの死とヨシノ・コージの死をめぐるいくつかの出来事によってあらゆる「ウエスト・コースト的なるもの」に別れを告げるに至った。

これからここに私が書きしるすのは1970年代への「挽歌」としての『HOTEL CALIFORNIA』の思い出とヨシノ・コージという高貴で無垢なる魂を持つ者が時代と世界と臆病姑息強欲な下衆外道どもにどのようにして食い殺され、死んでいったのかという記録である。慰めなどない。何度も言うが慰めやら癒しやらはすべて村上春樹に任せてある。私の係ではない。

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嵐の朝に君に告げるべきこと。「サザンビーチちがさき」などというふざけた名前がつくずっと前の茅ヶ崎海岸と鼻先で舞い踊るSEX WAXの甘い匂い。ホンモノかただのカスかの分かれ目

当時の湘南エリアにおける波乗り状況は最悪だった。波がない。あるのは膝小僧くらいまでしか立たない波だ。湘南エリアでまともな波が立つのは稲村ケ崎における第一水曜日の夕方だけだった。伝説の大波。稲村ジェーン。映画はひどいものだったが、「伝説の大波」は本当の話だ。「伝説の大波」に乗った伝説の波乗り野郎7人のうちの一人が『珊瑚礁』のいまは亡き名物オーナー、髭デブアロハおやじだ。髭デブアロハおやじは日本初のロングボード・ライダーでもある。そのことを知る者はいまや私をのぞいてジェリー・ロペスくらいのものだ。

ろくな波がないにもかかわらず、「サーフィンとサーファーはカッコイイ」というポパイだかオリーブだかブルータスだかのマガジンハウス系の腑抜けた雑誌に踊らされた者どもが大挙して湘南エリアに押しかけ、胸を反り返らせるまともなパドリングもできないような軟弱でいかにも脳みその皺の本数が少なそうでA( )Cな奴らが芋でも洗うように湘南の海に浮かんでいた。

いくら待ってもまともな波は来やしない。逆に台風が接近して大きくていい波が入り、風がみごとにオフショアとなる絶好の「波乗り日和」には「自称サーファー」の数は激減した。「毎日でも嵐がくりゃいいんだ」とヨシノ・コージと渡辺香津美の『嵐ノ朝ニ君ニ告グ』を聴きながら笑いあったことがなつかしく思い出される。

マットンヤー・ユミーンの歌のいくつかも「自称サーファー」と「自称サーファー」のステディ志願の脳みそのしわのないツルリンコシャン馬鹿おんなどもの増加と湘南侵略に拍車をかけ、「自称サーファー」が色とりどりのサーフ・ボードをクルマの屋根に乗せて湘南エリアに殺到した。中にはクルマの屋根にサーフ・ボードを乗せ、身なりはアメリカの西海岸から一昨日帰ってきたばかりとでもいうような「ウェスト・コースト風」にキメていながら海に入ることすらしないばかりかクルマにもたれているだけの「陸サーファー」がけっこういた。彼らはクルマの窓を全開にし、カーステレオの音量をMAXにして見せびらかすようにウェストコースト・サウンドをかけた。

J.D.サウザー、ジャクソン・ブラウン、ドゥービー・ブラザース、ポコ、リンダ・ロンシュタット、そして、イーグルス。しかし、選曲についてはお世辞にもセンスがあるとは言えなかった。

センス。大事なのはセンスだ。センスのない奴はなにをやってもダメだ。センスのない奴らが何百万人集まろうと生まれるのは愚にもつかないおべんちゃらときれいごとだけだ。
重要なのは数じゃない。たった一人で炎の中心に立ちつくす勇気を持っているか持ちつづけることができるか。まさにそこがホンモノかただのカスかの分かれ目だ。

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『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじの思い出。帰らぬ青春を惜しむならなにゆえに生きながらえようとするのか?

1970年代には七里ガ浜の山の上にあるレストラン『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじはまだ生きていて、元気で、ぶっきらぼうで、べらんめえだった。

会いたい。髭デブアロハおやじにすごく会いたい。七里ガ浜で湘南のロコ野郎どもと乱闘寸前になったとき、髭デブアロハおやじが仲裁に入ってくれた。ロコ野郎どもが去ったあと、髭デブアロハおやじは私の肩を叩き、「よく我慢した。褒めてやる。店にこい。好きなだけ飲んで、好きなだけ喰え。御褒美だ。いいな?」とドスのきいた声で言った。真っ黒に日焼けした顔がすごく爽快だった。爽快そのものだった。50年以上生きてきたが、髭デブアロハおやじの笑顔くらい爽やかな笑顔にはお目にかかっていない。

理由も理屈も説明も言い訳もいらない人生があるのだということを私は『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじから教わった。仕事中に心臓麻痺で死んじまってからいったい何年が経つんだ? 『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじのことをおぼえている奴はまだいるのか?

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1978年夏、七里ガ浜駐車場合戦

1978年夏。七里ガ浜駐車場合戦は珊瑚礁ビーチ・サイド店のテラスに置かれたアルテックA7シアター・モニターから大音量のアール・クルー『Summer Song』が聴こえると同時にその火ぶたを切った。序盤、地の利を生かした横浜・横須賀・湘南連合軍がゲリラ戦法により東京勝てば官軍を江の電七里ガ浜駅前まで追いつめたが、軍勢、物量ともにまさる東京勝てば官軍は鶴翼の陣形によりじわじわと形勢を挽回し、ついには横浜・横須賀・湘南連合軍を稲村ケ崎の古戦場まで追いつめた。いま、まさに横浜・横須賀・湘南連合軍が湘南の海の藻くずと消えんとしたとき、神風が吹いた。日蓮が首を刎ねられかかったとき以来、800年ぶりに吹く神風であった。天はしかし、横浜・横須賀・湘南連合軍に加勢したわけではなかった。両軍がまさに白兵戦に入ろうとしたとき、天はとっておきの采配をふるったのである。

忘れられたBIG WAVE、稲村ジェーン。

天は伝説の大波を両軍めがけて解き放ったのだ。稲村ジェーンは轟々と、しかし、静かに押し寄せ、横浜・横須賀・湘南連合軍と東京勝てば官軍の両軍を飲み込んだ。そして──。

七里ガ浜駐車場から横浜ナンバー、横須賀ナンバー、相模ナンバー、品川ナンバー、練馬ナンバー、足立ナンバーが消え、音楽はアール・クルーから矢沢永吉へとかわり、埼玉・群馬・茨城・千葉ヤンキー軍による戦国時代へと突入した。

小夏中将麻布椰子の守御茶亜「来世では仲良くしよう。」

燕蔵少将本牧埠頭の守樽麻呂「はい。ぜひ。」
小夏中将麻布椰子の守御茶亜「それまでは、なにして遊ぶ?」
燕蔵少将本牧埠頭の守樽麻呂「百年の孤独をかこちましょう。」

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【背景音楽】

The Eagles
『Hotel California』『Life in the Fast Lane』『After the Thrill is Gone』『Desperado』

America
『A Horse with No Name』『Ventura Highway』

Crosby, Stills & Nash
『Our House』『Helpless』

Nicolette Larson
『Moon & Me』

Neil Young
『Harvest Moon』

Pat Metheny Group
『Travels』

Salif Keita
『Folon』『Mandjou』

加古隆
『風のワルツ』『黄昏のワルツ』『パリは燃えているか』

宇多田ヒカル
『Time Will Tell』

夏川りみ
『童神~ヤマトグチ~』

Andrea Bocelli
『Somos Novios (Duet with Rimi Natsukawa)』

Stevie Wonder
『Ribbon in the Sky』

HAPA
『Pau 'Ole Ka 'I'ini』

Teresa Bright
『Hula Heaven』

Third World
『Lagos Jump』

Tina Louise
『It's Been a Long, Long Time』

Tom Waits
『Grapefruit Moon』『Drunk on the Moon』

Quincy Jones
『Back on the Block』

George Benson
『Ode to a Kudu (Weekend in LA)』『Being with You』

渡辺香津美
『DOGATANA』『E-DAY PROJECT』『嵐ノ朝ニ君ニ告グ』

ビートたけし
『浅草キッド』

吉田美奈子
『星の海』『Airport』『月明かりの中庭』

松田聖子
『Sweet Memories』

大滝詠一
『カナリア諸島にて』『Velvet Motel』

Heavy D & The Boyz
『Now That We Found Love (feat. Aaron Hall)』

2PAC
『California Love』『Ghetto Gospel』『My Own Style』

AK69
『One Way, One Mic, One Life』

Joe Sample & Lalah Hathaway
『Street Life』

Grover Washington Jr.
『Winelight』『Just the Two of Us』

Jonell Mosser
『Ordinary Splendor』

June Christy
『Something Cool』

Keith Jarrett
『Country』『I Loves You, Porgy』『My Wild Irish Rose』『Be My Love』

『Danny Boy』
Danny Walsh, George Jamison, Norman Stanfield & William Paterson, Charlie Haden & Hank Jones, Michel Petrucciani, Celtic Woman, Eva Cassidy, Sarah Vaughan, Glenn Miller, Art Tatum, Bill Evans, Brigid Kildare & Sinead O'Connor

naomi & goro
『Home Sweet Home (Good Night Version)』

New York Jazz Trio
『Memories of You』『When You Wish upon a Star』

New York Quartet
『Maturity/New Cinema Paradise』

Jacky Terrasson
『Sous le Ciel de Paris』

GONTITI
『いちばん大事なもの』『放課後の音楽室』『Closed Book』

Jackson Browne
『Jamaica Say You Will』『The Load Out』『Stay』『Late for the Sky』

Jack Johnson
『Better Together』『Never Know』『Better Together (Live at The Moonshine Festival. 9 Oct, 2004)』

Earl Klugh
『Summer Song』『Long Ago and Far Away』

Ennio Morricone
『Once Upon a Time in America』『Friendship and Love(feat. Edda Dell'Orso)』

The Crusaders
『Soul Shadows』『Street Life(feat. Randy Crawford)』

Sting
『Shape of My Heart』『The Pirate's Bride』

Craig David
『7 Days』『Time to Party』

Southern All Stars
『忘れられた BIG WAVE』『真夏の果実』『TSUNAMI』『逢いたくなった時に君はここにいない』『涙のアベニュー』『夏をあきらめて』『いとしのエリー』『Oh! クラウディア』『Ya Ya ~あの時代(とき)を忘れない~』『勝手にシンドバッド』『匂艶 THE NIGHT CLUB』

山下達郎
『さよなら夏の日』『Groovin'/Rainy Sunday Afternoon (Live in Hayama 1980)』『Loveland, Island』『My Sugar Babe』『Ride On Time』『MONDAY BLUE』『The Theme From Big Wave』『Endless Game』『Morning Glory』『I Love You . . . Part1&Part2』『潮騒』『2000トンの雨』『2000トンの雨 (2003 New Vocal Remix)』『ずっと一緒さ』

荒井由実
『ひこうき雲』『海を見ていた午後』『さざ波』『晩夏(ひとりの季節)』『航海日誌』『私のフランソワーズ』『あの日にかえりたい』『空と海の輝きに向けて』『朝陽の中で微笑んで』『天気雨』『何もなかったように』

松任谷由実
『サーフ天国、スキー天国』『シーズンオフの心には』『恋人と来ないで』『潮風にちぎれて』『あの日にかえりたい [acoustic version] feat. Lisa Ono』『雪月花』『Good Luck and Good Bye』『シンデレラ・エクスプレス』『ノーサイド』『ロッヂで待つクリスマス』『グレイス・スリックの肖像』『時のないホテル』『雨に消えたジョガー』『スラバヤ通りの妹へ』『9月には帰らない』『青いエアメイル』『NIGHT WALKER』『最後の春休み』『Tower Side Memory』

岡崎律子
『For フルーツバスケット』

宮本文昭
『風笛』

久石譲
『マルコとジーナのテーマ』

Skeeter Davis
『The End of The World』

Israel "IZ" Kamakawiwo'ole
『Somewhere Over The Rainbow/What a Wonderful World』

(つづく)
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真夏の果実 Southern All Stars
 
by enzo_morinari | 2019-12-14 22:35 | マイナス100度の太陽みたいに | Trackback | Comments(0)