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カテゴリ:殺さなければ殺される。それが戦争だ。( 1 )

殺さなければ殺される。それが戦争だ。/戦争中に北京と南京と天津と上海と重慶と武漢とハルビンと満州で256人の中国人を殺した生物学上の父親はすべてを墓の中に持っていった。

 
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殺さなければ殺される。それが戦争だ。生物学上の父親


生物学上の父親は戦争中に北京と南京と天津と上海と重慶と武漢とハルビンと満州で256人の中国人を殺した。殺した中国人の中には二重スパイとして雇っていた者もいた。

戦争中に起きることはすべてリアリズムである。戦争は愛国心だの赤心だの大義だの忠義忠節だの人道だの良心だの悲惨だの残酷だの狂気だのという曖昧なタームではなにひとつ解読できない。

生物学上の父親は梅機関の特務機関員だった。諜報員、スパイだ。繰り上げ卒業し、仙台で入隊した。生来の資質を買われて選抜され、特務機関員としての訓練を受けた。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚が鋭敏なこと。観察力、分析力、類推力がすぐれていること。記憶力がいいこと。エモーショナルな安定性(感情の起伏がないこと)。語学力にすぐれ、語学に堪能であること。経済に強いこと。そして、運動能力。

聴こえないふり、聴いていないふり、見えないふり、見ていないふりをするのはお手のものだった。特務機関員としての訓練で身につけたのだ。そして、生物学上の父親は中国大陸で悪逆非道のかぎりをつくした。謀略、破壊工作、内乱誘致、殺戮。

生物学上の父親は戦争中に起こったこと、経験したことの詳細を克明におぼえていた。年月日、時系列まで事細かに。◯◯月◯◯日◯◯時◯◯分にどこでだれにカネをいくらなんのために渡したか。いつどこでだれとなにを食ったか。飲んだか。なにを話したか。同様にいつどこでだれをなぜどうやって殺したか。殺害に使った銃の型式、刃物の形状、凶器の種類。殺害方法。射殺。斬殺。刺殺。扼殺。絞殺。薬殺。撲殺。爆殺。溺死。その他。

生物学上の父親は正確に微に入り細に入り諳んじることができた。生物学上の父親は私に1937年7月7日から1945年8月15日までの8年余りの年月に自分が見聞きし、感じたこと思ったことをすべて話した。さらには、1945年8月15日から、C級戦争犯罪人としてニューギニアのジョスンダで現地処刑(銃殺)のはずが命からがら生き延びて復員するまでの飢餓と渇きと屈辱と虜囚の日々を。

戦後、ずいぶん経ってから横井庄一がグアム島から帰国したときの騒ぎについては吐き捨てるように悪態をついていた。「無様醜態をさらしやがって」と。フィリピンのルバング島のジャングルから出てきたときの小野田寛郎の鋭い眼光について、「これが本物の訓練を受けた者の眼だ」と言ってはらはらと涙を流した。

齢93まで生き延び、身罷るまで、口封じのためにもっとも中国人を殺した1945年の夏はその後の生物学上の父親の人生にずっと影を落とした。夏が来るたび、生物学上の父親は狂気に支配され、別人になった。精神も容貌も。それもまた戦争がもたらすものである。

終戦? 敗戦? 戦争は終わっていない。生物学上の父親の中でも私の中でも。6000万を超える人間の命が失われた戦争が100年足らずで終わるわけがない。戦争は永遠に終わらない。

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オルタナティブ・ヒューミント
名刺には「内閣情報調査室 調査官三谷秀喜」とだけあった。

「内調さんがなんの御用で?」

私は三谷から片時も眼を離さずに言った。

「樽さんに是非ともお力添えいただきたいことがありまして」

三谷は左手の親指を右手の親指の腹で擦りながら言った。三谷は一見すると身なりに隙がなかった。スーツの仕立ては良かったし、シャツとネクタイのコーディネートもクールでスマートだった。眼鏡はサヴィル・ロウのSR Executiveで気品と知性があった。時計がロレックスというのはいただけなかったがぎりぎりで許容範囲だ。しかし、靴がすべてを台無しにしていた。合成皮革のゴム底靴で戦うことはできない。たとえ相手がコソ泥であってもだ。

「ギャラは高くつきますよ」
「承知しております」
「事と次第はいっさい問いませんがね」

三谷の顔にわずかだがやっと光が射した。

「さて、お話をうかがいましょう」

私は膝の上のポルコロッソを撫でながら言った。

「端的に申し上げます。樽さんのお父上は大戦中、梅機関で諜報謀略活動をされておられましたね?」

私は答えるかわりにポルコロッソを膝からおろし、座りなおした。三谷の眼がSR Executiveの奥でかすかにほくそ笑んだのがわかった。

「お父上が残された資料の類をすべて引き渡していただきたい。すべてです。譲歩はありません」
「拒否したら?」
「拒否はできません。国家意思ですから」
「血みどろの戦いになるぞ。少なくともあんたの時計と靴では引金に指をかけることすらできない戦いだ」
「覚悟はできております」
「わかった。では、戦場で会おう」

三谷はうなずき、立ちあがった。そして、一礼すると踵を返し、出口に向かった。背中には揺るぎなき意志の力があった。「しんどい戦いになるな」と私は独りごち、傍らで不安そうに私を見上げるポルコロッソに声をかけた。

「だいじょうぶだ。心配するな。私は負け戦はやらない」

(影佐禎昭の魂は魔界都市・上海に宿る)
 
by enzo_morinari | 2019-08-14 10:42 | 殺さなければ殺される。それが戦争だ。 | Trackback | Comments(0)