カテゴリ:流儀と遊戯の王国( 24 )

牌の痕 ── そして、銀座2丁目の路地裏に朝がきて、男たちはそれぞれの戦場へと帰還した。

 
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泡の時代のまっただ中、1988年の冬。クリスマス・ソングが街のあちこちから聴こえていた。私は血煙を上げながら仕事をしていた。カネはうなるほどあった。いずれ、世界一の大金持ちになってやると思っていた。愚かだった。舞い上がっていた。奢りたかぶっていた。生涯最高最悪にして忘れえぬ麻雀の対戦が迫っていた。

その頃、私は30歳になったばかりの若造だった。怖いもの知らずの小僧っこだった。心をゆるしたごく少数の年上の理解者をのぞけば、だれにも頭を下げなかった。傲岸不遜を絵に描いたような輩だった。周囲はそれをゆるし、私はそれを当然のことと受け取った。嫌なやつも甚だしいといまにして思うが、当時は露ほどの反省もない日々を生き、浮かれ騒いでいた。

麻雀牌に初めて触れたのは7歳の秋。おとなたちのやっている麻雀をひたすら観察し、麻雀のルール、約束事、掟をおぼえた。すぐに麻雀に取り憑かれた。

麻雀卓を囲んだのは麻雀牌に触れてから2ヶ月後の正月である。勝った。勝ちつづけた。最初は笑っていたおとなたちの顔色が少しずつ変わっていき、遂には真顔になった。怒ってわけのわからぬ奇声を発する者まで現れた。

結局、私の圧倒的な一人勝ち。ほかの3人は箱テンだった。ただ勝ったことが嬉しかったのではない。対戦者を完膚なきまでに叩きのめしたことが嬉しかった。私のそのメンタリティは生来のものである。手加減なし。容赦なし。いまもそれは変わっていない。

麻雀は運と記憶力と構成力と観察力のゲームである。麻雀の上手下手を技術力の高低のように言う者が時折いるが、私はその考えを取らない。運が7割。あとの3割は記憶力と配牌から和了までをいかに組み立てていくかという構成力と対戦者の心の動きを見抜く観察力である。運、ツキのないときはいくらやっても勝てない。

私は運気を読むことに長けていた。これも生来のものだ。運、ツキがないと思ったら、どんなに誘われても断る。これは麻雀に限ったことではない。もちろん、運気、潮目を見誤るときはある。最大の誤謬はバブルの時代の引際を見誤ったことである。そして、すべてを失った。

その泡の時代の全盛期。ある画商から麻雀の代打ちを依頼された。私が麻雀が強いことは関係者の間ではつとに知れ渡っていたのだ。儲けは折半。つまり、山分けである。負けた場合も同様である。レートは1000点棒1本が100万円。箱テンを喰らえば3000万円が消えてなくなるというとんでもない麻雀である。だが、強い運気を感じた。私は二つ返事で代打ちを引き受けた。必ず勝てるという確信に近いものがあった。

ゲームは12月23日の昼から始まった。場所は銀座2丁目の裏通り、とある雑居ビルの一室。秘密クラブだった。扉は分厚い鋼鉄製で、何重にもセキュリティが施されていた。豪奢な調度類と快適な空調、そして至れり尽くせりの響応。ソファにはマッサージ機能までが備わっていた。およそ麻雀をやるうえで考えうる最上の設備と環境だった。ここでいままでにいったい何百億のカネが動いたのかと考えると自然に武者震いが起った。

対戦者はいずれも初対面だった。どいつもこいつも顔をてらてらてかてかさせ、ダブル・ブレステッドのスーツを着込み、ヴェルサーチのド派手なネクタイを締め、カルティエやらデュポンやらダンヒルのライターをかちゃかちゃ鳴らしていた。「こんなやつらなら、ひとひねりだ」と私は思った。だが、それは大きなまちがいであったと気づくのに時間はかからなかった。

麻雀は短編小説を紡ぐのに似ている。配牌は書き出し。但し、これには自分の経験、知識、考え、配慮、好き嫌いは及ばない。ただ厳密には、自分の持っている運気、ツキが目の前の14牌乃至は13牌を配すると言えなくもない。幸運か天運か強運か、はたまた悪運か悲運か。それはこの際、問題ではない。この段階の最高の運は和了していること。すなわち、天和である。天和を和了すると命運が尽きて命を失うなどというのは妄言である。麻雀ごときで命を失うような命運なら尽きてしまったほうがよっぽどいい。

次は第1ツモもしくは対戦者の捨て牌による和了である。ツモって和了すれば地和。対戦者の捨て牌で和了すれば人和。ルールにもよるが、いずれも役満貫である。

そして、いよいよ次のフェーズからが麻雀本来の醍醐味である。牌をツモる。手牌の組合せは98,521,596,000通りある。役の高低の別はともかく、98,521,596,000通りの中に和了は存する。すでに手の内にある牌の順列組み合わせ、確率、場に捨てられたそれぞれの牌種、ゲーム全体の流れ、対戦者の顔色、表情、仕草、発言、そして自分の勘の冴え、閃きの確度等々について勘案する。それも短時間のうちに。ここでモタつくとゲーム全体の流れを乱し、自分の運気にも影響を及ぼしかねない。

私は確率論的にもっともツモる確率の高い牌種から順番にプライオリティをつけ、どの牌をツモったらどの牌を捨てるかツモる前に決めておくからツモと同時に打牌を行う。対戦者へのプレッシャーの意味合いもある。もっとも、対戦者のポン、チーによってそれが乱されることもある。これはいたしかたない。なにごとも思うようにはいかないというのは麻雀においても言えることである。そして、和了へ向けて物語はつづく。

臨機応変、変幻自在にストーリーを変えながら和了することができればそれは物語のひとつのオチである。当初に想定したとおりの役で和了できたときの快感はたいへんなものだ。和了がれなければオチなし。どんなに手役がよくても、たとえ、九蓮宝燈を聴牌していても和了できなければオチのない役立たず、駄作以下ということになる。

さて、箱テン3000万円麻雀は静かに幕を開けた。ゲームは対戦者全員気負いもなく、スムーズに進む。つまらぬ鳴きがないのはいい傾向だった。「喰いタンヤオなし。役の完全先付け」ルールが功を奏した格好だ。

私の下家がいきなり清一色をツモ上がり。レイトン・ハウスの専務だった。名うての地上げ屋。顔に覚えはある。1200万円を手にしても眉ひとつ動かさず、涼しい顔をしている。クールだった。

1荘。2荘。3荘。4荘。5荘。6荘。7荘。8荘 ── 。一進一退の攻防がつづいたが、私はジリ貧だった。終局し、集計のたびに数百万円の札束がボストンバッグから消えていく。焦りがなかったといえば嘘になる。だが、必ず勝利できるという確信に微塵も揺らぎはなかった。

「最近の地上げはどうですか?」と株式投資コンサルタント会社の社長が言った。
「ほんなもん、ぼちぼちですわ」と第一不動産の常務が答えた。締まりのない関西弁に虫酸が走る。私がもっとも忌み嫌うタイプの男だった。
「赤坂9丁目の物件、どないしましょ?」
関西弁男がレイトン・ハウス専務に言った。レイトン・ハウス専務はカプリを1本抜き出して火をつけ、深々と吸い込んだ。そして、答えた。
「仕事の話はやめましょう。きょうは遊びにきたのでね」

箱テン3000万の麻雀が遊びか。やはり、クールなやつだ。この男とはいい付き合いができると思った。暗黙のうちに、私とレイトン・ハウス専務VS関西弁男と株屋という対立図式が出来上がった。負けは数千万にのぼっていたが、不思議な闘志が湧いた。どのような戦いにも戦友は必要である。

そして、ついに最終荘。南場最終局、起家。配牌はマンズ気配濃厚。ドラの五萬と南はトイツだ。アンコにすれば、それだけで四翻。ソーズとピンズの端牌が混ざっている。清一を狙うか。ドラをアンコにして南一翻を加えたうま味を活かすか。迷った。大いに迷った。そして、決めた。

打牌、五萬。誰ともなく、「えっ」という嗚咽が洩れる。流局はすでに8度。親である私の卓の右隅には8本の100点棒と12本のリーチ棒。1280万円が無造作に並んでいる。リャン翻縛り。これで、安い手役で上がる道は閉ざされた。

最終章は静かに進んだ。緊張が徐々に高まる。中盤すぎ、それまでの5巡、ツモった牌をすべて牌中に収めていた関西弁男がドラ切り。表情と顔色と仕草から見て、かなりの好手であることがわかる。レイトン・ハウス専務がすかさずチー。これで流れが変わった。

私は勝負に出た。意識は冴え冴えと澄みわたり、すべての流れが見通せた。勝てると思った。勝ったと思った。

待ちに待ったカンドラの九萬が入る。六萬九萬の聴牌。次巡、六萬をツモり、和了。ツモピンフサンショクドラ1。親マン。凡庸きわまりない。和了役と点数と負けている分を差し引きする。負け越し。場を見る。私が喉から手が出るほど欲しいのは九萬だ。

四枚のうち、私の手牌の中に1枚。そして、場に2枚。残るは1枚。どうしても欲しい最後の1枚。牌の山に眼を凝らす。次のツモは海底牌だ。

考える。再度、海底牌に眼を凝らす。考えをめぐらす。だめだ。こんなつまらぬ手役できょうの物語を終わらせるわけにはいかない。こんなことのために困難な戦いをつづけてきたのではない。これは誇りに関わる問題である。

さらに、海底牌を見る。じっと視る。凝視する。見えている部分をすべて視る。そして、私はこの和了を捨てることに決めた。

ゆっくりと和了牌の六萬に指を伸ばし、掴み、打牌した。天の意思も大地の歌も人間の息づかいも河の流れも海のうねりもすべて視えた。心は穏やかで晴れ晴れとしていた。

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「男前リーチ!」

私は打牌と同時に宣言した。対戦者の驚く表情が愉快でならなかった。最後のツモ、最後の九萬にすべてを託す。

場が一気に緊張する。下家のレイトン・ハウス専務は淡々とした表情でツモり、迷うことなく現物牌を捨てる。同じく、株屋も現物打牌。さんざん迷ったあげく、関西弁男は六萬を打牌した。「ドラ4やったのになあ」の女々しく醜い言葉とともに。

そして、そのときはきた。私は海底牌から一刹那さえ眼をそらさず、手を伸ばし、やさしく指先で牌にふれ、その感触を味わった。指先から温かく深く確実なものが流れ込んでくる。眼を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出した。牌を持つ腕をゆっくりと振り上げ、振り下ろす。私は牌面を確かめることもなく、人差し指と中指と親指でつまんだ牌を卓上に叩きつけた。

「ツモッ!」

リーチ一発ハイテイツモピンフジュンチャンサンショクイーペーコードラ5。

門前清自摸和海底摸月平和三色一盃口同順純全帯ヤオ九ドラ5(興味のある方はこの和了を計算していただきたい)。さらに、オーラスの変則青天井&倍々ルール。

勝った。対戦者の感嘆の声と深い溜息。逆転勝利。しかも大逆転勝利。結局、私の懐には2億円近いカネが転がり込んだ。もちろん、そのカネも数ヶ月後には泡と消える運命ではあったが。しかし、反省も後悔も一切していない。反省やら後悔は頭のよろしい方々にすべてお任せしてある。私の係ではない。

さて、なぜ私は最後の九萬に賭けて、あえて和了牌である六萬を捨てたのか?

牌の痕である。九萬牌の右上隅についていた微小微細な痕によって、私は私がツモる海底牌が九萬の最後の一枚であることをわかっていたからである。

長く険しい戦いを終え、我々は明け方の銀座に出た。4人とも実に晴れ晴れとした顔をしていた。銀座4丁目の交差点まで歩き、握手を交わし、いつかの再会と再戦を約束した。そして、それぞれの戦場へと帰還した。

再会も再戦も果たされぬまま四半世紀以上の歳月が過ぎた。そのあいだに泡は弾け、一人は自死、一人は自己破産、レイトン・ハウス専務は国外逃亡中である。私が麻雀卓を囲むことはもはやない。私の傷は癒えた。牌の痕もいつか消える。奇跡は二度あるものではない。

1988年冬、泡の時代のクリスマス・イヴ。和光前で聴きたかったのはナット・キング・コールの『メリー・クリスマス・トゥー・ユー』だったが、聴こえてきたのはビング・クロスビーの歌う『ホワイト・クリスマス』である。ツモったのは白ではないし、雪も積もらなかった。この人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。
 
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by enzo_morinari | 2018-07-02 00:41 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(3)

究極のマティーニと古い友情の終わらせ方

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古い戦友の命日。戦友との思い出がぎっしり詰まった酒場に足を運んだ。20年ぶりだ。戦友は探偵で、腕っぷしはめっぽう強いが泣き虫で、酔いどれの誇り高き男で、運に見放されていて、美人に目がないくせに女にはからきし弱く、「いつかゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲む。そして、死ぬ」が口ぐせで、ネイビーの、ペンシル・ストライプのダブル・ブレステッドのスーツしか着ない男だった。救いは彼が律儀で不器用で無愛想なうえに、うそがへたくそなことだった。

「究極のマティーニを。古い友情を終わらせたいんだ」
「タンカレーでおつくりいたしますか? プードルスとボンベイ・サファイアもございますが」
「いや。牛喰いで」

ニッカーボッカー・ホテルの名物バーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはとても礼儀正しくうなずいた。きれいに霜のついたバカラのカクテル・グラスの名品、The Long Goodbyeが目の前に置かれた。

ボンデージ、ウッド・ノットがひとつもない濃い赤褐色のホンジュラス・マホガニーの1枚板のカウンターの上でThe Long Goodbyeが静かに息づいている。彼女が私に別れを告げるころには、私は彼女を何度も何度も抱きしめ、唇を寄せ、5粒ばかりの涙を彼女の中に落としているにちがいない。そして、したたかに酔いどれるのだ。今夜はそんな気分だ。誇りのたぐいはとっくの昔に行方不明なのだし、いまさら酔いどれたところで胸を痛めてくれる愛しい女もいない。かつての愛しい女は「さよなら」のひと言さえ残さずに金持ちの年寄りの愛人になった。それでいい。すこぶるつきのクールさだ。こちらはクールなタフ・ガイなんだ。勝負は互角という寸法である。

それにしても、よりにもよって、「長いさよなら」とはな。「さよならは短い死だ」と言いつづけた探偵は強くもなれず、生きていくための資格を手に入れることさえできないまま本牧の路地裏で冷たい肉の塊になって死んだ。もう20年になる。探偵のことはときどき思いだすが、いつもというわけではない。

友よ。My Private Eyesよ。あんたは死に、おれは生きながらえ、偉大な眠りにはとんと御無沙汰だ。不眠はもう10年もつづいている。あんた同様、おれはいまだに強くもなれず、やさしさの意味すらわからないでいる。なんてマイ・フーリッシュ・ハートな人生なんだろうな。笑ってくれ。

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私が遠い日の友との思い出に耽っているさなかに上っ調子にバカ笑いしながら若いカップルがやってきた。男はコークハイを注文し(コークハイだって!?)、女はテキーラ・サンライズを注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニは眉を一瞬しかめ、ため息をひとつ、小さくついた。

女の顔を見ると虫酸が走った。他人の手帳を盗み見ることにひとかけらの呵責も感じない魂のいやしさのたぐいが顔にあらわれていた。おまけに、使っている香水は濃厚なうえに動物的なにおいで甘ったるかった。第一、明らかに分量が多すぎる。香水のシャワーでも浴びてきたのかとたずねたくなるほどだ。

ここは場末の安キャバレーではない。ここは何人もの本物の酒飲み、一流の酔いどれが巣立っていった酒場なんだ。ある種の人々にとっては聖地でさえある。香水女は臆面もなくそれらを蹂躙しようとしている。抑えようのない激しく強い怒りがこみあげてきた。

おまえは店のすべての酒の香りを台無しにする気か? この店にある酒は蒸留という名の試練をくぐり抜け、いくつもの季節を樽の中でやりすごし、ときに天使に分け前を分捕られ、磨きに磨かれてやっと陽の目を見たんだぞ!

女の首根っこをつかまえてそう叱り飛ばしたかったが我慢した。香水女の指は太く短く、金輪際ナイフとフォークを使った食事をともにしたくないタイプの人物だった。いや、ナイフとフォークを使った食事だけではない。女が私の半径50メートル以内にいるだけで確実に食欲を失う。この広い宇宙にはテーブル・マナー以前の輩が確かに存在することを私はこのとき初めて知った。

私の知る世界、生きてきた日々、失った時間や友情や愛をことごとく踏みにじり台無しにするおぞましい力をその若い女は持っていた。めまいさえ感じたとき、マルティーニ・エ・ロッシーニが毅然とした態度で言い放った。

「申し訳ございません。現在、当店はエクストラ・ドライ・タイムでございます。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニか、少々お時間が早すぎますが、ギムレットなら御用意できます。コークハイは元町の信濃屋さんの真裏に当店よりずっといい、お若い方向けの店がありますから、そちらへどうぞ」

「お若い方向けの店」とマルティーニ・エ・ロッシーニが言ったところで私はあやうく吹き出しそうになった。「お若い方」を「愚か者」と言い換えればジグソー・パズルの完成である。

シュレディンガー・キャットを見つけだすよりむずかしそうなジグソー・パズルの本当の完成はもうすぐだった。マルティーニ・エ・ロッシーニは言葉をいったん引き取った。香水女はショッキング・ピンクのハイヒールの踵を床にせわしなく打ちつけた。苛立っている。ざまあない。ここはおまえたちのような無作法者が来るところではない。マルティーニ・エ・ロッシーニは仕上げにかかる。

「テキーラ・サンライズはカリブ海のニュー・プロビデンス島経由でアカプルコ・ゴールド・コーストに出張中です。滞在先は年端もいかない少年少女をかどわかすことで悪名高いチンピラ音楽のメッカ、ホテル・ザ・ローリング・ストーンズと聞きおよんでおります。したがいまして、どうぞお引き取りください。次にお越しの際はフレグランスは控え目に。清楚で上品な香りのもの、たとえばJean Patouの JOY かEau de Givenchy、Miss Dior、Lily of the Valleyあたりをお勧めいたします。それとこれは極秘情報ですが、今夜あたりから大声でしゃべったりバカ笑いすると島流しになるそうですよ。お気をつけください」

マルティーニ・エ・ロッシーニが言うと、若い男は未練たらしく女々しい舌打ちをし、香水女は手持ちのうちでもっとも悪意と憎悪と愚劣が盛りこまれた引きつった作りものの笑顔を見せ、さっさとマルティーニ・エ・ロッシーニにさよならを告げた。

そう、マルティーニ・エ・ロッシーニが言うとおり、いまこの時間、黄昏と闇の狭間の時刻、世界中のすべての酒場は1日のうちのもっとも聖なる時間、エクストラ・ドライ・タイムを迎えているのだ。聖なる時間を迎えている酒場は無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける者の相手などできない。無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける愚か者どもに供するグラスはひとつもないし、注ぐ酒は1滴たりともない。世界はそんなふうにできあがっているのである。

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「お待たせいたしました。当店自慢のウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニでございます」

マルティーニ・エ・ロッシーニは言って、The Long Goodbyeの横に屈強な牛喰いどもが好む酒、ビーフィーター・ロンドン・ジン47度の扁平な瓶を置いた。鮮紅色の衣装をまとった牛喰いがこちらを睨みつける。

「ありがとう。ある探偵と飲み明かした夜以来だよ。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニは」
「承知しております。この街は惜しい人を失いました。もう20年になりますね」
「おぼえていてくれたんだね」
「ほかのことは全部忘れてしまいましたがね」
「いい奴は死んだ奴だというのはいまも変わらない」
「まったくそのとおりです。ところで、お客様。警官にさよならをする手段は掃いて捨てるほどもありますが、友情を終わらせる方法はこの世界にはございませんよ」
「わかってるさ」
「お友だちはベルモットの瓶を横目で眺めながら、あるいはモンゴメリー将軍で、ときどきはベルモットのコルクで拭いたグラスにジンをそそいだものを召しあがってらっしゃいました」

私は開きかけた唇を閉じた。心はドライどころか潤んでいた。なにか口にすれば大洪水に押し流されてしまうように思われた。酔いどれの気高き誇りを持つ男の無邪気な笑顔と800万をはるかに超える死にざまを生きた孤愁を思った。

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マルティーニ・エ・ロッシーニは私の胸のうちを見透かすようにマッキントッシュの古い真空管アンプリファイアーMC275のヴォリュームを少しだけ上げた。1949年10月14日、N.Y.C. Down Beatのエラ・フィッツジェラルドが『As Time Goes By』を囁くように歌いはじめた。

霧は深く、時はいくらでも好きなだけ過ぎていくが、夜はまだ始まったばかりだ。もちろん、ギムレットにも早くはない。やがて、古い友との友情の日々を思う長い夜がやってくる。急ぐ理由はなにひとつない。時は過ぎゆくままにさせておけばいいし、霧は深いままでいい。酒も傾ける盃もたんまりある。おまけに「究極のマティーニ」を知る伝説のバーテンダーは目の前でグラスを磨いている。これ以上の贅沢は世界への宣戦布告も同然である。50歳。もう敵は作らなくていい年齢だ。

私は2杯目の「究極のマティーニ」を注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニはきれいに霜のついたThe Long Goodbyeに静かにビーフィーター・ロンドン・ジンを注ぎながら、「これはわたくしから天国のご友人に」と言ってグラスを私のほうへ滑らせた。「ご友人が横目で見るためのベルモットはこちらに」と言い、伝説のバーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはノイリー・プラットのゆるやかにくびれたボトルを脇に置いた。

マルティーニ・エ・ロッシーニの目からグラスに小さなダイヤモンドがひと粒こぼれ落ちたような気がしたが、それはたぶん、気のせいだ。本物のプロフェッショナルはそんなヘマを犯したりしない。究極のマティーニがかすかにしょっぱかったのも、やはり気のせいにちがいない。長い夜にはいろいろなことがあるものと相場は決まっている。

友よ。My Private Eyesよ。グレープフルーツのように丸い酔いどれの月は見えているか? 酔いどれ船の甲板の居心地はどうなんだ? ノイリー・プラットの位置はこれでいいか?

Across the Deep River and into the Deep Forest. 深い河を渡って緑濃い森にはたどり着けたのか? それとも、ゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲んでいるのか?

今宵、酔いどれの月はグレープフルーツのように丸く、遠い。再会までにいったい何杯の「究極のマティーニ」を飲み干し、いったい何回、酔いどれの月を見上げればいいんだ? 友よ ── 。


As Time Goes By
 
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by enzo_morinari | 2018-06-30 09:09 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(2)

流儀と遊戯の王国/ハートのかたち ── ゴクドーを待ちながら

 
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品性と品格を失わないかぎり、困窮も困難も困憊も孤独もやりすごせる。その余のことはすべて過程のひとつにすぎない。E-M-M


上野・稲荷町の交差点に年老いた香具師がいる。名を工藤といい、人々は彼を親しみと畏敬の念をこめてゴクドーと呼んだ。


ゴクドーは永寿病院の正面玄関脇で商売をしている。啖呵売だ。ビール・ケースを台にしたラワン材の合板に下卑た鮮紅色の布をかけた売り台にはレイバン風のサングラスや出自不明の時計や怪しげな置物や猥せつきわまりない玩具などが並べてある。

ゴクドーはいつもボルサリーノのソフト帽をかぶり、チョーク・ストライプの、紺のダブル・ブレステッドのスーツを着ていた。ゴクドーの全身には白粉彫りで桜吹雪の刺青が彫られていて、素面のときにはわからないが、酔うと桜の花びらが薄紅に染まる。

二十歳の頃、ドス一本で反目する暴力団事務所に単身乗り込み、八人を血祭りに上げた武勇は歳月を経てもなお世代を超えて語られつづけた。左頬にあるこめかみから唇の脇にかけた傷跡はそのとき受けたものだが、武勇の壮絶さとあいまってゴクドーに揺らぐことのない迫力をもたらした。

「あんたはインテリゲンチャか?」とドスのきいた声で年老いた香具師はたずねた。
「どうかな。自分でもよくわからない」
「インテリゲンチャは信用できねえ」
「どうして信用できないのさ?」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「そうだ。きょうのおまんまのためのうそならいいんだけどな。インテリゲンチャのうそはカッコつけるためのうそだ。カッコつけるためのうそくらいカッコわるいものはねえよ。反吐が出る。それはそうと、あんちゃん、これを買いなよ」

年老いた香具師は言い、やつれたボストン・バッグから色鮮やかな箱を取り出す。手に取ってみると、それはUSプレイング・カード社製ティファニー・ブランドの未開封のプレイングカード・セットだった。しかも、最初期の。めったにお目にかかれないしろものだ。

「いくらで買う?」
「1万円」
「殺すぜ」
「こわいな」
「トランプでおれに勝ったらこいつをあんたにくれてやるってのはどうだ?」
「負けたら?」
「負けることを考えて勝負なんかできるかよ」
「負けることも考えなきゃ生きてはいけない」
「うまいことを言うじゃねえか。で、どうする? やるのか? やらないのか? あん?」
「負けたら?」
「有り金をぜんぶ置いてきな」

財布の中身を数える。3万円足らずだが、2週間生き延びるためのなけなしのカネだ。

「わかった。勝負しよう」
「なにで勝負する? ポーカーか? 51か? ジン・ラミーか? ババ抜きか? 七並べは七面倒くせえし、神経衰弱は性に合わねえぜ」

ゴクドーは笑いを噛み殺しながら言った。

「ポーカーで」
「二人でやるポーカーくらいつまらないものはねえが、いいだろう。コールもレイズもフォルドもなし。ブラフはこれっぽっちも意味がない。カードを切り、カードを引く。それだけの勝負だ。1回勝負でいいな?」

うなずくと、ゴクドーは上着の胸ポケットからタリホーの真新しいカードを取り出した。シャッフルしてから売り台の上に並べる。スペード、クラブ、ダイヤ、ハートのエースからキングまで。

スペードは兵士の剣、クラブは農夫の棍棒、ダイヤは銀行家の貨幣、ハートはキリストの聖杯。13枚ずつ4列に並べられたカード。合計52枚。52通りの人生。

カードをシャッフルするゴクドーは瞑想する修行僧のようだ。カードが配られる。手の中で広げる。ハートの9からキングまでがきれいにそろっている。

ストレート・フラッシュ、1/72193の奇跡だ。そのままオープンすればまちがいなく勝負には勝てる。しかし、それではいけないように思えた。それはたぶん誇りの類に属する問題だ。あるいは矜持、あるいは名誉、あるいは流儀。

迷う。稀少なティファニーのプレイングカード・セットが手に入るチャンスだ。こんなチャンスは二度とない。さらに迷う。

But that's not the shape of my heart

STINGの『Shape of My Heart』のリフの一節が不意に浮かぶ。『LEON』のラスト・シーンがよぎる。

レオンは九死に一生すらもかなわぬ死地に向かって勝負に出た。一人の女の子のために。一輪の花のために。いまだ味わったことのないささやかな幸福のために。悪徳刑事役のゲイリー・オールドマンが首をコキコキと鳴らす。鍋つかみのブタくんは主人を失おうとしている。一鉢の鉢植えを抱えて脇目もふらずに歩く少女。レオンは新しい、もっと別の世界に向けてゆっくりと歩みをすすめる。

新しい、もっと別の世界の扉まであと少し、あと数歩。その刹那、扉は閉じられる。

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Shoot Out, Shut Out, Shut Down.

世界が閉じてゆくさなかにレオンの見た血潮はハートの赤だった。凍りついたレオンの心に一瞬垣間見えた色。

私はハートの9を切り、ハートのエースを待つことに決めた。ハートのエースがそろえばもっとも美しくもっとも強いハンド、ロイヤル・ストレート・フラッシュだ。

目の前で確かに起きた1/72193の奇跡を捨てて1/649740の可能性に賭けることの愚かさはじゅうぶんにわかっている。理屈でわかってはいても私を突き動かすものがあった。私を愚行へと走らせるなにものかが。

ハートの9を切り、カードの山から1枚引く。胸が高まる。心臓が速く強く脈打つ。血がたぎる。ゴクドーを見る。ゴクドーは迷っている。眉間に深く皺が寄っている。眼を閉じる。眼を開く。あごを引き、うつむく。低く唸る。

ゴクドーを待ちながら、私は考えていた。自分の人生、生きざまを。愚行と蛮行の数々を。人生の貸借対照表を。齢の決算書を。

安全と安定のために頭を下げていれば、「常識」とやらに身を委ねていれば、小利口に立ちまわっていれば、長いものに巻かれていれば、大樹の陰に身を寄せていれば、自分の本当の気持ちとは裏腹の偽りの微笑を浮かべていれば、媚びていれば、おもねり、へつらっていれば、きれいごと・おべんちゃらを並べていれば、語りつくせぬことについて沈黙を守っていれば、新しい、もっと別の世界へ足を踏み入れようとしなければ容易に手に入れられていたはずの半分満ち足りて半分幸福で死ぬほど退屈な生活を。裏切りと嫉妬と欲得と怯懦と保身に彩られた者たちの陰湿で陰険で訳知ったような醜悪きわまりもないすまし顔・したり顔を。私とはちがう陣営に巣食う者どものいやしくあさましいほくそ笑みを。STINGは歌う。

それらは私の心のかたちではない

迷った末にゴクドーは2枚切り、2枚引いた。私が引いたのは最弱のカード、クラブの2。ノーペア。ハイカード。役なし。ブタ。手札を見せる。ゴクドーもほぼ同時に手札を見せた。エースのフォーカードだった。

「あんたはなにを待っていたんだ?」
「ハートのエース」
「おれもだよ。フルハウスを捨ててフォーカードに賭けた。ハートのエースは引いたカードの2枚目だ。あんたが引かなきゃ来なかった。 ── ところで、待っていたのはそれだけか?」
「人生の答えも」

ゴクドーは少し考えてからきっぱりと言った。

「人生に答えなんかねえよ。生まれる。生きる。死ぬ。それだけの話だぜ」
「生きる意味は?」
「そんなものは青臭いインテリゲンチャのたわごとだ」

ゴクドーの言葉が福音や啓示の類に思われた。そのとき、ゴクドーは私が捨てたカードを裏返して眼を見開いた。

「ストレート・フラッシュだったんじゃねえか ── 。たいした極道だぜ」

私は財布から運転免許証とカード類を抜いてゴクドーに差しだした。しかし、ゴクドーは受け取らず、かわりにティファニーのプレイングカード・セットをよこした。

「あんたの勝ちだ。いい勝負だった。これだけはおぼえときな。結果の背後には隠された法則が存在する」

別れ際、ゴクドーは押し殺したような声で私の背中に向かって言った。

「あんたはなにを待っているんだ? あんたはいったいどこに行きたいんだ? あんたは ──」

風がゴクドーの声を掻き消す。ゴクドーの言葉は聴きとれない。それでいい。ふりかえらずに歩く。先には引き返すことのできない細く暗い一本道がつづいている。

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Shape of My Heart - STING
 
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by enzo_morinari | 2018-06-21 15:44 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

恥ずかしげもなく「プロフェッショナル」を名乗るスマタポポヒ

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まだ現場で打ち合わせやら交渉事やら下調べやらをしていた頃、名刺交換なるものをさせられた。すこぶるわずらわしかった。こちらは名刺交換する相手の顔も氏名も肩書きも連絡先も1度でおぼえてしまうので、名刺など無用の長物、本拠地に帰還すると同時にシュレッダーに放りこむか、ハリソン・フォードのアンドロイドに恋する夢見がちな電脳山羊のオードリーにくれてやる。本拠地のあった東京は法外に地べた代が高額なので、不要無用なものは捨てる。「断捨離」なんぞ知ったことではないが、それが東京人たる者の作法/流儀/掟である。

わたくしの名刺には氏名しか印刷されておらず、以後、つきあうことになりそうだと判断すれば連絡先その他の情報を書き加えて相手方に渡した。かたや、氏名のみ印刷された名刺を渡された者は怪訝な表情をするが、こちらは以後のかかわりを持つ気がないので、訝しがろうが井深大だろうが燻し銀だろうが号泣する銀将だろうが知ったことではない。こちらは生まれ落ちたときから天下御免の大変人/変わり者/変なヤツであるからして、訝しがられようが変人/変わり者/変なヤツ認定されようがなんともない。

中には「連絡先は?」としつこく訊ねる者もいたが、「連絡先を教えることは主治医に止められている」「赤の他人に連絡先を教えてはいけないというのが後醍醐天皇の御代からの家訓である」旨を申し向けて、早々にその場を立ち去る。そして、二度とその人物とは会わない。かかわりをいっさい持たない。その人物が所属する会社/組織/グループとは取引きしない。つきあわない。当然、取引きはキャンセル、白紙撤回、なかったことにする。それがわたくしのやり方/流儀/作法/Modus Operandiである。それをずっと通してきた。不便を感じたことはただの1度もない。

現在は滅多なことでは生身の人間と会わないので、「名刺交換」のわずらわしさからは解放された。たいへんにけっこうなことである。世界の森は消滅の危機を名刺1枚分先送りされた。これも、たいへんにけっこうなことである。

さて、名刺の肩書きには実に様々なものがある。代表取締役社長/専務取締役/部長/課長/係長からはじまって、〇〇本部長、局長、室長、担当部長、課長補佐、主任、主査などなど。目がまわるほどである。なぜ「平社員」という肩書きの名刺がないのかと思っていたら、泡の時代の初期に現れた。飛びこみ営業。事務機器関連の会社である「株式会社タイラー」の社長にして営業マン。たった一人の軍隊を地でいっていた。

姓は平平、名は平平。ヒラダイラ・ヘイベイ。冗談のようだが実名実話である。先祖代々、ヒラダイラ家の当主はヘイベイを名乗ったそうだ。御先祖は平家ゆかりの者、平家の落人、ことによれば平清盛かもしれない。わたくしの家紋は源氏車であるから平平の宿敵と言えないこともない。壇ノ浦で刃を交えたことも可能性としてはある。何代目のヘイベイなのかは聞きそびれた。

飛びこみ営業のたぐいはいつもなら即座に追いかえすところだが、そのときはちがった。追いかえすどころか、その場でスカウトした。逆営業。即興速攻ヘッド・ハンティング。「役員待遇/営業本部長/当期利益の3分の1を特別報酬とする/Capital Gainあり/二足のわらじO.K.(株式会社タイラーの社長としての仕事継続可)」で話はまとまった。こちらも相手も即断即決。気分がよかった。事務機器導入についてのかなりの額の契約を締結してから夜の街に繰り出し、銀座→赤坂→六本木→歌舞伎町をハシゴし、朝までしこたま飲んだ。笑った。しゃべくり倒した。快楽した。大酒豪大女好きがふたったり。たのしかった。愉快痛快爽快豪快淫快蕩快。韜晦狷介剣呑なる限界突破の宴。平平平平の営業手腕で倍々ゲーム×倍々ゲームで業容は一気に拡大した。平社員様々だった。

社長以下、家族総勢6名の写植屋がずいぶんと凝った書体の名刺で、社長、部長、課長、係長、主任、本部長の肩書き。笑いすぎて屁が出るほどだった。前夜に食ったニンニクたっぷりのアヒージョのせいでものすごい勢いでクサい屁だった。戸田の御浜岬の鈎状砂嘴に突き刺さるほどの勢い。誤字/脱字は皆無で、版下もきっちり仕上げてくるので、仕事上は問題ないからよしとした。

〇〇ライターという肩書きの名刺を恥ずかしげもなく差しだすスマタポポヒがいる。フリー・ライター、ルポ・ライター、旅行ライター、温泉ライター、ホテル・ライター、旅館ライター、スポーツ・ライター、ジョギング・ライター、ランナー・ライター、スポーツウェア・ライター、ジム・ライター、ワークアウト・ライター、文具ライター、オーディオ・ライター、AVライター、芸能ライター、TV番組ライター、ラジオ番組ライター、YouTubeライター、ニコ動ライター、Net Watchライター、ITライター、デジタル・ライター、スマホ・ライター、犯罪ライター、風俗ライター、オタク文化ライター、引きこもりライター、フリーター・ライター、webライター、コメント・ライター、グルメ・ライター、フード・ライター、料理ライター、お掃除ライター、お片づけライター、セレブ・ライター、インタビュー・ライター、ゴシップ・ライター、スキャンダル・ライター、音楽ライター、美容ライター、メイクアップ・ライター、コスメチック・ライター、美容整形ライター、ファッション・ライター、コーディネート・ライター、ライフスタイル・ライター、アウトドア・ライター、キャンプ・ライター、自給自足ライター、ナマポ・ライター、婚活ライター、就活ライター、終活ライター、お葬式ライター、マリッジ・ライター、マタニティ・ライター、ディボース・ライター、軍事ライター、演芸ライター、園芸ライター、ガーデニング・ライター、ゴースト・ライター、仮面ライター、イージー・ライター、ダイター・ライター、百均ライター、100円ショップ・ライター、100円ライター、放火ライター、ライター・ライター…。あげればキリがない。目にするたびに虫酸が走り、反吐が出る。全身Goose Bumps. おまえたちは火つけか? 火付盗賊改方呼ぶぞ! メーテルリンクに言いつけて青い鳥と一緒にヤードバードにしちまうぞ! 「〇〇評論家」のたぐいもおなじ穴の狢である。〇〇ライター、〇〇評論家を名乗り、名刺をばらまく者どもは、例外なく「わたしは正真正銘まじりっけなし掛け値なしのスマタポポヒです」と看板をぶら下げて歩いているようなものだ。恥を知れ! 恥を!「売文の徒」という言葉を知らねえか!たわけ者が! 世界の森を破壊し、消滅に追いこんでいるのはおまえたちだ! 墓石には「森の破壊者、ここに眠る」と刻んどけ!

〇〇ライターにかぎらない。「物書きのプロ」を自称するスマタポポヒもいる。自称「物書きのプロ」のテクストに目を通すと、案の定、退屈で陳腐でごもっともで常識人ぶりぶりで、閃きもジャンプ力もなくて、やたら体言止めが多くて、自分の文体/スタイルなし、センスなしリズム感なしオリジナリティなし、ナイナイづくしのコンコンチキチキマシーン大運動会でナイナイ岡村アタマパッカーン滑って転んで69等勝というありさまだ。句読点と「てにをは」と助詞/副詞/形容詞の用法は滅茶苦茶、連体形/連用形/活用形の混乱は目を覆うばかり。主語と述語の関係性が曖昧で、いつの間にか入れ替わってしまうという惨状である。金輪際、リングイネのパスタを食う資格なしだ。いっそ、Xバーで首を吊らなければチョムスキーが化けて出る。

的はずれ/ピンボケのオンパレード。一知半解のことどもをA( )Cで無理矢理記述しようとするから中身空っぽ、抽象的でつまらぬ修飾語だらけ。箸にも棒にもかからない。哲学に関わることを書いているつもりだろうが、ソークラテース/プラトーン/アリストテレースを主軸とするギリシャ哲学も、聖書もデカルトもカントもヘーゲルもまともに読んでいないことが見え見えバレバレ。思わず「小学生からやりなおしてこい!」と怒鳴ってしまうほどの日本国語の故障っぷりである。「〇〇のプロが教える〇〇のコツ」という鳥肌虫酸もちょくちょく目にする。おまえのような勘ちがいポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は物静かに退場しろ!

いまや、出版社の売らんがためのマーケティングの道具と堕した文学賞の受賞者のテクストからしてポンコツだらけである。書店に平積みされている売れ筋ものはお粗末の極みだ。失われた言霊、益荒男ぶりと手弱女ぶり/荘厳/厳粛/雄渾/幽玄/静寂/精緻/明晰/端正/余韻/気配/察しの欠如欠落。ナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハム好きのセックス依存症のスパゲティ野郎なんぞをありがたがっているからこういうことになる。しかし、それがこの国の言語領域の実情である。暗澹たる気分になる。

〇〇ライター、書き仕事をなりわいとしている者/言語表現、言説、売文によってなにがしかのギャランティをえて生活のファイナンスとしている者のメンタリティはふたつ。ひとつは「キーボード叩くだけでおカネもらえるんだからラクだしオイシーじゃん」という怠け者の心性。ラクなのがお好みだてんなら駱駝になっておっ死んで漬物樽にでも放りこまれやがれ! 毛がなくて無病息災寿手練経、酢豆腐自慢は夢のまた夢、おにょにょご津波のおっきゃらまあして米櫃は空っぽ空っけつのスッカンカンの駱駝のカンカン踊り、馬子の角栄どんだってお鼻の濡れたイノシシどんだってイグアノドンだってイノドンヘーイだって承知の助だ! クマグス先生でもおられりゃあ粘菌暮らしの御居処でもめっけてくれようものをよ! 咳をシテ島でしても一人だろうがホロホロ鳥にかぶりついてホロリと歯が抜けようがまた会うこともない力道山が遠ざかろうが、おまえたちは駄目だ。おまえたちのサイコロは裏目を足しても金輪際ラッキー7にはならない。明日は明日の風が吹くってえお釈迦さまのありがたいお経を知らねえか! おっきゃらまあ経てんだ! おぼえときゃあがれ! 正一位稲荷大明神であらせられる悪臭芬々唐芙蓉さまの生まれ変わりの駱駝さんよお! ギョーカイ人ヅラさらして脳みそのシワのない低脳低劣を相手にテレーズ・デレスケ・デスケルウ・ヌーヴォーしてやがれ!

それになんだあ、拾った鮫革の財布にお財宝が入っていなかったからって、話がちがうってたって、あれは上方のお噺だからよ。そうだろうよう、ぞろっぺいの勝五郎どん、その実、浅草伝法院のお狸様よう。火焔太鼓のお成りお成りもいいけどが、景気よく火の見櫓の半鐘を仕入れようたって半鐘はいけねえぜ。おジャンになるからな。まったく、風が吹けば消えてなくなっちまうようなアンポンタンばかりで素っ首がすーすーするってえ寸法だ。

芝浜夫婦善哉の床屋政談を浮世風呂の釜の脇で聴いていた船屋の徳兵衛がもうどうにもこうにも我慢できないとばかりに、向こう鉢巻に出刃包丁の艶姿で鐘と木魚の衣ほすちょう天の香具山音楽を奏でながら貝紫色の駱駝を引いて現れてでもしてくれりゃいいんだが、それは虫がよすぎるてえ料簡だ。お伴には紙洗橋で漉いたばかりの紙を冷やかしていたスットコドッコイの三下奴が付かず離れず従っているしよ。それにつけても、いざとなれば風を食らって逃げちまえばいいような瘋癲ばかりである。

この際だから、どいつもこいつもイタ公もフランス野郎も看看奴でも踊ってやがれてんだ! 火星の火屋で息吹きかえしたら「冷酒でもいいからもう一杯」と抜かしやがれ! まずはマーズがアタックがわりに作った不味いこと臭いことこの上もないカース・マルツの角に鼻っ柱ぶっつけてから、オオカミとイノシシとキツツキと雄鶏が合体したトンデモ・アレスがトネリコの樹に止まって「クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス」と3度鳴くのをよく聞いてろ! 唐変木の噺のほかの穀つぶしの表六玉のスットコドッコイ! いずれ女房は町内の若衆によってたかって可愛がられて自分には似ても似つかぬ赤ん坊が産声あげるってえ塩梅だ。仕上げを御覧じろたあこのことよなあ。ちくしょうめの長久命の長助め!

ふたつは「ライター、物書きって取材とかインタビューとかあってカッコよさげじゃん」というA( )Cの心性。はっきり言うが、〇〇ライターも物書きもカッコよくない。ラクじゃない。割りが合わない。取材はただの肉体労働だ。インタビューする相手は「過去の栄光」に未練たらたらでしがみついているオワコンと旬が過ぎて薹の立ちまくったポンコツばかり(恥ずかしげがないどころか、鼻高々得意げにオワコンへの取材/インタビューのことをなにかというと持ちだすやつもいるがな。特に団塊老醜に多い。40年前のポンコツ持ちだしてどうしようっての! オワコン・ポンコツの所属事務所からゼニもらってパブ記事/パブ番組か? そういう輩はてめえでてめえのことをウィキペディアに立ち上げやがんのな! 哀れで大嗤いなことったらねえや! 放送作家にノンフィクション作家にノンフィクション・ライターに音楽ライターにインタビュー・ライターに音楽評論家にジャーナリストにディスクジョッキーにって、いったいいくたり肩書/看板/名札ぶら下げたら気がすむんだ? 肩はこらねえのか? 看板好きは学生運動の闘士サマの頃からか? ゲラゲラゲラゲラゲラダヒヒヒ呵々大笑。あんたにはいつも「しめしめ」ってスピーチ・バルーンが出てるよ。鏡でよく見てみな)。肩にぶら下げているショルダー・バッグはくたびれ果てたハンティング・ワールドのパチモン。履いている靴は中国製かベトナム製というありさま。わるいことは言わないし、故郷の両親が心配するから売文業なんざやめときな。故郷へ帰って畑を耕すなり、漁網打ちな。そのほうがよほどクリエイティブだから。石に腰を、墓であったか 山頭火/お墓で出逢った山頭火/おっ! 墓であったかひと休み っつーこったな。

スマタポポヒなクライアントから愚にもつかない御託能書き寝言戯言をさんざっぱら聞かされて、えられるのはたかの知れたギャランティである。3万かそこらの家賃も電気代も水道代も年金掛け金も保険料も滞納するのが関の山。1回の食費は100円、打ち合わせに行くための交通費にも事欠く始末。ネット/SNSで知りあったどこの馬の骨とも知れぬやつから雀の涙のゼニカネを振りこんでもらったり、米やらカップ麺やらの食料を送ってもらったりで食いつなぎ、生き延びる日々。はやい話がほどこしで命脈をつなぐ人生だ。中には、「みじめで弱くてかわいそうな人間」を演じて人のいいやつの人のよさにつけいる不埒不届き千万不逞の輩もいる。

日本国憲法第25条第1項に明記され、保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」さえままならない。ほとんどの〇〇ライター/物書きは「生存権」が脅かされる生活を余儀なくされている。ワーキング・プアもいいところだ。しかしながら、大昔から怠け者とA( )Cはわけまえが少ないものと相場は決まっている。もって瞑すべし。
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by enzo_morinari | 2018-06-18 14:56 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国 ── 飛ばない豚はただの豚だ。捨てない人間はただの馬鹿だ。

 
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飛ぶ豚はいつかどこかに着陸するが、飛ばない豚はどこにも行けない。喰われるのを待つだけだ。


泡の時代が終わったとき、スッテンテンのスッカラカン、信用なし一文無し宿無しになった。そばにいたのは虹子だけだった。すり寄ってきていた三下奴どもは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

カネの切れ目が縁の切れ目とは人間社会における永遠の真理だ。しかし、吾輩は大笑いした。一生のうちにそうそう経験できないことを経験したんだ。ここは一丁、大笑いしてやれということだ。もちろん、残務整理は七面倒くさいことだらけだったし、高くついた授業料が口惜しくもあったが、そんなものはどうということのない過程のひとつにすぎない。時間の経過とともにいつか雲散霧消する些末な問題だ。

あれから28年の間、ずっとじっとナイフを研ぎつづけてきた。虹子とごく限られた者たち以外の誰の言葉も耳に入らなかった。入れなかった。無心? 冗談じゃない。昔も今も煩悩だらけだ。悟り? 寝言は寝てから言ってくれ。無心も悟りも糞食らえだ。吾輩は煩悩そのまま、煩悩をさらけだして生き、のたうちまわり、そして死ぬ。

「いまにこの白刃で世界もろともおまえたちをぶった切ってやる。細切れにしてやる」と思いつづけた。ルサンチマンの塊だった。初めのうちは錆ついていたナイフは日ごと鋭くなっていった。

抜けば玉散る氷の刃。いつの日からか、泡が弾けてから3年も経った頃か。不意にこの世界のすべてを真っぷたつにできるとわかった。それは確信だった。これっぽっちも揺らぎはなかった。これで駄目ならそんな鈍ら刀は折れちまえとも覚悟を決めた。そんな思いの日々だった。

いい年をぶっこいてよく腹がへった。腹は決まっていたがちょくちょく腹の虫が鳴った。鉄管ビールで凌いだ最長は9日だ。ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもが「オサレなランチ」やら「豪華絢爛ステキステキのディナー」やらを喰い、「仲良しとグルメ温泉ツアー」にうつつを抜かしている頃、吾輩はひたすら我が刃を研いでいた。そんな吾輩の姿を見た虹子が泣き出すこともしばしばだった。

「あのころ、あなたは本物の鬼でした」とはつい最近の虹子の言葉だ。仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母をも殺す。そんな日々だった。

「コペルニクス的転回」も「コペルニクス的転回の転回」も「絶対矛盾的自己同一」も「身心脱落本来面目現前」も吾輩の係ではない。それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? そんなリアリティのないものは「くそまじめな精神」の持ち主様にでもくれてやれ。さもなきゃ、犬畜生にでも喰わすか糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしちまえ。

おのれを捨てろだあ? おのれを虚しゅうしろだと? 何度でも言う。寝言は寝て言え。のたうちまわりながらほかの何者にもなりかわりえない吾輩自身のリアルをグリップすること。それが吾輩にとって意味を持つ。

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物心ついたときからどんどんじゃかすか色んなものを捨ててきた。用がなけりゃ捨てる。当然だ。縁だって捨てた。手加減なし容赦なしで。女房だって娘だって息子だって女だってともだちだって本だってレコードだって捨てまくってきた。大好きな犬さえ捨てたことがある。ヨチヨチ歩きの仔犬を。

赤鬼でも青鬼でもない。捨鬼だ。おかげでいつだって引っ越しは楽チンのチンだった。そうやって数知れぬ別れを繰り返してきた。経験と言えば言えなくもないが、勧めない。ろくなことがないからだ。心だって痛む。鬼の目にも涙だ。

よく捨てることが拾うことに通じるだの、別れて道が開けるだのという生臭坊主が言いそうなことを経験の「け」の字も知らぬような甘ちゃんがぶっこくのを見聞きするが、そのたびに臍が独創茶を沸かす。三枝点が沸かしてくれた茶ならうまくもあろうが、そうではない。甘っちょろいのはピントだけにしておけてんだ。

ここ20数年、身悶え、身も凍るような存在感を持った人物を見かけないのは簡単にお手軽に捨てることが大手を振ってまかり通っているからだろう。まったくもって腹立たしいかぎりだ。

そう簡単に捨てられるなら、別れられるなら、切れるなら、それは元々必要のないものだったんだろう。必要のないものをあれもこれもとぶら下げて得意になっていたんじゃないのか? そういうのを骨折り損のくたびれ儲けてんだ。明瞭簡潔に言うなら愚か者、馬鹿者ということだ。おぼえとけ!

捨てるとき、切るとき、別れるとき。胸のど真ん中あたり、ずっと奥のほうがずんと疼く。痛む。それでいい。なんの不思議もない。別れ別れになるんだからな。以後は一切の関わりがなく、まったく別の道を歩くんだからな。死のうが生きようが、焼いて喰われようが煮て喰われようが知ったこっちゃない。捨てる/切る/別れるとはそういうことだ。

未練? ないね。一切ない。未練のことなら見沢知廉が詳しかったが死んじまったな。しょうがないから鱈と豆腐と長葱と茸の鍋でも喰ってタラタラするがいいや。

「吾輩は世紀末の山頭火だ」と嘯く日々。虹子だけが吾輩の後ろ姿を、時雨ゆく背中を見守りつづけてくれた。虹子が天使、菩薩様だと気づいたのはここ最近だ。

虹子には毎朝毎晩手を合わせている。吾輩の広く深く豊かな心の中で。今度の休みは肩でも揉んでやろう。虹子だけはなにがあっても捨てない。捨てられようはずがない。捨てられるとすれば吾輩のほうだ。なにしろ、仏の顔に泥を塗るどころか刃を向けつづけてきたんだから。三度どころか百遍も二百遍も。これで駄目なら、あとは命を捨てるばかりだ。

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マルコとジーナのテーマ from 『紅の豚』
 
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by enzo_morinari | 2018-06-06 18:29 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(1)

サイコーに「好きな」の件

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盗みすぎた泥棒かささぎの疑問に答える。ヨジーコ・オパーランディは本稿を熟読吟味三昧し、講義に備えるべし。

好きなサイコーは『最後の晩餐』
好きなサイコパスはノーマン・ベイツ
好きなノーマンはキングズレー・メイラー
好きなメーラーはEudora
好きなカードゲームはジン・ラミーとUNO
好きな醤油は栄醤油店の「甘露醤油」
好きな晦渋は『精神現象学』
好きな韜晦は『純粋理性批判』
好きな難解は『存在と時間』
好きな難儀は『論理哲学論考』
好きな陶酔は『存在と無』
好きな透徹は『善の研究』
好きな愉悦は『エロスの涙』
好きな至福は『フーガの技法』
好きな退廃は『ドリアン・グレイの肖像』
好きな荒廃は『シルトの岸辺』
好きな荒唐は『ガルガンチュワ 第一之書』
好きな無稽は『パンタグリュエル 第二之書』
好きな無頼は『堕落論』
好きな無粋は『「いき」の構造』
好きな淫乱は『クルパ古書』
好きな決まり手は「黙殺」
好きな服地はスキャバルとドーメルとランバン
好きな古典楽曲はセルゲイ・ラフマニノフの『交響曲第2番 ホ短調 作品27 第3楽章 アダージョ』とG.マーラーの『交響曲第5番 嬰ハ短調 第4楽章 アダージェット』とリムスキー=コルサコフの『交響組曲 作品35 シェヘラザード 第3楽章 若い王子と王女』
好きなホテルは1990年夏の逗子なぎさホテル
好きな道はザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードとThe Roadと銀座中央通りと晴海通りと青山通りと外苑西通りとシーズンオフの国道134号線の小動岬-七里ガ浜-稲村ガ崎2丁目間と静岡県道17号線と行き暮れた果ての奥の細道
好きな夜は『眠られぬ夜のために』を読みながら眠る夜
好きな歌は『ダニーボーイ』と『バラ色の人生』と『星に願いを』と『虹の彼方に』
好きな樹は神宮外苑青山通りから12本目の銀杏と縄文杉と茶王樹
好きな木はナッツクラッカー大佐が棲む世界の果ての森にあるヒッコリーとホンジュラス・マホガニーとロイヤル・オークとウォルナットとチーク
好きな林は酒の池のある肉林と長谷川等伯造林の松林とドクとマーティーが乗っていた蒸気機関車が鉄橋から転落したイーストウッド渓谷のピナス・リギダ林と西伊豆大瀬崎のビャクシン林
好きな森はシシガミのいる森と大太郎法師が深夜に徘徊する森とユグドラシルの聳える森と風の谷の森と腐海の森とトトロの森とフンババが支配する森と世界樹の記憶の森とウィリアム・モリスの森とウォールデン湖の畔のソローの森と千年の愉楽の森と木の国/根の国の森と富士樹海と森のひとの棲まうミル・プラトーの森とガンプの森と少年時代の大江健三郎が村のこどもたちに即興で物語を聞かせた四国山脈の森とスノーマンの暮らす禁じられた森(Forbidden Forest)と白神山系と苫小牧のイコロの森と帯広の六花の森と十勝千年の森と岡山西粟倉村の「百年の孤独の森構想」の森(ただし、「木っ端役人の口出し手出しなし」という条件付き。木っ端役人が口出し手出しすれば森は死ぬ。人も死ぬ。国も死ぬ)
好きな場所は水曜の午後の野毛山動物園と開店前のバーのカウンター
好きな合言葉は「勇気」「倍音」
好きな口ぐせは「倍音が!」「物静かに退場しろ」「悪いがほかを当たってくれ」「それは吾輩の仕事ではない」
好きな上はガウタマ・シッダルダの掌の上
好きな下はパリの空の下
好きななぞなぞは「カルネアデスの板」
好きな雄叫びは「ユリイカ!」
好きな損益分岐点は限界利益率∞
好きな情報機関は内閣情報調査室
好きな特殊部隊はネイビー・シールズ(United States Navy SEALs/アメリカ合衆国海軍特殊戦グループ)
好きな兵士は斃れる兵士とウォンバット・コンバットとたった一人の軍隊
好きな法令は刑事訴訟法
好きな法学者は宮沢俊義と團藤重光と我妻榮
好きな判例は江戸南町奉行大岡越前守忠相による白子屋お熊事件におけるお裁きと煙草一厘事件(万倍事件)における大審院判決 *いずれも事件番号なし
好きな物性は物質の剪断応力とヤング率(弾性スティフネス定数/縦弾性係数)によって表される物質の強さ
好きな物理の定理は「ベルヌーイの定理」(同一流線上のエネルギー保存則)
好きな物理学者はエルヴィン・シュレディンガーとアルベルト・アインシュタイン
好きな数学の定理はK.ゲーデルの「不完全性定理」
好きな数学の難問は「フェルマー予想」
好きな数学者はアンドリュー・ワイルズと谷山豊
好きなJBLはLE8T(Al-Ni-Co)
好きなバリはハイ
好きな罵詈は「俺の墓にツバをかけろ!」
好きな雑言は「奴を高く吊るせ!」
好きな泣言は「僕のために泣け」
好きな涙はダイヤモンド
好きな経典は金剛経
好きな雑学はときどきカネになる。
好きな雑炊は銀座4丁目のふぐ 塩田で
好きな塩はモンゴル産岩塩「蒼き狼」と敵に贈る塩
好きな絵描きはアルタミラとラスコーの穴蔵生活者
好きな生活者は吉本隆明
好きな吉本隆明は『共同幻想論』と『言語にとって美とはなにか』と『固有時との対話』
好きな幻想は貨幣
好きな美は一度限り
好きな苗はクボタの早苗
好きな不二家は「ソフト・ドーナツ」に名称変更する前の「不二家のドーナツ」
好きな不二家の店は横浜伊勢佐木町ヘンリー・アフリカの並びの店
好きなタクシーはリュック・ベッソン&ジェラール・ピレス
好きな路線バスは都営バス「都110系統」
好きなバイシクル・コンポーネントはカンパニョロ社製
好きな自転車フレームはマージ初代によるグラン・クリテリウム(鉄!)
好きな愛はバスルームから。
好きな恋は花咲く恋
好きなハナは肇とローランド
好きな情けは深情け
好きな深川は深川丼(あさり飯)か門前仲町の魚三
好きな魚屋は錦糸町の魚寅か神奈川新町の魚新本店
好きなラモーンズは元麻布2丁目で昆布〆鯖を食べながら聴く。
好きなザ・フーは「あんた誰?」とすごみつつ踊るビートニク・ガールの背景から聴こえてくる『QUADROPHENIA』
好きな少年はナイフ
好きなナイフはラヴレス
好きな象はパオパオ
好きなパオパオはビール(アンダルシア風茄子の漬け物付きヴェルタ・エスパーニャ仕様)
好きなサイクル・ロードレースはツール・ド・フランス
好きなストリート・レースはSHINO主催「東京選手権」
好きなサイクル・ミーティングはYO! HEY!主催「TBMU(Tokyo Bike Meet Up)」
好きなバイシクル・メッセンジャーはSHINOと神風寺
好きなカレーは左手で喰らう。
好きなピエロは暴走族
好きな捜査官は警視庁公安部内事課の宮川警視
好きな必殺技はジャン・ポール・サルトル
好きなクロニクルは火星年代記
好きなラテン語は Fluctuat Nec Mergitur(漂えど沈まず)とFestina Lente(悠々として急げ)
好きな生徒は悪魔っ子ちゃん
好きな肉はジョージ・バーナード・ショウ特製の銀行通帳風味皮肉
好きなポイントは悲劇のテンポイント
好きな格闘家はアレクサンドル・カレリンと雷電為右衛門
好きな相撲取りは雷電為右衛門
好きなレスラーはアレクサンドル・カレリン
好きなプロレスラーはカール・ゴッチとルー・テーズとミル・マスカラスとカミソリのような肉体をしていた頃のパンクラスの鈴木ミノル
好きなカールはハインツ・ルンメニゲ
好きなおやつは「それにつけても」
好きな「それにつけても」はカールのチーズ味
好きなチーズは空飛ぶフォルマッジオ・マルチオと冷酷非情のカース・マルツ
好きな犯罪人類学者はチェーザレ・ロンブローゾ
好きなローンブロゾーは黄金バット
好きなバットは吾輩自身
好きな吾輩は犬である。
好きな猫はアメリカン・ショート・ヘア(渡辺香津美御用達)
好きな渡辺香津美はDOGATANA
好きな刀は関の孫六
好きな剣はエクスカリバー
好きな槍はロンギヌス
好きな変人は最初の恋人(交換日記に「わたしはあなたの変人になりたい」とか書きやがんのよ! クラクラきたぜ、ナオコちゃん!)
好きな長州は萩
好きな擬音はハッカラモケソケヘッケレピー
好きな藤圭子の表現はカシュカシュ
好きなアレサンドロはナニーニ
好きなコードは電気D7
好きなニャンピョウはキャット空中3回転
好きなモンスーンは麻布十番とゴリラ
好きなキッスはベラカミーノ
好きなベーゼは死の接吻
好きなレッチリはナポリタンズ
好きな調味料は空腹
好きな格闘技はストリート
好きなサイボーグはターミネーター
好きな権力者は後醍醐天皇
好きな電車路線は銀座線と世田谷線
好きな粒子はシュレディンガーの猫の餌
好きな宇宙人はスザンヌ
好きなひろしは詐欺師
好きな月は14番目
好きな呪文は「産卵。」
好きな丼はテイク・イット・イージー天丼(めし+揚げ玉+出汁つゆ)
好きな中華はMajong
好きな烈士は平岡公威と飯沼勲
好きな超能力は千里眼
好きな遺跡は仁徳天皇陵
好きな飲み物は大五郎ベースのミント・ジュレップ
好きなシリアルはキラー
好きなクレヨンはさくら
好きな桜は根方に死体が埋まっている。
好きな死体は饒舌である。
好きなビートはたけし
好きな猛々しさは AFRO-BEAT
好きなアフロは SOUL TRAIN
好きなトリートメントはエメロン
好きな時計は[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]
好きな靴はおろし立てのオフホワイトのコンバースとJOHN LOBBのプレステージラインとa.Testoni
好きな蕎麦は時を知らせる。テンポがいい。Le temps est père de vérité.
好きな秋刀魚は目黒
嫌いなサンマは明石家
好きな鰯は信心
好きな鯛は海老で釣れた鯛
好きな釣りはねとらじで。
好きなねとらじDJはロイ清川
好きなポジションはリベロと敵の背後
好きなサプリはメントール
好きなギターはギブソン・レスポール・モデル(1968 Model)
好きなピアノはベーゼンドルファー・インペリアル290
好きな民族派の街宣車は衛藤豊久先生存命中の日本青年社の2番車
好きなフォースはダウン
好きなマイケルはタイソン
好きなディミトリはフロム・パリ
好きな教授はキヨカワ・ロイド・ジュニア
好きな作家は旧約聖書の作者
好きな詩人はアルチュール・ランボオ
好きな死人はモルグ街で眠っている。
好きな偉人はモーゼ
好きな韋駄天はフォレスト・ガンプ
好きな河童はジョニー・ワイズミュラー
好きな酔いどれはトマス・アラン・ウェイツ
好きな戦争は笑う戦争
好きなテクストは銀行通帳
好きな州はコネチカット
好きなチョコレートはキャドバリーのフルーツ&ナッツ・チョコレート
好きな国はキリバス(クリスマス島)
好きな胃薬は重炭酸ナトリウム
好きな戦術はマクナマラ方式
好きなアトラクションは赤札堂のタイム・サービス
好きな魚は幻の虚数魚i=Poisson d'Avrilと氷下魚
好きな区は港区
好きな缶詰はマルハのサバ味噌煮缶
好きな絵本は『羊男のクリスマス』
好きなクリスマスは「羊男のいないクリスマス」
好きな冒険は『羊をめぐる冒険』
好きな『羊をめぐる冒険』は初版で持っている。風もピンボールもワンダーランドも初版で持っている。『街と、その不確かな壁』が載った1980年9月号の『文學界』だって持っている。
好きなヤハギはハルキよりカッコイイと思う。
好きなヤハギは神様のピンチヒッターにはなれなくてもピンチランナー調書くらいは書けると思う。
好きなヤハギはキタカタよりか数段粋だと思う。
好きなカイタカケンは今頃グラスの淵をまわりながら「書いた? 書けん!」と怒鳴り散らしていると思う。
好きなカイタカケンはムール貝をバケツ3杯食った。(ほぼ日刊実話)
好きなイトイの「明るいビル」は魚籃坂界隈を14パーセントくらい明るくしたが品はない。
好きなクリームは初期
好きな映画監督はピーター・ボグダノヴィッチ
好きな敵は贅沢と素
嫌いな敵は霞ヶ関の木っ端役人
好きな探偵は法水麟太郎
好きなPRIVATE EYESはフィリップ・マーロウ
好きなタフ・ガイはマイク・ハマー
好きな伝言はマイク・ハマーへ
好きな方程式はE=MC ハマー
好きなハマはヨコハマ
好きなヨコはヨコスカ
好きなタテはバンツマ
好きなヨコハマは黄昏
好きな黄昏は神々の黄昏
好きな神は天照大神
好きな太陽は海とつがった太陽
好きな海は17歳
好きな17歳は南沙織
好きな南は国境の南
好きな西は太陽の西とバロン西とマンモス西
好きな東はちづる
好きな北は一輝
好きな川は隅田川とシルト川
好きな小川は等々力とJ.S.バッハ
好きな体位は正常位
好きな空賊はマンマムート団
好きな家電はGE社製冷蔵庫
好きな野菜はメークィン
好きな孤独は長距離走者の孤独と百年の孤独
好きな金田一京助の口癖は「これは何?」
好きな島はクリスマス島(キリバス領)
好きなウルトラマンはコスモス(略称: ウルトラマンコ)
好きなウルトラマンのコドモはウルトラマンコ
好きなカップヌードルは浅間山荘
好きなブランドは PATEK PHILIPPE & CoとVACHERON CONSTANTINとBRÉGUETとApple
好きな色はトスカーナ・ブルーとアドリアンニューウェイ・ブルーとターコイズ・ブルー
好きなカメラは地雷を踏む寸前にちょっとピンボケするライカ
好きなメガネはロイドとサヴィル・ロウ
好きな忍者は霧隠才蔵
好きなソナタは双曲線の彼方に向かっての一蹴
好きなアイスクリームはハーゲンダッツの抹茶黒蜜(300円)
好きなロボットはロビー
好きな探検隊はシュリーマン隊
好きな化粧水はへちまコロン
好きなエフェクターはナチュラル・ディレイ
好きな妖怪は垢舐め
好きな刑事はいない。
好きな星は願いを聞き届けてくれる星
好きな南方熊楠は『和漢三才図会』の綴じ糸を縁側で繕いながら寛いでいる。
好きな柳田國男は『海上の道』
好きな折口信夫は『ごろつきの話』
好きな侠客は会津小鉄
好きな無頼漢はモロッコの辰
好きなアウトサイダーはコリン・ウィルソン
好きなギャングスターはアルフォンス・ガブリエル・カポネ
好きなラッツ・アンド・スターは田代
好きなスクーターはヴェスパ
好きなヒーターはデロンギ
好きなミニッツ・リピーターはフランク・ミューラー
好きなビーフィーター(赤い牛喰い男御用達)は47度
好きな決めゼリフは「背中の桜が泣いている」
好きな部位は足首と大脳辺縁系及び大脳新皮質
好きな思想家はゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
好きな几帳面はイマヌエル・カント
好きな策略家はサルヴァトーレ・ルカーニア(ラッキー・ルチアーノ)
好きな道楽者は明烏
好きな放蕩者はやがて帰還する息子
好きな扇動者はカール・ハインリヒ・マルクス
好きなマルクスはアウレリウス・アントニヌス
好きな喜劇人はマルクス兄弟と大宮デン助とトニー谷とニート仁田
好きな博打打ちはフョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー
好きなジャン・ミシェル・フコは『監獄の誕生』
好きなジャン・ミシェル・(ウホッ)・フコは24会館
好きな書き手はモーリス・ブランショ
好きなイラストレーターはアドビとミルトン・グレイサーとシーモア・クワスト
好きなアドビはフォトショップ
好きな写真店は注文の少ない写真店
好きな場所はエルスケンの南、オキーフの西
好きな広告文案家は秋山晶と片岡敏郎と平賀源内
好きな商業図案家は杉浦康平と佐藤晃一と宮田識
好きな編集図案家は戸田ツトムと菊池信義
好きな商業造本家は戸田ツトムと杉浦康平と菊池信義と平野甲賀
好きな編集者は松岡正剛
好きな噺家は五代目古今亭志ん生
好きな浪曲師は二代目広沢虎造
好きな破産者は初代桂春團治
好きな剣術使いは机竜之助
好きな剣術流派は柳生新陰流
好きな兵法は甲陽軍艦
好きな作曲家はセルゲイ・ラフマニノフとグスタフ・マーラとヨハン・セバスチャン・バッハとヴィクター・ヤングとホーギー・カーマイケルとジョージ・ガーシュウィン
好きな作詞家は阿久悠
好きな編曲家はクィンシー・ジョーンズとデイヴ・グルーシン
好きなシンガー・ソング・ライターはジャクソン・ブラウン
好きなジャズ・ミュージシャンは全員死んだ。
好きなヴォイス・パフォーマーはエラ・フィッツジェラルドとエディット・ピアフ(編集焼飯)とイーヴァ・マリー・キャシディと吉田美奈子
好きなトランぺッターはクリフォード・ブラウンとマイルス・デイヴィスとブルー・ミッチェルとクリス・ボッティと大坂昌彦とニニ・ロッソ
好きなサキソフォニストはチャーリー・パーカーとソニー・ロリンズとキャノンボール・アダレイとジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーと渡辺貞夫とグローバー・ワシントン Jr.とデイヴィッド・サンボーンとサムエル・ルロイ・テイラー・ジュニア(Sam "The Man" Taylor)
好きなピアニストはビル・エヴァンスとキース・ジャレットとリッチー・バイラークとミシェル・ペトルチアーニとジャッキー・テラソンとグレン・グールドとロヴェール・カサドシュ
好きなヴァイオリニストはイツァーク・パールマン
好きなチェリストはパブロ・カザルスとムスティスラフ・ロストロポーヴィチとミッシャ・マイスキーとゴーシュ
好きなギタリストはパット・メセニーとマイケル・ヘッジスとタル・ファーロウとジョージ・ベンソンとリー・リトナーと井上銘と寺内タケシ
好きなベースマンはマーカス・ミラーとスコット・ラファロとチャーリー・ヘイデンとニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン
好きなドラマーはスティーヴ・ガッドとエルヴィン・ジョーンズと日野元彦
好きなパーカッショニストはモンゴ・サンタマリアとティト・プエンテとレニー・ホワイトとラルフ・マクドナルドと村上ポンタ秀一
好きなミュージシャンはデオキシリボヌクレイック・アシッド・ミュージックの旗手、ジャン・ミシェル・ミゴー
好きなTVドラマは和久井映見主演の『ピュア』
好きなレコード屋はiTunes Store
好きな鉄砲は数を撃てば当たる種子島スペシャル
好きな拳銃はワルサーPPKとブローニング380
好きな拳闘家はジャック・デンプシーとロッキー・マルシアーノとピストン堀口
好きなファイターはロッキー・マルシアーノ
好きな世紀の一戦はモハメド・アリV.S.ジョージ・フォアマン(キンシャサの奇跡)
好きな好事家は大倉喜七郎
好きな数寄者は千利休
好きな硬骨漢は白洲次郎
好きな伊達男は白洲次郎
好きな趣味人は白洲次郎
好きな日本人は白洲次郎
好きな料理人は雷門・柿汁の大将
好きな七人の侍は島田勘兵衛
好きなパンクスは反権威不服従直接行動とゴードン
好きなパンクラスは鈴木ミノル
好きなダンスはラスト・ダンス
好きなタンスにはゴンがある。
好きな家畜はヤプー
好きなガロは1978年9月号
好きなゼロはハリバートン
好きな夢魔は星新一
好きな魔王はパズズ
好きな悪魔はアンブローズ・ビアス
好きな悪党はジェシー・ジェームズ
好きな悪辣はボニー&クライド
好きな辛辣はジョージ・バーナード・ショウ
好きな辞典は大辞林とWikipediaと明解さん
好きな百科事典はエンサイクロペディアと平凡社大百科事典(CD-ROM版)
好きな花は強く生き、やさしく咲く女郎花
好きなストリート・ファイターはマイケル・パレ
好きなハンバーガーはヒル
好きなパンはキクラデスの空飛ぶパン
好きなファミレスはない。
好きな弁当屋は小菅の高橋屋
好きなレストランは青山キハチ(消滅)
好きなラーメン屋は目黒・勝丸と麻布十番のガソリン・スタンドの前で深夜営業していた軽トラ屋台の頃の麻布(アニキ)ラーメン(店主は元フレンチのシェフ。豚バラ肉の煮豚とスープが旨かった)
好きなとんかつ屋は目黒・ポーク亭
好きなもつ焼き屋は東駒形・とん平
好きな鰻屋は虎ノ門・鐵五郎
好きな天丼屋は浅草・天健
好きな牛丼屋はない。
好きなバンドはザ・クルセイダーズ
好きな祭りは2ちゃんねる
好きなハーケンクロイツは『大戦略』のエンディングで折れた。
好きなTOKIOは山口
好きな嵐はランボー
好きなアクション俳優はスティーヴ・マックイーンと千葉真一
好きな居酒屋は東駒形のもつ焼きとん平
好きなスターバックスはトレンタ・サイズのキャラメル・マキアート
好きなタリーズは麻布十番店のオープン・テラス
好きなスタバは横須賀シーサイドビレッジ店
好きなスタジオはPUSH PIN STUDIOSとBOLT & NUTS STUDIO
好きなドリフターズはいかりや
好きな公園は有栖川宮記念公園と木場公園とリュクサンヴール公園とセントラル・パーク
好きなチャットはLINE
好きなチョップはポークと空手
好きなミネラルはマグネシウム
好きな超人はハルク
好きな魔術師はフーディーニ
好きな姉妹は「20歳を過ぎたら21。」
好きなアンはマーグレット
好きな酒は焼酎大五郎とヘネシーVSOP
好きな裏本は横浜野毛の岡本書店で買っていた。
好きな寺はサクレクール
好きな石はトパーズ
好きなクレジットカードはない。使えない。
好きなシュートはサンチェス・ ロメロ・カルバハル社製イベリコ豚の生ハム
好きなハチミツとクローバーは恋仲である。
好きなDTPソフトウエアはQuark XPress
好きな文具メーカーはSTAEDTLERとMARVYとFABER-CASTELL
好きなFABER-CASTELLはAlbrecht Dürer Watercolor Pencils(120 Colors/Wood Box)
好きな鮨は鮪の赤身のづけ
好きな鮨屋は浅草・一心
好きな豆腐は風に吹かれて豆腐屋ジョニー
好きな緑黄色野菜はルナール
好きな物理法則は作用反作用の法則
好きなギターの弦はオカムラ
好きなスーパーはプライム両国店
好きなロックンローラーはジョニー・ウィンター
好きな埋葬は風葬
好きなセガールは刑事ニコ
好きなセガは怪し気なバーにピンボール・マシンやバリーのスロット・マシンをリースしていたセガ・エンタープライズ
好きなセナは1985年4月21日、ポルトガルのエストリル・サーキットにおいてポンコツ・ロータスを駆り、PP&FLで初優勝したアイルトン・セナ・ダ・シルバ
好きなアイルトンはナイジェル・マンセルと死闘を演じた1992年のモナコGPの激走
好きなアイルトン・セナ・ダ・シルバは1994年5月2日、イモラ・サーキットのタンブレロ・コーナーで死んじゃいました。
好きな将棋指しは升田幸三
好きな碁打ちは藤沢秀行
好きなチェス・プレイヤーはボビー・フィッシャーとジョシュ・ウェイツキン
好きな将棋の駒は香車
好きなチェスの駒はスティーヴン・ビショップ
好きな麻雀牌は「発」
好きなトランプ・カードはスティングと同じ。
好きな花札は坊主丸儲け
好きなチンチロリンはかっぱぎ
好きなチロリン村はどこだっけ?
好きなゲーム・ソフトは『ファイナル・ファンタジー7』
好きな巨大物件はサンダーバード2号
好きなUMAはケサランパサランとゴドルフィン・アラビアンとエクリプスとセクレタリアトとエリモジョージ
好きなこまどり姉妹は右
好きなザ・ピーナッツは沢田と結婚したほう
好きなザ・リリーズは右
好きな鮫はディープ・ブルー
好きな心霊現象は細木数子
好きな天変地異は細木数子
好きな阿鼻叫喚は細木数子
好きな言語道断は細木数子
好きな空前絶後は細木数子
好きな厚顔無恥は細木数子
好きな安岡正篤は細木数子に喰い殺された。
好きなコロッケは静岡県御殿場市山崎屋精肉店製
好きなメンチカツは東京都墨田区石原の名無し肉屋製
好きな鳥の唐揚げは東京都目黒区下目黒の鈴木肉店製
好きな秘密結社は死せる詩人の会
好きな大佐はカーツ
好きな東京大学歴代総長は蓮見重彦
好きな助数詞は「発」
好きな漢字文化圏における数の単位は「恒河沙」
好きなヤード・ポンド法における単位は「パイント」
好きな橋はいつかポーちゃんと会える虹の橋
好きな言葉は「語りつくせぬことについては沈黙せよ」
好きな態度は「沈黙。深き沈黙」

好きな最期は薄桃色の雲に乗った菩薩様がお迎えにくること。

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by enzo_morinari | 2018-05-13 06:26 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(4)

夜ふけの車の中で静かな痛みをともなって終りを告げる恋

 
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『Nuovo Cinema Paradiso』をみたのは泡の時代の真っただ中だった。世界で一番若かった。世界で一番傲り高ぶっていた。世界で一番愚かだった。本気で世界一の大金持ちになれると思いこんでいた。風向きが変わり、土砂降りの日々が数年後にやってくるとも知らずに。脇役であるとも知らずに。脇役ですらなかったとも気づかずに。

『Nuovo Cinema Paradiso』で忘れられないのは、映画監督として成功した初老のトト、サルヴァトーレがアルフレードじいさんがトトに形見として遺した映画フィルムの断片のコラージュをみるラストシーン、そして、不条理に別れ別れになったかつての恋人と痛みをともなった再会を果たし、夜ふけの車の中で「本当の別れ」を告げあうシーンである。かつての恋人、エレナとの車の中の「最後の夜」のシーンは泣けたな。涙はとどめようもなかった。「これがおとなの恋の終わり方なのだ」とも思った。エンニオ・モリコーネの音楽もスコブル付きでよかった。エンニオ・モリコーネは『Once Upon a Time in America』でも泣かせるいい音楽を聴かせていた。

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何十年ものあいだ別々の道を歩み、それぞれの生活、それぞれの暮らし、それぞれの人生をかかえたおとな同士の抜き差しならぬ恋くらいせつなく、痛みをともなうものはない。「明日」も「その先」もない恋。「快楽」のたぐいに身を窶す卑しい恋、倫ならぬ恋などとは意味がちがう。もちろん、「快楽」は重要なタームではある。好きな相手とともに「快楽」を共有したいというのは至極当然のことだ。しかし、そのためにあらゆる嘘、出鱈目、言い訳言い繕い言い逃れを並べたてた挙句に手に入れられるものなどなにもない。道端に吐き捨てられたチューインガムほどの価値さえない。あるのは虚しさだけだろう。残るのは傷痕くらいのものだ。そのせいで失い、傷つけるのは本当に大事なものということだ。その刹那、至上のものだと思った「快楽」は時が経てばつまらぬ石ころですらない。

頬ずりし、埋葬し、掘り返し、埋め戻す過去だって? A( )Cもたいがいにしておけ。ロマンチシズムの味つけで過去を飾りたてたいのだろうが、そんなものにはロマンの「ロ」の字もありはしない。そのような輩、不届き者にはマロン・グラッセもモンブランもマカロン・パリジャンも食す資格なしだ。「終わったことじゃなかったっけ?」だと? お生憎様、終わっているのはおまえさんの人生だ。一昨日おでまししやがれてんだ。糞ポンコツめ。

鏡で自分の顔をよくよく見てみるがいい。鏡の中には「卑欲」に蝕まれたあさましい畜生以下の顔が映っているはずだ。老いさらばえてから悔やんだところで、もはや取り返しはつかない。それが「時間」の残酷さである。「時間」が時間薬としての効果を発揮し、人生にひと筋の光が射すのは気高く生きた者、品性品格を失わなかった者に対してのみだ。卑しくあさましい者に本当の陽の光が射しこむことなどない。寡婦あるいは寡夫となってのち、ろくすっぽの操さえ立てられぬような輩もおなじである。近所の狒狒爺、狒狒婆と恥も知らぬげにいけしゃあしゃあ御懇ろとしけこむようなポンコツスカタンもだ。

サルヴァトーレとエレナはその後の人生でもおそらくは互いを胸の奥深くに思いながら、思いを秘めながら生きたにちがいない。もちろん、その「思い」はぬぐいようのない痛みをともなう。そして、それでいい。成熟は喪失と痛みの集積だから。クリティカル・ポイントのない恋などただの火遊びにすぎないということだ。火遊びが好きだというなら好きにするがいい。待ち受けているのは再生移植の効かない大やけどと火宅だ。

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 Nuovo Cinema Paradiso: Love Theme


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by enzo_morinari | 2018-05-07 05:57 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

パリの空の下のバラ色の人生 ── ラデュレのバールで「君の瞳に乾杯」したあとハシゴ酒する。

 
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ラデュレのバールで「君の瞳に乾杯」する。
遠い異国から客人が遥々やってきた。バツイチになったばかりだというその人物はインターネット黎明期に吾輩が出没していたあるチャット・ルームの常連で、当時は大学生だった。吾輩の幻惑衒学のエクリチュール・クワルテットによってコテンパンにされていたうちの一人である。

「酒は飲めるのかね?」
「はい」
「かなり飲めるのかね?」
「はい」
「ものすごく飲めるのかね?」
「はい」
「では、君の瞳に乾杯だ」

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安酒がやけにどてっ腹にしみる夜だった。
「だれにだって触れられたくない疵のひとつやふたつはある」と吾輩は言い、カルヴァドスの杯をあけた。そして、隣りにいる遠い異国から来た若者をみた。若者はうつむき、大粒の涙をぽたぽた床に落としている。

「なんの涙だね?」
「言いたくありません」
「言いたくなくても言うんだ」
「言わないとだめですか?」
「言わないとだめだ。それが掟である」
「なんの掟ですか!」
「吾輩と一緒にいるときの掟である」
「言います」
「いい子だ」
「うれし涙です」
「そうか。では、今夜は好きなだけ泣いてよろしい。いや、吾輩が泣かしてやる」

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本物の一流になることが一番大事なことなのだ。
「いいか? ここが肝心なところだからよく聴くんだぜ」と吾輩は言い、カルヴァドスをシルヴプレした。遠い異国から来た若者の眼にいつのまにか輝きが戻っている。

「今、すごく気分がいいだろう?」
「はい」
「なぜだと思う?」
「わかりません」
「考えろ」
「考えてもわかりません」
「わかるまで考えなさい」
「日が暮れてしまいます」
「もう夜だ」
「それじゃあ、夜が明けてしまいます」
「夜明けは遠い」
「うーん」
「もう逃げ場はない」
「もう死にたいです」
「仕方のない奴だ。では、教えてやろう」
「はい」
「本物の一流の場所で本物の一流と一緒にいるからだ」
「あ。なるほど」
「本物の一流になれ。いいな? 吾輩は本物の一流と本物の一流になる可能性のある者と本物の一流になろうと努力する者としかつきあわない」
「はい。でも、本物の一流になるためにはなにをすればいいんですか?」
「知りたいかね?」
「はい。もちろんです」
「どうしても知りたいかね?」
「どうしても知りたいです!」
「ロハで?」
「おカネは帰りの飛行機代しかありません」
「困ったな」
「わたしも困ってます」
「きみに困られては吾輩はもっと困る」

吾輩が言うと遠い異国から来た若者はくくくと笑った。

「本物の一流になるためにはだな ── いつも、常に、求めることだ」
「はあ? それだけですか?」
「無料の場合はこの程度である」
「飛行機代はあきらめます」
「ほんとか?」
「本当です!」
「本当の本当か?」
「本当の本当の本当です!」

遠い異国から来た若者の眼を覗きこむ。よし。腹をくくった眼だ。吾輩の眼に狂いはない。

「覚悟を決めたんだな?」
「決めました」
「どう決めたんだ?」
「飛行機代がないくらいで命を失うわけではありません」
「自分で答えをみつけたじゃないか」
「え?」
「つまりだな。いつ死んでもよし。臨終はこの瞬間、このたった今、現在のまっただ中にあるということだ」
「はあ…」
「つまりこういうことだ。アマゾンの奥地であろうとアフリカのサバンナのど真ん中であろうとマリアナ海溝の最深部であろうとアネイブル・コントロール中のV-22オスプレイの操縦席であろうとヨハネスブルグのポンテ・アパート42階の4242号室であろうとメイク・ラブの真最中であろうとめしもろくに喰えない貧乏どん底の困窮困憊の日々であろうと最愛の子、最愛のパートナー、最愛の親兄弟を失おうと、いつも、いかなるときにも、いかなる境遇にあろうとも、常に志をもって求めることだ」
「はあ…。でも、なにを求めたらいいんでしょうか?」
「ばかもの! それくらい自分でみつけやがれ!」

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世界の天井でハシゴ酒というのも乙なものだが、飲んだ酒は甲類である。
吾輩と遠い異国から来た若者は杯をかさね、ラデュレのバールのあと3軒ハシゴ酒した。

ベルモケで聴くジャッキー・テラソンの『Sous le ciel de Paris』は吾輩と遠い異国から来た若者の心にしみた。リヴェ・ドゥ・ラ・セーヌ・ア・パリを二人並んで歩き、ポン・デザールとポン・ヌフとポン・ロワイヤルを渡り、巨大な宝石、ポン・アレクサンドル・トワを1往復半して右岸に戻った。


アレクサンドル3世橋の女神たちにナンパされかかる。
4人の女神の前を通りすぎるたびに女神どもがウィンクしてきたが吾輩は華麗にスルーした。ピエール・グラネの女神だけが怒りの形相になり、闘いを挑んできたが、遠い異国から来た若者はその異変にまったく気づかない。暢気なものだ。ピエール・グラネの女神は吾輩がひと睨みするとすごすごと元の場所に戻っていった。


それにつけても、やはり人生はバラ色だ。
アレクサンドル3世橋を1往復半するあいだに吾輩は「本物の一流になれ」を3回言った。遠い異国から来た若者はそのたびに「はい」と言った。「3回目は自分に言ったのだ」と吾輩が言うと、遠い異国から来た若者がまた大声で泣いた。

「泣け泣け。もっと泣け。ここは世界の天井、パリだ。喜びも悲しみも一番最初に降りかかる」

それにしても、吾輩は本当によく人を泣かせる。天下御免の泣かせ屋一代。いまに始まったことではない。世界の天井でもなにひとつ変わらぬ。これもまた至誠一貫のひとつのかたちである。

遠い異国から遥々とやってきた若者よ。薄紅匂う荒野をこそ行け。なにはともあれ、人生はバラ色だ。

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La Vie En Rose - Edith Piaf
La Vie En Rose - Jacqueline François
La Vie En Rose - Sophie Milman
Sous le ciel de Paris - Edith Piaf
Sous le ciel de Paris - Yves Montand
Sous le ciel de Paris - Juliette Gréco
Sous le ciel de Paris - Larry Goldings & Harry Allen
 
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by enzo_morinari | 2014-06-17 06:30 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

されど、われらが幻のラ・トゥール・エッフェル

 
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1987年秋。早逝した戦友を追悼するために集ったリラの花影揺れる凱旋門の近くの小さな食堂で、漂えど沈まず、悠々として急ぐ宴の締めくくりに、我々はカルバドスの満たされた杯をあげ、死んだ友を思い、魂の奥深く刻み、誠を捧げてから静かに最後の乾杯をした。そして、固く再会を誓い、それぞれの戦場へと帰還した。

ある者は中東へ。ヨルダン川のほとりへ。ある者はアフリカへ。ヨハネスブルクのポンテシティ・アパートへ。ある者は民族の血で血を洗うボスニア・ヘルツェゴビナへ。希代の独裁者が跋扈するブカレストへ。またある者は西アジアへ。ベドウィンの民の中へ。

あれから四半世紀が経つ。そのあいだに数えきれぬほどの秋やら冬やら春やら夏やらが音も立てずに過ぎていった。再会も果たされぬまま多くの友が逝き、斃れ、少しの友が残った。幻のエッフェル塔はいまもかわらず、我々の前に墓標のように屹立する。友よ ── 。

"Giuseppe Tartini: Trillo del Diavolo (Devil's Trill Sonata)"
Anne-Sophie Mutter, James Levine & Wiener Philharmoniker
 
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by enzo_morinari | 2014-01-30 19:43 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/夢を語ったチューハイの泡に弾けた約束は

 
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夢を語ったチューハイの泡に弾けた約束はあかりの消えた浅草の炬燵ひとつのアパートで。B-T


冬将軍さまが肩で風を切っておでましになり、北風が手加減も容赦もなく強さを増して寒さが身にしみはじめるとビートたけしの『浅草キッド』を繰り返し聴く。そして、酒を飲む。いくらでも飲む。飲むのは熱燗かチューハイかウィスキーと決めている。それもとびきりの安酒を。カネがあろうとなかろうとかわらない。

『浅草キッド』と安酒と人生と。この先も、ずっとかわることはあるまい。酒の肴には湯豆腐か干物かモツの煮込みを喰う。チャラチャラしたものなど金輪際喰わない。喰う必要もなければ喰いたいとも思わない。貧乏人の小倅にはそれがお似合いだ。貧乏人の小倅は死ぬまで貧乏人の小倅だ。それでいい。田舎者が死ぬまで田舎者であるのとおなじ道理だ。オサレでお上品なおディナーやらおランチやらはおセレブさまがたに一切合切おまかせという寸法だ。

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古い友人から大層なものが贈られてきた。『サントリー山崎 35年』だ。サントリーぎらいでも『山崎』だけは好きでよく飲む。そのことを贈り主はちゃんとおぼえていた。持つべきは察しと記憶力のいい友人だ。それと金利なし催促なし天井なしでカネを貸してくれるホトケさま。(悪)

贈り主は泡の時代には敵の陣営に属し、権謀術数の限りをつくして戦った人物だ。仮にMとしておく。五歳年上。大学は同窓。学部学科もおなじ。師匠もおなじ。出自、身の上も酷似していた。吾輩は母一人子一人で育ったが、Mは父子鷹だった。

「手加減なし。容赦なし」という手法もよく似ていた。勝敗についてはいまさら言わない。Mもこれを読んでいるから。Mとの戦いにかぎって言うならば勝敗はほとんど意味を持たない。そしていまや、Mと吾輩は「勝った/負けた」というガキ小僧っ子の季節からはとっくのとうに卒業しているという寸法だ。あとは間尺に合わないことやおのれの流儀、誇り、プリンシプル、筋目、天然自然の理に背くもの、反するもの、踏みにじるもの、そういった輩やことどもと、それこそ百年に一度の「戦い」をするだけだ。それまでは風に吹かれて酒でも飲んでいるくらいがちょうどいい。

泡の時代の戦を経て、吾輩とMはしばしば会うようになり、「物理学における基本粒子」を言いっこしたり、頭突きっこしたり、ギネスを賭けて腕相撲したり、沈黙合戦したり、人文科学と社会科学限定の尻取りをしたり、ダブルアキュートとサーカムフレックスとオゴネクとセディーユとトレマとマクロンとコンマビローとブレーヴェとハーチェクとチルダの「チーム・ダイアクリティカルマーク」を相手に真夜中の新宿御苑で大立ち回りをしたり、人類史とアーサー王伝説と『ダニーボーイ』とクラウゼヴィッツの『戦争論』とジェイムズ・ジョイスとサミュエル・ベケットと「ティム・フィネガンはなぜ屋根から転落し、『フィネガンズ・ウェイク』の "フィネガンズ ”にはなぜアポストロフィーがついていないのか?」について、さらには「クォーク鳥が "クォーク"と3回鳴いた意味」についてちょっとした議論をし、「Life is a Work in Progress」という地点に落下傘なしでいっしょに着地し、最後には握手していい友人になり、ついにはかけがえのない戦友になった。Mがその後、父親の地盤看板鞄を継いで選良となったときは心の底から驚くと同時に嬉しかった。たぶん、あのときの言い争いと頭突きと腕相撲と尻取りと議論が彼の政治意識を目覚めさせ、高め、ついには彼を政治家にさせたのだ。そのことはわれわれの友情に一時的に終止符を打つ結果となり、「二人だけの聖パトリック・デー」の終焉をもたらしたが、なにひとつ悔いはない。

Mと最後に飲んだのは『山崎 SHERRY WOOD 1986』だった。いまはなき銀座8丁目の「BAR いそむら」で。その後、「BAR いそむら」が店じまいし、磯村のおやじの弟子の藤本がおなじ場所で新たに店を始めたからと誘われたが、よんどころのない事情が山積していて行けなかった。

Mよ、どうなんだ? 藤本の店は。縁があればまたいっしょに『山崎 SHERRY WOOD 1986』かグレンリベットの1972年で酔いどれようじゃねえか。

こたびの選挙は残念だったな。まあ、しょうがない。次の次くらいに照準を合わせるのが得策ってもんだ。浪人中の面倒はおれがみる。いままで陽の当たる道ばかりを歩いてきたんだ。一度くらい男芸者の時期があってもいいだろう。そして、腰をすえて本を読み、さらに勉強し、ものを考えろ。宇宙と生命と人生の謎と不思議を解明しろ。おれはすでに3分の2ばかり解明できたぜ。

長い浪人生活、長い闘病生活、長い投獄生活のいずれかを経験するくらいの苦労をしなければ本物になれない」という”電力の鬼”松永安左エ門だか野村証券の奥村綱雄だかの言葉をおれに教えてくれたのは、M、おまえだぜ。

どうあがいても、こたびの選挙で勝つことはできなかった。そして、そのほうがよかったんだ。しばらくは風向きが悪いからな。いまはおれたちが出張っていくときじゃない。雑魚どもに踊るだけ踊らせときゃいい時期だ。そして、最後に獲物と賭け金はすべていただく。それがおれたちのやり方だったろう? 忘れちゃいないよな?

なあ、Mよ。決して焦るんじゃねえぞ。いいな? 賢いおまえのことだ。わかりすぎるくらいわかってるよな。答えなんぞ孕んじゃいないかもしれないが、しばらくは風に吹かれていろよ。

風に吹かれるのはとても気持ちがいいぜ。流れに身をまかせるのもやっぱり気持ちがいい。ときどき立ち止まればいいんだ。ほんの少しだけな。

風に向かったり、流れに逆らって前に進むのなんか百年に一度でいい。本当の孤独は百年に一度味わえばそれでじゅうぶんなんだ。その孤独に出会うまでは風に吹かれたり、風の歌に耳を澄ましたり、星に願いをかけたり、夕焼けに心をふるわせたり、雨粒の数をカウントしたり、虹の彼方に夢を託したり、野うさぎの走りに目を奪われたりしていればいいんだ。そのほうがずっといい。

ときどき立ち止まり、風の歌に耳を澄まそうぜ。そして、風のように生き、いつの日か風になろう。

たった一人で炎の中心に立ちつづけようとする意志があるかぎり、なにもこわいものはない。風向きなんぞいつかかわる。パッとかわる。かえることができる。

これがいまのところのおれがおまえに贈ることができ、贈りたい言葉だ。ありがたく受け取っておきやがれ。ただし、おまえも知るとおり、おれのギャラは高えぜ。隙を見せたら手加減なし容赦なしで尻のけばの果てまで一本残らず抜いちまうというのは昔も今もなにひとつ変わっちゃいないしな。どうだ? すげえだろう? これをして至誠一貫てんだ。おぼえとけ。

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さて、今夜はひとり酒だ。ホッケを一枚炙って、『浅草キッド』を聴きながら『山崎 35年』をちびちび飲るさ。Mよ、おまえも飲れ。酒の肴がわりの思い出やら悔やむ過去ならお互いに手持ちはいくらでもある。

ちっ。妙に湿っぽくなってきやがった。寄る年並ってことかな。時間は残酷だな、Mよ。おっと。あの浅草観音裏の「佐久間」の夜までもがよみがえってきたぜ。

おれとおまえ、二人そろって大敗北を喫して、二人の有り金あわせて四千三百円。だが、二人して大笑いしながらひと皿の芋の煮っころがしと牛スジの煮込みをつつき、安焼酎を2本あけた。見かねた「佐久間」のおふくろが焼酎を1本くれたうえに、あるだけの肴を喰わせてくれた。

帰りがけ、三社様と観音様に二人ならんでお詣りしながら二人そろってぽろぽろ涙がこぼれた。涙と洟水を袖口でごしごしこすって拭いた。傍で見ていた新門の若衆もいっしょになって泣いてやがった。

しみる夜だったなあ。あれからもう20年だ。夢はとっくのとうに砕け散ったが捨てたとは言っちゃいない。おまえもだろう?

Here's looking at you, Kid!


浅草キッド - ビートたけし (1987) 作詞/作曲: ビートたけし

おまえと会った仲見世の 煮込みしかないクジラ屋で
夢を語ったチューハイの 泡に弾けた約束は
あかりの消えた浅草の 炬燵ひとつのアパートで

おなじ背広を初めて買って おなじ形の蝶タイつくり
おなじ靴まで買う金はなく いつも笑いのネタにした
いつか売れると信じてた 客が二人の演芸場で

夢を託した百円を 投げて真面目に拝んでる
顔に浮かんだ幼子の 無垢な心にまた惚れて

一人訪ねたアパートで グラス傾けなつかしむ
そんな時代もあったねと 笑う背中が揺れている

夢は捨てたと言わないで ほかにあてなき二人なのに
夢は捨てたと言わないで ほかに道なき二人なのに

 
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by enzo_morinari | 2013-11-17 01:06 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)