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カテゴリ:流儀と遊戯の王国( 31 )

流儀と遊戯の王国 チキンライス世界の松本人志とハードボイルド・ワンダーランド

 
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Ω/ω → Α/α 終わりの始まりの終わりの始まり。

カネがないならカネのあるほうが出せばいい。そろってカネがないならいっしょに泣けばいいだけの話である。森鳴燕蔵

宇宙の渚はとても静かだった。私とジャーマン・シェパードは宇宙の渚を歩きながら、「真実以外のなにものも語らなくなってしまった男の不幸の重量」と「人間が有史以来歩いてきた道の数」について話し合い、ビッグバン・ビッグクランチ・ビッグスクラッチ42億丁目のはずれ、ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド・オブ・ドリームス137億地区を目指した。路傍の石の集団がそこかしこで重力の虹の叩き売りをはじめた。遺伝子の虹を反重力反物質低反発枕につけあわせる輩まで現れたときにはいくぶんかげんなりだった。

反レイプ/反広河隆一/反山口敬之/反上野千鶴子/反中ピ連(榎美沙子)/反レイシズム/反辻元清美/反福島瑞穂/反蓮舫/反田嶋陽子シンポジウム後の合コンで被レイプ経験豊富(自己申告)だという24歳のヴァカ女が「私、パパ活始めたの」と言うと、被レイプ経験のないしょんべん臭い小娘が「それ売春ですよね。犯罪ですし、ハンザ同盟ですし、ルフトハンザですし、大っぴらに言うことではないと思います」と言った。

パパ活ヴァカ女が「肉体関係はないの。ごはんをごちそうしてもらって、おこずかいをもらうだけ」と言うと、しょんべん臭い小娘は「それって、コジキですよね」と言い、パパ活ヴァカ女を激怒させた。

帰り道、しょんべん臭い小娘に「事実を言えばいいというのものではない。事実をあげつらい、あることないこと/ないことないことならべておちょくり、小馬鹿にし、蔑み、さらし者にしていいのは居残り佐平次と小言幸兵衛だけだ」と注意しておいた。


さて、クリスマスが近くなるとできたてのチキンライスの酸っぱい湯気の向こう側に見え隠れするまだ若く美しい母親の笑顔を思い出し、『チキンライス』を聴く。『チキンライス』と『浅草キッド』を聴きながら年の瀬をやりすごし、年をまたぐ。

『チキンライス』はいい歌だ。デビュー当時の宇多田ヒカルくらいいい。たけしの『浅草キッド』に迫る。

『チキンライス』を初めて聴いたときは自分が経験してきたことと驚くほどに酷似していたのでびっくりした。親の顔色をうかがい、懐具合を気づかって一番安いメニューのチキンライスを注文するところ。「貧乏自慢ですか」と無言で問うおっちょこちょいの愚か者に対して抱く諦めと悲しみがないまぜになった複雑な思い。いまはなき赤坂プリンスのスィーツで「やっぱり七面鳥よりチキンライスがいいや」というところ。そして、「最後は笑いにかえるから」というところ。

『チキンライス』を聴いて松本人志という男と真っ正面から向かいあおうと思った。入手可能な松本人志の本やら雑誌のインタビュー記事やらをすべて読み、考えた。結論は、「松本人志は本物だ」ということだった。

松本人志はきわめつきのハードボイルドだ。「笑い」の質のエキセントリックさに気を取られていると松本人志の本質を見失う。松本人志の根っこ、基礎、支えているもの、ルサンチマン、闇、そして影。松本人志を松本人志たらしめているもの。それは、貧乏/貧困であり、不全感だ。

松本人志は一見すると斜に構えているようだがとんでもない。松本人志は人間、社会、世界と真っ正面から向きあっている。真っ正面から向きあっていなければあの種類の笑いを生みだすことはできない。照れ隠しに「斜に構えている」ように見せているだけだ。

きょうび、どいつもこいつもやに下がり、ふやけたやつばかりだが、松本人志はとんがっている。切っ先鋭い。結婚し、こどもができて落ちついたようにみられているがそれは表面上のことだろう。ふてぶてしい面構えは以前となにも変わっちゃいない。

テレビ受像機の画面をときどきぶっ叩いてやることもあるくらいのふてぶてしい面構え。そこがまたいい。クチビル・ハマーなど松本人志に比べたらまだまだどこにでもいるあんちゃんにすぎない。かわいいものだ。

松本人志がなにかに集中してぐっと視線を止めたときには背筋が凍りつくような凄味がある。あの松本人志の眼のたぐい、眼の奥に秘めているもの、宿しているものは長い人生でもそうそうお目にかかれるものではない。松本人志もめったに人前ではみせない。意識してそうしているのかどうかはわからない。あの眼はまちがいなく「地獄」をみた眼だ。いや、「地獄」に堕ちること、「地獄」に引きずりこまれることを覚悟し、腹をくくったうえで「地獄」の尻の穴まで観察し、見届けようとした眼である。地獄を観察する者。あるいは、地獄を計測する者。それが松本人志だ。

過去に2度だけ松本人志の「あの眼」とおなじ眼に遭遇したことがある。「いい死に場所」と「死ぬには手頃な日」を探して「ヤバイ場所」をほっつき歩いていた頃だ。一人はペルーで。反政府ゲリラ組織の兵士。もう一人は開高健。2度ともおそろしかった。背筋が強い痛みをともなって凍りついた。もうあのたぐいの眼にお目にかかることはないだろうと思っていたら、テレビ受像機の画面から松本人志に睨みつけられた。以前とおなじように背筋が凍りついた。

松本人志の独創と発想力と即興は瞠目に値する。たけしと松本人志の対談を読めば松本人志の「精神性」の一端を垣間みることができる。『遺書』も「松本人志解読」の必読書である。

松本人志にはいずれ、保身と利権の確保に血道を上げる愚劣卑劣な木っ端役人どもや既得権益の上にあぐらをかいている守旧派守銭奴どもの牙城に風穴をあけるくらいの爆弾を炸裂させてほしいものだ。

人生という厄介なゲームに土塊ひとつ担保提供せぬまま恥知らずにもローリスク・ローリターンの定額貯金に精を出す善人づらした小市民や醜悪きわまりもない親和欲求に翻弄されるボンクラや臆面もなく純朴偽装した能天気や暮らし自慢、ライフ・スタイル自慢にうつつをぬかして日も夜もあけぬ極楽とんぼや裏切りと嫉妬と欲得と保身に彩られた者たちに回復不能な一撃を加えることがお茶の子さいさいになるくらいのごっつええ感じでガキ帝国なのを。

もともと、上っ調子な「笑い」にはまったく興味がなかった。鬱屈したもの、ルサンチマン、闇、影を誰にも触れることのできない敏感でナイーヴで脆い、もっとも奥まったところに隠し持ちながら、それを「笑い」にかえる。そのような「笑い」に魅かれた。萩本欽一やらドリフターズやらとんねるずやらのたぐいのなにがおもしろいのかこれっぽっちも理解できなかった。不思議でしかたなかった。いまの「お笑い芸人」と呼ばれている若造どものあらかたについても同じだ。チュートリアルの徳井とブラマヨの吉田には少し注目している。あとはひと山いくらという括りでじゅうぶんだ。徳井と吉田はTwitterでフォローして、ときどき「毒舌」をかましているが、いまのところ反応はない。まあ、縁がないということだろう。

できるならば貧乏なんぞしないほうがいいに決まっている。好き好んで貧乏になるやつなどいない。いるはずがない。こどもの頃の貧乏、経済的な不遇はたいていの場合、一生ついてまわる。そして、さらに悪いことに貧乏は世代交代しながら拡大再生産されていく。貧乏人のこどもは親よりさらに貧乏になり、そのまたこどもはもっと貧乏になる。石川啄木の依存性向と甘っちょろさはきらいだが、「働けど働けどわが暮らし楽にならず」というのは人生、社会の実相の一面を言いあらわしてはいる。

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小学校の6年間、ただの一度も給食費を払えぬような貧乏の中に育ったので暮らし自慢、ライフ・スタイル自慢に日も夜もないおセレブさまがたの極楽とんぼぶりに接すると虫酸が走りまくる。反吐が出る。はらわたが煮えくりかえる。

ゼニカネにはなにひとつ不自由などなく、周囲には鼻高々の暮らしっぷりなんだろうが、私は彼らの中にいやしさ/あさましさ/さもしさのにおいをどうしても嗅ぎとってしまう。「◯◯でランチ♪」なんぞというテクストを目にすると8分音符を分解して蝦蟇のオタマジャクシに変えてから、ネウマ記譜法もタブラチュア記譜法もいっさい無視してダ・カーポかフェルマータかダル・セーニョに全休符つけあわせてデルフォイ神殿に生け贄としてお供えしてやりたくなる。

私が長いあいだ喰らってきた昼めしは「日の丸弁当に玉子焼きが一枚のっかったドカベン」だ。うまかった。腹いっぱいになった。お品がないか? 野蛮か? おセレブさまがたの暮らしや「おランチ」や「午後のお茶の会」や「オサレなカフェ」が上品で文化的であるというなら、品も文化も糞食らえだ。

おセレブさまがたには100万回に一回でいいから「すべらない話」を聞かせてもらいたいものだ。あんたたち、気づいているかどうか知らんが、いつも滑ってるよ。それもレベルがすごく低いところで大滑り上滑りだ。豪勢な「おランチ」を画像入りで見せられ、読まされても、肝心の料理の味も香りも盛りつけのセンスもサーヴィングのよさもまったく伝わってこない。画像はどれもこれも雑誌かネット上のどこかで見たことがあるような構図ばかりで、まるで観光客の客足が絶えて久しい寂れた観光地の土産物屋で売っている絵葉書みたいだしな。

人生も世界もおセレブさまがた乃至はその追従者/提灯持ち/お先棒担ぎが考えているほど単純でもハッピーにも出来あがってはいない。「おランチ」やら「午後のお茶の会」やら「オサレなカフェ」やらディズニーランドやらスカイツリーやらで幸福と「いい人生」が手に入るなら神さまも苦労しない。ハッピー・クリスマスもメリー・クリスマスもHappy New Yearもけっこうだが、上っ調子上滑りに街中でお祭り騒ぎをやられるのはもうたくさんだ。

「貧乏」「貧困」というのはひとつのクライシス・モーメントだ。クライシス・モーメントの季節をすごしたことのない者は例外なく向上心がない。恥知らずである。恥知らずは恥を知らぬがゆえにためらいなく人を裏切り、手のひらをかえす。ちょっとした風向きの加減で経済的な不遇をかこっている者をこそ私はわが友とする。

カネがないならカネのあるほうが出せばいい。そろってカネがないならいっしょに泣けばいいだけの話である。貸したカネを返さずに消息を絶った者がいたらそのことによって彼が一瞬でも救われたのであると思えばいい。しかし、恥を知らぬ輩に飲まされた煮え湯だけは何十年経とうと煮え湯のまま、はらわたの煮えくりかえり具合は当時のままだ。そして、私は恥知らずとはどのようなしがらみ、事情があれ、たとえ大きな仕事をもたらすとしても、いっさい縁を持たない。いずれ、煮え湯を飲まされ、はらわたが煮えくりかえりつづけることを知っているからだ。

恥知らずは一度二度三度どころか何度でも恥知らずを繰り返す。もはや「恥知らず病」と呼びたくなるほどだ。そして、「住宅ローン」とやらを完済したことを得意げ自慢げに得々としてほざく愚か者はゴマンといる。人生という一筋縄ではいかないゲームで、土塊ひとつ担保提供していないくせにわけまえだけは一丁前に要求した挙げ句、裏では郵便局の定額貯金に精を出すいやしさあさましささもしさもちょくちょく目にする。喪もあけぬうちから近所の狒狒爺/狒狒婆と御懇ろに及ぶ不逞の輩が掃いて捨てるほどいる。

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おセレブさんにまつわるある驚愕のシーン。あれは泡の徒花が末期の狂い咲きをしている最中のことだ。場所は銀座。RESTAURANT L'OSIER だ。おねいちゃんのたってのリクエストに「おまえのおごりならつきあってやってもよろしい」と申し渡して、いやいやながら待ち合わせ場所の銀座4丁目交差点和光前に出向いた。

ロオジェの料理がうまいのは十分に知っている。おそらく、その時点で亡くなった高橋徳男の「アピシウス」、広尾の「RESTAUTANT Hiramatsu」、ムッシュ勝又登の「オーベルジュ・オー・ミラドー」と並んで、日本一うまいフランス料理が喰える店だった。何年も行っていないがジャック・ボリーの舌、味蕾、嗅覚、視覚、聴覚が劣化していなければ料理のクオリティは超一級を維持しているはずだ。リニューアル・オープンのときには行ってみたいものだ(と思ったら、ジャック・ボリーの野郎、ロオジェにアデューしてやがるじゃねえか。終わったな、ロオジェ)。サーヴィングのレベルもトップ・クラス。ジャック・ボリーは鼻持ちならなくて好きではなかったが、人物を喰うわけではない。あくまでも料理を喰うんだからシェフがたとえ福島瑞穂や勝間和代や田嶋陽子や辻元清美や秋元康や石橋貴明やAKB48でも料理がうまけりゃ文句はない。

おねいちゃんは待ち合わせの定刻よりだいぶ前に和光前に来ていた様子で、私が本当に来るかどうか不安そうに見えた。私はあえて中央通り反対側の三越前に車を迂回させた。そして、車の中からおねいちゃんの様子をしばし観察することにした。落ちつきなくきょろきょろと右に左に顔を振っている。私を探しているんだろう。しきりに腕時計を見ている。

待ち合わせ時刻10分前。苛立たしげに左足の靴のかかとを地面に打ちつけてやがる。車から降り、腕組みをし、仁王立ちで和光方向を見る。おねいちゃん、すぐに気がつく。満面の笑顔。信号がまだ青になっていないというのに小走りで私に向かってくる。

「もう! いらっしゃらないかと思いました!」
「もう? 牛? 偶蹄目?」
「ちーがーいーまーすっ!」
「いや、それが急用ができちゃってだな、きょうは」と言ったところでおねいちゃんの顔がみるみる歪み、崩れていく。

「おいおい。冗談だよ。人前で泣いていい街は大阪だけだぜ」

私が言うとおねいちゃんは私の胸に顔をうずめて泣きだす。おねいちゃんをなんとか慰め、なだめ、銀座7丁目の資生堂をめざす。おねいちゃんは指導どおり私の左側やや後ろを歩く。そして、とても自然に巧みに私の左肘の少し上あたりに手を添える。腕を組むような下品なことはしないようにとの指導をきちんと守っている。上出来上出来。「このおねいちゃん、もしから当たりかもしれないな」とさえ思う。「嫁にしてやるか」とも思う。このおねいちゃんこそが虹子だ。

食後、2杯目のエスプレッソ・ダブルを飲んでいるときに生涯にわたって忘れえぬおセレブさんはやってきた。Dior POISON の地獄の大釜で煮立てた馬房のような毒々しいにおいをふりまきながら。藤色のヴェルサーチのスーツを着て髪をキンキラキンに染めた親子ほども齢の離れた若い男を従えて。野村沙知代だった。まちがってもチキンライスの湯気の向こうには見たくない御面相だった。


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チキンライス/浜田雅功と槇原敬之
 
by enzo_morinari | 2020-01-02 16:27 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/Mよ 夢を語った酎ハイの泡に弾けた約束は

 
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夢を語った酎ハイの泡に弾けた約束はあかりの消えた浅草の炬燵ひとつのアパートで。B-T


冬将軍さまが肩で風を切っておでましになり、北風が手加減も容赦もなく強さを増して寒さが身にしみはじめるとビートたけしの『浅草キッド』を繰り返し聴く。そして、酒を飲む。いくらでも飲む。飲むのは熱燗か酎ハイかウィスキーと決めている。それもとびきりの安酒を。カネがあろうとなかろうとかわらない。

『浅草キッド』と安酒と人生と。この先もずっとかわることはあるまい。酒の肴には湯豆腐か干物かモツの煮こみを喰う。チャラチャラしたものなど金輪際喰わない。喰う必要もなければ喰いたいとも思わない。貧乏人の小倅にはそれがお似合いだ。

貧乏人の小倅は死ぬまで貧乏人の小倅だ。それでいい。田舎者が死ぬまで田舎者であるのとおなじ道理だ。オサレでお上品なおディナーやらおランチやらはおセレブさまがたに一切合切おまかせという寸法である。

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古い友人から大層なものが贈られてきた。『サントリー山崎 35年』だ。サントリーぎらいでも『山崎』だけは好きでよく飲む。そのことを贈り主はちゃんとおぼえていた。持つべきは察しと記憶力のいい友人だ。それと金利なし催促なし天井なしでカネを貸してくれるホトケさま。(悪)

贈り主は泡の時代には敵の陣営に属し、権謀術数の限りをつくして戦った人物だ。仮にMとしておく。5歳年上。大学は同窓。学部学科もおなじ。師匠もおなじ。出自、身の上も酷似していた。私は母一人子一人で育ったが、Mは父子鷹だった。

「手加減なし。容赦なし」という手法もよく似ていた。13勝1敗。最後の戦いでMに大敗を喫したが、その1敗の価値はこれまでにえた勝利に匹敵するかそれ以上だ。Mもその意味をわかっているはずだ。かけがえのない友をえることができたという、その1点において。

勝負の中身についてはいまさら言わない。Mもこれを読んでいるから。Mとの戦いにかぎって言うならば勝敗はほとんど意味を持たない。そしていまや、Mと私は「勝った/負けた」というガキ小僧っ子の季節からはとっくのとうに卒業しているという寸法である。

勝ち組? 負け組? なんだそりゃ? 勝ちだの負けだのってえのはうめえ話か? 歯ごたえはどうなんだ? 税金払わなくて済むのか? このちっぽけな宇宙を支配しているのは物理法則だけだ。勝ち負け/正邪/善悪/美醜/美味い不味いなんぞ知ったこっちゃねえって話だ。

あとは間尺に合わないことやおのれの流儀、誇り、プリンシプル、筋目、天然自然の理に背くもの、反するもの、踏みにじるもの、そういった輩やことどもと、それこそ百年に一度の「戦い」をするだけだ。それまでは風に吹かれて酒でも飲んでいるくらいがちょうどいい。

泡の時代の戦を経て、私とMはしばしば会うようになり、「物理学における基本粒子」を言いっこしたり、頭突きっこしたり、ギネスを賭けて腕相撲したり、沈黙合戦したり、人文科学と社会科学限定の尻取りをしたり、ダブルアキュートとサーカムフレックスとオゴネクとセディーユとトレマとマクロンとコンマビローとブレーヴェとハーチェクとチルダの「チーム・ダイアクリティカルマーク」を相手に真夜中の新宿御苑で大立ち回りをしたり、人類史とアーサー王伝説と『ダニーボーイ』とクラウゼヴィッツの『戦争論』とジェイムズ・ジョイスとサミュエル・ベケットと「ティム・フィネガンはなぜ屋根から転落し、『フィネガンズ・ウェイク』の "フィネガンズ ”にはなぜアポストロフィーがついていないのか?」について、さらには「クォーク鳥が "クォーク"と3回鳴いた意味」についてちょっとした議論をし、Life is a Work in Progressという地点に落下傘なしでいっしょに着地し、最後には握手していい友人になり、ついにはかけがえのない戦友になった。Mがその後、父親の地盤看板鞄を継いで選良となったときは心の底から驚くと同時に嬉しかった。たぶん、あのときの言い争いと頭突きと腕相撲と尻取りと議論が彼の政治意識を目覚めさせ、高め、ついには彼を政治家にさせたのだ。そのことはわれわれの友情に一時的に終止符を打つ結果となり、「二人だけの聖パトリック・デー」の終焉をもたらしたが、なにひとつ悔いはない。

Mと最後に飲んだのは『山崎 SHERRY WOOD 1986』だった。いまはなき銀座8丁目の「BAR いそむら」で。その後、「BAR いそむら」が店じまいし、磯村のおやじの弟子の藤本がおなじ場所で新たに店を始めたからと誘われたが、よんどころのない事情が山積していて行けなかった。

Mよ。どうなんだ? 藤本の店は。縁があればまたいっしょに『山崎 SHERRY WOOD 1986』かグレンリベットの1972年で酔いどれようじゃねえか。

こたびの選挙は残念だったな。まあ、仕方ない。次の次くらいに照準を合わせるのが得策ってもんだ。浪人中の面倒はおれがみる。いままで陽の当たる道ばかりを歩いてきたんだ。1度くらい男芸者の時期があってもいいだろう。そして、腰をすえて本を読み、さらに勉強し、ものを考えろ。宇宙と生命と人生の謎と不思議を解明しろ。おれはすでに3分の2ばかり解明できたぜ。

長い浪人生活、長い闘病生活、長い投獄生活のいずれかを経験するくらいの苦労をしなければ本物になれないという”電力の鬼”松永安左エ門だか野村証券の奥村綱雄だかの言葉をおれに教えてくれたのは、M、おまえだぜ。

どうあがいても、こたびの選挙で勝つことはできなかった。そして、そのほうがよかったんだ。しばらくは風向きが悪いからな。いまはおれたちが出張っていくときじゃない。雑魚どもに踊るだけ踊らせときゃいい時期だ。そして、最後に獲物と賭金はすべていただく。それがおれたちのやり方だったろう? 忘れちゃいないよな?

なあ、Mよ。決して焦るんじゃねえぞ。いいな? 賢いおまえのことだ。わかりすぎるくらいわかってるよな。答えなんぞ孕んじゃいないかもしれないが、しばらくは風に吹かれてろよ。

風に吹かれるのはとても気持ちがいいぜ。流れに身をまかせるのもやっぱり気持ちがいい。ときどき立ち止まればいいんだ。ほんの少しだけな。

風に向かったり、流れに逆らって前に進むのなんか百年に一度でいい。本当の孤独は百年に一度味わえばそれでじゅうぶんなんだ。その孤独に出会うまでは風に吹かれたり、風の歌に耳を澄ましたり、星に願いをかけたり、夕焼けに心をふるわせたり、雨粒の数をカウントしたり、虹の彼方に夢を託したり、野うさぎの走りに目を奪われたりしていればいいんだ。そのほうがずっといい。

ときどき立ち止まり、風の歌に耳を澄まそうぜ。そして、風のように生き、いつの日か風になろう。

たった一人で炎の中心に立ちつづけようとする意志があるかぎり、なにもこわいものはない。風向きなんぞいつかかわる。パッとかわる。かえることができる。

これがいまのところのおれがおまえに贈ることができ、贈りたい言葉だ。ありがたく受け取っておきやがれ。ただし、おまえも知るとおり、おれのギャラは高えぜ。隙を見せたら手加減なし容赦なしで尻のけばの果てまで1本残らず抜いちまうというのは昔も今もなにひとつ変わっちゃいないしな。どうだ? すげえだろう? これをして至誠一貫てんだ。おぼえとけ。

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さて、今夜はひとり酒で昭和の夜とシャレこむとしよう。ホッケの干物を一枚炙って、『浅草キッド』を聴きながら『山崎 35年』をちびちび飲るさ。Mよ。おまえも飲れ。酒の肴がわりの思い出やら悔やむ過去ならお互いに手持ちはいくらでもある。

ちっ。妙に湿っぽくなってきやがった。寄る年並ってことかな。時間は残酷だな、Mよ。おっと。あの浅草観音裏の「佐久間」の夜までもがよみがえってきたぜ。

Mよ。おれとおまえ、二人そろって大敗北を喫して、二人の有り金あわせて4200円。だが、二人して大笑いしながらひと皿の芋の煮っころがしと牛スジの煮込みをつつき、安焼酎を2本あけた。見かねた「佐久間」のおふくろが焼酎を1本くれたうえに、あるだけの肴を喰わせてくれた。

帰りがけ、三社様と観音様に二人ならんでお詣りしながら二人そろってぽろぽろ涙がこぼれた。涙と洟水を袖口でごしごしこすって拭いた。そばで見ていた新門の若衆もいっしょになって泣いてやがった。

しみる夜だったなあ。あれからもう25年だ。夢はとっくのとうに砕け散ったが捨てたとは言っちゃいない。おまえもだろう?

Here's looking at you, Kid!


浅草キッド (1986) 歌唱/作詞/作曲:ビートたけし

おまえと会った仲見世の煮込みしかないクジラ屋で
夢を語った酎ハイの泡に弾けた約束は
あかりの消えた浅草の炬燵ひとつのアパートで

おなじ背広を初めて買っておなじ形の蝶タイつくり
おなじ靴まで買う金はなく いつも笑いのネタにした
いつか売れると信じてた 客が二人の演芸場で

夢を託した百円を投げて真面目に拝んでる
顔に浮かんだ幼子の無垢な心にまた惚れて

一人訪ねたアパートでグラス傾けなつかしむ
そんな時代もあったねと笑う背中が揺れている

夢は捨てたと言わないで ほかにあてなき二人なのに
夢は捨てたと言わないで ほかに道なき二人なのに

 
by enzo_morinari | 2020-01-01 15:41 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国 またひとりぼっちになったツイードのジャケット

 
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3月。僕はまたひとりぼっちになってしまった。あたりまえのことみたいに。ずっと昔からそうだったみたいに。世界が「あたりまえ」のことで出来あがっているのは200年前から知ってはいたけど、ひとりぼっちは何度経験しても心にずしんとくる。痛む。

たいしたことを望んでいるわけではないんだけどな。ただそばにいて欲しいだけなんだけどな。

僕は決して多くを望んでいたわけじゃない。たまに二人で食事をして、見つめ合って、ワインを何杯か飲んで、音楽を聴き、きみを抱きしめ、包みこんで、きみの日々の出来事や読んだ本のことや聴いた音楽のことや感じたことや考えたことの話を聴ければよかったんだ。それだけのことだったんだけどな。きみはまた僕を扉の向こう側、暗くてじめじめしてカビ臭い場所に追いやるんだ。あたりまえのように。それがごく自然なことでもあるかのようにね。

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ねえ、おしゃれ好きのきみ。最近、少し痩せたんじゃないかい? 僕にはよくわかる。だれよりもね。神様より僕はきみのことを知っているかもしれないとさえ思う。なにしろ、きみの曾おじいさんの代からのつきあいなんだからね。曾おじいさんから数えればきみは僕の4人目の御主人様だ。4人ともよく体つきが似ているよ。実によく似てる。

肉付きがよくて骨太で、右腕が左腕より少し短いところもそっくりだ。左肩が下がり気味なのもね。そして、4人ともよくお酒を飲み、人見知りが激しくて、ひとりになるのが好きなんだ。ひとりになるのが好きなところが僕と相性がよかったのかもね。だから長続きしたんだ。たぶんね。でもね。ひとりぼっちはやっぱりさびしいもんだ。そんなことは当然知っているだろうけどね。

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次に会えるのはいつだろうな。秋風が冷たくなって、枯葉が舞いはじめるころかな。冬将軍様のおでましが早ければきみにまた会える日も早くなるんだけど。先のことはだれにもわからない。それもあたりまえのことだ。僕がまたひとりぼっちになることとおなじくらいに。

ああ、クローゼットの扉が閉まりはじめた。たまには太陽の光にあてて欲しいな。30分だけでもいいから。30分がだめなら5分だけでもいい。きみのそばにいられるなら。きみの顔がみられるなら。風にも吹かれたい。たまにね。

オーケイ。いいよ。またきみが袖を通してくれるまでは、雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌおとなしくて元気で丈夫で虫にも喰われずにいい子にしているよ。

さよなら。またね。また僕はひとりぼっちだ。これまでどおりに。ずっとそうだったように。そして、またいつものように、よき隣人であり、気の置けない友人であり、ときにきみをめぐって争うライバルでもあるブルックス兄弟やハリスやジョナサンやゴーゴリのアカーキイ色の外套爺さんときみのことを話して秋の終りまでの長い時間をやりすごすことにするよ。

それにしても代わり映えのしない人生だなあ。ブルックス兄弟もハリスもジョナサンもゴーゴリのアカーキイ色の外套爺さんもおなじ意見だ。

Alone Again(Naturally) - Gilbert O'Sullivan (1971)

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by enzo_morinari | 2019-12-09 21:25 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/母国語(母語/第1言語)をまともに読めない/書けない/話せない/聴きとれない者が外国語の修得などできるわけがない。第一、言語の修得は勉強じゃねえし。音楽と一緒だし。

 
流儀と遊戯の王国/母国語(母語/第1言語)をまともに読めない/書けない/話せない/聴きとれない者が外国語の修得などできるわけがない。第一、言語の修得は勉強じゃねえし。音楽と一緒だし。_c0109850_11520814.jpg

言語の修得は聴いたもん勝ち、話したもん勝ちである。

文法? グラマトロジー? グラマー? ダイナマイト・ボデー? 母音? ボインちゃん?

自らに果たした? 自らに課しただろうがよ! おまい、中学生か? 脳内日本語機械故障してんのか? 60ヅラ下げて。

言語を聴くのは音楽を聴くことであり、話すのは歌を歌うことである。まともに聴きとり、話せない者が外国語を読めて書けても、本来の意味とはかけはなれている。


言語は文化そのものでもあるから、エクリチュール/ディスクールの背景/根っこにあり、支えているエピステーメーがないのに文化を解釈/解読することはできない。

フランス語文法の勉強を始めたって? Marcel Proustの”À la recherche du temps perdu”をフランス語で読むために?

片腹痛い。マドレーヌが紅茶に溶けて、lliers- Combrayの街はLe Clézioもビック・リ・シ・タナー・モーモー・グー・テー・モクの大洪水、Du côté de chez Swannは離散崩壊、時間はDisséminationし、回復不能なまでに失われる。Préfecture de Police de Parisが総力をあげてもみつけられなくなる。悪あがき、無駄な抵抗だ。やめとけやめとけ。だいたい、なんでおふらんす語? 英語よりオサレだと? 好きなインテリぶりぶりに思われるから? ましてや、なぜMPの”À la recherche du temps perdu”なんだ? おなじフランス語で書かれたものならいいのがいくらでもあるだろうよ。François Rabelaisの”Gargantua, Pantagruel”か”Code civil des Français(Code Napoléon)”がイチオシだがね。ま、おふらんすで、プルーストで、『失われた時を求めて』でっていうのが資生堂アートハウスのモードに合致しているということだろうがよ。ゲラゲラゲラΨ(`▽´)Ψゲラゲラゲラ

せいぜい、定年退職して手に入れた退職金で自費出版した駄文醜文悪文拙文誤文唾棄文未推敲文糞文吐文でできあがった駄本陳腐本チンケ本ゴミ本唾棄本醜悪本資源のドブ捨て環境破壊に残された人生の日々を使うがよろしい。仲よしの覗き魔/出歯亀/ピーピング・トム/性犯罪者/幼児性愛者の居残り佐平次となれあいながらよ! ゲラゲラゲラΨ(`▽´)Ψゲラゲラゲラ カーッ(゚Д゚≡゚д゚)、ペッ ( ゚д゚)、ペッ


À la recherche du temps perdu/失われた時を求めて - Marcel Proust/マルセル・プルースト
 
by enzo_morinari | 2019-05-26 11:56 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/センス・エリートのための二流の美学とセンス・エリート100箇条

 
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ある方のブログにリンクしてあった YouTube になつかしい名前をみつけた。エディ・ヒギンズ/Eddie Higgins. 超一流でも一流でもなく、二流あるいは三流。大いなる二流。あるいは一流の二流もしくは二流の美学を持ったピアノ弾き。

ジャズ・ピアノについて語られるとき、エディ・ヒギンズの名があがることはほとんどない。革新的なことをしていないから? カクテル・ピアニストだから? 理由はいくらでもあり、いくらでもつくられる。

ビル・エヴァンス、キース・ジャレット、バド・パウエル、セロニアス・モンクと同列に語ろうものなら、目の色をかえて猛烈な反論反撃をしてくるくそまじめな精神の持主(ドグマ好き/権威好き/守旧派/脳味噌の中身はオガクズかオカラ)どもがいるが、彼奴らのたわ言など知ったことではない。

一流だろうが二流だろうが有名だろうが無名だろうが革新的だろうが凡庸きわまりなかろうが類を見なかろうがどこにでも転がっていようが、いいものはいい。わるいものはわるい。話は簡単だ。硬直した権威主義者と取り澄ました教養主義者と頑迷蒙昧な教条主義者は「物静かに退場しろ」ということである。

一流の映画監督よりも三流の映画役者、脇役をこよなく愛する私としては、当然にエディ・ヒギンズを愛する。「たかが音楽、されど音楽」だけれども、やはり、音楽など「たかが」という括りをしておくくらいがちょうどいい。

J.S. バッハの音楽作品をすべて聴いても、『平均率クラヴィーア』全編を暗譜できるほど聴きこんでも、グレン・グールドの『ゴルトベルグ変奏曲』の1955年盤と1981年盤を聴きわけられても、ワグナーの大仰御大層大袈裟な精神が生んだ『ニーベルングの指環』、序夜の 『ラインの黄金』を皮切りに、第1夜 『ワルキューレ』、第2夜 『ジークフリート』、第3夜 『神々の黄昏』まで、総演奏時間15時間にも及ぶ超大作を毎日聴いたところで腹はふくれないし、稼ぎがよくなるわけではないし、35年の住宅ローンがなくなるわけでもないし、かみさんの御機嫌が麗しくなるわけでもない。

「音楽で心豊かに」もへったくれもない。CDに2000円も3000円も出し、あるいはiTunes Storeで1曲200円でDLして音楽を聴くより、さらには、音楽家の名前や作品名や音楽史をおぼえるより、英単語/仏単語/伊単語/独単語/西単語/葡単語のひとつもおぼえ、ついでにコンチネンタル・タンゴのステップを踏めるほうがよほどめしのタネに繋がる。

貧困なる精神? 貧困のことなら、世界には山ほど掃いて捨てるほどある。そちらのほうが先決問題だ。NO MUSIC, NO LIFE? 音楽ごときでなくなるような人生なら、さっさとピットブルかプレイリードッグにでも喰われてしまえ。

と、音楽に対して憎まれ口減らず口を叩こうと思えばいくらでも叩ける。しかし、やはり、音楽(に限らず、文化全般)は生きてゆくうえで、なにかしらの「妙味」「滋味」となることは動かしようがない。ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウはポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな音楽しか聴いておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウなテクストしか読んでおらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな映画しかみておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな恋愛しかしておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウなメイクラヴしかいたしておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな食いものしか喰っておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな仕事しかしていないという事実。おそろしいほどの冷厳冷徹さ。

ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランが「普段、何を食べているか言ってみろ。すぐにおまえがどのような人物か言い当ててやる」と言ったのは、食いものにかぎらない。実におそろしくもある。ことほど左様に、音楽(に限らず、文化全般)は人間存在の基底部に強く大きな影響を持つ。

さて、エディ・ヒギンズ『My Foolish Heart』の話だ。収録されているのはアルバム・タイトルともなっている『My Foolish Heart』を皮切りに、いずれもスタンダードの名曲ぞろい。肩肘を張らず、リラックスして聴くのに最適にして至福の時間をもたらしてくれる。愚かだった若かりし日々の痛切やら痛恨やら悔悟やらを思い返すときの背景音楽としてもいい。

これまたなつかしい、偉大なる二流のテナーマンである客演のスコット・ハミルトンがいぶし銀のようなパフォーマンスを聴かせている。派手さはないがサイドメンの二人も滋味溢れるプレイだ。

酸いも甘いも経験済みのおとなが聴くにふさわしい。遠い日の二度と取りもどすことのできない日々の中のふとなつかしくなるような小さな思い出のような演奏。心に静かに響き、沁み入り、そして、残る。

Eddie Higgins Quartet『My Foolish Heart』はすぐれたワンホーン盤でもある。マイルスもモンクもコルトレーンもエリック・ドルフィーも魂が元気なときに聴けばいい。普段は穏やかで心地よい音楽で十分だ。いや、十分どころか、穏やかで心地よい音楽こそが良い人生の景色を手に入れるためには必要不可欠である。

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My Foolish Heart - Eddie Higgins Quartet (2002)
Recorded at Avatar Studio in New York on September 26 and 27, 2002.
Genre: Jazz
Label: Venus Records
Producer: Tetsuo Hara and Todd Barkan


Personnel
Eddie Higgins - piano
Scott Hamilton - tenor sax
Steve Gilmore - bass
Bill Goodwin - drums
*Scott Hamilton appears courtesy of Concord Records

Track Listing
01- My Foolish Heart
02- Russian Lullaby
03- What is There to Say
04- That Old Black Magic
05- Skylark
06- Night and Day
07- Embraceable You
08- Am I Blue
09- These Foolish Things
10- The More I See You
11- The Song is You
12- This Love of Mine


Eddie Higgins Quartet- My Foolish Heart

*こんなところで愛宕山がわりに、私のセンス・エリート100箇条を附記する。2019年夏を乗り切るためのよすがとされたい。読んだところで「いのどん」「ヘーイ」だが、センス・エリートのための椅子の座り方のヒントはあるはずだ。

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【センス・エリート100箇条】
30歳を目前にした熱い夏、ある輸入ビールの広告制作の依頼が舞い込んだ。当時はキリンビールが圧倒的なシェアを有していて、どいつもこいつも当たり前のようにキリンビールを飲んでいた。そういった状況に異議申立てしたかった。そして、「センス・エリート/1番が1番いいわけではない。1番ではないことがクールでカッコイイことだってある」というコンセプトで企画を立て、広告文案を書いた。自分自身に言い聞かせるような意味合いもあった。ギャラは安かったけれども、この広告文案が書けたおかげでその夏はいい夏になった。その夏の終わりに手に入れたデイヴィッド・ホックニーのリトグラフはいまも手元にある。

001 30歳を過ぎても少年の好奇心が旺盛である。
002 謎めいた部分を持っている。
003 家庭のことはいっさい口にしない。
004 軽々しく“仕事”という言葉を使わない。
005「男らしさ」を誇示しない。
006 汗を拭き拭き喫茶店の水を飲まない。
007 なにを身につけてもさまになる。
008 健康のためのスポーツ、教養のための読書などはしない。
009 自分の持ち物、ファッション等に関しての入手先、値段を口にしない。
010 つきあいパーティーの類にはいっさい顔を出さない。
011 本物と偽物を見ぬく眼を持ち、好き嫌いがハッキリしている。
012 オートバイに夢中になってもスピードの魅力を口にしない。
013 一流の映画監督よりも三流の映画役者をこよなく愛す。
014 カネがあろうがなかろうが自分の生活を匂わせない。
015 文化人と呼ばれる人間の言うことは簡単に信じない。
016 世の中についての安易な発言はしないし、世論に惑わされることもない。
017 探検旅行が好きなうえに旅慣れている。
018 趣味をひけらかさない。
019 格闘技をこよなく愛する。
020 動物に対して親愛の情を抱いている。
021 クレジットで生活しない。
022 絵心を持っている。
023 仕事仲間よりも遊び仲間を優先する。
024 社会的名誉よりも個人的悦楽を優先する。
025 アメリカン・コレクションにうつつをぬかさない。
026 学校教育以外の独学で世界を知り、独自の美意識を身につけている。
027「ほどほど」という平均値を生きていくうえでの基準にしない。
028 ビール5~6杯で酔っぱらって愚痴をこぼすようなことはしない。
029 自己の行為に反省やら悔恨/悔悟の情はいっさい抱かない。
030 他人がなんと言おうが自分の信じる流儀はすべてにおいて貫きとおす。
031 己のプライドを傷つけるものに対しては徹底して戦う。
032 数少なく信頼できる友を持っている。
033 “なんとなく”という気分はいっさいない。
034 さびしさをまぎらわすために夜な夜な酒場で陰気な酒を飲んだりしない。
035 最終的には一人で物事の決着をつける覚悟を持っている。
036 社会情勢、景気、不景気で信条を変えない。
037 時間に追われる生活をしない。
038 いつもここより他の地への夢想を密やかに胸に抱いている。
039 男には仕事に成功した時の喜びの顔よりも美しい顔があることを知っている。
040 群れない。
041 小さなことにも感動できる少年の心を持っている。
042 笑顔がさわやかである。
043 ウエスト・コーストを卒業。オーセンティックを好む。
044 長い船旅に退屈しない。
045 性に対しての偏見を持たない。
046 女性遍歴の自慢話はしない。
047 アメリカの放浪よりもヨーロッパの漂泊。
048 セクシーだが猥せつではない。
049 売名行為はしない。
050 人に説教、訓戒の類いをいっさいしない。
051 イエス・マンではない。
052 学校教育に関しては無関心である。
053 部屋の壁にはデイヴィッド・ホックニーのリトグラフ。
054 遠くを見つめているような神秘的な瞳を持っている。
055 深刻になったとしても決して眉間に皺を寄せない。
056 群衆が熱狂する祭りのなかに身を投じ、魂を解放できる。
057 流行を創りだすことはあっても追いかけない。
058 社会的地位を得たとしても安閑としない。
059 ファッションでサングラスをかけない。
060 まちがっても、女から「老けたわね」と言われない。
061 生涯を通じてイチかバチかの大冒険を少なくとも三度は体験する。
062 仕事か家庭かの選択を迫られるような生活はしない。
063 笑いはあらゆるマジメを超えていることをわかっている。
064 一生の住みかを構えようとは思わない。
065 自分が身を置いている現実のちっぽけさを知っている。
066 貸し借りなしの人生。
067 滅びゆくもののなかに光る美を発見し、愛惜する情を持っている。
068 どんなことがあろうとも女性に対し暴力をふるわない。
069 郷土愛、祖国愛にしばられることはない。
070 相手の弱みにつけこまない。
071 時として無償の行為に燃える。
072 大空への情熱。そしてアフリカへの憧れ。
073 場末の人間臭さを素直に愛せる。
074 一人旅、一人酒を楽しめる。
075 力の論理や数の論理に圧倒されることがない。
076 “世代”のワクでくくられないような道を歩んでいる。
077 神話世界に深い関心がある。
078 すがるための神なら必要としない。
079 なにごとにつけ女々しさを見せない。
080 はたから見たら馬鹿げたことでも平気でやる。
081 人前で裸になれないような肉体にはならない。
082 感傷的な面もあるが想い出に耽ってしまうことはない。
083 自分だけの隠れ家を持っている。
084 食道楽等のおよそプチブル的道楽志向とは無縁である。
085 あらゆる判断と行動の基準は「美しいか、美しくないか」である。
086 お湯でうすめたアメリカン・コーヒーは飲まない。
087 なにごとにおいても節制によって自分を守ろうとはしない。
088 自然に渋くなることはあっても自分から進んで渋さを求めない。
089 どこまでが真実なんだか虚構なんだか定かでない世界に生きている。
090 カネは貯えない。ひたすら遣う。
091 ヤニ取りフィルターなどを用いない。
092 生き方について考え悩まない。
093 愛誦の詩を心に持っている。
094 やたらハッピーな世界をつまらなく思っている。
095 失くし物をしても探すようなマネはしない。
096 洗いざらしのコンバースがいつまでも似合う。
097 女性に対してはロマンチストである。
098 世に受け入れられないすぐれた芸や人を後援するが表には出ない。
099 内面にこだわる以上に外観にも気を配る。
100 No.1がかならずしも素晴らしいとは思わない。
 
by enzo_morinari | 2019-05-03 18:02 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(1)

究極のマティーニと古い友情の終わらせ方

 
 
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古い戦友の命日。戦友との思い出がぎっしり詰まった酒場に足を運んだ。20年ぶりだ。戦友は探偵で、腕っぷしはめっぽう強いが泣き虫で、酔いどれの誇り高き男で、運に見放されていて、美人に目がないくせに女にはからきし弱く、「いつかゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲む。そして、死ぬ」が口ぐせで、ネイビーの、ペンシル・ストライプのダブル・ブレステッドのスーツしか着ない男だった。救いは彼が律儀で不器用で無愛想なうえに、うそがへたくそなことだった。

「究極のマティーニを。古い友情を終わらせたいんだ」
「タンカレーでおつくりいたしますか? プードルスとボンベイ・サファイアもございますが」
「いや。牛喰いで」

ニッカーボッカー・ホテルの名物バーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはとても礼儀正しくうなずいた。きれいに霜のついたバカラのカクテル・グラスの名品、The Long Goodbyeが目の前に置かれた。

ボンデージ、ウッド・ノットがひとつもない濃い赤褐色のホンジュラス・マホガニーの1枚板のカウンターの上でThe Long Goodbyeが静かに息づいている。彼女が私に別れを告げるころには、私は彼女を何度も何度も抱きしめ、唇を寄せ、5粒ばかりの涙を彼女の中に落としているにちがいない。そして、したたかに酔いどれるのだ。今夜はそんな気分だ。誇りのたぐいはとっくの昔に行方不明なのだし、いまさら酔いどれたところで胸を痛めてくれる愛しい女もいない。かつての愛しい女は「さよなら」のひと言さえ残さずに金持ちの年寄りの愛人になった。それでいい。すこぶるつきのクールさだ。こちらはクールなタフ・ガイなんだ。勝負は互角という寸法である。

それにしても、よりにもよって、「長いさよなら」とはな。「さよならは短い死だ」と言いつづけた探偵は強くもなれず、生きていくための資格を手に入れることさえできないまま本牧の路地裏で冷たい肉の塊になって死んだ。もう20年になる。探偵のことはときどき思いだすが、いつもというわけではない。

友よ。My Private Eyesよ。あんたは死に、おれは生きながらえ、偉大な眠りにはとんと御無沙汰だ。不眠はもう10年もつづいている。あんた同様、おれはいまだに強くもなれず、やさしさの意味すらわからないでいる。なんてマイ・フーリッシュ・ハートな人生なんだろうな。笑ってくれ。

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私が遠い日の友との思い出に耽っているさなかに上っ調子にバカ笑いしながら若いカップルがやってきた。男はコークハイを注文し(コークハイだって!?)、女はテキーラ・サンライズを注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニは眉を一瞬しかめ、ため息をひとつ、小さくついた。

女の顔を見ると虫酸が走った。他人の手帳を盗み見ることにひとかけらの呵責も感じない魂のいやしさのたぐいが顔にあらわれていた。おまけに、使っている香水は濃厚なうえに動物的なにおいで甘ったるかった。第一、明らかに分量が多すぎる。香水のシャワーでも浴びてきたのかとたずねたくなるほどだ。

ここは場末の安キャバレーではない。ここは何人もの本物の酒飲み、一流の酔いどれが巣立っていった酒場なんだ。ある種の人々にとっては聖地でさえある。香水女は臆面もなくそれらを蹂躙しようとしている。抑えようのない激しく強い怒りがこみあげてきた。

おまえは店のすべての酒の香りを台無しにする気か? この店にある酒は蒸留という名の試練をくぐり抜け、いくつもの季節を樽の中でやりすごし、ときに天使に分け前を分捕られ、磨きに磨かれてやっと陽の目を見たんだぞ!

女の首根っこをつかまえてそう叱り飛ばしたかったが我慢した。香水女の指は太く短く、金輪際ナイフとフォークを使った食事をともにしたくないタイプの人物だった。いや、ナイフとフォークを使った食事だけではない。女が私の半径50メートル以内にいるだけで確実に食欲を失う。この広い宇宙にはテーブル・マナー以前の輩が確かに存在することを私はこのとき初めて知った。

私の知る世界、生きてきた日々、失った時間や友情や愛をことごとく踏みにじり台無しにするおぞましい力をその若い女は持っていた。めまいさえ感じたとき、マルティーニ・エ・ロッシーニが毅然とした態度で言い放った。

「申し訳ございません。現在、当店はエクストラ・ドライ・タイムでございます。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニか、少々お時間が早すぎますが、ギムレットなら御用意できます。コークハイは元町の信濃屋さんの真裏に当店よりずっといい、お若い方向けの店がありますから、そちらへどうぞ」

「お若い方向けの店」とマルティーニ・エ・ロッシーニが言ったところで私はあやうく吹き出しそうになった。「お若い方」を「愚か者」と言い換えればジグソー・パズルの完成である。

シュレディンガー・キャットを見つけだすよりむずかしそうなジグソー・パズルの本当の完成はもうすぐだった。マルティーニ・エ・ロッシーニは言葉をいったん引き取った。香水女はショッキング・ピンクのハイヒールの踵を床にせわしなく打ちつけた。苛立っている。ざまあない。ここはおまえたちのような無作法者が来るところではない。マルティーニ・エ・ロッシーニは仕上げにかかる。

「テキーラ・サンライズはカリブ海のニュー・プロビデンス島経由でアカプルコ・ゴールド・コーストに出張中です。滞在先は年端もいかない少年少女をかどわかすことで悪名高いチンピラ音楽のメッカ、ホテル・ザ・ローリング・ストーンズと聞きおよんでおります。したがいまして、どうぞお引き取りください。次にお越しの際はフレグランスは控え目に。清楚で上品な香りのもの、たとえばJean Patouの JOY かEau de Givenchy、Miss Dior、Lily of the Valleyあたりをお勧めいたします。それとこれは極秘情報ですが、今夜あたりから大声でしゃべったりバカ笑いすると島流しになるそうですよ。お気をつけください」

マルティーニ・エ・ロッシーニが言うと、若い男は未練たらしく女々しい舌打ちをし、香水女は手持ちのうちでもっとも悪意と憎悪と愚劣が盛りこまれた引きつった作りものの笑顔を見せ、さっさとマルティーニ・エ・ロッシーニにさよならを告げた。

そう、マルティーニ・エ・ロッシーニが言うとおり、いまこの時間、黄昏と闇の狭間の時刻、世界中のすべての酒場は1日のうちのもっとも聖なる時間、エクストラ・ドライ・タイムを迎えているのだ。聖なる時間を迎えている酒場は無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける者の相手などできない。無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける愚か者どもに供するグラスはひとつもないし、注ぐ酒は1滴たりともない。世界はそんなふうにできあがっているのである。

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「お待たせいたしました。当店自慢のウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニでございます」

マルティーニ・エ・ロッシーニは言って、The Long Goodbyeの横に屈強な牛喰いどもが好む酒、ビーフィーター・ロンドン・ジン47度の扁平な瓶を置いた。鮮紅色の衣装をまとった牛喰いがこちらを睨みつける。

「ありがとう。ある探偵と飲み明かした夜以来だよ。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニは」
「承知しております。この街は惜しい人を失いました。もう20年になりますね」
「おぼえていてくれたんだね」
「ほかのことは全部忘れてしまいましたがね」
「いい奴は死んだ奴だというのはいまも変わらない」
「まったくそのとおりです。ところで、お客様。警官にさよならをする手段は掃いて捨てるほどもありますが、友情を終わらせる方法はこの世界にはございませんよ」
「わかってるさ」
「お友だちはベルモットの瓶を横目で眺めながら、あるいはモンゴメリー将軍で、ときどきはベルモットのコルクで拭いたグラスにジンをそそいだものを召しあがってらっしゃいました」

私は開きかけた唇を閉じた。心はドライどころか潤んでいた。なにか口にすれば大洪水に押し流されてしまうように思われた。酔いどれの気高き誇りを持つ男の無邪気な笑顔と800万をはるかに超える死にざまを生きた孤愁を思った。

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マルティーニ・エ・ロッシーニは私の胸のうちを見透かすようにマッキントッシュの古い真空管アンプリファイアーMC275のヴォリュームを少しだけ上げた。1949年10月14日、N.Y.C. Down Beatのエラ・フィッツジェラルドが『As Time Goes By』を囁くように歌いはじめた。

霧は深く、時はいくらでも好きなだけ過ぎていくが、夜はまだ始まったばかりだ。もちろん、ギムレットにも早くはない。やがて、古い友との友情の日々を思う長い夜がやってくる。急ぐ理由はなにひとつない。時は過ぎゆくままにさせておけばいいし、霧は深いままでいい。酒も傾ける盃もたんまりある。おまけに「究極のマティーニ」を知る伝説のバーテンダーは目の前でグラスを磨いている。これ以上の贅沢は世界への宣戦布告も同然である。50歳。もう敵は作らなくていい年齢だ。

私は2杯目の「究極のマティーニ」を注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニはきれいに霜のついたThe Long Goodbyeに静かにビーフィーター・ロンドン・ジンを注ぎながら、「これはわたくしから天国のご友人に」と言ってグラスを私のほうへ滑らせた。「ご友人が横目で見るためのベルモットはこちらに」と言い、伝説のバーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはノイリー・プラットのゆるやかにくびれたボトルを脇に置いた。

マルティーニ・エ・ロッシーニの目からグラスに小さなダイヤモンドがひと粒こぼれ落ちたような気がしたが、それはたぶん、気のせいだ。本物のプロフェッショナルはそんなヘマを犯したりしない。究極のマティーニがかすかにしょっぱかったのも、やはり気のせいにちがいない。長い夜にはいろいろなことがあるものと相場は決まっている。

友よ。My Private Eyesよ。グレープフルーツのように丸い酔いどれの月は見えているか? 酔いどれ船の甲板の居心地はどうなんだ? ノイリー・プラットの位置はこれでいいか?

Across the Deep River and into the Deep Forest. 深い河を渡って緑濃い森にはたどり着けたのか? それとも、ゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲んでいるのか?

今宵、酔いどれの月はグレープフルーツのように丸く、遠い。再会までにいったい何杯の「究極のマティーニ」を飲み干し、いったい何回、酔いどれの月を見上げればいいんだ? 友よ ── 。


As Time Goes By
 
by enzo_morinari | 2019-03-31 19:31 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/青の時代を超えるために生涯でただ1度Turnbull&Asserで誂えたPrussian Blueのシャツを着て戦友に今生の別れを告げる紺碧の夜

 
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あなたの胸のぬくもりが恋しくて涙する私
情熱と哀しみの迷宮に消えたアラビアン・ナイト
Torah Hot Big E


ペルシアン・ブルーに染まるアラビアン・ナイトを超えて、虹の彼方で催されている青の舞踏会に手を取りあって出かけた女の命の焔がもうすぐ消えるというので、青の時代を超えるために生涯でただ1度Turnbull&Asserで誂えたPrussian Blueのシャツを着て今生の別れを告げに出かけた。

女は困難と困憊と裏切りにみちた青の時代をともに生きた戦友だった。死の床に横臥たわる女は青い骸骨だった。女にはもはや言葉を発する余力は残っていない。わずかに開かれた眼。目蓋をあけ、とじるたびに肩で息をするが、呼吸音は聴きとれないほど小さい。

「おれたちの青の時代はこれで終わりだ。おまえはよく戦った。いい兵士だった。」と私は言った。女はかすかにだがうなずいた。心なしか頬笑んだように思えた。はるか遠い昔に紺青に輝く豊饒の海を見おろす放課後の音楽室でみせた頬笑みとおなじだった。そして、女は静かに息を引きとった。やすらかな死に顔だった。音楽の女神/ミューズとともに逝け、戦友よ。

遠い日の私と女ふたりだけのアラビアン・ナイトは情熱と哀しみの迷宮に消え、永遠に止まらないはずの夢時計の針は午前零時、シンデレラ・タイムを指したまま止まっている。2度と動きだすことはあるまい。そのようにして、すべてのこと、あらゆることは動きを止め、死ぬのだ。


Kind of Blue - Miles Davis (Kind of Blue/1959)
 
by enzo_morinari | 2019-03-27 02:24 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/話は脱線し、人生は転覆する。

 
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*流儀あるいは作法
ビートたけしの『浅草キッド』の音源の手持ちがあるなら、聴きながら読むがいい。塩味のダイヤモンドを流すのにいくぶんかの効果がある。手持ちがなければYouTubeにある。

浅草キッド - ビートたけし (1986)

話は脱線し、人生は転覆する。Toelou Yourry

おなじ背広を初めて買って、おなじ形の蝶タイ作り、おなじ靴まで買うカネはなく、いつも笑いのネタにした。B-T

いつか売れると信じてた。客が二人の演芸場で。B-T

夢を託した百円を投げてまじめに拝んでる。顔に浮かんだ幼な児の無垢な心にまた惚れて。B-T

一人訪ねたアパートでグラス傾けなつかしむ。そんな時代もあったねと笑う背中が揺れている。B-T

夢は捨てたと言わないで。ほかにあてなき二人なのに。夢は捨てたと言わないで。ほかに道なき二人なのに。B-T

世の中、野暮天と田舎者とインチキとイカサマとまやかしばかりが幅を利かせ、浮世風呂浮世床はますます狭くセコくつまらなくなってゆく。E-M-M

おまえと会った伝法院通りのモツ焼きしかない千代乃家で、人生を語ったホッピーの泡に弾けた昭和の夢は、あかりの消えた浅草の裏返したビール・ケースの上で。E-M-M


浅草時代、伝法院通りにあるモツ焼き屋の千代乃家に足繁く通った。蛇骨湯でひとっ風呂浴びたあとにはかならず千代乃家でホッピーを飲み、モツ焼きを喰った。

豆絞りの手ぬぐいをねじり鉢巻きに巻いた赤ら顔の千代乃家の飲んだくれオヤジとは気が合った。席が埋まっているとき、通りに向いた小窓から顔をのぞかせると、飲んだくれオヤジが出てきてビール・ケースを裏返してニ段重ねにし、折りたたみ椅子を出して店先に急ごしらえの席を用意してくれた。

食いものはどれもこれもたいしてうまくもなかったが、気分はよかった。飲んだくれオヤジの昔話/昭和話がおもしろかった。ゼニがなくてホッピーを1杯とモツ焼きを2本だけ注文してチビチビやっていると、千代乃家の飲んだくれオヤジがやってきて、おどけながら「モツを食いねえ、モツを。酒を飲みねえ、酒を。もっとこっちへ寄んねえ。こちとら江戸っ子でい! 生まれも育ちも浅草でい!」と言い、酒とモツ焼きをジャカスカおごってくれた。それどころか、文無しでショボくれて千代乃家の前を素通りしようとすると、千代乃家の飲んだくれオヤジが店から飛びだしてきて、「若大将! どうしたい? 素通りたあ水くせえじゃねえか。ゼニがねえのか? ねえってツラしてらあ。出世払いでいいから飲んでいけよお。特等席を用意すっから、ちょいと待ってなよ」と言って腕をとった。そんなようなことは1度や2度ではない。ホッピーとモツ焼きを持ってきて置いていくとき、「きっと、出世すんだぜ」と耳打ちされた。乞食酒と乞食めしは死んだ母親に厳に戒められていたし、きらいだっだが、千代乃家のオヤジの好意は素直に受けた。出世払いする前に千代乃家の飲んだくれオヤジは死んでしまった。

千代乃家の酔いどれオヤジは興が乗ると、酒を片手に伝法院の通りでお狸さまのほうを向いて浪花節をうなった。『石松三十石船』が多かった。詩吟をうなることもあった。どう贔屓目にみても悪声でへたくそだったが、東京下町のど真ん中で奇跡の現場に立ち会っているように思えた。涙がこぼれそうになることもあった。

1人でいるとき、由利徹がやってきて満席だとわかると、私が座る急ごしらえのビール・ケース席をちらっと見てからあごでしゃくり、「いいかい? あんちゃん」と言い、うなずくと「ありがとよ」と言いながら席に座った。

由利徹はすごくいい匂いがした。山百合のような匂いだった。肌は肌理が細かくてつやつやつるつるで、ミルキーみたいに白かった。全身白ずくめ。ボルサリーノの白い帽子、白いフランネルのスーツ、プラチナのPatek PhilippeのカラトラバのベルトはCamille Fournetの白いオーストリッチ革、白いクロコダイルのベルト、肌が透けてみえる白い絹の靴下。

当然、靴は白のエナメルあたりかと思ったら、ピンクのエナメル靴だった。それも、ショッキング・ピンク。思わず吹きだしたが、革底で手縫い。Toelou Yourryのネームまで入っていた。誂えたいい靴だった。靴底にはa.testoniのロゴがあった。由利徹は私をチラ見し、「どうしたよ、あんちゃん」とたずねた。

「心が膝カックンになったもので」
「そりゃ、またどうして?」
「てっぺんからずーっと下に降りてきて、なにからなにまで白でバシッとキメていて、最後にきてド派手なピンクのエナメル。そこは白のエナメルだろうよと思って」
「うん。なるほど。もっともだな。しかし、そこだ。おいらは芸人だ。人様を笑わせてめしを喰ってる。笑わせてなんぼ、ズルっとさせてなんぼ、カックンとさせてなんぼの世界に生きてるんだ。ワカリル? 上海リル? オシャマンベ!」
「腑に落ちました」
「それだけじゃない。おいらは天下御免のエロ事師、名うての竿師、ディック・ミネにも負けないディック・ピンク・パンサーだしな。それにあれだ。あんちゃん、人生は何色だい?」
「La Vie en Rose. 人生はバラ色に決まってますよ」
「おおっ! こりゃ、驚いた!」
「おふくろから教わりました」
「おふくろさんは達者かい?」
「中2の秋に死にました」
「わるいこと聞いちまったな」
「ちっとも」
「おふくろさんの名前は?」
「トミコ」
「まさか、銀座のおとみさんじゃないよな?」
「そのまさかです。こどもの頃、由利さんのことはおふくろからよく聴きましたよ。エロ事師の仕事のことも名うての竿師であることもディック・ピンク・パンサーぶりについても」

私が言うと、由利徹は苦笑いした。とても魅力的な表情だった。女はイチコロだと思った。

「新橋のフロリダでダンサーしてた?」
「はい。そのあと、筒井グレースで女バーテンダーも」
「たしか、ビールの飲みっぷり日本一になったよな」
「なつかしい。そのときの写真も残ってますよ」
「ビールの飲みっぷり日本一になったのがきっかけで──」
「大映の大部屋女優になった」
「うんうん。そうだったそうだった。総入れ歯、もとい、そういえば、あんちゃん、おとみさんの面影がある」
「話は脱線しますけど──」
「話は脱線し、人生は転覆するもんさ。だから、おいらも三波伸介もめしが喰えたんだ。南利明も八波むと志も戸塚睦夫もな。伊東四朗のことは知らねえ」

由利徹はそう言うとハイボールをひと息に飲みほし、モツ焼きを1本横抜き喰いした。そして、裏返したビール・ケースの上に手のきれるような1万円札をピシャリと置き、すっと立ち上がった。

「釣りはおとみさんの線香代にしてくれ。それとこれはおとみさんの好きだったかすみ草の花代だ」

そう言って、由利徹は私のシャツの胸ポケットにずしりとくる札束をねじこんだ。

「じゃ、あばよ。縁があったらまた会おうぜ」

そう言い残し、山百合のようないい匂いを残し、由利徹は六区のほうに歩きだした。颯爽としていたけれども、背中は心なしか疲れて見えた。とっくの昔に盛りを過ぎた引退間近のボクサーの後ろ姿のようだった。由利徹の背中が夕暮れの浅草伝法院通りの雑踏の中に消えるまで見送った。あふれでそうになる涙をこらえるのは難儀だった。それが由利徹を見た最後だ。

いまでは由利徹も千代乃家の酔いどれオヤジも鬼籍入りしたが、二人の声とホッピーの泡の弾ける音はときどき聴こえる。モツ焼きのにおいも鼻先をよぎる。

二人とも流儀と作法を知る者だった。時代はうつり、季節はめぐる。モツ焼きは懐かし、ホッピーは痛風に悪し、流儀と作法を知る者は鮮し。流儀と作法を知る者は絶滅寸前。若造小娘は無論のこと、還暦をとうに過ぎ、喜寿を迎えたような年寄りも無礼無作法不調法を恥も知らぬげにさらしている。無駄に齢を重ねたか。乞食酒乞食めしバカ酒アホめしを喰らいすぎたか。豊葦原瑞穂国終焉の姿でもあるか。

かくして、世の中、野暮天と田舎者とインチキとイカサマとテンプラとまやかしばかりが幅を利かせ、浮世風呂浮世床はますます狭くセコくつまらなくなってゆく── 。

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by enzo_morinari | 2019-01-21 03:48 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/やせ我慢の美学

 
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世界中に酒場は何百万もあるというのに、なぜ彼女は世界の果てのおれの店に来たんだ? R-B

Better to bed without supper than getting up with debts. Old Proverbs

身の丈で生きてるだけじゃ埒はあかねえよ。Proud and Lordly Old Man

やせ我慢ができない者は例外なく恥知らずである。裏切る。手のひらを返す。変節する。E-M-M


やせ我慢の美学を持つ者をみなくなって久しい。最後にやせ我慢の美学を持つ者をみたのは泡劇場崩壊直後。1991年のことだ。そのやせ我慢の美学を持つ者は256億円余の負債をかかえて見事に気持ちいいくらいに弾け飛んだ。散華と呼ぶにふさわしい弾けっぷりだった。

感心したのはそのやせ我慢の美学を持つ者が大笑いしていることだった。まさに呵々大笑。

「やせ我慢して生きてきたんだ。やせ我慢ができなくなったときは死ぬときだ」

そう言ってやせ我慢の美学を持つ者は少しだけさびしそうに笑い、鰤のあら煮をつつき、冷やのコップ酒をひと息に煽った。美しいと思った。


Play it again, Sam. Play, As Time Goes By (Casablanca) - Sam+Ilsa (Dooley Wilson+Ingrid Bergman) (1942)
 
by enzo_morinari | 2019-01-18 13:52 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国 一流と二流と三流と

 
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軟弱や要領狡猾や風見鶏や提灯持ちや器用貧乏や迎合やおもねりや無節操が本物の一流になった試しはない。古今東西を問わずにである。店、会社、組織にかぎらず、人間も同様である。二流は二流にしかならないような道を歩いてきたのであり、三流は三流にしかならないような日々を生きてきたのである。


メールの返信について
三流は5分間考えたすえにあとまわし
二流は空いた時間にまとめて返す
一流はクイックレスポンスする

飲食店の利用について
三流は食べログで話題の店で割り勘
二流はミシュラン掲載の店を交際費で
一流は行きつけの5軒から選び、自腹

出社時間
三流は始業5分前
二流は15分前
一流は遅くとも1時間前

お礼
三流はメールすらしない
二流は御礼すら言わない
一流は朝7時に御礼メールをする

気配り
三流はコップが空になってから注ぐ
二流は半分くらいになったら注ぐ
一流は相手に合わせたタイミングで注ぐ


三流は手当り次第になんでも飲む
二流はワインの蘊蓄を語る
一流はいい酒をひたすら静かに飲む


三流は踵がつぶれても気にしない
二流は靴ベラを使ってさっと履く
一流は必ず紐を結びなおして履く

手土産
三流は道すがら買う
二流は有名ブランドの銘菓
一流はパッケージとラッピングのデザインとセンスで決める

健康管理
三流は体調不良で休む
二流は体調不良でも休まない
一流はいついかなるときにも健康である

疲労回復
三流はシャワーを浴びるだけ
二流はしっかりと湯船につかる
一流は朝風呂

学問
三流は「体育が得意でした」と言う
二流は「数学が得意でした」と言う
一流は「国語が得意でした」と言う

学習
三流はTOEIC 700点をめざす
二流はビジネス英会話に通う
一流はあえて勉強しない

家庭
三流は徹底的に尻に敷かれている
二流は亭主関白を公言し、実行する
一流はあえて尻に敷かれているフリをする

付き合い
三流は三流としか付き合わない
二流は二流としか付き合わない
一流は三流とも二流とも付き合うが流されない

孤独
三流は群れたがる
二流は群れのボスになりたがる
一流は群れず、孤独をおそれない

人生
三流は人生が長く、一発逆転できると思っている
二流は人生は努力で乗りきり、切りひらけると思っている
一流は人生が短いことを知るがゆえに楽しみ、思い出づくりする
 
by enzo_morinari | 2019-01-07 07:15 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)