人気ブログランキング |

カテゴリ:1984アパートメント 101号室( 1 )

1984アパートメント 101号室と世紀末ホテルの夜/海上をさまよう架空の国家であるガーディアン・サンセリッフェ国はフィッツ=ジェイムズ・オブライエンのセリフのように恐ろしい。

 
c0109850_05062670.jpg
c0109850_05052910.jpg
c0109850_05060053.jpg
c0109850_15041136.jpg
c0109850_05065447.jpg
c0109850_05070949.jpg
c0109850_18490110.jpg

発情せよ! さすれば洪水を手なずけられる。101号室は天国となる。


Vintage Filofaxのコレクターである私の元に持ちこまれたFilofaxのシステム手帳には頭でっかちのFranklin Coveyの絶壁頭を刎ねたarflex製Halifax Gibbet(ハリファクス断頭台)のようにクールで精緻明晰冷徹で手加減容赦のない文体と筆致でフィッツ=ジェイムズ・オブライエンのセリフより恐ろしいことが記されていた。

表装の牛革がやれて長年使いこまれたことがわかる1984年前期製Filofaxのシステム手帳にはヴォイニッチ手稿/Voynich Manuscriptと見まごうほどの記号システムと特殊文字とSans-Serif書体とUnion Pearl書体を無造作無作為に織りまぜた夥しい量のテクストがならんでいて、ページの余白は未知の動植物や正体用途不明の器具道具類とおぼしき細密な多数の彩色画で埋められていた。見ているだけで目眩と混乱を誘った。

システム手帳の1ページ目は海上をさまよう架空の国家であるガーディアン・サンセリッフェ国はセミコロンのような形状をしたふたつの島からなる。ガーディアン・サンセリッフェ国は1977年10月には南シナ海海上にあったが、1978年時点ではパンゲア沖にあり、2019年現在はタスマニアソ・サダコタン・イヨマソテ・レェプコタン・イカコロボクル・モシリ沖にあって、セミコロンが上下逆になっている。という文言で始まり、ガーディアン・サンセリッフェ国は匿名の庭師たちの第3種梃子芽切鋏1挺独立運動によって建国されたグロテスクな国家である。建国以来、フェリペ・ディボース=リバース総統が支配する。ガーディアン・サンセリッフェ国は北のカイッサ・スペリオーレ(Caissa Superiore)と南のカイッサ・インフェリオーレ(Caissa Inferiore)の2島が国土を構成する。ガーディアン・サンセリッフェ国宣伝省クッチーナ&ドルチェ・ガッバーナ局局長のアレクシス・ハーパース= ビザール著『カワウソ歴史博物館』によれば、ガーディアン・サンセリッフェ国はスパゲティの樹が目立ち、空飛ぶパスタファリアンたちが自由アルデンテに生きることのできる唯一の場所である。ガーディアン・サンセリッフェ国のいたるところで「もっと自由アルデンテを!」という歓声が四六時中聴こえる。とつづいていた。

***

黄昏れゆく麻布十番の雑踏を抜け、暗闇坂をのぼる。暗闇坂右側にある聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院を囲む鈍色の壁に沿って暗闇坂を登りながらS. ラフマニノフの"Vocalise"を口ずさんでいると、熱を失った涙が次から次へと溢れてくる。涙のわけを探る必要はない。大抵の場合、涙はただ流れるままにしておくのがよい。いつか涸れ、乾くからだ。

暗闇坂の中腹あたりで暗鬱な気配のたぐいに呼ばれ、左手のエスタライヒ大使館を一瞥する。掲揚塔の国旗が半旗の状態で風に翻っている。

誰が死んだのか? わずかに興味をそそられるが、昼に食した鰻の脂の匂いが鼻先によみがえり、気持ちはみるみる萎えてしまった。モーツァルトのレクイエム第八曲、『涙の日』の旋律にのせて、「Austria Est Imperare Orbi Universo」とだけ唱えた。死者は決してよみがえらないが、なにがしかの慰めを捧げることは生き残った者の責務である。聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院の壁の内側から修道僧たちの厳かな祈りの声が聴こえる。長い夜になりそうだった。

キリスト教異端史を伝えるディオクレティアヌス紀元2世紀の書、『エフェソス・スミルナ・ペルガモン・ティアティラ・サルディス・フィラデルフィア・ラオディキア・グーゴル・ウィキペディアヌッコ』によれば、千年王国論の特殊性とキリスト再臨の解釈をめぐる議論が「異端」のそもそもの端緒であったとされる。至福の千年ののち、サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っていることについては『サン・セルナンの祈祷書』に詳しいが、いわゆる清教徒革命、第三帝国論のいずれもが「異端」から出発したことは注意しなければならない。さらに言うならば、ナチス・ドイツの思想的基盤にあったものが強固なオカルティズムであることもまた、我々は忘れてはならない。ホロコースト、Uボート、報復兵器第2号(V-2 ROCKET)はナチスが企図したオカルト戦争の延長線上にあったのである。神秘主義の現代的結実はインターネットの基礎的理念は無論のこと、一片のバーコードのうちにも現れている。

薔薇十字団本部から『ヴォイニッチ手稿』の解読を依頼したい旨のメールが届いたのは旅装を整えるために聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院から一時帰った翌日の夜明けのことであった。窓外に眼をやれば、富士南嶺から降りてきた霧の一群がいつものように強い憎悪を矢のように放ってくる。

暗闇坂を登りきると小高い丘に出る。丘一面に群生するラベンダーの紫色の火影が揺れ、風のかたちを教える。丘のとば口に立ち、「そのとき」がくるのを息を潜めて待つ。眼下の古刹から吹き上がってくる生暖かい風に身を任せていると、すべてのことどもは幻影にすぎないことが実感される。広尾の方角に消えうせた太陽の名残りが丘から失われ、夜の帳が降りると同時にコロニアル風の洋館が低い鳴動を発しながらその威容を現す。かくして、世紀末ホテルの夜が始まる。

「合言葉をお願いいたします」

紫色の服に身をつつんだベルボーイがラベンダーの香りを吐き出す。

「Fin de Siecle」
「ようこそ、世紀末ホテルへ」

夜の帳が引きあげられ、エゴン・シーレの彫刻が施された輝く日輪のごとき世紀末ホテルの扉が開かれる。太り肉のコンシエルジュのなつかしい笑顔が迎える。そのコンシエルジュはエゴン・シーレの『シュバルツェン・ゲバント氏の肖像』から抜けだしてきた者だ。シュバルツェン・ゲバント氏本人であるという者さえいる。シュバルツェン・ゲバント氏との決定的なちがいは右の瞳が榛色で左の瞳が群青色である点だ。

コンシエルジュの名はアナスタシウス・ヘテロクロミア=イリディス。家系的に虹彩異色症であることは、その名前から窺い知ることができる。彼のオッドアイにみつめられると、いつも身体が中心から真っぷたつに引き裂かれるような感覚に襲われる。

「森鳴さま。お待ち申し上げておりました。村上春樹さまからのお言伝をおあずかりしております」

二色の光を静かに放ちながらコンシエルジュは恭しくからだを折った。アナスタシウス・ヘテロクロミア=イリディスは一旦言葉を飲みこんでから言った。神託のような荘厳を孕む言葉だった。

「一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く」

私はすぐに応答した。

「倍音」
「ようこそ、世紀末ホテルへ」

アナスタシウス・ヘテロクロミア=イリディスは作り物のような微笑を浮かべてから、鮮やかなヒマラヤン・ブルーのサファイアに縁取られた鍵を差しだした。かくして、世紀末ホテルの夜は始まった。
 
by enzo_morinari | 2019-07-31 05:14 | 1984アパートメント 101号室 | Trackback | Comments(1)