Signifié/Signifiant
2023-10-22T12:13:20+09:00
enzo_morinari
いにしえの昔、ディネの男たちとアステカの民はコヨーテを「歌う犬」と呼び、いたずら好きの神として敬った。彼らはコヨーテが太陽と死と雷とたばこをもたらしたと信じて疑わなかった。
Excite Blog
エデンの園から来た大富豪の老人 ── 延命治療は不要である。緩和ケアもしてはならない。私は罰せられなければならない。
http://enzogarden.exblog.jp/33130168/
2023-10-22T04:45:00+09:00
2023-10-22T12:13:20+09:00
2023-10-22T04:40:28+09:00
enzo_morinari
エデンの園から来た大富豪の老人
「延命治療は不要である。緩和ケアもしてはならない。私は罰せられなければならない。」
耳を疑う言葉だった。エデンの園から来た大富豪の老人はディメンシアでもアルツハイマーでもなく、精緻に自分の死と生に向き合っていたことがわかった。]]>
村上春樹の双子の弟の夢の話
http://enzogarden.exblog.jp/33104991/
2023-09-27T02:34:00+09:00
2023-09-27T02:34:21+09:00
2023-09-27T02:33:23+09:00
enzo_morinari
Twins Tail Tale
村上春樹には双子の弟がいる。村上冬樹だ。村上春樹は4242、村上冬樹は4243。村上春樹/4242と村上冬樹/4243は驚くほど似ていない。二卵性の域を超えている。あえて似ているところを探すとひとつだけある。年老いたカワウソの雰囲気を漂わせている点だ。赤の他人のほうがまだ共通点/共通項があるとさえ言える。なぜそこまで似ていないかと言うと、父親がちがうからだ。だが、それは別の物語である。
「いつもおなじ夢を見る」と言って村上春樹の双子の弟は話しはじめた。
村上春樹の双子の弟がみている夢はおおよそ次のようなものである。
由利徹によく似た塗壁男が長いあいだ二重の壁を作りつづけている。壁と壁のあいだの40cmほどの空間には7組の双子が住みついている。208と209、クレタとマルタ、クレハとサラン、ヒップとホップ、グリップとグリッツ、丸太と鷹太、そして、川オターと海オターだ。
彼らはいつも大きな声でおしゃべりをしている。双子世界のことや双子世界の未来のことや双子秘密結社設立のことや大西洋に沈んだ双子大陸のことや双子のパン屋を襲撃することや双子のメリットとデメリットについて。
双子たちがいくら大声でしゃべっても、塗壁男はまったくそのことに気づかず、無言で煉瓦を積みつづける。
村上春樹の双子の弟の夢の話はまだまだつづきそうだったが、NHKの緊急速報で村上春樹が滞在先の不確かな壁の内側にある街のツインズ・タワーで心不全を発症し、屋上から蝙蝠傘を持って飛び降りたために急死した旨のテロップが流れた。ほぼ同時に村上春樹の双子の弟は太平洋戦争期の落下傘を喉に詰まらせ、息も絶え絶えに「…林直子さんと鼠くんと指のない女の子と羊男と208/209とクレタ/マルタの双子の姉妹とノルウェイの森と地下鉄銀座線で暗躍する大猿とデッドヒートする回転木馬とTVピープルとチャイナのC席と青山通りから12本目の銀杏の樹の下のベンチと青い珊瑚礁の早起き鳥とねじまき鳥と泥棒かささぎとミシュレの魔女と25メートル1杯分のビールとJ’s BARの床一面の敷きつめられた南京豆の殻とグレン・グールドの1955年盤の『ゴールドベルク変奏曲』と1973年のピンボール・マシン、スリーフリッパーのスペースシップの呪いだ...」と言い残して死んでしまった。
村上春樹の双子の弟の夢の話を最後まで聞けなかったのはかえすがえすも残念でならない。村上春樹/4242と村上冬樹/4243を産んだ女性は驚くほど年老いたカワウソに似ている。私? 私は二重の壁を無言で作りつづけている塗壁男だ。由利徹には似ていない。ユーリ・ヤコヴレヴィチ・アルバチャコフに似ていることが原因でWBCからザイール共和国のキンシャサでジョージ・フォアマンと対戦するようにとの内容証明郵便を送りつけられたことがある。
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世界中が敵にまわっても裏切らず、背を向けず、手のひらを返さないものを探して秘密の森を歩く。
http://enzogarden.exblog.jp/33103183/
2023-09-24T19:01:00+09:00
2023-09-24T19:01:22+09:00
2023-09-24T19:00:39+09:00
enzo_morinari
秘密の森を歩く。
侵しても、灼いても、踏みにじっても、森はいつも静かにそこにいる。
世界中が敵にまわっても裏切らず、背を向けず、手のひらを返さないものを探して秘密の森を歩く。
夜の闇があなたを見守ることができるように。夜の闇はいつもそこにいて、いつも見守っている。
重要なのは森を歩き、樹木や草花や生きものたちと話し、考えることである。秘密の森はあたたかく、深い。
まだ間に合うか? まだやりなおせるのか? 秘密の森を歩きながら、世界中のありとある樹木、草花、生きものたちが歌い、奏でるかなしみと慈しみのノクターンを聴きながら考える。
おそらくは、まだおそくはない。
Secret Garden - Nocturne (Inside I'm Singing/2007)
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砕け散った心と夢のかけらをひとつ残らずひろいあつめて。幾千億回の朝がきてもなお。
http://enzogarden.exblog.jp/33101330/
2023-09-22T13:15:00+09:00
2023-09-22T13:15:17+09:00
2023-09-22T13:14:11+09:00
enzo_morinari
沈黙ノート
いつからか、エッダ・デル・オルソが歌う『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』の劇中歌であるエンニオ・モリコーネの『Friendship and Love』がずっと頭の中で鳴っている。小さな音で。静かに。消え入るように。霞むように。二度と取りもどすことのできない宝石のような思い出のように。
横浜馬車道の東宝会館で『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』をみて以来のことだから、1984年以降ということになる。もう39年にもなるか。
1984年。若かった。嵐のような裏切りと諍いのただ中にあった。それまでおぼろげながらもあった世界と人間に対する信頼が木っ端微塵に消し飛んだ季節だった。世界は冷酷と裏切りと強欲と無関心とで出来あがっていることを知った。
世界と人間と未来は信ずるに値しないと確信するに至るつらい日々だった。だが、そろそろ「砕け散った心と夢のかけら」をひとつ残らず回収する頃合いだ。失われたもの、砕け散った夢、傷ついた心をいつまでも抱えているわけにはいかない。すべては過程の中のひとコマにすぎない。
母一人、子一人で育った。14歳、中学2年の秋に母親が死に、以後、一人で生きてきた。人間は狡くて、嘘つきで、陰険で、冷酷で、意地悪で、強欲で、汚いと思っていた。世界を怨み、羨み、妬み、憎んだ。世界は怯懦と不信と裏切りと卑劣と冷酷と残虐と狡猾と憎悪でできあがっていると思いつづけた。明日など信じられなかった。信じたくもなかった。
でも、そうじゃない。いやなことばかりじゃない。いやな奴らばかりじゃない。数少ないけれども、私が考えていた人間や世界の反対側に、深く鋭く強く熱く暖かく静かに豊かに健やかに、呼吸し、気持ちよく笑い、心の底から笑い、ダイヤモンドの涙を流し、いい風に吹かれ、いい風を送り、慈しみ、慈しまれ、些細なことに心ときめかせ、心ふるわせ、傷つきながらも生きている者たちがいる。
いま、ようやくにして信じようと思う。愛そうと思う。人間を。世界を。未来を。ささやかではあっても、愛し、愛され、思い、思われ、慈しみ、慈しまれる幸福を。
人間は信じるに値する。世界も信じるに値する。未来も信じるに値する。だから、生きつづけようと思う。生きつづけてほしいと願う。
東の空が白みはじめた。夜明けだ。幾千億回目かの朝がやってくる。幾千億回の朝がきてもなお、「僕らの場所」への道のりはまだ遥かに遠く細く険しい。遠く細く険しいけれども、「僕らの場所」への道筋は確かにある。はっきりと見える。
「僕らの場所」にたどり着くまでには幾度も2000トンの雨に打たれ、何度も本当の夏に本当のさよならをし、おいしく楽しく健やかなごはんをたくさん食べなければならない。明日、世界が滅びるとしても、今日、我々は林檎の苗を植えなければならない。
Edda Dell'Orso & Ennio Morricone - Friendship and Love(from "Once Upon a Time in America")
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4θ4 Life Not Found 十万の十字架と幾千億の墓標と
http://enzogarden.exblog.jp/33099716/
2023-09-20T13:19:00+09:00
2023-09-20T13:19:27+09:00
2023-09-20T13:18:13+09:00
enzo_morinari
4θ4 Life Not Found
リトアニアの首都・ビリニュスの郊外に奇妙な場所がある。周囲に人家はない。荒野の中心、小高い丘に無数の十字架が立っている。その数、十万。19世紀前半、ロシアへの蜂起のあとに死者たちを弔い鎮魂するための最初の十字架が立てられた。
1990年には五万だった。20年で倍増した。この丘は帝政ロシア、ソ連、ポーランド、ドイツなどの周辺の大国に翻弄され、蹂躙され、略奪され、無数無辜の死者を出したリトアニアの人々の聖地であり、憤怒と悲痛と祈りと嘆きの場所である。ソ連時代、十字架は重機で何度もなぎ倒され、焼き払われた。そのつど、リトアニアの人々は新たな十字架を立ててきた。十字架はいまも増えつづけている。十万の十字架と十万の死者と十万の魂。
「ここは聖地ではない」とふと思う。圧倒的な死と深い沈黙と夥しい数の十字架が無秩序に折り重なった凄まじいまでの混沌。「聖地」などという言葉で片づけることはできない。十万の十字架で埋めつくされた遠い異国の光景が東北の地をおおう瓦礫の山と交錯し、いつかこの国で目にする光景と重なる。
再び十字架にかけられし者たち。リトアニアの十万の十字架とヒロシマ ─ ナガサキ ─ ロンゲラップ ─ チェルノブイリ ─ フクシマの墓標と隠蔽され忘れ去られなきものにされた不可視の墓標と、そして、その先に連なる幾千億の墓標を幻視すること。
「希望」やら「絆」やら「友愛」やら「雪隠/厠/便所紙/陰翳礼讃」の話はそのあとだ。
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ラ・コンメディア・デッラルテが14行で語る人生 ── 最後は笑いにかえるから。
http://enzogarden.exblog.jp/33098455/
2023-09-18T17:53:00+09:00
2023-09-18T17:53:18+09:00
2023-09-18T17:52:10+09:00
enzo_morinari
ラ・コンメディア・デッラルテが14行で語る人生
BGMはいつもかぐや姫の神田川か赤ちょうちん。昭和の風景
生きてることはただそれだけで悲しいことだと知りました。Cosets Minami
いまでも、雨の夜、濡れた赤ちょうちんの屋台に背中を丸めたあなたがいるような気がします。Cosets Minami
われわれは平成/昭和どころか、大正も明治も江戸も消化できていない。夜郎自大な時代屋の漢
サッカー部の副顧問にして新卒新任の国語教師。その実、小説家志望のツチヤは荒野をめざすジャンドゥーヤだが、たどり着いたところは京浜急行富岡駅前の直木三十五の墓を見下ろす木造モルタル造り六畳一間のおんぼろアパート。ツチヤは40歳目前に直木三十五の墓前でガソリンをかぶって自死する。
中学のときのアソシエーション・フットボール部の副顧問のツチヤは新卒新任の国語教師だった。運動神経はにぶく、サッカーの技術はからきし。はっきり言えばゼロ。走りかたはロンドンブーツ1号2号の田村淳クリソツ。つまり、モモ神。
ツチヤは早稲田大学文学部国文科出の文学青年でもあって、小説家になることを夢見ていた。教師をつづけながら小説を書き、文学賞に応募する日々。住んでいる京浜急行富岡駅そばの木造モルタル造りのおんぼろアパートの六畳一間の部屋の窓からは直木三十五の墓がみえた。朝晩、直木三十五の墓にお参りするためにそのおんぼろアパートに決めたという。1年365日ときに4242日、ツチヤは朝晩、直木三十五の墓に直木三十五の愛した白いカトレアの花を1りん供えた。
ある日、ツチヤは思いつめた表情で練習後の部室にやってきた。ツチヤはコクヨの400字詰め原稿用紙の束を私にみせて感想を求めた。私はタイトルと書き出しの1行と最後の1行を読んで言った。
「小説家になることはあきらめろ。あんたにはプロの物書きになるための資質が決定的に欠けている。」
ツチヤは愕然憔然とし、「やっぱり」と言った。つづけて、「プロの物書きになるための資質が決定的に欠けているというのは具体的にはなんでしょうか?」とたずねた。
「あんたの言葉には言霊が宿っていない。つまり、あんたの言語表現は死んでいる。」
私が言うと、ツチヤはその場に突っ伏して声をあげて泣いた。
ツチヤは生まれも育ちも明石町の聖路加病院の敷地内だった。父親は聖路加病院の内科医、母親は聖路加病院の看護婦。
ツチヤの評価できる点は『旧約聖書』と『古事記』と『日本書紀』と『三国志』と『源氏物語』と『失われた時を求めて』とドストエフスキーとトルストイとジェームス・ジョイスとヘミングウェイと夏目漱石の全作品を完読していることと酒とモク(Hi-Liteもしくはショッポ)を供給してくれることとJazz Music/古典楽曲のレコード音源を上質なオーディオ装置でいつでもいくらでも好きなだけ聴かせてくれることだった。漱石の『草枕』にいたっては全文を隅から隅まで一言一句たがえずに丸暗記していた。だが、ツチヤ。「とかく人の世は住みにくい」ではない。「とかくに人の世は住みにくい」だ。「に」が抜けていてはおれは苦虫を噛みつぶし、冥王星の税務署の収税課のarflexの黒いデスクの引出しの奥にまで届くような舌打ちをするぜ。ニッニッニッニッニッと。
ツチヤは私の3度のゼニカネ集めのためのオバケの結婚披露宴に3度とも出席し、香典袋に板垣退助の帯封未開の100円札を5束入れて、「呪言」と題した一文を添えて寄こした。ツチヤはベロベロに酔いどれて下手くそなギターをかき鳴らしてかぐや姫の『妹』の歌詞の「妹」のところを「弟」に替えて歌った。ボロボロボロと大粒の塩味ダイヤモンドをこぼしながら。ツチヤは8歳年上だったが、私は内心、おまえこそがおれの弟分だろうがよと思った。しかし、すごくうれしかった。
ツチヤは40歳目前に直木三十五の墓前でガソリンをかぶり、火をつけて自死したが、直木三十五の墓にはいまでも1りんの白いカトレアが欠かすことなく供えられている。成仏できないツチヤの仕業だろうが、悪さをするという話は聞かない。
ツチヤが成仏できない理由には心当たりがある。ツチヤが成仏できないのは、ツチヤは自殺ではなく、直木三十五の亡霊に呪殺されたからだ。
ツチヤは呪殺されたが『道化師のソネット』を歌ってやると今でも喜ぶ。ツチヤはいつも14行で自分の人生を語りつくしていたからだろう。
かぐや姫 四畳半三部作
神田川 (昭和四十八年/1973)
赤ちょうちん (昭和四十九年/1974)
妹 (昭和四十九年/1974)
道化師のソネット # さだまさし
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クマグス・デイズ/南方マンダラは集合知(Big Data)である。
http://enzogarden.exblog.jp/33095088/
2023-09-14T08:37:00+09:00
2023-09-14T08:37:52+09:00
2023-09-14T08:35:54+09:00
enzo_morinari
クマグス・デイズ
知の巨魁、南方熊楠が描いた「南方マンダラ」は集合知(Big Data)である。]]>
若葉のころ、セロリのころ、テレホーダイのころ
http://enzogarden.exblog.jp/29754407/
2023-09-13T21:59:00+09:00
2023-09-13T21:59:21+09:00
2018-09-21T10:00:50+09:00
enzo_morinari
沈黙ノート
カフカの雪がとけて、グレゴール・ザムザ氏が冬虫夏草に変身変態した年の秋。世界規模の蜘蛛の巣が日本を覆いはじめた。World Wide Web. 1996年のことだ。
インターネット黎明期。ハードもソフトも環境も、遅く、重く、高く、チープだった。便利どころかPCをいじるのもインターネットを利用するのもストレスと隣り合わせだった。PCがフリーズするのは当然のことだと受けとめられていた。
1999年の春に宇多田ヒカルが『AUTOMATIC』を引っさげて腑抜けてふやけきった日本の音楽シーンに殴りこんできたとき、これはデビューなどという生やさしいことではなく出現/事件だと思った。インターネット黎明期だった。
光回線もブロードバンドもADSLすらもない時代。せいぜいがISDNだった。そして、インターネットの接続料金は従量制。「テレホーダイ」などというまやかしが幅を利かせていた。テレホーダイの始まる夜の11時が待ち遠しかった。
PCの性能もお粗末きわまりなかった。Macの標準的なモデルのHDの容量は1Gもなかった。CPUの処理速度は256MHz。今のiPodよりもはるかに小さく遅い。東京ドームと町の公民館、三輪車とF1マシンあるいは紙ヒコーキとF-22などの第5世代ジェット戦闘機くらいの差だ。
各プロバイダのサーバも陳腐だった。遅く、重く、小さく、お粗末で、陳腐。それがインターネット黎明期だ。PCも回線もプロバイダも、ハードとソフトのすべてが今から見れば旧石器時代、それどころかビッグバン数秒後ほどのレベルしかなかった。宇多田ヒカルはそんな時代のただ中に出現した。
宇多田ヒカルAUTOMATIC事件は新しい時代の到来を告げる象徴的な出来事だった。あらゆることがネットワークの中で発生し、成長し、増殖する世界。すべてのことが、当たり前のようにAUTOMATICに進行する世界が数年後に迫っていると感じた。
宇多田ヒカルAUTOMATIC事件を遡ること3年前。インターネット旧石器時代。SMAPの歌う『セロリ』が私のインターネット旧石器時代のテーマソングだった。
私のインターネット黎明期、インターネットの若葉のころ。ベッコアメのチャットでカエルだけれども人間の手協会の会長として辣腕をふるい、幻惑衒学のクワルテットで若造小娘どもを煙に巻く日々。ネット麻雀の東風荘ではシカゴ悪漢互助組合を結成して暴れ放題暴れた。東風荘での最後のレートは8985だ。
リピートセットしておいた『セロリ』と『Automatic』と『Time Will Tell』が繰り返し聴こえるピコ部屋(PCルーム)からほとんど出ることなく、気づけば憎悪の塊がマンハッタンのWTCに突入する映像があらゆるメディアで流れていた。次の年、世紀は21世紀に変わった。
「育ってきた環境がちがうから好き嫌いはイナメナイ。夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね」と草彅剛が歌い、「Time will tell. 時間が経てばわかる」と宇多田ヒカルが歌っていた。インターネットの若葉のころは年端もいかぬ若造小娘に多くを教えられた季節だった。インターネットが痛みをともなうField of Dreamsであると気づくのは何年もあとのことだ。つくっても望んでもだれもなにもやってはこないことに気づくのは。
セロリ - 山崎まさよし
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666をめぐるロクでもない話 おしゃべり魔女は麓郷の人々に六花亭の毒入りマルセイ・バタサンドを666個配る。
http://enzogarden.exblog.jp/33094409/
2023-09-13T09:24:00+09:00
2023-09-13T09:24:10+09:00
2023-09-13T09:23:05+09:00
enzo_morinari
666をめぐるロクでもない話
666は死の数字
Barcodeは獣の数字の刻印である。
六馬和せざれば造父も以て遠きを致す能わず Jun-Kyo
小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は666である。Apocalypse de Jean (Révélation 13:15-18)
六甲山中の丸太小屋。
対数計算に関する問題をブログにUPするためにPCに向かい、難しいロビング・ボールをなんとか処理してロギング作業に戻った。
ケニー・ロギンスの『Nightwatch』がひどい針飛びを起こしたとき、事前のアポイントメントなしで公安調査庁の公安調査官が訪ねてきた。
顔色の悪い公安調査官は私のLogarithm Daysとロヒンギャ・ピープル支援の公式記録と補陀洛渡海航海時の航海日誌(Logbook)の引渡しを求めた。
物も言わずに張りたおし、チェンソーで6分割してから六分儀に磔にした。最後は王水で溶かした。世界が2パーセントほど臭くなくなった。
過日、遠いところにある果実を求めて666年ぶりに実家を訪ねた。徒歩では途方もない距離だが匍匐前進、五体投地なら鼻歌まじりでコンビニに行くようなものだ。
六花亭の創業者の関の孫六である私は66歳、離婚歴6回、麓郷の華麗なるロクデナシのロクさんと陰口を叩かれる身の上である。よって、すべての国税と地方税は鐚一文払ったことがない。未納の王である。すなわち、山吹の化身。実のひとつだになきぞ悲しき身の上である。得意な将棋の戦法は振り飛車の美濃囲いだ。
遠いところにある果実はトーキング・フルーツ。よくしゃべる。言わなくていいことまで言う。言ってはいけないことさえ言う。トーキング・フルーツは古舘伊知郎のトーキング・ブルースを見るときには欠かせない。特に6月6日の無口の日の日本橋三越本店のショーウィンドウの中で古舘伊知郎がトーキング・ブルースのパフォーマンスをやるときは。
酷使しつづけている大脳辺縁系が悲鳴をあげたので、六花亭のマルセイ・バタサンドを666個食べた。最後に六花亭のマルセイ・バタサンドを食べたのは蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された大化改新の666年のことだから、かれこれ、45.4=666億年になる。
腹ごなしに、666億光年離れた隣町であるバハマのCompass Point Studiosの脇のTom Tom Clubの斜向かいでTalking Headsを持つおしゃべり魔女と『悪魔のラヴ・ソング』を歌っていると、激しく痙攣するデヴィッド・バーンがやってきて、「Urabe Kumeko Death YODA」と片岡鶴太郎+YODAにトランスフォーム・メタモルフォーゼズして言った。その場にいる人々は全員トランス状態になった。電信柱の変圧器が轟音を発して爆発した。
アレクサンドリアの南のはずれの六芒星図書館でかっぱらった古い本、『666をめぐるロクでもない話』にはそう記してあった。とても疲れたので、六花亭のマルセイ・バタサンドを645個食べた。すぐそばで蘇我入鹿がバンドウイルカの着ぐるみをかぶり、よだれを垂らしながらこちらを見ていた。
おしゃべり魔女 Tom Tom Club (米米CLUBのパクリ元) (1981)
Mauvais Garçon (悪ガキ/ろくでなし) - adamo (1964)
We Will Rock You - Queen (Official Video)
トーキングブルース 12th お経 古舘伊知郎
Apocalypse - Second World War Documentary - WW2 Documentary
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サヨナラをする、その前に/2000トンの雨が上がり、射しこんだ14番目の月のマイナス100度の太陽みたいな光に瞳を開いたら。
http://enzogarden.exblog.jp/33088798/
2023-09-06T01:48:00+09:00
2023-09-06T01:48:19+09:00
2023-09-06T01:47:40+09:00
enzo_morinari
サヨナラをする、その前に
タツロー、ユーミン、サザンは1970年代後半から1980年代を生きた者の青春のアイコンだった。
ニュウドウカジカ・キッズのたまり場になっていた成金大金持ちの家のアキンボのオーディオ装置と音源のコレクションはすごかった。若い女のところに入りびたってめったに帰ってこないアキンボの父親のものだった。オーディオ・ルームは完全防音。増幅器の主役はMcIntosh MC275をツイン・ドライブ。スピーカーはAltec A-7 The Voice of the Theatre. 音を丸裸にした。楽器も歌い手もエンジニアの小細工も。
アキンボの父親のすさまじいばかりの超ド級のオーディオ・システムでユーミンを聴き、タツローを聴き、サザンを聴き、古典楽曲を聴き、Jazz Musicを聴いた。それらは1970年代後半から1980年代を生きぬくためのなにがしかの力になった。
いいわるいは問わない。善悪も無論だ。正邪も。美醜も。重要なのは感じる心だった。そして、タツロー、ユーミン、サザンによって少しだけおとなになった。
かなしくも面影がうすれゆくことを学んだ。それでじゅうぶんだ。いつでも、サヨナラできる。Good Luck and Good Byeと。笑ってもっとBaby むじゃきにOn my mind 映ってもっとBaby すてきに In your sight. 寄り添う気持ちがあればいいのさと。夢の中までずっと一緒さと。砕け散った夢のかけらをひとつ残らずひろい集めて。夢は束の間だと言い聞かせて。たどり着いたぼくらの場所でずっと一緒さと。2000トンの雨がすべてを洗い流すのだと。きらめく海に航海日誌を捨てようと。いつだって心はMistyでFoolishでシーズンオフだと。OK. All OK. すべてはMorning Gloryだ。東に向いているブラインド目がけて射しこんだ光に瞳を開いたら。マイナス100度の太陽みたいに身体を湿らす恋をして めまいがしそうな真夏の果実は今でも心に咲いている。Ya Ya. あの時代を忘れないと。とびきりステキな恋などもしたと。このままでいたい All Nightと。思い出は心に今もきらめくよと。あれから10年も忘れられた Big Wave 遠くに揺れてる あの日の夢。帰らぬ思い出、As Time Goes By.
Good Luck and Good Bye 荒井由実 (14番目の月/1976)
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静寂は殺しのサイン/長く強い痛みとアダージョ・ソステヌートの殺人者
http://enzogarden.exblog.jp/33088078/
2023-09-05T00:13:00+09:00
2023-09-05T00:13:15+09:00
2023-09-05T00:12:22+09:00
enzo_morinari
静寂は殺しのサイン
Shooted by Jukai-Jin
人生はラフマニノフの1小節にも値しない。G-G
アダージョ・ソステヌートの死。息は乱れない。常に平均律を保っている。G-G
嘘とごまかしと裏切りと変節と手のひら返しは断じてゆるさない。親兄弟、女、こども、友人であってもだ。手加減なし容赦なし。逃げても無駄だ。草の根をわけても探しだす。そして、長い時間をかけ、ゆっくりと、考えうるあらゆる種類の苦痛を与える。もがき苦しませ、のたうちまわらせ、むごたらしい死、アダージョ・ソステヌートの死をお見舞いする。それが私のModus Operandiだ。G-G
富士の樹海の近くのアジトに着いたのは夕闇が降りはじめた頃だった。いやな胸騒ぎが続いていたが、地下室に入ると胸騒ぎはきれいさっぱり消えた。男は虫の息だったがかろうじて生きていた。黒幕を聞きだすまで死なれては困る。男にはスカフィズムをはじめとする数々のTortureが待っている。私の趣味の時間、トーチャー・タイムだ。
地下室は完璧な防音処理が施されている。どんな音も外部には漏れない。やりたいことをやりたいだけできる。地下室にはいくつもの拷問具とともにほぼ完璧と言っていい音響設備が備えつけてある。
人生はラフマニノフの1小節にも値しないとひとりごちる。私の口ぐせだ。ひとは私を名うての殺し屋と呼ぶ。私は呼吸するように殺す。私にとって殺戮は呼吸と同じだ。私の殺戮で人口密度はいくぶんか減少し、私の呼吸で地球上の炭酸ガス濃度はわずかに上昇する。それだけの話である。
私は息を吐きだすようにトリガーを引き、息を吸いこむようにナイフを一閃する。私はゆっくりと殺す。手加減なし容赦なしで。眉ひとつ動かさずに。Adagio, Adagio. Non Troppo.
Shooted by Jukai-Jin
樹海の樹々が軋む音を聴きながら思う。
「命乞いをするのは人間だけだ。人間以外の生き物は命乞いなどしない。不潔で覚悟なし。それが人間だ。」
人生はラフマニノフの1小節にも値しない。特にラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番 第2楽章の1小節には。当然、グスタフ・マーラーの交響曲第5番 第4楽章 アダージェットにも。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』にも。
アダージョ・ソステヌートの死。息は乱れない。常に平均律を保っている。Time Keep. Tempo Animato. Keep The Rhythm. I Got Rhythm. ジョージ・ガーシュウィンことジェイコブ・ガーショヴィッツは作り物のような静寂と豊饒に彩られた秋のNYで生まれ、狂った青空がなだれ落ちる夏の初めのLAで死んだ。
人生に必要なのはリズムとバランスとエアロダイナミクスと確認である。これにいい旋律が加われば言うことなし。だが、ことはそうそううまくはいかない。変奏がある。どこのだれとも知らぬ馬の骨のせいで。チャーリー・パーカーが死んだのだって、元をただせばディジー・ガレスピーの変奏と変節に巻きこまれたからだ。No Confirmation, No Life.
スピーカーはイタリアの老練な家具職人が丹精をこめて作りあげたSonus FaberのAida. ジュゼッぺ・ヴェルティのオペラに登場するエチオピアの王女の名を冠した美しいスピーカー。イタリアのクラフトマンシップが生み出した傑作。音楽を奏でる宝石だ。リラの形状をしたRed Violin仕上げのエンクロージャーが艶かしく輝いている。明るくも気怠く儚く物憂げな古代ギリシアの街中にたゆたうように流れたリラの音色が聴こえてきそうだ。クレモナの偉大なリュータイオたち、アマーティやストラディヴァリやグァルネリも聞き惚れることだろう。CDプレイヤーはLinn CD12で、CardasのClear Beyondを使ってKrell KSLとウェスタン・エレクトリック社製のKT88をチュービングしたMcintosh MC275につないである。バイアンプ駆動。スピーカー・ケーブルにはEsotericの7N-S20000 MEXCELを奢ってある。
マイクロ精機の超重量級砲金製ターンテーブルがストリング・ドライヴによってゆっくりと回転している。ターンテーブル・ユニットSX8000+モーター・ユニットRY5400の最強無敵の組み合わせ。軸受部に無振動エアベアリング機構を採用したターンテーブルは回転しているにもかかわらず、静止しているようだ。ターンテーブル・ユニットのフレームとモーター・ユニットとパワー・ユニットは味わい深いブルーで統一されている。トーンアームはGraham EngineeringのPhantom II Supreme. ピックアップは光悦のBlue Lace Agate Platinum.
豊饒かつ優雅、そして峻烈。私の "仕事”の作法流儀 と寸分たがわない。いささかの迷いも狂いもためらいもない。精緻にして明晰。パーフェクトなノックアウト。たぶん、私は気づかないうちに世界を支配する極意を手に入れたか、万人から気づかれずに搾取するための美学を身につけたかしたんだろう。
ターンテーブルにはドイツ・グラモフォン盤のカラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニカー『グスタフ・マーラー 交響曲第5番』がのっている。
何年の録音だろうか。中学の音楽室で聴いたおぼえがある。放課後、クラーク・ケント似の音楽教師が聴かせてくれた。第4楽章の美しい緩徐の旋律に聴き惚れる。
仕事の前にはいつもマーラーの『交響曲第5番 第4楽章 アダージェット』かラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章 アダージョ・ソステヌート』を聴く。そして考える。問う。"人生に確証はあるか? 啓示と福音に耳をすましているか?" と。仕事が無事終わったらナタリー・ドゥセが歌うラフマニノフの『ヴォカリーズ』を聴く。あとにはなにも残らない。残さない。後腐れなし。そんなふうにして、私は人生の日々の景色をよくする。
弟子が問う。
「次のマークはどこのどいつですか?」
「おまえだと言ったら?」
「究極のオーディオ装置で戦慄の叙情を聴けたんですから心残りはありませんよ。できれば、1970年録音のウラジミール・アシュケナージとアンドレ・プレヴィン指揮 ロンドンSOのラフマニノフ Op. 18が聴けたら申し分ないんですけどね。」
「いい選択だ。ジメルマンとオザワ/ボストンSOのラフP-C No.2, Op. 18だと言ったら躊躇なくトリガーを引いていた。」
私はこともなげに言い、フレーム、銃身、スライド、弾倉のフィールド・ストリッピングとクリーニングを終えた38口径 FN ブラウニング M1910をホルスターに収め、ホルスターヘの収まり具合とホルスターから抜き出すときの滑らかさを確認し、再び、FN ブラウニング M1910をArflexの机の上に音もなく置いた。それから、ゆっくりとした動きでフィルターを外したソブラニーのブラック・ロシアンに火をつけた。深々と固形物のような烟りを吐き出すとヴァージニア葉の甘く濃密な燻香が部屋中に広がった。あとは未開封の箱の中の380ACP弾に瑕疵がないかひとつひとつ確認する作業を残すだけだ。
FN ブラウニング M1910。私の長年の愛用銃にして、決して裏切ることのないよき相棒がポリッシュ・ブラックのArflexの机の上で鈍い輝きを放っている。
嘘とごまかしと裏切りと変節と手のひら返しは断じてゆるさない。親兄弟、女、こども、友人であってもだ。手加減なし容赦なし。逃げても無駄だ。草の根をわけても探しだす。そして、長い時間をかけ、ゆっくりと、考えうるあらゆる種類の苦痛を与える。もがき苦しませ、のたうちまわらせ、むごたらしい死、アダージョ・ソステヌートの死をお見舞いする。それが私のModus Operandiだ。
眉間にくっきりとS字の皺がよる。カービング・ナイフで彫りつけたようなS字のしるし。眉間のS字の皺の刻印は断固たる決意のあらわれだ。そして、私の冷酷と残虐の象徴。過去も現在も未来も変わらない。時制も時相も時法も問わないし、意味を持たない。場所もだ。
宇宙を支配する巨大な意志の力によってもたらされた私の理力はスカラー量もベクトル量もテンソル量も無化する。それが私のやり方、Modus Operandi. 私の意志の中心はメタルだ。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌うクロード・ドビュッシーの歌曲集『Cinq Poèmes de Charles Baudelaire/シャルル・ボードレールの5の詩』をターンテーブルに乗せ、FN ブラウニング M1910の銃身を長く細く白い指先でゆっくりと繰り返し撫でる。シャルル・ボードレールの『悪の華』の中の詩の一節を暗誦でもするように。
「今夜のマークは女だ。それもとびきり美人のな。彼女はこれからファム・ファタールを気取って犯した数々の悪事悪行の贖罪をする。彼女は物事をアレグロ・アッサイに進めすぎた。人生はアダージョくらいでちょうどいい。漂えど沈まず、悠々として急ぐことも必要だがね。"夢魔世界の悪霊がユグドラシルさえ真っぷたつに切り裂く残酷にして冷徹な憤怒と憎悪の鉤爪を立てて汝を絶望と恐怖に彩られたモスケンの大渦巻のただ中に引きずりこむ。余は汝の呪われしアルビノの血がパストラーレの小川のようにファートゥムの瀑布のように軽快に激烈に流れ滴ることを熱望する" ということだ。」
言い終え、私はジャン=フランソワ・パイヤール室内管弦楽団が演奏する『アルビノーニによる2つの主題のアイデア及び通奏低音に基づく弦楽とオルガンのためのアダージョ ト短調』をかけた。
マークが "とびきり美人の女" と依頼主から聞いて少しだけ胸の奥が疼いた。しかし、ほんの少しだけだ。どうということはない。すべては過程のひとつにすぎない。
『アルビノーニのアダージョ ト短調』が終わり、再び、フィッシャー=ディースカウの正確無比、精緻明晰、ノイズ・ゼロのクリアな発声法に基づく威厳に満ちた声が部屋中に響きわたった。つづいて、マーラーの『交響曲第5番 第4楽章 アダージェット』とラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章 アダージョ・ソステヌート』が交互に繰り返し流れた。
アダージョ・ソステヌートの時間が永遠につづくように思われた。それが逃げ場のない死のダ・カーポの始まりにすぎないことを知るのはまだ先だ。
S. Rachmaninov: Piano Concerto No. 2, Op. 18, 2nd mov. "Adagio sostenuto"
V. Ashkenazy, André Previn & London Symphony Orchestra (LSO)
Krystian Zimerman, Seiji Ozawa & Boston Symphony Orchestra (BSO)
V. Ashkenazy, Bernard Haitink & Royal Concertgebouw Orchestra (RCO)
S. Rachmaninov: Symphony No. 2 in E minor Op. 27, 3rd mov. "Adagio"
André Previn & London Symphony Orchestra (LSO)
Mariss Jansons & St. Petersburg Philharmonic Orchestra
Gennadi Rozhdestvensky & London Symphony Orchestra (LSO)
Pablo Castellano & Teresa Carreño Youth Symphony Orchestra of Venezuela
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キャッチ・ボールは終わり、雨の朝、ライ麦畑に死す。
http://enzogarden.exblog.jp/33087340/
2023-09-04T04:01:00+09:00
2023-09-04T04:02:02+09:00
2023-09-04T04:00:15+09:00
enzo_morinari
キャッチ・ボールは終わり、雨の朝、ライ麦畑に死す。
だれであろうと崖から転がり落ちそうになったらつかまえるのだ。ライ麦畑の捕手。そういうものになりたい。
冷たい雨の中、夢の球場の入口で僕は待っていた。銀河系宇宙一の捕手を。背番号42を。彼が帰ってくるのを。クソまずいバナナ魚をむさぼり喰いながら。何年も何年もだ。「くさいオトナは立入り不可!」とヘタクソな字で記された看板の脇にうずくまり、「きっといつか彼はやってくる。再会することができる」と夢見つづけて。しかし、彼、ホールデン・コールフィールドはついにやってこなかった。
オーケイ。もうなにも、なにごとも待たない。期待しない。ひとつの「確かな時代」は確実に深く鋭く終わったのだ。変わったのではない。終わったのだ。ゴドーとパラダイスとモリアーティは死に、そしていまホールデン・コールフィールドもついに死んだ。そのことは素直に受け入れなければならない。
オーケイ。僕は筋金入りのハード・ボイルドだ。なにがあったって負けやしない。くじけやしない。いくらでも立ち直り、何度でも立ち上がる。内角高目。ビーン・ボールぎりぎりの胸元の球だっておそれやしない。だが、とも思う。「ずっとこどものままでいさせてくれてありがとう」と。
J.D.サリンジャー。91歳。雨の朝、ライ麦畑に死す。キャッチ・ボールはこれで終わり。しかし、世界中にあまねく存在する「サリンジャー・ウォール」は、いったいだれがぶちこわすんだ?]]>
ディオゲネス・ザ・ドッグはとてもじょうずにピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲』を弾く。繰り返し弾く。そして、殺す。
http://enzogarden.exblog.jp/33086585/
2023-09-03T06:07:00+09:00
2023-09-03T06:07:32+09:00
2023-09-03T06:06:10+09:00
enzo_morinari
ディオゲネス・ザ・ドッグ
愛を知らない無敵の闘犬と盲目のピアノ調律師の話だ。
悪魔がいる。悪魔の名はディオゲネス・ザ・ドッグ。アメリカン・ピット・ブル・テリア。通称、ピットブル。
途轍もない。桁外れ。規格外。全身筋肉。犬の皮をかぶった悪魔。論外。頑強。剛健。強靭。俊敏。好戦。孤高。獰猛。勇猛。果敢。邪悪。凶悪。凶暴。不屈。冷酷。非情。不撓。手加減なし、容赦なし。そして、従順にして純情。土佐犬の大横綱が尻尾を巻いた百獣の王ライオンの檻の前で一歩も引かずにライオンを睨み、冷静沈着に隙を窺う胆力と豪毅。このとき、ピットブルは考えていたはずだ。「どこに食らいついてやろうか。どうやって殺してやろうか」と。
殺すこと。ただひたすら蹂躙し、蹴散らし、噛みつき、食らいつき、そして、殺戮すること。「闘争本能」に火のついたピットブルの頭の中にあるのはそれだけだ。ピットブルはそうなるように人間によって徹底的にブリーディングされ、ブリーディングしつくされ、誕生した。みずから望んで、あるいは遺伝子がみずから選択してこの「犬の皮をかぶった悪魔」が生まれたのではない。ゆえに、ピットブルにはどこか悲しみがある。「殺戮」を宿命として背負った者の悲しみが。
「ピットブルは人間にも牙をむく怪物」「ピットブルは猛獣そのもの」「ピットブルこそが最強にして最凶の犬だ」「ピットブルは兵器である」「欲望に翻弄され、流血に熱狂する愚かな人間たちによって闘争本能に徹底的に磨きをかけられ、生みだされた怪物」との声もある。
ディオゲネス・ザ・ドッグはとてもじょうずにピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲』を弾く。繰り返し弾く。そして、殺す。
Pietro Mascagni - Cavalleria Rusticana "Intermezzo"
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ピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲』とロッキー・マルシアノの右フック
http://enzogarden.exblog.jp/33084723/
2023-08-31T19:22:00+09:00
2023-09-01T19:13:12+09:00
2023-08-31T19:21:06+09:00
enzo_morinari
真言の音楽
22歳の冬だった。横浜馬車道の映画館Nuovo Cinema Paradiso。『レイジング・ブル』(マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デ・ニーロ主演)のオープニング。モノクロの映像。リングでシャドウ・ボクシングする主人公のジェイク・ラモッタ役のロバート・デ・ニーロ。と、天上の音楽とも思える美しい調べが聞こえた。涙がとどめようもなく流れた。「ここは天国か?」と思った。それがのちに『ゴッドファーザー PART III』のエンディングでも聞くことになるピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲』との生涯にわたって忘れえぬ出会いだった。ロッキー・マルシアノの右フックのような静かな衝撃だった。
Pietro Mascagni - Cavalleria Rusticana: Raging Bull (Opening Sequence)
Pietro Mascagni - Cavalleria Rusticana: The Godfather III (Ending Sequence)
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暑き夏の日は涼風を送り、寒き冬くればこの胸に抱いて。
http://enzogarden.exblog.jp/29746760/
2023-08-27T16:20:00+09:00
2023-08-27T16:20:40+09:00
2018-09-17T04:47:32+09:00
enzo_morinari
真言の音楽
新宿の厚生年金会館大ホールで古謝美佐子の『童神』を聴いてから25年になる。以来、きょうまで聴きついできた。心さびしいとき、うれしいとき、つらいとき、苦しいとき。折りにふれ、古謝美佐子の歌う『童神』を聴いた。泣き、ニコニコし、ぽかぽかした。これからもそれは変わるまい。時代やら世代やらを超えて歌い継がれ、聴き継がれ、語り継がれてほしいものだ。
童神 (わらびがみ/Warabi-Gami) ~天の子守歌
古謝美佐子作詞/佐原一哉作曲/上田浩司編曲
1.
天(てぃん)からの恵み 受けてぃ此(こ)ぬ世界(しげ)に
生まりたる産子(なしぐあ) 我身(わみ)ぬむい育(すだ)てぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
太陽(ていだ)ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
まさ勝さあてぃ給(たぼ)り
2.
夏ぬ節(しち)来りば 涼風(しだかじ)ゆ送(うく)てぃ
冬ぬ節来りば 懐(ふちゅくる)に抱(だ)ちょてぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
月ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
大人(うふっちゅ)なてぃ給(たぼ)り
3.
雨風(あみかじ)ぬ吹ちん 渡り此ぬ浮世(うちゆ)
風(かぜ)かたかなとてぃ 産子(なしぐわ)花咲かそ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
天の光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
高人(たかっちゅ)なてぃ給(たぼ)り
(ヤマトグチ・ヴァージョン)
1.
天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に
生まれたる我が子 祈り込め育て
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
太陽(ていだ)の光受けて
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
健(すこ)やかに 育て
2.
暑き夏の日は 涼風(すずかぜ)を送り
寒き冬来れば この胸に抱いて
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
月の光浴びて
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
健やかに 眠れ
3.
嵐吹きすさむ 渡るこの浮世(うきよ)
母の祈り込め 永遠(とわ)の花咲かそ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
天の光受けて
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
天高く 育て
童神(わらびがみ/Warabi-Gami)/作詞:古謝美佐子 作曲:佐原一哉
古謝美佐子 + 夏川りみ (ウチナーグチ + ヤマトグチ)
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