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スピノザ弁当/私は作りつつ存在する。

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ジュリア・フィボナッチ・マンデルブロとの濃密、深淵、再帰にして空疎きわまりないマグワイ・モグワイの夜を息も絶え絶えに超えて迎えたフラクタルの朝。ケツの拭き方のおさらいと重力レンズ磨きにも飽きて、Radio-Activity+COVID-19世界を一瞥する。出るのは冷血と冷汗と塩味ダイアモンドと溜息だ。手慰みにスピノザ弁当を作る。スピノザ弁当は柳宗悦の『手仕事の日本』を参考にする。

箸の先でスピノザ弁当をつつきながらMac miniを起動する。HDを読みこむ乾いた音に耳を澄ます。壁紙に設定してある海底に沈んでゆくエンゾ・モリナーリとアグラオネマ・マチルダ・シンプレックスの鉢植えを抱えたレオン・モンタナが42秒おきに交互にウィンクをよこす。1日の始まりとしては悪くない。問題はコメンダトーレ・エンツォ・アンゼルモ・フェラーリ P4/5ピニンファリーナのエアインテークに回復不能な亀裂が入っていることである。

スピノザ弁当の中心は、きわめて18世紀的、形而上学的、汎神論的、無神論的、一元論的、新プラトン主義的、自己相似的、バロック的、詐欺的で、自由にして躍動する岩塊のようなブロッコロ・ロマネスコだ。おごって、伊達の地鶏の鶏卵を用いた厚焼き玉子もつける。ペティート・ポモドーロなどという味も素っ気もないもののごときは物静かに退場謹慎を申しつけてある。

愚か者どもが跳梁跋扈するネットを観察計測。言語表現の基礎技術が著しく欠如した言説を見聞きするたび、冥王星の区役所の戸籍係の事務机の抽斗の奥にまで届く溜息をつく。そして、スピノザ弁当を喰う。味などしない。匂いもない。彩りも感じない。そもそも、スピノザ弁当には味も匂いも彩りもない。ないないづくしの弁当。つまり、無弁。それでいい。味があろうがなかろうが、匂いがしようがしまいが、彩りがイマイチだろうがシモツマだろうがコッタニだろうが知ったこっちゃない。だからどうした八百屋の五郎、Από μηχανής θεόςという次第である。
by enzo_morinari | 2021-10-20 11:52 | スピノザ弁当 | Trackback | Comments(0)
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