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High School Graffiti Days/サヨナラ TOKYO ── だれもが心の奥深くにだれにも見せない落書きを隠し持っている。

 
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落書きは消えるが痕跡は残る。Enzo Molinari
だれもが心の奥深くにだれにも見せない落書きを隠し持っている。Enzo Molinari
六本木高校のコンクリートの壁面はチェシャ猫とシュレディンガー・キャットの踊り場である。Diogenez Doggz


高校2年の秋の終わり。恋愛をめぐる深傷をきっかけに小田実の『何でも見てやろう』を再読し、一念発起。意を決して東京港区六本木6丁目にある東京都立城南高等学校(現六本木高等学校)に転校した。城南高校の生徒であったのは3週間。クリスマスを目前に東京都立青山高等学校に転校した。High School Graffiti Daysの始まりだった。

転校の動機は「六本木にある高校の生徒の気分を検証すること」だった。青山高校についても同様である。すなわち、青山にある高校の生徒の気分を検証することだ。城南高校と青山高校の生徒だったあいだに学んだのは、東京はストリートと坂と交差点の街であるということである。

以後、赤坂高校/新宿高校/日比谷高校/両国高校/九段高校/上野高校をそれぞれ数週間ずつ経験した。転校にあたっての手続き上の問題については人脈(高校生が? そうだ)、コネクション、オドシスカシゴリオシ等々を駆使し、あらゆる手練手管を使った。行政不服審査法による不服の申し立てをちらつかせるという荒事や都議会議員/文部族議員ら政治屋の口添えも。目的達成のためには手段を選ばないのは物心ついてからずっとおなじである。() ウケケケケケΨ(`▽´)Ψウケケケケケ

本来の神奈川の高校に舞いもどったときにはまわりの高校生がおそろしく幼稚にみえた。横浜ですらド田舎に思えた。元町も伊勢佐木町も横浜駅西口も煤けているように感じられた。東京はゼニカネとモノとヒトと情報の絶対的な量が異次元、別格、桁外れであるから当然だという結論をえた。いまでもその考えはほぼ変わっていない。

これらのヴァガボンドの日々を経験したことによって、東京という街/Mega City/Megalopolis/Mega Metropolitanを大づかみではあるけれども解読し、グリップできた。目隠しをされて東京の城南エリアに放り出されても自分がどこのストリートの何丁目にいるかわかるスキルが身についた。このことは私の世界観、美意識、価値観の形成に大いに役立った。カッペ/田舎者に用はなし。出る幕なしということについては微塵の揺らぎもない。

この頃に、ファッションビルの先駆けである青山3丁目交差点の"都市の中の丘"青山ベルコモンズのオープンに立ち会った。経営母体の鈴屋の経営不振とそれにともなう消滅につづいて、青山ベルコモンズが2014年に閉館したときはさびしさを含んだ複雑な気分だった。

Brooks Brothersの青山本店はトラッド・スタイルの修練場だった。BDシャツにチノパンにコンバースのオフホワイトのローカットがクール&スマートであると確信できるようになったのはBrooks Brothers青山本店に足繁く通ったからである。校章がわりにBrooks Brothersのロゴマークであるリボンで吊り下げられた羊(Golden Fleece)の14金無垢のピンバッジをつけるほどのいれこみようだった。

のちに連日通いつめて飲んだくれ、店の木の壁にインプロビゼーション・テクスト、アドリブ・グラフィティを書きまくって、なにがしかの「投げ銭」のたぐいをえることとなる北青山キラー通り沿いのスタンド・バー、つまりは洋風立ち飲み屋のC.O.D(Cash On Delivery)はまだオープンしていなかった。ロンドン・タクシーじいさんはまだ元気で、生きていて、東京の城南エリアをオースチン FX4のBlack Cabでファニー&ファンキーに走りまわっていた。

私のインプロビゼーション・テクスト、アドリブ・グラフィティの痕跡は今もC.O.Dの右奥のGraffiti Wallに残っている。私の一番の人気グラフィティは『Bay-Side on My Mind/わが心のベイサイド』だ。

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ラフォーレ原宿もまだなかった。ラフォーレ原宿の経営母体が森ビルであると知ってまったく興味がなくなった。貸しビル屋ふぜいがまともなことをできるわけがないというのが理由だ。

ディオゲネスの犬とは神宮外苑銀杏並木の青山通りから数えて12本目の銀杏の樹の下のベンチで出会った。神宮外苑銀杏並木の青山通りから数えて12本目の銀杏の樹の下のベンチでは呪われたアルマジロや冬眠を忘れた熊や黄金のカエルや羊毛騎士団団員の黄金の羊や神のペヨーテやカルネギア・ギガンテアやサボテンミソサザイや石を見つめる少女やスコティッシュ・ブラックフェイスの王である月の羊や切り裂きバロウズや『ガープの世界』の影響でみずから舌を切りとったモールス信号でトークするブルーズマンDJやカワウソ・ニザンやワラビー・モーリやウォンバット・コンバットや歩行する貝殻や東京シニフィアンや葉っぱフミフミやヨジーコ・オパーランディとも出会った。神宮外苑銀杏並木の青山通りから数えて12本目の銀杏の樹の下のベンチは不思議世界、ワンダーランドの入口、道標なんだろう。

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六本木高校のコンクリートの壁面はチェシャ猫とシュレディンガー・キャットの踊り場であることをディオゲネスの犬から教わった。とてもいいことを教わった。世界は想像もつかない不思議に満ちているのだと。

ディオゲネスの犬の熱心な勧め、そそのかしで六本木高校のコンクリートの壁面にチェ・ゲバラの巨大な顔をストリート・アート風にカラー・スプレーでグラフィティしたときは愉快痛快だった。麻布警察署に連行されて5時間みっちりしぼられたが屁でもなかった。キース・ヘリングもバスキアもバンクシーも世に出るずっと昔の牧歌的グラフィティの時代のことだ。

とうの昔にディオゲネスの犬は死んだが、今でもときどき私の背後に現れ、私の大脳辺縁系、大脳新皮質のパフォーマンスを計測している。計測し終えるといかにも満足げに鼻を鳴らし、樽世界に還っていく。

ディオゲネスの犬、樽の哲犬、Tartine The Dogz。彼はまぎれもなく師であり、無二の親友であり、守護者だった。ディオゲネスの犬の死を契機として、神宮外苑銀杏並木の青山通りから数えて12本目の銀杏の樹の下のベンチに「サヨナラ TOKYO」と落書きし、東京に別れを告げた。

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High School Graffiti Daysの落書きは跡形もなく消えうせたが、その痕跡は心の片隅、奥深くに残っている。ひとはそれを残照と呼ぶ。


Bonnie Tyler - Sayonara Tokyo (1981)
 
by enzo_morinari | 2020-12-30 18:03 | High School Graffiti | Trackback | Comments(0)
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