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カルミナ・ブラーナ 血の歌 第1の歌 レチタティーヴォ#1

 
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大アルカナX 運命の輪
曾祖父宛のカール・オルフの古い手紙をきっかけに『カルミナ・ブラーナ』の写本をめぐる謎解きの旅はその緒についた。アノ・ドミニ紀元2000年の冬の盛りのことであった。

『カルミナ・ブラーナ』は300編余りあり、それらはラテン語、中高ドイツ語、古フランス語、古イタリア語で記されていて、解読するだけで7年の歳月を要した。その間、わたくしは妻と飼犬の死にまみえ、さらにはわが血に宿る呪われし病を発するにいたった。

そのような次第で、わたくしに残された時間はわずかだ。「謎解き」はきわめて迅速になされねばならない。運命の女神は峻厳冷徹に世界を支配しているが、わたくしの最後のささやかな旅に微笑みかけるくらいのやさしさは持っているはずである。

麻布の聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院を囲む鈍色の壁に沿って暗闇坂を登りながらラフマニノフの『ヴォカリーズ』を口ずさんでいると、涙は次から次へと溢れてきた。涙のわけを探ろうとは思わなかった。たいていの場合、涙はただ流れるままにしておくのがよい。いつか涸れ、乾くからだ。

暗闇坂の中腹辺りで暗鬱な気配のたぐいに呼ばれ、左手のエスタライヒ大使館を一瞥した。掲揚塔の国旗が半旗の状態で風に翻っている。誰が死んだのか? わずかに興味をそそられるが、昼に食した鰻の脂の匂いが鼻先によみがえり、気持ちはみるみる萎えてしまった。

モーツァルトのレクイエム第8曲、『涙の日』の旋律にのせて、「Austria Est Imperare Orbi Universo」とだけ唱えた。死者は決して蘇らぬが、なにがしかの慰めを捧げることは生き残った者の責務である。

聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院の壁の内側から修道僧たちの厳かな祈りの声が聴こえる。長い夜になりそうだった。

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キリスト教異端史を伝えるディオクレティアヌス紀元2世紀の書、『エフェソス・スミルナ・ペルガモン・ティアティラ・サルディス・フィラデルフィア・ラオディキア・グーゴル・ウィキペディアヌッコ』によれば、千年王国論の特殊性とキリスト再臨の解釈をめぐる議論が「異端」のそもそもの端緒であったとされる。

至福の千年ののち、サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っていることについては『サン・セルナンの祈祷書』に詳しいが、いわゆる清教徒革命、第三帝国論のいずれもが「異端」から出発したことは注意しなければならない。さらに言うならば、ナチス・ドイツの思想的基盤にあったものが強固なオカルティズムであることもまた、我々は忘れてはならない。

ホロコースト、Uボート、報復兵器第2号(V-2 ROCKET)はナチスが企図したオカルト戦争の延長線上にあったのである。神秘主義の現代的結実はインターネットの基礎的理念は無論のこと、一片のバーコードのうちにも現れている。

薔薇十字団本部から『ヴォイニッチ手稿』の解読を依頼したい旨のメールが届いたのは旅装を整えるために聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院から一時帰った翌日の夜明けのことであった。窓外に眼をやれば、富士南嶺から降りてきた霧の一群がいつものように強い憎悪をわたくしに向けている。

Carmina Burana (Carl Orff)
 
by enzo_morinari | 2020-12-28 23:15 | カルミナ・ブラーナ 血の歌 第1の歌 | Trackback | Comments(0)
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