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不思議の国を解読するための地図 ── 昼餐後、帽子の女は不思議の国の気が変になる水銀入りの海亀もどきスープを飲んでファム・ファタールになる。

 
不思議の国を解読するための地図 ── 昼餐後、帽子の女は不思議の国の気が変になる水銀入りの海亀もどきスープを飲んでファム・ファタールになる。_c0109850_00193308.jpg


帰宅時間はゲーデルに訊いてくれ。水銀中毒で気が変になった帽子屋

演奏が終わった音楽は虚空へと消え、二度と取り戻すことはできない。E-A-D

エリック・ドルフィーの『Out to Lunch!』は『不思議の国のアリス』を解読するための地図である。Enzo Molinari


AIWS治療の帰り道、水曜日の昼下がりの外苑東通りで魅力的な帽子の女をみかけた。帽子の女は老舗の帽子専門店であるThe Hatterのショウ・ウィンドウに見入っていた。帽子の女はジョン・テニエルの古い画集を小脇に挟んでいた。

帽子の女は呪文のようにMad as a hatterと小さな声でつぶやきつづけた。


Mad as a hatter.
帽子屋のように気が狂っている。



帽子の女の呪文のせいで周辺の時間は手のほどこしようがないほどねじ曲がってしまった。

帽子の女は三月ウサギと同様に帽子屋のように気が狂っている。帽子の女は聡明な科学者だが、普段は白/黒の部屋に閉じこもり、白/黒のディスプレイを通して世界を観察している。

帽子の女の専門分野は視覚に関する大脳生理学である。赤いロサ・ガリカ・コンディトルムや緑なす山々や青空を見るときに感じる色彩についての物理学的/大脳生理学的情報/知識を多岐にわたって有している。

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帽子の女と話しているうちに「マドレーヌ現象」がはじまった。主たる用件は帽子の女にエリック・ドルフィーの『Out to Lunch!』のジャケットのコラージュを制作することが可能かどうかを打診するのが目的だったが、話はいつのまにか「夢の球場」のことや古今亭志ん生のことや「ラデュレ・ビジネス」のことや『不思議の国のアリス』のことや『オズの魔法使い』のことや『銀河ヒッチハイク・ガイド』のことや『宇宙の果てのレストラン』のことや「42の腰つき」のことや「生命、宇宙、そして万物、森羅万象についての究極無窮の答え」のことにまで及び、ついには「宇宙を支配する巨大な意志の力」と『歌う犬どものための弦楽四重奏』の演奏会を113年ぶりに実現しようという地点にまでいってしまった。

話題は宇宙森羅万象、ソンブレロ銀河への帰還、ステファンの五つ子の養育権におよび、とりわけて、こと「音楽」と「表現」にかかわることとなると、宇宙を支配する巨大な意志の力のやつめが異常な興奮を示し、雨はしばしば土砂降りをはるかに超えて、哲コン金クリート降りとなった。

帽子の女と話しているあいだ、私は壁の『Out to Lunch!』のジャケットをずっとみていた。そして、発見した。『Out to Lunch!』はワンダーランド、不思議の国に昼めしを喰いに行ったきり帰ってくることができなくなった者のための音楽であるということを。そのことを帽子の女に言うと、帽子の女は大きくうなずいて服を外科医が患者の腹を切り裂くように脱ぎ捨てた。着ているものを脱ぐことにも凄絶さは附着する。

Out to Lunchは「昼食中」という本来の意味のほかに「気が変になる」という含意がある。そして、『Out to Lunch!』のジャケットにはドアノブの左横に「WILL BE BACK」の文字のある帰宅時間を報せるための時計を模したプレートがかかっている。時計の針は長針短針合わせて7本。

7本の時計の針? クロノグラフやらパーペチュアル・カレンダーならともかく。「帰宅時間不明。今が何時なのかもわからない。時間など意味がない。時間はあっちこっちに向かってねじくれている」ということか? 私の発見、見立てはこうだ。

私は気が変になって、空間も時間もバラバラの世界、「異う世界」に生きている。もうどこにも帰ることはできない。帰れない。

エリック・ドルフィーは『Out to Lunch!』を録音した4ヶ月後にこの世を去ったが、実はすでにエリック・ドルフィーはとっくの昔に「異う世界」に向けて、虚空に消えていく「音」とともに旅立っていたのだ。

いまごろはチェシャ猫やキラキラ光る蝙蝠さんやトカゲのビルやキ印帽子屋やドードー鳥や眠りネズミやオールド・マグピーやモック・タートルやフィッシュ・フットマンやフロッグ・フットマンやTwo, Five & Sevenやハートの女王様やハートの王子様やベンジャミン・ディズレーリ・グラッドストーンやエルシー・レイシー・ティリーや口うるさい美術批評家の年寄りアナゴとともに黄金色の昼下がりの「午後のお茶の会」で自由が丘ルピシアの『Castleton Moon Light 2020-DJ144』とは似ても似つかぬ紅茶もどきをすすり、ハートの女王がふんぞり返りながら焼いた「逆さま世界のアヴァンギャルド・タルト」を齧り、晩餐には海亀もどきスープに深々とした溜息をつき、眠られぬ夜にはおない年の幼なじみ、ジョニー・グリフォン相手に『オマール・ロブスターのカドリユ』でスウィングしながらケニーGのTwo, Five & Seven倍すごいロングブレスの練習をしていることだろう。怠惰と邪悪と強欲と低血糖に抗いながら。風変わりでアヴァンギャルドなウッド・シェディングだが、エリック・ドルフィーらしいと言えば言えないこともない。

いまや、世界はフェルトの帽子屋のように気が狂った者ばかりになった。私が三月のウサギになるのもじきだろう。ジターバグのワルツのように。帰還するのは八方ふさがりのメローなロスト・ワールドの週末、ワニ語の名手ジョージ・ベンソンが永遠の1/2オクターブ走法を教えこんだ稻羽之素菟の背中に乗ってだ。

Eric Dolphy - Out To Lunch! (1964)
Arthur Blythe - Jitterbug Waltz (In the Tradition/1978)
 
by enzo_morinari | 2020-09-02 23:18 | Philosophical Story | Trackback | Comments(0)
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