
Fluctuat nec mergitur.昭和30年代から40年代初頭にかけて、街でよく異形の者をみかけた。彼らは瀬降りを担ぎ、竹で編んだ細工物や木の器を売り歩いていた。当時、街には様々な行商人がいたが、そのどれとも彼らはちがった。
時代は移り、彼らを目にしなくなった。瀬降りの民はいずこともなく姿を消した。浅間神社の鳥居の奥深くの闇の中に。高度成長という名の人間否定の大波にさらわれでもしたか。あるいは、陽の光がかけらさえも射さないTQC絶望工場の片隅に追いやられたか。
長じて、瀬降りの民がサンカ(山窩)、ポンスケ(鼈獲り)、カメツリ(亀釣り)、ミナオシ(箕直し)、ミツクリ(箕作り)、テンバ(転場)と呼ばわれて蔑まれ、いわれなき差別を受けていたことを知った。さらには、ジタン、ロマの民の伝統歌謡を耳にし、遠い昔に聴いた瀬降りの民が口ずさんでいた歌と驚くほど似ていることに気づいた。そのとき、はたと気づいた。まさに、
Inspirationだった。彼らのルーツはおなじであると。洋の東西はちがっても、まつろわぬ民、誇り高き放浪者、孤高の山の民、不服従の漂泊民は虐げられつづけたのだと。
漂えども沈まないパノプティコンで柳田國男の『イタカ及びサンカ』を一望監視していると、大きくて凄みのきいた瀬降りを担いだ異形の者がやってきた。誇り高き放浪者、不服従の漂泊民、孤高の山の民、漂えども沈まぬ瀬降りの民だった。その者はVagabond Shoesを履いていた。
その者は低く呻くような声で言った。
漂えども沈まず。まぎれもなく、瀬降りの民の末裔だった。誇り高き放浪者、不服従の漂泊民、孤高の山の民、漂えども沈まぬ瀬降りの民が天上の幻山から再び降臨したのだ。
Gipsy Kings - Inspiration (1987)