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ヘレンの亜麻色の髪を梳いて。/キクラデスの空飛ぶパンと斧といんげん豆

 
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街の中心を南北に縦断するシニフィエ通りと東西に横断するシニフィアン通りの交差点の東向きの角に記号パン屋のSigneはある。


サントリーニ島の断崖の安食堂でスズキの正統ヴィットーレ・カルパッチョを食べ、ウゾを飲みながらデロス島を眺めていた。

アニスの芳香が鼻先で踊った。一瞬、鋭い鉤爪をかざす人喰いの老婆のカリアッハ・ヴェーラが現れ、エーゲ海の真珠をまとった夏の美女に姿を変えた。

無性にアクロポリス・ラリーの情け手加減容赦のないコースをカンパニョーロ・カンピオコルサを装着したMASIの鉄フレームのチクリでアタックしたかった。53-15のギア比で。ケイデンス135 Over/minで。

ふた切れ目のスズキを口にしたとき、突如、ポールモーリアの『エーゲ海の真珠(Penelope "L'eternel Retour”)』が聴こえてきた。そして、あろうことか、キクラデスの空飛ぶパン屋がやってきた。

ギリシア人のキクラデスはとても変わったパンを焼く。「キクラデスの空飛ぶパン」だ。1個420円。ちょっと高い。ぼそぼそしていて味も素っ気もない。だが、よく売れている。1日に200個は売れる。

「キクラデスの空飛ぶパン」が売れる理由は「キクラデスの空飛ぶパン」が本当に空を飛ぶからだ。「キクラデスの空飛ぶパン」は女の子を乗せて麹町警察署まで飛んだこともある。去年のクリスマス・イブのことだ。

街は大騒ぎになった。若葉三丁目の谷底から真っ赤なポルシェ911Sに乗った無愛想きわまりもない白洲次郎が「てめえには手がねえのか!」と怒鳴りながら復活したのちに四谷小学校の校長の座につき、麹町大通りのアスファルトが四谷三丁目から半蔵門までめくれ上がり、日本テレビ西館入口の尊大横柄横着で名高い警備員がBIG-RON似のビリケンさんとBIG JOHNのM1002を履いたえべっさんの2人組に指名打者交代し、ワコールの本社ビルの窓ガラスは1枚残らずドミノ・ピザのクワトロ・フォルマッジFUCXXXXXXLサイズに変わり果て、トーキョー・エフエムはすっかり心を入れ替えて、忌野清志郎の『FM東京おまんこラジオ』をフル・ヴァージョン、無限ループでオン・エアし、元町ユニオンの支援を受けたam/pmが「エーじゃん、ピーじゃん」をキャッチ・フレーズにして無駄な復活を遂げ、丸正四谷総本店店頭では傷ついたエストリルのクリスマローズでできた晴れ着の叩き売りがはじまり、イギリス大使館の正門前では赤いキノコ手芸団団長の愛犬KIPPERがスフィンクス・ダックを頭のてっぺんにかぶってモフモフ・ダンスをはじめるといった具合だ。慌てたサンタ・カロリーナ・クラウスが赤っ鼻のトナカイくんから転げ落ちるほどの騒ぎだった。私はと言えばホイップとホップをまちがえたあげくにステップを空振りし、ガールフレンドに生クリームを全身に塗りたくられ、手形の決済をジャンプされるはめになった。

私は食べ物や乗り物としてよりもインテリアとして「キクラデスの空飛ぶパン」を買う。「キクラデスの空飛ぶパン」は実に造形がいい。「キクラデスの空飛ぶパン」はミニマル・アートみたいだと言ったのは眼球学者のモノリス・メルロー=ポンティ教授である。たしかに「キクラデスの空飛ぶパン」はコンスタンティン・ブランクーシの彫刻にすごく似ているし、キクラデスのパン工房は得体の知れないミニマル・アートだらけだ。まるでアトリエ。とうていパン屋とは思えない。

街の愚にもつかない会合の席で「ペロポンネーソスなんか折れちまえばいい」とキクラデスが吐き捨てるように言ったのがきっかけで私とキクラデスはちょっとだけ仲が良くてちょっとだけ気の合う友人になった。この話は風変わりなギリシャ人と気難しい私と奇妙な空飛ぶパンにまつわるおとぎ話みたいなものになるはずである。エクストラ・ヴァージン・オイルといっしょにキクラデスの空飛ぶパンで作ったブルスケッタを食せば喜びもひとしおというものだ。ただし、翌朝のブルシット事態についての責任は負えない。

自宅前のレッセフェール通りを挟んだ向かい側に『いんげん豆船/Bateaux Haricot』という変わった名前のアパートがある。フランス人の未亡人が経営している古いアパルトマンだ。未亡人の名はレザリコ・レ・アリコさん。いんげん豆の栽培が趣味だ。住んでいるのは全員フランス人である。

フランス人が経営するフランス人だけしか住まない風変わりなアパート。実際、『いんげん豆船/Bateaux Haricot』はフランス人しか借りることができない。不動産屋の浮動小数点さんもそう言っていたし、住宅情報誌にもそう書いてあった。貼り紙もしてある。

フランス人にしか貸さない! カフカ不可! 虫はごめんだ! むざむざザムザに貸すもんか!

貼り紙の文面は過激だがレザリコ・レ・アリコさんはとてもやさしくて上品な御婦人である。旦那さんは去年の春、1924年型ベントレー・ヴァンデン・プラで土砂降りの横浜横須賀道路を走行中に側壁に激突して亡くなった。レザリコ・レ・アリコさんの旦那さんがどこを目指していたのかはいまだにわかっていない。

レザリコ・レ・アリコさんは亡くなった旦那さんのことを「Ma Meilleure Moitié.マ・メイユール・モワティエ。My Better Half」と言う。

「マ・メイユール・モワティエはいつも……」
「マ・メイユール・モワティエはお寝坊さんで……」
「マ・メイユール・モワティエは食べず嫌いで……」
「マ・メイユール・モワティエはお話し好きで……」
「マ・メイユール・モワティエはワインが好きで……」
「マ・メイユール・モワティエは散歩が好きで……」
「マ・メイユール・モワティエは音楽好きで……」
「マ・メイユール・モワティエはお洒落で……」
「マ・メイユール・モワティエは……」

こんな具合だ。レザリコ・レ・アリコさんの「マ・メイユール・モワティエ」にはときどきうんざりさせられるが、すごいオーディオ・システムで好きなだけジャズやクラシックや入手困難なレコードをたくさん聴かせてくれるし、脱法ハーブをふんだんに使ったレザリコ・レ・アリコさん自慢のエクサンプロヴァンス料理は東京中のフレンチ・レストランを探してもみつけることができないくらいおいしいので我慢できる。

レザリコ・レ・アリコさんの料理はおいしいだけではなくて元気になる。幸せも感じる。その幸せの賞味期限はとても短いが幸せは幸せだし、消費者センターに通報するほどではない。

レザリコ・レ・アリコさんの部屋にはレンガを組み上げた手作りの古い暖炉があって、暖炉の両脇にはソナス・ファベールの STRADIVARI Homage がモノリスみたいに聳え立っている。ため息が出るほど美しいローズウッド・キャビネットのスピーカーだ。レコード・プレイヤーはトーレンスのPrestige。マッキントッシュの真空管パワーアンプMC275はウェスターン・エレクトリック社のKT88がチュービングされている。KT88だけで軽く大卒の初任給半年分が吹っ飛ぶ。

さりげなくカミングアウトしておくが、アリコさんの姪のアブリコさんはメットライフ・アリコ生命で働いていて、私と恋愛関係にある。きわめてクリシェな話だが。アブリコさんには夫も三つ子の女の子もいて、コキュどころか、できの悪いコント・ド・コルネットであり、面目もない。コロニアルなスミダの岸辺でコルネットを吹きたい気分だ。

『いんげん豆船/Bateaux Haricot』にはオープン・テラスのようなスペースがある。『いんげん豆船/Bateaux Haricot』の住人でなくても利用できる。四季折々の草花がいつも人々をたのしませている。

『いんげん豆船/Bateaux Haricot』のテラスはいつもやさしく私を迎えてくれる。『いんげん豆船/Bateaux Haricot』の庭には「Eau de vie/生命の水」と名づけられた小さな泉があって、絶えることなく静かに水が湧き出ている。

闇が街を浸食しはじめる頃、Eau de vie/生命の水のあたりから泉ちゃんが現れる。そして、われわれにいろいろな話を聴かせてくれる。ときどき、いたずらもする。泉ちゃんのいたずらは実に他愛のないもので、誰もいやがったりはしない。鼻に指を突っこまれたり、耳にコンパスの針を突き刺されたり、目玉をちろちろと舐められたり、舌の味蕾の数を数えられたりといったていどのことで怒るような者はそもそもこの街に住みつづける資格がないのだ。

泉ちゃんは5歳くらいの女の子だ。泉ちゃんは年をとらない。ずっと5歳のままだ。なぜ泉ちゃんが歳をとらないのかと言えば、泉ちゃんはとっくの昔に死んでいるからだ。言わば、亡霊。幽霊。ゴースト。まあ、この広いル・モンドにはそんなことがあるということだ。。

街の中心を南北に縦断するシニフィエ通りと東西に横断するシニフィアン通りの交差点の東向きの角に記号パン屋のSigneがある。名うてのグラン・パ・ド・ドゥ・パンシェルジュ、キーオ・エスタス・ティーオが腕をふるっている。キクラデスのパン屋のライバルだ。北部エリアの住人はSigneの記号論的言語パンを買い、南部エリアの住人はキクラデスの空飛ぶパンを買うことが暗黙のルールだ。


エーゲ海の真珠/Penelope "L'eternel Retour" - ポールモーリア/Paul Mauriat (1970)
 

 
by enzo_morinari | 2019-08-08 07:41 | ヘレンの亜麻色の髪を梳いて。 | Trackback | Comments(0)
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