『名前のない馬』をいつどこで何歳で聴いたか。見たか。いつでもチェックアウトできるけれどもだれもチェックアウトしないホテルに何泊したか。元キノコ頭の極楽とんぼメガネの男がダコタ・ハウスの前でイマジン・ヘブンしたときにどこでなにをしていたか。重要なのはこのみっつだ。A Horse with No Name Seeker
いまもあざやかに残る谷岡ヤスジ的鼻血ブーな風景。
1. 床屋の店先にCoca-Colaの赤いベンチが3台タテに並べられていた。
2. 靴屋の店先に裸のマネキンが8体並べられていた。
3. 呉服屋の脇の壁にアルト・リコーダーが5列でびっしりと貼りつけられていた。
4. 住宅街の和風建築の1軒家の屋根に巨大なゴジラ。
5. ごく普通の民家の壁に黄色いフォルクスワーゲン・ビートルが突っこんでいた。おそらくはオブジェ。
6. マリンタワーに超巨大なカブトムシ。
7. 山下公園にいく張りものネイティブ・アメリカンのティピー。
8. 横須賀のアメリカン・スクールのバスの屋根に巨大なウンコのオブジェ。
雨が降ってもどしゃ降りでも、時代は「全国的にアサーっ!」だった。ÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの腑抜けておセレブ気取りの朝などどこにもなかった。パンと言ったら食パンかコロッケパンか甘食パンだった。名前のない馬がたてがみをなびかせながら街中を走りまわっていた。ひと握りの金持ちをのぞけば、みんなビンボーに毛の生えたようなものだった。あっけらかんとビンボーしていた。炭酸入りの砂糖水にすぎないCoca-Colaを「スカッと爽やか」とありがたがっていた。500ml足らずのホームサイズをコップにわけて飲んでいた。おセレブ気取りも取り澄ました輩も陰湿陰険な輩もみかけなかった。クソガキと悪ガキと青っ洟たらした洟垂れ小僧だらけだったがどこか大人びていた。プレイボーイと平凡パンチの表紙をみただけでボッキした。
街には光と陰が混在していた。街に貌があった。危うさと不穏と物騒を孕みながらも貌があった。いま、貌のある街は皆無だ。クレゾールのにおいすらしない。無味無臭。無味乾燥。ありきたり。似たり寄ったり。コピー&ペースト。街にも人間にも貌がない。全共闘の馬鹿騒ぎ空騒ぎA( )Cをのぞけば、1970年代はいい時代だったと言えば言えないこともない。
いまや、どいつもこいつも、若造小娘から爺さん婆さんにいたるまでお子ちゃま/こどもだらけだ。経験のけの字も知らぬ甘ちゃんとチャイルディッシュで幼児性が抜けていない者だらけ。オイルショックや泡劇場の終焉や大震災や原発事故でなにひとつ学ばなかったということだろう。いくらおセレブさん気取って取り澄ましたところで、所詮、東海の小島のYellow Monkeyだというのに。なにを気取りやがってということだ。
A Horse with No Name - AMERICA (AMERICA/1971)