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Jean Patou JOYの女/哲学の小径を歩み、自閉症の狂人を看取り、修道生活を送り、いくつもの邪宗門をくぐって空の果てまで旅し、悲の器の中のおのが魂を凛として装ってきたLonely Woman

 
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空の果てでもわが魂よ、気高く凛として装え。Tak-Tak


ロンリー・ウーマンと初めて会ったのは1981年のパリ。ロンリー・ウーマンはパリ3区の安アパートに住んでいた。私は23歳。ロンリー・ウーマンは49歳。先のないうたかたの恋だった。

Église Saint-Gervais-Saint-Protais de Parisで行われたジャン・ミシェル・ミゴーのライブで隣りあわせたのがロンリー・ウーマンだった。ロンリー・ウーマンは名調香師Henri Almerasが調香したJean PatouのJOYをまとっていた。凛とした中にも森の静謐のある香りだった。

 
フレグランスはまとう者によってその香りを千変万化させる。ロンリー・ウーマンのまとうJean PatouのJOYはそれまでに知るどのJean PatouのJOYとも異なった。ローズとジャスミンとイランイランとチュベローズのフローラル・ブーケが古き良き時代を彷彿とさせた。人間がまだ人間として生きることのできた時代を。

ロンリー・ウーマンとは1988年の秋にエルサレムで再会した。私は30歳目前。ロンリー・ウーマンは56歳。白髪が目立ち、眼窩はえぐれたように窪んで、肌はうるおいも輝きも失っていた。その姿は痛ましくさえあった。

最後にロンリー・ウーマンと会ったのは2012年の夏。茅ヶ崎の海を見下ろす高台にある老人ホームだった。ロンリー・ウーマンはもはや私がだれかもわからなかったが、Jean PatouのJOYの魅惑の香りはかわらなかった。

私は今生の別れにJean PatouのJOYをロンリー・ウーマンに贈った。哲学の小径を歩み、自閉症の狂人を看取り、修道生活を送り、いくつもの邪宗門をくぐり、空の果てまで旅し、悲の器の中のおのが魂をつねに凛として装ってきたロンリー・ウーマン。

ロンリー・ウーマンの魂と肉体が永遠に香り高く気高く凛としてあることを願ったが、かなわぬ願いであることはわかっていた。Pour toujoursはパリ以外ではなんらの力も持たないのだと。


Lonely Woman - Ornette Coleman (The Shape Of Jazz To Come/1959)

Lonely Woman - Modern Jazz Quartet (MJQ) (Lonely Woman/1962)

Lonely Woman - Horace Silver (Song for my Father1964)

Lonely Woman - Freda Payne (After the Lights Go Down Low and Much More!!!/1964)

Lonely Woman - Charlie Haden (The Private Collection/1988)
 
by enzo_morinari | 2019-06-14 09:07 | Jean Patou JOYの女 | Trackback | Comments(1)
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Commented by enzo_morinari at 2019-06-16 10:00
>>O Tame Go Cassi Une Sancta Poncoz

『言の葉の優しさに・・・』のmasasi9904にイイネをつけるような者がなにを抜かしやがるか! 誤字脱字/てにをはと句読法の用法の誤謬だらけの日本語の故障を修理してから出直してこい。小学校1年生の国語のドリルを100万回やれ。

はっきり言っとくが、おまえさんはじきに死ぬだろう。じきにだ。すぐに。せいぜい、経験のけの字も知らぬ甘ちゃんのまま逝くがいい。
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